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第三章 宮廷遊戯
家族の再会
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獣の匂いが鼻を突く。
自分達以外の気配が無数に闇に蠢いていた。ディマが出現させた魔法は既に閉じ、この場に人間は、わたし達しかいなかった。
一歩、よろめき後ろに下がる。温かな物体に当たり振り返ると、馬の胴体がそこにあった。突然現れたわたし達を不愉快に思ったのか、その馬は尾を左右に振る。
小屋の隙間から、星が瞬く夜空が見える。ここは厩のようだった。
「う……」
呻く声が聞こえて目を向けると、ディマのシャツが真っ赤に染まり、止めどなく血が噴き出していた。
「ディマ! 傷が!」
アリアの魔法が当たったらしい。慌てて彼の体を確かめる。暗がりでも分かった。
「腕が……ディマ、腕が無いわ!」
彼の左腕の、肘から先が、綺麗さっぱり無くなっていた。アリアの魔法が直撃したらしい。
すぐにお母様が、ディマに寄る。
「動かないで、治癒魔法をかけるわ。大丈夫よ、致命傷じゃないもの」
魔法陣がゆっくりと、ディマの体に重なった。動く右手でわたしの体に触れると、ディマは額に脂汗を浮かばせながらも、言う。
「イリス、平気さ。腕の一本くらいどうってことないよ。利き手じゃないしさ」
どうってことないはずがないじゃない。自分が情け無くなった。
わたしは役立たずだった。ただディマの、体を抱きしめることしかできない。
血が止まった瞬間、ディマは立ち上がる。お母様が咎めるように言った。
「まだ完全に治っていないわ」
「道すがら自分で治します。行きましょう、あまり時間はない。追手がすぐに来るはずです。まごついていられない」
破れた服もそのままに、ディマは、二頭の馬を開放した。
「イリスは僕と一緒に乗ってくれ。魔法を失ったイリスを一番はじめに狙う可能性が高い」
「手綱は、わたしが握るわ」
ディマは頷いた。
先に馬に乗り、彼を引っ張り上げながら尋ねた。
「一体どこに空間を繋いだの?」
「帝都郊外の、森の外れの馬貸しの小屋だ。夜の厩に人は寄り付かないから、誰も僕らには気付かない」
「それだけ長い距離を?」
並の魔法使いには、とても出来ない芸当だった。精度も魔力も必要だ。
「いつかもっと長い距離、空間を繋いでみせるって言ったろ。それに、逃走することになったら、ここに繋ごうと決めていたから」
「ディマはやっぱり天才だわ」
「別に、僕は普通だよ」
あの時と同じように、照れくさそうにディマは笑った。
お母様が馬に乗ったのを確認してから、ディマが小さく呟いた。
「あの時――エルアリンドが家に来た時、僕らは幼すぎて、逃げることも家族を守ることもできなかった。今、ようやくそれができるようになった」
わたしは手綱を握りしめる。希望が見えたように思えた。
「じゃあ、決めていたとおりの場所に行きましょう?」
ディマは強く頷いた。
どこまで腹を読み合って、どこまで手の内を明かして、敵が誰で、味方は誰で、誰を押しのけて上にいく――? そんな宮廷のゲームから、わたしたちは一足先に降りることにした。
追跡を撒くため、魔法の気配を悟られないように、ディマとお母様は遮断の魔法を使った。わたしとディマが、用意していた術式だった。
逃走資金には困らなかった。こうなった時に使えるようにと、いつもお金を身につけていたから。
道すがらは、見た目を変えて変装した。街は避け、ほとんど野宿をして過ごしながら、わたし達は、ひたすら北へと進んでいった。
クリステル家の領地へと――。
オーランドが素直にわたし達の交渉に応じれば、逃げるつもりはなかったけれど、決別したらここに来ることを決めていた。
魔法を駆使して進みながら、彼女の屋敷が見えたのは、出発から何日も経った頃だった。
屋敷の門を叩くと、出迎えたミア・クリステルは憮然と言った。
「余計な情けなど無用だと、わたくしは言ったでしょう? 結局こうなるのだから、オーランドが庶民の種だと気付いた時点で、さっさとカタをつけるべきだったのです。ルカ・リオンテールが、大人しく引き下がるわけないでしょう?」
それから彼女は顔をしかめた。
「三人とも、ひどい格好です。ディミトリオス、あなたが一番汚いわ。左腕を一体どこに忘れてきたの? 風呂を作らせるから、入った後で着替えてきなさい」
素直に頷いた瞬間だった。屋敷の奥から、どたどたと騒々しい足音が聞こえてきた。
「三人とも無事か!」
声を聞いた瞬間、懐かしさと嬉しさが溢れた。その姿は、記憶の中とそれほど変わりはない。多少日に焼けて、赤毛の中に、白髪が目立つようになったくらいだろうか。
彼――アレン・テミスは階段を駆け下りてくると、そのままの勢いでわたし達三人に飛びついた。
「会いたかった! 俺も帝都へ迎えに行こうと思ったんだが、これ以上余計な問題を抱え込みたくないとミア様に止められてしまって」
ミアがため息を吐く。
「アレン・テミスはとても強情だったので、手足を拘束して止めていました」
けれどミアの言葉なんて、わたし達には聞こえない。
「アレン! わたし、本当に、ほ、本当にあなたが死んじゃったんじゃないかって、お、思って。生きているって聞いても、この目で見るまで、し、信じられなくて……!」
「ミランダ、子供らを守ってくれてありがとう」
お父様はお母様を強く抱きしめた。
お母様の顔は、決壊した涙でぐちゃぐちゃで、言葉もままならなかった。五年ぶりの再会だもの、仕方ないことだ。
植民地への派兵が決まった時、ディマはミア・クリステルに、アレン・テミスの保護を求めた。
彼女は承諾し、自らの部下に虚偽の報告をさせ、お父様を本土へと秘密裏に連れ帰ったのだ。ディマの酷いところは、お父様が確実に無事だと分かるまで、ミアとの密約をわたしとお母様にも隠していたことだった。
それからお父様は、わたしを見た。
「イリス、随分と身長が伸びたし、綺麗になったな。若い頃のミランダそっくりだ。もう簡単に抱えあげられないな」
そう言いながらも、お父様はわたしを抱えあげてくれた。努めて明るく振る舞うお父様を感じて、五年前の後悔が襲った。
「お父様、本当にごめんなさい……! わたし、お父様を守れなかった……!」
けれどお父様は、笑ってわたしの頭を撫でる。
「守ってくれたさ、イリスの守護魔法のおかげで、俺は何度も命を救われたんだ」
最後に、輪から少し外れたところにいたディマを、お父様は見た。
「お父様――……」
お父様は彼に近づくと、そのまま地面に跪いた。
「ディミトリオス――様。ご立派になられて……。よくぞご無事で、いらっしゃいました」
困惑したように、ディマはお父様の肩を揺する。
「よしてください。顔を、上げてください。こんなのは、嫌です」
「いいえディミトリオス様。あなたこそ、俺が仕えるお方で、このローザリアの、正統な後継者でございますから。立場をはっきりさせておかないとなりません」
お父様は、顔をわたしとお母様に向ける。
「ミランダ、イリス! 何を突っ立っているんだ?」
ハッとしたようにお母様はお父様の横に並ぶと、両膝をつき、両手を揃えて頭を下げた。
続こうとしたわたしに、ディマは叫ぶようにきっぱりと言った。
「イリスはいい、そのままでいてくれ!」
お父様が頭を下げたまま、ディマに言う。
「騎士テミス家がディミトリオス・フォーマルハウトに忠誠を誓うお許しをください。お許しをいただくまで、我々はこのまま動きません」
お父様の大声が響き渡った後は、静寂があった。
ディマは、じっと両親を見下ろしていたけれど、やがて根負けしたように、言った。
「……分かりました。アレン・テミス、ミランダ・テミス。それから――」
ディマはわたしを見た。
「イリス・テミス。どうか僕とこれからも共にあってください」
ディマの声を聞いた瞬間、よし、とお父様立ち上がった。
「もういいの?」
わたしの問いにお父様は笑い、ディマの背を何度も叩く。
「立場をはっきりさせたから、もういいんだ。
じゃあディマ、屋敷に入ろう。ここの料理はかなり美味いぞ。左腕は残念だったが、いい義手職人を知ってるから、その人を頼ろう。元の腕と遜色なく動くようになるさ」
心底ほっとしたように、ディマは言う。
「あまり僕を、驚かさないでくださいよ、お父様」
自分達以外の気配が無数に闇に蠢いていた。ディマが出現させた魔法は既に閉じ、この場に人間は、わたし達しかいなかった。
一歩、よろめき後ろに下がる。温かな物体に当たり振り返ると、馬の胴体がそこにあった。突然現れたわたし達を不愉快に思ったのか、その馬は尾を左右に振る。
小屋の隙間から、星が瞬く夜空が見える。ここは厩のようだった。
「う……」
呻く声が聞こえて目を向けると、ディマのシャツが真っ赤に染まり、止めどなく血が噴き出していた。
「ディマ! 傷が!」
アリアの魔法が当たったらしい。慌てて彼の体を確かめる。暗がりでも分かった。
「腕が……ディマ、腕が無いわ!」
彼の左腕の、肘から先が、綺麗さっぱり無くなっていた。アリアの魔法が直撃したらしい。
すぐにお母様が、ディマに寄る。
「動かないで、治癒魔法をかけるわ。大丈夫よ、致命傷じゃないもの」
魔法陣がゆっくりと、ディマの体に重なった。動く右手でわたしの体に触れると、ディマは額に脂汗を浮かばせながらも、言う。
「イリス、平気さ。腕の一本くらいどうってことないよ。利き手じゃないしさ」
どうってことないはずがないじゃない。自分が情け無くなった。
わたしは役立たずだった。ただディマの、体を抱きしめることしかできない。
血が止まった瞬間、ディマは立ち上がる。お母様が咎めるように言った。
「まだ完全に治っていないわ」
「道すがら自分で治します。行きましょう、あまり時間はない。追手がすぐに来るはずです。まごついていられない」
破れた服もそのままに、ディマは、二頭の馬を開放した。
「イリスは僕と一緒に乗ってくれ。魔法を失ったイリスを一番はじめに狙う可能性が高い」
「手綱は、わたしが握るわ」
ディマは頷いた。
先に馬に乗り、彼を引っ張り上げながら尋ねた。
「一体どこに空間を繋いだの?」
「帝都郊外の、森の外れの馬貸しの小屋だ。夜の厩に人は寄り付かないから、誰も僕らには気付かない」
「それだけ長い距離を?」
並の魔法使いには、とても出来ない芸当だった。精度も魔力も必要だ。
「いつかもっと長い距離、空間を繋いでみせるって言ったろ。それに、逃走することになったら、ここに繋ごうと決めていたから」
「ディマはやっぱり天才だわ」
「別に、僕は普通だよ」
あの時と同じように、照れくさそうにディマは笑った。
お母様が馬に乗ったのを確認してから、ディマが小さく呟いた。
「あの時――エルアリンドが家に来た時、僕らは幼すぎて、逃げることも家族を守ることもできなかった。今、ようやくそれができるようになった」
わたしは手綱を握りしめる。希望が見えたように思えた。
「じゃあ、決めていたとおりの場所に行きましょう?」
ディマは強く頷いた。
どこまで腹を読み合って、どこまで手の内を明かして、敵が誰で、味方は誰で、誰を押しのけて上にいく――? そんな宮廷のゲームから、わたしたちは一足先に降りることにした。
追跡を撒くため、魔法の気配を悟られないように、ディマとお母様は遮断の魔法を使った。わたしとディマが、用意していた術式だった。
逃走資金には困らなかった。こうなった時に使えるようにと、いつもお金を身につけていたから。
道すがらは、見た目を変えて変装した。街は避け、ほとんど野宿をして過ごしながら、わたし達は、ひたすら北へと進んでいった。
クリステル家の領地へと――。
オーランドが素直にわたし達の交渉に応じれば、逃げるつもりはなかったけれど、決別したらここに来ることを決めていた。
魔法を駆使して進みながら、彼女の屋敷が見えたのは、出発から何日も経った頃だった。
屋敷の門を叩くと、出迎えたミア・クリステルは憮然と言った。
「余計な情けなど無用だと、わたくしは言ったでしょう? 結局こうなるのだから、オーランドが庶民の種だと気付いた時点で、さっさとカタをつけるべきだったのです。ルカ・リオンテールが、大人しく引き下がるわけないでしょう?」
それから彼女は顔をしかめた。
「三人とも、ひどい格好です。ディミトリオス、あなたが一番汚いわ。左腕を一体どこに忘れてきたの? 風呂を作らせるから、入った後で着替えてきなさい」
素直に頷いた瞬間だった。屋敷の奥から、どたどたと騒々しい足音が聞こえてきた。
「三人とも無事か!」
声を聞いた瞬間、懐かしさと嬉しさが溢れた。その姿は、記憶の中とそれほど変わりはない。多少日に焼けて、赤毛の中に、白髪が目立つようになったくらいだろうか。
彼――アレン・テミスは階段を駆け下りてくると、そのままの勢いでわたし達三人に飛びついた。
「会いたかった! 俺も帝都へ迎えに行こうと思ったんだが、これ以上余計な問題を抱え込みたくないとミア様に止められてしまって」
ミアがため息を吐く。
「アレン・テミスはとても強情だったので、手足を拘束して止めていました」
けれどミアの言葉なんて、わたし達には聞こえない。
「アレン! わたし、本当に、ほ、本当にあなたが死んじゃったんじゃないかって、お、思って。生きているって聞いても、この目で見るまで、し、信じられなくて……!」
「ミランダ、子供らを守ってくれてありがとう」
お父様はお母様を強く抱きしめた。
お母様の顔は、決壊した涙でぐちゃぐちゃで、言葉もままならなかった。五年ぶりの再会だもの、仕方ないことだ。
植民地への派兵が決まった時、ディマはミア・クリステルに、アレン・テミスの保護を求めた。
彼女は承諾し、自らの部下に虚偽の報告をさせ、お父様を本土へと秘密裏に連れ帰ったのだ。ディマの酷いところは、お父様が確実に無事だと分かるまで、ミアとの密約をわたしとお母様にも隠していたことだった。
それからお父様は、わたしを見た。
「イリス、随分と身長が伸びたし、綺麗になったな。若い頃のミランダそっくりだ。もう簡単に抱えあげられないな」
そう言いながらも、お父様はわたしを抱えあげてくれた。努めて明るく振る舞うお父様を感じて、五年前の後悔が襲った。
「お父様、本当にごめんなさい……! わたし、お父様を守れなかった……!」
けれどお父様は、笑ってわたしの頭を撫でる。
「守ってくれたさ、イリスの守護魔法のおかげで、俺は何度も命を救われたんだ」
最後に、輪から少し外れたところにいたディマを、お父様は見た。
「お父様――……」
お父様は彼に近づくと、そのまま地面に跪いた。
「ディミトリオス――様。ご立派になられて……。よくぞご無事で、いらっしゃいました」
困惑したように、ディマはお父様の肩を揺する。
「よしてください。顔を、上げてください。こんなのは、嫌です」
「いいえディミトリオス様。あなたこそ、俺が仕えるお方で、このローザリアの、正統な後継者でございますから。立場をはっきりさせておかないとなりません」
お父様は、顔をわたしとお母様に向ける。
「ミランダ、イリス! 何を突っ立っているんだ?」
ハッとしたようにお母様はお父様の横に並ぶと、両膝をつき、両手を揃えて頭を下げた。
続こうとしたわたしに、ディマは叫ぶようにきっぱりと言った。
「イリスはいい、そのままでいてくれ!」
お父様が頭を下げたまま、ディマに言う。
「騎士テミス家がディミトリオス・フォーマルハウトに忠誠を誓うお許しをください。お許しをいただくまで、我々はこのまま動きません」
お父様の大声が響き渡った後は、静寂があった。
ディマは、じっと両親を見下ろしていたけれど、やがて根負けしたように、言った。
「……分かりました。アレン・テミス、ミランダ・テミス。それから――」
ディマはわたしを見た。
「イリス・テミス。どうか僕とこれからも共にあってください」
ディマの声を聞いた瞬間、よし、とお父様立ち上がった。
「もういいの?」
わたしの問いにお父様は笑い、ディマの背を何度も叩く。
「立場をはっきりさせたから、もういいんだ。
じゃあディマ、屋敷に入ろう。ここの料理はかなり美味いぞ。左腕は残念だったが、いい義手職人を知ってるから、その人を頼ろう。元の腕と遜色なく動くようになるさ」
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