イリス、今度はあなたの味方

さくたろう

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第四章 彼女に捧ぐ鎮魂歌

神など信じていないくせに

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◆ディミトリオス・フォーマルハウト

 侍女を追い払い、イリスをディマの部屋に運び、ベッドの上に横たわらせる。そこまで重病人じゃないと彼女は小さく抗議の声を漏らしたが、放っておけるはずがない。厳しく口止めはしたが、侍女たちに彼女の吐血と口から吐き出された細かい水晶柱を目撃されたことだろう、噂は広まると思われた。
 だがそんなことは些末な問題だ。イリスが生き続けてさえくれれば、いずれ消え去る噂だった。

 ベッド脇に椅子を運び、イリスを見つめていると、ぼんやりと彼女は言った。

「そういえば、お兄様。わたし、今日初めて気づいたのですけれど、ヴァリ聖密卿の右目、義眼だったのですね」

「義眼?」

 クロードの顔を思い浮かべるが、彼の右目も左目も薄い青い色をしていて、どちらかが偽物であるかなど、思いもよらなかった。彼は案外武闘派だから、どこかで傷つけてしまったのかもしれない。

「そうなのか? よく分かったね、僕は全然気づかなかった」

 言うと彼女は、ブランケットで顔を半分隠し、露出した目をディマに向けた。

「今日、お顔が近いところにあって、それで気づいたんです」

「顔が近いって……目の違和感が分かるほど近く?」

 どういう状況なんだ?
 それなりに近い場所で彼の顔を見たこともあるが、それでもまるで分からなかった。もっと近い場所に二人の顔があったということだろうか。それもディマがアリアと話している間に。

「た、たまたまです!」

 顔が半分隠れていても、隠しきれないほど彼女の顔は赤い。

(なぜ顔を赤らめるんだ?)

 やはりディマに答えは分からなかった。
 

 クロード・ヴァリに会いに行ったのは、大聖堂からアリアを誘拐した翌日のことだった。ヘイブンは信者の前に顔を出すということはほぼなく、聖密卿とはそういうものかと思っていたが、クロードは頻繁に信者たちの前で説教をしており、単に性格的なもののようだ。
 祈りの時間、遅れて聖堂に入ると、ちょうど説教の真っ最中で、クロードはディマに気づき、軽く頷いてきた。一市民のような服を着るディマに、他の者は皇帝がいることに気付いていない。
 ――愛があればどんな困難も乗り越えられる。クロードの声が聖堂に響く。その一説は聖典の中でも特に人気な言葉だった。

 彼の話が終わると、聖密卿の部屋に来いと手で合図をされる。素直に従った。
 クロードの部屋には数度入ったことがあったが、いつ来ても、司祭というより研究者のそれのように思える。大量の魔導書は本棚に収まり切らず積み上げられ、所狭しと用途不明の魔道具が置かれていた。
 机を挟み座るなり、彼は言う。

「イリスが倒れたそうじゃないか。なぜ私を呼ばなかった?」

 耳に入るのが早すぎると思いながら、ディマは答えた。

「倒れてはいませんし、来ていただくほどのことじゃない。今はもう回復しています。今日は休めと、聖堂に来させるのは止めましたけど」

「次からは必ず呼びなさい。後で様子を見に行こう」

 平常通りのクロードに、アリアを連れ去ったことを怒っていないのかと問おうとしたところで、鋭い声をかけられた。

「ところでアリアをどこに逃した?」

 どうやら優先順位の問題らしい。ディマは答える。

「司祭たちの手が届かない彼方へ」

「アレンさんの領地か」

「どこであれ、もし彼女を害したらイリスの魔法によって攻撃を受けますよ」

 クロードは眉を顰める。

「昨日の誘拐は度が過ぎていたよ、尋問官に私が尋問されてしまった。聖女の意向だと話したからなんとか収まったが、一歩間違えればひどい騒ぎになるところだった。君がアリアを使い、教皇庁の転落を目論んでいるんじゃないかと疑う者も出たほどなんだよ。
 創造主派の信仰を認める君は、ただでさえ教皇庁に目をつけられているんだ。目立つ真似はよせ」

「彼女はルカに利用された被害者です。それを痛めつけることを、僕もイリスも正義とは思わなかった。教皇庁がどう言ったって構わないですが、僕等にも譲れないものはあります」

「なあディミトリオス皇帝陛下、少し傲慢ではないかな。教皇庁にしたって君の父上の時代に司祭を締め出された心的外傷を抱えているんだよ。君のことも警戒している」

「クロード先生は、オーランドに対するルカのように僕に接しないでしょう。僕を思う通りに支配しようとはしないと信じています」

 彼に対して遠慮ぶった物言いなど、ディマはしなかった。彼にしても、ディマに対してそうだった。

「まあね。基本的にはやりたいようにやってくれて構わない。可能な限りは庇おう。だが無理な時もある。いいね、ディミトリオス、無茶はしないように。支配したいからじゃない、心配して言っているんだよ」

 流石にその言葉にまで、ディマは言い返さなかった。

「分かりました。もう無茶はしません――それほどには」

 言ってから、ついでに尋ねようと思っていたことを聞く。

「先生、アリアはエンデ国の地下の水晶結晶を体に取り込んで、聖女の力を得たと言います。あの水晶結晶の総量が、シューメルナが力を与える引き金になるのだとしたら、イリスもそうなんですか? 彼女も水晶の欠片を飲んだのですか?」

 すぐにクロードは反応した。

「彼女は違う。真の聖女であるからだ。昔言ったことを覚えているかい、聖女は我々とは異なる生物なのだと。生んだのはミランダ様だが、イリスはシューメルナの子供と言っても差し支えない。生まれつきその体はシューメルナと同じものだ。だからあの魔力が反応する。だからこその神秘なんだよ」

 確かに、アリアが飲み込んだ量と同じ量をイリスが飲んでいたとは思えない。今までもそんな気配はなかったし、彼女の食事も飲み物も今にあってはディマがすべて管理していた。おかしなものが混じれば、必ず気づくはずだ。

「別種の生き物というのは、腑に落ちません。彼女はミランダ・テミスから生まれた人間でしょう。つまりシューメルナの魔力と同じもので、イリスの体が構成されているということですか」

「そういう言い方もできる」

「イリスがこの時代に生まれたのは偶然なのですか。それともアリアのように、恣意的に生み出された存在なのですか。先生、イリスは、一体、なんなんです?」

「信仰心が昔よりも遥かに落ちてきている。昔のように、聖女も神も信じられていない。人々が信じるのは、富と地位だよ。聖密卿の中にさえ、裏切り者が出るほどだ。ダビド・ネルド=カスタによるイリスの誘拐と殺害未遂。あれはあっていいものではなかった。イリス・テミスは、そんな時代に現れた、人々の信仰を引っ張る一筋の光だ。生まれたのは、創造主たる神のお導きだと私は思うよ」

 ――神など信じていないくせに。
 ディマは目の前の男にそう言いかけて、口を噤んだ。そうしてまだまだ、彼に聞かなくてはならないことがあると思い出す。

「先生、イリスに何かしましたか?」

「いいや、何も」

 即座に答えるクロードはいつも通りで、嘘を吐いているのか、ディマには判断できなかった。

「先生は、イリスを愛していると言っていました。それは司祭として聖女を愛するように、愛しているのですか? それとも、男が女を愛するように、愛しているのですか」

 静かに、クロードは答える。

「神が人を愛するように、彼女のことを愛している」

「神など信じていないくせに」

 先ほど抑えた言葉が口を出る。クロードは苦笑した。

「私はイリスを愛しているよ、おそらくは君よりも」

「では――」

 口を開きかけたディマに被せるようにクロードは続けた。

「そうして君のことも、愛している。おそらくはイリスよりも」

 意味が分からず、ディマは反応できなかった。クロードは穏やかに微笑んだ。

「イリスにも言ったが、君達は私にとって特別なんだ。可愛い子らだ。聖職者たる者平等であれという基本を忘れるくらい、可愛くて、可愛くて、仕方がない。大切な子たちだ。それ以外の答えが必要かい?」

「……いいえ」

 これ以上問い詰めても、彼から明確な答えは出てこないだろうとディマは思った。しかし胸の中では、その思いが拭い去れない。もしかすると、クロードは、イリスをディマと同じように、深く愛しているのではないかという、思いだった。
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