イリス、今度はあなたの味方

さくたろう

文字の大きさ
154 / 156
最終章 彼女は死んで、また生まれる

彼女によく似たその彼女

しおりを挟む
 アリア・ルトゥムが手紙に書いて寄越した村へ到着したのは、手紙を受け取ってから間もなくのことであった。

 数人にのみ行き先を告げ国を出た。一人で向かうつもりだったが、せめて護衛は付けてくれとのことであったため、少数のみ同行を許した。だがその数人も、町へと置いて、一人で村へやってきた。
 
 高原の平野にある集落はのどかであり、涼やかに空気が澄み渡る中、牧草地帯に放牧された家畜の姿がぽつりぽつりとあった。小さな村と言えど、それなりに人口は多いようだ。
 
 だが、彼女はいなかった。

「銀髪の娘さんなら確かに三週間ほどこの村にいたが、数日前にもう行っちまったよ。ほら、あの丘の屋敷に滞在してたんだ」

 聞いた村人は親切にもそう言って、丘の上を指さした。そこには屋敷が一つ建っている。

「気立ての良い兄妹でね。お兄さんの方はあまり姿を見せなかったが、礼儀正しくて穏やかな方だったよ。美男美女でね、どこかの貴族のご兄妹だろうと、皆で囁きあったものさ」

 兄がいるのならば、イリスであるはずがない。
 彼女であるならば、必ずディマに会うはずだ。
 そうはせず、方々を旅して回っているのなら、やはり人違いなのだろうか。

「そうですか。次の予定は聞いていますか?」

 藁にも縋る思いで尋ねたが、村人は首を横に振った。

「さあねえ。あまり踏み込んでほしくなさそうだったから」

 結局は無駄足だったのだ。
 打ちのめされた気分だった。もう希望は抱かないと思っていたはずだった。それなのに、心から火が消えたように感じるのは、頭で整理を付けたところで、心が叫んでいるからだ。彼女に再び会うことを。

 他の者にも尋ねたが、同じような返答があるだけだ。
 
 ディマは、少女が滞在していたという屋敷に入った。鍵はかかっておらず、誰もいなかった。古い屋敷だったが、埃は被っておらず、人がいた形跡はあった。
 一通り中を回り、寝室の一つに入り、ベッドの上に座る。

 既に、アリアの手紙から、数週間経っていた。
 急いだとは言え、ローザリアから大陸へ渡るにも時間はかかる。大陸の町は、ローザリアほど道も舗装されておらず、交通の便は悪かった。

 ベッドの上に長い銀髪を一本見つけ、ディマはそれを手に取った。

(イリスのものなのだろうか)

 そうかもしれないし、そうではないかもしれない。 
 その一本に、口づけをする。甘美と孤独が、同時に押し寄せるようだった。

 大陸は広い。その少女を探せるはずがない。それでも未練がましく彼女の魔力を探り、見つけられないまま、夕暮れが深まる前に麓の町まで戻った。
 
 幸いにして、国の運営は信頼できる者達に引き継いできた。もうしばらくは大陸に留まってもいいだろう。だが留まる意味はあるだろうか。
 翌朝になって、護衛を断り、ディマは教会の中にいた。一人で静かに考える時間が欲しかった。

 少女の、次の行き先も分からない。

(手がかりは途絶えたんだ)
 
 昨晩、僅かな望みをかけて、イリスの魔力を探ってみた。だが何も感知しない。
 司祭の説教を聞きながら、今もまた、そっと探ってみる。当然のように、彼女の魔力は感じられなかった。
 
 ディマは息を吐いて、教会の祭壇の上の木彫りの像に目を向けた。穏やかな少女の表情をして、その木彫りは目を閉じている。まるでこの世は幸福で満たされているのだと確信しているかのような、安らかな笑みだった。
 イリスだと司祭は言い張るが、あまり似ていないように思えた。
 説教の途中だがディマは立ち上がった。こんな大陸の僻地までやってきて、得たものといえば、彼女はどこにもいないという事実だけだ。部屋に戻って、国へも戻ろう。そう考えたときだった。
 目を見張った。

 ――いた。

「イリス……?」

 銀色の髪が歩幅に合わせ、さらりと揺れる。町娘の着るような紺色のワンピースから、白い手足が伸びていた。
 彼女も丁度立ち上がり、信者のために開け放たれた扉から、教会を出ていくところだった。

「イリス‼︎」

 突然大声を出したディマに、信者の数人が顔を上げた。黙れと言うように司祭が咳払いをする声が聞こえたが、それどころではなかった。
 呼びかけは聞こえなかったのか、少女は教会を出ていったため、ディマも走って追いかけた。
 
 眩しい日差しに目が眩む。
 教会の外は雑踏で、少女の姿が人混みに紛れていく。人の間からちらちらとみえる銀髪に向けて、ディマは声を張り上げた。

「イリス、待ってくれ!」

 この距離で、声は届いているはずだ。だが彼女は立ち止まらない。
 このままでは彼女は人混みに消えてしまう。

(ここで見失ってたまるか!)

 ディマは空に向けて魔法陣を放った。
 上空で花火が散る。驚いた人々が、足を止める。その中に、彼女の姿もあった。

 そこでようやく、彼女を直視した。

 束の間、心臓が止まってしまったかと思った。
 呼吸をするのも、忘れていた。

 人々と同様に空を見上げるその顔は、その瞳は、まさしく彼女そのものだった。 

「――イリス」

 十年経った。だが見間違えるはずがない。
 ディマは彼女に歩み寄り、どこにも逃げてしまわないように、その腕を掴む。
 突然のこと、少女は怯えたようにディマを見上げた。見知らぬ人を見つめるような瞳だった。

「イリス」

 呼びかける声が震えた。
 彼女を前にしてもっと別の言葉を言うべきだと思ったが、何も出てこなかった。ただ間抜けのように、その名を呼ぶことしかできない。

「イリス……」

 繰り返すディマに、少女は眉を顰め、きっぱりと言った。

「わたしは、そのような名前ではありません」

 ああ、声さえも――。とディマは思った。声さえも、思い描いた彼女そのものだ。
 いつまでも聞いていたくなるほど心地いい。
 
「なぜ否定するんだ? 理由があるのか」

 絞り出すように、そう尋ねた。
 少女はディマの腕を振り払う。その瞳には、不審者に対する強い抵抗感が露出していた。

「だって本当に違いますもの。先日も他の方にイリス様でしょうと言われましたけど、わたし、違う名前だし、まさか聖女様なんてこと、ありません。外見が似ているのでしょうけど、聖女様にお会いしたこともありません」

 彼女は気分を害しているようだった。
 離された手を握りしめ、改めて彼女をまじまじと見る。アリアの手紙に書いてあった。出会った少女は、どう見ても十代後半だったと。目の前の少女も、そうだ。幾分年上に見積もったとしても、二十歳そこそこだろう。
 イリス・テミスであるならば、二十六歳だ。お世辞にも、目の前の少女はそうは見えなかった。

(他人の空似、なのか……? だがそれにしては、似すぎている)

 記憶の中の彼女と相違ない。相違ないということは、やはり年が、若いということだ。ディマの中でイリスは十六歳の少女のまま、年を取っていなかった。
 多少冷静になり、目の前で胡散臭そうにディマを見ている少女に尋ねた。

「君の年は?」

「十七歳」

 瞬間、ディマは目を閉じた。
 では彼女ではない。当たり前だ。彼女であるはずがない。

「あの、大丈夫?」

 目を開けると、少女がこちらにハンカチを差し出していた。ディマは自分が泣いていることに気がついた。

「すみません」

 ようやくディマはそう言った。

「あなたがとても、彼女に似ていて」

「もう会えない方?」

「十年前に、失ってしまいました」

「大切な方だったのですね」

 困ったように眉を下げる少女から、ディマは目が離せない。

「はい。大切な、妻でした」

 そう言った時、彼女の目から疑念が消え失せ、同情に変わるのが分かった。

「それはお気の毒に」

 言ってから、思い至ったのか微笑んだ。

「イリス様という銀髪の女性が奥様だったなんて、まるでローザリアのディミトリオス様みたいですね」

 ディマは微笑みだけで返事をした。
 少女はじっとこちらを見ている。このまま抱きしめてキスをして、ローザリアに連れ去ってしまいたい。本当にイリスではないのか。他人で、ここまで、顔も、声も似ることがあり得るのか。

「また君に会えるだろうか」

 しかし彼女は首を横に振った。

「ごめんなさい。わたし達、理由あってひとところに留まれなくて。今日か明日には、他のところに行くんです」

 ディマは引き下がった。

「次はどこに行くんだ? 僕もそこに一緒に行く。必ず行く」

「まだ決めていないんです。いつも兄さんが決めるから」

 兄――。兄という言葉が、妙に引っかかる。

「せめて、それじゃあ、君の名前だけでも、教えてくれないか」

「えっと、わたしは……」

 知らない人に名乗ることを、躊躇うような雰囲気だった。だがディマの真剣さに根負けしたのか、彼女は小さく答えた。

「……カミラ・ロジャース」

 聞いた名前に、目眩を覚えた。

 カミラというのは、母の名前だ。
 ロジャースというのは、母の、元夫の姓だった。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

前世の記憶を取り戻した元クズ令嬢は毎日が楽しくてたまりません

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のソフィーナは、非常に我が儘で傲慢で、どしうようもないクズ令嬢だった。そんなソフィーナだったが、事故の影響で前世の記憶をとり戻す。 前世では体が弱く、やりたい事も何もできずに短い生涯を終えた彼女は、過去の自分の行いを恥、真面目に生きるとともに前世でできなかったと事を目いっぱい楽しもうと、新たな人生を歩み始めた。 外を出て美味しい空気を吸う、綺麗な花々を見る、些細な事でも幸せを感じるソフィーナは、険悪だった兄との関係もあっという間に改善させた。 もちろん、本人にはそんな自覚はない。ただ、今までの行いを詫びただけだ。そう、なぜか彼女には、人を魅了させる力を持っていたのだ。 そんな中、この国の王太子でもあるファラオ殿下の15歳のお誕生日パーティに参加する事になったソフィーナは… どうしようもないクズだった令嬢が、前世の記憶を取り戻し、次々と周りを虜にしながら本当の幸せを掴むまでのお話しです。 カクヨムでも同時連載してます。 よろしくお願いします。

お前のような地味な女は不要だと婚約破棄されたので、持て余していた聖女の力で隣国のクールな皇子様を救ったら、ベタ惚れされました

夏見ナイ
恋愛
伯爵令嬢リリアーナは、強大すぎる聖女の力を隠し「地味で無能」と虐げられてきた。婚約者の第二王子からも疎まれ、ついに夜会で「お前のような地味な女は不要だ!」と衆人の前で婚約破棄を突きつけられる。 全てを失い、あてもなく国を出た彼女が森で出会ったのは、邪悪な呪いに蝕まれ死にかけていた一人の美しい男性。彼こそが隣国エルミート帝国が誇る「氷の皇子」アシュレイだった。 持て余していた聖女の力で彼を救ったリリアーナは、「お前の力がいる」と帝国へ迎えられる。クールで無愛想なはずの皇子様が、なぜか私にだけは不器用な優しさを見せてきて、次第にその愛は甘く重い執着へと変わっていき……? これは、不要とされた令嬢が、最高の愛を見つけて世界で一番幸せになる物語。

聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる

夕立悠理
恋愛
 ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。  しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。  しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。 ※小説家になろう様にも投稿しています ※感想をいただけると、とても嬉しいです ※著作権は放棄してません

転生貧乏令嬢メイドは見なかった!

seo
恋愛
 血筋だけ特殊なファニー・イエッセル・クリスタラーは、名前や身元を偽りメイド業に勤しんでいた。何もないただ広いだけの領地はそれだけでお金がかかり、古い屋敷も修繕費がいくらあっても足りない。  いつものようにお茶会の給仕に携わった彼女は、令息たちの会話に耳を疑う。ある女性を誰が口説き落とせるかの賭けをしていた。その対象は彼女だった。絶対こいつらに関わらない。そんな決意は虚しく、親しくなれるように手筈を整えろと脅され断りきれなかった。抵抗はしたものの身分の壁は高く、メイドとしても令嬢としても賭けの舞台に上がることに。  これは前世の記憶を持つ貧乏な令嬢が、見なかったことにしたかったのに巻き込まれ、自分の存在を見なかったことにしない人たちと出会った物語。 #逆ハー風なところあり #他サイトさまでも掲載しています(作者名2文字違いもあり)

悪女と呼ばれた死に戻り令嬢、二度目の人生は婚約破棄から始まる

冬野月子
恋愛
「私は確かに19歳で死んだの」 謎の声に導かれ馬車の事故から兄弟を守った10歳のヴェロニカは、その時に負った傷痕を理由に王太子から婚約破棄される。 けれど彼女には嫉妬から破滅し短い生涯を終えた前世の記憶があった。 なぜか死に戻ったヴェロニカは前世での過ちを繰り返さないことを望むが、婚約破棄したはずの王太子が積極的に親しくなろうとしてくる。 そして学校で再会した、馬車の事故で助けた少年は、前世で不幸な死に方をした青年だった。 恋や友情すら知らなかったヴェロニカが、前世では関わることのなかった人々との出会いや関わりの中で新たな道を進んでいく中、前世に嫉妬で殺そうとまでしたアリサが入学してきた。

婚約破棄された悪役令嬢、手切れ金でもらった不毛の領地を【神の恵み(現代農業知識)】で満たしたら、塩対応だった氷の騎士様が離してくれません

夏見ナイ
恋愛
公爵令嬢アリシアは、王太子から婚約破棄された瞬間、歓喜に打ち震えた。これで退屈な悪役令嬢の役目から解放される! 前世が日本の農学徒だった彼女は、慰謝料として誰もが嫌がる不毛の辺境領地を要求し、念願の農業スローライフをスタートさせる。 土壌改良、品種改良、魔法と知識を融合させた革新的な農法で、荒れ地は次々と黄金の穀倉地帯へ。 当初アリシアを厄介者扱いしていた「氷の騎士」カイ辺境伯も、彼女の作る絶品料理に胃袋を掴まれ、不器用ながらも彼女に惹かれていく。 一方、彼女を追放した王都は深刻な食糧危機に陥り……。 これは、捨てられた令嬢が農業チートで幸せを掴む、甘くて美味しい逆転ざまぁ&領地経営ラブストーリー!

悪役令嬢は処刑されないように家出しました。

克全
恋愛
「アルファポリス」と「小説家になろう」にも投稿しています。 サンディランズ公爵家令嬢ルシアは毎夜悪夢にうなされた。婚約者のダニエル王太子に裏切られて処刑される夢。実の兄ディビッドが聖女マルティナを愛するあまり、歓心を買うために自分を処刑する夢。兄の友人である次期左将軍マルティンや次期右将軍ディエゴまでが、聖女マルティナを巡って私を陥れて処刑する。どれほど努力し、どれほど正直に生き、どれほど関係を断とうとしても処刑されるのだ。

処理中です...