断頭台のロクサーナ

さくたろう

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第二章 真実のキスは藪の中

雨の中、弟とキスをする

 ことの始まりは、久し振りに二人で出かけないか、とルーカスに誘われたことだった。

 二人でなんて、モニカが邪魔をしてどうせ三人で行くことになると思っていたが、今日に限って彼女は素直に二人を送り出す。

「とくに、用事もないんだけどさ」

 そう笑うルーカスの表情が、以前とは違う気がした。もうずっと、弟はロキシーのよく知る幼くて純粋でかわいらしい彼とは違っている。
 背も伸びたし、声も低いし、考えをあまり話さないようになってしまった。

 だから今こうして、街中を黙って隣を歩いていると、途端に何を考えているか分からなくなる。
 
「行きたいところとか、ある?」

 問われても、思いつきはしなかった。
 
「どうせなら、街の外れまで歩いてみましょうか」
 
 久し振りに、弟とゆっくり一緒にいたかったのだ。


 
 

 それで、こうなった。

 町外れまで歩いてきたところで、ぽつりと雨が降ってきた。雨宿りをしようと常に解放されている小さな教会に入った。

「寒くない?」

「寒くないわ」

 と答えたにも関わらず、ルーカスは自分の上着をロキシーに差しだした。

 小さな教会の中には二人の他には誰も居らず、壁にかかる聖母の絵がこちらに微笑んでいるだけだった。

 あいにく司祭は不在で、信者の姿もない。二人きりの教会で雨が上がるのを待った。

 いよいよ雨は本降りになった。まだ日が暮れる前だというのに、外は薄暗い。

「あの絵、お母様に似てるわ」

 絵を指差した。名もなき画家の絵だが、まなざしがベアトリクスによく似ている。
 ルーカスもそちらに目を向けた。

「最近思ってたけど、ルーカスってお母様にはあんまり似てないのね」

 以前から思っていたことを口にすると、弟は意外そうな顔をした。

「知らなかったの? お母様は、オレにとっても継母なんだよ」

「ええ!? そうだったの!?」

 ロキシーの反応に、ルーカスは苦笑する。

「ずっと一緒に住んでたのに、気づかなかった? ふらりとあの片田舎に現れたお母様に、妻を亡くしたお父様が一目惚れしたって聞いたけど」

「そんなの、一度だって聞いたことないわ!」

 今の今まで、ベアトリクスがルーカスを産んだのだと思っていた。
 では母は、まったく血の繋がらない子供二人を、死の間際まで育てたというのか。

「お母様にとっては血のつながりだけが、家族のつながりじゃなかったんだよ」

 ルーカスも聖母の絵を見つめた。そこに母の面影を探すように。

(お母様って本当に素敵な人だったのね)

 いつか自分も母のように強く優しくなれるだろうか。
 聖母の絵はそんなロキシーへただ優しく微笑みかけるだけだ。母はもういない。だがいつだって、その存在を感じていた。

 ふと、ルーカスがこちらに視線を向けているのに気が付いた。今日一日、ずっと彼はそうだった。何か言いたげにロキシーを見つめ、だが何も言わずに逸らすのだ。
 誰に対してもはっきりものを言う弟は、たまにロキシーに対してだけは寡黙になった。
 
「どうしたの?」
 
 だから聞いてやる。これも姉の務めだ。沈黙の後で、ルーカスは答える。

「……もしオレが、ロキシーのために、ロキシーの大切なものを壊したら、嫌いになる?」

「どんな事があっても、ルーカスを嫌いになんてならないわ。大切な弟だもの」

 しかしルーカスは首を横に振った。

「弟じゃなくていい」

 目を伏せ、そして上げた。はっきりと見つめ合い、その真剣な瞳にロキシーは何も言えなくなってしまった。

「嫌われても構わない。一生、ロキシーの弟でいたくないんだ」

 ロキシーの心臓の鼓動が激しくなる。知りたくない。これ以上、彼に言わせてはだめだ。だがやはり、言葉は出てこない。

「出会った日から今日まで、ロキシーのこと姉さんだと思ったことはただの一度だってない」

 ルーカスはそんなロキシーに間を与えないかのように続ける。

「オレにとって、ロキシーはずっと女の子だった。たったひとり、側にいたいし、いてほしいって望む、そんな女の子だったんだ」

 遂に聞いてしまう。今まで避けてきた問題について。

「自分でも普通じゃないって分かってる。だけど血は繋がってない。姉弟として出会ってなければ、全然おかしな感情じゃないはずだって、いつだって自分に言い聞かせてきた。
 シャノンじゃないよ。オレの好きな人は、ずっとロキシーだった。生きる意味は、ロキシーだった」

 好意を告白されているのだ。

 ロキシーの中に、驚きはなかった。心のどこかでは感づいていたのだ。
 弟の愛情が、普通姉弟の中に生まれるものとは別の愛であるということに。

「……ごめん。こんなこと言われて、気味が悪いだろ」

 声は震えていた。

 ルーカスは罪人が許しを請うように、ロキシーの前に頭を垂れた。両手に顔を埋め、告白を後悔しているかのようだった。
 
「ルーカス、平気よ。気味が悪いなんて、少しも思わないから」

 顔を上げないまま、弟は言う。

「ロキシーは優しすぎるんだよ。だから皆に、つけいられるんだ……オレや、モニカ、それに、にも……」

「優しくなんてないわ……」
 
 ただ、罪があるだけだ。過去に犯した罪が。
 大罪を犯した自分が、どうして人を責められる。

 ようやく、ルーカスは顔を上げた。その目は赤く潤んでいる。

 ロキシーは動揺した。幼いとき、いつだって、ルーカスの心はロキシーのものだった。ロキシーの心だって、ルーカスのものだった。
 一人が笑えばもう一人も笑い、一人が泣けば、もう一人も泣いた。同じように、心が揺れ動いた。

 それは、今でも変わらないらしい。 

「……最後だから。これでもう、終わりだ。今日が過ぎれば、オレはただの弟に戻るから。今まで通り、普通に姉さんを思いやる、いい弟でいるから……。だから、今日だけは、そうじゃないオレを許して欲しい」

 ルーカスを愛しているとはっきりと言える。

 だがそれが、家族としての愛なのか、異性へ抱く愛なのか、判断はつかない。そもそもそこに、線引きが必要なのかさえ、ロキシーには分からなかった。分からず、ただ黙って弟を見ることしかできない。
 弟はその違いをずっと知っていたんだろう。彼はロキシーより遥かに大人だった。

 ゆっくりと、ルーカスの手がロキシーの肩に触れた。自分とはまるで似ていないその灰色の瞳を見続けることができず、顔を背けようとする。

 だがそれは叶わなかった。
 ルーカスの手が、そうはさせまいと今度はロキシーの頬に触れたからだ。だからロキシーは彼から目を逸らせない。
 
 クリフにキスをされかけた時のような焦りはなかった。
 ルーカスが言うような気味の悪さもなかった。
 それでも代わりに、幸福があるわけでもなかった。

 どういうわけか、胸いっぱいに広がるのは悲しみだった。訳の分からぬ切なさが、ひたすらにこみ上げてきた。

(わたしは、ずるい人――)
 
 そっと唇が触れる。

 神様は祭壇から見ているだろうか。目の前で、弟とキスをしているロキシーのことを。

 たった一度、触れるような口づけだった。

「……ごめん」

 こんな時でさえ、弟は謝る。
 ロキシーから身を離し、立ち上がったルーカスは首を横に振った。

「ごめん、ロキシー。本当に、ごめん」

 苦悶の表情を浮かべるルーカスは、謝罪を繰り返しながら後ずさる。

 何かを言わなければ。なにかルーカスを励ますようなことを。

 ――気にしてないわ。全然平気よ。少しも傷ついてないから。

 何ひとつ本心ではない。だから言葉にはならなかった。
 代わりに、心臓が嫌に脈打っている音だけが体に響く。

 逃げるようにしてルーカスは教会を出て行った。
 彼によって開かれた扉が、外の雨音を教会内へと轟かせる。
 ようやくロキシーは我に返る。

「ルーカス!」

 ここで彼を行かせたら、二度と帰っては来ないんじゃないか。
 そんな不安が胸によぎった。

「ルーカス! 待って!」

 後を追うように教会を出た。

 だが既に弟の姿はなく、先ほどよりも更に勢いを増した大量の雨が、轟音を立てて降り注いでいるだけだった。
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