冷徹公に嫁いだ可哀想なお姫様

さくたろう

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後編 幸せなお姫様

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 不思議な夢を度々見ました。
 わたくしの体の中に、黒い霧が入り込み、そうしてわたくしから力を奪っていくのです。お父様が近くにいて、じっとわたくしを見つめています。
 やがてお父様は言うのです。

 ――失敗だった。捨てておけ。

 ノースお兄様が言います。
 
 ――では、私に彼女をください。


 ◇◆◇


 まるで実感のないまま、さらに日々は過ぎていきました。ある日のこと、朝食を一緒に食べている時、ノースお兄様に言ってみました。

「わたくし、外に出たいです」

「どうして? 前は人の目を怖がって、出たいなどと考えなかったじゃないか」
 
 だってもう、怖くないのです。わたくしは足が動かず、服の下の皮膚は黒ずんでおります。だけどそれがわたくしです。今さらどうしようもないことなので、人目を恐れていても仕方がないのです。

「本も読みたいです。暇を持て余してしまいます」

「本なら私が読んであげるよ」

「わたくし、王妃でございます。なのに、お兄様のお手伝いを何もしていません。これでは、わたくし、なにもできない人形になってしまったように思います」

「それで、いいじゃないか」

 ノースお兄様は優しく微笑みます。

「人前に出て、嫌な思いをするだろう? ここにいれば、なんでも望みを叶えてあげるよ。私のかわいい妃でいてくれれば、他に何もいらない」

「ですがマイロ様は、わたくしに、王妃なのだからと、役割を与えてくださいました」

「君の夫はこの私だ。マイロ・カースが君に何を望んだにせよ、忘れなさい」

 そうしてノースお兄様は、わたくしを引き寄せキスをなさいます。

「さあ、良い子にしているんだよ。以前みたいに、私にだけ微笑んでおくれ」

 言われたとおり、わたくしは笑みを作りました。上手くできたかは、やっぱり分かりませんでした。  



 事態が急変したのは、それからほどなくしてのことでございました。
 ノースお兄様がご不在にされている日の、夜のことでした。城が、騒がしいことに気がつきました。
 中庭には兵士達がうろついているのか、松明の明かりが見えました。

 侍女に何があったのかを尋ねると、なにやら侵入者があったとのことです。そんなこともあるのかと、ぼんやりと部屋にいると、窓が叩かれました。ここは二階です。バルコニーがあるとはいえ、人が外にいるはずないのです。

 窓辺に近づこうとするわたくしを制し、先に侍女がカーテンを開きました。そうして彼女は悲鳴を上げます。バルコニーには、男性が立っていたのですから。

 わたくしは大声を出しました。

「窓を開けてくださいまし!」

「侵入者です! 兵士に早く知らせないと……」

「侵入者ではございません! わたくしの友人です! わたくしが開けます!」

 信じられないとでも言いたげな表情の侍女を部屋の外へと下がらせ、鍵をかけた後で、わたくしは窓を開けました。

「王妃様! ああ、良かった……!」

 瞬間、中に飛び込んできた男性は、わたくしの前に跪きました。
 よく知っている方でした。マイロ様の側近の方です。魔法も使える方ですから、それを駆使してここまでやってきたのでしょう。疑問は、その理由でした。

「どうされたのです。何があったというのですか?」

 額に汗を滲ませながら彼は言います。

「内部の者に金を握らせ城に入ったはいいものの、すぐに見つかり、騒ぎになってしまいました。申し訳ございません、ですがこうでもしないと、王妃様にお会いできないと考えました」
 
 彼は言葉を切って、わたくしに目を向けました。

「王妃様、どうかあの方を、マイロ様をお救いください! あなたしかいないのです!」

 切実な瞳に向かって、混乱のまま返事をしました。

「ですがわたくしはマイロ様の妃ではございません。だってマイロ様は、ジュリエッタお姉様を妃にされたのですから」

 自分で言葉にしたのは初めてでした。突然実感し、目に涙が浮かびます。ですが側近の方は目を剥きました。

「なにをおっしゃっておいでです? あの方がどれだけあなた様を大切にしていたか、一番よくご存知でしょう! 他の誰かを妻にするなど、あの方に限ってあり得ません! それに、ジュリエッタ様も投獄されているではありませんか!」

 今度はわたくしが驚く番でした。
 
「ど、どういうことですの! だってマイロ様はジュリエッタお姉様を伴って、国にお帰りになられたのでしょう!?」

 ノースお兄様がそう言っておりましたもの。

「待ってください。さっき、ジュリエッタお姉様“も”、とおっしゃいましたか……?」
 体が震えました。
「マイロ様は、マイロ様はどこにいらっしゃるの!?」

「マイロ様は牢にいます。この国の牢にいるのです!」 

 力が、抜けるようでした。

「い、一体、いつから……」

 側近の方は、どうやらわたくしが何も知らないのだと分かったようです。ゆっくりと首を振りながら、悲しげに言いました。

「王妃様のお父上の、葬儀のあった日です。あの日、ノース様はマイロ様がこの国に対して戦を起こすつもりだと言い、投獄したのです。マイロ様も抵抗しました。あの方も魔法使いですから――ですが抵抗するならアンジェリカ様に危害を加えると、ノース様がおっしゃって……マイロ様は素直に捕まりました」

 そんなはずはありません。だって、そうなら、もう数週間、マイロ様は牢獄で暮らしているということではございませんか。
 わたくしがのうのうとノースお兄様に与えられるものを享受しながら過ごしている間、あの方は牢獄で過ごしていたということではございませんか。

「私もその場にいましたが、兵を振り切り逃げました。以来、逃亡生活です。ジュリエッタ様も、反逆の罪を着せられて、同じように牢にいます。マイロ様の数日後でした」

 側近の方は涙を流されました。

「なぜ、ど、どうしてノースお兄様はそのようなことを……」

「あなた様を独占するためです」

「そんな、どうして……」

「あの方の愛は狂っています。この城の古い使用人に聞きましたが、アンジェリカ様に同情的であった者は、皆、城から遠ざけられているのです。あなた様が、ずっと幼い頃からあの方は、あなた様を孤独にさせていたのですよ! ご自分だけがアンジェリカ様の愛を得るために!」

 愕然とするわたくしの前で、彼はほとんど叫んでいました。

「もう本国では、新たな王が選出されております。ウェストガルド家の息のかかった者です! 葬儀から、仕組まれていたのです。恐ろしいことですが、全てはノース様が行ったことです! 
 明日処刑が行われ、マイロ様は裁かれます! ですからこうして参ったのです。どうかノース様に証言してください! ノース様も、あなた様の言葉なら、聞き入れてくださるかもしれません! マイロ様のことを、あなた様は誰よりもご存知のはずだ。本来は争いを好まない、人を思いやれる方なのだということを――」

 ええ、わたくしは、誰よりもマイロ様を知っています。彼は冷徹公などではございません。優しい、優しすぎるほど、優しい、方なのです。
 あらゆる疑問に、答えが出たような気がしました。考えるより先に、決意は終わっておりました。

「約束、いたします。なにがあろうと、わたくしは、マイロ様を救います」

 彼は大粒の涙を流しながら、何度も頷きました。

「お優しい心に感謝いたします。初めてお会いしたとき、あなたを高慢な姫と決めつけ、そう口にしたことを、今とても恥ずかしく思います」

「……ならば死をもって償え」その低い声が聞こえた瞬間、部屋の中に巨大な魔法陣が出現し、側近の方の首を刎ね飛ばしました。

 わたくしの口から漏れた悲鳴が天井に反響します。気を失う寸前で、恐ろしいほど冷酷な瞳を浮かべたノースお兄様を見たように思いました。
 

 ◇◆◇


 ――夢を見ました。
 わたくしは、自分の足で立っています。今よりもずっと小さい頃、そういえばわたくしの足は自由に動き、走り回るのが好きな子供でした。
 庭を走っていると、お父様が呼んでいます。向かうと、強い力で腕を掴まれました。
 
 “娘は二人もいらん。一人は別の使い道がある”

 それから、何が起こったのか曖昧です。痛くて、暗くて、怖かったことだけ分かります。
 ぼんやりとした意識の外で、お父様の声がしました。

 “失敗だった。捨てておけ”

 近くにいたノースお兄様がわたくしの体を抱えました。

 “では、私に彼女をください。私のものとして育てます”

 
 ◇◆◇

 
 目が、覚めました。
 ノースお兄様がわたくしを覗き込んでおりました。いつものように柔らかな笑みを浮かべ、わたくしの頭を、慈しむように撫でています。
 外は明るくて、朝でした。

「怖い思いをさせてしまったね」

 側近の方が死んだ部屋ではありませんでした。別の部屋に、わたくしはおりました。さっき見た夢を思い出します。

「ノースお兄様」

 なんだい、とお兄様は優しい声をかけてくださいます。

「わたくしの足は、一体いつから、動かなくなったのでしょうか。わたくしの体に、こんなにも黒い痣が現れたのは、いつの頃からだったのでしょう?」

 ノースお兄様は、黙ってわたくしの頭をなで続けます。

「お父様は、わたくしの中に、何を入れたのですか?」

「何も入れてはいないよ」
 
「お兄様は、どうしてわたくしが好きなのですか」

 よどみなく、彼は答えました。

「君が私のものだから。君のお父様から、私は君を貰ったんだよ。なのに彼は、君を冷徹公のところへやってしまった。だから彼は死んだんだ」
 
 魔導書の記載を覚えています。動物に魔法をかける、やり方を。

「馬に魔法をかけ、操ったのですか? お父様を落馬させ、殺したのですか?」

 ノースお兄様は、やはり微笑みを崩さないまま、わたくしの髪の一房にキスをされます。

「ねえアンジェリカ。私は君が好きなんだよ。君を取り戻すためになら、なんだってできた。
 長い間、私は孤独だった。両親とは、幼い頃に死別した。君とジュリエッタは何もかも持っていたのに、神は私に何も与えてはくださらなかった。
 だけど叔父上の実験が失敗して、君は世間から疎まれる存在になってしまった。私はね、アンジェリカ。とても嬉しかったんだ。私と同じ――それ以上に、君は可哀想だったから。孤独で人に嫌われ、なにもできない君が、とても愛らしかった。君がいると、私はまだ、不幸ではないのだと思えたからね……」

 そう言って、今度は唇にキスをされます。

「始めはそうだった。だけど今は、心から君を愛しているよ。君は私のものだ。私の与えるものだけが世界で、私だけに優しくされ、私だけに笑いかけてくれる君が、愛おしくてたまらない」

 キスとは、かようなものでしょうか。
 マイロ様の頬にキスをしたときは、もっと心臓が、どうしようもなく高鳴ったのに。
 キスの後で、わたくしは問いました。

「あの方がおっしゃったことは本当ですか? マイロ様は、処刑されるのですか」

 ノースお兄様はお答えになりません。
 
「わたくし、それでも構いませんわ。だってわたくしは、ノースお兄様のものなのですから。わたくし、ノースお兄様だけを愛しております」

「彼は、そう、この国の敵だから――。処刑されるよ。今日行われる」

 再びわたくしに軽いキスをされると、ノースお兄様は立ち上がりました。

「君はここにいたまえ。私が戻る頃には、何もかも決着がついているからね」

「わたくしも、処刑場に連れて行ってはくださいませんか」

 驚いたようにノースお兄様は目を見開きました。わたくしが自分の望みを伝えるのが、初めてだったせいかもしれません。

「マイロ・カースは短い間ですがわたくしの夫でございました。最期をどうか、見届けたいのです」

 わたくしは、静かに決意を固めました。こんな事態を引き起こしたのは、きっとこのわたくしのせいなのです。

 思えばわたくしは、自分ではなに一つ選択してきませんでした。
 お父様の言うとおりに、自分の意思でなくマイロ様に嫁ぎました。
 マイロ様に与えられるがまま、文字を覚え、世間を知り、公務をこなしました。
 そうしてノースお兄様に従い、今日まで日々を過ごして来ました。

 何もかも与えられ、可哀想な姫で居続けたのは、全てわたくし自身の責任でございます。
 ああだけど。マイロ様といるときだけは、わたくしは少しも可哀想ではございませんでした。可哀想だということ自体、忘れていたのです。
 彼がわたくしに与えてくださったのは、生きるための力だったからです。

 そうして今、わたくしは生まれて初めて、自分の意思で物事を決めます。


 
 処刑場は、街の広場で行われます。公開し、執り行われるということでした。
 ノースお兄様が広場にいくと、群衆から歓声が聞こえました。けれどわたくしを見た瞬間、彼らは静まりかえりました。
 わたくしはノースお兄様の隣で、ただその時を待ちました。

 やがて人々がざわつき、マイロ様が連れてこられます。
 そのお姿を見て、涙が溢れました。
 本当に、本当にマイロ様はわたくしの国にいたのです。殴られでもしたのか顔は腫れ、手錠をかけられた手首の先の指は、十本全て潰れております。髪と髭が伸び、体は痩せ細っています。けれど大きな体は背をかがめることもなく、彼が誇りというものを、少しも失っていないことを知りました。

 魔法で声を封じられているのか、眼光だけがぎょろりと周囲を見渡します。そうして彼の瞳がわたしを見つけました。
 瞬間、強くあった彼の両目から、大粒の涙が溢れました。膝から崩れ落ち、彼は泣き始めました。わたくしの胸が締め付けられます。

「どんな拷問でも悲鳴一つあげなかったというが、ようやく自らの死期を悟ったらしい」

 ノースお兄様の声が聞こえました。

 兵士達が彼の両脇を掴み、処刑台へと連れて行きます。立ち会いの司祭様が、彼に懺悔を促すために、彼の半生を語りました。

 それは、わたくしが知らない話でした。

「マイロ・カースは生まれながらにして罪人だった。その国で罪人が流刑される島の、やはり罪人の子として生まれた。栄養失調により母の足は動かず、だから彼は、幼い頃より死体から金品を奪い生きてきた。
 彼が十三の頃、戦争の人手が足りず、兵士へと志願した。兵士は十八歳から入隊できるため、彼はその際、年を五つ偽っている。
 入隊後、彼が殺した兵士の数は六百十九人、殺した王族は十八人、貴族は八十八人、彼により消えた国は四つにのぼる」

 大犯罪だ、殺せ! 民衆が叫びます。
 司祭様はマイロ様に向かって語りかけました。
 
「神の慈しみを信頼し、あなたの罪を認めなさい。さすれば死後、罪は流され、天国への道が開かれるでしょう」
 
 口を利けないように魔法がかけられているマイロ様が、答えられるはずはありません。始めから懺悔などさせるつもりはないのです。
 ですがマイロ様にもそのおつもりはなかったようです。すでに涙は収まっており、代わりに口から唾を飛ばし、司祭様の顔を汚しました。

「しょ、処刑しなさい!」司祭様がよろめきながら言いました。

「お待ちくださいませ!」

 わたくしは叫びました。人々の視線が突き刺さりました。けれど恐ろしくはございません。
 だってマイロ様がいるのですから。

「彼の、罪がどこにあるのでしょう? 司祭様が読み上げてくださいました罪状の中に、罪は見当たりませんでしたわ!」

 ――醜い姫が、何を言う?
 民衆の誰かの声が聞こえた瞬間、わたくしは叫びました。

「黙りなさい! わたくしを醜いと言った者の心こそ醜い!」

 わたくしは、少しも醜くありません。だってマイロ様は、わたくしを綺麗だと言ってくださいましたもの。
 大切なものを救うためならば、恐れは少しもありませんでした。

「わたくしが可哀想な娘でないのと同じように、彼もまた、そうでないのに冷徹公に仕立て上げられた方です!
 罪人の子に生まれたのは彼の罪ではございません。この中のどなたが自ら母を選んで生まれて来たのでございますか! 死者の財産は、相続人がいない場合、神様のものになる決まりです。神様が彼に日々を生きるためのお金をお与えくださったのです! それは神の愛ですわ!
 それに、戦時下の兵士間の殺人は、罪に問われない法があるではございませんか! そこにいる兵士さん方は、他国の兵士を殺したことがないとおっしゃいますか? 
 彼は国民に選ばれ王になった方です! 誰かがやらなくてはならないことを、マイロ様がやっただけです。彼に罪はありません! この処刑に、正義はありません!」

 マイロ様が、目を見張ってわたくしを見ておりました。
 自分でも、こんな大声が出せるなんて知りませんでした。
 ノースお兄様が、信じられないものを見たかのようにわたくしに目を向けます。

「なぜ、庇うんだアンジェリカ」

「夫婦だから、守るのは当然のことです」

「君は私の妻だ!」

「馬鹿をおっしゃらないでくださいまし! わたくしの夫はマイロ・カースただ一人でございます!」
 
 わたくしは、自分というものを――遅すぎたのかもしれませんが、自分というものを、得たのです。

「わたくしは嘘を吐きました。ノースお兄様を愛していません。愛とは一方的に与えられ、わたくしの自由を奪うものではないと思うからです。愛とはわたくしを力づけ、勇気づけ、奮い立たせてくれるものだと思うからです!」

 わたくしは、わたくしに力をくださった方を愛しています。
 だからわたくしは、マイロ・カースを愛しています。

 思わず、わたくしは

 ずっと考え続けていました。

 あの夢は、夢ではないのです。
 お父様がわたくしの体に、なにをしたのか分かりました。意思を持った今、それにようやく気がつきました。
 お父様が、魔法を持たないわたくしの中に力を入れようとして――例えばウェストガルド家に棲む悪魔とか――それが失敗して、わたくしの体は醜くなってしまったのだと思っておりました。

 けれど、そうではないのです。
 思い出したことがあります。

 わたくしは、小さな頃、魔法を持っておりました。それは誰よりも強く、強く、強すぎるほどの魔力です。お父様は、わたくしから魔力を奪おうとしていたのです。
 失敗したのは、そのことです。お父様はわたくしから魔力を奪えずに、わたくしの魔力は、奪われるくらいならと、わたくしの体の奥底に、眠ってしまいました。強すぎる魔力は封印の代償に、わたくしの足と美しさを奪い去りました。

 そのことを、思い出したのです。
 そうして、どうすれば封印が解けるかも分かりました。ただわたくしが、強さを受け入れれば良かっただけなのです。

「こ、殺せ! さっさとマイロ・カースを殺せ!」

 処刑人に命令するノースお兄様の体を吹き飛ばしました。

「させませんわ!」

 魔法を使うのは幼い頃以来のことで、加減が上手くできません。ノースお兄様の体は数十メートル吹き飛び、建物の壁に強打されました。
 唖然とする群衆を横目に、わたくしはマイロ様に駆け寄ります。得体の知れないわたくしを恐れたのか、処刑人も兵士も司祭様も、処刑台から急いで遠ざかりました。
 わたくしはマイロ様の縄をほどくと、言葉を封じていた魔法もまた、解除しました。
 途端、マイロ様は言います。

「愛してる」

「存じ上げております」当たり前のことをおっしゃらないでくださいまし。

 わたくしは群衆に向き直りました。決意は固まっていたので、後は口にするだけなので簡単です。

「わたくしの夫を、国につれて帰ります! 戦争を挑んでご覧なさい、この悪魔の姫アンジェリカが相手をいたしますわ! 文句はございませんね?」

 誰も、言葉を発しませんでした。
 それは肯定の、意味でありました。

 ノースお兄様は兵士達に連れられて行ったので、その後のことは分かりません。
 わたくしにはもう一人、会わなくてはならない人がおりました。

 牢に行くと、やつれた彼女は顔を上げました。かつての美しさは、失われてしまったように思いました。
 
「アンジェリカ、どうして歩いているの」

 うつろな目をしたジュリエッタお姉様はぼんやりとそう言いました。

「ジュリエッタお姉様、あなたが女王になるのです。そうしてこの国は、マイロ様の国の属国になるのですわ。いいですか? そうすれば、牢から出してあげます」

「ノースは、どうなったの。彼が王なのでしょう」

「もし再び彼が王位を望んだら、その瞬間に国ごと灰にして差し上げます。そう言づてを、頼んであります」 

 小さく、ジュリエッタお姉様は笑います。もうどこか、おかしくなってしまったのかもしれません。

「あなたは、悪魔の姫だわ。お父様は、あなたの中から悪魔を出して、ご自分の体に移そうとして、失敗したのよ。可哀想に、あなたにはずっと悪魔が棲んでいるんだわ」
 
「悪魔で構いませんわ。だって愛する人を守れる力があるのですから」

 言ってから牢の鍵を開け、ふらつくジュリエッタお姉様を支えました。

「アンジェリカ……」
 
 牢の長い廊下を歩く途中で、ジュリエッタお姉様がぽつりと言います。

「あなたって、そんなに綺麗な顔をしていたのね……。今日、初めて知ったわ――」


 ◇◆◇


「ウェストガルド家には、時折、恐ろしいほどの魔力を持って生まれてくる子供がいるらしく、大抵は美しい姫君だそうだ。だから彼らには、悪魔が棲むと、伝承があるんだ」

 馬車に揺られながら、マイロ様が言います。疲れた表情をされていましたが、優しく微笑んでおられました。
 帰路を、邪魔する者は誰もいません。皆、わたくしの魔力を目の当たりにしたからでした。

「わたくし、ずっと忘れておりました。可哀想であることに甘んじて、与えられるものだけに満足して、諦めて、強さを失っていたのですわ」

「君はずっと強いと思うけどな」

 マイロ様はそう言って、わたくしの手を握ってくださいました。

「弱いのは俺の方だ。もう次の国王が選出されたらしいじゃないか。俺はもう不要かもしれない」

「それは杞憂ではございませんか?」

 もうマイロ様の国に入っており、馬車の外の道には凱旋パレードさながらに、国民達が待ち構えておりました。わたくしはカーテンを少しだけめくり上げました。

「国王陛下万歳!」誰しも口々に叫んでいます。

 なんとも嬉しかったことには、「マイロ様万歳!」の声に混じって「アンジェリカ様万歳!」という声まで聞こえてきたことです。カーテンを閉め、再び言いました。

「王はマイロ様以外あり得ないのです。これほどまでに愛される方が王でないのなら、誰も王ではありませんわ」

 意外にも涙もろいマイロ様の頬を拭って差し上げました。
 そうして、ふと疑問が沸きます。司祭様が言っていたことを思い出したのです。

「お母様も、足が不自由でいらしたの?」

「ああ、車椅子など買えないから、もっぱら俺が背負っていた」

「本当は二十五歳なんですの?」

「ああ、体がでかかったからな。年齢を偽っても気づかれなかった」マイロ様は答えます。「少しは年が近づいたか?」

「じゃあわたくし、正解していたではございませんか」

「そうだな。確かに、そうだ」

 出会った日の会話を思い出したのか、マイロ様は深く頷きました。

「君は全て正しい。君がいないと、俺はもう自分の正しささえ疑ってしまうよ」

 言ってから、マイロ様はわたくしに顔を向けました。

「随分遅くなってしまったが、帰ったら、君の誕生日を祝おう。大勢が押し寄せるのは病み上がりには疲れる。まずは二人で祝おう」

 そういえば、この騒動の間に、わたくしは十五歳になっていたのでした。

「十五歳は大人ですか? キスしてくださいます?」

「……まだ子供だよ。もう少し大人になったらな」

「だけど、わたくし、せっかく足も動くようになったし、皮膚の黒い痣もなくなりました」
 それらは今、魔力としてわたくしの周囲に纏わり付いております。
「綺麗になったんですよ?」

 マイロ様は首を横に振ります。

「そんなことで君の美しさに変わりはないよ。初めから君はずっと綺麗だから」

 思いがけず褒められて、嬉しくて心臓が跳ね飛びました。
 でも、いつまでもキスができないのは嫌です。だってわたくしはマイロ様が好きなのですから、キスがしたいのです。

「マイロ様」

 こちらを向いたマイロ様の顔に、勢いよくキスをしました。

「……これはわたくしが望んだ口づけです」

 口の端が精一杯です。
 わたくしはひどく納得いたしました。勘違いではございません。キスはこういうものなのです。心が弾み、幸福に包まれるのがキスなのです。マイロ様とのキスは、そういうものでした。

「お、大人を、からかうもんじゃないよ」

 やっぱりマイロ様は、お顔を真っ赤にされておりました。



〈おしまい〉



最後までお読みいただきありがとうございました!

【補足】
マイロはアンジェリカに恋をしたと言っていましたが、実際には人間愛や友人愛的な感情の比率も高いです。母を重ね、自分を重ね、そうしてアンジェリカに対して尊敬の念を抱き、あらゆる想いをひっくるめて、彼は恋と表現しました。彼にとってはすごく大切な奥さんということです。
二人が本当に恋愛関係になるのは、もっと先の話かなと思います。
ちなみにマイロは戦争ばっかで、生きるために精一杯だったので、恋愛に不慣れという設定があります。
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