8 / 37
わたくし、自暴自棄になりますわ
しおりを挟む
ウィルと過ごすようになって、一ヶ月ほど経った頃でしょうか。領地での生活にも慣れ、季節は夏も終わろうとしていました。
その日は雨で、二人してお城の中で過ごしていました。その頃になると、お茶くらいは一人でいれられるようになっていましたので、わたくしとウィルの分のお茶をいれて、彼のところに持っていこうと思っていました。
ウィルは居間の窓辺で椅子に座りながら、雨の降る庭をぼうっと見つめておりました。
端正な横顔は、貴族の殿方にはない、生きる強さが現れているように思います。引き締まった体も、日焼けした肌も、それら全てが彼という完璧な存在を形作っているかのように思いました。
「メイベル様、お茶をいれてくださったのですか。お望みであれば、俺がしましたのに」
静かな笑顔に、どうしようもなく愛おしさがこみ上げます。
カップをテーブルに置いた後、椅子に座るウィルの膝の上に、わたくしは腰掛けました。
「抱きしめてくださいまし」
ウィルは驚いたようでしたが、わたくしの言葉に素直に従いました。彼の腕が、おずおずとわたくしの体に回されます。
わたくしの心臓はドキドキと、うるさいくらいに鳴っていました。
「あのね、違うのですわ。わたくしがウィルにお茶をいれてあげたかったの。わたくし、ウィルが好きですもの。わたくし、偉いでしょう? 頭を撫でてくださいまし」
言うと、彼は頭を撫でてくれました。わたくしは彼を見上げます。困ったように、彼は微笑んでいました。
「今日は甘えたい日ですか」
間髪入れずにわたくしは言いました。
「次はキスをしてくださいまし」
彼の体がびくりと震え、のろのろと指がわたくしの髪の一房を握ると、そこに口づけが落ちました。
「唇にしてくださいませんか」
ウィルの目が暗く澱みました。
「それはできません」
「なぜですの? わたくしのことがお嫌いですか? 無理矢理結婚した女ですものね」
言いながら、体を離し、彼の前に立ちます。
ウィルはじっとわたくしを見上げたまま、言葉を探すように、黙っています。耐えきれずにわたくしから言いました。
「こんなに可愛いわたくしがいて、手を出さないのはとても不思議です。貴族の皆様は、わたくしに言い寄り、落とすことを一種のゲームのように楽しんでおられるようでしたもの。
そんな方々よりも、あなたは遥かに誠実です。わたくし、この世の男性の中で、あなたが一番好きですわ」
もう一度彼の手を握ります。抵抗はありませんでしたが、彼はわたくしを拒否するように、首を横に振っていました。
「よしてください、メイベル様」
「なぜ? わたくしはあなたの妻なのに」
「この結婚は偽りです。あなたの叔父様がそうおっしゃった。いつかメイベル様を宮廷に戻すつもりでいるから、絶対に手を出すなと。手を出したら殺すとまで言われています」
「そんなの脅しでしょう?」
「俺には分かりません。本気かもしれません」
「ではやはり、わたくしが嫌いですか? 悪女と言われ続けていますから」
その問いかけにも、彼は首を横に振りました。
「嫌いではありません。少しも、嫌いではないのです」
ざあざあと、雨の音がしていました。
わたくしの言うことを何でも聞いてくれたウィルの初めての拒否に、傷ついている自分に驚いていました。
「ウィル、あなたはやっぱり意気地なしですわ!」
そう言うと、わたくしは部屋を後にしました。数時間後に居間を覗くと、わたくしがいれた紅茶は、綺麗に片付けられておりました。
数日の間、気まずい空気がわたくし達の間に漂っていました。挨拶もわたくしは返せませんでした。
ある晴れた日、気分転換に領地を回ろうと思い立ちました。もちろん、一人でです。ですがウィルは付いてくると言い出しました。
断りましたが、彼は意固地です。わたくしに何かあったら、叔父様からの報酬が受け取れないので、彼も必死なのでしょう。仕方がないので受け入れます。
わたくしが一人で馬に乗ると、ウィルは信じられないものを見たかのように驚愕の表情を浮かべました。
「一人で馬に乗れたのですか?」
「わたくしは淑女ですもの。当然です」
冷たくそう言い放ち、馬を蹴りました。少し間を開けて、ウィルは付いてきました。
しばらく無言で馬を走らせていました。
わたくしは考えに没頭していました。だから、直前までそれに気が付かなかったのです。
道の上に、うさぎが突然飛び出してきました。避けようとして馬を操りますが、上手くできません。馬は混乱に陥り、前足を高く掲げました。
――瞬間、なるようになってしまえ、と思ったことは確かでした。
大衆の目の前で王子に婚約破棄されて、与えられた夫はわたくしを決して愛してはくれません。穏やかさは得ても、心からの幸福を得ることは、できないのです。
だから半ば、自暴自棄でした。わたくしの体が地面に落ちて、ガラス細工のように粉々になってしまえばいいと思いました。そうすれば皆、わたくしがいかに繊細で透明で、美しい存在だったのかを思い知ると思ったのです。
ですがわたくしの体は怪我どころか、土で汚れることもございませんでした。
「うっ……」
ウィルが痛みに呻きました。
わたくしの体は、ウィルにしっかりと抱きとめられておりました。
その日は雨で、二人してお城の中で過ごしていました。その頃になると、お茶くらいは一人でいれられるようになっていましたので、わたくしとウィルの分のお茶をいれて、彼のところに持っていこうと思っていました。
ウィルは居間の窓辺で椅子に座りながら、雨の降る庭をぼうっと見つめておりました。
端正な横顔は、貴族の殿方にはない、生きる強さが現れているように思います。引き締まった体も、日焼けした肌も、それら全てが彼という完璧な存在を形作っているかのように思いました。
「メイベル様、お茶をいれてくださったのですか。お望みであれば、俺がしましたのに」
静かな笑顔に、どうしようもなく愛おしさがこみ上げます。
カップをテーブルに置いた後、椅子に座るウィルの膝の上に、わたくしは腰掛けました。
「抱きしめてくださいまし」
ウィルは驚いたようでしたが、わたくしの言葉に素直に従いました。彼の腕が、おずおずとわたくしの体に回されます。
わたくしの心臓はドキドキと、うるさいくらいに鳴っていました。
「あのね、違うのですわ。わたくしがウィルにお茶をいれてあげたかったの。わたくし、ウィルが好きですもの。わたくし、偉いでしょう? 頭を撫でてくださいまし」
言うと、彼は頭を撫でてくれました。わたくしは彼を見上げます。困ったように、彼は微笑んでいました。
「今日は甘えたい日ですか」
間髪入れずにわたくしは言いました。
「次はキスをしてくださいまし」
彼の体がびくりと震え、のろのろと指がわたくしの髪の一房を握ると、そこに口づけが落ちました。
「唇にしてくださいませんか」
ウィルの目が暗く澱みました。
「それはできません」
「なぜですの? わたくしのことがお嫌いですか? 無理矢理結婚した女ですものね」
言いながら、体を離し、彼の前に立ちます。
ウィルはじっとわたくしを見上げたまま、言葉を探すように、黙っています。耐えきれずにわたくしから言いました。
「こんなに可愛いわたくしがいて、手を出さないのはとても不思議です。貴族の皆様は、わたくしに言い寄り、落とすことを一種のゲームのように楽しんでおられるようでしたもの。
そんな方々よりも、あなたは遥かに誠実です。わたくし、この世の男性の中で、あなたが一番好きですわ」
もう一度彼の手を握ります。抵抗はありませんでしたが、彼はわたくしを拒否するように、首を横に振っていました。
「よしてください、メイベル様」
「なぜ? わたくしはあなたの妻なのに」
「この結婚は偽りです。あなたの叔父様がそうおっしゃった。いつかメイベル様を宮廷に戻すつもりでいるから、絶対に手を出すなと。手を出したら殺すとまで言われています」
「そんなの脅しでしょう?」
「俺には分かりません。本気かもしれません」
「ではやはり、わたくしが嫌いですか? 悪女と言われ続けていますから」
その問いかけにも、彼は首を横に振りました。
「嫌いではありません。少しも、嫌いではないのです」
ざあざあと、雨の音がしていました。
わたくしの言うことを何でも聞いてくれたウィルの初めての拒否に、傷ついている自分に驚いていました。
「ウィル、あなたはやっぱり意気地なしですわ!」
そう言うと、わたくしは部屋を後にしました。数時間後に居間を覗くと、わたくしがいれた紅茶は、綺麗に片付けられておりました。
数日の間、気まずい空気がわたくし達の間に漂っていました。挨拶もわたくしは返せませんでした。
ある晴れた日、気分転換に領地を回ろうと思い立ちました。もちろん、一人でです。ですがウィルは付いてくると言い出しました。
断りましたが、彼は意固地です。わたくしに何かあったら、叔父様からの報酬が受け取れないので、彼も必死なのでしょう。仕方がないので受け入れます。
わたくしが一人で馬に乗ると、ウィルは信じられないものを見たかのように驚愕の表情を浮かべました。
「一人で馬に乗れたのですか?」
「わたくしは淑女ですもの。当然です」
冷たくそう言い放ち、馬を蹴りました。少し間を開けて、ウィルは付いてきました。
しばらく無言で馬を走らせていました。
わたくしは考えに没頭していました。だから、直前までそれに気が付かなかったのです。
道の上に、うさぎが突然飛び出してきました。避けようとして馬を操りますが、上手くできません。馬は混乱に陥り、前足を高く掲げました。
――瞬間、なるようになってしまえ、と思ったことは確かでした。
大衆の目の前で王子に婚約破棄されて、与えられた夫はわたくしを決して愛してはくれません。穏やかさは得ても、心からの幸福を得ることは、できないのです。
だから半ば、自暴自棄でした。わたくしの体が地面に落ちて、ガラス細工のように粉々になってしまえばいいと思いました。そうすれば皆、わたくしがいかに繊細で透明で、美しい存在だったのかを思い知ると思ったのです。
ですがわたくしの体は怪我どころか、土で汚れることもございませんでした。
「うっ……」
ウィルが痛みに呻きました。
わたくしの体は、ウィルにしっかりと抱きとめられておりました。
77
あなたにおすすめの小説
悪役だから仕方がないなんて言わせない!
音無砂月
恋愛
マリア・フォン・オレスト
オレスト国の第一王女として生まれた。
王女として政略結婚の為嫁いだのは隣国、シスタミナ帝国
政略結婚でも多少の期待をして嫁いだが夫には既に思い合う人が居た。
見下され、邪険にされ続けるマリアの運命は・・・・・。
完結 喪失の花嫁 見知らぬ家族に囲まれて
音爽(ネソウ)
恋愛
ある日、目を覚ますと見知らぬ部屋にいて見覚えがない家族がいた。彼らは「貴女は記憶を失った」と言う。
しかし、本人はしっかり己の事を把握していたし本当の家族のことも覚えていた。
一体どういうことかと彼女は震える……
「地味でつまらない」って言ってたくせに、今さら美しくなった私を追うなんて滑稽ですわね?
ほーみ
恋愛
「お前って、本当につまらない女だな」
婚約者だったリオンがそう吐き捨てた日のことを、私は一生忘れないだろう。
その日、王立学院の中庭は夏の光に満ちていた。風に揺れる白い薔薇が、やけに眩しかった。
リオンは貴族の子息らしい自信に満ちた笑みを浮かべ、私の手を乱暴に振り払った。
虚言癖の友人を娶るなら、お覚悟くださいね。
音爽(ネソウ)
恋愛
伯爵令嬢と平民娘の純粋だった友情は次第に歪み始めて……
大ぼら吹きの男と虚言癖がひどい女の末路
(よくある話です)
*久しぶりにHOTランキグに入りました。読んでくださった皆様ありがとうございます。
メガホン応援に感謝です。
あなたを愛する心は珠の中
れもんぴーる
恋愛
侯爵令嬢のアリエルは仲の良い婚約者セドリックと、両親と幸せに暮らしていたが、父の事故死をきっかけに次々と不幸に見舞われる。
母は行方不明、侯爵家は叔父が継承し、セドリックまで留学生と仲良くし、学院の中でも四面楚歌。
アリエルの味方は侍従兼護衛のクロウだけになってしまった。
傷ついた心を癒すために、神秘の国ドラゴナ神国に行くが、そこでアリエルはシャルルという王族に出会い、衝撃の事実を知る。
ドラゴナ神国王家の一族と判明したアリエルだったが、ある事件がきっかけでアリエルのセドリックを想う気持ちは、珠の中に封じ込められた。
記憶を失ったアリエルに縋りつくセドリックだが、アリエルは婚約解消を望む。
アリエルを襲った様々な不幸は偶然なのか?アリエルを大切に思うシャルルとクロウが動き出す。
アリエルは珠に封じられた恋心を忘れたまま新しい恋に向かうのか。それとも恋心を取り戻すのか。
*なろう様、カクヨム様にも投稿を予定しております
笑い方を忘れた令嬢
Blue
恋愛
お母様が天国へと旅立ってから10年の月日が流れた。大好きなお父様と二人で過ごす日々に突然終止符が打たれる。突然やって来た新しい家族。病で倒れてしまったお父様。私を嫌な目つきで見てくる伯父様。どうしたらいいの?誰か、助けて。
完結 婚約破棄をしたいのなら喜んで!
音爽(ネソウ)
恋愛
婚約破棄を免罪符にして毎回責めてくる婚約者。
さすがにウンザリした彼女は受け入れることにした。婚約者に何を言っても、多少の暴言を吐いても彼女は悲し気な顔で赦していたから。
この日もつまらない矜持を剥き出し臍を曲げて「婚約破棄」を言い出した。彼女は我慢ならないと言い出して婚約破棄を受け入れたのだ。
「あぁ……どうしよう、彼女を怒らせてしまった」
実は彼は婚約者であるベルティナ・ルーベンス伯爵令嬢をこよなく愛していた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる