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Episode 5 当たり前のしあわせ
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浅野慎太郎………主人公。帰国子女で人付き合いが苦手。人の輪の中に入っていくことが出来ず、言動の誤解から孤立することがある。黒い野良猫が縁で優と知りあい、付き合うことになる。
※拙著「ある冬の朝」参照※
高山優………慎太郎に惹かれ、想いを持ちながらも上手くアプローチ出来ずにいたが慎太郎の入院後、彼と付き合うことになる。MITに居たこともあり、優秀な社員。今は出向で慎太郎と同じタケオカに勤務。
武岡秀………タケオカの創業者一族で元部長。母はドイツ人。容姿がハーフのそれであった為、幼少期は何かと苦労があった。智之とは幼馴染み。ずっと智之を想い続けている。
笹本智之………秀とは同級生で同じタケオカに勤務していた元課長。慎太郎の元上司。大恋愛の末に会社よりも秀を選び、退職。現在はタケオカの近くの魚屋で秀と一緒に板前修業中。
ゴールデンウィークが終わると、オレは毎年憂鬱になる。何故って?働かなくてもいい日がこんなに続いたら、永久に働かなくてもいいんじゃないですか?と体調がオレ自身に問いかけてくるような気がするから。
でも、今年は少し違っていた。今年、オレには優がいる。
「慎太郎、昨夜ちゃんと早起きするって約束したじゃないか?いい加減起きないと、駅までダッシュになるからなっ!!」
気のせいか、オレの頭の上から声がする。聞き慣れた、心地よい声だけど、その声の主はちょっと焦ってるようだった。
「……なんで……なんで優がここにいるの?」
「はァ?慎太郎、昨日オレの家に泊まったこと、忘れてない?一人だと絶対遅刻するからって、オレの部屋に泊まって一緒に出勤しようって言ってただろう?」
そうだった!!ここはオレの家じゃない。優の家だ。カバンは?スーツは?一式持って来たっけ?ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ!!
「ほーら、やっぱり焦ってる。そう思ってさっき、慎太郎の家から合い鍵で慎太郎のカバンとスーツ、取ってきてあげたから」
優はオレのことをオレ以上によく熟知しているらしい。もっとも、元上司の笹本課長に言わせれば、オレの行動パターンは単純だからすぐに次の行動を把握することが出来る、と言っていた。…ホント、失礼なオッサン…いや、元上司。
「はたらきたくなーい」
何処かのメタルバンドがそんなような曲を歌っていたのをネット動画で見たことがあったけど、今なら二つ返事で激しく同意。いや、でも…チラっと見上げると頭一つ分上に彼がいるわけで。
うわぁぁぁぁぁぁぁ、ヤベー!!オレ、こんなに幸せでいいのかな?
息をするのも苦しいくらい大好きな優が当たり前の距離にいて、オレのことを見てくれているなんて。
うわぁぁぁぁぁぁぁ、オレ、って朝からバカじゃん。こんなことでジタバタする暇があったら、さっさと朝飯食べて会社に行けって!!
オレは一人で何役もやりこなすかのように脳内の自分を一人一人宥め、ようやくYシャツを着て、優が持ってきてくれたカバンの中身を確かめる。
「忘れ物はないか、慎太郎?だいぶ時間が過ぎちゃったから、会社近くのカフェで朝メシ食べようよ?」
「うん…ごめん、優」
「大丈夫、怒ってないよ。それよりオレにキスしてくれる?」
優は少しだけ膝を折ってオレに届くように顔を近づけてくる。オレの身長に合わせるように屈んでくれたんだろうけど、そんなことしなくたって、オレは背伸びすればちゃんと届くよ?
朝からキスをする。まぁ、プライベートだからあまり詳しく言わないでおこうと思ったけれど、昨夜もちょっと優は激しかった……ゴホッゴホッ。
「ねぇ、慎太郎?」
「何?」
「慎太郎、ミントタブを持ち歩いてるんだね?」
玄関のドアを閉めながら、優は何げなくオレに聞いた。
「なんで分かったの?」
「あ、いや、スーツ持ってくる時、ポケットから落としちゃって」
「ああ、ごめんごめん。入れっぱなしだったから。色々サンキュー」
小走りで二人で並んで走って駅に向かう。すると優の顔がなんとも言えない複雑な顔になっていた。オレのせいで遅刻しそうだから?
「あのさ、慎太郎」
「何?」
「なんで、ミントタブなんか持ってるの?」
訳を聞かれてオレは戸惑ってしまう。本当の理由は優に不意打ちでキスされても、変な匂いがしないように、と持ち歩いているわけで。
「いいじゃん、別に」
そっけなく返事をしてしまった。
「ふーん。慎太郎、息とか気にしたりするんだ?」
なんだかやけに今日の優は絡んでくるような気がした。
「……慎太郎、最近後輩たちからよく慕われるようになったよね」
たしかに入社して二年目だし、それなりに仕事をこなしてきたのでちょっとは周囲から認められるようになった。だからといってもまだまだオレ的にはダメな部分もあって、後輩に先輩面出来るような余裕なんてないんだ。帰国子女だから自己肯定感が高いんじゃないか、とか言われるけれどそうじゃない。
オレは自分がそういう部分を気にしているせいか、優の言葉がやけに棘があるように感じたのだ。刺すような棘というよりは、野原を歩いているうちにソックスにくっついている、オナモミの実のように煩わしい。
「なんだよ、優。オレがミントタブとか持ち歩いていたら良くないのか?」
少し強めに返せば優はゴメン、と謝ってくれると期待したんだけれど、
「別に……そんなの、慎太郎の自由だし、オレには関係ないことだから」
などと言った。聞き流せば他愛のない言葉だったのに、オレは何故だか優のその態度に傷ついた。
そのまま会社まで無言で出社し、朝食を食べようと思っていたカフェも素通りした。付き合ってから、二人のあいだにこんな空気が流れるようなことはなかったんだけれど、オレはとても気分が悪くて仕方がなかった。
優とは所属部署が違うからエレベーターで自然と別れた。オレの方が階が低いから、とっとと降りた。優の顔も、今はなんとなく見たくなかった。
エレベーターの扉がオレの背中で閉まる寸前ぐらいに、今年の新入社員の子が手を降ってきた。
「あーーー!!浅野せんぱーい!おはようございまぁす!!」
「ああ、おはよ。久しぶりだね西原さん」
オレと彼女の挨拶のやりとりを、閉まるエレベーターの隙間から優が気にしていたなんて、オレはそのとき少しも気づかなかった。
「浅野先輩、先輩が仰ってたJETROの資料と…2015年2月の時点で約400社。また、世界主要国の対アフリカ直接投資残高は、米国が645億ドル、イギリスが595億ドル、フランスが518億、中国が325億ドルに対して、日本は102億ドルにとどまっているのがですねぇ……」
移動しながらも西原さんは熱心にオレのプロジェクトの進捗に自分なりに勉強した後の疑問点を突いてくる。デメリットが大きければまた企画はやり直しになってしまうので、彼女も慎重なんだろうけど、ホントにモチベーションが高い。
「あ、そういえば西原さんから教えてもらったミントタブレット、コンビニで見つけて買ったんだけどなかなかいいね」
「ですよね!浅野先輩に気に入って貰えて良かったです」
「オレ、ライム系ミントが気に入ってる」
「ああ、良いですよねー。私もです」
女の子とあまり喋る機会がいままでなかったけど、西原さんは気さくで喋りやすい。きっと応えやすい話し方をするからなんだろう。彼女の頭の良さが伝わってくる。
エレベーターで上がって9階に行く頃には殆どの人が降りてしまう。最上階は会議室と役員室があるだけで、すぐその真下が技術事業部だ。そこはまるで異空間で、猫が寝そべっていてデスク代わりにテーブルが数台有り、その上に各々がノートPCを持ち込んで作業してみたり、一人で呟いて納得していたり、いわば変人が集まったというか不思議な頭脳集団だった。
「林部長、おはようございます」
「やぁ、高山君、おはよう」
林部長はいつも一番にこの部署に来て、猫たちを保護主さんから預かって来る。
「いつもすみません。僕も行かなくてはいけないのに」
「いや、大丈夫だよ。近いしキャリーに入ったら猫たちもおとなしく付いてきてくれる。彼らも猫社員の自覚があるのかもしれないね」
優は林部長を手伝って猫たちに魚ペーストをあげる。彼のスーツのズボンの裾はすり寄ってくる猫たちの毛が沢山着いた。
「換毛期だねぇ。高山君がこの部署に来て一年過ぎたね」
林部長はローラー式粘着テープを優に手渡してくれた。
「浅野君は元気でやってるようだね?先日コンビニで見かけたよ」
「ああ、駅前のですか?」
「うん、そうそう」
林部長は保護猫の"おかっぱプゥ太郎"を抱っこしてやると頭を撫でる。
「たしか…営業部の女の子だったかな?入社式で見かけた優秀な子と一緒にいたよ。若い人達は元気でさわやかで勇気づけられるね」
「…………」
優はなんとなく林部長が目撃したその光景を想像することが出来た。実は以前も、優はコンビニで同じ光景を目の当たりにしていたからだ。オレと一緒に金曜日のいつものランチを食べに行こうと待ち合わせていたコンビニで、偶然西原さんとオレがお菓子売り場で話していたのを見かけたから。
……何をそんなに気にしているんだろう、僕は。
優はそのころからずっと慎太郎と西原さんがいつも一緒にいることが気になっていた。つまり、はっきり言ってしまえば嫉妬なのだと思う。そのせいかどうかは分からないが、優は前に比べて口数が減ったように思えた。
そして、週末は必ずと言っていいほど貪欲に求めてきた。まるで箍が外れてしまったかのように。
「………さぁ、猫たちもごはんは終わったし、我々も仕事に勤しむとしようか、高山君」
「…そうですね」
林部長に促され、優は抱えている案件についてまた研究と解析を始めるのだった。
その日のランチタイムとなり、オレはまた迷っていた。毎週毎週バカのひとつ覚えみたいに金目の煮つけ目当てで元上司‘Sの店に行くのもなんだし、今朝のこともあるから優とはなんとなく顔を合わせ辛かった。このままスルーしてしまえば、そのままこじれてしまうようなことは分かってはいたんだけれど、どうしてもオレから謝るのは納得がいかなかった。最初に突っかかって絡んできたのは優の方だから。だいいち、優は最近本当にしつこい。だったら今日ぐらい冷却期間をおいて後日埋め合わせをしてもいいような気がした。
「浅野せんぱーい!これからランチですか?」
「ああ、うん」
そんなタイミングで西原さんがやってきた。
「私、美味しい幕の内弁当を売ってるキッチンカーを見つけたんですよ!」
「へぇ…。でもオレ…」
「一緒にどうですか?見てから買えばいいじゃないですか?」
「あ、でも…」
「たまにはちゃんと栄養取りましょうよ?浅野先輩、ハンバーガーとかファストフード好きでしょ?」
「ゲッ…どうしてわかるの?」
「ファストフード嫌いな男の人はあまりいませんから」
「…まいったな」
西原さんは本当に押しが強い。優とはきちんと約束したわけじゃないし、まぁ、それはそれでいいか…。
エレベーターでエントランスまで降りると、ロビーの観葉植物群のそばに優が立っていた。スマホを胸ポケットから出そうとしていたタイミングでオレと偶然目が合った。
「「あ………」」
ほぼ同時にそんな風に声をかけようとして、互いに躊躇った。もしも西原さんがいなければ、スムーズにいつものコースになって、それでもって優に強引に謝らせることだって出来たのかもしれなかった。
「オレ……今日キッチンカーの方に行ってくるから」
今朝の優の態度が脳裏をよぎり、オレは胸元にお財布を抱っこする西原さんと並んで優の前を通り過ぎた。
「ねぇ……慎太郎……今日は金曜だよ?」
少し責めるような声で優は言ったけど、オレは無視した。ちょっとだけ罪悪感はあった。でも、悪いのは優の方だ。いつもいつも。だから今日こそはオレも自分の好きなようにしたい。オレは悪くない。悪いのは、ミントタブぐらいでいちいち尋問してくるような優がいけないんだ。
「浅野先輩、あの人、技術事業部の人ですよね?ランチ、約束されていたんじゃないんですか?だったら…」
「西原さんは気にしなくていいよ。彼とは毎週行ってる店だし、まぁたまにはバランスよく食事しないと、もうすぐ夏だからオレもバテるのやだし」
言い訳をこんなに饒舌に話す自分がとても見苦しく感じた。言い訳で正当化して、優をそれ以上見ないフリをした。すごく最低な気分と罪悪感だったせいもあり、西原さんが勧めてくれたキッチンカーの幕の内弁当の味は、オレにはあまり記憶に残るようなことはなかった。
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