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第十四幕 私も同じ気持ちよ!
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夏も終わりに差し掛かる八月末。今年も暑かった。アイスを何本食べたか分からない。でも楽しかった。
大家のばあちゃんと東大コンビとで、アパートの駐車スペースでバーベキューとスイカ割りをした。お盆には実家に帰って、チロと思う存分じゃれ合えたし、地元のダチとも会う事ができた。
お袋と姉貴は、俺がお笑い芸人になるためにフリーターをしていると勘違いしていたらしく、その誤解を解けた事がこの夏最大の収穫かもしれない。
それ以外、この夏中、俺は事務所の本棚にある本やDVDをせっせと攻略していた。
千里の道も一歩から。
まずはこの演劇や文学における教養の無さを埋める所から始めた。俺が新たに勉強し始めたからだろうか、花絵巻の子達も文学作品や古い映画に興味を持ち始め、咲ちゃんはよく事務所に寄っては本棚から何かしらを借りていった。
とは言え。
時間が経てば人間とは冷静になる生き物である。朝晩がほんの少し暗く感じ始め、秋の気配の訪れと共に俺は少し不安になってきた。
「初恋」を観て感動した直後、まさにテンションブチ上げ状態の時は、もっと上のものを観たいと思っていたのだが、綾辻社長の言葉が今になってちゃんと受け止められるようになってきたのである。
人生の楽しみが減るのは嫌だ。
でも、もっと観たい。
この気持ちが俺の中でせめぎ合い、ちょっとした憂鬱状態になって困っていた。
「心配するようなモンじゃねーよ」
三崎さんが俺の作ったかき氷を食べながらぶっきらぼうに呟く。なぜか事務所にかき氷マシーンがあったから、今日のおやつはかき氷にしたのだ。
「別に演劇に限らんでも、ゲームでも漫画でも良いモンなんて後から後から出てくるんだ。それこそ雨後の筍だな」
「…はあー、そうっすかー…」
まあそうなんだろうけどな。
それに綾辻社長は演出家という職業上、昔から膨大な数の舞台や映画を見ている人だ。俺が今からチマチマやったところで追いつく事はないだろうから、確かに心配なんてしなくていいのかもしれないが…。
かき氷を盛っていた皿とスプーンを片手に、綾辻社長が社長室から出てきた。
「優生君、ありがとう。美味しかったよ。やっぱり暑い内は氷がいいねえ」
綾辻社長はスカイプで打ち合わせがあるから、一人社長室でかき氷を食べていた。
「三崎君、今から大丈夫かい?」
「ああ、平気っすよ」
この後は、ユビキタスのマネージャーとスカイプで打ち合わせの予定だ。時期的に、夏休みのオーディションで見つけた新人の事についてだろう。
使った皿類を洗っていると、ついでに掃除をしたくなる。玄関周りをキレイにするために、全員分の靴をソファ後ろの掃き出し窓から外に避難させ、玄関を掃き掃除をして、スリッパ立てのところも雑巾で水拭きしてからついでにキッチン周りの床を拭き掃除して…とやっていた所、玄関のドアが開いた。
久々に姿を見せたのは真優莉だった。
「あ…お疲れ…というか久し振り」
「…久し振り…」
…なんだかまたちょっと様子が妙だな?本番が終わって、今はちょこちょこ雑誌の撮影とかの仕事しか入っていないはずなのに、緊張した面持ちだ。
「あ、そういえばさ、『初恋』の舞台!チケット金出してくれたんだって?」
「え?ええ…」
「ごめん、まだ礼言ってなかったから…」
「ああ…いいわよ。サービス残業させちゃってたし」
真優莉がサービス残業という言葉を知っていた事に若干驚いた。
「…今、一人?」
足元を見ながら俺に聞く。
「え?うん」
綾辻社長と三崎さんは社長室だけど…。しかしどうしたんだろう、玄関に立ち尽くしたままだ。
「舞台…どうだった?」
「え?『初恋』の?」
「そう」
「うーんと…その…」
困ったな。俺の貧弱な語彙力でなんと伝えたらいいんだろう。
「自分がいかに何も見てないかがよく分かった」
「…え?どういう意味?」
真優莉は怪訝そうに俺を見る。そりゃそうだ。
「いや、舞台だけじゃなくて、その前に原作を読んだり真優莉のレッスンがあったりしたから、それもひっくるめてだけど…」
通り一遍触れただけで人も物事も理解できるはずなんてない。
俺は「初恋」を読んで、演じて、考えて、観て、人間という生き物がどれほど理解し辛い生き物かを知った。そして大げさかもしれないが、この世界に存在する人全てが、誰からも理解されない自分を抱えながら、そして他の人を理解する術も持たずに、互いに誤解しながら、あるいは誤解さえもされない薄い関係で生きている事に気付いた。
「あとさ、俺、自分なりにちょっと答えが出たんだけど…」
「何の?」
「なんで少年は父を慕うのかってやつ」
舞台を観てから、俺は再度原作を何度も読み直して、時々図書館に行って調べものをして、想像しながら考え続けた。
「合ってるか分からないけど、多分さ、少年の母が父の事好きだからじゃないかなって…」
母は非常に影が薄い。オマケのようなポジションで描かれている。だから気にも留めなかったが、親子の関係を考えるには本来必要不可欠だ。
父を恐れていて、父の女癖の悪さに終始やきもちを焼き不機嫌な母。年下の男の、金目当ての結婚のカモにされていると周りは見るだろう。俺もそう思っていた。
だけどウラジ少年が父を慕うのは、母が父を慕っているからだ。両親が互いを見下し合っていたら、まず間違いなく子どもの、親を見る目に影響が行く。育児の本にもそんなような事が書いてあった。
脇役にも人生と人格がある。それに気付けたら、深みは一層増していった。
「真優莉の言ったとおりなんだなって」
「何が?」
「舞台演劇は、人間の理解の集合だって。本当に、そうなんだなって」
「…そうね」
真優莉は笑った。嫌味な笑いでも、小馬鹿にした笑いでもない。自分の生きる道を誇りに思う笑顔で、不覚にも、見惚れてしまうものだった。
「いい感想ね。これからも精進しなさい」
「あー…まあそうなんだけど…」
「なによ」
「いや、綾辻社長と帰りにさ…」
俺はあの時の事を話した。もっと知りたいと言う俺に、その先には孤独が待っていると教えてくれた時の事を。
「まあ、だから…情けないかもしれないけど、何見ても感動できないとかそういう境地まで行くのも怖いよなあとか思ったり…」
「何馬鹿な事言ってるのよ。本当に馬鹿なのね」
「むっ?!」
馬鹿と二回言った!
「お前!どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むんだ!」
「素人の分際でプロを見くびり過ぎているからよ」
ん?
「どゆこと?」
「あのねえ、私達が普段からどういう想いでこの仕事にしがみついていると思っているのよ。世間が飽きっぽい事も、キリなくもっと上を要求される事もちゃんと理解しているわ。その上でみんな寸暇を惜しんで自分自身を磨き続けるの。観てくれる人に応えるために」
俺を見つめる真優莉の目は、力強く気高い。
「だからそんなしょうもない心配しなくていいのよ!私がいる限り、優生は残念ながら孤独にも退屈にもならないわ!私が、これ以上のものはもう作れないって判断をひっくり返して、最高の評価を更新し続けるんだから!」
俺は、思い出した。
ここのバイトの面接で、真優莉の舞台を観て死ぬほど感動した事を伝えた時、綾辻社長は言っていた。
『真優莉君はね、この世界の頂点を目指せる数少ない役者の一人だよ』
そうか。
この情熱と誇りが、俺達に夢を見せるための原動力か。
「…じゃあ悩む必要はないな」
「そうよ、時間の無駄よ。その分一つでも多く吸収しなさい」
真優莉の表情は、いつものシレっとした、だけどどこか楽しそうな顔に戻った。
「じゃあさ、ついでにもう一個聞いていい?」
「なによ」
「…それ何…?」
俺はずっと気になっていた。
玄関に立ち続ける真優莉が手にしているもの。
それは、巨大なひまわりの花束。
「あ…これは…」
さっきまでの強気な態度がたちまち消え失せ、打って変わってぎこちない態度だ。
「これは、その…」
道端でファンにでももらったのか?いやそしたら、ちょっとこれ活けといてー、くらいのノリで渡すはずだ。
「ほら、優生、持ってきてくれたでしょう…?ひまわり…」
「ん?ああ、この前の」
本番を観に行った時の事か?
「それで…私も…お礼というか、その…」
何か様子がおかしい、と思った時だった。
「本当は九十九本にするつもりだったの!でもお店には三十三本しかないって言われて!本当に困るわ、顧客のニーズってものを分かってないんだもの!でもないなら仕方ないし、気持ちが三分の一になる訳でもないし!」
一気にまくし立てたかと思うと、両手で持った花束を俺に突き出した。
「つまり、その!私も同じ気持ちよ!」
ひまわりの向こうに、恥ずかしそうな顔をした真優莉がいる。
俺と、同じ気持ち。それはつまり…。
「お前もひまわりの種好きなんか!」
知らなかった。
真優莉みたいなバリバリの都会っ子タイプの女子が、ひまわりの種を食す習慣があるとは!
「いや、でもいい事だよな。俺はスナック感覚でしか食べないけど、美容効果も高いっていうし。あ、モデル仲間の間とかで実は流行ってたりす…ん?どうした?」
なんでこの世の終わりみたいな顔で固まってるの?
「…ねえ、私にひまわりくれたのって、そういう意味なの…?」
「え、だって実用的だろ?」
そうなのだ。
ひまわりはプレゼントで良し、活けて良し、最後に食して良し、スーパー高コスパ植物である。俺は曲がりなりにも経済学部卒、統計検定からは逃げたがコストパフォーマンスは捨てない男である。
「は、花言葉は…?」
「花言葉?」
ひまわりの花言葉?
「何だっけ?母を訪ねて三千てちてち?あ、それは映画か。俺子どものころハム太郎好きだったんだよなー」
それにしてもこんなにたくさん貰えるとは。しばらくおやつには困らなさそうだ。
「あ、真優莉の分もちゃんと用意しとくから事務所きた時には、ってぶっ!」
突如、俺の顔にひまわりの爆弾が突撃して来た。
「何すんだよ急に!」
「何すんだよじゃないわよ!この最低男!」
真優莉はそう叫びながら、あろう事かハイヒールを履いたまま俺に回し蹴りを決め、俺は床に転がった。
「どわっ!」
「何が高コスパよ、どこまでバカなの!ひまわりの種は観賞用から取って食べるものじゃないでしょうが!」
「いて!いて!ちょっ、まっ!」
真優莉は容赦なく俺をひまわりの花束でブン殴りまくり、その度に黄色の花びらが散り、俺の上に降り注ぐ。
「何が三千てちてちよ!あんたなんて箱詰めにしてアルゼンチンに送ってやる!」
そう叫ぶと花束を俺の顔面に叩きつけた。
「みぎゃっ!」
「二度と私の前に顔見せないで!」
顔の上のひまわりをどかすと、真優莉の姿はなく閉まりかけるドアの隙間から走り去る音が聞こえた。
「え、何だったんだ…?」
何であんな怒ってんだ?
意味分からない。
「…お前本当にアホなんだな…」
振り向くと、社長室のドアの隙間から呆れ顔の三崎さんとニコニコ顔の綾辻社長が並んでこちらを伺っている。
「え、ちょ、何で俺がアホなんですか!おかしいでしょ!」
「いやーここまで来るとなんかもう真優莉には同情するわー…」
「はあ?!」
何でだ!
俺に同情してよ!
くそ!やっぱり俺は真優莉なんて嫌いだ!
「何なんすかアイツ!ちょっと美人だからっていい気になりやがって!」
怒りで憤死寸前の俺の隣で、ニコニコ顔の綾辻社長はバラバラになったひまわりを一本一本拾っていく。
「ふふふ、春だねえ」
「春じゃないっす!どういう躾を受けてきたんだ!親の顔が見てみたい!」
「ん?お前知らねーの?」
換気扇の下で煙草を吸い始めた三崎さんが驚いた顔をした。
「社長、言ってないんですか?」
「あら、そうだったかしら?」
え、何が?
三崎さんは煙草をくわえたままパソコンのキーボードを叩き始めた。
「ほれ、親の顔見てみろ」
え、ネットで見れるの?
まさか芸能人?
アイツ二世タレントか?
俺が覗き込んだ画面はどこかの会社のホームページのようだが…。ダンディなオジさんの写真の上に書かれた文言に、俺は固まった。
近畿急行鉄道株式会社 トップメッセージ
代表取締役社長:室町全一郎
「どぅええええええええええ‼」
近畿急行鉄道株式会社!
代表取締役社長室町全一郎!
「ビビるよなあ、ホンマもんの社長令嬢だもんなあ」
「そ、そ、そ、そっちじゃないっすよ!」
別に真優莉がオジョー様な事なんて驚きはしない。喋り方、持ち物、雰囲気。きっと親は金持ちなんだろうなー位には思っていた(大体そういうのってなんとなく分かるじゃん)。
しかし俺の驚愕のポイントはそこではない!
近畿急行鉄道、略して近急!
近急の室町家!
「関西で一番ヤベエ一族じゃないですか‼」
時は昭和、第二次世界大戦終戦直後。
かねてより大阪の大地主であった室町家は戦後の混乱を利用し、地上げ、乗っ取り、株価操作、公的文書改竄、ありとあらゆる悪事に手を染め鉄道事業を成功させ、調子に乗って今度は人様からブン取った土地で不動産事業にも乗り出す。
そんな事を繰り返し、現在は子会社に近急不動産、近急百貨店、近急トラベル&ツーリズム、近急建設といった西日本の大学生がこぞって就職を目指す花形企業を抱える一大グループへと成長した。
しかしその栄光は何百万という無辜の市民の犠牲の上に成り立っている。大阪平野に渦巻く怨嗟の念は室町一族滅亡のための強力な呪いとなり、室町家最後の一人がもがき苦しみながら死に絶える時まで続くのだ…という類のエピソードに欠かさない一族である。
つまり…
「俺消されるんですか?!」
非道なる一族の令嬢の怒りを買ってしまった!
「昔はまあそういう事もあっただろうけどねえ」
「安心しろ。今は至ってクリーンな会社だ」
「本当ですか?!箱詰めにしてアルゼンチンに送るとか言ってましたよ?!」
「送料勿体無えから琵琶湖だろ」
「いやーーーーーー‼」
死にたくない‼チロの犬小屋をまだ新しくしていない‼
パニクって床でのたうち回る俺の傍ら、綾辻社長はマイペースにひまわりを片付ける。
「だあいじょうぶ、大丈夫。真優莉君はそんな事しないさ」
「何でそんな事言えるんですかあ~…」
もうダメだ。俺の人生は終わるんだ。
涙目になっていたら、俺の前にひまわりがヌッと現れる。
「?」
「ふふふ、優生君」
いつものニコニコ顔で綾辻社長はひまわりを差し出す。
「さあ、役作りの勉強だ」
「え?」
「真優莉君の真実を見つけてごらん?」
ひまわりは、俺を優しく見つめている。
大家のばあちゃんと東大コンビとで、アパートの駐車スペースでバーベキューとスイカ割りをした。お盆には実家に帰って、チロと思う存分じゃれ合えたし、地元のダチとも会う事ができた。
お袋と姉貴は、俺がお笑い芸人になるためにフリーターをしていると勘違いしていたらしく、その誤解を解けた事がこの夏最大の収穫かもしれない。
それ以外、この夏中、俺は事務所の本棚にある本やDVDをせっせと攻略していた。
千里の道も一歩から。
まずはこの演劇や文学における教養の無さを埋める所から始めた。俺が新たに勉強し始めたからだろうか、花絵巻の子達も文学作品や古い映画に興味を持ち始め、咲ちゃんはよく事務所に寄っては本棚から何かしらを借りていった。
とは言え。
時間が経てば人間とは冷静になる生き物である。朝晩がほんの少し暗く感じ始め、秋の気配の訪れと共に俺は少し不安になってきた。
「初恋」を観て感動した直後、まさにテンションブチ上げ状態の時は、もっと上のものを観たいと思っていたのだが、綾辻社長の言葉が今になってちゃんと受け止められるようになってきたのである。
人生の楽しみが減るのは嫌だ。
でも、もっと観たい。
この気持ちが俺の中でせめぎ合い、ちょっとした憂鬱状態になって困っていた。
「心配するようなモンじゃねーよ」
三崎さんが俺の作ったかき氷を食べながらぶっきらぼうに呟く。なぜか事務所にかき氷マシーンがあったから、今日のおやつはかき氷にしたのだ。
「別に演劇に限らんでも、ゲームでも漫画でも良いモンなんて後から後から出てくるんだ。それこそ雨後の筍だな」
「…はあー、そうっすかー…」
まあそうなんだろうけどな。
それに綾辻社長は演出家という職業上、昔から膨大な数の舞台や映画を見ている人だ。俺が今からチマチマやったところで追いつく事はないだろうから、確かに心配なんてしなくていいのかもしれないが…。
かき氷を盛っていた皿とスプーンを片手に、綾辻社長が社長室から出てきた。
「優生君、ありがとう。美味しかったよ。やっぱり暑い内は氷がいいねえ」
綾辻社長はスカイプで打ち合わせがあるから、一人社長室でかき氷を食べていた。
「三崎君、今から大丈夫かい?」
「ああ、平気っすよ」
この後は、ユビキタスのマネージャーとスカイプで打ち合わせの予定だ。時期的に、夏休みのオーディションで見つけた新人の事についてだろう。
使った皿類を洗っていると、ついでに掃除をしたくなる。玄関周りをキレイにするために、全員分の靴をソファ後ろの掃き出し窓から外に避難させ、玄関を掃き掃除をして、スリッパ立てのところも雑巾で水拭きしてからついでにキッチン周りの床を拭き掃除して…とやっていた所、玄関のドアが開いた。
久々に姿を見せたのは真優莉だった。
「あ…お疲れ…というか久し振り」
「…久し振り…」
…なんだかまたちょっと様子が妙だな?本番が終わって、今はちょこちょこ雑誌の撮影とかの仕事しか入っていないはずなのに、緊張した面持ちだ。
「あ、そういえばさ、『初恋』の舞台!チケット金出してくれたんだって?」
「え?ええ…」
「ごめん、まだ礼言ってなかったから…」
「ああ…いいわよ。サービス残業させちゃってたし」
真優莉がサービス残業という言葉を知っていた事に若干驚いた。
「…今、一人?」
足元を見ながら俺に聞く。
「え?うん」
綾辻社長と三崎さんは社長室だけど…。しかしどうしたんだろう、玄関に立ち尽くしたままだ。
「舞台…どうだった?」
「え?『初恋』の?」
「そう」
「うーんと…その…」
困ったな。俺の貧弱な語彙力でなんと伝えたらいいんだろう。
「自分がいかに何も見てないかがよく分かった」
「…え?どういう意味?」
真優莉は怪訝そうに俺を見る。そりゃそうだ。
「いや、舞台だけじゃなくて、その前に原作を読んだり真優莉のレッスンがあったりしたから、それもひっくるめてだけど…」
通り一遍触れただけで人も物事も理解できるはずなんてない。
俺は「初恋」を読んで、演じて、考えて、観て、人間という生き物がどれほど理解し辛い生き物かを知った。そして大げさかもしれないが、この世界に存在する人全てが、誰からも理解されない自分を抱えながら、そして他の人を理解する術も持たずに、互いに誤解しながら、あるいは誤解さえもされない薄い関係で生きている事に気付いた。
「あとさ、俺、自分なりにちょっと答えが出たんだけど…」
「何の?」
「なんで少年は父を慕うのかってやつ」
舞台を観てから、俺は再度原作を何度も読み直して、時々図書館に行って調べものをして、想像しながら考え続けた。
「合ってるか分からないけど、多分さ、少年の母が父の事好きだからじゃないかなって…」
母は非常に影が薄い。オマケのようなポジションで描かれている。だから気にも留めなかったが、親子の関係を考えるには本来必要不可欠だ。
父を恐れていて、父の女癖の悪さに終始やきもちを焼き不機嫌な母。年下の男の、金目当ての結婚のカモにされていると周りは見るだろう。俺もそう思っていた。
だけどウラジ少年が父を慕うのは、母が父を慕っているからだ。両親が互いを見下し合っていたら、まず間違いなく子どもの、親を見る目に影響が行く。育児の本にもそんなような事が書いてあった。
脇役にも人生と人格がある。それに気付けたら、深みは一層増していった。
「真優莉の言ったとおりなんだなって」
「何が?」
「舞台演劇は、人間の理解の集合だって。本当に、そうなんだなって」
「…そうね」
真優莉は笑った。嫌味な笑いでも、小馬鹿にした笑いでもない。自分の生きる道を誇りに思う笑顔で、不覚にも、見惚れてしまうものだった。
「いい感想ね。これからも精進しなさい」
「あー…まあそうなんだけど…」
「なによ」
「いや、綾辻社長と帰りにさ…」
俺はあの時の事を話した。もっと知りたいと言う俺に、その先には孤独が待っていると教えてくれた時の事を。
「まあ、だから…情けないかもしれないけど、何見ても感動できないとかそういう境地まで行くのも怖いよなあとか思ったり…」
「何馬鹿な事言ってるのよ。本当に馬鹿なのね」
「むっ?!」
馬鹿と二回言った!
「お前!どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むんだ!」
「素人の分際でプロを見くびり過ぎているからよ」
ん?
「どゆこと?」
「あのねえ、私達が普段からどういう想いでこの仕事にしがみついていると思っているのよ。世間が飽きっぽい事も、キリなくもっと上を要求される事もちゃんと理解しているわ。その上でみんな寸暇を惜しんで自分自身を磨き続けるの。観てくれる人に応えるために」
俺を見つめる真優莉の目は、力強く気高い。
「だからそんなしょうもない心配しなくていいのよ!私がいる限り、優生は残念ながら孤独にも退屈にもならないわ!私が、これ以上のものはもう作れないって判断をひっくり返して、最高の評価を更新し続けるんだから!」
俺は、思い出した。
ここのバイトの面接で、真優莉の舞台を観て死ぬほど感動した事を伝えた時、綾辻社長は言っていた。
『真優莉君はね、この世界の頂点を目指せる数少ない役者の一人だよ』
そうか。
この情熱と誇りが、俺達に夢を見せるための原動力か。
「…じゃあ悩む必要はないな」
「そうよ、時間の無駄よ。その分一つでも多く吸収しなさい」
真優莉の表情は、いつものシレっとした、だけどどこか楽しそうな顔に戻った。
「じゃあさ、ついでにもう一個聞いていい?」
「なによ」
「…それ何…?」
俺はずっと気になっていた。
玄関に立ち続ける真優莉が手にしているもの。
それは、巨大なひまわりの花束。
「あ…これは…」
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「これは、その…」
道端でファンにでももらったのか?いやそしたら、ちょっとこれ活けといてー、くらいのノリで渡すはずだ。
「ほら、優生、持ってきてくれたでしょう…?ひまわり…」
「ん?ああ、この前の」
本番を観に行った時の事か?
「それで…私も…お礼というか、その…」
何か様子がおかしい、と思った時だった。
「本当は九十九本にするつもりだったの!でもお店には三十三本しかないって言われて!本当に困るわ、顧客のニーズってものを分かってないんだもの!でもないなら仕方ないし、気持ちが三分の一になる訳でもないし!」
一気にまくし立てたかと思うと、両手で持った花束を俺に突き出した。
「つまり、その!私も同じ気持ちよ!」
ひまわりの向こうに、恥ずかしそうな顔をした真優莉がいる。
俺と、同じ気持ち。それはつまり…。
「お前もひまわりの種好きなんか!」
知らなかった。
真優莉みたいなバリバリの都会っ子タイプの女子が、ひまわりの種を食す習慣があるとは!
「いや、でもいい事だよな。俺はスナック感覚でしか食べないけど、美容効果も高いっていうし。あ、モデル仲間の間とかで実は流行ってたりす…ん?どうした?」
なんでこの世の終わりみたいな顔で固まってるの?
「…ねえ、私にひまわりくれたのって、そういう意味なの…?」
「え、だって実用的だろ?」
そうなのだ。
ひまわりはプレゼントで良し、活けて良し、最後に食して良し、スーパー高コスパ植物である。俺は曲がりなりにも経済学部卒、統計検定からは逃げたがコストパフォーマンスは捨てない男である。
「は、花言葉は…?」
「花言葉?」
ひまわりの花言葉?
「何だっけ?母を訪ねて三千てちてち?あ、それは映画か。俺子どものころハム太郎好きだったんだよなー」
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「あ、真優莉の分もちゃんと用意しとくから事務所きた時には、ってぶっ!」
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「何すんだよ急に!」
「何すんだよじゃないわよ!この最低男!」
真優莉はそう叫びながら、あろう事かハイヒールを履いたまま俺に回し蹴りを決め、俺は床に転がった。
「どわっ!」
「何が高コスパよ、どこまでバカなの!ひまわりの種は観賞用から取って食べるものじゃないでしょうが!」
「いて!いて!ちょっ、まっ!」
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「みぎゃっ!」
「二度と私の前に顔見せないで!」
顔の上のひまわりをどかすと、真優莉の姿はなく閉まりかけるドアの隙間から走り去る音が聞こえた。
「え、何だったんだ…?」
何であんな怒ってんだ?
意味分からない。
「…お前本当にアホなんだな…」
振り向くと、社長室のドアの隙間から呆れ顔の三崎さんとニコニコ顔の綾辻社長が並んでこちらを伺っている。
「え、ちょ、何で俺がアホなんですか!おかしいでしょ!」
「いやーここまで来るとなんかもう真優莉には同情するわー…」
「はあ?!」
何でだ!
俺に同情してよ!
くそ!やっぱり俺は真優莉なんて嫌いだ!
「何なんすかアイツ!ちょっと美人だからっていい気になりやがって!」
怒りで憤死寸前の俺の隣で、ニコニコ顔の綾辻社長はバラバラになったひまわりを一本一本拾っていく。
「ふふふ、春だねえ」
「春じゃないっす!どういう躾を受けてきたんだ!親の顔が見てみたい!」
「ん?お前知らねーの?」
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「社長、言ってないんですか?」
「あら、そうだったかしら?」
え、何が?
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え、ネットで見れるの?
まさか芸能人?
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俺が覗き込んだ画面はどこかの会社のホームページのようだが…。ダンディなオジさんの写真の上に書かれた文言に、俺は固まった。
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「どぅええええええええええ‼」
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代表取締役社長室町全一郎!
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「そ、そ、そ、そっちじゃないっすよ!」
別に真優莉がオジョー様な事なんて驚きはしない。喋り方、持ち物、雰囲気。きっと親は金持ちなんだろうなー位には思っていた(大体そういうのってなんとなく分かるじゃん)。
しかし俺の驚愕のポイントはそこではない!
近畿急行鉄道、略して近急!
近急の室町家!
「関西で一番ヤベエ一族じゃないですか‼」
時は昭和、第二次世界大戦終戦直後。
かねてより大阪の大地主であった室町家は戦後の混乱を利用し、地上げ、乗っ取り、株価操作、公的文書改竄、ありとあらゆる悪事に手を染め鉄道事業を成功させ、調子に乗って今度は人様からブン取った土地で不動産事業にも乗り出す。
そんな事を繰り返し、現在は子会社に近急不動産、近急百貨店、近急トラベル&ツーリズム、近急建設といった西日本の大学生がこぞって就職を目指す花形企業を抱える一大グループへと成長した。
しかしその栄光は何百万という無辜の市民の犠牲の上に成り立っている。大阪平野に渦巻く怨嗟の念は室町一族滅亡のための強力な呪いとなり、室町家最後の一人がもがき苦しみながら死に絶える時まで続くのだ…という類のエピソードに欠かさない一族である。
つまり…
「俺消されるんですか?!」
非道なる一族の令嬢の怒りを買ってしまった!
「昔はまあそういう事もあっただろうけどねえ」
「安心しろ。今は至ってクリーンな会社だ」
「本当ですか?!箱詰めにしてアルゼンチンに送るとか言ってましたよ?!」
「送料勿体無えから琵琶湖だろ」
「いやーーーーーー‼」
死にたくない‼チロの犬小屋をまだ新しくしていない‼
パニクって床でのたうち回る俺の傍ら、綾辻社長はマイペースにひまわりを片付ける。
「だあいじょうぶ、大丈夫。真優莉君はそんな事しないさ」
「何でそんな事言えるんですかあ~…」
もうダメだ。俺の人生は終わるんだ。
涙目になっていたら、俺の前にひまわりがヌッと現れる。
「?」
「ふふふ、優生君」
いつものニコニコ顔で綾辻社長はひまわりを差し出す。
「さあ、役作りの勉強だ」
「え?」
「真優莉君の真実を見つけてごらん?」
ひまわりは、俺を優しく見つめている。
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神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
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※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
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