13 / 18
第五章
再来 ……2
しおりを挟む
映画の後はふだんと変わりなく会話して、食事して雑多な店が並ぶ街をぶらついた。翌日の予定も考えて早めに切り上げることにし、電車で地元まで戻ってきた。
結局、梶山は水沢遙香について多くを語らなかった。彼女を責める言葉はひとつも漏らさない。
反射神経が鈍ったのかな、と梶山は苦笑した。まさか真っ昼間に歩きながら居眠りでもしてたわけでもあるまいし、あんな無様な落ちかたをするなんてな。
「俺の不注意だったんだ」
梶山は言った。「彼女には迷惑をかけたよ」
無理に訊き出すのはよくない気がして、あえて修哉も梶山が話す事情だけを黙って聞いていた。
改札を出たところで梶山が立ち止まる。スマートフォンの通知を確認している。
見慣れた駅の風景はどこか安心する。同時に帰宅するだけとなり、早くも一日の終わりを実感して名残惜しい気持ちも入り混じる。
最近は日も短くなって、暗くなる時刻も早まっている。日中は日差しも強く、いまだに酷暑が続く。それでもすこしずつ季節は移り変わる。どこか遠くでヒグラシの声が繰り返すのが聞こえる。晩夏の夕暮れ時のもの悲しさが漂う。
日が傾いて夕焼け空が広がる。
「慎がこの辺車転がしてるから、迎えに来るってさ。おまえも乗ってくか?」
過保護だな、と笑いつつ返答する。「いや、ちょっと寄りたいところがあるから遠慮するよ」
そうか、と梶山はあっさり引き下がる。
駅前のロータリーにやってきた慎の車に梶山が乗り込むのを見届け、修哉は自宅方向と逆の商店街へと足を向けた。在庫を切らしていた印刷用紙を購入し、店を出たところで背後から声をかけられた。
「お兄さん、ちょっと時間ある?」
聞き覚えのある声だった。振り返ると、そこには水沢遙香――いや、マサキがいた。
暮色に染まりはじめた街の風景と雑踏を背景に、マサキは人懐こく魅力的な笑顔を向けてくる。
周囲から浮かび上がるような印象を受けた。どことなく浮世離れした雰囲気を漂わせる。
駅前なのに、こちら側の公道はほぼ歩行者専用と化していて、帰宅する人通りで混雑している。なかなか下がりきらない日中からの気温に疲労し、汗を拭きながらうんざりした顔をして歩く人々。
一方でマサキはひとり、気温の違う世界に立っているように見えた。髪をひとつにくくり、いまから就活に行くかのような真っ白なシャツを二の腕までまくり、黒のスラックスと底の低い革靴の姿。髪からか服からなのか、爽やかな芳香が匂う。
修哉は返す言葉を見失い、詰まった。
「……」
なんと返せばいいかわからなかった。
「昼間に妹と会ったでしょ。たぶんもう会う機会もないだろうから、ストーカーみたいな真似しちゃいました」
えへへ、とばつが悪そうにマサキが笑う。
「もしかして、あれからずっと後をつけてた……んですか」
「一度、探偵のアルバイトってのをやってみたくて」
彼女は顔をやや横に倒し、こめかみのあたりを掻いてなんとかごまかそうとしている。「面白そうでしょ、バレずに追跡するってやつ」
修哉は小さく肩をすくめた。
「まったく気づかなかった」
だれかが後をついてくるなんて考えもしなかった。この暑いなか、ずっと尾行してたのだとすれば、よほど用事があるのか単にヒマなのか。
修哉は疑問に思った。だけど、梶山に声をかけるならまだしも――
「なんでオレに?」
「梶山さんには会いたくないって言うもんだから。顔合わせづらいでしょ」
不可思議な言い回しをする。修哉は目をしばたいた。
「……?」
「私、お兄さんとちょっと話がしてみたいと思ったんですよ」
あたし、ではなく、わたし、と意図的にはっきりと発音した。
来て、と半袖の端をつままれる。小さな子どもの力ほどでしかなく、引っ張られてもこの身長差では微塵も動かせない。
「どこ行くんだよ」
マサキは、ぱっと振り向いた。「実はここらの土地勘、ないんですよね」
うーん、と考える。目尻を下げ、輝くような笑顔を向けてくる。
「どっか、いいとこあります? おごります」
あ、でも、とちょっと顔を曇らせる。「手持ちが少ないんで、できるかぎりあんまり高くないとこで。ごめんね」
表情がくるくると変わる。顔を見なければ、少年にも聞こえる中性的な声。
「オレもきみに訊きたいことがあるんだ。なんか訳ありっぽいし」
よかった、と安堵の笑顔を向けられる。「梶山さんの話題によく出てきたひとって、お兄さんだよね」
梶山が、オレのことをマサキに話した? いったいどういう経緯でそんな話題になるんだろう。
「ってか、お兄さんはやめてくれないかな。きみは梶山と同学年だろ?」
うん、と頷く。楽しそうに笑う。「背が高いから、てっきり年上かと思った」
なんだよそれ、と内心で思った。老けてるとでもいいたいのかな、と少しばかり不満が込み上げる。
「梶山と同じなら、オレともタメだろ」
そこまで言って、まだ名乗ってなかったことに気づいた。「オレの名は碓氷」
「碓氷……さん」
ちょっと間が空く。「碓氷さん、下の名前は?」
下の名まで、わざわざ確かめられるとは思っていなかった。不思議に思いながらも答える。
「修哉」
そう、とマサキが記憶に刻む目になる。
「僕は水沢マサキ。真っ直ぐに咲くと書いて、真咲」
よろしくね、と人懐こい笑みとともに、真咲は言った。
結局、梶山は水沢遙香について多くを語らなかった。彼女を責める言葉はひとつも漏らさない。
反射神経が鈍ったのかな、と梶山は苦笑した。まさか真っ昼間に歩きながら居眠りでもしてたわけでもあるまいし、あんな無様な落ちかたをするなんてな。
「俺の不注意だったんだ」
梶山は言った。「彼女には迷惑をかけたよ」
無理に訊き出すのはよくない気がして、あえて修哉も梶山が話す事情だけを黙って聞いていた。
改札を出たところで梶山が立ち止まる。スマートフォンの通知を確認している。
見慣れた駅の風景はどこか安心する。同時に帰宅するだけとなり、早くも一日の終わりを実感して名残惜しい気持ちも入り混じる。
最近は日も短くなって、暗くなる時刻も早まっている。日中は日差しも強く、いまだに酷暑が続く。それでもすこしずつ季節は移り変わる。どこか遠くでヒグラシの声が繰り返すのが聞こえる。晩夏の夕暮れ時のもの悲しさが漂う。
日が傾いて夕焼け空が広がる。
「慎がこの辺車転がしてるから、迎えに来るってさ。おまえも乗ってくか?」
過保護だな、と笑いつつ返答する。「いや、ちょっと寄りたいところがあるから遠慮するよ」
そうか、と梶山はあっさり引き下がる。
駅前のロータリーにやってきた慎の車に梶山が乗り込むのを見届け、修哉は自宅方向と逆の商店街へと足を向けた。在庫を切らしていた印刷用紙を購入し、店を出たところで背後から声をかけられた。
「お兄さん、ちょっと時間ある?」
聞き覚えのある声だった。振り返ると、そこには水沢遙香――いや、マサキがいた。
暮色に染まりはじめた街の風景と雑踏を背景に、マサキは人懐こく魅力的な笑顔を向けてくる。
周囲から浮かび上がるような印象を受けた。どことなく浮世離れした雰囲気を漂わせる。
駅前なのに、こちら側の公道はほぼ歩行者専用と化していて、帰宅する人通りで混雑している。なかなか下がりきらない日中からの気温に疲労し、汗を拭きながらうんざりした顔をして歩く人々。
一方でマサキはひとり、気温の違う世界に立っているように見えた。髪をひとつにくくり、いまから就活に行くかのような真っ白なシャツを二の腕までまくり、黒のスラックスと底の低い革靴の姿。髪からか服からなのか、爽やかな芳香が匂う。
修哉は返す言葉を見失い、詰まった。
「……」
なんと返せばいいかわからなかった。
「昼間に妹と会ったでしょ。たぶんもう会う機会もないだろうから、ストーカーみたいな真似しちゃいました」
えへへ、とばつが悪そうにマサキが笑う。
「もしかして、あれからずっと後をつけてた……んですか」
「一度、探偵のアルバイトってのをやってみたくて」
彼女は顔をやや横に倒し、こめかみのあたりを掻いてなんとかごまかそうとしている。「面白そうでしょ、バレずに追跡するってやつ」
修哉は小さく肩をすくめた。
「まったく気づかなかった」
だれかが後をついてくるなんて考えもしなかった。この暑いなか、ずっと尾行してたのだとすれば、よほど用事があるのか単にヒマなのか。
修哉は疑問に思った。だけど、梶山に声をかけるならまだしも――
「なんでオレに?」
「梶山さんには会いたくないって言うもんだから。顔合わせづらいでしょ」
不可思議な言い回しをする。修哉は目をしばたいた。
「……?」
「私、お兄さんとちょっと話がしてみたいと思ったんですよ」
あたし、ではなく、わたし、と意図的にはっきりと発音した。
来て、と半袖の端をつままれる。小さな子どもの力ほどでしかなく、引っ張られてもこの身長差では微塵も動かせない。
「どこ行くんだよ」
マサキは、ぱっと振り向いた。「実はここらの土地勘、ないんですよね」
うーん、と考える。目尻を下げ、輝くような笑顔を向けてくる。
「どっか、いいとこあります? おごります」
あ、でも、とちょっと顔を曇らせる。「手持ちが少ないんで、できるかぎりあんまり高くないとこで。ごめんね」
表情がくるくると変わる。顔を見なければ、少年にも聞こえる中性的な声。
「オレもきみに訊きたいことがあるんだ。なんか訳ありっぽいし」
よかった、と安堵の笑顔を向けられる。「梶山さんの話題によく出てきたひとって、お兄さんだよね」
梶山が、オレのことをマサキに話した? いったいどういう経緯でそんな話題になるんだろう。
「ってか、お兄さんはやめてくれないかな。きみは梶山と同学年だろ?」
うん、と頷く。楽しそうに笑う。「背が高いから、てっきり年上かと思った」
なんだよそれ、と内心で思った。老けてるとでもいいたいのかな、と少しばかり不満が込み上げる。
「梶山と同じなら、オレともタメだろ」
そこまで言って、まだ名乗ってなかったことに気づいた。「オレの名は碓氷」
「碓氷……さん」
ちょっと間が空く。「碓氷さん、下の名前は?」
下の名まで、わざわざ確かめられるとは思っていなかった。不思議に思いながらも答える。
「修哉」
そう、とマサキが記憶に刻む目になる。
「僕は水沢マサキ。真っ直ぐに咲くと書いて、真咲」
よろしくね、と人懐こい笑みとともに、真咲は言った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる