蒼碧の革命〜人魚の願い〜

蒼河颯人

文字の大きさ
38 / 82
第四章 西の国へ

第三十六話 夜空に奏でられる歌声

しおりを挟む
 食事が終わった後、 
 食堂にはアーサーとセレナの二人だけが残されていた。 
 レイアとアリオンは食堂を先に出ており、各自部屋に戻ったようだ。支払いは先に済ませた後である。
 
 周囲に人がいなかった。
 まだ営業終了までは充分過ぎる位時間はあるのだが、今日はこちらの客の入りも少ないようである。
 店員は後片付けに集中している。
 それを流し目で確認した後、アーサーは向かい側に座っているセレナに話しかけた。やや慎重気味な顔だ。
 
「セレナ。君に一つ話しておきたいことがある」
「何?」
 
 アーサーはカップの中身を喉に流し込むと、ふうとため息を一つついた。テーブルの上にカップを置くと、硬質な音が周囲に静かに響いてゆく。 
 
「今回の一件が落ち着いたら、君、独り立ちしないか?」
「え?」
 
 突然の申し出に、セレナは頭を後ろから金属の棒で強く殴られたような衝撃を受けた。
 今まで続けてきた同居生活を解消しようと言うのだ。
 セレナは金縛りにあったように、動けなくなった。
 
「突然すまない。中々二人きりになるタイミングがなかったものだから。本当はもう少し早めに言うべきだったと思ったのだが、レイア達の一件が入り込んで来て、すっかり先延ばしになってしまった」 
「……」 
 
 セレナは空色の瞳で相手を正視出来ないまま、テーブルの上に視線を落としている。
 
 とくん。
 とくん。
 とくん。
 
 心臓の音が身体全体に響き渡ってくる。
 胸のあたりが絞りあげられるような痛みが走った。
 息が詰まりそうになる。 
  
「君がうちに来て、あれからもう二年になる。君は医術師としての腕はあるし、護身の技術は可能な限り教えた。あの頃に比べ大分しっかりしてきたから、もう大丈夫だと思う」
「私……やっぱり、あなたの足手まといかしら?」

 セレナは一生懸命絞り出すように声を出した。
 それでも少し声がかすれてしまう。

「そうとは言ってないだろう?」
「じゃあ、あなたはどうして今そんなことを言うの?」
「俺のせいで、君を色々と危険に巻き込みたくないからだ」
「あなたのせいって……」
「後は先程も話したが、俺は基本的にアモイ山から動けない。君まで拘束したくないんだ」 
「……」
 
 納得出来ず、やや伏し目がちになっているセレナに、アーサーは視線をゆっくりと合わせようとした。それに対し、セレナはあえて視線を合わせようとせず、やや逃げ腰だ。
 
「君くらいの年ごろの娘ならおしゃれしてもっと外に出たり、遊んだりしても良いはずだ。なのに、君は薬の調合や薬草詰み以外はずっと家の中で家事労働に勤しんでいる。独り者なのに、今のような生活ばかりでは君のためにならないと思うのだ」
 
 それに……とアーサーは言葉を続けた。
 その瞳は必死で訴えかけている。
 
「俺の傍にいると、今後どうなっていくか分からない。下手すると、今以上にもっと危険なことに首を突っ込むことになるやもしれない。俺は、君をこれ以上危ない目に遇わせたくないんだ」
 
 アーサーがそこまで言った後、少し沈黙が続いた。
 数秒した後、俯きかけていたセレナが顔を上げ、紫色の瞳を真っ直ぐとらえると、愛らしい唇を薄く開け、ぽつりと言った。
  
「……ねぇ、アーサー。もう手遅れよ」
「え……?」
「分からない? 私、あなたがいないと生きている気がしないの」
「セレナ……?」 
 
 アーサーは驚きのあまり、言葉を失っている。
 そんな彼の瞳を大きな空色の瞳は逃そうとせず、言葉を続けた。
 彼女は両手で彼の大きな両手をふんわりと優しく包み込む。
 温もりを何とかして届けようとするかのように。 
 
「私、あなたの役に立ちたいの。あなたを助けたいの……だめ?」
「でも、それでは君が籠の中の鳥状態だぞ」
「私は構わないわ」
「しかし……!」
「あなたが、自由そうに見えて実はそうでないこと、私、何となく分かっていたわ」
「……」
「ずっと一人で抱え込もうとしないで。あなたの悪いところよ。このままだと、あなた自身が擦り切れてしまうわ……」
「……」
「あなた一人で問題を背負うんではなくて、私は一緒に背負いたいの。私がしたいことはただ、それだけ」
 
 セレナはそこまで一気に言った後、一つ大きな深呼吸をして言った。
 
「でも、これは私の意見。一方的に自分の意見をあなたに押し付ける気は全くないの。今の一件が終わるまで、よく考えてちょうだいね」
 
 セレナはそう言い終えると、手をそっと放した。
 席を立つとその場を後にし、自分の割り当てられた部屋にへしずしずと向かってゆく。
 アーサーはその後ろ姿に、かつて自分が「にんじんみたいな色」とからかっていじめていた、小さな姿を重ねた。あの時の彼女はとても小さくて、やせっぽちだったのだが──

(セレナ……君は……)
 
 一人残されたアーサーは、テーブルの上で頭を抱えこんでいた。

(あの時は彼女の一時的な避難所になれればと思った俺自身が、彼女の自由を奪ってしまったのか?)

 先ほど自分の手を包み込んでいた小さな手の温もりが、見守っているかのように残っている。

(俺は、どうしたら良いんだ……?)

 そんな彼を、灯りはぼんやりと明るく照らし続けていた。
  
 ⚔ ⚔ ⚔ 
 
 窓の外から、歌声が聞こえてくる。
 低く穏やかで、柔らかな歌声だ。
 夜空へと静かに響いている。
 透明でいて、どこか哀しみの色を帯びているが、いつまでも聴いていたくなるような、艶のある美しい声だった。
 
 (一体誰が歌っているのだろう? )
 
 寝る準備をしていたレイアは部屋を出て、その歌声に吸い寄せられるように歩いていると、今度はパチパチと何かが燃える音が響いてきた。
 どうやら、焚き火の音のようだ。
 
 音と光の発生源へと近寄ってみると、白いシャツを着た、見覚えのある背格好が見えてきた。
 川の前に開けた場所があり、焚き火が出来るようにしてあるようだ。その中で火が柔和な音を立てて燃えており、横にはまだ燃やされていない新しい薪が積まれている。
 そこに木でできた長い横がけがあり、彼はそこに腰掛けていた。
 緩やかなウェーブのかかった明るい茶色の髪を一本に結んで、背中に垂らしている。
 焚き火の灯りに照らされた横顔は、良く磨かれた明るい玉のように美しい。
 薄い唇が動き、そこから紡ぎ出される歌は、レイアが聞いたことのない歌だったが、とても美しい歌だった。
 心の芯に真っ直ぐ響いてきて、胸に迫るものがあり、泣きたくなってくる。

(そう言えば人魚って美しい歌声を持つと言われていたっけ。その歌声に聞き惚れた船はことごとく岩場にぶつかって沈没していったというはなしをどこかで聞いたことがある。アリオンの歌声が綺麗なのもうなずけるな)
 
 レイアはそのまま、その歌に聴き入っていた。 
 
 彼女は、アルモリカ王国で見たことを思い出した。
 アリオンが海を見つめるときの、思い焦がれるようなあの瞳。
 帰りたくて仕方のなかった大切な生まれ故郷が、心無い者達の手によって無惨にも破壊されていた。
 国のシンボルたる旗でさえ凄惨たる有様だった。
 きっと美しく輝いていただろう海さえもすっかり色褪せていた。
 今のあの国は、死に体だ。
 
 本来であれば命をなげうってでも守らねばならない自分は、ほぼ何も出来ない状態に置かれている。
 その胸の内はやるせない思いで、どんなにか苦しいだろう。
 
 (これまで色々あったから、きっと彼なりに思うところがあるんだろうな。だから歌を歌っているに違いない。ここは一人にしておいた方が良さそうだな……)
 
 レイアはその場を静かに離れようとしたが、不覚にも足元に落ちていた小枝を踏み、パシリと音を立ててしまった。
 
 (しまった! )
 
 音に気付いた王子がゆっくりと振り返った。
 その表情は普段と変わらない彼だったが、どこか近寄りがたい空気を感じた。
 彼女の姿を認めた金茶色の瞳が瞬時に大きく見開かれる。
 
「レイア? こんな時間に一体どうしたんだ? 」
「いや……綺麗な歌声に惹かれて歩いてきたら、ここまで来ちゃったんだ。邪魔したようでごめん。すぐ部屋に戻るから……」
 
 自室に戻ろうとするレイアの左手首をアリオンの右手がそっと掴んだ。手から伝わってくる彼の温もりに、レイアの身体全体がびくっと震える。そんな彼女に王子は優しく声をかけた。
 
「邪魔ではないよ。良かったら少し話しをしないか? 無理にというわけではないから、嫌なら嫌と言ってくれれば構わない」
「ううん。大丈夫。じゃあ少しだけ……」
 
 逆らえないままアリオンに手を引かれ、誘われるままレイアは長い腰掛けにちょこんと腰かけた。その隣に彼はゆっくりと腰掛け直した。
  
 焚き火が火の子を爆いてゆらゆらと静かに燃えていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

前世を越えてみせましょう

あんど もあ
ファンタジー
私には前世で殺された記憶がある。異世界転生し、前世とはまるで違う貴族令嬢として生きて来たのだが、前世を彷彿とさせる状況を見た私は……。

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

【完結】花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜

ソニエッタ
ファンタジー
森のはずれで花屋を営むオルガ。 草花を咲かせる不思議な力《エルバの手》を使い、今日ものんびり畑をたがやす。 そんな彼女のもとに、ある日突然やってきた帝国騎士団。 「皇子が呪いにかけられた。魔法が効かない」 は? それ、なんでウチに言いに来る? 天然で楽天的、敬語が使えない花屋の娘が、“咲かせる力”で事件を解決していく ―異世界・草花ファンタジー

【完結】転生したら悪役継母でした

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。 その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。 しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。 絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。 記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。 夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。 ◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆ *旧題:転生したら悪妻でした

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

処理中です...