73 / 82
番外編
第八話 セレナのミルカ
しおりを挟む
いつも元気なアーサーが何かおかしい。
(顔色が変だし、雰囲気がいつもと違うし、朝食の量もいつもより少ないし、一体どうかしたのかしら?)
アモイ山にあるアーサー宅の流し場で洗い物をしていたセレナは、あれこれ考えごとをしていた。
突然奥の部屋から何かが倒れる音が聞こえてきたので、蛇口を急いでひねって水を止めた。
嫌な予感が彼女の背中を突き抜ける。
「アーサー!? どうしたの?」
濡れたままの手をエプロンで拭いつつ、大急ぎで物音のした方向へと向かう。途中で何かにつまづいてひっくり返る音が響いたが、後で直せばいいと割り切った。
バタンと目的とする部屋の戸を開ける。
物音の発生源は、予想通りアーサーの自室だった。
椅子が倒れ、本棚により掛かるように倒れ込んでいる、黒の短髪で体格の良い青年の姿がセレナの視界に飛び込んできた。彼女の身体中から血の気が一気に引いてゆく。
「ねぇちょっと、どうしたの? アーサー! 私の声聞こえる?」
セレナは倒れている青年を急いで助け起こし、褐色の額に小さな手をあててみた。
物凄く熱い。
濃い眉を歪め、横一文字に閉じられた唇の間から、苦しそうな息が漏れている。
「あら大変!! ひどい熱じゃないの!!」
「……すまん。セレナ。めまいがしてちょっとふらついただけだ。これ位、慣れてるさ……」
「だーめ! 私を一体誰だと思っているの!? 今日は休むのよ!! 丁度外に出なくて良い日で良かったけど……」
アーサーは小さな身体の少女によって強引に寝台の中へと押し込まれた。華奢な見かけによらず、物凄い力だ。
ああそうか。弓術で鍛えた身体だから、彼女実は見かけほど華奢ではないことを分かっていながらも、火事場の馬鹿力ってこんなものだろうかと彼はつい思ってしまった。
そんなことをぼんやり考えている間に、セレナはアーサーの舌を診たり、脈を診たり、身体中を触診したりしている。その手際の良さは医術師ならではのものだ。
「……恐らく風邪だと思うわ。昨日の雨が原因ね。ずぶ濡れで帰ってくるんだもの。驚いたわ。傘を忘れて行くなんて、あなたらしくもない。行く先を教えてくれたら傘を持っていってあげたのに……」
「すまん。小雨なら大丈夫だからと、油断していた」
セレナは傍で水で濡らした手ぬぐいをぎゅっと絞り、彼の額にそっと乗せた。手ぬぐいの冷たさが丁度いいのか、アーサーは目を細めて気持ちよさそうな顔をしている。その表情を目にした彼女はほっと安堵の胸をなでおろした。
「ちょっと待ってて。ちょうどミルカを作ったところだったから、温め直して持ってくる。薬も確か煎じたばかりのものがあるから、一緒に持っていくわ」
「……ああ。すまないな」
セレナは急いで彼の自室を出て、台所へと向かった。
⚔ ⚔ ⚔
部屋に戻ってきた彼女が持つ盆の上には皿が乗っていて、さじが添えられてある。皿からは細く白い湯気がゆらりと天井に登っているのが見える。
アーサーはセレナから器を受け取ると、その中身をひとさじひとさじ口にゆっくりと運んだ。透明なスープは曇り一つない出来だった。じっくりと良く煮込まれた鶏肉や根菜類は柔らかく、口の中でほどけるようにゆっくりととけてゆく。優しい味と共に温もりが身体をやんわりと包み込んでゆくのを感じた。
(俺の味とは少し違うが、随分上手になったものだ)
「……旨い」
「そう……良かったわ!」
その時、アーサーのどこかにやけている顔を見たセレナは怪訝な顔をした。
「? どうしたの?」
「たまには、病気になるのもアリかなと思っちまったよ」
「もう!」
「そこまで心配せんでも、俺のことだからその跡が消えない内にすぐ良くなるさ」
アーサーの視線の先に気付いたセレナは顔を真っ赤にした。右の上腕辺りにある赤い跡を、まくり上げた袖を下ろすことで必死に隠そうとしている。その様子を見た彼は軽快な声を立てて「ははは」と笑い出した。
「もう知らない!」
「悪い悪い。君があんまり可愛いものだから、つい……」
セレナは照れ隠しにアーサーの額へと口付けをさっと落とした。
「冗談はともかく、アーサー、早く元気になってね。私看病するから」
「……俺は本当にツイてるよなぁ。この国一の医術師が、いつも傍にいてくれてるんだから。感謝しねぇと」
アーサーは大きな右手でくしゃりと赤褐色の頭を撫でた。
今まで彼は看病される側になったことがほとんどなかった。一人だとおちおち病気も出来ない。
いざという時、支え合う相手がいることにほのかな幸せを感じていた。
空色の大きな瞳と、紫色の瞳が見つめ合う。
それらには共に優しい光が灯っていた。
──完──
(顔色が変だし、雰囲気がいつもと違うし、朝食の量もいつもより少ないし、一体どうかしたのかしら?)
アモイ山にあるアーサー宅の流し場で洗い物をしていたセレナは、あれこれ考えごとをしていた。
突然奥の部屋から何かが倒れる音が聞こえてきたので、蛇口を急いでひねって水を止めた。
嫌な予感が彼女の背中を突き抜ける。
「アーサー!? どうしたの?」
濡れたままの手をエプロンで拭いつつ、大急ぎで物音のした方向へと向かう。途中で何かにつまづいてひっくり返る音が響いたが、後で直せばいいと割り切った。
バタンと目的とする部屋の戸を開ける。
物音の発生源は、予想通りアーサーの自室だった。
椅子が倒れ、本棚により掛かるように倒れ込んでいる、黒の短髪で体格の良い青年の姿がセレナの視界に飛び込んできた。彼女の身体中から血の気が一気に引いてゆく。
「ねぇちょっと、どうしたの? アーサー! 私の声聞こえる?」
セレナは倒れている青年を急いで助け起こし、褐色の額に小さな手をあててみた。
物凄く熱い。
濃い眉を歪め、横一文字に閉じられた唇の間から、苦しそうな息が漏れている。
「あら大変!! ひどい熱じゃないの!!」
「……すまん。セレナ。めまいがしてちょっとふらついただけだ。これ位、慣れてるさ……」
「だーめ! 私を一体誰だと思っているの!? 今日は休むのよ!! 丁度外に出なくて良い日で良かったけど……」
アーサーは小さな身体の少女によって強引に寝台の中へと押し込まれた。華奢な見かけによらず、物凄い力だ。
ああそうか。弓術で鍛えた身体だから、彼女実は見かけほど華奢ではないことを分かっていながらも、火事場の馬鹿力ってこんなものだろうかと彼はつい思ってしまった。
そんなことをぼんやり考えている間に、セレナはアーサーの舌を診たり、脈を診たり、身体中を触診したりしている。その手際の良さは医術師ならではのものだ。
「……恐らく風邪だと思うわ。昨日の雨が原因ね。ずぶ濡れで帰ってくるんだもの。驚いたわ。傘を忘れて行くなんて、あなたらしくもない。行く先を教えてくれたら傘を持っていってあげたのに……」
「すまん。小雨なら大丈夫だからと、油断していた」
セレナは傍で水で濡らした手ぬぐいをぎゅっと絞り、彼の額にそっと乗せた。手ぬぐいの冷たさが丁度いいのか、アーサーは目を細めて気持ちよさそうな顔をしている。その表情を目にした彼女はほっと安堵の胸をなでおろした。
「ちょっと待ってて。ちょうどミルカを作ったところだったから、温め直して持ってくる。薬も確か煎じたばかりのものがあるから、一緒に持っていくわ」
「……ああ。すまないな」
セレナは急いで彼の自室を出て、台所へと向かった。
⚔ ⚔ ⚔
部屋に戻ってきた彼女が持つ盆の上には皿が乗っていて、さじが添えられてある。皿からは細く白い湯気がゆらりと天井に登っているのが見える。
アーサーはセレナから器を受け取ると、その中身をひとさじひとさじ口にゆっくりと運んだ。透明なスープは曇り一つない出来だった。じっくりと良く煮込まれた鶏肉や根菜類は柔らかく、口の中でほどけるようにゆっくりととけてゆく。優しい味と共に温もりが身体をやんわりと包み込んでゆくのを感じた。
(俺の味とは少し違うが、随分上手になったものだ)
「……旨い」
「そう……良かったわ!」
その時、アーサーのどこかにやけている顔を見たセレナは怪訝な顔をした。
「? どうしたの?」
「たまには、病気になるのもアリかなと思っちまったよ」
「もう!」
「そこまで心配せんでも、俺のことだからその跡が消えない内にすぐ良くなるさ」
アーサーの視線の先に気付いたセレナは顔を真っ赤にした。右の上腕辺りにある赤い跡を、まくり上げた袖を下ろすことで必死に隠そうとしている。その様子を見た彼は軽快な声を立てて「ははは」と笑い出した。
「もう知らない!」
「悪い悪い。君があんまり可愛いものだから、つい……」
セレナは照れ隠しにアーサーの額へと口付けをさっと落とした。
「冗談はともかく、アーサー、早く元気になってね。私看病するから」
「……俺は本当にツイてるよなぁ。この国一の医術師が、いつも傍にいてくれてるんだから。感謝しねぇと」
アーサーは大きな右手でくしゃりと赤褐色の頭を撫でた。
今まで彼は看病される側になったことがほとんどなかった。一人だとおちおち病気も出来ない。
いざという時、支え合う相手がいることにほのかな幸せを感じていた。
空色の大きな瞳と、紫色の瞳が見つめ合う。
それらには共に優しい光が灯っていた。
──完──
0
あなたにおすすめの小説
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
悪役令嬢、休職致します
碧井 汐桜香
ファンタジー
そのキツい目つきと高飛車な言動から悪役令嬢として中傷されるサーシャ・ツンドール公爵令嬢。王太子殿下の婚約者候補として、他の婚約者候補の妨害をするように父に言われて、実行しているのも一因だろう。
しかし、ある日突然身体が動かなくなり、母のいる領地で療養することに。
作中、主人公が精神を病む描写があります。ご注意ください。
作品内に登場する医療行為や病気、治療などは創作です。作者は医療従事者ではありません。実際の症状や治療に関する判断は、必ず医師など専門家にご相談ください。
【完結】花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜
ソニエッタ
ファンタジー
森のはずれで花屋を営むオルガ。
草花を咲かせる不思議な力《エルバの手》を使い、今日ものんびり畑をたがやす。
そんな彼女のもとに、ある日突然やってきた帝国騎士団。
「皇子が呪いにかけられた。魔法が効かない」
は? それ、なんでウチに言いに来る?
天然で楽天的、敬語が使えない花屋の娘が、“咲かせる力”で事件を解決していく
―異世界・草花ファンタジー
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―
ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」
前世、15歳で人生を終えたぼく。
目が覚めたら異世界の、5歳の王子様!
けど、人質として大国に送られた危ない身分。
そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。
「ぼく、このお話知ってる!!」
生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!?
このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!!
「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」
生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。
とにかく周りに気を使いまくって!
王子様たちは全力尊重!
侍女さんたちには迷惑かけない!
ひたすら頑張れ、ぼく!
――猶予は後10年。
原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない!
お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。
それでも、ぼくは諦めない。
だって、絶対の絶対に死にたくないからっ!
原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。
健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。
どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。
(全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる