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指導ミス

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 僕は昨日の帰りに感じた事をもう一度、掘り返す。今の状況は今井にとって宜しくないと思った。研修スケジュールを見返し今井が他の社員と同じレベルで学べる内容……マナー講習くらいか。

 そして、リプレイス案件の環境構築時に必要な技術を洗い出していた。まだ全て出しきった訳じゃないが『ジャッパー』と呼ばれる言語を使用することになるのは一目瞭然だった。

 それならば、今井にはジャッパーの資格取得をメインに頑張ってもらう方が有意義と考える。

 始業前に研修担当で同期の新垣ショウゴに今井の様子を訪ねた。

 まだ新人の担当になって経験の浅いショウゴ目線でも頭を悩ましていたらしい。普段の基準値を遥かに下回る理解度に施策を考えていたらしいが、どれもしっくりこない。そこで、僕が技術面は直近の業務で使いそうなものに絞り学ばせる案を相談した。

 今のままだと、通常の研修先に出す事も難しそうなので、今井は僕の部署内でどうにかすることが決まった。

 後二日までは今井にも新人研修に参加してもらい、それ以降は資格取得に方向を定める。

 資格取得には本人次第な部分が大きいが今の状況を放置するよりも良いと判断した。僕がずっと面倒を見れれば越した事は無いが、僕にも作業依頼が来ている。以前までいた部署で仕事が溢れているので短期間のレンタルを打診された。

 実際、リプレイス案件は準備期間なので二週間くらいならそこに移っても影響は皆無だった。その間は今井を放置することになるが、参考資料を頭に叩き込み資格試験に向かって座学を頑張る事になるので大きく問題にはならないと思う。

 神下部長にも相談したら僕の好きにして良いらしいので、今井と話す事にした。

「今井のレベルが低いのは分かりきっていた。何も知らないからソレは仕方ない」

 本当に研修や資格試験と振り回してしまい申し訳ないと思う。でも、当の本人である今井は気にしていない様子だった。

「先輩。それは今だけですからね? 私のレベルが足りないのは今だけなのです。これからさっと信じられない速度で上がるので期待してください」
「そりゃ、頼りになるな。研修を受けたところに参考資料もあるはずだけど、古いかもしれない。『ジャッパー』の今年度の対策資料を買う方が確実な気もするが、その辺は任せる。二週間くらい僕も別の部署で仕事をすることになるだろう。多分一人になるけど、大丈夫そう?」

 良く表現したら広い部屋を自由に使える。悪く言えば広すぎて寂しさを感じる僕等の過ごす部屋に唯一人で参考書とにらめっこする事になる。

「ちなみに先輩。息抜きでドラマとかも見ていいんですか?」
「……ちょっとくらいなら許そう。でも、試験に落ちたら許さないからな? お昼休憩の空き時間とかに見る程度にしなよ」
「はーい。座学で自分のスピードで学べるなら大学と変わんないし多分大丈夫!」

 頼もしい元大学生だ。勉強なら私に任せてと胸を張っている。この様子なら安心して僕は別の部署に行くことが出来る。

「とりあえず、僕は暫く定時で帰れそうにもない。定時がきたらサクッと帰っていいから。試験は五月にあるんだけど、ゴールデンウィーク前と後はどっちがいい?」

 ゴールデンウィークという休日を試験後に使うか試験対策に使うかで過ごし方が大きく変わる。試験を休み後に設定したら余裕が生まれるが楽しみが無くなってしまう。完全になくなる訳では無いが『この休みが終わったら本番』という負担が残り続けることになる。

「ゴールデンウィーク前でお願いします。休みの日はやっぱり全て忘れて遊びたいですよー。それに、休み後に試験があったとしても、休みの日に勉強できる自信はありません」
「そうか」

 試験まで約三週間と少し、難易度も低くて現実的な期間だと判断した。

「ま、気楽にやりなよ。別に本一冊くらいを読んで仕組みがわかれば後は数学とかと変わらん。別にハードディスクのセクタとかデータの読み込み方を覚えろって訳でもないしな」
「日本語で喋らないと私には伝わらないですよ?」

 今時はソリッドステートドライブだし伝わらないかとジェネレーションギャップを僕は密かに感じた。

「ま、頑張れ新人」
「任せて下さい。誰もいない作業部屋、好きにできるパソコンが一台。これは勉強が捗りますね」

 絶対に一日くらいはドラマを見て過ごすだろうなと確信しながら僕は別の部署へ向かった。試験に受かれば問題無い、それにしても僕が面倒をつきっきりで見れれば簡単に終わるだろうけれど、会社に対する生産性という意味では良くない。

 出来る事なら金銭のやり取りが発生する小さな現場に出向いてもらって修行兼、稼ぎが行えれば会社としても都合が良い。

 少なくとも資格を取得出来れば最悪の場合、僕の部署を離れても仕事を見つけきれる可能性は高まる。

 僕はそのまま彼女の頑張りに任せて部署を離れた。行くところは数年触っていた案件で流れも分かる。話を聞くと他社にお願いしていた部分の変更が必要で今からシステムを弄る必要が浮き彫りになった。ちょうど、クリティカルな部分で期間を伸ばすことも難しく僕達の会社が打った策は人員の増員。

 其処に抜擢されたのが僕だった。

 とりあえず初めに情報の収集を始めた。修正が必要な箇所を洗い出し直した後はどの様に確認すればいいのかテストケースを作成する。そして、内容の確認だ。

 僕が修正の必要な箇所を各担当に割り振る作業が三日掛かった。そして、直してもらっている間にテストケースに手を入れる。

 新しい部署に移動して定時で帰る日が続いていたが暫く残業が続いて終電ギリギリに家に帰り簡単に飯を済ませて直ぐに眠りにつく。起きたら出社して仕事を進めた。各担当に割り振っている時に神下部長から連絡も来ていた。海外の支社に顔を出す必要があり長期の出張に出掛けているみたいだ。

 完全に今井を一人にしてしまっていた。けれど、やることも明確なので僕は今の自分が出来る仕事を進める。

 修正箇所の完了が上がってくる時にはテストが行えるように仕上げて担当者に任せた。流れ作業で修正、テストが完了してその結果を確認する。想定していた結果と違う場合はその原因の調査を行い、修正が足りないのか再度洗い出しを行う。

 その作業を繰り返して約二週間の時間が過ぎ去った。

 出来ることは全て終わらせて案件のリーダーに結果を提出してリプレイス部署に僕は戻る。

 本当に二週間の間は今井を見ること無く時間だけが過ぎ去った。神下部長の出張も長引いている様子で今は何をしているのか分からない。

「先輩……めちゃくちゃやつれてる!?」

 久々に見た今井が心配そうに僕を見ていた。ひと目見て今井の記憶にいる僕と姿が変わっていたらしい。

 流石に残業が続いて地獄の二週間を経験したらやつれもする。コレが一ヶ月、三ヶ月と続いたら体調も崩してしまうだろう。

 そういえば、まともな飯も食わずコンビニで軽く済ませるくらいだったなと振り返る。

「先輩、もう落ち着いたんですか?」
「約二週間の地獄を乗り切ったよ」
「お疲れ様です。というか、今日はもう帰って休んだ方が良い気がします」

 確かにその手があったな。僕は自分が思ってる以上に今井が心配だったみたいだ。

 あれから二週間放置してしまい申し訳ない気持ちが多少ある。そして、今井の成果が気になっていた。

「勉強はちゃんとしていたか?」
「もちろんです。書店でコレを買ったんですよ! 模擬試験も一番うしろにあって割りと点数取れます」

 資格取得に必要な点数は六割で十分だ。ソレだけ取れれば、最低限の知識を担保する試験となる。

 ……ん!?

 僕はどうやら目が悪くなってしまったようだ。今井が持ってる本の題名が良く見えない。

 『ジャッパースクリプト』という文字が見える。僕等が触るメインとなるのは『ジャッパー』であり、スクリプトではない。

 それにも関わらず、今井の掲げる本にはスクリプトという文字が見えた。

 見間違いだよなと自分を疑いつつ、僕は今井の隣に座った。

「貸して」

 無造作に奪い取るように僕はパラパラと中身を確認する。これは想定していたジャッパーでは無い。サーバーサイドの処理では無く、主に画面周りに使われるプログラミング言語だ。

「どうしました?」

 多分、もの凄い形相の僕を見て不思議に思ったんだと思う。異変に気づく今井が何も感じない訳が無い。

 コレは素直に伝えるべきか僕は頭をフル回転させた。今まで放置して二週間頑張った事が全く違う物だったと知ればやる気も削がれる。そうなればモチベーションの維持も難しいだろう。

 何か言い伝え方が無いか僕は考える。新人の何も知らなかった今井に上手く伝える方法……気の利いたセリフに納得出来て、モチベーションを維持する方法をッ!

 二週間頑張って模擬試験でも点数が取れるようになったと彼女は言っていた。

 だから、えっと、先輩として。何か上手く……。

「……」

 僕の様子をじっと見ている今井の視線が今は痛い。

 でも、僕には答えが出なかった。傷つけず伝える策は思いつかない。

 だから、素直に『間違っている参考資料を買って二週間勉強しているよ。これじゃなくて受ける資格は別の物だよ』と伝えなければならない。

「あのー、先輩。もしかして――」

 全く勘が鋭い新人らしい。僕が言わないとダメな言葉を彼女に言わせてしまった。

「私……違う奴を勉強しちゃってました?」

 これは、伝えなければならない。僕がもう少し考慮できていれば起きなかった。

「ごめん。これは似てるけど全く違う奴で受ける試験は別だ。紛らわしいのを失念してた」
「そっかー……」

 研修担当の新垣は知識の無い今井に頭を悩ませていた。事情を知らない彼からは出来の悪い新人にしかみえていないかもしれない。しかし、僕とってはチャレンジャーである。

 今まで知らない分野に足を踏み入れる挑戦者。そんな彼女の声も記憶にある元気さは無かった。

「でも、先輩」

 挑戦者である彼女は僕に言った。

「まだ時間あります。まだ二週間くらいあるから大丈夫ですよ」

 未熟者だと実感した。僕自身が、初めての部下を持った僕が学ばされた気がした。
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