マインズ・アイ

貴林

文字の大きさ
3 / 9
失踪

耳なしと、呼ばれていた頃

しおりを挟む
暗い廊下を、四本の懐中電灯の光芒こうぼうが走り、月の太陽の反射光と星々の核融合反応による明かりだけで浮かび上がる四人の姿があった。
四人の内一人だけ、目元を四角く縁取られた眼鏡を光らせる康介は、鼻の上でズレかけている眼鏡を持ち上げながら、前を歩くさゆりの、と言うよりもあえて康介は後ろを歩くことでさゆりに悟られぬように、ゆらゆらと馬の尻尾の様に揺れるポニーテールを見ながら、その両脇の耳から伸びる首筋と、背中の白いシャツに浮かび上がるブラのライン、そして下がってスカートでくびれた腰から流れるぽってりとしたプルプルのお尻。更に下がってヒラヒラしたスカートから伸びる太過ぎないムッチリとした素足。
そんなさゆりの体のラインを盗み見るが為に、敢えてその後ろを歩く康介であった。
康介が肉付きの良い体をしたさゆりの肩をポンと叩く。それに応え面倒臭そうに振り返るさゆり。その度に揺れる大きな胸を見て康介はニヤついた顔をする。
そんな二人の様子を見て、ひとみは締め付ける胸に手を当てうつむいてしまう。
なぜならひとみは、いつからか康介を見つめては、胸を躍らせるようになっていたからだ。
康介はそんなひとみの気持ちを知る由もない。そればかりか、隙あらば、さゆりの体に触れようと常にそんなことばかり考えていた。
ひとみは、そんな康介が嫌だった。が、好きになってしまった気持ちは抑えようがなかった。
そんなひとみの気持ちに薄々気がついているさゆりも、康介を嫌っているわけではなかった。何かで真剣になっている康介を見るのは好きだったが、こういう時の康介は大嫌いであった。
「もう、気安く触らないでよ。康介」
肩に乗せられた手を払い落とすようにして逃げるさゆりは、前を歩く健太の片手では掴みきれない程に太い腕にしがみついていた。
「ねえ、健太。そう思うでしょ?」
「ちぇ、健太ならいいのかよ。さゆり」
悔しそうに舌打ちをする康介に対し、舌を出し、べえええとするさゆり。
「決まってるでしょ。康介みたいに竹刀振って、キーボード叩くだけのヒョロヒョロの奴に興味はないの。やっぱ健太よね」
さゆりはラグビーで鍛えた健太のガッシリした腕に頬を擦り寄せている。
女子にこんな風にされて悪い気のしないのが、男の性である。健太自身さゆりの柔らかい肉体が触れることを拒絶しきれないでいた。
が、視線は常にひとみに向けられていた。
「あっぶねえな、さゆり。そんなにしがみつくなよ」
さゆりがしがみつかれたくらいで、健太は揺らいだりしないが、言葉のあやである。女体に触れるのは嬉しかったが、こんな様子をひとみに見せたくない思いが言葉に出たのだ。
「なんでよ、私がこうしたいんだからいいでしょ?別に」
「あ、歩きにくいんだよ」
健太は、落ち着かなかった。
掴まれた腕を引き抜こうにも、その腕にさゆりの胸が押しつけられ、微動だにすることが出来なかった。
健太はクリクリの瞳で見つめるさゆりから、なんとか逃げ出そうとひとみに歩み寄った。
「ひとみ、大丈夫か?」
こうすることでさゆりから腕を引き抜くきっかけを作った健太は、無造作に腕を振り解いた。
「あ、なんでよ。ひどいよ、健太」
さゆりが頬を膨らませて、口を尖らせているのが、見ないでも想像ができた健太は、ひとみの肩に触れると顔を覗き込んだ。
「平気か?ひとみ」
健太は難聴のひとみと会話がしたくて、必死に覚えた手話と唇で大袈裟と思えるほど形を作って言葉を発している。
そんな必死な健太の姿を見たひとみは、康介のことで沈んだ気持ちが軽くなった気がした。
思わず、プッと吹き出すひとみであった。
キョトンとした顔をしている健太。その顔を見たひとみは、更に吹き出していた。
そもそも、健太が言ってることとやってることが違っていたのが可笑しかった。唇を読むことで言っている言葉が理解出来てしまうひとみには、手話は無くても良かったからだ。でも、そんな健太の気持ちがすごく嬉しかった。
「だいじょおぶ、ありがとお、けんた」
康介が気になるひとみだったが、健太のこうした気遣いはやはり嬉しかった。下手な手話もひとみの胸を暖かくした。
ひとみの笑顔を見た健太も釣られて笑顔が溢れた。
見つめ合って笑い合う二人を見たさゆりは面白くなかった。
「ふんだ、いっつもひとみばっかり。たまには私のことも気にかけてよね」
ひとみばかりを気にかける健太にムッとするさゆりは、小柄ながら組んだ腕の上で、豊満な胸がはちきれんばかりであった。大きな胸が一層際立っている。
それをドキドキしながら眼鏡を持ち上げて目を凝らし覗き込む康介は、もっとよくそれを見ようと前に出る。
そのことを悟られまいと、わざとさゆりの足元の大きな穴を懐中電灯で照らしたりしている。
「さゆり、足元、気をつけな」
足元を懐中電灯で照らしながら、上目使いにさゆりの胸元を見る康介。そんな康介の思惑を知ってか知らずか、気にかけてくれる康介に悪い気はしなかった。
「あ、うん。ありがとう」
手を差し出す康介の腕につかまるさゆりは、少しドキリとして頬を微かに赤くした。
健太よりも細いとはいえ、掴んだ康介の腕は硬く引き締まっていたからだ。
穴を避けるさゆりは、動揺していたのかグラリと体勢を崩す。
が、それを難なく引き寄せてしまう康介にさらにドキドキした。
「おい、大丈夫かよ」
眼鏡の奥に優しい瞳を見たさゆりは、細かい瞬きをしている。まんざらでもなかった。心は揺れていた。
健太ほど太くはないが、剣道で鍛えた康介の腕にしがみつくさゆりは、身を寄せることにためらいはなかった。押しつけた胸が康介の腕で形を変える。
柔らかな肉体を押し付けられて、ドキドキして狼狽える康介。
康介を横目に見るひとみは、その口の動きと表情や仕草から、喜び、緊張、期待といった感情を読み取り、心は複雑になっていた。
康介に対し好意を抱いていなければ、こんなに胸が苦しくはないはずだった。
健太は、うつむくひとみが自分ではなく康介が好きなのを知っていた。
それでも好きな気持ちを抑えることなど出来るはずもなく、ひとみの手を取るとこちらに向かせる様に引き寄せ、自分を見ろと言わんばかりに見やすくしようと下から顔を懐中電灯で照らし下手な手話とゆっくりとした口調で話しかける。
「ひとみ。どうかした?」
ひとみの気持ちがわかるだけに、わからない振りをする健太。
「ううん、なんでもない」
優しくしてくれる健太に、康介のことで落ち込んでいるなどと言えるはずもなく大きく首を横に振って見せるひとみ。
「ほんとに?」
いつになく真面目な顔の健太だった。
しかし、下から照らしつける明かりが、真剣で真面目な顔を台無しにしている。
それを見たひとみは、再びプッと吹き出し、声を出して笑い始めた。
「え?なに?俺、なんかした?」
涙目になりながら、うんうんとうなずくひとみは、自分のしていることに気づかない健太が、また可笑しくてお腹を抱えて声を殺して笑い出した。
「な、なんなんだよ、笑ってないで教えてくれよ。わかんないよ」
何が何だかわからない健太だったが、自分を見て笑顔になってくれるひとみを見るのが大好きだった。可愛いと思っていた。
小さい頃からあまり笑わなかったひとみ。
最近は読唇術と表情から感情を読み取ることが上達したひとみは、以前に増して笑顔を見せる様になっていた。人と話すことの喜びを知って、幸せを感じていたからだ。
生まれながらの難聴で症状は益々悪化するばかりで、ずっと孤独で寂しい思いをしていた。
話をしたくて声をかけようにも相手の言葉が理解出来ないのでは会話にならず相手を不快にさせるだけだった。そうなっるのが怖かった。相手も同じで耳の悪いひとみに声をかけようとするが、話した声が届きにくい上、返してくる言葉がハッキリしないもどかしさから、ひとみに近づこうともしなくなってしまう。
こうして孤立するばかりのひとみは、いつしか自らの殻に閉じこもるようになり、ひどい時には不登校になった時期もあった。 
。と何度思ったことか、生きていく自信を何度となく失ったことかしれない。
でも、今は違った。相手が話す言葉を〈見る事〉を覚えたひとみは以前よりも、明るい性格になり自ら進んで他人に話しかけるようになっていた。
言葉が通じることが分かると、向こうから話しかけてくれるようになっていた。
最初、ひとみは言葉の発声が下手くそで相手が聞き取れないことが、かなり続いたが、こちらの言いたいことがわかってもらえると相手も悪い気がしないのか、聞き耳を立ててひとみの言葉を聞き取ろうと必死になる様になっていた。これを繰り返すことで今では、片言ではあるがひとみは言葉の発声がかなり上達していた。
誰しも子供の頃、特に幼いほど、自分に素直すぎるのか、少しでも変わっていると感じると、平気でその子を傷つけてしまうもので。
幼い頃のひとみは健太から〈耳なし〉とバカにされ続けていた。涙をボロボロ流しながらも、負けず嫌いのひとみはそんな健太に屈することなく、刃向かった。
今から思えば、あの頃の健太の目は、本気でひとみをけなすつもりなどなかったことがよく分かる。健太もまた、本心ではなかったし、心の中ではやさしい言葉を発したいと思っていた。が、周囲や環境がそうはさせてくれなかった。うっかり優しい言葉を掛けようものなら、周囲から茶化されてしまう。優しく声をかけようにも言葉が見つからず、伝わらないし、茶化される。
つい意地悪な言葉を向ける以外にひとみの気を引く方法がなかった健太であった。
そんな二人もいつしか大人へと心も身体も成長し、互いに異った性を感じるようになっていた。健太はひとみの中に女のしなやかさとあでやかさを意識するようになり、ひとみもまた健太の中に男の逞しさと凛々しさを感じていた。ひとみは人を恋しいと思う気持ちを表に出すようになっていたのだ。
やがてその恋しい気持ちは欲をかき、逞しい健太にではなく、知的で清潔な康介に向けられていた。
その為、さゆりを見る康介の視線が気になって仕方がなかった。
とはいえ、さゆりのことが嫌いというわけでもなかった。小柄ながらケタケタと笑う明るくて元気な人柄が大好きだった。が一方で、豊満な体つきと明るい性格が羨ましくもあった。クラス内ほとんどの男子がさゆりを見る。スカート姿で大股を開いて床に座り込める大胆さを持ち、底抜けに明るく男っぽいキャラが男子の人気を得ていた。
男子の中に自然に入り込める女の子なのだ。毒舌にも嫌味がなかった。
それに引き換えひとみは、難聴、ぎこちない言葉使い、平らな胸。
自信をなくし下を向くひとみは、今この時も胸を両手で押さえたまま、ため息をつく。
それを見ている健太がひとみのショートボブの頭を無造作に撫で回す。
「どうしたんだ?ひとみ」
「べ べつに、何でもない」
「そか?ならいいけどさ」
口元を見やすく、聴こえやすくしようと顔を寄せる健太の心遣いが、ひとみはとても嬉しかった。
いつも寄り添い、自分から人に橋渡ししてくれる健太は、友達の輪の中に引き摺り込んでくれる存在だった。それがいつのまにか、康介やさゆりといった親友を作るきっかけとなり今では、全てのクラスメイトと会話を楽しめるようになっていた。話しかけることを怖がり、話しかけられることを恐れていたが、今では、会話を喜びに変えることが出来るようになっていたのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について

えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。 しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。 その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。 死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。 戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!

ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」 それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。 挙げ句の果てに、 「用が済んだなら早く帰れっ!」 と追い返されてしまいました。 そして夜、屋敷に戻って来た夫は─── ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

二度目の初恋は、穏やかな伯爵と

柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。 冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

処理中です...