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四付き目 憧れの人

ずっと、好きでした

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「おい、起きろ、恵」
目を覚ますと、一城さんが目の前にいた。
「おはよう。よく眠れたか?」
「おはようございます」
昨夜はシャワーを浴び、映画を観て、ベッドに入りまたHして、いつ眠りについたか、わからなかった。

食卓に着くと、恵は眠気から大口を開けてあくびをしている。
「ほれ」
言ったと思うと、食パンを口に放り込んでくる一城。
あぐふ・・・
あいあおうおあいあうありがとうございます
「食べて飲んだら行くぞ」
湯気の立ち込めるコーヒーを差し出す一城。
すでに作業用の制服に着替えている一城は、資料を広げては作業内容を確認している。
スマホを耳と肩で挟みながら、電話の対応をしている。
外注に依頼している件で指示をしているようだ。
「お、あいよ、じゃあ、頼むわ、鉄ちゃん。ああ、はいよ。はい、よろしく~」
スマホをタップして通話を切る。
まだ、モシャモシャと口を動かしている恵を見る一城。
「まだ、食ってんのか。ほら、行くぞ」
恵は、立ち上がりながらコーヒーを啜ると、皿と空いたカップを流しに置き水につけると玄関に走った。
昨夜は、着替えの準備もなく泊まったので、一城さんが真新しい制服を出してくれた。そのため、バリバリにのり付けされていて、動きにくかった。

外に出ると、株式会社しらみず と、書かれたワゴン車が置いてある。
なぜ、きじま でないのか、いつも疑問に思っていた。
ワゴン車に乗り込むと、エンジンをかける一城。
いつもと変わらぬ、聴き慣れない女性の歌が流れてくる。
「一城さん?」
「ん?」
「この歌の人って、声可愛いですね」
ニコニコしながら言う一城。
「だろ。俺の永遠の心の彼女だよ」
「永遠の?」
「おお、死んじまったからな」
「死んだ?」
「ああ、俺が17ん頃かな」
「そうなんですか」
「生きてたら、今は55かな」
「え?おば・・・」
と、口をつぐむ恵。
「あ、今お前、おばさんて、言おうとしなかったか?」
「え?違いますよ。まさかね~」
(あっぶね)
「もったいねえよなぁ、あんないい女」
「ふうん、で、歌ってるのは、誰ですか?」
勢いよく、かぶりついてくる一城。
「はあ?知らねえ?でしかも今さら?今さら聞く?知らねえの、泉ちゃん?ええ、マジで?」
知ってて当然のような言い方をする一城さん。しかも、圧倒的に向こうのほうが、うんとが着くほどの年上なのに、ちゃんづけって。
「はあ、知らないっす」
一城は、掌底でおでこを叩くと、あちゃあと顔をする。
「3rdの泉ちゃんだよ?ほんとに知らねえ?」
なぜ、そこまで熱弁する?
「知らないっすね」
ガックリと肩を落とす一城。
「これだけ、哀愁漂う子は他にはいねえな」
「へえ」
「へえじゃねえよ」
「はあ」
また、ガックリと肩を落とす一城。
「一目惚れってやつだよ。俺が15のときだったよ」
こんなに何かを熱く語る一城さんを見たのは初めてだった。
「学校帰りに、街歩いてたら流れてたんだよ」
言うと、何やら選曲を始める一城。
「この歌だよ。心の奥・・で、始まるんだけどな。good-b・・・て、曲で、初めて聴いた時は、鳥肌が立ってよ。マジで泣けた。それからは、俺の心の彼女なんだわ」
「へえええ、一城さんでも、惚れちゃう子がいるんですね」
「おいおい、まさるに言うみたいに言うなよ。ただ、出会いがないだけだよ。それよっか、しっかり聞いとけよ。マジ、泣けっから、この曲」
「はい」
いい歌だった。隣りでほんとに涙を流す一城さん。どんなことに、思いを馳せているのか。
そんな一城さんを、抱きしめたかった。

       ・・

「今日はな、立ち合いで、作業するから、粗相のないようにな」
「立ち合いですか?」
「うん、社長室の掃除だからな。といっても、扉の開閉に鍵が必要なだけなんだけどな」
「なるほど~」

依頼のあった会社に着くと、玄関前でショートの茶髪で私服と思われるベージュのシャツに白のショートスカートの子が立っていた。
車を止めると、一城さんは車を降り、女性に駆け寄るとお辞儀をした。
「おはようございます。しらみずの来島です。本日は、立ち合いありがとうございます」
「あ、はじめまして、株式会社郷田の才田咲さいたさきと申します。どうぞ、よろしくお願い致します」
あごをつまみながら、恵は、なにやら考える。
(待ってよ。しらみず、白水って、泉の字になるな。あっ、社名のしらみずって、まさかさっきの)
感心している恵。

「おい、おい、恵?何、してんだ。早く道具降ろしちまえ」
「あ、はい。すみません」
ワゴン車の後部ドアを開けて、道具を降ろし始める恵。
(あれ?今あの子、才田?って、言ってなかったかな?才田、まさかね)
パン いて!
資料を閉じたボードで、頭を叩かれる恵。
「こら、手が止まってるぞ。今日は、どうしたんだよ、恵」
「あ、ごめんなさい」

道具を、会社内に運び込むと、一城が呼ぶ。
そばには、才田と名乗る子が待っていた。
「お前も一応、挨拶しとけ」
「あ、はい」
胸ポケットから、名刺を取り出す恵。
「はじめまして、白羽根恵しらはねめぐむと言います。本日は、よろしくお願いします」
「才田咲と、申します。ご足労頂きありがとうございます」
名刺を互いに、受け取り合うと、俺の名刺を見ながら、何やら首を傾げている才田さんが口を開く。
「あ、あの、もしかして、恵くん? めぐみ & あゆみ の?」
それを、知る君は?
「あっ、咲ちゃん?才田咲?って、ええ」
うんうんと、ニコニコする咲。
「久しぶりだね。何年振りだろ」
「え?あ、何年ぶりだろね、あはは」
一城が二人のやりとりを見て
「なんだ、二人、知り合い?」
咲が説明を始める。
「はい、中学まで同じでした。幼馴染みたいなものですかね」
「そ、そだね。よく小さい頃は遊んだよね。そういえば」
「うん、おままごととか、お人形遊びとか、あとぉ、お医者さんごっことか」
一城が焦る。
「お、お医者さんごっことな?」
二人、顔を見合わせて、顔を赤くする。
しまったと、顔をする咲。
天然振りは、今も健在であった。
「ふ、振り、振りですから」
手をバタつかせて、必死に弁解する恵。
「ふうん、振りねえ。てか、恵、顔真っ赤だぞ」
あばばばば 狼狽うろたえる恵。
手のひらを顔に当て、熱を冷まそうとする恵。

なんだかんだで、社長室の荷物を出せるだけ廊下に出すと、洗剤を撒いてポリッシャーを回し始める一城。
汚水を回収する恵。
ただ待っている咲は、暇つぶしにと、ゆうせんを流している。
洋楽チャンネルだった。
そこに、hea・・のaloneが流れ始める。すっかり、懐メロになってしまった曲だが、いつ聞いてもいい曲だった。
恵と咲は、あっとして顔を見合わせる。懐かしいね と、無言のやり取りをする。
それを横目に、ニヤニヤする一城。

塗り終えたワックスが、乾くまで時間がかかるので休憩することになった。
「才田さん、何か飲まない?」
一城が、気を利かせて聞いている。
「いいんですか?」
「どうぞ」
一城が販売機にお金を入れると、好きなの選んでと、手をかざす。
ゴトン 落ちてきた飲み物を取る咲。
「ご馳走になります」
「どういたしまして」

喫煙室で、一人タバコをふかす一城。
壁の向こうの長椅子で恵と咲は、二人並んで楽しそうに会話している。
「まんざらでも、ないみたいだね」
笑みを浮かべる一城。

あっと、咲が何か思い出したように、立ち上がる。
「どうしたの?」
恵が咲に問いかける。
社長の部屋に、重要な書類をデスクに置きっぱなしにしたらしい。
窓は開けっ放しになっているから、もし床に落ちたら、くっついてしまう。
この事を、一城に説明すると慌ててタバコの火を消した。
慌てる一城。何を急ぐかって、先に咲が駆け出していたからだ。
塗り立てのワックスは、非常に滑りやすいからだ。
「待って、咲ちゃん、滑っ」
言い切る前に、社長室に駆け込んでいる咲ちゃん、きゃあ!
やった、と顔を覆う一城。
中を見ると、見事に尻餅を着いている咲。
入り口から、足跡と滑った跡が咲の足元まで伸びていた。
「ゆっくりね、ほんとに滑るから」
一城が、届かないながらに手を伸ばす。
ゆっくりと立ち上がる咲。
掴まれるところを見つけては、ジワリジワリとこちらに来る。
一城に引き寄せられ、咲は厚い胸の中に抱き止められる。
やっとのことで、部屋を出た咲。
お尻がワックスで、ぐっしょり濡れて、ピンク色のパンTが透けて見えていた。
背を向け目を背ける恵。
シャツで、隠しながら女子更衣室に向かう咲。
「才田さん、早く着替えて下さい。乾くと落ちにくいから」
「はい」
更衣室の扉が閉まる。
一城が恵の耳元で囁く。
「乾くと精子よりタチが悪い。バリバリになって、落ちないんだよ」
咲ちゃんのお尻に精子が着いたのを想像している恵。
「おい、顔、真っ赤だぞ」
一城が茶化す。言われた恵の顔が赤くなった。
乾き始めたワックスほど、修正の難しいものは、なかった。
下地のワックスと溶け交わる事で層を作るため、この場合、下地まで溶けて削れた状態になる。ワックスの層がそこだけ極端に薄くなり段差がきつくなってしまうのだ。
まずは、凹凸をなだらかにしなければならない。
「恵。ハンドパッド持ってきてくれ」
「何色ですか?」
「黒だな、一応、茶と赤もよろしく」
この色というのは、白から赤、茶、黒と荒くなっていって、中には水色や緑などもあるが滅多に使わない。
色が薄いほど柔らかいということだ。
一旦、塗ったワックスを完全に乾かしてから作業が始まる。
黒パッドを着けたポリッシャーで、ある程度削った後、一城と恵は、しゃがみ込んで床の段差の出来た部分を削っている。
「ごめんなさい、余計な手間をかけさせてしまって」
制服に着替えてきた咲は、股近くで手をモジモジさせながら、頭を下げている。
「いいんですよ。それより痛むとこないですか?」
一城が気遣う。
お尻を強く打っている咲は、お尻をさすっている。
「あとで、痛むかもしれないから」
「あ、はい」
咲は、優しく気遣ってくれる一城に、キュンとなっていた。
午前の仕事の予定が、午後を三時を過ぎようとしていた。
「才田さん、予定とか大丈夫?」
一城が腰に手を置いて尋ねる。
「特に予定もないので、平気です」
「そっ、ならいいね」
閉じた手を胸に当てている咲は、時折、一城を見上げては唇を噛んでいる。
恵は、キャスターの付いた扇風機を少しずつ動かしては乾いていない箇所に風を当てている。

        ・・

午後も七時になる頃、ようやく作業が完了した。
「いや、遅くまで悪かったね、才田さん」
「いえ、私が悪いんですから気にしないで下さい。それに今日は楽しかったし」
「ん?」
チラリと咲を見る一城。
道具を積み込んでいる恵。
「今度、飲みにでも行かないか?あいつも、一緒に」
「え?ほんとですか?ぜひ」
顔の前で、手を合わせる咲。
バタンとドアを閉じる恵。
「さあ、才田さん、乗って」
三人乗りの真ん中に座る咲。
左右を一城と恵が挟む。
お決まりの音楽が流れ始める。
「あ、これ、3rdじゃないですか。懐かしい」
咲ちゃんは、泉のことを知っていた。
当然、その話で盛り上がる一城と咲。
一人取り残される恵は、窓枠に肘を乗せ、外の夜景を見ている。
間も無くして咲の家の前で、ワゴン車が停まる。
「今日はお疲れ様でした。今度、飲みに連れてって下さいね」
「連絡するよ。と、恵?連絡先聞いとけよ」
恵に片目をつむる一城。
「あ、はい。さ、咲ちゃん、いいかな?」
「うん、もちろん」
連絡先の交換を終えると
「またな、才田さん」
「はい、でも、今度会った時は、咲って呼んでくださいね」
「お、おお、わかった。そうする」
うふっと、笑う咲。
「じゃあ、またね。恵くん」
「うん、またね、咲ちゃん」
走り出す車に手を振る咲。
見えなくなるまで、手を振っている。
角を曲がって見えなくなるワゴン車。
「行っちゃった」
手には作業完了報告書を持っている咲。
広げて見ると、緊急連絡先の欄に、一城の携帯番号が書かれていた。

ワゴン車の車中
「なかなか、いい子じゃないか」
「え?」
「隠すなよ。好きなんだろ?」
「え?いや」
「俺のことは、気にするなよ。誰を好きになろうが自由だ。独占しようなんて思ってねえしな」
「はあ」
「なんだよ、咲ちゃんのことが好きじゃねえのか?」
「好き・・でした。昔から」
「だろうと、思ったよ」
「少しも変わってなかったな」
「恵。お前もちゃんと恋愛してんじゃねえかよ」
「恋愛だなんて、ただの片想いですよ」
「片想いだって、立派な恋愛だよ」
「え?」
「思い切り悩んで、胸を焦がせよ。恵」
恵の胸をトンと叩く一城。
「あとは、思い切って飛び込むだけだ」
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