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七突き 人の弱さ

一城の弱さ

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新たに九人の新入社員が加わり、株式会社しらみずが、再始動する。
三人一組の三班に分かれ、それぞれの現場に出向く従業員たち。
相変わらず、一城と恵は、二人コンビだった。
古くなった愛車に別れを告げる一城。
「ここまで、共に築き上げてきた戦果を、俺は忘れないぞ。泉号」
側にいた恵が、眉をひそめる。
「泉号?」
ん?と、ワゴン車の社名を見る恵は、あるものを見つけた。
しらみずの、ずの少し斜め下に、泉号と小ちゃく小ちゃく、書かれていた。
「か、一城さん?」
まさかと思い、新車を見る恵。
やはり、そこにも、小ちゃく小ちゃく、泉二号 と、手書きで書かれていた。
(この人って、どこまで本気?)
走り去る泉号を、四つ這いになり、行かないでくれ~と、見送る一城。

それにしても、今度の新車はすごかった。
Bluetooth内蔵のため、スマホから飛ばして音楽が聴ける。
会話もそのまま、出来てしまうから驚いた。
これで、もう運転しなくて済むと、勝手に思い込んでいた恵。
変わらなかった。
助手席で腕を組む一城、スピーカーを通して会話の内容も筒抜けに、また、鉄ちゃんと呼ばれる人と下ネタ全開で会話をしている。
その間は、息を潜める恵だった。

流れている曲の途中で、一城さんのお気に入りのあの曲が流れ始める。
これって、着信にしてなかったか?
と、一城を見ると、普通に聞き入っている。
「一城さん、これ、電話じゃないんですか?」
「ん?」
一瞬、考える一城。
「あ、やっべ」
慌てて、通話に切り替える一城。
「あ、悪い、どうした?」
スピーカーから、聞こえる声は蓮実だった。
『あ、一城。今、病院から連絡があって、歩くんが・・・』
恵は、名前を耳にした途端、後の言葉が聞こえないほど驚いていた。
一城の顔を見る恵。
「行くぞ、恵」
「蓮実、悪いけど・・・」
一城が言い終わる前に蓮実が割り込む。
『もう、手配済みよ。早く行ってあげて』
仕事の引き継ぎを既に別班に連絡済みの蓮実。
「ありがとう、蓮実。別班によろしく」
『うん、私も行けたら行くね』
「悪いな」
『じゃ、後でね』
通話が終わると、元の音楽が流れ始める。今の一城と恵の耳に、泉ちゃんの歌声は届いていなかった。

        ・・

病院に着くと、走るように急ぐ恵と一城。
なぜか、恵の足取りは重かった。
歩に会うのが怖かった。
嬉しいはずなのに、何かに怯えていた。
ガラガラ
扉を開く恵。
音に反応して、咲が涙ながらに恵を見る。
「・・恵・・目を覚ましたよ」
恐る恐る歩に、歩み寄る恵。
「あ、歩」
やっと、出てきた名前。
外を一時停止のように見ていた歩が、声のした方を見る。
「ああ、めぐむじゃないか。なんだか、久しぶり」
男の歩が、そこにいた。
「う、うん、ひ、久しぶりだね、歩」
涙が止まらない恵。
そこに、一城が近づいてくる。
一瞬、固まる歩は、次の瞬間、何かに怯えて大声を張り上げ、手で振り払おうとする。
「わあああああ、来るな、来るな・・・お願い、来ないで、お願い」
コロリと女の歩に、変わってしまった。
両肩を抱くように、身を震わせ縮こまる歩。
咲が立ち上がると、一城の腕を掴む。
「一城さん、ごめんなさい」
頬を涙で濡らす咲は、そのまま、一城を廊下に連れ出す。
歩の豹変ぶりに、驚く一城と恵。
驚きのあまり、声にならない一城。
「え、あ、どうしたんだ?歩くん」
下を向く咲が、ゆっくりと顔を上げる。
「一城さん、ごめんなさい」
「え?」
「覚醒はしたんだけど、極度の男性恐怖症にかかってるの。一城さんなら、もしやと思ったんだけど・・・」
病室を見ると、男の医師や看護師はいなかった。
「目覚めてから、担当医が来た時も、あんなふうに・・・」
しかし、恵だけは別だった。
親友であることを認識しているようだった。
「認知症みたいなものだろうって、脳に障害が・・・」
口を覆い隠す咲は、言葉に出来ない。
「そんな・・・」
ショックを受ける一城。
病室の中では、優しく手を添えながら、落ち着かせようとしている恵。
「だから、今は、今は、一城さん、ごめんなさい」
一城の両腕を、震える手で掴む咲が懇願する。
ふっと、笑みを浮かべる一城。
「咲ちゃん、とにかく、目が覚めて良かったね。歩くんの側にいてあげて」
片手で、両の目の涙を拭う咲。
「で、でも、一城さん」
「俺のことは、大丈夫。外の空気でも、吸ってくるよ。今は、時間が必要だと思うから、ね」
「うん」
一城の首に腕を回す咲は、ギュッと、一城を抱きしめる。
それに、答えるように、抱き返す一城。
「大丈夫だから、さあ」
一城は、手で咲を送り出す。
「ありがとう」
手を振り、またねをする咲。

        ・・

喫煙所に向かう一城は途中、販売機を見つけると、缶コーヒーを買った。
外の喫煙所に来た一城は、内ポケットに手を差し入れる。
タバコを咥えると、火をつけて青い空を仰いだ。煙が一城の口から吐き出され風に流されていく。
その流れた先に蓮実がいた。
ベンチに腰掛ける蓮実。
下を向いたままの蓮実も、一城にかける言葉が見つからない。
「歩くんに、会ってきたわ」
うんとうなずく一城。
「・・・つらいわね」
口に当てた缶コーヒーを持つ手が止まる一城。
ため息とともに吐き出される煙。
「最近の記憶と過去の記憶が、入り混じってしまうらしいわ」
「記憶・・・か」
「うん、今まで、年輪のように積み重ねてきた記憶に穴が空く。空いた部分だけ記憶が欠落するから、つなぎ合わせても何かが抜けている。無理に繋ごうとして、過去と最近の記憶が入り混じる。そんなとこじゃないかな、と思うのね」
「・・・」
「それでも、根底にあるものは忘れない。信じていた男に裏切られたんですものね。深い傷となって残っているはず」
「複雑すぎるな」
「そうね、特に歩くんの場合、さらに複雑で、男から女に変わった二面性を秘めているから、尚更記憶が混乱するわね」
「どうしたら、いいかな?」
珍しく人に質問を投げかける一城。
「今は、その時が来るのを待つしかないと思う」
「いったい、それっていつなんだろう?」
「一城・・・それは、私にもわからないわ」
空を仰いだままの一城。
「蓮実なら、なんでもわかりそうだけどな」
「んふっ、買い被りすぎよ。私だって、皆と変わらないわ。ただの一人の女」
拳を握り、小刻みに震える一城。
その手を放って置けない蓮実は、一城の震える手を握る。
「一城、あなたのせいじゃないのよ?わかってるでしょ?」
「わかってるさ、わかってるけどさ、蓮実」
ゆっくりと立ち上がる蓮実は、そのまま、一城の前に回り込む。
一城の涙が、蓮実の母性をくすぐる。
一城の頭を抱えるように腕を回す蓮実は、自分の胸の中に一城を沈める。
「大丈夫、大丈夫よ、一城」
胸に抱いた一城の頭に、口付けをするように顔を寄せる蓮実。
一城の口から嗚咽が漏れる。
弱さを見せてくれる一城が、蓮実は嬉しかった。
「ほんとに優しい人ね、一城は」
少し茶化すように蓮実が言う。
「泣いてもいいんだよ」
「・・ざけんな、泣かねえし」
「んふっ、そうだね。わかった」
たまりかねて、嗚咽が声になる一城。
蓮実にすがるように、子供のように声を出して泣いた。
それを、黙って受け止めている蓮実。
他人のことで、涙を流せる一城を昔からよく知っている蓮実は、泣かせ上手だった。
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