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「暖房も、もうそろそろいらないわね」
ニナが石油ファンヒーターのスイッチを切った。
午後九時を過ぎている。サクヤは会社の歓送迎会からまだ帰っていない。
ニナはブラウスにアイロンをかけ、ピーターは山の写真集を眺めている。
TⅤもつけてみたが、すぐ消してしまった。
静かな部屋の中で、壁時計のこちこち言う音だけが響く。
ニナが口火を切った。
「モーリスの件、聞いたわ。本当だったのね」
「・・・ああ」
「ベテランの彼が・・・。驚いたわ」
「これで〝40〟の件と合わせて、サクヤは二件摘発した事になる」
「摘発だなんて。まるで彼が監視員みたいに言うのね」
「こんなケースは初めてなのさ。自分に課された責務を全うしつつ、不適格者を告発するなんてな」
「いい事じゃない。それが上の狙いなんでしょ。それに普通ならそんな行動は世間一般どこでも見られるものよ。正義感という名目で」
ピーターは本を閉じ、ニナの方を見た。
「ニナ、僕等は〝普通の事〟をやっているんじゃない」
「・・・・・」
「だから上は疑い始めている」
ニナはアイロンをかける手を止めた。
「何ですって? 」
「完璧すぎる、とね。唯一の成功例だと言うのに。自分がかぼちゃの種を蒔いておいて、できたかぼちゃを違うと言ってるのさ」
「そんな」
「ああ。上も上さ。でも僕は、彼等の言い分も少しは分かるんだ。一つの物語をひたすら読み進んで行く。それも極秘で、監視と言うおまけ付だ。やっている事は単純そのものだが、簡単な事こそできないものだ。普通はこんな理由のわからない事をずっとやっていれば必ず疑問を持つ時が来る。何故こんな事を自分はしているのか。目的は何なのか、とな。そうしていつかは真実を知りたい誘惑に負ける。そうだろう? 」
「そう・・・ならない人もいるかもしれないわ。だって、そのための実験でしょう? 」
「そう上から聞かされていたけどな。でも僕は、この実験は実は逆の狙いがあるんじゃないかと思うんだ。事実、最近そのような情報も聞いている」
「逆の狙い? 」
ピーターは言い淀み、顎をさすった。
「・・・つまり、この実験は失敗する事を前提として始められたんじゃないか、と」
「・・・そんな」
「頭でどれだけ理解していても、ふとした事で誘惑に負けてしまう。人間はそういう生き物なのさ。それなら、それはいつ、どこで、どうやって起きるのかとね」
「そんな・・・。それじゃあ、三十九人の子供達は・・・」
ニナの目は宙を泳いでいる。ピーターはそんな彼女を哀しげに見つめた。
「予想通り、〝失敗〟した。しかし例外が一人だけ残った。サクヤだ」
「・・・・・」
「四十人の子供達を同じ条件下、同じ境遇で育てたにも関わらず、彼はたった一人残った。しかし例外は存在し得ないんだ。とすると、他に考えられる理由は一つ。彼は既に真実を知っているか、だ」
「サクヤは、あの子は知っていると言うの? 」
「ああ。そう考えると今までの彼の行動全てが納得できる」
ニナがアイロン台をどん、と叩いた。
「うそよ! 39の事を、何もかも知っているって言うの? いいえ、そんなはずはない。そんなわけないわ。・・・じゃあ、何故できるの。何故あの子は・・・、あの子は39を読み続けているのよ!? 」
「ニナ、君・・・」
「ピーター、私もうだめ、限界よ。あなたの仮説が正しいとしても、当初の計画通りだとしても、そんな事どっちでもいいわ。__私は信じてきたのよ。でもお国の為なの!? これが!? 三十九人もの子供を犠牲にして!! サクヤだって、いつか、いつか・・・」
「ニナ」
ピーターが立ち上がり、興奮するニナの肩に手を置こうとしたが振り払われた。
「どうせ、どうせ私はあなたみたいにドライじゃないのよ。でもね、血はつながっていなくても、あの子が産まれた頃からずっと育ててきたのよ。普通の母親のように、抱きしめたかったけど、もっと甘やかしてあげたかったけれど、ぐっと我慢してきたわ。実験に成功するようにって。そうして将来、国を背負って立つ立派な子になるようにって。でも・・・。もうそんな事どうでもいいのよ! サクヤが幸せになってくれれば。でもこんな状態であの子は幸せなの!? 親なら子供の幸せを願うのが当然だわ。あの子は、あの子は私の子なのよ!!」
「わたしたちの子だ!!」
ピーターが大声を上げた。
ニナが、びくりと体を震わせ、目を大きく見開いてピーターを見つめた。彼が大声を上げるのは今まで一度も聞いた事がなかった。
「もういいんだ、もう・・・」
ピーターは、顔を両手で覆い、しばらくの間じっとしていた。
「分かっている、分かっているんだ。__サクヤに、本当の事を話そう・・・」
ニナが石油ファンヒーターのスイッチを切った。
午後九時を過ぎている。サクヤは会社の歓送迎会からまだ帰っていない。
ニナはブラウスにアイロンをかけ、ピーターは山の写真集を眺めている。
TⅤもつけてみたが、すぐ消してしまった。
静かな部屋の中で、壁時計のこちこち言う音だけが響く。
ニナが口火を切った。
「モーリスの件、聞いたわ。本当だったのね」
「・・・ああ」
「ベテランの彼が・・・。驚いたわ」
「これで〝40〟の件と合わせて、サクヤは二件摘発した事になる」
「摘発だなんて。まるで彼が監視員みたいに言うのね」
「こんなケースは初めてなのさ。自分に課された責務を全うしつつ、不適格者を告発するなんてな」
「いい事じゃない。それが上の狙いなんでしょ。それに普通ならそんな行動は世間一般どこでも見られるものよ。正義感という名目で」
ピーターは本を閉じ、ニナの方を見た。
「ニナ、僕等は〝普通の事〟をやっているんじゃない」
「・・・・・」
「だから上は疑い始めている」
ニナはアイロンをかける手を止めた。
「何ですって? 」
「完璧すぎる、とね。唯一の成功例だと言うのに。自分がかぼちゃの種を蒔いておいて、できたかぼちゃを違うと言ってるのさ」
「そんな」
「ああ。上も上さ。でも僕は、彼等の言い分も少しは分かるんだ。一つの物語をひたすら読み進んで行く。それも極秘で、監視と言うおまけ付だ。やっている事は単純そのものだが、簡単な事こそできないものだ。普通はこんな理由のわからない事をずっとやっていれば必ず疑問を持つ時が来る。何故こんな事を自分はしているのか。目的は何なのか、とな。そうしていつかは真実を知りたい誘惑に負ける。そうだろう? 」
「そう・・・ならない人もいるかもしれないわ。だって、そのための実験でしょう? 」
「そう上から聞かされていたけどな。でも僕は、この実験は実は逆の狙いがあるんじゃないかと思うんだ。事実、最近そのような情報も聞いている」
「逆の狙い? 」
ピーターは言い淀み、顎をさすった。
「・・・つまり、この実験は失敗する事を前提として始められたんじゃないか、と」
「・・・そんな」
「頭でどれだけ理解していても、ふとした事で誘惑に負けてしまう。人間はそういう生き物なのさ。それなら、それはいつ、どこで、どうやって起きるのかとね」
「そんな・・・。それじゃあ、三十九人の子供達は・・・」
ニナの目は宙を泳いでいる。ピーターはそんな彼女を哀しげに見つめた。
「予想通り、〝失敗〟した。しかし例外が一人だけ残った。サクヤだ」
「・・・・・」
「四十人の子供達を同じ条件下、同じ境遇で育てたにも関わらず、彼はたった一人残った。しかし例外は存在し得ないんだ。とすると、他に考えられる理由は一つ。彼は既に真実を知っているか、だ」
「サクヤは、あの子は知っていると言うの? 」
「ああ。そう考えると今までの彼の行動全てが納得できる」
ニナがアイロン台をどん、と叩いた。
「うそよ! 39の事を、何もかも知っているって言うの? いいえ、そんなはずはない。そんなわけないわ。・・・じゃあ、何故できるの。何故あの子は・・・、あの子は39を読み続けているのよ!? 」
「ニナ、君・・・」
「ピーター、私もうだめ、限界よ。あなたの仮説が正しいとしても、当初の計画通りだとしても、そんな事どっちでもいいわ。__私は信じてきたのよ。でもお国の為なの!? これが!? 三十九人もの子供を犠牲にして!! サクヤだって、いつか、いつか・・・」
「ニナ」
ピーターが立ち上がり、興奮するニナの肩に手を置こうとしたが振り払われた。
「どうせ、どうせ私はあなたみたいにドライじゃないのよ。でもね、血はつながっていなくても、あの子が産まれた頃からずっと育ててきたのよ。普通の母親のように、抱きしめたかったけど、もっと甘やかしてあげたかったけれど、ぐっと我慢してきたわ。実験に成功するようにって。そうして将来、国を背負って立つ立派な子になるようにって。でも・・・。もうそんな事どうでもいいのよ! サクヤが幸せになってくれれば。でもこんな状態であの子は幸せなの!? 親なら子供の幸せを願うのが当然だわ。あの子は、あの子は私の子なのよ!!」
「わたしたちの子だ!!」
ピーターが大声を上げた。
ニナが、びくりと体を震わせ、目を大きく見開いてピーターを見つめた。彼が大声を上げるのは今まで一度も聞いた事がなかった。
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