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第一章

ギルドではよくある話

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「おはようございますー」

 異世界に来ても、変わらず続く出勤風景。
 違いがあるとすれば、昼飯までに顔を出せば良いところ。

「あれ、誰も居ない……?」

 少し早くに来てしまったかと、アドラーはギルドが借り上げる木造2階建ての”ギルドハウス”に入る。

『やはり……先日のギルド戦の結果がショックだったか……』
 アドラーは思い返す。

 通称ギルド戦、正式名称は『グラーフの地下迷宮の共同探索期間』である。

 半年に一度、グラーフ山にあるダンジョンが解放される。

 ギルド、クラン、サークル、同志会などなど呼び名は様々あるが、同じような冒険者や探検者の集団がダンジョンに潜る。

 そこで得た収益と経験と名声がギルドの財産になるのだが……アドラーの所属ギルド『太陽を掴む鷲』は、前回でシード権を失った。

「にしても、誰も居ないってどういうこと?」

 アドラーはわざと大きな声を出したが、一切の反応がない。
 自分だけ置いていかれたかと、ギルドの連絡板を見ても何も貼り出されてない。

 クエストの一つもないのは異常だったが、アドラーは無理やり不安をねじ伏せた。

「まあいいか。ドリーの世話でも、するぞ?」
 もう一度大きな声を出して、アドラーは裏庭に出た。

 裏庭では、ロバのドリーが待っていた。
 やっと見慣れた顔を見つけたアドラーが気さくに話しかける。

「よう、ドリー。相変わらずぶさいくだなあ」

 働き者のメスのロバは、アドラーの言葉が分かったのか不愉快そうに鼻を鳴らす。

「すまんすまん。今、餌を出すからな」

 アドラーは干し草と野菜くずを混ぜたものを与えて、ドリーの体をボロ布でごしごし拭きあげる。
 その合間にも、ロバに向かって話しかける。

「ドリー、みんなが何処に行ったか知らないか?」

 ドリーは質問を無視して餌を食いながら、後ろ足をひょいっと上げた。
 蹄も綺麗にしろとの催促だった。

「そうか、知らないか。まあ俺と一緒に昨夜戻ったばかりだもんな」

 アドラーはギルド戦の後、団長のギムレットに使いを頼まれた。
 ギルドが貯蔵する武具を売ってこいと。

 ギルド戦のシード権を失うと、次回から厳しい予選に出ねばならない。
 その期間は稼ぎもないし、ギルドの格が落ちたことで依頼や新人集めにも影響が出る。

 長年集めた武器と人材がギルドの固有資産、それを手放すのは、先々の苦境への備えだろうとアドラーは思っていた。


 アドラーが武器売却を任されたのには、一応の理由がある。
 彼が現在使える最も強力な呪文――<<全体強化・特大>>。

 本来なら主力部隊に配置される能力なのだが……この大陸では効きが悪かった。
 ただし動物には、ばっちり効いた。

 個人や武器が持つ強化の上から、さらに別枠で乗算200パーセント。
 一軍の戦闘力を3倍にまで高める最高峰の魔法は、ロバ専用になっていたのだ。


 アドラーが3つめの蹄から土をほじくり出していると、表のドアが開いた。

「良かった、誰か来た!」
 アドラーが窓から覗くと、やってきたのはミュスレア。

 クォーターエルフで尖った耳と釣り上がった目が印象的な少女風、この大陸で行き倒れかけたアドラーを助けてくれた恩人。

「ミュスレアさーん!」
 アドラーが窓越しに手を振るが、クォーターエルフの娘はそれを無視して二階に駆け上がる。

「二階? 団長室?」

 口を空けて二階を見上げたアドラーの視線の先で、団長室の窓が開く。
 ミュスレアが一度顔を出すが、元々キツめの顔がさらに険しくなっていた。

「はー、やっぱり美人だなあ」
 青い空と古い木造建築とエルフ耳、これ以上ない組み合わせだとアドラーは確信した。

 だがミュスレアはすぐに引っ込むと、両手に紙の束を抱えてまた顔を出す。

「アドラー、これを見ろ!」
 ミュスレアが裏庭に紙をばら撒いた。
 三十とも四十とも知れぬ手のひらサイズの紙が舞い散る。

『紙は高いのに、汚れたらどうするつもり……ん?』
 一枚を拾い上げたアドラーの目に、とある文字が飛び込んだ。

 ――退団届け――

 どの紙も、団員達の退団届けだった。
 ギルドのトップアタッカー、貴重なヒーラー、メインタンク、ローグ担当、サモナーにメイジ、さらに事務員まで主要メンバーの名前がことごとくある。

 そして団長のギムレットの名まで。
 魔法のペンで書かれた署名の下に、さらにこうあった。
『次期団長は幹部のミュスレアに任せる。よろしく頼む』と。

「空が、青いなあ……」
 三分ほど現実逃避したアドラーは、この名門の冒険者ギルド『太陽を掴む鷲』が、シード陥落から3日で崩壊した事を悟った。

 にゃあ! と一匹の猫が立ち尽くすアドラーの肩に飛び乗る。

「……バスティ、お前も置いてかれたのか」
 アドラーは、ギルドの守り猫をじっと見つめながら言った。

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