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6話 男・デレ
しおりを挟むそして時は流れて、春が訪れた。
春の暖かな日差しが降り注ぐ外と同じく、穴の中でも穏やかな空気が満ちていた。
「ほーれ、ほれほれ、キョウよ。お前も一段と舌使いがうまくなったのう。くふふふ……」
常のように己の股を舐めまわしている男を、銀狐は上機嫌に撫でてやっていた。そこには害意など欠片も見られない。男を暴虐の嵐で蹂躙したことなど、まるでなかったかのような振る舞いであった。
「ああ、ありがたく」
そして男はというと、銀狐の手厚い介抱の甲斐あって全快していた。すわ飢者髑髏の妖魔か、とでも言うべき痛ましい姿はもうなく、舌の動きも軽快であった。
ただ一つ、銀狐に潰された右目だけがかつての痕跡を残していた。
「くくく……良い面構えになったのう」
戯れにその目元に触れてやれば、男は恐れることなくそれを受け入れる。そしてからかうように尾の先で突いてみせると、男はまぶたを開いて銀狐にその目を見せる。
その瞳は銀色に変じていた。
「月なき夜。星なき空の下でも常に光が、汝を見守ってくださるようにじゃ。くくく……己の行く先も見えんお前には相応な贈り物じゃろ?」
潰された目は銀狐のおかげで直っていた。
さらに銀狐の大盤振る舞いによって、夜目も利くようになったという恩恵つきである。たとえ目の色が少しばかり変わったとしても、それは些細な問題であった。
男は銀狐の慈悲に、ただ感謝していた。
「無論だ。感謝しているぞ――アサギ」
「そうじゃ、そうじゃ、人生万事が一切皆苦。されど山の頂は常に天にありじゃ。わらわの懐の広さにお前も報恩謝徳することじゃな」
「……うむ」
さらに銀狐は男の望みを叶え、その名を呼ぶことも許してくれていた。口にして良いのは日に一度だけであったが、男にとってはそれで十分であった。逆に自由に呼び掛けて良いと言われていたら、見限られたと心中穏やかでいられなくなっていたに違いない。
銀狐の言動は男にとってはよくわからないことが多かったが、それでも長らく同じ時を過ごしていたおかげで……やっと男は銀狐のことを理解でき始めていた(買いかぶり)
「そーれ、頑張れ頑張れキョウよ。くっくっく」
そしてその日の男の一日は、いつものように銀狐の股を舐め続けることで終わった。
そしてその夜、男は銀狐の尾に包まれていた。
これもいつものことであり、冬の寒さから男を守るために銀狐がしてくれていることだった。朝日が昇るまでの間は、銀狐が男を温めてくれる。
だが冬も終わって寒さも和らいでいる。じきに銀狐の手助けも必要なくなり、なくなっていくだろう。
(こちらと同様に……)
男は闇の中で顔を上げて、前を見据えた。
銀狐の股の布は大半が落ちていた。普段はきゅっと締まっているが時折ひくつく尻穴や、ふっくらとした陰部の真ん中の一本線も右目でならよく見える。
股布の残りは指二本分といったところで、このままなら一季節分ほどもすれば完全に落としきる事ができるだろう。
落とし切ったら最後に、銀狐に己の望みを伝える。
それで終わりである。
男も自分が、何を望むのが正しいのかはわかっている。
(……馬鹿馬鹿しい)
自嘲して男は目を閉じる。
そのまま銀狐の尾に頭を預けると、柔らかな尾は拒絶することなく男を受け止めて、隙間なく包み込む。まるで赤子に対するような優しげな扱いであった。
男には経験がないが、母の揺り篭に揺られる子とはきっとこのようなものなのだろう。
(退魔師として叩き潰され、子ども扱いをされて、小生意気なことをほざけば今度は赤子扱いか……仏の顔も三度までと聞くが、もうこの次などあるまい……)
最後に慈悲を乞うなら、己の死を望むべきであろう。
死は救いである。
己の人生が過ちであったことを受け入れて、来世を臨むのが銀狐の指し示す正しい道なのであろう。
が、それを望むのは間違いである。
なぜなら男はまだ銀狐の恩に報いていないのだから。
(たとえ不義理で恥知らずであっても生きねば……)
近い内に消え去ることを予期しながらも、今はその温かさに包まれながら男は眠りへと落ちていった。
……なにはともあれ、己の命に頓着がなかった男は、ようやく己の生きる理由を見つけていた。
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