聖女候補の姫君は初恋の騎士に純潔を奪われたい

新月蕾

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第35話 旅立ち

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 稽古後、アルフレッドも伴って、ベアトリクスとランドルフは離宮の庭の奥へと足を踏み入れた。

 庭師によってキレイに手入れされた花々の間を通り抜ければ、そこには池があった。

「おお……わりと大きいですね……」

 深くはないが、広さのある池にランドルフは感嘆の声を漏らした。

「夏はここで水遊びをするのが楽しみなのです! ランドルフ殿と遊べるかは……旅の日数によりますね……」
「ヘッドリー領まで片道馬車で7日はかかりますからね……」

 ランドルフは自分が辿ってきた旅路を思い出して、そう答えた。

「そんなに! お姉様は最低でも6泊はされるのですね……!」

 行く先々での宿泊を思うだけでベアトリクスは緊張を感じた。
 慣れないところで自分は眠れるだろうか?
 宿はキレイだろうか?

「……旅が楽しみです。俺は」

 ランドルフは微笑んだ。

「ヘッドリー領からの行きの一人旅は、少し心細かった。いくら伯父がいるからって、他に頼るものもいない王都への旅は不安でいっぱいでした。でも、こうしてアルフレッド殿下に、ベアトリクス姫殿下に出会えました。だから、きっと旅の向こうにはいいことがありますよ」
「そうですね。そうだといいですね、お姉様」

 アルフレッドがベアトリクスに微笑みかけた。

「……そうね、きっと、きっと良い出会いがあるわ」

 ベアトリクスはうなずいた。

 昼は池のほとりに敷物を広げ、食事を運ばせてそこで楽しんだ。
 穏やかな時を過ごし、アルフレッドは午後の講義へと向かった。



 そうして1週間が経った。
 ベアトリクス出立の日が来た。

 サラは目に見えて落ち着きをなくしていた。

「ああ、どうか、どうか、私がいないからって羽目を外しすぎませんようにね。赤いドレスはこちらに、青いドレスはこちらに、緑のドレスはこちらに……ええと、それから……」
「大丈夫、大丈夫よサラ。アリスも一緒に詰め込んでくれたのでしょう?」

 アリス、この旅に同行する若い侍女にベアトリクスは訊ねる。

「は、はい!」

 アリスの声は見るからに裏返っていた。
 ベアトリクス姫のお付きになる。その重大事に緊張が隠せていない。

「……大丈夫かしら……」

 ベアトリクスは苦笑した。

 ランドルフもまた落ち着かない様子でソワソワと腰の剣に手を添えていた。
 旅に同行する衛士たちとは1週間の間で交流を深めていた。
 ベアトリクスを守る算段はジョナスの指導の下、ついていた。

「さあ、ランドルフ、行きましょう……アルフレッド殿下、しばし離宮を離れることをお許しくださいませ」
「はい、行ってらっしゃいませ、お姉様。クレア・サーヴィス嬢によろしくおねがいします」

 アルフレッドは立派な離宮の主人として振る舞っていた。

「ああ、サラ、アルフレッドのことほんとうによろしくね!」
「はい、何があってもお守りします」
「じゃあ、行って参ります!」
「ランドルフ殿! お姉様をお願いします!」
「はい!」

 ランドルフは背筋を伸ばし、馬車に乗り込んだ。
 馬車にはベアトリクスとアリス、もう一人の侍女、そしてランドルフが乗り込んでいる。

 今回のランドルフはベアトリクスの護衛と言うよりは、貴族の末息子として、ベアトリクスの案内人という側面が強く、馬車の中に乗り込むことを許されていた。

「ああ、離宮が離れていく」

 ベアトリクスはどこか心細そうに呟いた。
 その手をランドルフは握り締めた。
 どうせアリスももう一人の侍女も最初からベアトリクス付である。
 二人の関係は目撃している。

「……ありがとう」

 頬を染めてベアトリクスはランドルフに囁いた。

 王宮の側を通るとき、彼女たちは一人の男の姿を見た。
 ローレンスが優雅に手を振っていた。

「……お兄様」

 ベアトリクスが複雑そうな表情を見せる。
 ランドルフはベアトリクスの目を塞いでしまいたい衝動に駆られたが、自分を抑えつけた。

 こうして彼らの馬車は王都を離れ、北への旅へとその足を進めた。



 最初の宿はファーバー子爵家であった。
 すらりとした初老のファーバー子爵は額に汗をかきながら、ベアトリクスを迎え入れた。

「お初にお目にかかります、ベアトリクス姫殿下。この土地を治めておりますファーバーと申します。どうぞ、ごゆるりとお過ごしくださいませ」
「ありがとう、ファーバー子爵。こちらヘッドリー辺境伯の三男坊、ランドルフ・ヘッドリーです」

 ベアトリクスの紹介にランドルフは深々と礼をした。

「王命通り夫婦用の客室を用意しております。ランドルフ殿もどうぞ、おくつろぎください」
「お気遣い感謝します」

 王命。ローレンスはベアトリクスとランドルフを夫婦と同様に扱えと通達していた。
 王から認められた関係。
 自分はもはや愛人ではないのかもしれない。
 ランドルフはようやくそう思えた。

 与えられた部屋のソファに体を預け、ベアトリクスはため息をついた。

「ふう……ファーバー子爵の緊張されっぷりと来たら、こちらまで緊張してしまうわね、ランドルフ」
「俺にはファーバー子爵の気持ちが分かりますよ。俺だって自分の家に姫様がいらっしゃったら、ああもなります」
「そう……そうね、そうかもねえ」

 ベアトリクスは理解しがたいという顔をした。

 与えられた部屋は夫婦の部屋とは言え、ベッドは別々であった。
 隣には使用人控え室があり、アリス達はそちらに控えている。
 その他の衛士たちは野営である。

「……ああ、冬の旅ではこうも行かないわね……」
「そうですね……」

 ヘッドリー領には戦争の名残で大きな雑魚寝の出来るスペースがある。
 おそらく今回の旅に同行してくれた衛士たちを収納してもありあまるだろう。
 しかし行く先々の貴族の屋敷ではそうもいかない。

「……いっそ、雪の季節までお邪魔しましょうか、ヘッドリー領。なんてね、アルフレッドが寂しがるわね」
「はい」
「うふふ、こんなに長時間馬車に乗るのは初めて」
「お疲れですか?」
「少しね、それに人様の屋敷にお泊まりに行くのも初めてだわ。当たり前のことだけど、他人の部屋って私の部屋と全然違うわね」

 ベアトリクスは部屋を見渡した。
 今日のために飾られているのだろう大きな花瓶の中のバラがまぶしかった。

「……姫様の初めてを共有できること、幸福に思います」
「……そうね、私もランドルフと来れてよかった。さあ! 夕食が楽しみね!」
「……はい」

 ふたりは笑い合った。
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