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第一章 黒井令一郎(14)三毛猫になる

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「――おはよう」
「……にゃあ」

 少女は目を覚まし、隣に寝そべる三毛猫に話しかける。
 三毛猫は躊躇うように生返事を返し、ぷい、と彼女から目を逸らす。

「ふふ」

 少女は笑い、その頭を撫でる。
 その時彼女の胸の辺りを一瞬覗いていた黒猫は、再びぷい、と嫌そうにそっぽを向く。
 それを見て彼女はベッドから起きて、窓際に立ち、カーテンを開けた。
 彼女の長い黒髪は窓からの陽光を受け、艶めき輝いている。

「良い天気よ、アイス」

 アイス、と呼ばれた彼女の猫は反応しない。彼女に背を向け、ただ、起こされたくないのかベッドの中に潜り込んでいた。

 ※※※

「――」

 目が覚めて、最初に目に入ったのは、少女の顔だった。
 端正な細い顔立ち、細い眉にスラッと通った鼻筋に――薄いピンク色の唇。

(夢?)

 僕は最初にそう思った。それと同時に驚いた。
 引きこもりの僕に、こんな美しい少女の顔を想像する妄想力があったことに。
 彼女の髪の毛先が僕の顔に当たる。
 くすぐったい反面、なぜかそのこそばゆさがちょっとだけ気持ち良い。
 そんなことを思っていたら――不意に彼女の瞼が開き、僕の心臓は一瞬飛び出そうになった。

「――おはよう」
「……にゃあ」

 驚いて何か喋ろうとしたら、まるで猫の真似声が出てしまった。なんだ、にゃあ、って。
 寝起きの彼女の大きく見開かれた瞳は――深い綺麗な碧色をしていた。

(外人? いや、でも日本語を喋っているよな?)

 暫く見つめているとその瞳に吸い込まれそうになり、僕は彼女から目を逸らす。

「ふふ」

 少女は優し気な声でそんな僕を笑う。そして――僕の頭柔らかな感触が遅れてやってきた。

「――」

 撫でられている。
 わしゃわしゃと、少女に、僕の頭が。

(手――おっきいな!?)

 激しく揺さぶられた僕の視界はちょうど偶然にも、彼女の胸元を見てしまった。

(……)

 薄紅色のパジャマの上からふっくらと盛り上がるそれを見て――顔が熱くなる。
 耐えきれなくて彼女の手から逃れるように、僕は頭を振り払い横を向く。
 すると暫くして、僕の横で彼女が立ち上がり、窓際へと向かっていく。
 彼女は光が漏れるカーテンを強く開け放つ。僕は――思わずベッドの中に潜り込んだ。

「良い天気よ、アイス」

(アイス? 何だ、良い天気だからアイスが食べたい……のか?)

 混乱する頭の中で、物音だけが布団越しに響く。

「まったく、昨日も夜遊びし過ぎたのかしら?」

 呆れるような声で彼女は言う。

「それじゃ行ってくるわね、アイス」

 その声と共に、バタン、とドアが閉まるような音がした。僕は――恐る恐る、ベッドの隙間から顔を出す。

(リアルな――夢だな)

 本当に驚く。
 声の響きや、その彼女の現実感のあるディテールに。

(思わず光が差し込むから、逃げたけど――)

 反射的に僕は陽の光を避け、ベッドの中に逃げ込んでいた。

(夢なら――大丈夫だよな?)

 引きこもりが長くなり、習慣になっているその動作に僕は少し落ち込む。
 いくらなんでも、こんな時までそんなことをしなくてもいいのに、と。
 僕はベッドから恐る恐る忍び出る。
 ぴょいん、と意を決しベッドから飛び降りると――

「にゃ?」

 あれ? 何か縮尺が――おかしくないか? 少し、いや、かなり周囲の物が大きく見える。窓ってあんなに高いところにあったっけ?
ゆっくりと、その窓際に向かって歩いていく。

 自然と、鼓動が早まる。
 落ち着け、僕。
 窓際まで来て、影から陽の光を踏む。
 そう――手を伸ばし……ん?

「にゃ!?」

 見えた手と、出た声が『一致』する。
 そう、猫のような丸い手と、猫のような――じゃない!?

「ニャああああああああ!?」

 僕は驚きのあまり、ひっくり返った。
 そして、部屋の隅にあった、姿見鏡と目が合った。

(猫!? 僕、猫なの!??)

 そう、姿見に映ったのは間の抜けたように大口をあけた、三毛猫の顔であった。

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