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第一章 黒井令一郎(14)三毛猫になる

プロローグ

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 目覚めると暗い。それは僕の人生、そのものだった。

 ベッドから身を起こし、サイドテーブルにあるリモコンで薄灯りを付ける。
 サイドテーブルを見ると、僕のスマホにLINEの着信が入っているのか、緑の光が明滅している。手に取り、起動してみると、案の定それは叔母さんからのものだった。

『ご飯は冷蔵庫に入っています。それと担任の落合先生が来ました。メモを預かってます。』

 端的に必要なことが書かれているのを確認すると僕は部屋を出た。
 中学校の担任である落合静香はお節介な性格で、暑中見舞いも年賀状も送って来ていた。有体に言えば『早く学校に来るべきだ』としか書いてない。それ以外は自分の担当が理科だとか、早く一緒に実験しましょうだとか、どうでもいいことやメモを残していく。
 僕にとっては――本当に無駄なことだったので、すぐにそちらの連絡に関しては忘れることにした。
 暗い廊下を進み、リビングに辿り着く。
 ドアを開けると、そこも――薄暗いままだ。
 締め切られた窓とカーテンを確認すると、僕は冷蔵庫を開ける。
 叔母の言った通りカレーの入ったタッパーを取り出し、必要な分を取りレンジで温める。
 レトルトのご飯パックも次いで温め、両方を白い皿に盛り、僕は小さなガラスのちゃぶ台にそれを乗せ床に座り、銀のスプーンで大きな塊を掬い、口へと運ぶ。

 新じゃが――使ってくれたのか。

 僕の今年の自信作は、ほっこりと美味しく仕上がっていてそれだけで満足した。

「ご馳走様でした」

 乾いた僕の声が部屋に響く。
 食器を片付けた後、自室に戻った。
 僕は部屋の右手にある無骨な学習机に座り、今日の分の自習を始めた。
 範囲は高校のものだ。
 しかし、僕は未だ、中学2年生の男子である。
 少しだけ先取りして僕は進められるだけ勉強を続けている。
 僕は高校へは行かない。
 高卒の資格認定を受けて、大学受験をするつもりだった。
 僕は現在中学校には通わず、こうして毎日をこの暗い家に一人で過ごしている。

「あ、いけね」

 僕はスマホを取り出し、カレーを作ってくれた後見人の叔母にLINEをする。

『カレー美味しかったです。ありがとうございました』

 普段は何も言わない叔母だが、ある程度の報告を怠るとそこだけは注意された。

『生きているのかどうかだけはちゃんと知らせなさい』ということらしい。

 ――カリカリ。

 ペンの音だけが部屋に響く。午前三時――スマホの時刻を確認し、僕は一旦ペンを置いて伸びをする。
 勉強と軽い運動、時々読書、それ以外のことはほとんどしない。
 この家にはTVも固定電話もパソコンもゲームも置いていなかった。
 外と繋がるものは――このスマホだけ。
 叔母が不便だから、とWifi環境だけは整えていったが、それだけだ。
 ゲームアプリも入れてない。LINEの相手も叔母だけ。
 いっそ世界は僕と彼女だけなのではと錯覚しそうになるが――参考書がここに存在しているということが僕の他の学生の存在を意識させてくれる。
 そっと席を立ち、ふと魅かれるように窓際に向かう。
 窓に掛った黒い分厚いカーテンを僅かに開けて、その隙間から外を覗き見る。
 二階から見える夜空には三日月が輝いている。
 周囲の家の灯りはもうすべて消え、街灯だけが誰もいない道路を照らしている。
 僕は自分の通うはずだった中学校のある方を眺める。
 しかし、暗くなにもわからなかった。


 そんな時――家の塀沿いに、何かうごめく影を見つけた。


 それは、一匹の三毛猫だった。

 橙黒白の三色の猫がうちの塀の上に立ち、小さな尻尾を振りながら隣の家の方へと歩いていく。
 普段なら見過ごしそうなその猫は――なぜだか僕の目を引いた。
 猫は塀の端に立つと、背筋を天へと伸ばすように、光り輝く満月を見上げた。
 伸ばした首には赤い――首輪が見えた。
 飼い猫だろうか? 
 その後ろ姿はどこか凛として、何処にでもいそうな三毛猫なのに、目が離せない自分に気が付いた。
 そう、まるで世界は――この月夜はあの猫の為にあるかのような錯覚を覚える。その猫は不意に俯くと――塀の下へと軽やかに降り、その姿は見えなくなった。

「――羨ましい」

 口に出してから、それを自分の中で認識するまで少し間があった。

 僕は――猫を羨んだ自分に驚いていた。
 そしてすぐに、カーテンを閉めた。
 どうしてなのか――頭の中がぐちゃぐちゃと、まるでハンバーグの種を混ぜるように、かき回されていく。
 僕はたまらず、ベッドに身を沈めた。

 ――自由に歩けて、何処にでも行ける。

『彼』は家があって飼われているけど、自由に外も歩き回れる。そして――
『彼』の月夜を見上げる姿はまだ瞼の裏に焼き付いている。
 綺麗で――その模様がどこかいびつで――

 ――なりたい、『彼に』。

 そして、どうしてその猫が『彼』だと思ったのか、その疑問に気付かぬまま僕は知らないうちに意識を手放していた。
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