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第三章 相棒

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 猫から人へと戻り、僕は自宅学習に勤しんでいた。

「働き者だなあ」

 猫として昼も動き、夜になり勉強もしている。身体は寝ているから疲れはないはずなのだが妙に頭は重く感じる。

「睡眠不足だとしたら……本末転倒過ぎるよなあ」

 その原因であるいじめの解決への手段を考える。いつまでもこうして彼女を護衛し続けるのは僕にも負担が大きそうだと思う。そして、遠からず彼女も僕の不調に気づくだろう。それは僕にとっても歓迎すべきことではない。

「でも、妙なんだよな」

 ここ数日、彼女に対するいじめを観察していて気づいたことがあった。
 このいじめの特徴は『そこまで露骨なことをしない』である。
 実行しているいじめの内容は犯人が特定し辛い状況で起きている。最初の体育倉庫の閉じ込め然り、物を隠されたり、あとは自然とした無視などである。つまり、彼女が訴えても『気のせい』で流してしまえるほどだ。

「底意地の悪さを感じるね」

 陰湿さと、周到さ。しかし、そこにはどこか違和感が付きまとっている。

「……何か、まだ気づけていない」

 やっていることの幼さとそれに反する計画性。どこかにまだ、見えてない何かが隠れているような……。
 それと、もう一つ。

「嫌なもん見せられたなあ……」

 用務員の山田さんのことだ。
 彼も、どうやら教員たちから虐められているようなのだ。
 彼女の擁護がてら、彼のことも気にするようになり見てみれば、似たようなことをされているわけだ。

「大人も碌なもんじゃないね」

 いじめの構図なんて何処にでも転がっている。それは大人でも子供でも世代は関係ないのだ。

 ――ガタン。

 考え事をしていると玄関の方から扉の開く音がした。

「――玲子さんか?」

 今日は叔母が来訪する予定ではないはずだ。何かあれば事前に連絡を寄越すことが多いのだが……。

 僕はノートを綴じ、居間へと向かう。ちょうど叔母が居間へ入って来たタイミングとぶつかる。

「おはようございます、玲子さん」
「……おはよう、ちょっと座ってもらえる?」
「……はい」

 明らかに不機嫌そうだ。

「お茶淹れます。はちみつ紅茶好きでしたよね?」
「……別にいいわ。早く終わらせたいし」

 そう促されては仕方ないので僕も居間のテーブルに着く。

「……貴方、学校へ行く気は?」
「!」

 いきなりの問いに息が詰まる。

「……何かありましたか?」
「面倒くさいことに、呼び出されたのよ。新しい担任の白木とかいう奴に」
「ああ、落合先生から代わった?」
「そ。それでさっき少しだけ会ったのよ。託だけど『是非一度、全員でお会いしたい』だそうよ」

 僕が息を呑むのと同時に彼女は「断ってあるわ」と続けた。

「無駄な時間をわざわざ費やす必要はないでしょ? その確認に来ただけだから」

 ぶっきらぼうにそう言い捨てると、彼女は封書を一つ、僕の目の前に置いた。

「……これは?」
「嘆願署名らしいわ。落合先生の復職とかいう」
「はあ?」

 思わず頓狂な声が出る。

「なんで? あの人辞めたんだよね?」
「そうらしいわね。たしか、体調不良ですっけ?」

 本当は猫泥棒のせいなのだが、表向きはそうなっているのだろうか?

「貴方、あの夜、落合先生に会ったらしいわね?」
「え、ああ……うん」
「その経緯でこれが回って来たのよ。会ったならわかるはずだから、いい先生だった、と証言して欲しい、とか」
「……はぁ」

 まだ諦めてなかったのか、と僕は呆れ半分にため息が漏れた。
 被害者がまだ学校にいるのによくもまあいけしゃあしゃあとそんなことが出来たものだ。

「あの時は詳しく聞かなかったけど、夜中だからって出歩くのはよしなさい。またあんなことになったら――」
「申し訳ありません。僕のことで」
「……私が保護者なのだから、仕方ないことよ」

 仕方ないこと――そう、仕方ないのかもしれない。

「……子供がそんな顔をするものじゃないわ。私は貴方の人生を預かった義務がある。貴方が健康で豊かな人生を送るための期間限定のお手伝い。貴方は粛々とそれを受け入れていればいいのよ」
「……はい」
「……それじゃあ、ね」

 ――いっそ、このまま夜が明けなければいいのに。そう言い残して叔母は帰っていった。
 僕の目の前には、一通の封書だけが残される。

「……変な話だな」

 落合の復職願い。そんなものに僕が加担することなど絶対にない。僕はそれをゴミ箱へ投げ捨て――ようとして、止める。

「……おかしく、ないか?」

 何かが繋がろうとしている。もしかしての可能性。でも、何も証拠はない。

「……確信が得られるなら価値はある、か」
 
 僕はその日のうちに、学校に電話をした。
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