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第四章 エルフの嫁入り
16人――いる? 2
しおりを挟む「――ここ、か?」
飯屋の前にはタクシーが一台通り沿いに停めてある。中野十貫坂上の途中、鍋横商店街入口より少し手前にあるその店は、本当によくある『中華料理店』のようにみえた。
「――懐かしいのう。この、見た目」
男が暖簾を潜るとそこは――そう、『昭和』だった。客層はガテン系のおっさんが多数、それにタクシーの運転手が赤いカウンターに座りたばこを燻らせている。お上品とは程遠い店構え、懐かしの町中華、というやつだった。店主もいかにもな感じのおっさん、その妻らしき恰幅の良いご婦人が一緒に切り盛りしている。
「らっしゃい! カウンターどうぞ!」
頼まれ運ばれた他の客のメニューを横目で確認しながら彼は席に着く。
どれも――物凄く量が多い。ガッツリ系だ、と彼は思う。そして、ガッツリだが、値段は安い。どれも1000円は超えない。彼は直感する。求めているのは、これだった、と。
――これこれ、こういうのだよ。
「はい、何にしますか?」
「ええと――」
悩ましい。横の客のキクラゲ定食が非常に美味そうである。どっさりと入ったキクラゲと玉子の黄色がとてもうまそうなコントラストを描いていて、たっぷりの飯と中華スープが添えられている。隣に座るタクシーの運転手はそのキクラゲをたっぷりご飯に乗せ、美味そうに掻き込んでいる。さらに後ろの席に目をやると、美味そうなレバニラが目に付く。大皿一杯に載せられたレバニラを大工風のおやじが箸で無造作に摘み、口に放り込んでいく。まるで全員が、それを食べることが至福であるように、自然と笑みがこぼれているではないか。
「レ――……いや」
同じものは止めよう。なんとなく、彼は思う。せっかくだから、もっと昭和を堪能したい、と。
「半チャーハンと、ラーメンのセット、それに餃子を」
「はいよ!」
スタンダードな町中華のメニュー、変わらない味わいをどうしたら一番味わえるか、彼は考えた末そのメニューを注文した。もっとも――ガッつける何かを求めて。
注文して彼は大人しくその時を待った。そして、それはすぐに運ばれてきた。懐かしい――郷愁の匂いを伴って。
◆
「あい、お待ち!」
目の前に無造作に置かれたラーメンと半チャーハン。しかしその『半』と呼ぶには多すぎるのではないかと思える盛りに男は鼓動が高まるのを感じた。
――やはり、肉体は良い。
心臓の高鳴り、体温の上がり、どれも生きていなければ味わえない。そう、この料理も、だ。
ラーメンはもうスタンダードなものだった。中華麺、しょうゆ色のスープ、そして浮かぶ脂、メンマ。ざくっと切られたゆでたほうれん草とネギの緑がそれを彩り、チャーシュー
が一枚ちょんとついている。昔よく食べた――醤油ラーメン、その装いをそのまま残している。男は割りばしを取り、さっそくそれを一口啜る。
――素晴らしい。
ちゅるん。ちゅるるるるん。
味は、決して一流とは程遠いだろう。スープは鶏ガラだろうが、思ったよりもあっさりとしていた。タレも脂もけして多くない。もっと濃い味付けかと思ったが、意外にサラッと食べれてしまう。それが、若干物足りない。しかし――。
――物たりない、時は……。
男は土手っと盛られたチャーハンにレンゲを差し込む。焦げ茶色の色づいた米、それに玉子の黄身が挿す。刻まれた長ネギ、チャーシューも一緒に入っている。それを、一口――。
もにゅ――。
香ばしい風味が口の中で広がる。こちらも思ったより薄い味付けだ。それが口に残ったまま、今度はラーメンを一口啜る。
ずりゅ――。
「――は」
物足りない――などという思いはもうどこかへと飛び去った。決して一流とは言えない味付け、どこにでもありそうな、しかし今は失われつつある店構え。その中で彼は――『昭和』を見つけた。
香ばしい焼きめしの風味がラーメンのスープと絡み、一気に口内を彩っていく。こうなるともう――手が止まらない。
「へい、餃子お待ち」
そのタイミングで彼が欲していたものが追加された。彼は急いで横の調味料からしょうゆ、酢、辣油を混ぜ合わせ即席のたれを作る。そしてそれを付けて、一口齧る。
一口齧り、どこか――優しい感じの甘さが彼の舌に乗った。その正体は――。
「ニンジン――が入っているのか」
齧った断面から微塵になったオレンジの物体が覗いている。隠し味としてニンジンを刻んで入れているらしい。
それがニンニクのたっぷり入った餃子に甘みをもたらし、食べやすさを生んでいる。
「と、なれば――」
かじった餃子を口内に残したまま、男はレンゲでチャーハンを掬う。そして一緒に飲み下す。餃子についたタレ、肉とニンジンの甘み、ニンニクの風味、それがチャーハンに移り込み、さらに味を増していく。その勢いで時々ラーメンを啜り、口内の風味を旨味と共に洗い流す。もう、言葉はいらなかった。彼の手は止まらない。すべてがB級、しかし、これが――彼の求めた『生きている瞬間』だった。
ガッ ずりゅ! ザクッ ずりゅりゅ ガッガッ ずりゅるるるるる!
麺、汁、餃子、米、麺、餃子、米、汁――。
不規則にトライアングルをローテーションする。すべての味の組み合わせを慈しむように。
「ぶっっっっはあああああああああ!」
すべてを胃袋に収めた時、漸く彼は息を吐いた。
「――美味かった」
男は満足していた。この店のすべてに。お世辞にも誰かとデートに、などという場所ではない。店から漂う圧倒的なおやじ感がそれを証明している。それでも――ここは良い。学生時代、こういう場所は沢山あった。親父とその嫁さんだけが切り盛りしている町の中華食堂。その懐かしい趣を未だ色濃く残したこの店は、彼の求めるすべてがあった。
「――ごちそうさん」
このままここにいたら、満足で昇天しかねない。彼はそう思いながら店を出た。外に出れば当時より整備された街並みが彼を出迎える。まるで、自分が異世界に迷い込んだような錯覚を彼は覚える。そして、そんな感想を抱いたこと自体が可笑しくて、彼は笑いをかみ殺しながら歩き出した。
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