『悲壮』

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『悲壮』

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「起きて、起きて」

 男は誰かに呼ばれた気がしてゆっくりと目を開けた。
 手から落ちたのだろう栄養ドリンクの缶が足下に転がり、体に悪そうな黄色い液体が流れ出ていた。

「……ん?」

「こっちこっち」

 男は座ったまま軽く延びをして向かいのホームに目を移す。そこにいたのは幼い少女だった。

「おじさん、大丈夫?」

「ああ、まあ」

 男がばつが悪そうに頭をかく。

「ひょっとして、おじさんは社畜なの?」

 その少女の直球すぎる質問に男は笑った。それはまるで自嘲のようにも聞こえた。

「そうかもね」

「辛い?」

「そうだね、大変だよ」  

「辞めないの?」

「まあ、やりがいはあるよ……」

 自分自身の発したその言葉に、男は入社した頃を思い出した。これからよろしくとやる気に満ちていた仲間はいったい何人その首を括ったのだろう。

 男は胸が締め付けるような苦しさを感じた。視界が段々とぼやける。疲れてるだけだと自分に言い訳をする。きっと長時間画面を見ていたからだ。男は震える手で目を擦った。

「ボロボロだね」

 少女は笑っていた。男は涙をこらえていた。

「命を削ってまで仕事する意味ってなに?」

「働かないと生きていけないから……」

「生きるために命を削ってるの?」

 少女の言葉に男は何も返せずに目を伏せた。

「俺だって……俺だって!辛いよ!苦しいよ!辞めて…やりたいさ……」

「けど、辞めたら生きていけないんだよね」

 男は大人げなさを感じながらも少女を睨み付けた。少女はずっと笑っていた。

「じゃあ、がんばれー」

「頑張ってるさ……ずっと頑張ってる」

 やるせない気持ちが溢れる。

「そんなこと言ったら皆頑張ってるよ」

 嘲笑うかのような少女の声に男は耳を塞ぎ俯いた。
 
「皆頑張ってるから何なんだよ!だから……何なんだよ……皆頑張ってるから俺は苦しんじゃいけないのかよ。俺が間違ってるのかよ……」

 男はもう何日も洗えていない髪をかきむしった。

「間違ってないよ、その辛さも苦しみも貴方の以外の誰の物でもないから。間違ってるのは社会。だから、もう止めようよ。生きるの」

「へ?」

 いつの間にか向かいのホームにいたはずの少女が男の目の前で笑っていた。男の思考が止まる。

「生きていたってしょうがないよ」

「なっ……」

「今頑張ったって死んじゃうんだから」

 遠くの方で電車の音が聞こえる。

「………………」

 男はもう何も言えなかった。糸が切れたかのように全身の力が抜けていく。少女は微笑むとホームのふちへと男の手を引いた。

 黄色い線の外側にぽっかりと空いた窪み。耳慣れた音が徐々にと大きくなる。その音の主は直ぐそこまで迫っていた。

「貴方がいなくても世界は何も変わらないから」

 電車が警笛を鳴らす。
 男は少女に促されるままその身を窪みへ投げ出した。

 

『おい、あいつ飛び込んだらしいぞ』
『ほんと、この忙しい時期にやってくれるよ』
『せめてこのプロジェクトが終わってからにすればよかったのに』 
『ほんと使えねーよな』


『聞いてくれよ!今日寝坊して電車乗り遅れたんだけどさ、電車遅延してて助かったんだよ』
『ああ、人身事故があったらしいな。お前次遅刻したらやばかったからよかったな』
『本当、人身事故様々だよ』


『あいつ死ぬなら人に迷惑をかけて死ぬなよ』
『あいつのせいで多額の損害賠償がきたよ』
『昔から使えないやつだとは思ってたけど、最後まで駄目なやつだな』



 男はその光景を黙って見ていた。もう何も思わなくなっていた。ただぼんやりと色んな光景を眺めていた。

『ほらね、誰も悲しまないよ』

 少女の声だけが聞こえる。
 男はポツリと呟く。

「恥の多い人生を送ってきました……」

『人間失格?』 

「ふと、頭に浮かんだんだ」

 そう言った男は急に虚しさを感じた。何の為に生きていたんだろう。生きていて何の意味があったんだろう。虚しさは悲しさに変わった。
 男は先程まで何も感じなかったのにと自嘲する。

 すると突然、景色が歪みだし男は立っていられなくなった。体が重い。


 男はハッと目を覚ました。そこは駅のホームだった。
 足下には相変わらず栄養ドリンクの缶が転がり気の抜けた黄色い中身を撒き散らしていた。

 「夢?いや、もう……どっちでもいいか……」

 男はゆっくりと立ち上がる。向かいのホームにあの少女の姿はない。
 男は再びホームの縁に立った。

 無機質なアナウンスが電車の通過を告げる。
 男は汚れた袖を捲り、古い腕時計を見た。

「後一分」

 その時、携帯の着信音が鳴った。男は出るかどうか迷って、なんとなく出ることにした。

「はい、もしもし」

『おお、大学卒業以来だな、久しぶり!元気にしてたか?』

「まず…まずかな……」

 それは旧友からの電話だった。

『なんだ、元気ないなー。そうだ!高校の時みたいにまたあの三人で焼き肉とかゲーセンとか行こうぜ』

「そう……だな」

 気づけば男は泣いていた。

『なんだよ、どうした?辛いことでもあったか?なら、尚更食べに行こうぜ。昔みたいに三人で愚痴言って、悩み相談しあって。あ、恋愛相談とかもあったな!うわー懐かしい』

「ああ、そんなこともあったな」

 男は泣きながら笑っていた。


 まだ……死ねないな


 男は涙を拭うと再びベンチに座り、旧友との会話を楽しみながら帰りの電車を待った。
 
 電車が通過する。

 向かいのホームを見ると、いない筈の少女が詰まらなそうにこちらを見ている気がした。


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