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墓標

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ギラン帝国の首都から、南に数十キロ進んだ場所に、ラース地区と呼ばれる場所がある。今日、そのラース地区の1画に、また新たな墓標が加わった。墓標は、簡易的なもので、木を長方形に削ってつくられたものだ。表面には、「レクノア・エルクシ」と記されている。そばには、10代前半の黒の軍服の少女が佇むばかり。彼女は、軍服よりも漆黒の髪を後ろで一つに結び、腰まで垂らしている。笑顔がよく似合いそうな顔には、今暗い表情が写っていた。おもむろに、彼女はポケットの中から古びた時計を手に取り、墓標の上に置いた。
「約束だから、あなたのお母さんからのプレゼントはあなたに返しておくわ」
その一言だけを残して、墓標に背を向けて歩きだそうとした時、彼女のいる方に向かってくる人影があった。近づいてくるその姿に彼女は得心する。年老いた老婆であった。
「レクノア、レクノア、レクノア」
老婆は目に大粒の涙をためてその名を口にする。そして、老婆は少女に抱きついた。少女を抱きしめながら言葉を発する。
「私は心配してたんだよ。ある日突然兵隊が来て、お前を連れていってから、もう二度と会えないんじゃないかって。でも、こうして無事に会えた。今日ほど神様に感謝した日はないさね。さあ、一緒に帰ろう」
老婆は溜めに溜めた感情を吐露しながら、少女を強く強く抱きしめる。
(ああ、またこれか)
少女は、老婆の胸中で、これまで何度も反復してきた感情を呟く。
その少女の胸中を知るはずもなく、老婆は墓標の上に置いてある古びた時計に気付き、少女の手に戻そうとする。
「レクノア、忘れ物だよ。私が渡したものをこんなところに忘れちゃダメじゃないか。」
軍服の少女は、手に置かれた時計をそっと老婆の手に戻し、努めて落ち着きのある声で、それでいて老婆を包み込むように暖かみのある声で、彼女は語り始める。
「ご婦人聴いて頂きたいことがあります」
「何を急にかしこまって。実の親に敬語なんか使うことないよ」
「私はレクノアではありません」
老婆は、一瞬びっくりした表情をしたが、すぐに笑顔になり、少女に優しい言葉をかける。
「お前は疲れているんだ。だから、ゆっくり休めば大丈夫だよ」
老婆は少女の頭をなでた。
(ちがうの)
「ご婦人。レクノアは・・・」
少女の言葉が全部老婆の耳に届く前に、老婆は意識を消失させる。少女は倒れる老婆を支えると、近くの墓標に寄り掛かる人影に目を向ける。
「軍の機密情報を漏らしてはいけない。ラズヴェリー」
その声の主は、少女と同じ黒の軍服を身に纏った少年だった。短髪は銀色で染められ、10代にしては長身の背格好であった。ラズヴェリーと呼ばれた少女は、その声の主が誰なのかに気付くと睨みつける。
「加減はした。しばらくしたら目を覚ます」
非難交じりの視線から目を背けず、軍服の少年は黒髪の少女に向かって歩を進める。
「このまま自分の子どもがどうなったのか知らないまま残りの人生を生きるなんて残酷すぎるわ」
「でもそれがルールだ。僕たちはそれに従うほかない」
長身の少年は少女の前に立ち、手を差し伸べようとする。
「あの時だって、ルールを破ってでもあなたが彼と一緒に戦ってくれていたら・・・」
黒髪の少女の言葉に、少年は視線を逸らして、差し出そうとした手を引っ込める。
「ラズ、イオル、マックスウェー大佐がお呼びですよー」
茂みからかわいらしい声がかかると、黒髪の少女は先に行くわ、とだけ告げて走っていってしまった。イオルと呼ばれた銀髪の少年は、ため息を漏らし、茂みから出てくる少女に話しかける。
「リリー、いつからそこにいた?」
「えーと、いつからだったでしょうか?」
イオルの前に立つ赤髪の少女は、取り繕う姿勢を見せようとするが、あきらめて正直に答える。
「お二人が墓標の前に立って話しはじめたあたりからです」
イオルは、その言葉にそうかとだけ返事をする。
「でもでも、ラズに言われたことは気にしない方がいいと思いますよ?彼女も本心じゃないはずですから」
そう告げて、優しくイオルに微笑む。それから、彼女は言葉を続ける。
「ラズも気がかりですから私も行きますね。イオルも整理がついたら、早く来て下さいね」
赤髪の少女に、イオルは頷く。リリーも頷くと、墓標を後にする。残されたイオルは1人空を見上げて呟く。
「残るべきは僕ではなく君だったんじゃないか?」
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