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第一章
例えこの身を堕としても、私があなたを見つけ出す1
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王都エレノアにはとある神話がある。
遥か昔、魔族戦争に巻き込まれたエレノアに一人の神が降り立ち、魔族たちから国を守った、というものだ。
その神の名はエルファラ。この世のものとは思えない美神さながらの美貌を兼ね備えたその神は、敬虔な信徒たちの祈りを力に変え、幾千もの魔族を倒したという。その姿は武神のように猛々しかったという。それだけでなく知識も豊富であり、破滅寸前だった国をたった百年で盛り立てた。
人々はそんな神を愛した。エレノアの国中に建てられた教会は、人々のエルファラに対する信仰心の現れである。
しかし神との別れは唐突に訪れる。およそ三百年の歳月が流れ、エルファラは衰弱し、やがてその体は霧散してしまった。
人々は嘆いた。残されたのはたった一つの赤紫の塊。神の心臓と呼ばれたそれは、聖遺物として今もなお、教会によって厳重に保管されている。
それから千年以上の月日が流れた。魔族戦争は終結し、人々には安らぎの日々がもたらされていた。
王都エレノアの城下町は穏やかな時間が流れている。住民は道端で会話に花を咲かせ、子どもたちは元気に走り回る。露店からは威勢のいい掛け声が飛び交い、それにつられて客が立ち寄り、ものを物色する。
そんな平和な城下町の中心的存在と言っても過言ではない広場の端っこでは、鬼気迫る表情をした少女が警察官の青年に詰め寄っていた。
少女の髪は金糸のように細く繊細な金髪で、ゆるくウェーブがかったそれは肩下まで伸びている。きゅっと結ばれた唇は血色の良い桃色で、大きな緋色の瞳は夕焼けの太陽を連想させる。白い肌は陶器のようだが、コロコロと変わる表情が、可憐な少女を人間たらしめている。赤紫の修道服は露出こそ少ないが、そのせいで彼女のたわわなふくらみの存在が余計に主張されているようであった。
「どうしてよ!? お姉ちゃんは見つかってないんだよ!?」
「仕方がないだろ。警察も手は尽くしたんだ。それでも全く情報が出てこなかったんだよ。これは規則なんだよ。リアの捜索が一旦打ち切られるのは仕方ないんだって」
「嘘だよ。だって人が何の痕跡もなしに消えるだなんてあり得ない。絶対何か見落としてる点があるはず。ちゃんと探してよ。お願いアルフレッド」
ララが両手を合わせてアルフレッドを見上げる。ララとは二十センチ以上身長差があるアルフレッドからしたら、無意識とはいえ、上目遣いで見つめてくるララに思わず見栄を張りそうになる。が、そんなことをしてさらにがっかりされてはたまったものではない。
「僕個人で調査は続ける。でも、これはもしかしたら、例の失踪事件と同類のものじゃないかって言われてるんだ」
「例のって……。もしかして、『少女失踪事件』のこと?」
少女失踪事件。それは十年ほど前から忽然と若い女性が消えてしまうという事件だ。足取りを掴めた者は誰一人おらず、失踪した女性たちは全員見つかっていない。
その被害者が自分の姉? 一番考えたくない可能性である。しかし、彼女の失踪後の状況とあまりにも酷似していた。
「まだ可能性があるってだけだが。もし本当にそうなら、警察じゃどうにもならない。ああ、もちろん僕は手を尽くすつもりだから、その点は安心してくれ」
「そんな……」
ララは肩を落とす。このまま二度と唯一の肉親である姉に会えないというのか。
(そんなの嫌だ。でも、私だって今まで警察に全部任せてたわけじゃない)
教会での聞き込み、姉の行動範囲は全て満遍なく走り回って、彼女の行方を追った。しかし、どれだけ探しても姉の情報は全くといっていいほど出てこなかったのだ。
最後の頼みの綱は警察だけ。そう思っていたのに、捜査が打ち切られるだなんてあんまりだ。
意気消沈するララを前にアルフレッドは茶色の髪を掻いた。
「その、元気を出してくれ、ララ。そうだ。気晴らしにお茶でも飲まないか? この後ちょうど仕事がなくて――」
「ごめん。今はそんな気分にはなれない」
「そう……、だよな。すまない」
ララはアルフレッドの誘いを断ると、背中を小さくしてとぼとぼと広場を離れた。
そんな二人のやり取りをカフェのテラス席で優雅に紅茶を飲みながら聞いていた男がいた。
セットされた黒髪の、所々紫の差し色が見え隠れし、その下の眉毛は凛々しく、氷のようなアイスブルーの瞳が優し気な目元にクールな眼光を宿す。身長は優に180を越えているであろう長身で、袖を捲った右腕だけでなく、グレーのシャツの上からでも鍛え上げられた筋肉が盛り上がっているのがわかる。
男と二人の距離は少なくとも十メートルは離れている。それなりに人が賑わるおやつ時に彼が二人の会話を盗み聞くのは普通に考えれば不可能だ。
男はニヤリと口角を上げる。何やら面白そうな話だ。それに……と、男の細められた双眸はとぼとぼと歩き去るララへと向けられる。
(この距離からでもわかる清純な気。人間でここまで汚れてないのはレアだな)
ここで会ったがなんとやら。あの力のない歩みならば、余裕で追いつくことだろう。
「レディ、お会計を頼む」
心地よい低音に、女性客の視線が一心に彼へと向く。
男は艶めかしい視線に見送られながらカフェのドアを押し開いた。
教会に戻ったララは掃除用具入れから箒を取り出し、意味もなく道を掃いていた。頭の中は悲しみと絶望でぐちゃぐちゃだ。部屋に閉じこもったらおそらくどうしようもなく病んでしまいそうなほどだ。太陽の光を浴びれば少しは違うかと思ってとりあえず箒を持って外に出てみたが、今日の掃除当番がしっかりと業務を遂行した後のようで、落ち葉一つ落ちていない。
(お姉ちゃんがいなくなってもう三か月は経つ。なのに何の音沙汰もなければ足取りすら掴めないなんて。本当に、少女失踪事件に巻き込まれてしまったの?)
そこまで考えて、ララははっとして首をぶんぶん振った。
(ダメだ。ネガティブなことを考えたら本当になっちゃいそうだもの。今は無心。そう、心を落ち着かせることに集中するんだ)
自分に言い聞かせ、箒を持つ手に力を込める。すると。
「やあ、お嬢さん」
「おわっ!?」
ビクリと肩を震わせて勢いよく振り返る。自分よりも三十センチは高いであろう男性が朗らかな微笑みを浮かべて立っていたものだから、ララの思考は数秒停止した。こんな人、見かけたことはあっただろうか? いや、ない。
「えっと、何か御用でしょうか」
見覚えがないということは、おそらく他国からの観光客だろう。教会に観光客が来るのは珍しくないから、ララもすぐに切り替えて笑顔を作る。
「実は少し尋ねたいことがあってね」
「この教会のことでしたらお応えできる範囲でお答えしますよ」
「それは良かった。実は、あんたのことで聞きたいことがあるんだ」
「……はい?」
ララは耳を疑った。自分のことで聞きたいことがあるとはなんだ。つまりこれは。
(ナンパだ)
普段着だったらたまにあることだが、まさかシスターの恰好をしているのにナンパをしてくる人がいるなんて。これも他国から来たが故なのだろうか。呆れがララの顔に滲む。
「申し訳ございません、私はエルファラ様の敬虔な信徒ですので――」
そのようなお誘いに応えることはできません。と続けようとしたのだが、彼女の声を遮って男は口を開いた。
「リアちゃんって子を知ってるかい?」
その名を聞いてララの目が見開かれる。
知ってるも何も、一番聞き馴染みのある名前だった。
「リア、は、私の姉の名です」
その名をどこで? そう尋ねようにも驚きですぐに言葉が出てこなかった。頭の中にはこの男に対する様々な憶測が飛び交っている。
「だよね。で、君はそのお姉さんを探している妹さん。名前はララちゃん」
名前を言い当てられ、ララの男に対する憶測は良くない方向へと舵を取った。警戒心を露わにするように距離を取る。しかし、肝心の男は特に気にした様子を見せない。それどころか、何が楽しいのかニヤリと口の端を上げる。
「警戒心が強いのは褒められたことだが、そんなに警戒しないでくれよ。俺はリアちゃんを攫った犯人じゃない。寧ろあんたの力になりに来たんだぜ?」
「力に……。にわかに信じられませんが。そもそも、どうして私たちの名前を知ってるんですか?」
依然として警戒を解く気のないララは、箒を盾にでもするかのように前に突き出している。男は胸元から一枚の紙を取り出すと、それをララの方へと投げた。紙はまるで糸で引っ張られたかのようにララの手に収まる。
「……『ディゼル』『情報屋』?」
「ああ。一応ちゃんとしたもんなんだ、その名刺。情報屋協会に問い合わせてくれれば、身元保証もできる」
「そうですか。でも、その情報屋さんがどうしてここに? いつの間に自分から売り込む形に変わったんです?」
身元がはっきりしたからと言ってそう簡単に信じるわけにはいかない。いくら紙が高いと言えど、作ろうと思えば名刺なんて自作できるのだ。訝しみを込めた目でディゼルを見上げる。しかし、やはり彼は口元に微笑みを湛えたままだった。
「自ら足を運ぶ情報屋がいてもいいだろ? それが規約違反ってわけでもないんだ」
これだけ警戒心剝き出しでもディゼルは引き下がるつもりが一切ないらしい。よく回る口が彼の性格を物語っている。
「まあ、話だけでも聞いてくれ。俺はあんたと取引しに来たんだよ。リアちゃんを探す手伝いをするためにね」
「それは助かりますけど、でもなんでですか? あなたはお姉ちゃんの関係者か何かなんですか?」
「いんや全然」
余計に疑問符が浮かぶ。この男はどこで自分と姉の情報を聞きつけ、何を求めてこうして売り込みに来たのか。全くわからない。
「正直、俺はリアちゃんにはあまり関心がない。関心があるのはあんただよ。ララちゃん?」
眉間に皺が寄る。こんなことを言う男を信用する人間は果たしているのだろうか。
とはいえ、この男が提示する条件によっては考える余地はあるとララは判断した。少しでもリアの情報が手に入るのであれば、多少の軽薄さは目を瞑れる。
「何円でお姉ちゃんを探す手伝いをしてくれるんですか」
「お金はいらない。ただ――」
もったいぶったように区切られ首を傾げた瞬間、ララの小さくて丸い耳に生暖かい息がかかった。
「――あんたに、俺の子どもを産んで欲しいんだ」
などと耳元で囁かれ、ララは目を瞬かせる。聞きなれない単語に頭の理解が追いつかない。そして、追いついた時には、猛烈な勢いで、初対面の淑女の耳元で、セクハラともとれる発言をした男の頭目掛けて箒を振り下ろしていた。ディゼルは易々とそれを避ける。
「な、なっ!? あなたねぇ!? ここは教会の敷地内で、私はシスターなんだよ!? いくら異国から来た人だって、言っていいことと悪いことがあることくらいわかるでしょ!?」
「なんだ? 俺はただ取引内容を提示しただけだ。耳元に吹き込んだのは、まあ、ちょっとした配慮だ」
誰が聞いているかわからないからな、と平然と言う。
「変態! すぐに警察のところに連れていくから!!」
「それは勘弁願いたいな」
ディゼルは、ははっと軽く笑い飛ばす。ララの怒りは本物であり、ララの言葉ももちろん本気なのだが、それでもディゼルは余裕らしい。情報屋を名乗るだけあって、だいぶ度胸があるようだ。ララとしてはいい迷惑である。
にやりとディゼルは悪戯な笑みを唇の端に乗せる。
「少し冷静に考えて欲しいんだが、俺を警察に連れて行ったら、あんたは一生お姉さんの手がかりにありつけないかもしれないんだろ? 彼女が消えて三か月間、警察ですら足跡一つ見つけられなかったのに、これからどうするっていうんだい?」
「……っ、それは」
痛い所を突かれた。それは現在進行形で悩んでいることだ。
どうすれば姉を見つけ出せるのか。自分のできることはもうやりつくしてしまい、頼みの警察にも半ば見捨てられたようなものだ。鬱々とした感情を少しでも晴らそうと、意味のない掃き掃除に精を出そうとしていたところなのだ。タイムリーな話題に言葉が詰まるのも無理はない。
ララが黙り込むと、ディゼルはやれやれと肩を竦めた。
「ならこうしよう。お試しとして俺がリアちゃんの情報を集める。そして、それがお気に召したら正式に俺と契約を結ぶ。逆にお気に召さなかったら、そのお試し情報は無料で提供して、俺もあんたの目の前から消える。どうだい? 悪くはないだろ」
ぐっとララが息を飲む。
確かに悪くはない。ディゼルの腕が確かなら、何かしらリアの情報を掴むことができるし、そうでないならこの胡散臭そうな人を遠ざけることができるのだから。
(子どもうんぬんは一旦置いておいて、この人の腕前が信用に値するか見せてもらえるのは大きい)
「わかった。そのお試しでお姉ちゃんの情報を持ってきて」
「ははっ、了解。それなら明日の夕方ごろ、広場の近くのカフェ『フォーション』で待ってるよ」
「あ、明日!? い、いや。別にいいけど、大丈夫なの?」
三か月もの間、なんの情報も出てこなかったのに、一日で何が掴めるというのだろうか。
「まあ見ててよ」
そんなララの不安を余所に、ディゼルは自信たっぷりにパチンと片目を瞑って見せた。
翌日の夕方。ララは言われた通りに広場まで足を向けた。フォーションにはおしゃべりに夢中な客や静かに読書をしている客が時々紅茶を口にする。そんな穏やかな時間が流れている。ララもリアが失踪する前は、彼女や友人たちと訪れていたため、微笑ましい反面、少し感傷的な気分になる。
「ララちゃん」
耳元で低音が囁く。ぞぞっと背筋を撫でられたような感覚に体を震わせながら振り向くと、ディゼルがやあ、と手を上げた。
「あなたか。驚かせないでよ」
「驚かせたつもりはないんだがな。どうした、紅茶でも飲みたいのか?」
「違う。もう、私のことはいいから。調査結果を教えて。お姉ちゃんの行方は掴めたの?」
「残念ながらお姉さんの行方までは掴めなかったが、情報は掴めた。というわけで、シスターさん? 異国からの訪問者に礼拝の仕方を教えてくれるかな?」
礼拝? とララは首を傾げるがすぐにその意味を理解し、ぶすっと頬を膨らませる。
どうやらこの人は、本当に言葉遊びが好きらしい。
礼拝の仕方を教えてほしい。それはつまり、教会に行きたいということなのだろう。ここら辺で一番近く、大きい教会はララの勤め先のノーヴェ教会である。中には厳かな礼拝堂があり、そこにはこの国で一番大きいステンドグラスが壁にはめ込まれている。エルファラが亡くなった後、彼の心臓だけが残されたという神話が描かれたステンドグラスは、エレノアにある9つの教会に散らばっている神話を描いたステンドグラスの中でも特に美しいと評判だ。
ララが礼拝堂にディゼルを連れていくと、彼は中を物色するように見回す。
「人がいないようだからちょうどいい。ララちゃん、こっちにおいで」
などと言って手招きする。
「ここに何があるの」
ララは一歩もその場から動かないで首を回す。見たところいつもと何ら変わりのない礼拝堂である。
「ああ。お姉さんがここにいたという証拠がね」
ここはララとリアの職場で、ここに証拠があるのだとしたら、とっくに警察が見つけているはずだ。そうは思いつつ、期待する気持ちは止められない。仕方なく手招きされた通りにディゼルに近づいて、ディゼルの視線の先を目で追う。しかし、やはりララには何かがあるようには見えない。
もったいぶらないで教えてほしい。そう口にしようとした瞬間、視界が暗転する。突然夜になったわけではない。ディゼルの節くれだった大きな手がララの視界を遮ったのだ。
「な、なに!?」
ぐぎぎ、と自分の目を覆う手をどかそうとするが、片手だというのに全く動かせる気配がない。
「まあまあ。はい、これでまた教会を見てごらん」
ぱっと手を離される。明転した視界にララは目を丸くした。
礼拝堂のステンドグラスの光に当てられて、薄っすらと白い靄のようなものが揺蕩っていた。先ほどまではこんなもの見えなかったし、これが何かもわからない。ステンドグラスから差し込む光は色鮮やかで、光に反射して埃が光って見えるとしてもこんな今にも消え入りそうな靄になるのは不自然だ。
「何あれ」
「リアちゃんがここにいた痕跡だ。もう時間が経ってほとんどないも同然だけどね」
「痕跡?」
この得体の知れない靄が? ララの頭に疑問符が浮かぶ。それを見越したかのようにディゼルは口を開く。
「人はその場を通ると多かれ少なかれ痕跡を残す。匂いだったり足跡だったり、はたまた呼気だったり。それをちょっとしたトリックで見えるようにしたのさ。時間が経っても何かは残ってるかもと思ってな」
「そんなことできるの?」
「それはあんたの目で見たものを信じればいい」
何度目をこすっても、白い靄は消えずに揺蕩っている。今にも消えてしまいそうな白い靄。こんなものが本当にリアがここにいたという証拠になるというのだろうか。
「でも、お姉ちゃんはここで働いていた。これが消えた当時の痕跡になるとは言えないと思うよ」
「本当にそうかい? あんた、もっと周りも見回してみな」
ララは言われた通りにぐるっと礼拝堂を見回す。そしてあ、と声を洩らした。
「ここ、痕跡が集まってるの、教壇の奥の方だけ?」
「ああ。信徒席より後ろには痕跡が全くない。空気中の痕跡はともかくとして、足跡や髪くずなんかは例え掃除をしてても粒子レベルでは取るのが難しいんだ。なのに、それすらない。これが何を意味するかわかるかい?」
ディゼルの問いかけにララは顎に指を添える。
教壇より前には僅かではあるが、痕跡が残っている。それなのに信徒席より後ろには何も残っていなかった。出入り口は後方の後ろの一つのみ。
「お姉ちゃんの痕跡がわざと消されたってこと? だから、捜査をしても足取りが掴めなかった」
「そう、つまりあんたのお姉さんの失踪には何者かが関与していることが決定付けられたってことだな」
不意に『少女失踪事件』のことが頭に過った。十年ほど前から発生している若い女性の失踪事件も、動きがないまま未解決事件として放置されている。
ララは頭を抱えた。痕跡を消せる人それってつまり……。
「ディゼル、あなたの考えを教えて。推測でもいいから」
1つの可能性が浮上したが、まさかそんな、と信じたくない気持ちもある。これ以上考えても悪戯に脳を働かせるだけなので、ディゼルの口から彼なりの答えを聞こうとした。
「あんたらが床板を摺り減らすつもりで掃除をしたわけじゃないなら、魔力によって痕跡を消したんだろう。どうしてこんな中途半端な消し方をしたのかわからないが」
(やっぱり)
「魔族のせいってことだね。お姉ちゃんは魔族に攫われたって」
「魔族と断定するのは早いが、魔力に覚えがあるやつってのは確かだろうな。それと、レディ? もう少し前を調べてみな。痕跡が濃い場所があるはずだ」
ディゼルに促されるまま、祭壇に近づく。ステンドグラスから差し込む光に混じって気づかなかったが、確かにディゼルが言う通り靄が集まって、繭玉のように濃くなっている部分がある。その中心である香炉の蓋を開き、中にあったものを指でつまむ。ララは顔色を青白くした。
露店なんかで売っている花の形に掘られたシルバーのリング。それは、ララが初めて自分のお金で買ったリアへのプレゼントだ。
「お姉ちゃんにあげた指輪。どうしてこんなところに」
「蓋の隙間から入り込んだんだろうな。これが痕跡が濃くなってた理由か。あんたのお姉さんが香炉に指輪を隠す、なんてことをするような人じゃないなら、ここで何かがあったのは間違いないだろう」
「そんな……」
言葉を失い、ララはその場で崩れ落ちた。漸く手がかりが見つかったのに、どこに行ったかはわからない。それどころか魔族に連れていかれてしまったとしたら、遠い他国にいる可能性だってある。国々を渡り歩いて探したとしても、どれくらい時間が必要だろうか。
ララの緋色の瞳から涙がこぼれ落ちる。ぽたぽたと床に大粒の染みを作った。
「レディ、泣いてるところ悪いが人がきそうだ。泣き顔を見られたくないなら移動することをおすすめするよ」
「……うん」
教会の裏手に回り暫くして、漸くララは少しばかり落ち着きを取り戻した。目は泣いていたせいで腫れぼったいが、そんなことを気にしていられない。
「ディゼル。あなたの実力が確かだってことはわかった。でも、あの痕跡と指輪だけでどうやってお姉ちゃんを見つられるっていうの?」
指輪を両手で握りしめながら氷のような瞳を見つめる。ディゼルはいつもの茶化すような表情と打って変わって真面目な表情でララを見つめ返した。
「あんたは俺の正体、大方予想できてるよな」
「たぶん、あなたは魔族なんだよね。そうでもなければあんな芸当できないもん」
「ご明察。あんた、インキュバスって知ってるかい?」
ララは首を横に振る。エレノアでは過去の災厄から、魔族に関する知識はほぼタブー視されている。そのため魔族の細かい種族などララが知るはずもない。
「そうだな……。簡単に言えば、人間の女性の体液を摂取することで、自身の魔力を増強できるという特性を持つ悪魔だ。あと魔族の中も希少価値が高い」
「た……?」
体液を摂取? どういう意味? とララは首を傾げる。生まれてこの方その手の話題から守られていた彼女がすぐにピンと来るわけもない。
その様子を見て、ディゼルはやや視線を左へ逃した後、真面目に話を聞こうとして顔を上げているララと目を合わす。
「……要するに、性的なことをしてる時に出てくる液体だ」
「せっーー! あ、あなたねぇ!?」
「おっと今のは説明だ。怒らないでくれると助かるよ。それにこの特性がリアちゃん失踪事件の打開策になるかもしれないぜ」
目の前の卑猥な魔族の発言にプルプル震えていた拳が、ぴたりと止まる。
「俺にあんたの体液をくれたら、俺の魔力はどこまでも増強できる。そうすれば、今は見えないリアちゃんの痕跡がもっとはっきり見えるようになるかもしれない」
「……どうして私のなの? 女の人だったら誰でもいいんでしょ」
ぐっと感情を抑えて尋ねる。女性であれば、何も自分の体液である必要はないのではないか。しかし、この問いに対しても、ディゼルは口元に仄かな微笑みを浮かべて答える。
「あんたの気は汚れを知らない赤ちゃんと同じくらい清純なんだ。清純な気を持つ子の体液ほど、俺の魔力の増強も早い」
「はあ……?」
「で、全部解決した暁には俺の子を産んでほしい」
と、今度は満面の笑みで口にした。
「はあ?」
じとっとした目でララはディゼルを見る。やはりこの男、不純な動機から適当を言っているだけではないのか、という疑いがその眼差しからひしひしと伝わってくる。
「そんな目で見るなって。体液の摂取はララちゃんの調査のために必要。謂わば必要経費だ。そして、俺の情報や労働力などに対する賃金の代わりに、俺はあんたに子どもを産んでほしい。相場で見れば公正だと思うが」
どこの相場の話をしているのだ、と文句を言いたいところだが、ララの口は閉ざされたまま俯いた。
無茶苦茶なことを言われているのはララでもわかっている。本当であればこの男を警察のところへと連れて行きたいほどだ。しかし、ディゼルのおかげで何もなかった状況に一縷の希望を見出せたのもまた事実であった。
(これはまだお試し。彼の出した条件を飲むかは私が選択できる。それに、代償はあれだけど、ちゃんと取引を持ち掛けてくれている。魔族なら魔力で私を騙すこともそれこそ攫うことだってできたはずなのに……)
ララはディゼルを見上げる。ディゼルはララの答えを待ってくれているのか、視線をわざと別の方向へと向けていた。
よくわからない卑猥な魔族らしいが、ぱっと見た感じは普通の人間の男性と変わらない。
それに、この男とは会話ができる。とりつく島もない普通の人よりもよほど頼りになるし、融通が効くだろう。
「……わかった。その条件、飲むよ」
神に仕えているシスターとしては堕落した選択だと蔑まれることだろう。しかし、シスターとしての資格を失うことよりも、この身が魔族の子どもを孕むよりも、ララはたった一人の肉親に会えなくなる方が恐ろしかった。
そっぽを向いていたディゼルのアイスブルーの瞳がララへと向けられ、妖艶な弧を描く。薄い唇に笑みが浮かぶ。
「契約成立だ。じゃあ早速、俺が取ってる宿に行こうか?」
ポン、と肩に置かれた手にララはびくりと身を震わせた。心の中には自分の選択に対する不安と、神への謝罪の言葉で溢れた。
ディゼルが泊まっているという宿に案内されたララは呆気に取られていた。
ホテル『コランダム』といえば、エレノアでも三本指に入る高級ホテルである。一番安い部屋でも、一泊するだけでララの給料二週間分は優に越える。観光目的ならわかるが、長期滞在を目的として泊まれるようなホテルでは間違ってもない。
どうやらディゼルという男は本当に名のある情報屋だったらしい。そうでもなければ高級ホテルに連泊しようなんて考えはまず浮かばない。
ディゼルが泊まっているのは三階建てのホテルの二階の角部屋。開けば、金色のブラケットライトが廊下を照らし出し、さらに奥に進めばクリスタルを散りばめたようなシャンデリアの豪華な明かり。その下には大きなソファが二つ、白いローテーブルを挟んで向かい合っており、白を基調とし金糸の刺繍が施された絨毯の上に鎮座している。ローテーブルの上にはルームサービスなのか、グラスコンポートの中にフルーツが盛られている。
ララはその光景だけでもう目が回りそうだった。場違いな気がして逃げ出してしまいたいという衝動に駆られたが、ディゼルが肩に手を回しているため逃げる素振りを見せることもできない。促されるままソファに腰かけ、視線だけで部屋を見回した。
「落ち着かない様子だね。はい、書類」
「しょ、書類?」
「こっちは一応公正に、誠実に仕事を行ってるもんでね。契約書と見積書、両方に目を通してもらって、最後にサインをお願いします」
明らかに普通の取引ではないのに契約書を書く必要があるのか。そうは思ったが、この契約書に書かれている内容に自分と姉の命運がかかっているのだから、読むしかあるまい。
全体的に普通の契約書となんら変わらない内容の文が並ぶ。左から右、左から右へと文字列を追う。
(……23.情報というのは人によって価値が異なるため、情報屋が提示した条件と完全に合致した場合に限り契約者は提示された額を支払う。しかし、完全に合致したと見なされない場合は提示額の三割以上の額を支払う。
24.一度情報を与えた時点で取引が成されたこととし、契約者には支払い義務が生じる。しかし、あまりにも契約とかけ離れた内容であった場合は情報屋協会を通じて異議を申し立てられる。
25.公共の機関が情報屋を雇う際は必ず情報屋教会を通すこと。これに違反した場合は契約者と情報屋の両者の身柄を警察に引き渡す……。疲れてきた)
堅苦しい文章を読むのには慣れていない。どうせ読むならば小説の方がいい。などと思いながらララは契約書にペンを走らせ、サインを書き終わるとペンを置く、ペラリと紙を捲る。
見積書の方に移って少しすると、ララはばっと顔を上げた。ディゼルはいつの間にか向かいのソファで長い脚を組み、両目を閉じて紅茶の味を口の中で楽しんでいるようだ。しれっとララの分も用意してある。
「ん? どうした」
ララの視線に気づいてディゼルが片目を開ける。ララは請求書をディゼルの目と鼻の先に突きつけると、指である文をぴしぴしと指さす。
「こ、ここ! ここ!」
「ん? なんだ? 対価の部分に不都合でもあったか?」
「こ、これ! 聞いてない!」
「んー? 『膣性交』がどうした」
ディゼルは何を慌てているのかわからないとでも言いたげな表情で顔を真っ赤にしているララを見る。
「だ、だってこれ、あ、赤ちゃんできちゃうでしょ! ダメだよダメ!」
いくら大事に育てられたからといって、全くの無知というわけではない。子どもが生まれる仕組みに関する知識はあった。とはいえ、そういうことをすれば必ず子どもができると思い込んでいるあたり、彼女の教育係と過保護な姉の教育不足感は否めない。
「……インキュバスは自分で種の有無を調整できるんだが」
「それでもダメ。わ、私はシスターだよ。そりゃああなたがお姉ちゃんを見つけてくれたらそういうことをするって契約だけど……それまではダメ! 絶対ダメ!!」
断固拒否と胸の前でバッテンを作る。ディゼルは逡巡してからこくりと頷いた。
「まあ、確かに手っ取り早くはあるが、体液を取るという点からすれば必須ではないな。だが、それならどこまでならいいんだ」
本当ならばどこもよくはないのだが、そんなことを言ったら契約破棄と同じこと。そうするとリアの行方も闇の中だ。それだけは避けたい。
「しょ、処女だけは……」
弱々しく口にできたのはそれだけだ。処女であるということは神に仕える者の誓約だ。これだけは勘弁してほしいと、恥ずかしさも相まってララは顔を腕で隠す。ディゼルはそんなララを真顔で凝視してから見積書を親指と人差し指でつまんで立ち上がる。少しすると、未だに腕で顔を隠しているララに「ほら」とでも言うように契約書を目の前で揺らした。緋色の瞳がちらっと顔を出す。
「調査中はあくまで体液を取ることが情報の対価だ。だから、あんたの要望通りに書き換えておいた。これでいいだろ」
ララの指が恐る恐る契約書を受け取り、潤んだ瞳で再度最初から最後まで目を通す。確かにそういう内容は消されているようだ。
一安心とはいかないが、及第点だ。ララは力んだサインを書いてディゼルに渡した。彼はやれやれとでもいうように肩を竦める。
「貞操観念が高いのは褒められたことだが、これは先が思いやられるな」
と呟き、ペロッと上唇を舐める。幸いララには見られていなかったが、見られていたらまた白い頬を真っ赤に染めてプンプンと怒ったところだろう。
リビングエリアの右隣の部屋は寝室である。
寝室の真ん中に大きな白いベッドが一つ置かれている。照明はナイトテーブルの上のシンプルなクリスタルのライトだけのようで、他の部屋に比べて薄暗い。シャンデリアがない代わりに天井には絹の天蓋カーテンが吊るされている。
どことなくムーディーな雰囲気に包まれた空間で、ガウン姿になったララは身を縮めていた。しとどに濡れた金糸の髪がライトに照らされキラキラと光る。
(ほ、本当にやるの? まだ、逃げられるよね?)
そんな考えがさっきから頭の中を何周も駆け巡っている。覚悟を決めたとはいえ、今までそういう経験はもちろんなく、今後も仕事を辞めることがない限りは訪れることがなかった経験をこれからするのである。怖くないと言えば嘘になるし、不安が鼓動をかき乱すのも致し方ない。
しかも、ララは物心ついたときにはすでに修道院にお世話になっていたものだから、他の女性たちに比べて性の知識がない。性行為をすれば子どもが生まれるということは知ってるし、体の構造も育ての親であるシスター・ベレナからおおよそ教わった。しかし、具体的に何をするかなどは全く想像もつかない。そういう類の小説は読んだことがないし、ララの周りもほとんどがシスターであるから、その手の話題が上がることもない。過保護な姉の存在も余計にララがその手の知識を得る機会から遠ざかっていた原因だ。
まさに未知との遭遇を待っている気分。しかも相手は昨日会ったばかりの男で、背丈は自分の頭をもう一つ付け足しても足りないくらい。そして、袖を捲ってる右腕の筋肉の付き方を見ただけでもガタイがいいのは明らか。ともなれば、ララの今の心情は熊に襲われることが分かっているウサギも同然だ。
ドアがノックされ、ララの体がびくりと動く。ぎぎっとぎこちなく首を回すと、タオルで髪を拭きながらディゼルが入って来た。ディゼルも男用と思しきガウンを着ているが、わざとなのか、そうなってしまうのかはわからないものの、胸元から腹部にかけて着崩れており、息を吸うたびに隆起する筋の通った大胸筋と鎧のように鍛え上げられた腹筋が露わになっている。
見る人が見れば歓声を上げるほどの肉体美であるが、ララは声にならない悲鳴を上げることしかできない。
ディゼルはだるまのように膝を抱えて、自分の肉体に驚愕の表情をしているララを見て思わず噴き出した。今まで夜を共にしたどの女性とも全く違う体勢と反応は、もはやマスコットのように見える。
「ララちゃん、大丈夫かい?」
「だ、だだ。だいじょうぶ」
「うん、大丈夫じゃなさそうだ」
ディゼルは優しく微笑むとララの髪に触れる。普段はゆるくウェーブがかった金色の細い髪はまだ濡れている。女性の濡れた髪を見て、欲情するのが男というものだが、ここまで初心な反応をされるとそれ以上に芽生えてくるものがある。人はこれを父性あるいは母性と呼ぶ。
ディゼルの大きな手が、ララの頭のてっぺんから撫でるように髪を梳いていくと、たちまち彼女の髪にいつものウェーブが戻ってくる。
「な、なに!?」
異変を察知しただるまの背中がぴんと伸びる。
「髪を乾かしてるんだ。濡れたままだと風邪を引くだろ?」
「え? あ、ありがとう」
魔族とは色々と便利な能力を持っているようだ。いつものララならば、適当にタオルで拭いた後、ぼーっと夜風に当たるか、気にせず寝るかの二択だ。
髪を梳かれる心地よさに身をゆだねていると、何となくリアに頭を撫でられていた時のことを思い出し、きゅっと胸が痛んだ。姉のことを思い出してしんみりしているのがばれないように瞼を閉ざした。
髪が完全に乾いたころには、ララのだるま状態は崩れていた。存外気持ちよかった、などと呑気なことを考えていると、いきなり背後から抱きしめられる。というより、拘束される、と言った方が正しいか。
ディゼルの大きな左腕がララの体にぐるりと巻きつく。
「な、何事――!?」
問おうとして振り返ると、目と鼻の先に端正な顔立ちが近づいていたものだから、目を見張る。一瞬で何が行われようとしているのか理解できるほど、今のララの頭は動いていない。
そのため、つい反射的に、思いっきり迫って来た顔の額に頭突きしてしまっても致し方ないことだ。もう少し冷静に対処できたら、きっと手でガードすることくらいできたのだろうが、後の祭りというもの。
ゴン、と鈍い音と同時に、左腕の拘束が僅かに緩んだ。ララはその隙にディゼルと向き合うように方向転換し、やや距離を取る。ディゼルはというと、いきなり頭突きをくらったものだから、額を抑えて沈黙していた。
「ご、ごめんなさい」
これにはララも謝るしかない。いくら昨日会ったばかりの男の顔面が近づいてきて、あろうことか乙女の唇を奪おうとしていたとはいえ、頭突きは良くなかった。ディゼルは額を抑えたまま、緩く首を振る。
「……いや、俺も悪かった。あんたを相手にいつも通りに行くのはダメだよな」
などと、こちらも反省モードである。ちなみに、ディゼルが夜を共にする女性の大半はこういう強引なシチュエーションを求めていたし、嬉々として受け入れてくれていた。しかし、今回に限っては、相手がそのような欲求を微塵も抱いていないということに早々に気づくべきだった。
気を取り直してディゼルが顔を上げる。獰猛な瞳は獲物を狩る鷲のように鋭い光を宿す。しかし、目の前の少女がふるりと小動物よろしく体を震わせているものだから、両の眼光は幾分和らげざるを得なかった。
「……はあ、ほら」
何かを諦めたように肩を落とし、ディゼルは両手を広げる。ララは戸惑いの表情で、ディゼルの顔と広げられた両腕を見比べる。
「あんたのタイミングでこっちに来い。無理ならやめても構わない」
「えっ……」
予想外の言葉にララは目を丸くした。さっきまで人の唇を奪おうとしていた男が、こちらに判断を委ねるとは。
(いや、意外でもないか。私が対価を支払わない限り、お姉ちゃんの捜索はできない。そうなると捜索はどんどん長引くことになる)
ララに急ぐ理由はあれど、ディゼルに急ぐ理由はない。だからこそ、ララに判断を委ねるという時間的な余裕があるのだ、と少し冷静になった頭は推測する。
白い手がぐっと拳を作る。何を意地になっている。拒絶している場合ではないのだ。自分の貞操が剝がされるよりも、自分の姉の方が比べようもないくらい大事なのに。
(もう、覚悟は決めたんだ。あの時から私の道は一つしかない)
自身の躰を対価に姉を見つける。それが、ララの選んだ道だ。
大きく深呼吸をする。ちらっとディゼルの顔を盗み見れば、彼は何も言わずにどうする? と試すような視線をララに寄越した。
ごくりと生唾を飲み下し、瞼を閉じる。ゆっくりと、ディゼルの胸へと体を傾けた。妙に胸がフカフカしているし、体温と匂いがじんと脳に響くような感覚に陥る。
「……優しくして」
「はいよ」
ぼそりと呟いた声はディゼルの耳に届いたらしい。彼の腕が優しくララの体を包み込んだ。
***
右耳を食まれた。柔らかい唇の感触がくすぐったくて身じろげば、それは次第に耳たぶの方へと落ちていく。くちゅりと耳の穴をひと舐めされてびくりと体が震え、ディゼルのガウンを握る。
(こういうものなんだ。たぶん。こういうものなんだ)
と、自分の中で復唱する。耳を舐められるという未知の感覚が世の夫婦たちも行っているかなど、ララは知らない。
だが、たぶんそういうものなのだ。そう暗示をかけないと、叫んで逃げてしまいそうなほど恥ずかしい。
ディゼルは右の耳の中や耳たぶをフニフニと唇で弄んだり、舌でピチャピチャと音を出したりと一頻り楽しんだ後、左の耳も同様に味わっていく。
外側を食み、舌を耳たぶで遊ばせる。耳の裏に舌を沿わせると、腕の中の少女はプルプルと震えた。氷の瞳はその姿を見下ろし、また外側を食んだ。軽くちゅっと吸いつくと、そのまま耳の中をぐちゅぐちゅと舐める。俯いていてもララの顔がどんどん朱色に染まっていくのがわかる。
「ララちゃん、脱がせてもいいかい?」
耳元で心地の良い低音が、小さい子に言い聞かせるように尋ねる。ララは返事の代わりにこくこくと何度も頷いた。
へその前で結んだウエストタイを解いて肩からガウンを下せば、透き通るような白い肌が露わになる。そういうことをするとわかっていたからなのか、下着の類は一切身に着けていなかったようで、恥ずかしそうに腕と手で秘所を隠している。華奢な体躯の、優美に形作られたふくらみは、経験豊富なディゼルですら思わず目を奪われるほど嫋やかな曲線を描いていた。
(よくこれで貞節を守っていられたな)
これも教会に厄介になっていたおかげというのであれば、彼女は運がいいのかもしれない。少しでも治安の悪いところに行けば野蛮な男たちに何をされていたとも限らない。
ディゼルは胸を隠そうとする腕をやんわりと退け、ふんわりとした白肌の山の頂にある無垢な薄紅の蕾に自分の唇を押し当てた。
俯いていたララは、目の前で自分の胸の先端に男が口づけを落とす瞬間を直で見てしまったものだから、目を大きく見開き、全身に駆け巡る熱に頭をくらくらさせる。羞恥心で倒れていないのは、ディゼルの腕が彼女を支えているからに他ならない。
ディゼルは何度か口づけを落とすと、今度は優しく蕾を唇で挟み、舌でペロリと舐める。花びらのように柔らかなそれを押し込み、離し、また舐めて、吸い付く。徐々に、蕾は固さを帯び始め、桃色の果実がディゼルの舌の上で実る。
不意に見上げると、ララが切なげな表情で浅い呼吸を繰り返していた。湧き上がる何かに耐えるように寄せられた柳眉の下では大きな瞳が今にも涙を零してしまいそうなほど潤んでいる。
目に見えた彼女の変化に気を良くしたディゼルの口の端が悪戯っ子のように持ち上がる。すると優しい愛撫から一転、色香漂う果実にむしゃぶりついた。
「ん……」
ぢゅうっと吸い上げるとララの喉の奥から甘い声が漏れる。純潔な少女は一瞬の甘音が自分から発せられたという事実に困惑の色を濃くする。呼吸はより乱れ、熱を帯びた呼気がディゼルの髪にかかる。
ディゼルは右の乳房に吸い付きながら、左側のふくらみにも手を伸ばす。そこにあったのはすでに柔らかな蕾ではなく、繊細に実った果実であり、触れた指先にはややしっとりとした感触が伝わる。
「はぁ……。んっ……んん」
少女の花唇では喉の奥で震える声を抑えることができなくなっていく。全身に走る熱が、脳を蕩かすような甘い電流が、そして断続的に与えられる甘い刺激が、純粋な彼女の躰を変えていく。
ディゼルが左の胸に実った果実の周りを指でなぞる。それがどういうわけかじれったくて、体を捩った。
甘い刺激はララにとっては未知なる恐怖に他ならない。自分の中の何かが壊れるような、剥がされているような感覚に陥る。逃げ出したいが逃げ出したくない。こんな気持ちは初めてである。
「でぃ、ディゼル……? んっ……いっかい、まっ……てんっ」
何かがおかしい。触られてもいないお腹の奥がうずく。秘所がむずむずして、知らないはずの刺激を求めている。どうにかその衝動を抑えたくて、シーツに押し付けるけれど、肝心なところには一切刺激が来ないため、無知なララにはどうすることもできない。
ディゼルの唇がちゅっと果実に口づけして離れる。上体を起こし泣きそうなララを見下ろした。細められた目は優しく笑んでいるようにも、不気味にほくそ笑んでいるようにも見える。甘い刺激から解放されて一息つける、などララが胸を撫でおろしたのはほんの一瞬。
(足りない)
急に胸が締め付けられるような、切ない感情が沸き起こる。さっきまで困惑してやめてほしかったのに、今はもう目の前の男に乳首を触られたくて、吸われたくて仕方がない。自分はどうしてしまったのか。酩酊した脳ではその答えを出すことは叶わない。
「ララちゃん、どうしたの?」
少女の困惑と動揺を感じ取って、ディゼルはわざと問う。どうしたと尋ねはしたけれど、彼女が答えを口にできるとは到底思っていない。
「あ……その」
ララは僅かに腰を揺らしてシーツに秘部を擦り付けている。その姿がなんともいじらしく、また、おねだりの仕方一つ知らないララが欲情して困り果ててる姿のなんとも愛らしいこと。インキュバスの体液に触れ、匂いを嗅いだ女性はどんなに無知でもディゼルの唇を奪い、体を撫でまわすくらいのことはする。それなのに、目の前の少女は言葉を詰まらせて、必死に自分の秘部を慰めようと腰を揺らすだけ。
つまり、彼女はまだ恥を捨ててないのである。その事実にディゼルの猛りが山を張って主張しているのだが、彼はそれを無視してララの頬へと手を伸ばす。
「まだ怖気づいてるっていうのなら、俺はやめてもいいんだぞ」
ニヤリと口角が上がってしまうのは致し方ない。ララはフルフルと大きな瞳を震わせて、やっとの思いで首を左右に振った。
「続けて」
絞りだした声が微かに色を帯びていたのはディゼルの聞き間違いではないだろう。
「仰せのままに、レディ」
茶化すように片目を瞑って、再びピンと主張している桃色の果実を味わう。今度は最初からしゃぶりついて、ぢゅーぢゅーと嫌らしい音を立て吸い付いた。
「ん、あんっ!? へっ……?」
「ははっ」
ララの腰が大きく跳ねる。強い快感に襲われたことに、しかしララの脳は追いついていないものだから戸惑いの声を漏らす。ディゼルの指が唇を押し付けていない方の突起をいじると、それでも彼女は小刻みに震える。甘く漏れる声が徐々に増えているのは、唇を閉ざす余裕もなくなっているからなのだろう。
きゅっと突起をつねれば、「んあっ」と今までで一番甘い艶声が唇から零れた。
(ふーん)
その反応を見てディゼルは目を細める。ペロっと別れの挨拶代わりにたわわな白肌を舐めると、ララの首筋に数回唇を落とす。片手でララの朱色に染まった頬を包むと、彼女の顔を真正面から見つめる。今度は何をするのかとでも言いたげな表情には、怯えと同等の期待が滲んでいる。
ディゼルはララの耳に再度唇を伝わせる。伸びた舌が耳の中を弄り、ぐちゅり、ぐちゅりと卑猥な音を小さくて丸い耳に沁み込ませる。水音の度に小さな躰はぴくりと跳ねた。
節くれだった指が両の薄紅に実った果実を摘まむ。
「んっ……あっ……」
優しく撫でているかと思えば、いきなりきゅっと摘まむ。時折白桃のように滑らかなふくらみをそっと手のひらでなで、雲を扱うようにその柔肉を堪能する。
ふむ、中々絶品だ、などと思いながら親指で突起に触れたときだ。
「ひゃんっ!」
ララの躰が大きく跳ね、ただでさえ薄い腹部がきゅっと締まった。乱れた吐息は熱を放ち、緋色の瞳はキョロキョロと視線を彷徨わせている。耳を犯していたディゼルの舌が離れる。
長い指が離れがたそうに柔肌を撫でてから、とんとんと人差し指と中指を脚のように動かし、お腹を通ってそのさらに下まで腕を伸ばす。
ララは反射的に太ももを閉じようとしたが、すでにヘロヘロの彼女の抵抗など何の意味もなさない。太い指は秘部に触れるとねっとりとした透明な液体を掬い上げた。
ディゼルは無言で自身の指を濡らした愛液を顔の前まで持ってくると、舌でそれを舐める。
「あっ……」
舐められた。おそらく、自分の体液であろうものを。その事実に、ふわふわしていた羞恥心がぶわっと湧き上がる。
ディゼルは自分の指についた愛液を舐め終わると、またララの秘部へと手を伸ばす。そして今度は指で彼女のぐっしょりと濡れた蜜壺を撫でるものだから、また腰がかくかくと揺れる。
「このくらいあれば今日は十分かな」
そのセリフにやっと終わりか、とララは頭の隅っこで安堵する。緊張状態で散々躰を弄られたものだから、体力がもう限界に等しい。
「……まあ、最初にしては及第点か」
などと呟くディゼルの声すら、ララの耳には届いていない。漸く帰れるのだ。もう随分と時間が経っている気がする。早くしないとシスター・ベレナに怒られる。
「ラーラちゃん」
「うん?」
呼ばれたから顔を上げた。ララにしてみればそれだけだった。顔を上げたら何かされるかもしれないと警戒する思考力も残っていなかったのだ。だから、額に柔らかなぬくもりがそっと落とされた後で、ララは状況を理解した。
額に口づけされた。瞬間、ララの意識が暗い揺り籠へと落ちていく。
「おやすみ、いい夢を」
徐々に薄れていく意識の中、ララは瞼の裏に一人の女性の影を見た。どうして、と自分の中で答えを導き出すこともできずに、それは闇に溶けていった。
翌日の早朝、ララは悲鳴を上げて飛び起きた。
目を開けたら凛々しい顔立ちの男がララを抱きかかえて眠っていることに気づいて、昨晩何をしていたのかという記憶が鮮烈に思い起こされてしまったからだ。
ララの悲鳴を目覚ましに、もぞりとディゼルも上体を起こし、呑気に大きな欠伸をする。
「あー……。まだ朝早いじゃないか。もう少し寝ててもいいだろ」
いつも以上に声が低いのは寝起きだからだろう。しかし、ララからすればそんなことどうでもいい話だ。鬼気迫る表情で首を横に振る。
「よ、よくない! 私、修道院に帰らないと……!」
「ここから修道院まで十五分もすれば着くよ」
「そういう問題じゃないよ。男性と夜を共にしたなんてベレナにバレたら怒られるなんて話じゃないよ!」
男と夜を共にして最初の話題がそれか、とディゼルは思ったが、どうせそんなことを言ったところで今のララから色気を期待することなどできない。察しのいい男は不要なことは口にせずに喉の奥へと飲み込んだ。
「バレないように戻れば大丈夫だろ」
「無理だよ。あの人は毎晩ちゃんとみんなが寝てるか確認するんだ。つまり、私がいないことはバレてるし、修道院の鍵はベレナしか持ってないから入ることもできない」
色を失った両頬を手で覆って、だるまのように縮こまる。
(俺に体を任せる時ですらこんな絶望してなかったのにな)
ララにとって、それほどまでに恐ろしいことなのだろう。ディゼルはやれやれと肩を落とした。布団から出ると、一応の配慮としてガウンを着る。
「出る準備をしろ。俺が送る」
「え?」
「この時間なら、俺でも修道院に忍び込めるからな。それであんたはさっさと自分の部屋に戻って布団被ってあたかも最初からそこにいましたって顔をしていればいいさ」
「忍び込むって……。でも、いいの?」
「いいも何もあんたは俺の契約者だろ。最低限の情は尽くすさ。で、どうするんだい?」
シスター・ベレナからの怒りの鉄槌か、不法侵入か。本来であれば天秤にかけるまでもないのだが、こればかりはララの正義感も不正の方へと傾く。
「お願いします」
両手を合わせてディゼルに懇願する。ディゼルはふっと笑うと、くるりと背を向けた。
「じゃあさっさと着替えるように。ああ、それと――」
ベッドから下りようとしていたララをじっと見つめながら言う。
「今日の夜もよろしくな」
「え?」
素っ頓狂な声で聞き返す。何を、よろしくと言った?
「だから、今日の夜も可愛がってあげるってことだ」
「――っ!!?」
ララの頭からつま先まで真っ赤に染まる。口をパクパクとさせて、何かを必死に伝えようとしているようだが、生憎声が出ていないため、何を言っているのかは伝わらない。
「はははっ。大丈夫だ。そのシスターとやらが寝た後に迎えに行くよ」
わざと彼女の言いたそうなことを無視してディゼルは部屋を後にする。背後から「ちがーう!」という抗議の声が聞こえた気がするが。
(気にする必要はないだろう)
いくら抗議したところで、ララがディゼルを頼らざるを得ない事実は変わらない。
(まあ、気長に愉しませてもらおうかな)
こうして、シスターのララとインキュバスのディゼルの、姉探しの物語が幕を開ける。
軽い気持ちで持ち掛けた契約が、この国の真髄に触れるきっかけになるとは露とも知らずに。
遥か昔、魔族戦争に巻き込まれたエレノアに一人の神が降り立ち、魔族たちから国を守った、というものだ。
その神の名はエルファラ。この世のものとは思えない美神さながらの美貌を兼ね備えたその神は、敬虔な信徒たちの祈りを力に変え、幾千もの魔族を倒したという。その姿は武神のように猛々しかったという。それだけでなく知識も豊富であり、破滅寸前だった国をたった百年で盛り立てた。
人々はそんな神を愛した。エレノアの国中に建てられた教会は、人々のエルファラに対する信仰心の現れである。
しかし神との別れは唐突に訪れる。およそ三百年の歳月が流れ、エルファラは衰弱し、やがてその体は霧散してしまった。
人々は嘆いた。残されたのはたった一つの赤紫の塊。神の心臓と呼ばれたそれは、聖遺物として今もなお、教会によって厳重に保管されている。
それから千年以上の月日が流れた。魔族戦争は終結し、人々には安らぎの日々がもたらされていた。
王都エレノアの城下町は穏やかな時間が流れている。住民は道端で会話に花を咲かせ、子どもたちは元気に走り回る。露店からは威勢のいい掛け声が飛び交い、それにつられて客が立ち寄り、ものを物色する。
そんな平和な城下町の中心的存在と言っても過言ではない広場の端っこでは、鬼気迫る表情をした少女が警察官の青年に詰め寄っていた。
少女の髪は金糸のように細く繊細な金髪で、ゆるくウェーブがかったそれは肩下まで伸びている。きゅっと結ばれた唇は血色の良い桃色で、大きな緋色の瞳は夕焼けの太陽を連想させる。白い肌は陶器のようだが、コロコロと変わる表情が、可憐な少女を人間たらしめている。赤紫の修道服は露出こそ少ないが、そのせいで彼女のたわわなふくらみの存在が余計に主張されているようであった。
「どうしてよ!? お姉ちゃんは見つかってないんだよ!?」
「仕方がないだろ。警察も手は尽くしたんだ。それでも全く情報が出てこなかったんだよ。これは規則なんだよ。リアの捜索が一旦打ち切られるのは仕方ないんだって」
「嘘だよ。だって人が何の痕跡もなしに消えるだなんてあり得ない。絶対何か見落としてる点があるはず。ちゃんと探してよ。お願いアルフレッド」
ララが両手を合わせてアルフレッドを見上げる。ララとは二十センチ以上身長差があるアルフレッドからしたら、無意識とはいえ、上目遣いで見つめてくるララに思わず見栄を張りそうになる。が、そんなことをしてさらにがっかりされてはたまったものではない。
「僕個人で調査は続ける。でも、これはもしかしたら、例の失踪事件と同類のものじゃないかって言われてるんだ」
「例のって……。もしかして、『少女失踪事件』のこと?」
少女失踪事件。それは十年ほど前から忽然と若い女性が消えてしまうという事件だ。足取りを掴めた者は誰一人おらず、失踪した女性たちは全員見つかっていない。
その被害者が自分の姉? 一番考えたくない可能性である。しかし、彼女の失踪後の状況とあまりにも酷似していた。
「まだ可能性があるってだけだが。もし本当にそうなら、警察じゃどうにもならない。ああ、もちろん僕は手を尽くすつもりだから、その点は安心してくれ」
「そんな……」
ララは肩を落とす。このまま二度と唯一の肉親である姉に会えないというのか。
(そんなの嫌だ。でも、私だって今まで警察に全部任せてたわけじゃない)
教会での聞き込み、姉の行動範囲は全て満遍なく走り回って、彼女の行方を追った。しかし、どれだけ探しても姉の情報は全くといっていいほど出てこなかったのだ。
最後の頼みの綱は警察だけ。そう思っていたのに、捜査が打ち切られるだなんてあんまりだ。
意気消沈するララを前にアルフレッドは茶色の髪を掻いた。
「その、元気を出してくれ、ララ。そうだ。気晴らしにお茶でも飲まないか? この後ちょうど仕事がなくて――」
「ごめん。今はそんな気分にはなれない」
「そう……、だよな。すまない」
ララはアルフレッドの誘いを断ると、背中を小さくしてとぼとぼと広場を離れた。
そんな二人のやり取りをカフェのテラス席で優雅に紅茶を飲みながら聞いていた男がいた。
セットされた黒髪の、所々紫の差し色が見え隠れし、その下の眉毛は凛々しく、氷のようなアイスブルーの瞳が優し気な目元にクールな眼光を宿す。身長は優に180を越えているであろう長身で、袖を捲った右腕だけでなく、グレーのシャツの上からでも鍛え上げられた筋肉が盛り上がっているのがわかる。
男と二人の距離は少なくとも十メートルは離れている。それなりに人が賑わるおやつ時に彼が二人の会話を盗み聞くのは普通に考えれば不可能だ。
男はニヤリと口角を上げる。何やら面白そうな話だ。それに……と、男の細められた双眸はとぼとぼと歩き去るララへと向けられる。
(この距離からでもわかる清純な気。人間でここまで汚れてないのはレアだな)
ここで会ったがなんとやら。あの力のない歩みならば、余裕で追いつくことだろう。
「レディ、お会計を頼む」
心地よい低音に、女性客の視線が一心に彼へと向く。
男は艶めかしい視線に見送られながらカフェのドアを押し開いた。
教会に戻ったララは掃除用具入れから箒を取り出し、意味もなく道を掃いていた。頭の中は悲しみと絶望でぐちゃぐちゃだ。部屋に閉じこもったらおそらくどうしようもなく病んでしまいそうなほどだ。太陽の光を浴びれば少しは違うかと思ってとりあえず箒を持って外に出てみたが、今日の掃除当番がしっかりと業務を遂行した後のようで、落ち葉一つ落ちていない。
(お姉ちゃんがいなくなってもう三か月は経つ。なのに何の音沙汰もなければ足取りすら掴めないなんて。本当に、少女失踪事件に巻き込まれてしまったの?)
そこまで考えて、ララははっとして首をぶんぶん振った。
(ダメだ。ネガティブなことを考えたら本当になっちゃいそうだもの。今は無心。そう、心を落ち着かせることに集中するんだ)
自分に言い聞かせ、箒を持つ手に力を込める。すると。
「やあ、お嬢さん」
「おわっ!?」
ビクリと肩を震わせて勢いよく振り返る。自分よりも三十センチは高いであろう男性が朗らかな微笑みを浮かべて立っていたものだから、ララの思考は数秒停止した。こんな人、見かけたことはあっただろうか? いや、ない。
「えっと、何か御用でしょうか」
見覚えがないということは、おそらく他国からの観光客だろう。教会に観光客が来るのは珍しくないから、ララもすぐに切り替えて笑顔を作る。
「実は少し尋ねたいことがあってね」
「この教会のことでしたらお応えできる範囲でお答えしますよ」
「それは良かった。実は、あんたのことで聞きたいことがあるんだ」
「……はい?」
ララは耳を疑った。自分のことで聞きたいことがあるとはなんだ。つまりこれは。
(ナンパだ)
普段着だったらたまにあることだが、まさかシスターの恰好をしているのにナンパをしてくる人がいるなんて。これも他国から来たが故なのだろうか。呆れがララの顔に滲む。
「申し訳ございません、私はエルファラ様の敬虔な信徒ですので――」
そのようなお誘いに応えることはできません。と続けようとしたのだが、彼女の声を遮って男は口を開いた。
「リアちゃんって子を知ってるかい?」
その名を聞いてララの目が見開かれる。
知ってるも何も、一番聞き馴染みのある名前だった。
「リア、は、私の姉の名です」
その名をどこで? そう尋ねようにも驚きですぐに言葉が出てこなかった。頭の中にはこの男に対する様々な憶測が飛び交っている。
「だよね。で、君はそのお姉さんを探している妹さん。名前はララちゃん」
名前を言い当てられ、ララの男に対する憶測は良くない方向へと舵を取った。警戒心を露わにするように距離を取る。しかし、肝心の男は特に気にした様子を見せない。それどころか、何が楽しいのかニヤリと口の端を上げる。
「警戒心が強いのは褒められたことだが、そんなに警戒しないでくれよ。俺はリアちゃんを攫った犯人じゃない。寧ろあんたの力になりに来たんだぜ?」
「力に……。にわかに信じられませんが。そもそも、どうして私たちの名前を知ってるんですか?」
依然として警戒を解く気のないララは、箒を盾にでもするかのように前に突き出している。男は胸元から一枚の紙を取り出すと、それをララの方へと投げた。紙はまるで糸で引っ張られたかのようにララの手に収まる。
「……『ディゼル』『情報屋』?」
「ああ。一応ちゃんとしたもんなんだ、その名刺。情報屋協会に問い合わせてくれれば、身元保証もできる」
「そうですか。でも、その情報屋さんがどうしてここに? いつの間に自分から売り込む形に変わったんです?」
身元がはっきりしたからと言ってそう簡単に信じるわけにはいかない。いくら紙が高いと言えど、作ろうと思えば名刺なんて自作できるのだ。訝しみを込めた目でディゼルを見上げる。しかし、やはり彼は口元に微笑みを湛えたままだった。
「自ら足を運ぶ情報屋がいてもいいだろ? それが規約違反ってわけでもないんだ」
これだけ警戒心剝き出しでもディゼルは引き下がるつもりが一切ないらしい。よく回る口が彼の性格を物語っている。
「まあ、話だけでも聞いてくれ。俺はあんたと取引しに来たんだよ。リアちゃんを探す手伝いをするためにね」
「それは助かりますけど、でもなんでですか? あなたはお姉ちゃんの関係者か何かなんですか?」
「いんや全然」
余計に疑問符が浮かぶ。この男はどこで自分と姉の情報を聞きつけ、何を求めてこうして売り込みに来たのか。全くわからない。
「正直、俺はリアちゃんにはあまり関心がない。関心があるのはあんただよ。ララちゃん?」
眉間に皺が寄る。こんなことを言う男を信用する人間は果たしているのだろうか。
とはいえ、この男が提示する条件によっては考える余地はあるとララは判断した。少しでもリアの情報が手に入るのであれば、多少の軽薄さは目を瞑れる。
「何円でお姉ちゃんを探す手伝いをしてくれるんですか」
「お金はいらない。ただ――」
もったいぶったように区切られ首を傾げた瞬間、ララの小さくて丸い耳に生暖かい息がかかった。
「――あんたに、俺の子どもを産んで欲しいんだ」
などと耳元で囁かれ、ララは目を瞬かせる。聞きなれない単語に頭の理解が追いつかない。そして、追いついた時には、猛烈な勢いで、初対面の淑女の耳元で、セクハラともとれる発言をした男の頭目掛けて箒を振り下ろしていた。ディゼルは易々とそれを避ける。
「な、なっ!? あなたねぇ!? ここは教会の敷地内で、私はシスターなんだよ!? いくら異国から来た人だって、言っていいことと悪いことがあることくらいわかるでしょ!?」
「なんだ? 俺はただ取引内容を提示しただけだ。耳元に吹き込んだのは、まあ、ちょっとした配慮だ」
誰が聞いているかわからないからな、と平然と言う。
「変態! すぐに警察のところに連れていくから!!」
「それは勘弁願いたいな」
ディゼルは、ははっと軽く笑い飛ばす。ララの怒りは本物であり、ララの言葉ももちろん本気なのだが、それでもディゼルは余裕らしい。情報屋を名乗るだけあって、だいぶ度胸があるようだ。ララとしてはいい迷惑である。
にやりとディゼルは悪戯な笑みを唇の端に乗せる。
「少し冷静に考えて欲しいんだが、俺を警察に連れて行ったら、あんたは一生お姉さんの手がかりにありつけないかもしれないんだろ? 彼女が消えて三か月間、警察ですら足跡一つ見つけられなかったのに、これからどうするっていうんだい?」
「……っ、それは」
痛い所を突かれた。それは現在進行形で悩んでいることだ。
どうすれば姉を見つけ出せるのか。自分のできることはもうやりつくしてしまい、頼みの警察にも半ば見捨てられたようなものだ。鬱々とした感情を少しでも晴らそうと、意味のない掃き掃除に精を出そうとしていたところなのだ。タイムリーな話題に言葉が詰まるのも無理はない。
ララが黙り込むと、ディゼルはやれやれと肩を竦めた。
「ならこうしよう。お試しとして俺がリアちゃんの情報を集める。そして、それがお気に召したら正式に俺と契約を結ぶ。逆にお気に召さなかったら、そのお試し情報は無料で提供して、俺もあんたの目の前から消える。どうだい? 悪くはないだろ」
ぐっとララが息を飲む。
確かに悪くはない。ディゼルの腕が確かなら、何かしらリアの情報を掴むことができるし、そうでないならこの胡散臭そうな人を遠ざけることができるのだから。
(子どもうんぬんは一旦置いておいて、この人の腕前が信用に値するか見せてもらえるのは大きい)
「わかった。そのお試しでお姉ちゃんの情報を持ってきて」
「ははっ、了解。それなら明日の夕方ごろ、広場の近くのカフェ『フォーション』で待ってるよ」
「あ、明日!? い、いや。別にいいけど、大丈夫なの?」
三か月もの間、なんの情報も出てこなかったのに、一日で何が掴めるというのだろうか。
「まあ見ててよ」
そんなララの不安を余所に、ディゼルは自信たっぷりにパチンと片目を瞑って見せた。
翌日の夕方。ララは言われた通りに広場まで足を向けた。フォーションにはおしゃべりに夢中な客や静かに読書をしている客が時々紅茶を口にする。そんな穏やかな時間が流れている。ララもリアが失踪する前は、彼女や友人たちと訪れていたため、微笑ましい反面、少し感傷的な気分になる。
「ララちゃん」
耳元で低音が囁く。ぞぞっと背筋を撫でられたような感覚に体を震わせながら振り向くと、ディゼルがやあ、と手を上げた。
「あなたか。驚かせないでよ」
「驚かせたつもりはないんだがな。どうした、紅茶でも飲みたいのか?」
「違う。もう、私のことはいいから。調査結果を教えて。お姉ちゃんの行方は掴めたの?」
「残念ながらお姉さんの行方までは掴めなかったが、情報は掴めた。というわけで、シスターさん? 異国からの訪問者に礼拝の仕方を教えてくれるかな?」
礼拝? とララは首を傾げるがすぐにその意味を理解し、ぶすっと頬を膨らませる。
どうやらこの人は、本当に言葉遊びが好きらしい。
礼拝の仕方を教えてほしい。それはつまり、教会に行きたいということなのだろう。ここら辺で一番近く、大きい教会はララの勤め先のノーヴェ教会である。中には厳かな礼拝堂があり、そこにはこの国で一番大きいステンドグラスが壁にはめ込まれている。エルファラが亡くなった後、彼の心臓だけが残されたという神話が描かれたステンドグラスは、エレノアにある9つの教会に散らばっている神話を描いたステンドグラスの中でも特に美しいと評判だ。
ララが礼拝堂にディゼルを連れていくと、彼は中を物色するように見回す。
「人がいないようだからちょうどいい。ララちゃん、こっちにおいで」
などと言って手招きする。
「ここに何があるの」
ララは一歩もその場から動かないで首を回す。見たところいつもと何ら変わりのない礼拝堂である。
「ああ。お姉さんがここにいたという証拠がね」
ここはララとリアの職場で、ここに証拠があるのだとしたら、とっくに警察が見つけているはずだ。そうは思いつつ、期待する気持ちは止められない。仕方なく手招きされた通りにディゼルに近づいて、ディゼルの視線の先を目で追う。しかし、やはりララには何かがあるようには見えない。
もったいぶらないで教えてほしい。そう口にしようとした瞬間、視界が暗転する。突然夜になったわけではない。ディゼルの節くれだった大きな手がララの視界を遮ったのだ。
「な、なに!?」
ぐぎぎ、と自分の目を覆う手をどかそうとするが、片手だというのに全く動かせる気配がない。
「まあまあ。はい、これでまた教会を見てごらん」
ぱっと手を離される。明転した視界にララは目を丸くした。
礼拝堂のステンドグラスの光に当てられて、薄っすらと白い靄のようなものが揺蕩っていた。先ほどまではこんなもの見えなかったし、これが何かもわからない。ステンドグラスから差し込む光は色鮮やかで、光に反射して埃が光って見えるとしてもこんな今にも消え入りそうな靄になるのは不自然だ。
「何あれ」
「リアちゃんがここにいた痕跡だ。もう時間が経ってほとんどないも同然だけどね」
「痕跡?」
この得体の知れない靄が? ララの頭に疑問符が浮かぶ。それを見越したかのようにディゼルは口を開く。
「人はその場を通ると多かれ少なかれ痕跡を残す。匂いだったり足跡だったり、はたまた呼気だったり。それをちょっとしたトリックで見えるようにしたのさ。時間が経っても何かは残ってるかもと思ってな」
「そんなことできるの?」
「それはあんたの目で見たものを信じればいい」
何度目をこすっても、白い靄は消えずに揺蕩っている。今にも消えてしまいそうな白い靄。こんなものが本当にリアがここにいたという証拠になるというのだろうか。
「でも、お姉ちゃんはここで働いていた。これが消えた当時の痕跡になるとは言えないと思うよ」
「本当にそうかい? あんた、もっと周りも見回してみな」
ララは言われた通りにぐるっと礼拝堂を見回す。そしてあ、と声を洩らした。
「ここ、痕跡が集まってるの、教壇の奥の方だけ?」
「ああ。信徒席より後ろには痕跡が全くない。空気中の痕跡はともかくとして、足跡や髪くずなんかは例え掃除をしてても粒子レベルでは取るのが難しいんだ。なのに、それすらない。これが何を意味するかわかるかい?」
ディゼルの問いかけにララは顎に指を添える。
教壇より前には僅かではあるが、痕跡が残っている。それなのに信徒席より後ろには何も残っていなかった。出入り口は後方の後ろの一つのみ。
「お姉ちゃんの痕跡がわざと消されたってこと? だから、捜査をしても足取りが掴めなかった」
「そう、つまりあんたのお姉さんの失踪には何者かが関与していることが決定付けられたってことだな」
不意に『少女失踪事件』のことが頭に過った。十年ほど前から発生している若い女性の失踪事件も、動きがないまま未解決事件として放置されている。
ララは頭を抱えた。痕跡を消せる人それってつまり……。
「ディゼル、あなたの考えを教えて。推測でもいいから」
1つの可能性が浮上したが、まさかそんな、と信じたくない気持ちもある。これ以上考えても悪戯に脳を働かせるだけなので、ディゼルの口から彼なりの答えを聞こうとした。
「あんたらが床板を摺り減らすつもりで掃除をしたわけじゃないなら、魔力によって痕跡を消したんだろう。どうしてこんな中途半端な消し方をしたのかわからないが」
(やっぱり)
「魔族のせいってことだね。お姉ちゃんは魔族に攫われたって」
「魔族と断定するのは早いが、魔力に覚えがあるやつってのは確かだろうな。それと、レディ? もう少し前を調べてみな。痕跡が濃い場所があるはずだ」
ディゼルに促されるまま、祭壇に近づく。ステンドグラスから差し込む光に混じって気づかなかったが、確かにディゼルが言う通り靄が集まって、繭玉のように濃くなっている部分がある。その中心である香炉の蓋を開き、中にあったものを指でつまむ。ララは顔色を青白くした。
露店なんかで売っている花の形に掘られたシルバーのリング。それは、ララが初めて自分のお金で買ったリアへのプレゼントだ。
「お姉ちゃんにあげた指輪。どうしてこんなところに」
「蓋の隙間から入り込んだんだろうな。これが痕跡が濃くなってた理由か。あんたのお姉さんが香炉に指輪を隠す、なんてことをするような人じゃないなら、ここで何かがあったのは間違いないだろう」
「そんな……」
言葉を失い、ララはその場で崩れ落ちた。漸く手がかりが見つかったのに、どこに行ったかはわからない。それどころか魔族に連れていかれてしまったとしたら、遠い他国にいる可能性だってある。国々を渡り歩いて探したとしても、どれくらい時間が必要だろうか。
ララの緋色の瞳から涙がこぼれ落ちる。ぽたぽたと床に大粒の染みを作った。
「レディ、泣いてるところ悪いが人がきそうだ。泣き顔を見られたくないなら移動することをおすすめするよ」
「……うん」
教会の裏手に回り暫くして、漸くララは少しばかり落ち着きを取り戻した。目は泣いていたせいで腫れぼったいが、そんなことを気にしていられない。
「ディゼル。あなたの実力が確かだってことはわかった。でも、あの痕跡と指輪だけでどうやってお姉ちゃんを見つられるっていうの?」
指輪を両手で握りしめながら氷のような瞳を見つめる。ディゼルはいつもの茶化すような表情と打って変わって真面目な表情でララを見つめ返した。
「あんたは俺の正体、大方予想できてるよな」
「たぶん、あなたは魔族なんだよね。そうでもなければあんな芸当できないもん」
「ご明察。あんた、インキュバスって知ってるかい?」
ララは首を横に振る。エレノアでは過去の災厄から、魔族に関する知識はほぼタブー視されている。そのため魔族の細かい種族などララが知るはずもない。
「そうだな……。簡単に言えば、人間の女性の体液を摂取することで、自身の魔力を増強できるという特性を持つ悪魔だ。あと魔族の中も希少価値が高い」
「た……?」
体液を摂取? どういう意味? とララは首を傾げる。生まれてこの方その手の話題から守られていた彼女がすぐにピンと来るわけもない。
その様子を見て、ディゼルはやや視線を左へ逃した後、真面目に話を聞こうとして顔を上げているララと目を合わす。
「……要するに、性的なことをしてる時に出てくる液体だ」
「せっーー! あ、あなたねぇ!?」
「おっと今のは説明だ。怒らないでくれると助かるよ。それにこの特性がリアちゃん失踪事件の打開策になるかもしれないぜ」
目の前の卑猥な魔族の発言にプルプル震えていた拳が、ぴたりと止まる。
「俺にあんたの体液をくれたら、俺の魔力はどこまでも増強できる。そうすれば、今は見えないリアちゃんの痕跡がもっとはっきり見えるようになるかもしれない」
「……どうして私のなの? 女の人だったら誰でもいいんでしょ」
ぐっと感情を抑えて尋ねる。女性であれば、何も自分の体液である必要はないのではないか。しかし、この問いに対しても、ディゼルは口元に仄かな微笑みを浮かべて答える。
「あんたの気は汚れを知らない赤ちゃんと同じくらい清純なんだ。清純な気を持つ子の体液ほど、俺の魔力の増強も早い」
「はあ……?」
「で、全部解決した暁には俺の子を産んでほしい」
と、今度は満面の笑みで口にした。
「はあ?」
じとっとした目でララはディゼルを見る。やはりこの男、不純な動機から適当を言っているだけではないのか、という疑いがその眼差しからひしひしと伝わってくる。
「そんな目で見るなって。体液の摂取はララちゃんの調査のために必要。謂わば必要経費だ。そして、俺の情報や労働力などに対する賃金の代わりに、俺はあんたに子どもを産んでほしい。相場で見れば公正だと思うが」
どこの相場の話をしているのだ、と文句を言いたいところだが、ララの口は閉ざされたまま俯いた。
無茶苦茶なことを言われているのはララでもわかっている。本当であればこの男を警察のところへと連れて行きたいほどだ。しかし、ディゼルのおかげで何もなかった状況に一縷の希望を見出せたのもまた事実であった。
(これはまだお試し。彼の出した条件を飲むかは私が選択できる。それに、代償はあれだけど、ちゃんと取引を持ち掛けてくれている。魔族なら魔力で私を騙すこともそれこそ攫うことだってできたはずなのに……)
ララはディゼルを見上げる。ディゼルはララの答えを待ってくれているのか、視線をわざと別の方向へと向けていた。
よくわからない卑猥な魔族らしいが、ぱっと見た感じは普通の人間の男性と変わらない。
それに、この男とは会話ができる。とりつく島もない普通の人よりもよほど頼りになるし、融通が効くだろう。
「……わかった。その条件、飲むよ」
神に仕えているシスターとしては堕落した選択だと蔑まれることだろう。しかし、シスターとしての資格を失うことよりも、この身が魔族の子どもを孕むよりも、ララはたった一人の肉親に会えなくなる方が恐ろしかった。
そっぽを向いていたディゼルのアイスブルーの瞳がララへと向けられ、妖艶な弧を描く。薄い唇に笑みが浮かぶ。
「契約成立だ。じゃあ早速、俺が取ってる宿に行こうか?」
ポン、と肩に置かれた手にララはびくりと身を震わせた。心の中には自分の選択に対する不安と、神への謝罪の言葉で溢れた。
ディゼルが泊まっているという宿に案内されたララは呆気に取られていた。
ホテル『コランダム』といえば、エレノアでも三本指に入る高級ホテルである。一番安い部屋でも、一泊するだけでララの給料二週間分は優に越える。観光目的ならわかるが、長期滞在を目的として泊まれるようなホテルでは間違ってもない。
どうやらディゼルという男は本当に名のある情報屋だったらしい。そうでもなければ高級ホテルに連泊しようなんて考えはまず浮かばない。
ディゼルが泊まっているのは三階建てのホテルの二階の角部屋。開けば、金色のブラケットライトが廊下を照らし出し、さらに奥に進めばクリスタルを散りばめたようなシャンデリアの豪華な明かり。その下には大きなソファが二つ、白いローテーブルを挟んで向かい合っており、白を基調とし金糸の刺繍が施された絨毯の上に鎮座している。ローテーブルの上にはルームサービスなのか、グラスコンポートの中にフルーツが盛られている。
ララはその光景だけでもう目が回りそうだった。場違いな気がして逃げ出してしまいたいという衝動に駆られたが、ディゼルが肩に手を回しているため逃げる素振りを見せることもできない。促されるままソファに腰かけ、視線だけで部屋を見回した。
「落ち着かない様子だね。はい、書類」
「しょ、書類?」
「こっちは一応公正に、誠実に仕事を行ってるもんでね。契約書と見積書、両方に目を通してもらって、最後にサインをお願いします」
明らかに普通の取引ではないのに契約書を書く必要があるのか。そうは思ったが、この契約書に書かれている内容に自分と姉の命運がかかっているのだから、読むしかあるまい。
全体的に普通の契約書となんら変わらない内容の文が並ぶ。左から右、左から右へと文字列を追う。
(……23.情報というのは人によって価値が異なるため、情報屋が提示した条件と完全に合致した場合に限り契約者は提示された額を支払う。しかし、完全に合致したと見なされない場合は提示額の三割以上の額を支払う。
24.一度情報を与えた時点で取引が成されたこととし、契約者には支払い義務が生じる。しかし、あまりにも契約とかけ離れた内容であった場合は情報屋協会を通じて異議を申し立てられる。
25.公共の機関が情報屋を雇う際は必ず情報屋教会を通すこと。これに違反した場合は契約者と情報屋の両者の身柄を警察に引き渡す……。疲れてきた)
堅苦しい文章を読むのには慣れていない。どうせ読むならば小説の方がいい。などと思いながらララは契約書にペンを走らせ、サインを書き終わるとペンを置く、ペラリと紙を捲る。
見積書の方に移って少しすると、ララはばっと顔を上げた。ディゼルはいつの間にか向かいのソファで長い脚を組み、両目を閉じて紅茶の味を口の中で楽しんでいるようだ。しれっとララの分も用意してある。
「ん? どうした」
ララの視線に気づいてディゼルが片目を開ける。ララは請求書をディゼルの目と鼻の先に突きつけると、指である文をぴしぴしと指さす。
「こ、ここ! ここ!」
「ん? なんだ? 対価の部分に不都合でもあったか?」
「こ、これ! 聞いてない!」
「んー? 『膣性交』がどうした」
ディゼルは何を慌てているのかわからないとでも言いたげな表情で顔を真っ赤にしているララを見る。
「だ、だってこれ、あ、赤ちゃんできちゃうでしょ! ダメだよダメ!」
いくら大事に育てられたからといって、全くの無知というわけではない。子どもが生まれる仕組みに関する知識はあった。とはいえ、そういうことをすれば必ず子どもができると思い込んでいるあたり、彼女の教育係と過保護な姉の教育不足感は否めない。
「……インキュバスは自分で種の有無を調整できるんだが」
「それでもダメ。わ、私はシスターだよ。そりゃああなたがお姉ちゃんを見つけてくれたらそういうことをするって契約だけど……それまではダメ! 絶対ダメ!!」
断固拒否と胸の前でバッテンを作る。ディゼルは逡巡してからこくりと頷いた。
「まあ、確かに手っ取り早くはあるが、体液を取るという点からすれば必須ではないな。だが、それならどこまでならいいんだ」
本当ならばどこもよくはないのだが、そんなことを言ったら契約破棄と同じこと。そうするとリアの行方も闇の中だ。それだけは避けたい。
「しょ、処女だけは……」
弱々しく口にできたのはそれだけだ。処女であるということは神に仕える者の誓約だ。これだけは勘弁してほしいと、恥ずかしさも相まってララは顔を腕で隠す。ディゼルはそんなララを真顔で凝視してから見積書を親指と人差し指でつまんで立ち上がる。少しすると、未だに腕で顔を隠しているララに「ほら」とでも言うように契約書を目の前で揺らした。緋色の瞳がちらっと顔を出す。
「調査中はあくまで体液を取ることが情報の対価だ。だから、あんたの要望通りに書き換えておいた。これでいいだろ」
ララの指が恐る恐る契約書を受け取り、潤んだ瞳で再度最初から最後まで目を通す。確かにそういう内容は消されているようだ。
一安心とはいかないが、及第点だ。ララは力んだサインを書いてディゼルに渡した。彼はやれやれとでもいうように肩を竦める。
「貞操観念が高いのは褒められたことだが、これは先が思いやられるな」
と呟き、ペロッと上唇を舐める。幸いララには見られていなかったが、見られていたらまた白い頬を真っ赤に染めてプンプンと怒ったところだろう。
リビングエリアの右隣の部屋は寝室である。
寝室の真ん中に大きな白いベッドが一つ置かれている。照明はナイトテーブルの上のシンプルなクリスタルのライトだけのようで、他の部屋に比べて薄暗い。シャンデリアがない代わりに天井には絹の天蓋カーテンが吊るされている。
どことなくムーディーな雰囲気に包まれた空間で、ガウン姿になったララは身を縮めていた。しとどに濡れた金糸の髪がライトに照らされキラキラと光る。
(ほ、本当にやるの? まだ、逃げられるよね?)
そんな考えがさっきから頭の中を何周も駆け巡っている。覚悟を決めたとはいえ、今までそういう経験はもちろんなく、今後も仕事を辞めることがない限りは訪れることがなかった経験をこれからするのである。怖くないと言えば嘘になるし、不安が鼓動をかき乱すのも致し方ない。
しかも、ララは物心ついたときにはすでに修道院にお世話になっていたものだから、他の女性たちに比べて性の知識がない。性行為をすれば子どもが生まれるということは知ってるし、体の構造も育ての親であるシスター・ベレナからおおよそ教わった。しかし、具体的に何をするかなどは全く想像もつかない。そういう類の小説は読んだことがないし、ララの周りもほとんどがシスターであるから、その手の話題が上がることもない。過保護な姉の存在も余計にララがその手の知識を得る機会から遠ざかっていた原因だ。
まさに未知との遭遇を待っている気分。しかも相手は昨日会ったばかりの男で、背丈は自分の頭をもう一つ付け足しても足りないくらい。そして、袖を捲ってる右腕の筋肉の付き方を見ただけでもガタイがいいのは明らか。ともなれば、ララの今の心情は熊に襲われることが分かっているウサギも同然だ。
ドアがノックされ、ララの体がびくりと動く。ぎぎっとぎこちなく首を回すと、タオルで髪を拭きながらディゼルが入って来た。ディゼルも男用と思しきガウンを着ているが、わざとなのか、そうなってしまうのかはわからないものの、胸元から腹部にかけて着崩れており、息を吸うたびに隆起する筋の通った大胸筋と鎧のように鍛え上げられた腹筋が露わになっている。
見る人が見れば歓声を上げるほどの肉体美であるが、ララは声にならない悲鳴を上げることしかできない。
ディゼルはだるまのように膝を抱えて、自分の肉体に驚愕の表情をしているララを見て思わず噴き出した。今まで夜を共にしたどの女性とも全く違う体勢と反応は、もはやマスコットのように見える。
「ララちゃん、大丈夫かい?」
「だ、だだ。だいじょうぶ」
「うん、大丈夫じゃなさそうだ」
ディゼルは優しく微笑むとララの髪に触れる。普段はゆるくウェーブがかった金色の細い髪はまだ濡れている。女性の濡れた髪を見て、欲情するのが男というものだが、ここまで初心な反応をされるとそれ以上に芽生えてくるものがある。人はこれを父性あるいは母性と呼ぶ。
ディゼルの大きな手が、ララの頭のてっぺんから撫でるように髪を梳いていくと、たちまち彼女の髪にいつものウェーブが戻ってくる。
「な、なに!?」
異変を察知しただるまの背中がぴんと伸びる。
「髪を乾かしてるんだ。濡れたままだと風邪を引くだろ?」
「え? あ、ありがとう」
魔族とは色々と便利な能力を持っているようだ。いつものララならば、適当にタオルで拭いた後、ぼーっと夜風に当たるか、気にせず寝るかの二択だ。
髪を梳かれる心地よさに身をゆだねていると、何となくリアに頭を撫でられていた時のことを思い出し、きゅっと胸が痛んだ。姉のことを思い出してしんみりしているのがばれないように瞼を閉ざした。
髪が完全に乾いたころには、ララのだるま状態は崩れていた。存外気持ちよかった、などと呑気なことを考えていると、いきなり背後から抱きしめられる。というより、拘束される、と言った方が正しいか。
ディゼルの大きな左腕がララの体にぐるりと巻きつく。
「な、何事――!?」
問おうとして振り返ると、目と鼻の先に端正な顔立ちが近づいていたものだから、目を見張る。一瞬で何が行われようとしているのか理解できるほど、今のララの頭は動いていない。
そのため、つい反射的に、思いっきり迫って来た顔の額に頭突きしてしまっても致し方ないことだ。もう少し冷静に対処できたら、きっと手でガードすることくらいできたのだろうが、後の祭りというもの。
ゴン、と鈍い音と同時に、左腕の拘束が僅かに緩んだ。ララはその隙にディゼルと向き合うように方向転換し、やや距離を取る。ディゼルはというと、いきなり頭突きをくらったものだから、額を抑えて沈黙していた。
「ご、ごめんなさい」
これにはララも謝るしかない。いくら昨日会ったばかりの男の顔面が近づいてきて、あろうことか乙女の唇を奪おうとしていたとはいえ、頭突きは良くなかった。ディゼルは額を抑えたまま、緩く首を振る。
「……いや、俺も悪かった。あんたを相手にいつも通りに行くのはダメだよな」
などと、こちらも反省モードである。ちなみに、ディゼルが夜を共にする女性の大半はこういう強引なシチュエーションを求めていたし、嬉々として受け入れてくれていた。しかし、今回に限っては、相手がそのような欲求を微塵も抱いていないということに早々に気づくべきだった。
気を取り直してディゼルが顔を上げる。獰猛な瞳は獲物を狩る鷲のように鋭い光を宿す。しかし、目の前の少女がふるりと小動物よろしく体を震わせているものだから、両の眼光は幾分和らげざるを得なかった。
「……はあ、ほら」
何かを諦めたように肩を落とし、ディゼルは両手を広げる。ララは戸惑いの表情で、ディゼルの顔と広げられた両腕を見比べる。
「あんたのタイミングでこっちに来い。無理ならやめても構わない」
「えっ……」
予想外の言葉にララは目を丸くした。さっきまで人の唇を奪おうとしていた男が、こちらに判断を委ねるとは。
(いや、意外でもないか。私が対価を支払わない限り、お姉ちゃんの捜索はできない。そうなると捜索はどんどん長引くことになる)
ララに急ぐ理由はあれど、ディゼルに急ぐ理由はない。だからこそ、ララに判断を委ねるという時間的な余裕があるのだ、と少し冷静になった頭は推測する。
白い手がぐっと拳を作る。何を意地になっている。拒絶している場合ではないのだ。自分の貞操が剝がされるよりも、自分の姉の方が比べようもないくらい大事なのに。
(もう、覚悟は決めたんだ。あの時から私の道は一つしかない)
自身の躰を対価に姉を見つける。それが、ララの選んだ道だ。
大きく深呼吸をする。ちらっとディゼルの顔を盗み見れば、彼は何も言わずにどうする? と試すような視線をララに寄越した。
ごくりと生唾を飲み下し、瞼を閉じる。ゆっくりと、ディゼルの胸へと体を傾けた。妙に胸がフカフカしているし、体温と匂いがじんと脳に響くような感覚に陥る。
「……優しくして」
「はいよ」
ぼそりと呟いた声はディゼルの耳に届いたらしい。彼の腕が優しくララの体を包み込んだ。
***
右耳を食まれた。柔らかい唇の感触がくすぐったくて身じろげば、それは次第に耳たぶの方へと落ちていく。くちゅりと耳の穴をひと舐めされてびくりと体が震え、ディゼルのガウンを握る。
(こういうものなんだ。たぶん。こういうものなんだ)
と、自分の中で復唱する。耳を舐められるという未知の感覚が世の夫婦たちも行っているかなど、ララは知らない。
だが、たぶんそういうものなのだ。そう暗示をかけないと、叫んで逃げてしまいそうなほど恥ずかしい。
ディゼルは右の耳の中や耳たぶをフニフニと唇で弄んだり、舌でピチャピチャと音を出したりと一頻り楽しんだ後、左の耳も同様に味わっていく。
外側を食み、舌を耳たぶで遊ばせる。耳の裏に舌を沿わせると、腕の中の少女はプルプルと震えた。氷の瞳はその姿を見下ろし、また外側を食んだ。軽くちゅっと吸いつくと、そのまま耳の中をぐちゅぐちゅと舐める。俯いていてもララの顔がどんどん朱色に染まっていくのがわかる。
「ララちゃん、脱がせてもいいかい?」
耳元で心地の良い低音が、小さい子に言い聞かせるように尋ねる。ララは返事の代わりにこくこくと何度も頷いた。
へその前で結んだウエストタイを解いて肩からガウンを下せば、透き通るような白い肌が露わになる。そういうことをするとわかっていたからなのか、下着の類は一切身に着けていなかったようで、恥ずかしそうに腕と手で秘所を隠している。華奢な体躯の、優美に形作られたふくらみは、経験豊富なディゼルですら思わず目を奪われるほど嫋やかな曲線を描いていた。
(よくこれで貞節を守っていられたな)
これも教会に厄介になっていたおかげというのであれば、彼女は運がいいのかもしれない。少しでも治安の悪いところに行けば野蛮な男たちに何をされていたとも限らない。
ディゼルは胸を隠そうとする腕をやんわりと退け、ふんわりとした白肌の山の頂にある無垢な薄紅の蕾に自分の唇を押し当てた。
俯いていたララは、目の前で自分の胸の先端に男が口づけを落とす瞬間を直で見てしまったものだから、目を大きく見開き、全身に駆け巡る熱に頭をくらくらさせる。羞恥心で倒れていないのは、ディゼルの腕が彼女を支えているからに他ならない。
ディゼルは何度か口づけを落とすと、今度は優しく蕾を唇で挟み、舌でペロリと舐める。花びらのように柔らかなそれを押し込み、離し、また舐めて、吸い付く。徐々に、蕾は固さを帯び始め、桃色の果実がディゼルの舌の上で実る。
不意に見上げると、ララが切なげな表情で浅い呼吸を繰り返していた。湧き上がる何かに耐えるように寄せられた柳眉の下では大きな瞳が今にも涙を零してしまいそうなほど潤んでいる。
目に見えた彼女の変化に気を良くしたディゼルの口の端が悪戯っ子のように持ち上がる。すると優しい愛撫から一転、色香漂う果実にむしゃぶりついた。
「ん……」
ぢゅうっと吸い上げるとララの喉の奥から甘い声が漏れる。純潔な少女は一瞬の甘音が自分から発せられたという事実に困惑の色を濃くする。呼吸はより乱れ、熱を帯びた呼気がディゼルの髪にかかる。
ディゼルは右の乳房に吸い付きながら、左側のふくらみにも手を伸ばす。そこにあったのはすでに柔らかな蕾ではなく、繊細に実った果実であり、触れた指先にはややしっとりとした感触が伝わる。
「はぁ……。んっ……んん」
少女の花唇では喉の奥で震える声を抑えることができなくなっていく。全身に走る熱が、脳を蕩かすような甘い電流が、そして断続的に与えられる甘い刺激が、純粋な彼女の躰を変えていく。
ディゼルが左の胸に実った果実の周りを指でなぞる。それがどういうわけかじれったくて、体を捩った。
甘い刺激はララにとっては未知なる恐怖に他ならない。自分の中の何かが壊れるような、剥がされているような感覚に陥る。逃げ出したいが逃げ出したくない。こんな気持ちは初めてである。
「でぃ、ディゼル……? んっ……いっかい、まっ……てんっ」
何かがおかしい。触られてもいないお腹の奥がうずく。秘所がむずむずして、知らないはずの刺激を求めている。どうにかその衝動を抑えたくて、シーツに押し付けるけれど、肝心なところには一切刺激が来ないため、無知なララにはどうすることもできない。
ディゼルの唇がちゅっと果実に口づけして離れる。上体を起こし泣きそうなララを見下ろした。細められた目は優しく笑んでいるようにも、不気味にほくそ笑んでいるようにも見える。甘い刺激から解放されて一息つける、などララが胸を撫でおろしたのはほんの一瞬。
(足りない)
急に胸が締め付けられるような、切ない感情が沸き起こる。さっきまで困惑してやめてほしかったのに、今はもう目の前の男に乳首を触られたくて、吸われたくて仕方がない。自分はどうしてしまったのか。酩酊した脳ではその答えを出すことは叶わない。
「ララちゃん、どうしたの?」
少女の困惑と動揺を感じ取って、ディゼルはわざと問う。どうしたと尋ねはしたけれど、彼女が答えを口にできるとは到底思っていない。
「あ……その」
ララは僅かに腰を揺らしてシーツに秘部を擦り付けている。その姿がなんともいじらしく、また、おねだりの仕方一つ知らないララが欲情して困り果ててる姿のなんとも愛らしいこと。インキュバスの体液に触れ、匂いを嗅いだ女性はどんなに無知でもディゼルの唇を奪い、体を撫でまわすくらいのことはする。それなのに、目の前の少女は言葉を詰まらせて、必死に自分の秘部を慰めようと腰を揺らすだけ。
つまり、彼女はまだ恥を捨ててないのである。その事実にディゼルの猛りが山を張って主張しているのだが、彼はそれを無視してララの頬へと手を伸ばす。
「まだ怖気づいてるっていうのなら、俺はやめてもいいんだぞ」
ニヤリと口角が上がってしまうのは致し方ない。ララはフルフルと大きな瞳を震わせて、やっとの思いで首を左右に振った。
「続けて」
絞りだした声が微かに色を帯びていたのはディゼルの聞き間違いではないだろう。
「仰せのままに、レディ」
茶化すように片目を瞑って、再びピンと主張している桃色の果実を味わう。今度は最初からしゃぶりついて、ぢゅーぢゅーと嫌らしい音を立て吸い付いた。
「ん、あんっ!? へっ……?」
「ははっ」
ララの腰が大きく跳ねる。強い快感に襲われたことに、しかしララの脳は追いついていないものだから戸惑いの声を漏らす。ディゼルの指が唇を押し付けていない方の突起をいじると、それでも彼女は小刻みに震える。甘く漏れる声が徐々に増えているのは、唇を閉ざす余裕もなくなっているからなのだろう。
きゅっと突起をつねれば、「んあっ」と今までで一番甘い艶声が唇から零れた。
(ふーん)
その反応を見てディゼルは目を細める。ペロっと別れの挨拶代わりにたわわな白肌を舐めると、ララの首筋に数回唇を落とす。片手でララの朱色に染まった頬を包むと、彼女の顔を真正面から見つめる。今度は何をするのかとでも言いたげな表情には、怯えと同等の期待が滲んでいる。
ディゼルはララの耳に再度唇を伝わせる。伸びた舌が耳の中を弄り、ぐちゅり、ぐちゅりと卑猥な音を小さくて丸い耳に沁み込ませる。水音の度に小さな躰はぴくりと跳ねた。
節くれだった指が両の薄紅に実った果実を摘まむ。
「んっ……あっ……」
優しく撫でているかと思えば、いきなりきゅっと摘まむ。時折白桃のように滑らかなふくらみをそっと手のひらでなで、雲を扱うようにその柔肉を堪能する。
ふむ、中々絶品だ、などと思いながら親指で突起に触れたときだ。
「ひゃんっ!」
ララの躰が大きく跳ね、ただでさえ薄い腹部がきゅっと締まった。乱れた吐息は熱を放ち、緋色の瞳はキョロキョロと視線を彷徨わせている。耳を犯していたディゼルの舌が離れる。
長い指が離れがたそうに柔肌を撫でてから、とんとんと人差し指と中指を脚のように動かし、お腹を通ってそのさらに下まで腕を伸ばす。
ララは反射的に太ももを閉じようとしたが、すでにヘロヘロの彼女の抵抗など何の意味もなさない。太い指は秘部に触れるとねっとりとした透明な液体を掬い上げた。
ディゼルは無言で自身の指を濡らした愛液を顔の前まで持ってくると、舌でそれを舐める。
「あっ……」
舐められた。おそらく、自分の体液であろうものを。その事実に、ふわふわしていた羞恥心がぶわっと湧き上がる。
ディゼルは自分の指についた愛液を舐め終わると、またララの秘部へと手を伸ばす。そして今度は指で彼女のぐっしょりと濡れた蜜壺を撫でるものだから、また腰がかくかくと揺れる。
「このくらいあれば今日は十分かな」
そのセリフにやっと終わりか、とララは頭の隅っこで安堵する。緊張状態で散々躰を弄られたものだから、体力がもう限界に等しい。
「……まあ、最初にしては及第点か」
などと呟くディゼルの声すら、ララの耳には届いていない。漸く帰れるのだ。もう随分と時間が経っている気がする。早くしないとシスター・ベレナに怒られる。
「ラーラちゃん」
「うん?」
呼ばれたから顔を上げた。ララにしてみればそれだけだった。顔を上げたら何かされるかもしれないと警戒する思考力も残っていなかったのだ。だから、額に柔らかなぬくもりがそっと落とされた後で、ララは状況を理解した。
額に口づけされた。瞬間、ララの意識が暗い揺り籠へと落ちていく。
「おやすみ、いい夢を」
徐々に薄れていく意識の中、ララは瞼の裏に一人の女性の影を見た。どうして、と自分の中で答えを導き出すこともできずに、それは闇に溶けていった。
翌日の早朝、ララは悲鳴を上げて飛び起きた。
目を開けたら凛々しい顔立ちの男がララを抱きかかえて眠っていることに気づいて、昨晩何をしていたのかという記憶が鮮烈に思い起こされてしまったからだ。
ララの悲鳴を目覚ましに、もぞりとディゼルも上体を起こし、呑気に大きな欠伸をする。
「あー……。まだ朝早いじゃないか。もう少し寝ててもいいだろ」
いつも以上に声が低いのは寝起きだからだろう。しかし、ララからすればそんなことどうでもいい話だ。鬼気迫る表情で首を横に振る。
「よ、よくない! 私、修道院に帰らないと……!」
「ここから修道院まで十五分もすれば着くよ」
「そういう問題じゃないよ。男性と夜を共にしたなんてベレナにバレたら怒られるなんて話じゃないよ!」
男と夜を共にして最初の話題がそれか、とディゼルは思ったが、どうせそんなことを言ったところで今のララから色気を期待することなどできない。察しのいい男は不要なことは口にせずに喉の奥へと飲み込んだ。
「バレないように戻れば大丈夫だろ」
「無理だよ。あの人は毎晩ちゃんとみんなが寝てるか確認するんだ。つまり、私がいないことはバレてるし、修道院の鍵はベレナしか持ってないから入ることもできない」
色を失った両頬を手で覆って、だるまのように縮こまる。
(俺に体を任せる時ですらこんな絶望してなかったのにな)
ララにとって、それほどまでに恐ろしいことなのだろう。ディゼルはやれやれと肩を落とした。布団から出ると、一応の配慮としてガウンを着る。
「出る準備をしろ。俺が送る」
「え?」
「この時間なら、俺でも修道院に忍び込めるからな。それであんたはさっさと自分の部屋に戻って布団被ってあたかも最初からそこにいましたって顔をしていればいいさ」
「忍び込むって……。でも、いいの?」
「いいも何もあんたは俺の契約者だろ。最低限の情は尽くすさ。で、どうするんだい?」
シスター・ベレナからの怒りの鉄槌か、不法侵入か。本来であれば天秤にかけるまでもないのだが、こればかりはララの正義感も不正の方へと傾く。
「お願いします」
両手を合わせてディゼルに懇願する。ディゼルはふっと笑うと、くるりと背を向けた。
「じゃあさっさと着替えるように。ああ、それと――」
ベッドから下りようとしていたララをじっと見つめながら言う。
「今日の夜もよろしくな」
「え?」
素っ頓狂な声で聞き返す。何を、よろしくと言った?
「だから、今日の夜も可愛がってあげるってことだ」
「――っ!!?」
ララの頭からつま先まで真っ赤に染まる。口をパクパクとさせて、何かを必死に伝えようとしているようだが、生憎声が出ていないため、何を言っているのかは伝わらない。
「はははっ。大丈夫だ。そのシスターとやらが寝た後に迎えに行くよ」
わざと彼女の言いたそうなことを無視してディゼルは部屋を後にする。背後から「ちがーう!」という抗議の声が聞こえた気がするが。
(気にする必要はないだろう)
いくら抗議したところで、ララがディゼルを頼らざるを得ない事実は変わらない。
(まあ、気長に愉しませてもらおうかな)
こうして、シスターのララとインキュバスのディゼルの、姉探しの物語が幕を開ける。
軽い気持ちで持ち掛けた契約が、この国の真髄に触れるきっかけになるとは露とも知らずに。
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