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第二章
例えこの身を堕としても、私があなたを見つけ出す2
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月明りさえ射さないような夜。街頭の明かりがぽつりぽつりと風船のように浮かび、地上の影の形をぼんやりと浮き立たせる。
命ある者の多くは寝静まっている時間に、エレノア有数の高級ホテルの扉が開かれ、中からやけに満足気な顔をした男と、疲れ果てた様子で背を丸めている少女が出てきた。少女は周囲に視線を飛ばし、誰もいないことを確認してから、コートについているフードを目深に被り直した。
「用心深いねぇ」
「誰が見てるとも限らないでしょ」
ディゼルの目が弧を描く。最初に彼女に触れてからもう二週間は経つというのに、この娘は相変わらず真面目だ。処女こそ残っていると言うものの、躰は散々ディゼルによって開発されている。それなのに、まだ自分がシスターであるという誇りを失っていない。体裁を守ろうと今もこうして必死に足掻いている。
「そんな姿してるやつを見て、清く正しいシスター様だとは誰も思わないさ。いいとこ、不審者だろう」
「失礼な! 誰のせいで毎回こんな姿で出歩く羽目になってると思ってるの!? あなたが瞬間移動みたいにホテルから部屋まで運んでくれたらこんなことしなくていいのに!」
「だから言っただろ? そんな力は人間が魔族を勝手に想像して書いた夢物語。それに俺はインキュバスであって思考を介した魔法しか扱えないって」
毎夜この二人が並んで歩いているのは、つまりこの事が原因である。ディゼルは魔力を扱うことができると言っても、そのほとんどが人の思考に関与するものであり、瞬間移動や高速移動なんていう物理法則を無視した魔法は使えない。そのせいで、ララは人に見られるのを恐れながら、毎回ディゼルのホテルに通って帰るを繰り返す羽目になっていた。
一人で帰ろうとしたこともあったが、多かれ少なかれ物騒な考えを持っている人や物乞いが姿を表す夜道を歩く勇気はララにはなかった。
それに一人で帰ったところで修道院の鍵は閉まっているので自力で部屋に戻ることは不可能。結局ディゼルと並んで帰るしか選択肢はなかった。
「それに、あれからお姉ちゃんの調査は進んでるの? 全然動いてくれてるように見えないんだけど」
「心外だな。あんたがお勤めしてる間は、俺は俺でちゃんと働いてるよ。ま、あんまり順調にいってるとは言えないが」
ディゼルは途中で言葉を区切るとララへと視線を落とす。大きな瞳は一見、気丈にこちらを見上げているように見えるが、潤んだそれがフルフルと震えているのを氷の双眸は見逃すはずもない。
「……まあ、大丈夫だ。もうちょっとあんたの濃密な体液をくれるって言うんだったら感知能力も上がるかもしれないんだがなー」
「なっ……。変態!」
ララがシッシと手で払うような仕草をした挙句、「もう帰る!」と小走りしてしまう。
しかしながら、もともとディゼルの歩幅とララの歩幅は倍くらいの差があるので大して距離は開かないのだが。
プリプリと走り去るララの後ろ姿に肩を竦めたと同時に、ディゼルは足を止めた。鋭く細められた氷の瞳が後方へと向けられる。
ぼんやりとした明かりに照らされた夜の街。風の吹き抜ける音だけが僅かに聞こえてくる。
「どうしたの?」
ディゼルが立ち止まっていることに気づいたらしいララが振り返る。
「いや、何でもない」
ブーツの音がカツカツと響く。街頭に照らし出された影が僅かに揺れた。
朝食の時間、ララはふわっと欠伸をした。今まで生きていてずっと規則正しい生活を送っていたのに、急に連日夜更かしをしているのだから無理もない。
「あら、今日も眠そうね」
ララの向かいに座っている銀色の髪の女性が、パンを口の中へと運びながら言う。
髪と同じ色で目元を縁どる芯のある睫毛は長く伸び、エメラルドグリーンの瞳の美しさを一層際立たせている。
人形のように美しい容貌をしている彼女の名前はミーア。ララとリアの親友であり、お姉さん的存在だ。
「ちょっとね」
本当のことを言うわけにもいかず、曖昧に言葉を濁すと、ミーアは眉尻を下げた。
「もしかしてあなたも眠れていないの?」
「あなたもって。ミーアは眠れてないの?」
「いいえ、私じゃないわ。最近、他のシスターたちも眠れないって子が増えてるのよ。いや、眠れない日もあるって感じだったかしら? 例えば、ほら」
とミーアが視線で三人組のシスターたちの方を指す。シスターたちの中でも特におしゃべりで有名な三人組だ。
「本当にかっこよかったの。『レディ、少しお邪魔するね』ってあたしの部屋に入ってきてー」
「私も私も! 顔も良くて、身長高くって、声も低くて。『一緒にお茶を飲みながらお話ししませんか?』って!」
「むぐむぐ……。その人、私も夢で見たかも。水色の瞳で私を見つめて来たの。それでいっぱい話して――はぁ、なんで私話した内容一つも覚えてないんだろう」
「あれからあたし、あの人のことが頭から離れなくって寝不足なの。これってもしかして恋かな」
きゃっきゃとはしゃぐ声に、ララは怪訝なことを聞いたと眉間に皺を寄せる。
(顔が良くて、身長が高くて、声が低くて、水色の瞳をした夢に現れる男……)
ぼんやりとある男の顔が思い浮かぶ。
(そういえば、インキュバスって夢の中を自由に通れるとか言ってたよね。で、毎日ここの鍵を開けてもらうために侵入してもらってるから……)
もしかしなくても、あの男が修道院に入り込めた理由はシスターたちの夢の中を経由しているからだとでも言うのだろうか。
(それにしては楽しそうにお話しする余裕があるみたいだけど。まさかナンパ?)
人の夢に侵入したついでにナンパしているのであれば、この状況はあまりよろしくない気がする。
はあ、とララが溜息を吐いたと同時にミーアも息を吐いた。
「全く呆れてしまうわ。彼女たちにとって誓願はないに等しいものなのかしら? ああいう話をするのなら、せめて外でしてほしいものね」
「そ、そうだよねー」
と返事をするが、ララも誓願を守れているかといえばかなり微妙なラインである。心臓が縮むような感覚を押し込むように、ララは勢いよくパンをちぎって口の中に放り込んだ。
珍しい客がやって来たのはララが掃き掃除をしている時だった。
皺ひとつないベージュのスーツにばっちりスタイリングされた茶色の髪。深海を映したような青い瞳は、ララを映した途端すっと細められる。
アルフレッドが「やあ」と片手を上げて挨拶する。ララは箒を持つ手を止め、目を瞬かせた。
「アルフレッド? どうしたのこんな時間に。今日は仕事じゃないの?」
「早めの休憩時間だ。どうしても君に伝えたいことがあったから」
「伝えたいこと?」
アルフレッドは真剣な眼差しで頷くと、キョロキョロと周囲を見回し、他に誰もいないことを確認してからララの耳元に唇を寄せる。
「実は、リアについて話したいことがあるんだ」
「えっ!? な、何かわかったの!?」
ああ、とでもいうようにアルフレッドが首を縦に振る。期待からか、ララの緋色の瞳がきらきらと光る。
「でもここでは話せない。警察の中には僕が一人で調査を続けていることを良く思わない奴も多いんだ。それにどこに聞き耳を立ててる輩がいるかわかったもんじゃない。だから、別の場所を用意して二人きりで話したいんだ。どうかな」
随分と慎重なようだが、リアの失踪が少女失踪事件に関わっているかもしれないというのであれば、彼の態度もなんらおかしいものではないだろう。ララは興奮を隠しきれない様子で大仰に頷いた。
「もちろん! なんだったら今からでも……いや、あなたも休憩中なだけだもんね。それに私も仕事があるし」
「そう急ぐ必要は無い。今日の夕方、君の仕事が終わる頃に迎えに来るよ。それで問題ないだろう?」
夕方、という言葉に一瞬固まった。ララの要望により、ディゼルが迎えに来るのはいつも夜の帳が下りてから。夕方であればアルフレッドの話を聞いて帰ってくれば十分余裕があるはずだから……。
(アルフレッドからの情報を伝えれば、お姉ちゃんの捜索もぐんと進むはずだし。うん、問題ないよね)
「じゃあ、今日の夕方、教会の入口で待ってる」
「ああ、どうか忘れないでくれよ」
アルフレッドは口元に笑みを湛えて教会を去っていく。その後ろ姿を見送ってから、ララの箒は軽快に落ち葉を掃き始めた。
時間は進み、アルフレッドとの約束の時間の少し前。ララの前には険しい表情をした老女が立っていた。
ピンと伸びた背筋に、きりりとつりあがった双眸がララを見下ろしている。
「お願いだよシスター・ベレナ。神に誓って恋愛とか恋仲とかじゃないんだ」
「……はあ。まったく」
ベレナは徐に溜息を吐くと、ララから受け取った外出届けに視線を落とした。そこには正直にアルフレッドに会いに行くという内容が書かれている。
「ララ。私は貴方がそのようなことをする子だとは思っていませんよ。しかし、この男があなたに無体を働かないと誰が証明できますか」
「アルフレッドはそんなんじゃない。ただの友だちだよ」
「それは貴方の主観でしょう? 相手がどう思っているかなんてわかったもんじゃありません。それに、本当に潔白だと言うのなら、何も今日でなくても良いではありませんか。休日の、日が高い時間に会うのではダメなのですか?」
「それは……」
ベレナの言い分も一理ある。こんな時間に外出しようとするから怪しまれるのであれば、休日の昼間に会いに行けばいいだけの話だ。
しかし、今回はリアが関わっているのだ。リアの情報なら一秒でも早く知りたい。例えそれで多少怪しまれることになっても。
「お、お願い。絶対すぐに戻ってくるから」
もしかしたら、リアのことを話せばベレナも了承してくれるかもしれないが、アルフレッドがあそこまで警戒しているのだ。例え相手がべレナでも、下手に言うことは憚られる。
「理由は話せないのですね」
「う……。はい。すみません」
ベレナは肩を落とす。近くの棚からペンを取り出すと、外出届けに自分のサインを書いた。
「いいですか? 何かに巻き込まれそうだと思ったらすぐに逃げるんですよ。私は貴方まで失うなんて嫌ですからね」
「シスター……」
ベレナが自分の気持ちを素直に口にするのは珍しいことだった。リアの失踪は冷静な彼女の心にも大きな傷になっているらしい。
しかし、それならばやはり、自分はアルフレッドに会いに行かなくてはいけない。
「もちろん。何かあってもすぐ帰ってくるから」
ララは決意を込めた眼差しでベレナを見上げて、大きく頷いた。
ララがベレナを説得させている頃、広場の近くの裏路地にディゼルはいた。固く閉じた瞼をゆっくり開くと、僅かに肩を上下させた。
(ここも大した収穫はなし)
ララの体液を摂取したことにより、リアの過去の行動範囲を明らかにすることができたのは良かったが、問題はここからだった。
リアと接触したことがある人々を中心に彼らの夢へと介入し情報を聞き出す。夢の中ですら口が固い人なんて滅多にいないから事はスムーズに進むだろう。そう楽観視していたディゼルはすぐに行き詰まる。
(どいつもこいつも健全なお付き合いばっかだ)
人がいきなり失踪することなんてあり得ない。誰かしら失踪する直前の彼女を知っているはずなのに、その記憶を持っている人が全くいない。野良犬や自由に飛び回る鳥ですら知らないと来たもんだ。
(いや、健全じゃない奴はそもそも夢に入れなかった)
ディゼルは手元のメモを見る。そこには調査対象者となった人々の名前が羅列されており、彼が調べた人には横線が引かれていた。引かれていないのはもう五人もいない。
(魔物に連れ去られたとしても、その痕跡が全くないなんてあり得ない。もしかして、リアは……)
「一一こんな辛気臭いところで考えていてもいい案なんざ浮かばないな。ティータイムとするか」
脳裏に浮かんだ可能性をかき消すように言葉にすると、ディゼルはくるりと来た道に戻っていった。
広場からさらに歩く。見慣れた街並みはすでに通り過ぎていた。
一体どこに行くのかと疑問を口にしても、アルフレッドは何も答えてくれなかった。いいからついて来てくれ。何も言わずについてきてほしい。もう少しだから。その繰り返しだ。
ベレナの説得に時間がかかったせいもあるが、日はもう半分ほど沈んでいる。着実に暗くなっていく空と、普段であれば絶対に足を運ばない下町の見慣れない景色に心がざわめく。
下町だから危険だ、なんてことはないとは思うが、それでも治安の面だけ見れば、ララたちの住む城下町の方が良いという意見もあるのは事実だ。
「ねぇ、そろそろいいんじゃない? この辺りなら人通りも少ないから」
「いや。下町は二流の警察がゴロゴロ住んでるんだ。ここでは話せない」
警察がゴロゴロ住んでいるのなら、城下町の静かなところで話した方がいいのではないか。とララは思ったが、アルフレッドにも何か考えがあるのかもしれないと考え直し、口にはしなかった。
それからさらに歩いて廃れた家の前でアルフレッドが足を止めた。随分古いようだが、掃除はしてあるらしく、扉や窓なんかは綺麗に磨かれている。
「ここ?」
「ああ。掃除はしてあるはずだから、入ってくれ」
アルフレッドが鍵を開ける。言われるがままに扉をくぐると、ララは怪訝なものを見たと顔を顰めた。
机一つ、椅子一つない空き家。しかし、確かに掃除だけは行き届いているようで、それがまた奇妙であった。
(アルフレッドは掃除はしてあるはずって言ってたけど、普段は使ってないんだろうな)
であれば、彼の持ち家の一つなのだろうか。それにしては殺風景だが。せめてランプの一つでも取り付けるべきだろうと薄暗い廊下を見ながらララは心の中で呟く。
「こっちだ」
いつの間にか自分より前に進んでいたアルフレッドは階段から顔を覗かせて手招きする。
「ここじゃダメなの?」
「上に一つだけソファが置いてある部屋がある。古いが、ないよりマシだろう」
ここでいいと言おうにも、アルフレッドはさっさと階段を上ってしまったため声が届かない。仕方なくララも彼について階段を上った。
アルフレッドに通された部屋の中央には確かにグレーのソファが置いてあった。それ以外には相変わらず何もない。とはいえ、街頭が近いからか、その明かりが窓から差し込んでくるため階下よりは幾分周囲が見える。
アルフレッドがソファに腰かける。扉の前から動かないララを見上げ首を傾げた。
「どうしたんだ? ここまで歩いて疲れただろ。こっちに座るといい。大丈夫、二人くらい腰かけて壊れるほど柔じゃないから」
ララはじっとアルフレッドの顔を見つめた。いつもと変わらない微笑みが、逆に胡散臭く見えてしまうのはこの部屋の薄暗さのせいだろうか。
訝しむ気持ちはあるが、このままここから動かなかったら返って不審がられてしまうかもしれない。逡巡の末、ソファのなるべく端の方に浅く腰掛けた。リアの話を聞くまではここから出るわけにもいかない、と気合を入れる。
「それでリアの話は? 一体何がわかったの?」
「ああ。それだな。その前に、僕は謝らないといけないことがあるんだ」
「謝る? 何を」
「君に一つ隠し事をしていた。君だけじゃない。警察にもか。僕が報告を怠ったせいで一つの可能性をうやむやにしてしまったかもしれないから」
「一つの可能性って?」
ララが身を乗り出す。アルフレッドが顔を引き締める。
「僕は失踪する前にリアとオリバーが二人で教会の裏手に消えていくのを見たんだ」
親しい人物の名前が出てきたことにララは少なからず動揺した。オリバーと、彼は口にしたか?
オリバーはララの勤めている教会の司祭だ。滅多に教会から離れないことから周辺住民の認知度は低いが、おそらくベレナと同じかそれ以上に教会のことを考えてくれている聖人であり、ララにとっては歳の離れたお兄さんような、父親のような存在だ。
アルフレッドの発言は、そんな彼を疑っていると言っているようなものだったのだから、動揺するのも無理はない。
「君には言いたくなかったんだけど、教会の裏は人が来ないことから逢引したり、隠れてそういうことをするのに使われることがあるんだ。だから、僕はオリバーとリアがひっそりと逢引していたんじゃないかと考えている。そして、何かがあってオリバーがリアを誘拐した。あるいは——」
「ま、待ってよ! オリバーがそんなことするわけないじゃない。神様への忠誠が一番強いのは彼なんだよ。それなのに、よりにもよってシスターであるリアに」
「僕もそう思って警察には言わなかった。でも僕が最後にリアを見たのはあの時。そしてオリバーは教会に住んでいるから、最悪その場で何かあっても教会のどこかにリアを隠すことができる。一つの推測に過ぎないけれど、可能性が全くないわけではないだろ?」
ララが押し黙る。感情では認めたくないけれど、可能性がゼロだと言い切れるだけの証拠はどこにもない。
(それに――)
ララは服の上から首にぶら下げている指輪をぎゅっと握りしめた。ララがあげたプレゼントの指輪。それが見つかった場所もまた教会内であった。だとすれば、何かしらの形でオリバーが関わっていても不思議ではない。嫌な予想に冷や汗が止まらない。心臓がバクバクと脈打ち、脳が揺らされる。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、ララはアルフレッドに向かって頭を下げた。
「教えてくれてありがとう。じゃあ、私はこれで」
早くディゼルに伝えないと。そう思って立ち上がったと同時にララの手首が掴まれる。ピンと腕が伸びる。
「まだ用は終わってないよ」
「用? それ以外の話がある、の……」
振り返ったララは目を見開いた。
アルフレッドは妙なほど頭を脱力させ、顔の代わりに頭頂部がララの方を向いている。手首を掴んでいる腕以外もどことなくだらんとしており、いつもの快活でシャキッとしているアルフレッドからは想像もつかない。
ギリギリと手首に締められてララは眉を顰めた。
「アルフレッド、痛いから離してほしい」
感情を抑えた声で言えば、さらに力が加えられる。まるでララの腕をへし折るかのようにギシギシと締めつけられた。
「会いに行くのか?」
「は?」
「会いに行くんだろ。あの男に」
「なんで……」
そのことを知っているの。口から言葉がこぼれ落ちそうになった時、ただでさえ折られそうな程に握りしめられている手首にさらなる圧が加わる。苦悶に表情を歪めると、アルフレッドが勢いよく顔をあげた。
爛々と輝く青い瞳。瞼は端が割けてしまいそうなほど最大限まで見開かれ、口元は歪な笑みを浮かべている。とても人間がしていい表情ではなかった。
「――っ!?」
声にならない悲鳴を上げて、ララは反射的に後ずさろうとした。しかし、アルフレッドの腕が力強く彼女の腕を引いたせいで、小さな体はあっさりと男の胸の中へと収まってしまう。猶も逃れようすれば右手で手首をひとまとまりにされ、足を踏まれる。痛みに目を瞑った隙にソファの上に押さえつけられた。瞼を開いたときには、ララの上に馬乗りになって笑みを深める狂人の姿があった。
「アルフレッド、あなたどういうつもり!?」
ララは気丈に睨みつける。アルフレッドはニタリと歪な笑みを浮かべ、こてんと首を傾げた。
「うん? 君はこんな状況になってもわからないのか? ははっ、それともしらばっくれているだけなのかな?」
ぐっとアルフレッドの顔がララの鼻先まで近づく。顔を逸らそうとすれば、無骨な左手が容赦なく頬を掴んで固定する。鼻息がかかってぞわりと鳥肌が立った。
「僕はねぇ、君たち姉妹には失望したんだよ。淑女然としながらもはっきりとした意志があった君たちが僕が恋をしていた君たちだった。しかし、実際はどうだ? リアは司祭と、君はぽっと出のあの男と愛し合っていた。俺の理想も、恋心も見事に打ち砕いたのはそっちだろ!!」
「何を言ってるの……。そもそもそんなの」
「黙れ!!」
なんとか落ち着かせようと言葉を重ねようにも、感情が高ぶらせたアルフレッドの怒声によってかき消される。彼の瞳には理性の欠片も残ってはいなかった。ただ、自分が乗っている相手への憎悪のようなものがぐるぐると渦巻いている。
「僕はずっと我慢していたよ。君たちは神に仕えているのだから恋をしてはいけない。手を出すなんてもっての他だと。でもそうやって自分を押し殺していたせいで聖人のフリをした間男にリアは連れ去られ、君は毎晩のように手籠めにされている。
うん? そうだ。そうか。君たちは悪くないのか。リアを連れ去ったのはオリバーで、君を手籠めにしているのはあの男。つまり、君たちは被害者。ああ、そうか……。ふふ、はは。はははっはははは!!」
急に表情が抜け落ちたかと思うと、今度は耳を劈くような高笑いを上げる。ララはただ茫然と狂っていく男を眺めることしかできなかった。今目の前で笑っている男が、本当に自分の友人のアルフレッドだと言うのか。本当に、同じ人物なのか。
アルフレッドはうんうんと独りでに何度もうなずくとにっこりと口の端を上げた。
「なるほど。君たちは助けを求めたかったのに求められなかったんだね。でももう大丈夫だ。君は僕が守るし、リアも見つけ出す。そしたら三人でどこか遠くへ行こう。あいつらの手が届かない遠くへ。そうだ、それがいい!」
(こいつ、狂ってる)
自分の中で物語が進んでいる。彼の言葉に真実と呼べるものは多分一つもない。全てが妄想で妄言。独りよがりな願望を羅列しているに過ぎない。
ララは自己陶酔に陥っているらしいアルフレッドから視線を外す。ソファ以外に何もない部屋。窓はあるが、ここは二階。打ちどころが悪かったら死んでしまうかもしれないし、そうでなくても骨折は免れないだろう。負傷した状態で警察のアルフレッドから逃げるのは難しい。
となると、やはり一階の玄関かどこかの窓から逃げ出すしかない。問題はこの体の拘束をどう解くかである。
「アルフレッド、あなたは私たちを誤解してる。リアはあなたを裏切る行為なんてしていないし、私も——」
説得を試みようと口を開いたが、途中でぐっと言葉に詰まる。
私は、私は裏切っていないと言えるのだろうか? そんな疑問が降って湧いて、それ以上の言葉を続けられなかった。しかし、アルフレッドからすればそんなララの胸の内など知ったことではないし、興味もない。
「ふーん。そう。でも、それをどうやって証明するっていうんだ?」
「それは……」
アルフレッドは途端に無表情になると冷めた双眸でララを見下ろす。力なく空いた口が「ああ、そうだ」と呟いた。
「証明できるじゃないか。本当に身が潔白だというのなら、君はまだ経験がないんだろ? シスターだからな。ある方がおかしい」
「――まさか」
ララが身じろぐと、アルフレッドはララの薄い腹に容赦なく体重をかけた。低いうめき声が口から洩れる。両手を束縛する右手は爪を立てて、皮膚からぷつりと血が滴る。
ぐいっと再び近づけられた顔。記憶の中では海のような凪いでいたはずの双眸が今やまるで落ちくぼんでいるかのように真っ黒だった。
「ララ、良かったね。君の身が潔白であることを今、ここで証明できる」
「待って! やめて、それだけは!」
アルフレッドの左手がララのスカートを捲し上げ、下着に指が触れた。ララはいやいやと首を横に振るが、そんなことお構いなしに指が下着の中へと侵入する。きつく閉じられた中を無理やりこじ開けようとして、痛みが走る。
「ああ、随分と狭い。これなら確かに遊んではいなさそうだ、いやしかし、あの男のものが粗末だという可能性も捨てきれないな。やはり実際に試してみないと」
そう言いながら下着の中を掻きむしるように指が蠢く。恐怖を上回る不快感。まるで、乾燥した芋虫が這いずっているかのような嫌悪感でララはぶるりと震えた。
「嫌だって!」
「うっ――!」
ララが渾身の力で足を振り上げると、それはアルフレッドの後頭部を見事に蹴り上げた。一瞬アルフレッドの体が傾いたが、すぐに立ち直り、冷ややかな視線がララを射抜く。
「ここまで抵抗するってことは、やっぱりそういうことなんだな」
「違う!」
「ふん、まあいい。どうせ汚れてるんだったらもう何をしても同じだろ。君が僕好みになるまでめちゃくちゃに壊してやる。そうだな、まずはこのお転婆な脚を大人しくさせようか」
徐に胸元を探ると、カチャリと鈍色のピストルを取り出した。その銃口がゆっくりとララの脚へと向けられる。
「や、やめて……」
ララの瞳から涙がこぼれ落ちる。声の震えを抑えられないほどの恐怖が胸を支配する。
「いや、本当に……」
助けて、と唇が形作ると同時にアルフレッドが引き金を引いた。発砲音が鼓膜を破るように鋭く響く。痛みを覚悟してぎゅっと目を閉じた。
「……っ?」
しかし、痛みはやってこない。もしかして外したのか。そう思って目を開くと、頭上からパラパラと木くずが舞い落ちてきた。
「幼気な女の子にこんなものを向けるだなんて」
アルフレッドの腕は天井へと伸び、銃口もまた上を向いていた。アルフレッドの手首をがっしり握る節くればった手は力を込めているせいか、筋が浮き出ている。
そこに立っていたのは見覚えのある顔だった。しかし、その髪はいつもの紫混じりの中途半端な黒髪ではなく、艶やかなアメジスト色で、首にもかからないくらいの長さだったそれは、今や肩甲骨まで伸びていた。
「あんた、警察やめた方がいいよ」
「ディゼル……」
ララが呟くように名前を呼ぶと、氷の瞳は僅かに目を細めた。
「ディゼル……っ、まさかお前! ララをそそのかした――」
「そそのかしたなんて人聞き悪いな。俺はあんたと違って彼女とは対等な関係だよ。少なくとも、一方的に感情を押し付けたり、傷つけたりはしていない」
ディゼルが手首を捻り上げると、アルフレッドは苦悶の声を洩らした。指先から滑り落ちたピストルはガンッと鈍い音を立てて床に転がる。ディゼルの足に蹴とばされ、壁際まで追いやられた。
「くそっ、なんなんだ、どこから入って来た! 鍵は閉めたはずだぞ!」
「ちゃんと玄関から入ったよ。お邪魔しますもちゃーんと言った。気づかなかったって言うんなら、あんたが盛ってたせいじゃないか?」
アルフレッドの顔がみるみるうちに真っ赤になる。額に浮き出た血管は今にもはち切れそうなほど存在を主張する。
「そんな下品な言い方をするな! 僕たちは愛し合う途中だったんだ。それなのにお前が邪魔をしに来たんだろ!?」
「ほお? あんたの言う『愛し合う』は嫌がってる相手の上に無理やり乗って行うものなのか、それは確かに邪魔したな」
「嫌がってる? 違う、これは恥ずかしがってるだけだ。お前は何もわかっちゃいない」
煽られて激昂状態のアルフレッドが動く度にララの腹とあばら骨はキシキシと痛みを訴える。それでも声を上げなかったのは、この状況下ではララが何を言っても、アルフレッドに都合の良いようにすり替えられてしまうだけだとわかっていたから。
痛みに耐えるように唇を噛み締めると、血の味が舌に広がった。
「……そうかい。まあ、俺にもあんたにも言いたいことがあるんなら、サシで勝負をつけようか。あんたはそこに落ちてるピストルを使ってもいい。基本的に何をしても構わないが、ララちゃんを巻き込むのだけはなしだ。先に意識を失った方が負け。勝った方の意見を聞き入れる。異論はないかい?」
「チッ、ああ。わかった。やればいいんだろやれば!」
苛立った様子で立ち上がる。ララは急いで体を起こすと胸元を抑えながら深呼吸をした。漸くまともに息が吸えるようになったというのに、心臓はまだ恐怖でバクバクと脈打ち、酸素が体中に行きわたっている気がしない。
「ララちゃん、あんたはソファの影にでも隠れてな」
「う、うん。……ディゼル」
「うん?」
「大丈夫だよね?」
意識を失った方が負け。つまり どちらも意識を失わなければずっとやり合うことになる。まさか魔族であるディゼルが負けるなんて思いたくもないが、相手はピストルを持っている。見るからに何も所持していないディゼルが一見すると不利であった。
ディゼルはララの心配を鼻で笑う。にやりと口角が持ち上げた。
「まあ見てな」
ディゼルは不敵な笑みを浮かべて手を上げる。アルフレッドはピストルを拾うとディゼルと向き合うようにして立った。
緊迫した空気の中、ララは祈るように指を絡め、胸元でぎゅっと握る。
「あんた、ハンカチでもコインでもいいが、何か持っているかい?」
アルフレッドは胸ポケットからハンカチを引き抜くと、無言でディゼルに見せる。
「なら、それを天井に向かって投げ、床についた瞬間が開始の合図だ。タイミングはあんたに任せるよ」
「チッ」
ハンカチを握りしめ、二人は向き合う。敵意の眼差しを向けるアルフレッドに余裕の笑みを口元に浮かべているディゼル。そして、ソファの影でそれを見守るララ。
アルフレッドの手からハンカチが宙へと離される。四角く広がった白い布が重力に負けて床へと落ちてゆくのに時間はかからない。だが、その直前に発砲音は響く。ララは息を飲む。かさりとハンカチが落ちる。
銃口を向けた男は両目をぱっくりと開けて口の端を釣り上げる。それは勝利を確信したような狂気の笑みであった。しかし、すぐにその表情は驚愕のものへと様変わりする。
男の両の目に映ったのは、恋敵が銃弾によって倒れる姿――ではなく、微笑み一つ崩さずにするりと弾丸を避ける姿であった。この距離で弾丸を避けることなどほぼ不可能。先手必勝といった状況で、かの恋敵はゆるりとそれを見切って見せた。
そして、ハンカチが落ちたと同時に一歩、一歩と近づいてくる。その歩みは普通のもので、しかしアルフレッドは動くことができなかった。目の前の予想もしなかった出来事に脳の処理が追いつかなかったのだ。彼の目には既に勝利後の光景が見えていた。そして、それこそが現実であると脳は錯覚していた。
ならば、目の前の出来事は、彼の現実打ち破る真実であり、彼にとってあり得ない夢物語である。だからこそ、瞬時に何が起きたのか理解できなかった。
ディゼルの手がアルフレッドの頭を鷲掴みにする。ピストルが手から滑り落ちた音が、どこか遠くから聞こえてくるようだった。
ギシギシと頭が痛む。
「はっ……」
嘲笑うかのように男の口から乾いた声が洩れる。目玉がぐるりと自身の頭を締め付ける男を見上げる。
氷のような冷たい瞳。先ほどまでそこにあった微笑みはなく。どこまでも冷たい目と心底つまらなそうに閉じられた唇がアルフレッドの見ることができる全てであった。
脳が回転する。ぐらりと視界が揺れた。体から、脚から、指先から、力が抜けていく。
「馬鹿だね」
視界いっぱいに床板が広がった時、感情のない呟きだけが頭上から降りてきて、そのままアルフレッドは瞼を閉ざした。
一連の流れを見ていたララは言葉を失った。彼女からすれば、ディゼルが頭を鷲掴みにしただけで、アルフレッドが意識を失ったかのように見えたからだ。
「魔族と人間の違いもわからないなんて」
ディゼルは手首をブラブラと揺らしながら、暫し倒れたアルフレッドを見下ろしていたが、やがて決して華奢ではない体をひょいと担ぎ上げ、ソファに投げた。完全に意識を失っているらしく、投げられた衝撃で起きる様子は全くない。
「ディゼル。アルフレッドは……」
「寝てるだけだ。先に意識を失ったんだから、この勝負は俺の勝ち。そうだろ?」
「そうだけど……。大丈夫なんだよね? なんか変な魔法とか使ってないよね?」
「おいおい、今度はあんたが疑うのかよ。魔法なんざ使ってない。ただ、ちょっと頭に触れたときに色々見させてもらったけど」
「色々って――」
ララが猶も聞き出そうとすると、人差し指がそっと唇に添えられる。
「レディ、ここで話すのもなんだ。あとは俺の部屋で。な?」
差し出された手に自分の手を重ね、ララは小さく頷いた。
二週間も通っていると高級な部屋にも慣れるかと思ったが、そうでもない。相変わらず居心地の悪さを感じる紺色のソファに腰かけて、ララは差し出された紅茶を口に含みつつ、目の前で同じようにくつろいでいる人物を注意深く観察する。
先ほどまでアメジストのように輝いていた髪はいつもの紫混じりの黒髪に戻っている。長さもいつの間にか短くなっており、いつものディゼルがそこにはいた。
(魔族だから、姿がいくつかあるって言われても不思議じゃないけれど。……だとしたら、今のディゼルは仮の姿って可能性もある? さっきは髪の色が変わっただけだけど、本当はもっと化け物みたいな姿だったりして――)
「お熱い視線を向けられて光栄だが、俺の姿はこれがデフォルトだ」
「……!? な、なんでわかったの?」
「さっきから俺の髪にばっかり目線がいっているようだったから。大方そのことを考えているんだろうなってな」
目を閉じて紅茶を堪能しているとばかり思っていたが、こちらの動向もお見通しだったらしい。どこか悔しい気持ちになって、ララは口をへの字に曲げる。
「それで、アルフレッドのことはどういうことなの? 色々、教えてくれるんでしょ」
「もちろんだ。とはいえ、どこから話すのがいいのか」
ディゼルはティーカップをソーサ―の上に置く。暫しの逡巡の後、話し始めた。
「あんたのおかげでリアちゃんの痕跡はだいぶはっきり見えるようになった。だが、どういうわけか彼女の古い痕跡はよーく見えるんだが、直近のものが全くと言っていいほど見えない。となるとまあ、確実に彼女の最近の痕跡だけを故意に隠した奴がいるわけだが、このままでは痕跡から彼女の行方を追うのは不可能だ」
「えっ? 待ってよ。そしたら今までしてきたことは全部無駄だったってこと?」
「まあまあ落ち着け。なにも痕跡が見つからなかったから捜査をやめるなんてこと言わないさ。そんなの警察と同じだろ? 俺はあくまで情報屋。情報を掴むのが仕事なんだ」
ひとまず調査を諦めたわけではなかったようで、ララは胸を撫でおろす。ここでディゼルにまで見捨てられてしまったら、いよいよ打つ手はない。今度こそリアの行方は本当に闇の中へと消えてしまう。それに、ララが今まで恥を忍んでディゼルに体液を渡した意味もなくなったとあっては、この二週間、何もしないで生きていたのと同じことだ。
「情報を掴むって言ったって、どうやって?」
「古い痕跡は見られるって言ったろ? そこからリアちゃんの行動範囲を明らかにし、彼女の行動範囲と重なる行動範囲を持つ人間を割り出す。後は地道にその人たちの夢に侵入して彼女の情報を探っていったんだ。寝ている間も他人の目を気にする奴なんて滅多にいないからな。リアちゃんに関して知っていることがないか丁寧に聞き出した」
「寝てる間もって……。例の夢の中に入るってやつ?」
そういえば、最近そんな話題できゃっきゃっしている人たちがいたような。ぽわんと見覚えのある顔が頭の中に浮かぶ。
「そうそう。なにもこの二週間、あんたから与えられてばかりいたわけじゃない。それに夢っていうのは、その人間の深層心理や記憶に直結してる。本人が忘れてしまったと思い込んでいることだって、夢の中でなら過去の経験として反映されることもある。仮に魔族に記憶を書き換えられていたとしても、深層心理にまでそれが及ぶことはほとんどない」
「それで、何かわかったの?」
ああ、とディゼルは頷くと、二本の指を立ててララの前に突きつけた。ララは小首を傾げる。
「良い情報と良くない情報がある。さて、どちらから聞きたい?」
「……」
この人はどうしてこうも余裕があるのだろうか。湿り気を帯びた視線を向けるけれど、口の端がゆっくりと持ち上がるだけ。溜息を吐くのも馬鹿らしい。
「悪い情報からで」
「本当に人間は悪い情報を先に聞きたがるやつが多いな。まあ構わないが」
ディゼルは急に真剣な表情になる。なんとなく姿勢を正す。ぎゅっと握った手のひらは汗で湿っている。
「あんたのお姉さんが攫われる瞬間を見たやつは誰もいない。動物一匹に至るまでな」
「……そう」
警察の調査でもその手の報告は上がっていない。だからその結果を言い渡されるのは何も意外なことではない。ただ、動物一匹に至るまでと言われてしまうとさすがに失望してしまう気持ちを抑えることはできない。
「それで、良い情報は?」
「良い情報は、それらのおかげで容疑者がだいたい絞り込めたことだな」
「え? 本当に?」
沈んでいたララの声音が生気を取り戻したように高くなる。ディゼルはその様子を内心複雑に思いながらも頷く。
「ああ。夢に介入してどうしても会話をさせてくれなかった奴が数人いた。それもお姉さんの事において過剰なまでに反応を示したのにだ。この時点でリアちゃんの失踪に関わってる、または関わっていなくても、何か重要な情報を隠している可能性が高いと考えていいだろう」
寝ている間も人の目を気にするやつは滅多にいない。ならば、その滅多にいない人に分類される多くは、何が何でも隠し通さなくてはいけない秘密を抱えているということになる。
しかし、人の心理とはとても単純でわかりやすいもの。夢という特徴を活かしてその隠している何かに関する事物を見せればどんなに警戒していても、反応を示してしまう。
「その人たちって誰?」
「聞きたいかい? あんた、後悔するかもよ」
そう言うということは、ララの顔見知りなのだろう。一瞬ぐっと言葉を詰まらせたが、すぐに気を取り直してディゼルを見つめる。
「教えて」
了解とでも言うように、ディゼルは肩を竦める。両手の指を絡め、顎を乗せる。
「一人目は、警察官――アルフレッド・ターナー。二人目、マザー・スーペリア――シスター・ベレナ。三人目、司祭――オリバー・クリトン。そして……シスター――ミーア・キャロライン。以上四名だ」
「なっ……!」
アルフレッドにシスター・ベレナ。オリバーにミーア。皆、リアにとってもララにとっても親しみ深い人物だ。
「嘘でしょ?」
「俺が嘘を吐いたことでなんのメリットがあるんだい?」
「だって、皆お姉ちゃんがいなくなって心から心配していたんだよ? それなのに」
「人間は理性があればどんな道化師にでもなれる。大きな嘘から小さな嘘まで吐ける。あんたから見えていたもの全てが真実だったらとっくにリアちゃんは見つかってるはずさ」
ララは沈黙する。容疑者はよりにもよって身内ばかり。それもリアの失踪に同じように心を痛めているものだとばかり思っていたような人たちだ。
「……はぁ、だからちゃんと後悔するかもって言っただろ?」
ディゼルが呆れたように眉をひそめ、背もたれにもたれかかると、黙ってしまったララをじっと見つめた。
「——違う」
「ん?」
俯いていたララの顔が持ち上がる。悲しそうに柳眉を寄せているが、緋色の双眸は確かな光を宿してディゼルを見つめ返す。
「違うの。後悔とかじゃない。私は真実が知りたい。そしてお姉ちゃんに会いたい。だから、進展があって喜んでいるんだよ。でも、今のところ容疑者は近しい人ばかりで、少し、動揺しているだけ」
ララは気丈に振る舞うためにそう言ったのではない。心の底からそう思って口にしたのだ。興味深そうなものを見たかのようにディゼルは顎に指を添えて、目の前の少女を凝視する。
(アルフレッドはともかく、家族同然のベレナやミーアの名前が上がったらさぞ落ち込むだろうと思っていたが……)
ララは動揺しつつもしっかりと前を見据えていた。もう少し取り乱してもおかしくないと思っていたディゼルの予想を裏切って、彼から告げられた事実を受け入れようとしている。
これは、思った以上に面白い。ディゼルの口元が緩む。
「そうかい。なら、もう一つだけ情報を上乗せしよう。
アルフレッドはリアちゃんの失踪に関わっていた。しかし、それは彼の意思とは関係のないところでだ」
ディゼルの物言いにララは首を傾げる。アルフレッドに対する失望はもう底を尽きたのだろう。至って冷静な様子だ。
「あいつは狂っていたのさ。魔力によってね」
「魔力!? そ、それって操られてたとかそういうこと?」
「いんや。文字通り狂ってただけだ。妄想を本当のことだと思い込んだり、理性が働かなくなっていたり。あんな行動を取ったのも、そのせいだろう」
そういえば、とララは彼の言動を思い返す。全く通じない言葉、感情の突沸の激しさ。以前の彼はどちらかというと穏やかで冷静なタイプだった。それがほんの二週間ほど会わないだけであそこまで人が豹変するのは確かに妙である。
「でもどうしてこんなことになったの? もしかして、お姉ちゃんの居場所を知ってたとか?」
「残念ながら、彼の記憶は妄想と現実が入り乱れ過ぎていて何が正しいのかはわからない。考えられる可能性としては二つ。一つはリアちゃんの失踪に関する情報を掴んでいたから。もう一つはあんたたちへの好意を利用し、真相をあやふやにするため。あるいはそのどちらもって線も考えられるな」
真相をあやふやにするために利用された。だとすれば、やはりアルフレッドを狂わせた人物は彼とララたちの仲を知っている人ということになる。となるとやはり、残り三人に疑いの眼差しが行くのは避けられない。
「アルフレッドは、どうなるの?」
あんなことをされたとはいえ、やはり友だちであったことには変わりない。ララが尋ねれば、ディゼルは「さあ?」と両手を上に向ける。
「あんたが警察に突き出さないって言うんなら、罪に問われることはないだろう。あいつを狂わせていた魔力も俺が無理やり引き剥がしたから、あれ以上の狂気に陥ることはないと思うが……。あそこまで記憶が混乱してるとなると、普通の生活に戻るのも一苦労だろうな。記憶っていうのは思考に直結してる。あんたを襲ったという過去や数々の妄想。どれが本当にあったことか判別できない内は、あいつは無意識に狂人的考えを繰り返すかもしれない」
「ディゼルはどうにかできないの?」
「記憶の整理はインキュバスの仕事じゃない。俺たちは夢を介して人の内側を読み取ることはできるが、夢の領域を超えたことはできないよ」
「そっか……」
がっくりと肩を落とす。できることなら、元のアルフレッドに戻ってほしいと思っていたのだが、唯一どうにかできそうな知り合いにこう言われてしまえば、ララに打つ手はない。
項垂れてるララを訝しむような目で見ていたディゼルは呆れたように言葉を口にする。
「……あんた、呑気に男の心配している場合かい? 下手すりゃまた襲われかねないってことなんだぞ」
「も、もちろんわかってるよ。でも、襲われたとは言え、アルフレッドは私たちの友だちだったの。それにアルフレッドが狂ってしまったのは、彼に魔力で何かした第三者がいたってことでしょ? なら彼も被害者だよ」
ディゼルは目を丸くする。この娘の言葉は本音なのだろうか。だとしたら随分と。
(甘いな)
一度自分に恐怖を与えた相手を恐れるでもなく、嫌うでもなく、同情して救える手立てがないか考えるなど、お人よしを超えている。教会育ち故なのか、それとも彼女の心根の問題なのか。
(どっちもか)
あまり褒められるばかりとはいかないが、だからこその清純な気を纏えているのかもしれない。
ディゼルはふぅーと息を吐く。ズボンのポケットに手を突っ込み、手に触れたものを掴むと、まだ一人で思考を巡らせているらしいララの名前を呼んでそれを投げた。ララが慌ててキャッチする。手の中には紫色の糸で編まれたブレスレットがあった。真珠のようなビーズがアクセントになっていて、おしゃれなデザインである。
「なにこれ?」
「俺の髪で作ったブレスレット」
「……は?」
今、なんと言った? 俺の、髪?
ディゼルの言葉を反芻して、ララはブレスレットをローテーブルの上に置く。キッとディゼルを睨みつけるも、彼は驚くほど平然とした顔をして首を傾げた。
「な、髪って。髪の毛って! あなたも狂ってるよ!?」
自分の髪をアクセサリーにして渡すなんて正しく狂人しか考えつかないことだろう。
「狂ってない。それはな、あんたがもしも俺の助けが必要になった時、それに念じてくれればあんたの居場所が俺に伝わるっていう優れモノなんだ。作ってもらうの大変だったんだぜ?」
「い、いらいない。人の髪のブレスレットなんていらないよ!」
まいったな、とディゼルは頭を掻く。まさかここまで拒絶反応されるとは思っていなかった。人間と魔族の価値観の違いがこんなところで露見するとは。
(こんなことならただの魔法のブレスレットくらいにしておくべきだったか)
「アルフレッドに何かされそうになった時も、それさえあればすぐに駆け付けられるんだが」
「でも髪でしょ?」
「……ただの糸だ」
「さっき髪って言ったじゃない!」
「わかったわかった。あんたの安全のために持っててほしいだけだったんだが……。そこまで言うならいいよ。でも残念だな。それさえあれば、俺の力がなくてもあんたはリアちゃんの痕跡を感知できるっていうのに」
あー残念だ。と大して残念に思っていなさそうな声音で繰り返し、ディゼルがテーブルの上に置かれたブレスレットに手を伸ばすと、それを遮るようにララの手が伸びてきた。顔を上げれば、なんとも複雑そうに目尻をピクピクさせているララの顔があった。
「やっぱりもらっておきます」
「そーかい。それは良かった」
単純な子で。というのは胸の奥に留めてく。もし間違って口に出したら今度こそ彼女を怒らせてしまうことになりかねない。
やれやれとディゼルは立ち上がると、ララをひょいと持ち上げた。ララは驚いて目を瞬かせたが、すぐに彼の考えを理解したらしく、すぐ不機嫌そうに唇を尖らせる。
「ちょっと、今日もするの?」
「今日の俺の仕事は中々だったろ? それなのに無給だって言うのかい?」
「今まで毎日やってたじゃない。それでチャラだよ」
「昼間はちゃんと働いてたんだ。当日支給分でチャラだ。それに――」
じっとアイスブルーの瞳がララを見つめる。意味深な視線に、ララの動きも止まった。
「俺も少し嫉妬してるみたいなんでね」
「嫉妬?」
「そう。俺ならあんたを傷つけたりしないし、うんと優しくする。不快な気持ちも恐怖も忘れさせられる。知ってるだろ?」
口の端を持ち上げて、自信満々の微笑みを携える。そう尋ねられたところでララは口をパクパクさせることしかできないことをこの男はよく知っているはずだ。
こういう甘い言葉を囁いてくるのは何も珍しいことではない。おそらくこれがディゼルの常套句。数多くの女性と夜を共にしている男の手段なのだろう。
だからこそ、ララは素直に頷くわけにもいかないし、そう簡単に絆されるつもりもない。
ただ、確かに今日は……。
恐怖で震えるという経験を味わったのは、小さい頃に落雷に怯えていた時か、それこそリアが見つからなかったらと考えている時くらいだ。人から恐怖を与えられたことなど、今まで生きてきた中で一度だってなかった。
そして、怖い思いをした後はいつだって人のぬくもりを求めたくなる。小さい頃はリアに、リアがいなくなってからはミーアや他のシスターにそれを求めていた。
しかし今、彼女たちはここにはいない。いるのは自分を抱えてじっくりと表情の変化を観察している魔族である。
(それに、あの人に触られた不快感がまだ残ってる)
あの虫が這いずるような不快感は思い出すだけでもゾッとする。ディゼルに何度となく触られてきたが、最初ですらあんな感覚を覚えたことはない。
ララはふっと顔を背けると、なるべくそっけない調子で呟く。
「好きにして」
アルフレッドに与えられた恐怖と不快感。それを払拭できるのは、悔しいことに彼が最適なのだろう。
「はいはい」
それをわかっているのか、または仕方がないなと思っているだけなのか、ディゼルの返事には笑声を含まれていた。
* * *
ララをベッドの上に座らせると、ディゼルは慣れた手つきで彼女の服を取り払っていく。二週間も同じことを繰り返していると、さすがのララも慣れてきたのか抵抗は見せない。ただ、未だに恥じらいはあるらしく、胸と秘部だけは頑なに隠される。
「なるほど」
ディゼルはララの裸体を上から下まで流し見しながら呟く。どうやらアルフレッドが触れたのはほんの数か所のようだ。ただ、その数か所の一つが、ディゼルにとって一番面白くない場所であるため、眉間に皺が寄る。
「見てるだけでわかるの? その……私がどこ触られたか、とか」
「痕跡が見えるからな。一つ一つ消していくしかないか。レディ、足を失礼するよ」
「はい?」
ディゼルはララの返事を待たないで、素足に手を添えると、足の指にキスを落としていった。
「うわぁ!? 今日は体洗ってないんだよ? ばっちいよ!」
と蹴り上げんばかりの勢いの脚をディゼルは軽く押さえつける。舌先で足の裏まで舐め、指を一本一本しゃぶる。薄っすらとだがアルフレッドに踏まれたらしい痕がついているのを見れば、その傷跡を癒すかのように舌を這わせた。舌の動きに合わせて、ピクリピクリと足が動く。
(足は初めてのはずなんだがな……。もしかして弱いのか?)
窺うように視線を上げれば、ララは下唇を噛んで声を押し殺そうとしているようだった。つまり、そういうことなのだろう。
ニヤリと口角を上げて、また指をしゃぶる。間も丁寧に舐めれば、指がぴくぴくと痙攣するように反応する。
右の足がディゼルの唾液でべとべとになったところで、左の足へと移動する。太ももから指を滑らせればララの背筋にゾクゾクと刺激が走る。付け根を撫でると悩ましい声が唇から洩れた。
「ララちゃん、声抑えないでくれると嬉しいんだけど」
「い、いや!」
「そー」
ならば自然と出してくれるのを待つだけだ。ちょうどいいから彼女の弱点らしい足を楽しませてもらおう。そう思って手始めにディゼルの舌が土踏まずをベロリと一舐めすると、ララがわかりやすく体を震わせた。
脱力中の右の足の裏を指でくすぐる。「ん……」とくぐもった声が下りてくる。
くすぐったいようなじれったいような刺激に、ララは眉尻を下げる。笑えるほどくすぐったいわけではない。だけど乳首や耳ほどの快感はない。しかし、ディゼルの舌が、指が足を自由に弄ぶのに合わせてお腹の奥がピリピリと弱い電流に刺激されるようにむずがゆくなる。
ザラザラとした舌が足の指の間を抜き差ししている。時折そのまま指を食べられれば、口内で舐め回される。
左の指は、触れるか触れないかのギリギリのところを行き来する。足の裏をくすぐり、爪が肌に触れるたび、一際大きな電流が走り、体がゾクリと震えた。
じゅるっと指を吸われれば、今度は歯を押し当てながら舐められる。このまま舐められ続けたら足を溶かされてしまうのではないか。そんな錯覚すら抱いてしまう。ララは背後の枕を両手で掴み、微々たる快感に耐えた。
不意打ちで太ももを撫でられると胸が締め付けられ、何かが足らないとでもいうように切なさを主張する。
じゅるりと口の中に含まれていた指が解放され、舌で土踏まずをもうひと撫でしてから、ディゼルは漸く顔を上げた。
自分の唇を舌で舐める動作がどうにも艶やかでララの視線がくぎ付けになる。それに気づいたのか、ニヤリと意地悪く口の端を上げるものだから、恥じらう少女は頬を朱に染めて顔を背けた。
ディゼルがララを包み込むように体を寄せる。首筋を吸われ、両耳にも挨拶代わりとでも言うようにキスを落とされる。大きな手がやんわりと折れそうな手首を持ち上げる。顔の前まで持ち上げられたそれを見て、ディゼルの目が険しく細められる。
ララの手首には握りしめられた痕の他に爪で肌を破られた傷跡も残っている。赤い瘡蓋は当時の痛みを物語っているようで痛いたしい。ディゼルがそっと指の腹で撫でる。
「ここ、痛むかい?」
「今は、大丈夫」
おそらく少しでも力を入れたらまた痛みを感じることだろう。しかし、ディゼルがそういうことをしない男だということはこの二週間の付き合いでわかっていた。
赤い唇が吸い寄せられるかのように傷跡に口づけする。ララの目の前で慰めるように、何度も舌で撫でられる。痛みは感じないが、こうも愛情深げに舐められると恥ずかしくなってくる。それでもララが目を逸らさなかったのは、過去の恐怖心を上書きしたいという感情が無意識の内にあったからだろう。
こうして手首を舐めているところを見ると、大型犬か何かのようにも見えてくるな。などと考えて、ララはすぐに首を横に振った。犬なんてかわいい生き物とこの男を同一に感じてしまうなんて、焼きが回ったものだ。
その証拠に、ディゼルの開いている左手はララのたわわな柔肉の感触を楽しんでいる。以前はすぐには固くならなかったはずの乳首も既に実のように己の存在を主張し、ディゼルの指を誘惑していた。敢えて実には触れずにその周りをくるくると回っている指先が与えるもどかしさに、口から吐息が洩れる。
一通り白桃のような膨らみを蹂躙した手が離れ、反対側の腕を掴むと、ディゼルの唇が手首に残る絞められた痕に押し付けられ、大きく口を開けた。舌が痕を撫でるように口内で動けば、本当に食べられているようで、ララの体は熱を帯びる。白い肌から薄っすらと汗が滲んだ。
右手の指先は固くなった赤い果実を指で挟んで、マッサージでもしているかのようにゆるゆると優しく抓っていた。触れば触るほど、指先の果実は喜ぶように実を硬くする。
「は……んん……」
艶やかな声が洩れる。緋色の目がとろんと蕩けていくのを見つめていたディゼルは目を細める。目は口ほどにものを言うとはよく言ったものだ。
赤い舌は緩やかにララの手首から手の甲に移動すると、これ見よがしに舌を這わせて、指をしゃぶる。じゅるりと音を出して吸えば、ララの口が閉じる力もなくなってしまったかのように小さく開かれる。赤く色づいた唇の間から喘ぎ声がしきりに洩れた。
「はぁ……はぁ……んあ、あ……」
ララの腰がゆっくりと動く。試しに撫でてやるとピクリと背筋が伸びた。潤んだ瞳が見開かれて、すぐに悲しそうに細められる。
ディゼルはララの腕から手を放し、絹のように柔らかな曲線を撫で上げる。頂上で自らの存在を主張するように実った果実を指で軽くはじけば、切なげに響く吐息が頭上から降り注いだ。
口元に悪戯な笑みを浮かべ、真正面からララを見つめる。酩酊している彼女は自身を見つめる獰猛な氷の瞳を前に、視線を逸らすという考えすらすでに浮かばないようだ。
「ララちゃん」
甘く低い声音で名前を呼ぶと、愛らしい少女は返事をするように瞬きをした。
「次はどうしてほしい?」
「へ?」
いきなり質問を投げられ、ララは困惑する。どうしてほしいとは、どういうことだ。
「わか、わかっない……」
絶えず乳房のてっぺんから与えられる刺激に耐えながら、ララはやっとの思いで口にする。
「わからないか。なら、質問を変えよう」
そう言うと、ディゼルは片手をゆっくりと滑らせる。それを追いかけるようにララの視線も下りていき、自身の秘部の手前で手は止まった。
「ここ、触らせてもらってもいいかな?」
「い、今までも触ってた」
「確認のためにね。でも、今回は今までとは違う。他の場所みたいに触ってもいいかい?」
他の場所。頭のてっぺんからつま先まで、ディゼルにちゃんと触られていないのはそこ以外にはなくなった。舌が這いずり、指で翻弄する。
つまり、彼の『触れる』とはそういう意味の『触れる』なのだろう。ララの鼓動が早鐘のように脈打ち出し、ぎゅっと胸を抑えた。
脳には彼の舌が、猛禽類のように鋭い瞳が、節くれだった長い指が思い浮かんでは心を騒めかせる。いつの間にか、ララの意識に刷り込まれたディゼルによる快感と期待は、考えるだけで呼吸を乱させる。
「……」
うん、と頷いてしまえばいい。この人は絶対に怖いことをしない。自分を害したりしない。どこからかそんな声が聞こえてくるようだった。しかし、ララのなけなしの理性がそれを覆す。頭をゆっくり左右に揺さぶった。
「……っ」
ディゼルが目を丸くする。まさかここで拒否されるとは思っていなかったからだ。乳首を弄んでいた指先が止まる。ララは潤んだ瞳でディゼルを見上げると、快感に震える声を絞り出した。
「け、契約。契約は破らないで」
「……契約を、破らない範囲でなら構わないのかい?」
ララは今度こそ小さく肯定の意味を示してくれる。ディゼルの目元が和らいだ。ここまでトロトロに蕩けているというのに、理性は依然としてこの子を制御しようとしている。
(インキュバスとしては形無しだが)
しかし、率直に好ましいと思った。
今まで抱いた女たちとはわけが違う。彼女の瞳にはしっかりと自分という存在が映っているのだと、そう信じられる。
「もちろんだ。レディ、俺は約束を違えたりしない。信じてくれるかい?」
「……うん」
少女の口元は嬉しそうに綻ぶ。そうまでして自分を受け入れたくないのか、とはディゼルは考えなかった。ここまでしても自分の芯を見失わない彼女に敬意を込めて、だらりと垂れた手を取って口づけを落とす。
ディゼルは顔をララの秘部に近づける。むわんと立ち込める女の色香。シーツに零れるほど溢れた愛液は、初めての頃とは比べ物にならないほどだ。
不意に目線を上げれば、不安げに成り行きを見守っているララと視線が合う。彼女がこんな顔をするのも仕方がない。なぜなら、今まで一度だってディゼルがララの秘部に顔を近づけているところを見たことがないのだから。
唇同士の口づけは禁止、まだ母乳も出ない少女から体液を得るための方法など限られている。汗を舐めるのも良いのだが、最も効率が高いのはやはり愛液である。しかし、初心の中の初心であるララが、自分の秘部に会って間もない男が顔を近づけているのを見たらどんな反応をするだろうか。
散々抵抗した挙句、頭を全力で蹴り飛ばされかねない。頭突きを喰らった経験から、そう判断したディゼルは愛液を出させるだけ出させて、ララを眠らせてからゆっくり味わっていた。信頼関係がないうちにやるのは、彼女の精神的にも自分の身の安全的にもよろしくないというわけだ。
ディゼルの指が小さな花芯に触れると、ララの躰が大きく跳ねた。サラサラの愛液を指で掬ってくるくるとぷっくりと膨れたそれの回りで滑らせる。
「ひゃ……あん、ん……あっ……や、やん」
(なるほどな)
ララは何が起きているかわかっていないのか、目を白黒させていやいやと首を左右に振っている。自分が認知していない性感帯を、寝ている間にディゼルにいじられていたなんて思ってもいない彼女は、与えられる刺激に呼応するように艶やかな声を漏らす。寝ている間は精々掠れた吐息を出す程度だったが、覚醒しているとこうも違うものか。
「ディ、ディゼッ、あんっ……ねっ……んんっ、そこや……そこいや」
「ん? ああ、そうだな。ちょっと意地悪し過ぎたか」
ララの反応に夢中になっていたことに気づいて、指を止める。こうなると辛いのはララの方なのだが、このまま続けても余計に混乱させてしまうだけだ。
むずむずとララはシーツに秘部を擦るように腰を力なくスライドさせていた。相変わらず疼きの取り方はよくわかっていないようで、『とりあえずディゼルに触ってもらって変な感覚が弾けたら解消される』というのがララが知ってる疼きの解消方法である。白い指で自らを慰める術などまだ知らない。
甘いようなしょっぱいような女性のむんとした匂いが鼻をくすぐる。それに混じる若干の男の痕跡に顔をしかめた。だいぶ薄くなっているが、まだ取れていない。
小陰唇を少しだけ開き、ジュウッと唇を寄せて吸い付く。ララの太ももが大きく震えた。舌を這わせて浅い所についた愛液を舐め取っていくと、それに合わせてはぁ、はぁ、と熱を帯びた吐息が下りてくる。
悪戯心で時折陰核を鼻で押し上げると、「きゃうんっ!」と愛らしく鳴くものだから思わず笑みが零れる。その吐息すらくすぐったいのか、ララは身を捩った。
舌先が膣口に触れるととぷんと一気に新たな愛液が流れてくる。丁寧に掬ってやればまるで続きを促すようにトロトロの液体が舌に流れ込んできた。ララは太ももが小刻みに震えている。
「ふぅ、んん……。ね、ねえ……」
「ん?」
視線だけでララを見上げると、彼女の白い肌は真っ赤に染まっており、潤んだ瞳からはいつこぼれ落ちてもおかしくないほどの涙が溜まっていた。
「変なの、治まらない……」
しゅんと落ち込むように言葉にする。いつも最後にはイかせてあげていたからその感覚を待ち望んでいるということだろう。
少女の無自覚かつ可愛らしい訴えにディゼルは眉を顰める。そういうつもりはないのに何やら自分のものが山を張っている気がする。
「じゃあ、ララちゃん。今日はこっちでイってみるかい?」
と尋ねても、ララが理解できるわけがない。トロンと蕩けた顔で首を傾げるだけで拒否の意を唱えなかったことから、ディゼルは透明な液でしとどに濡れる蜜壺に唇を添わせると、 ぴちゃりぴちゃりと卑猥な水音を立て始めた。舌で愛液を掬って、柔らかな肉をそっと押す。敢えて音を出すように舌先で愛液を弄ぶ。パクパクと小さな入口がそれを歓迎するかのようにひくついた。
「あっ……うう……ん、んん……」
ディゼルはそのまま音を出しながら舌を移動させる。そして一際膨張している花芯を一舐めすると、唇で挟んだ。ぴくんと快感に身を捩らせるように反応するそれを舌で舐め上げ吸い付く。
「あ、ああ……いや、んっんっ……あああっ!!」
二度、三度、と繰り返すと、ララの躰が大きく跳ねた。その途端愛液がこぽりと溢れる。脱力したララは上体を起こすこともできないのか、横にゆっくりと体が倒れていく。
「おっと、危ない」
ディゼルが瞬時に彼女の体を胸に抱え込む。はぁ、はぁと余韻に浸っている様子の彼女の頭を撫でた。下手に体に触れると、悪戯に少女を刺激してしまうことになりかねないからだ。落ち着くまではこうして頭を撫でてあげるのが一番彼女に落ち着いてもらえる。
ララの呼吸が徐々に安定してくると、彼女は閉じかかっていた瞼を無理やり持ち上げてディゼルを見上げる。
「……いつも、こんなことしてたの?」
「何のことだい?」
「とぼけないで。いくらインキュバスだからって、最初からこんなになるなんておかしいもの」
どうやら秘部を弄ったことがばれたようだ。
「体液を摂取するために仕方なくね。ただ、普段は外側を舐めてるだけだ」
正確には陰核も含めた外側である。しかし、小さな性感帯がついてるとは知らないララは肩を竦めるだけだった。
「もう。次からはちゃんと起きてる時にして。寝てる時にされるってなんか嫌だから」
(やめろとは言わないんだな)
ララが懸念している処女膜は目と鼻の先にあるのに。それとも体液を摂取する必要があると聞いたときからその程度のことは予想できていたのだろうか。
「承知いたしました、レディ。では、今から続きをしても?」
「はっ……!? あんなに舐めたのに?」
「また出てきたから」
徐にディゼルの指が秘部へと伸びて、これ見よがしに指についた愛液をララの前で垂れさせる。
ララの顔が沸騰したかのように真っ赤に染まっていく。
「もう! 今日はだめ!!」
ララの怒声は高級ホテルの廊下にまで響き渡った。
時計の針が夜の11時を指す時間。ララは修道院の扉をノックした。いつもなら皆眠ってしまっているが、今日は明かりが漏れていた。
ノックをして数秒後、扉を開いたのはミーアであった。ミーアはララの姿を見るなり彼女に抱きしめた。
「良かった……! 無事だったのね。皆心配してたのよ。あなたが門限になっても帰ってこないから。シスター・ベレナも珍しく10時まで起きていたんだから」
「ミーア、心配かけてしまってごめんね」
「いいえ。あなたが無事ならそれだけでいいの。でも、いったい何があったの?」
「それに関しまして、こちらから説明させていただいてもいいですか?」
ミーアは視線がゆっくりと声のする方――ララの背後へと移動する。ディゼルはにこやかな笑みを浮かべ、優雅に一礼した。
「初めまして、私は情報屋のディゼルと申します」
「ディゼルさんね。私はミーア。ここのシスターの一人です。それで、あなたはどうしてララと一緒にいるんですか?」
ララは内心ドギマギしていた。それはディゼルが教会の関係者に接触する口実を作るという作戦のせいでもあったし、ミーアの態度が刺々しいことに対するものだったというのもある。ミーアは基本的に誰に対しても温厚なのだ。しかし、今日は少し雰囲気が違う。
「彼女がある男性に路地裏に連れ込まれそうになっていたところに、偶々私が通りかかったんです。男性の方はひどく錯乱しておりまして、対処に時間を有したことから、このような遅い時間に彼女をお返しする羽目になってしまいました」
「その男性って、まさかアルフレッドさん?」
「う、うん」
ミーアの表情が強張る。
「ララ、あなた怪我はしてないの?」
「えっと、足を踏まれたのと、手首がちょっと。でも、この人のおかげで大事には至ってないよ」
「そう……。念のため、あとで私に見せて。いいわね?」
ララが素直に頷けば、ミーアは再びディゼルへと顔を向ける。相変わらず愛想笑い一つ浮かんでいない。
「ディゼルさん、ララをここまで送ってくれたことには感謝します。でも、あなたは本当にララに何もしていないわよね?」
「彼女が嫌がることはしていません。情報屋の誇りかけてね」
訝しむようにミーアがディゼルを凝視する。しかし、やがてふっと肩の力を抜いた。
「わかりました。私も少し警戒し過ぎたみたいです。不遜な態度をを取ったこと、お許しください」
「いいえ。大切な同僚を心配してのことでしょう。気にしていませんよ」
「そう言っていただけると助かります。それでは、ララこっちへ」
「うん」
「ありがとうございました。こんなに暗い夜なのですから、帰り道は気を付けてくださいね」
「ええ。お気遣いありがとうございます、レディ」
ディゼルはやはり朗らかに微笑んでその場を後にする。ミーアが扉を閉める隙間から彼の後ろ姿を見送っていたララは、僅かに振り返って片目を瞑ったディゼルに思わず、頬を赤らめた。
(本当にキザな人!)
プイっと顔を背ける。
施錠を済ませるとララはミーアにアルフレッドとの間に何があったか根掘り葉掘り聞かれ、寝る時間がさらに遅くなってしまったのは言うまでもない。
命ある者の多くは寝静まっている時間に、エレノア有数の高級ホテルの扉が開かれ、中からやけに満足気な顔をした男と、疲れ果てた様子で背を丸めている少女が出てきた。少女は周囲に視線を飛ばし、誰もいないことを確認してから、コートについているフードを目深に被り直した。
「用心深いねぇ」
「誰が見てるとも限らないでしょ」
ディゼルの目が弧を描く。最初に彼女に触れてからもう二週間は経つというのに、この娘は相変わらず真面目だ。処女こそ残っていると言うものの、躰は散々ディゼルによって開発されている。それなのに、まだ自分がシスターであるという誇りを失っていない。体裁を守ろうと今もこうして必死に足掻いている。
「そんな姿してるやつを見て、清く正しいシスター様だとは誰も思わないさ。いいとこ、不審者だろう」
「失礼な! 誰のせいで毎回こんな姿で出歩く羽目になってると思ってるの!? あなたが瞬間移動みたいにホテルから部屋まで運んでくれたらこんなことしなくていいのに!」
「だから言っただろ? そんな力は人間が魔族を勝手に想像して書いた夢物語。それに俺はインキュバスであって思考を介した魔法しか扱えないって」
毎夜この二人が並んで歩いているのは、つまりこの事が原因である。ディゼルは魔力を扱うことができると言っても、そのほとんどが人の思考に関与するものであり、瞬間移動や高速移動なんていう物理法則を無視した魔法は使えない。そのせいで、ララは人に見られるのを恐れながら、毎回ディゼルのホテルに通って帰るを繰り返す羽目になっていた。
一人で帰ろうとしたこともあったが、多かれ少なかれ物騒な考えを持っている人や物乞いが姿を表す夜道を歩く勇気はララにはなかった。
それに一人で帰ったところで修道院の鍵は閉まっているので自力で部屋に戻ることは不可能。結局ディゼルと並んで帰るしか選択肢はなかった。
「それに、あれからお姉ちゃんの調査は進んでるの? 全然動いてくれてるように見えないんだけど」
「心外だな。あんたがお勤めしてる間は、俺は俺でちゃんと働いてるよ。ま、あんまり順調にいってるとは言えないが」
ディゼルは途中で言葉を区切るとララへと視線を落とす。大きな瞳は一見、気丈にこちらを見上げているように見えるが、潤んだそれがフルフルと震えているのを氷の双眸は見逃すはずもない。
「……まあ、大丈夫だ。もうちょっとあんたの濃密な体液をくれるって言うんだったら感知能力も上がるかもしれないんだがなー」
「なっ……。変態!」
ララがシッシと手で払うような仕草をした挙句、「もう帰る!」と小走りしてしまう。
しかしながら、もともとディゼルの歩幅とララの歩幅は倍くらいの差があるので大して距離は開かないのだが。
プリプリと走り去るララの後ろ姿に肩を竦めたと同時に、ディゼルは足を止めた。鋭く細められた氷の瞳が後方へと向けられる。
ぼんやりとした明かりに照らされた夜の街。風の吹き抜ける音だけが僅かに聞こえてくる。
「どうしたの?」
ディゼルが立ち止まっていることに気づいたらしいララが振り返る。
「いや、何でもない」
ブーツの音がカツカツと響く。街頭に照らし出された影が僅かに揺れた。
朝食の時間、ララはふわっと欠伸をした。今まで生きていてずっと規則正しい生活を送っていたのに、急に連日夜更かしをしているのだから無理もない。
「あら、今日も眠そうね」
ララの向かいに座っている銀色の髪の女性が、パンを口の中へと運びながら言う。
髪と同じ色で目元を縁どる芯のある睫毛は長く伸び、エメラルドグリーンの瞳の美しさを一層際立たせている。
人形のように美しい容貌をしている彼女の名前はミーア。ララとリアの親友であり、お姉さん的存在だ。
「ちょっとね」
本当のことを言うわけにもいかず、曖昧に言葉を濁すと、ミーアは眉尻を下げた。
「もしかしてあなたも眠れていないの?」
「あなたもって。ミーアは眠れてないの?」
「いいえ、私じゃないわ。最近、他のシスターたちも眠れないって子が増えてるのよ。いや、眠れない日もあるって感じだったかしら? 例えば、ほら」
とミーアが視線で三人組のシスターたちの方を指す。シスターたちの中でも特におしゃべりで有名な三人組だ。
「本当にかっこよかったの。『レディ、少しお邪魔するね』ってあたしの部屋に入ってきてー」
「私も私も! 顔も良くて、身長高くって、声も低くて。『一緒にお茶を飲みながらお話ししませんか?』って!」
「むぐむぐ……。その人、私も夢で見たかも。水色の瞳で私を見つめて来たの。それでいっぱい話して――はぁ、なんで私話した内容一つも覚えてないんだろう」
「あれからあたし、あの人のことが頭から離れなくって寝不足なの。これってもしかして恋かな」
きゃっきゃとはしゃぐ声に、ララは怪訝なことを聞いたと眉間に皺を寄せる。
(顔が良くて、身長が高くて、声が低くて、水色の瞳をした夢に現れる男……)
ぼんやりとある男の顔が思い浮かぶ。
(そういえば、インキュバスって夢の中を自由に通れるとか言ってたよね。で、毎日ここの鍵を開けてもらうために侵入してもらってるから……)
もしかしなくても、あの男が修道院に入り込めた理由はシスターたちの夢の中を経由しているからだとでも言うのだろうか。
(それにしては楽しそうにお話しする余裕があるみたいだけど。まさかナンパ?)
人の夢に侵入したついでにナンパしているのであれば、この状況はあまりよろしくない気がする。
はあ、とララが溜息を吐いたと同時にミーアも息を吐いた。
「全く呆れてしまうわ。彼女たちにとって誓願はないに等しいものなのかしら? ああいう話をするのなら、せめて外でしてほしいものね」
「そ、そうだよねー」
と返事をするが、ララも誓願を守れているかといえばかなり微妙なラインである。心臓が縮むような感覚を押し込むように、ララは勢いよくパンをちぎって口の中に放り込んだ。
珍しい客がやって来たのはララが掃き掃除をしている時だった。
皺ひとつないベージュのスーツにばっちりスタイリングされた茶色の髪。深海を映したような青い瞳は、ララを映した途端すっと細められる。
アルフレッドが「やあ」と片手を上げて挨拶する。ララは箒を持つ手を止め、目を瞬かせた。
「アルフレッド? どうしたのこんな時間に。今日は仕事じゃないの?」
「早めの休憩時間だ。どうしても君に伝えたいことがあったから」
「伝えたいこと?」
アルフレッドは真剣な眼差しで頷くと、キョロキョロと周囲を見回し、他に誰もいないことを確認してからララの耳元に唇を寄せる。
「実は、リアについて話したいことがあるんだ」
「えっ!? な、何かわかったの!?」
ああ、とでもいうようにアルフレッドが首を縦に振る。期待からか、ララの緋色の瞳がきらきらと光る。
「でもここでは話せない。警察の中には僕が一人で調査を続けていることを良く思わない奴も多いんだ。それにどこに聞き耳を立ててる輩がいるかわかったもんじゃない。だから、別の場所を用意して二人きりで話したいんだ。どうかな」
随分と慎重なようだが、リアの失踪が少女失踪事件に関わっているかもしれないというのであれば、彼の態度もなんらおかしいものではないだろう。ララは興奮を隠しきれない様子で大仰に頷いた。
「もちろん! なんだったら今からでも……いや、あなたも休憩中なだけだもんね。それに私も仕事があるし」
「そう急ぐ必要は無い。今日の夕方、君の仕事が終わる頃に迎えに来るよ。それで問題ないだろう?」
夕方、という言葉に一瞬固まった。ララの要望により、ディゼルが迎えに来るのはいつも夜の帳が下りてから。夕方であればアルフレッドの話を聞いて帰ってくれば十分余裕があるはずだから……。
(アルフレッドからの情報を伝えれば、お姉ちゃんの捜索もぐんと進むはずだし。うん、問題ないよね)
「じゃあ、今日の夕方、教会の入口で待ってる」
「ああ、どうか忘れないでくれよ」
アルフレッドは口元に笑みを湛えて教会を去っていく。その後ろ姿を見送ってから、ララの箒は軽快に落ち葉を掃き始めた。
時間は進み、アルフレッドとの約束の時間の少し前。ララの前には険しい表情をした老女が立っていた。
ピンと伸びた背筋に、きりりとつりあがった双眸がララを見下ろしている。
「お願いだよシスター・ベレナ。神に誓って恋愛とか恋仲とかじゃないんだ」
「……はあ。まったく」
ベレナは徐に溜息を吐くと、ララから受け取った外出届けに視線を落とした。そこには正直にアルフレッドに会いに行くという内容が書かれている。
「ララ。私は貴方がそのようなことをする子だとは思っていませんよ。しかし、この男があなたに無体を働かないと誰が証明できますか」
「アルフレッドはそんなんじゃない。ただの友だちだよ」
「それは貴方の主観でしょう? 相手がどう思っているかなんてわかったもんじゃありません。それに、本当に潔白だと言うのなら、何も今日でなくても良いではありませんか。休日の、日が高い時間に会うのではダメなのですか?」
「それは……」
ベレナの言い分も一理ある。こんな時間に外出しようとするから怪しまれるのであれば、休日の昼間に会いに行けばいいだけの話だ。
しかし、今回はリアが関わっているのだ。リアの情報なら一秒でも早く知りたい。例えそれで多少怪しまれることになっても。
「お、お願い。絶対すぐに戻ってくるから」
もしかしたら、リアのことを話せばベレナも了承してくれるかもしれないが、アルフレッドがあそこまで警戒しているのだ。例え相手がべレナでも、下手に言うことは憚られる。
「理由は話せないのですね」
「う……。はい。すみません」
ベレナは肩を落とす。近くの棚からペンを取り出すと、外出届けに自分のサインを書いた。
「いいですか? 何かに巻き込まれそうだと思ったらすぐに逃げるんですよ。私は貴方まで失うなんて嫌ですからね」
「シスター……」
ベレナが自分の気持ちを素直に口にするのは珍しいことだった。リアの失踪は冷静な彼女の心にも大きな傷になっているらしい。
しかし、それならばやはり、自分はアルフレッドに会いに行かなくてはいけない。
「もちろん。何かあってもすぐ帰ってくるから」
ララは決意を込めた眼差しでベレナを見上げて、大きく頷いた。
ララがベレナを説得させている頃、広場の近くの裏路地にディゼルはいた。固く閉じた瞼をゆっくり開くと、僅かに肩を上下させた。
(ここも大した収穫はなし)
ララの体液を摂取したことにより、リアの過去の行動範囲を明らかにすることができたのは良かったが、問題はここからだった。
リアと接触したことがある人々を中心に彼らの夢へと介入し情報を聞き出す。夢の中ですら口が固い人なんて滅多にいないから事はスムーズに進むだろう。そう楽観視していたディゼルはすぐに行き詰まる。
(どいつもこいつも健全なお付き合いばっかだ)
人がいきなり失踪することなんてあり得ない。誰かしら失踪する直前の彼女を知っているはずなのに、その記憶を持っている人が全くいない。野良犬や自由に飛び回る鳥ですら知らないと来たもんだ。
(いや、健全じゃない奴はそもそも夢に入れなかった)
ディゼルは手元のメモを見る。そこには調査対象者となった人々の名前が羅列されており、彼が調べた人には横線が引かれていた。引かれていないのはもう五人もいない。
(魔物に連れ去られたとしても、その痕跡が全くないなんてあり得ない。もしかして、リアは……)
「一一こんな辛気臭いところで考えていてもいい案なんざ浮かばないな。ティータイムとするか」
脳裏に浮かんだ可能性をかき消すように言葉にすると、ディゼルはくるりと来た道に戻っていった。
広場からさらに歩く。見慣れた街並みはすでに通り過ぎていた。
一体どこに行くのかと疑問を口にしても、アルフレッドは何も答えてくれなかった。いいからついて来てくれ。何も言わずについてきてほしい。もう少しだから。その繰り返しだ。
ベレナの説得に時間がかかったせいもあるが、日はもう半分ほど沈んでいる。着実に暗くなっていく空と、普段であれば絶対に足を運ばない下町の見慣れない景色に心がざわめく。
下町だから危険だ、なんてことはないとは思うが、それでも治安の面だけ見れば、ララたちの住む城下町の方が良いという意見もあるのは事実だ。
「ねぇ、そろそろいいんじゃない? この辺りなら人通りも少ないから」
「いや。下町は二流の警察がゴロゴロ住んでるんだ。ここでは話せない」
警察がゴロゴロ住んでいるのなら、城下町の静かなところで話した方がいいのではないか。とララは思ったが、アルフレッドにも何か考えがあるのかもしれないと考え直し、口にはしなかった。
それからさらに歩いて廃れた家の前でアルフレッドが足を止めた。随分古いようだが、掃除はしてあるらしく、扉や窓なんかは綺麗に磨かれている。
「ここ?」
「ああ。掃除はしてあるはずだから、入ってくれ」
アルフレッドが鍵を開ける。言われるがままに扉をくぐると、ララは怪訝なものを見たと顔を顰めた。
机一つ、椅子一つない空き家。しかし、確かに掃除だけは行き届いているようで、それがまた奇妙であった。
(アルフレッドは掃除はしてあるはずって言ってたけど、普段は使ってないんだろうな)
であれば、彼の持ち家の一つなのだろうか。それにしては殺風景だが。せめてランプの一つでも取り付けるべきだろうと薄暗い廊下を見ながらララは心の中で呟く。
「こっちだ」
いつの間にか自分より前に進んでいたアルフレッドは階段から顔を覗かせて手招きする。
「ここじゃダメなの?」
「上に一つだけソファが置いてある部屋がある。古いが、ないよりマシだろう」
ここでいいと言おうにも、アルフレッドはさっさと階段を上ってしまったため声が届かない。仕方なくララも彼について階段を上った。
アルフレッドに通された部屋の中央には確かにグレーのソファが置いてあった。それ以外には相変わらず何もない。とはいえ、街頭が近いからか、その明かりが窓から差し込んでくるため階下よりは幾分周囲が見える。
アルフレッドがソファに腰かける。扉の前から動かないララを見上げ首を傾げた。
「どうしたんだ? ここまで歩いて疲れただろ。こっちに座るといい。大丈夫、二人くらい腰かけて壊れるほど柔じゃないから」
ララはじっとアルフレッドの顔を見つめた。いつもと変わらない微笑みが、逆に胡散臭く見えてしまうのはこの部屋の薄暗さのせいだろうか。
訝しむ気持ちはあるが、このままここから動かなかったら返って不審がられてしまうかもしれない。逡巡の末、ソファのなるべく端の方に浅く腰掛けた。リアの話を聞くまではここから出るわけにもいかない、と気合を入れる。
「それでリアの話は? 一体何がわかったの?」
「ああ。それだな。その前に、僕は謝らないといけないことがあるんだ」
「謝る? 何を」
「君に一つ隠し事をしていた。君だけじゃない。警察にもか。僕が報告を怠ったせいで一つの可能性をうやむやにしてしまったかもしれないから」
「一つの可能性って?」
ララが身を乗り出す。アルフレッドが顔を引き締める。
「僕は失踪する前にリアとオリバーが二人で教会の裏手に消えていくのを見たんだ」
親しい人物の名前が出てきたことにララは少なからず動揺した。オリバーと、彼は口にしたか?
オリバーはララの勤めている教会の司祭だ。滅多に教会から離れないことから周辺住民の認知度は低いが、おそらくベレナと同じかそれ以上に教会のことを考えてくれている聖人であり、ララにとっては歳の離れたお兄さんような、父親のような存在だ。
アルフレッドの発言は、そんな彼を疑っていると言っているようなものだったのだから、動揺するのも無理はない。
「君には言いたくなかったんだけど、教会の裏は人が来ないことから逢引したり、隠れてそういうことをするのに使われることがあるんだ。だから、僕はオリバーとリアがひっそりと逢引していたんじゃないかと考えている。そして、何かがあってオリバーがリアを誘拐した。あるいは——」
「ま、待ってよ! オリバーがそんなことするわけないじゃない。神様への忠誠が一番強いのは彼なんだよ。それなのに、よりにもよってシスターであるリアに」
「僕もそう思って警察には言わなかった。でも僕が最後にリアを見たのはあの時。そしてオリバーは教会に住んでいるから、最悪その場で何かあっても教会のどこかにリアを隠すことができる。一つの推測に過ぎないけれど、可能性が全くないわけではないだろ?」
ララが押し黙る。感情では認めたくないけれど、可能性がゼロだと言い切れるだけの証拠はどこにもない。
(それに――)
ララは服の上から首にぶら下げている指輪をぎゅっと握りしめた。ララがあげたプレゼントの指輪。それが見つかった場所もまた教会内であった。だとすれば、何かしらの形でオリバーが関わっていても不思議ではない。嫌な予想に冷や汗が止まらない。心臓がバクバクと脈打ち、脳が揺らされる。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、ララはアルフレッドに向かって頭を下げた。
「教えてくれてありがとう。じゃあ、私はこれで」
早くディゼルに伝えないと。そう思って立ち上がったと同時にララの手首が掴まれる。ピンと腕が伸びる。
「まだ用は終わってないよ」
「用? それ以外の話がある、の……」
振り返ったララは目を見開いた。
アルフレッドは妙なほど頭を脱力させ、顔の代わりに頭頂部がララの方を向いている。手首を掴んでいる腕以外もどことなくだらんとしており、いつもの快活でシャキッとしているアルフレッドからは想像もつかない。
ギリギリと手首に締められてララは眉を顰めた。
「アルフレッド、痛いから離してほしい」
感情を抑えた声で言えば、さらに力が加えられる。まるでララの腕をへし折るかのようにギシギシと締めつけられた。
「会いに行くのか?」
「は?」
「会いに行くんだろ。あの男に」
「なんで……」
そのことを知っているの。口から言葉がこぼれ落ちそうになった時、ただでさえ折られそうな程に握りしめられている手首にさらなる圧が加わる。苦悶に表情を歪めると、アルフレッドが勢いよく顔をあげた。
爛々と輝く青い瞳。瞼は端が割けてしまいそうなほど最大限まで見開かれ、口元は歪な笑みを浮かべている。とても人間がしていい表情ではなかった。
「――っ!?」
声にならない悲鳴を上げて、ララは反射的に後ずさろうとした。しかし、アルフレッドの腕が力強く彼女の腕を引いたせいで、小さな体はあっさりと男の胸の中へと収まってしまう。猶も逃れようすれば右手で手首をひとまとまりにされ、足を踏まれる。痛みに目を瞑った隙にソファの上に押さえつけられた。瞼を開いたときには、ララの上に馬乗りになって笑みを深める狂人の姿があった。
「アルフレッド、あなたどういうつもり!?」
ララは気丈に睨みつける。アルフレッドはニタリと歪な笑みを浮かべ、こてんと首を傾げた。
「うん? 君はこんな状況になってもわからないのか? ははっ、それともしらばっくれているだけなのかな?」
ぐっとアルフレッドの顔がララの鼻先まで近づく。顔を逸らそうとすれば、無骨な左手が容赦なく頬を掴んで固定する。鼻息がかかってぞわりと鳥肌が立った。
「僕はねぇ、君たち姉妹には失望したんだよ。淑女然としながらもはっきりとした意志があった君たちが僕が恋をしていた君たちだった。しかし、実際はどうだ? リアは司祭と、君はぽっと出のあの男と愛し合っていた。俺の理想も、恋心も見事に打ち砕いたのはそっちだろ!!」
「何を言ってるの……。そもそもそんなの」
「黙れ!!」
なんとか落ち着かせようと言葉を重ねようにも、感情が高ぶらせたアルフレッドの怒声によってかき消される。彼の瞳には理性の欠片も残ってはいなかった。ただ、自分が乗っている相手への憎悪のようなものがぐるぐると渦巻いている。
「僕はずっと我慢していたよ。君たちは神に仕えているのだから恋をしてはいけない。手を出すなんてもっての他だと。でもそうやって自分を押し殺していたせいで聖人のフリをした間男にリアは連れ去られ、君は毎晩のように手籠めにされている。
うん? そうだ。そうか。君たちは悪くないのか。リアを連れ去ったのはオリバーで、君を手籠めにしているのはあの男。つまり、君たちは被害者。ああ、そうか……。ふふ、はは。はははっはははは!!」
急に表情が抜け落ちたかと思うと、今度は耳を劈くような高笑いを上げる。ララはただ茫然と狂っていく男を眺めることしかできなかった。今目の前で笑っている男が、本当に自分の友人のアルフレッドだと言うのか。本当に、同じ人物なのか。
アルフレッドはうんうんと独りでに何度もうなずくとにっこりと口の端を上げた。
「なるほど。君たちは助けを求めたかったのに求められなかったんだね。でももう大丈夫だ。君は僕が守るし、リアも見つけ出す。そしたら三人でどこか遠くへ行こう。あいつらの手が届かない遠くへ。そうだ、それがいい!」
(こいつ、狂ってる)
自分の中で物語が進んでいる。彼の言葉に真実と呼べるものは多分一つもない。全てが妄想で妄言。独りよがりな願望を羅列しているに過ぎない。
ララは自己陶酔に陥っているらしいアルフレッドから視線を外す。ソファ以外に何もない部屋。窓はあるが、ここは二階。打ちどころが悪かったら死んでしまうかもしれないし、そうでなくても骨折は免れないだろう。負傷した状態で警察のアルフレッドから逃げるのは難しい。
となると、やはり一階の玄関かどこかの窓から逃げ出すしかない。問題はこの体の拘束をどう解くかである。
「アルフレッド、あなたは私たちを誤解してる。リアはあなたを裏切る行為なんてしていないし、私も——」
説得を試みようと口を開いたが、途中でぐっと言葉に詰まる。
私は、私は裏切っていないと言えるのだろうか? そんな疑問が降って湧いて、それ以上の言葉を続けられなかった。しかし、アルフレッドからすればそんなララの胸の内など知ったことではないし、興味もない。
「ふーん。そう。でも、それをどうやって証明するっていうんだ?」
「それは……」
アルフレッドは途端に無表情になると冷めた双眸でララを見下ろす。力なく空いた口が「ああ、そうだ」と呟いた。
「証明できるじゃないか。本当に身が潔白だというのなら、君はまだ経験がないんだろ? シスターだからな。ある方がおかしい」
「――まさか」
ララが身じろぐと、アルフレッドはララの薄い腹に容赦なく体重をかけた。低いうめき声が口から洩れる。両手を束縛する右手は爪を立てて、皮膚からぷつりと血が滴る。
ぐいっと再び近づけられた顔。記憶の中では海のような凪いでいたはずの双眸が今やまるで落ちくぼんでいるかのように真っ黒だった。
「ララ、良かったね。君の身が潔白であることを今、ここで証明できる」
「待って! やめて、それだけは!」
アルフレッドの左手がララのスカートを捲し上げ、下着に指が触れた。ララはいやいやと首を横に振るが、そんなことお構いなしに指が下着の中へと侵入する。きつく閉じられた中を無理やりこじ開けようとして、痛みが走る。
「ああ、随分と狭い。これなら確かに遊んではいなさそうだ、いやしかし、あの男のものが粗末だという可能性も捨てきれないな。やはり実際に試してみないと」
そう言いながら下着の中を掻きむしるように指が蠢く。恐怖を上回る不快感。まるで、乾燥した芋虫が這いずっているかのような嫌悪感でララはぶるりと震えた。
「嫌だって!」
「うっ――!」
ララが渾身の力で足を振り上げると、それはアルフレッドの後頭部を見事に蹴り上げた。一瞬アルフレッドの体が傾いたが、すぐに立ち直り、冷ややかな視線がララを射抜く。
「ここまで抵抗するってことは、やっぱりそういうことなんだな」
「違う!」
「ふん、まあいい。どうせ汚れてるんだったらもう何をしても同じだろ。君が僕好みになるまでめちゃくちゃに壊してやる。そうだな、まずはこのお転婆な脚を大人しくさせようか」
徐に胸元を探ると、カチャリと鈍色のピストルを取り出した。その銃口がゆっくりとララの脚へと向けられる。
「や、やめて……」
ララの瞳から涙がこぼれ落ちる。声の震えを抑えられないほどの恐怖が胸を支配する。
「いや、本当に……」
助けて、と唇が形作ると同時にアルフレッドが引き金を引いた。発砲音が鼓膜を破るように鋭く響く。痛みを覚悟してぎゅっと目を閉じた。
「……っ?」
しかし、痛みはやってこない。もしかして外したのか。そう思って目を開くと、頭上からパラパラと木くずが舞い落ちてきた。
「幼気な女の子にこんなものを向けるだなんて」
アルフレッドの腕は天井へと伸び、銃口もまた上を向いていた。アルフレッドの手首をがっしり握る節くればった手は力を込めているせいか、筋が浮き出ている。
そこに立っていたのは見覚えのある顔だった。しかし、その髪はいつもの紫混じりの中途半端な黒髪ではなく、艶やかなアメジスト色で、首にもかからないくらいの長さだったそれは、今や肩甲骨まで伸びていた。
「あんた、警察やめた方がいいよ」
「ディゼル……」
ララが呟くように名前を呼ぶと、氷の瞳は僅かに目を細めた。
「ディゼル……っ、まさかお前! ララをそそのかした――」
「そそのかしたなんて人聞き悪いな。俺はあんたと違って彼女とは対等な関係だよ。少なくとも、一方的に感情を押し付けたり、傷つけたりはしていない」
ディゼルが手首を捻り上げると、アルフレッドは苦悶の声を洩らした。指先から滑り落ちたピストルはガンッと鈍い音を立てて床に転がる。ディゼルの足に蹴とばされ、壁際まで追いやられた。
「くそっ、なんなんだ、どこから入って来た! 鍵は閉めたはずだぞ!」
「ちゃんと玄関から入ったよ。お邪魔しますもちゃーんと言った。気づかなかったって言うんなら、あんたが盛ってたせいじゃないか?」
アルフレッドの顔がみるみるうちに真っ赤になる。額に浮き出た血管は今にもはち切れそうなほど存在を主張する。
「そんな下品な言い方をするな! 僕たちは愛し合う途中だったんだ。それなのにお前が邪魔をしに来たんだろ!?」
「ほお? あんたの言う『愛し合う』は嫌がってる相手の上に無理やり乗って行うものなのか、それは確かに邪魔したな」
「嫌がってる? 違う、これは恥ずかしがってるだけだ。お前は何もわかっちゃいない」
煽られて激昂状態のアルフレッドが動く度にララの腹とあばら骨はキシキシと痛みを訴える。それでも声を上げなかったのは、この状況下ではララが何を言っても、アルフレッドに都合の良いようにすり替えられてしまうだけだとわかっていたから。
痛みに耐えるように唇を噛み締めると、血の味が舌に広がった。
「……そうかい。まあ、俺にもあんたにも言いたいことがあるんなら、サシで勝負をつけようか。あんたはそこに落ちてるピストルを使ってもいい。基本的に何をしても構わないが、ララちゃんを巻き込むのだけはなしだ。先に意識を失った方が負け。勝った方の意見を聞き入れる。異論はないかい?」
「チッ、ああ。わかった。やればいいんだろやれば!」
苛立った様子で立ち上がる。ララは急いで体を起こすと胸元を抑えながら深呼吸をした。漸くまともに息が吸えるようになったというのに、心臓はまだ恐怖でバクバクと脈打ち、酸素が体中に行きわたっている気がしない。
「ララちゃん、あんたはソファの影にでも隠れてな」
「う、うん。……ディゼル」
「うん?」
「大丈夫だよね?」
意識を失った方が負け。つまり どちらも意識を失わなければずっとやり合うことになる。まさか魔族であるディゼルが負けるなんて思いたくもないが、相手はピストルを持っている。見るからに何も所持していないディゼルが一見すると不利であった。
ディゼルはララの心配を鼻で笑う。にやりと口角が持ち上げた。
「まあ見てな」
ディゼルは不敵な笑みを浮かべて手を上げる。アルフレッドはピストルを拾うとディゼルと向き合うようにして立った。
緊迫した空気の中、ララは祈るように指を絡め、胸元でぎゅっと握る。
「あんた、ハンカチでもコインでもいいが、何か持っているかい?」
アルフレッドは胸ポケットからハンカチを引き抜くと、無言でディゼルに見せる。
「なら、それを天井に向かって投げ、床についた瞬間が開始の合図だ。タイミングはあんたに任せるよ」
「チッ」
ハンカチを握りしめ、二人は向き合う。敵意の眼差しを向けるアルフレッドに余裕の笑みを口元に浮かべているディゼル。そして、ソファの影でそれを見守るララ。
アルフレッドの手からハンカチが宙へと離される。四角く広がった白い布が重力に負けて床へと落ちてゆくのに時間はかからない。だが、その直前に発砲音は響く。ララは息を飲む。かさりとハンカチが落ちる。
銃口を向けた男は両目をぱっくりと開けて口の端を釣り上げる。それは勝利を確信したような狂気の笑みであった。しかし、すぐにその表情は驚愕のものへと様変わりする。
男の両の目に映ったのは、恋敵が銃弾によって倒れる姿――ではなく、微笑み一つ崩さずにするりと弾丸を避ける姿であった。この距離で弾丸を避けることなどほぼ不可能。先手必勝といった状況で、かの恋敵はゆるりとそれを見切って見せた。
そして、ハンカチが落ちたと同時に一歩、一歩と近づいてくる。その歩みは普通のもので、しかしアルフレッドは動くことができなかった。目の前の予想もしなかった出来事に脳の処理が追いつかなかったのだ。彼の目には既に勝利後の光景が見えていた。そして、それこそが現実であると脳は錯覚していた。
ならば、目の前の出来事は、彼の現実打ち破る真実であり、彼にとってあり得ない夢物語である。だからこそ、瞬時に何が起きたのか理解できなかった。
ディゼルの手がアルフレッドの頭を鷲掴みにする。ピストルが手から滑り落ちた音が、どこか遠くから聞こえてくるようだった。
ギシギシと頭が痛む。
「はっ……」
嘲笑うかのように男の口から乾いた声が洩れる。目玉がぐるりと自身の頭を締め付ける男を見上げる。
氷のような冷たい瞳。先ほどまでそこにあった微笑みはなく。どこまでも冷たい目と心底つまらなそうに閉じられた唇がアルフレッドの見ることができる全てであった。
脳が回転する。ぐらりと視界が揺れた。体から、脚から、指先から、力が抜けていく。
「馬鹿だね」
視界いっぱいに床板が広がった時、感情のない呟きだけが頭上から降りてきて、そのままアルフレッドは瞼を閉ざした。
一連の流れを見ていたララは言葉を失った。彼女からすれば、ディゼルが頭を鷲掴みにしただけで、アルフレッドが意識を失ったかのように見えたからだ。
「魔族と人間の違いもわからないなんて」
ディゼルは手首をブラブラと揺らしながら、暫し倒れたアルフレッドを見下ろしていたが、やがて決して華奢ではない体をひょいと担ぎ上げ、ソファに投げた。完全に意識を失っているらしく、投げられた衝撃で起きる様子は全くない。
「ディゼル。アルフレッドは……」
「寝てるだけだ。先に意識を失ったんだから、この勝負は俺の勝ち。そうだろ?」
「そうだけど……。大丈夫なんだよね? なんか変な魔法とか使ってないよね?」
「おいおい、今度はあんたが疑うのかよ。魔法なんざ使ってない。ただ、ちょっと頭に触れたときに色々見させてもらったけど」
「色々って――」
ララが猶も聞き出そうとすると、人差し指がそっと唇に添えられる。
「レディ、ここで話すのもなんだ。あとは俺の部屋で。な?」
差し出された手に自分の手を重ね、ララは小さく頷いた。
二週間も通っていると高級な部屋にも慣れるかと思ったが、そうでもない。相変わらず居心地の悪さを感じる紺色のソファに腰かけて、ララは差し出された紅茶を口に含みつつ、目の前で同じようにくつろいでいる人物を注意深く観察する。
先ほどまでアメジストのように輝いていた髪はいつもの紫混じりの黒髪に戻っている。長さもいつの間にか短くなっており、いつものディゼルがそこにはいた。
(魔族だから、姿がいくつかあるって言われても不思議じゃないけれど。……だとしたら、今のディゼルは仮の姿って可能性もある? さっきは髪の色が変わっただけだけど、本当はもっと化け物みたいな姿だったりして――)
「お熱い視線を向けられて光栄だが、俺の姿はこれがデフォルトだ」
「……!? な、なんでわかったの?」
「さっきから俺の髪にばっかり目線がいっているようだったから。大方そのことを考えているんだろうなってな」
目を閉じて紅茶を堪能しているとばかり思っていたが、こちらの動向もお見通しだったらしい。どこか悔しい気持ちになって、ララは口をへの字に曲げる。
「それで、アルフレッドのことはどういうことなの? 色々、教えてくれるんでしょ」
「もちろんだ。とはいえ、どこから話すのがいいのか」
ディゼルはティーカップをソーサ―の上に置く。暫しの逡巡の後、話し始めた。
「あんたのおかげでリアちゃんの痕跡はだいぶはっきり見えるようになった。だが、どういうわけか彼女の古い痕跡はよーく見えるんだが、直近のものが全くと言っていいほど見えない。となるとまあ、確実に彼女の最近の痕跡だけを故意に隠した奴がいるわけだが、このままでは痕跡から彼女の行方を追うのは不可能だ」
「えっ? 待ってよ。そしたら今までしてきたことは全部無駄だったってこと?」
「まあまあ落ち着け。なにも痕跡が見つからなかったから捜査をやめるなんてこと言わないさ。そんなの警察と同じだろ? 俺はあくまで情報屋。情報を掴むのが仕事なんだ」
ひとまず調査を諦めたわけではなかったようで、ララは胸を撫でおろす。ここでディゼルにまで見捨てられてしまったら、いよいよ打つ手はない。今度こそリアの行方は本当に闇の中へと消えてしまう。それに、ララが今まで恥を忍んでディゼルに体液を渡した意味もなくなったとあっては、この二週間、何もしないで生きていたのと同じことだ。
「情報を掴むって言ったって、どうやって?」
「古い痕跡は見られるって言ったろ? そこからリアちゃんの行動範囲を明らかにし、彼女の行動範囲と重なる行動範囲を持つ人間を割り出す。後は地道にその人たちの夢に侵入して彼女の情報を探っていったんだ。寝ている間も他人の目を気にする奴なんて滅多にいないからな。リアちゃんに関して知っていることがないか丁寧に聞き出した」
「寝てる間もって……。例の夢の中に入るってやつ?」
そういえば、最近そんな話題できゃっきゃっしている人たちがいたような。ぽわんと見覚えのある顔が頭の中に浮かぶ。
「そうそう。なにもこの二週間、あんたから与えられてばかりいたわけじゃない。それに夢っていうのは、その人間の深層心理や記憶に直結してる。本人が忘れてしまったと思い込んでいることだって、夢の中でなら過去の経験として反映されることもある。仮に魔族に記憶を書き換えられていたとしても、深層心理にまでそれが及ぶことはほとんどない」
「それで、何かわかったの?」
ああ、とディゼルは頷くと、二本の指を立ててララの前に突きつけた。ララは小首を傾げる。
「良い情報と良くない情報がある。さて、どちらから聞きたい?」
「……」
この人はどうしてこうも余裕があるのだろうか。湿り気を帯びた視線を向けるけれど、口の端がゆっくりと持ち上がるだけ。溜息を吐くのも馬鹿らしい。
「悪い情報からで」
「本当に人間は悪い情報を先に聞きたがるやつが多いな。まあ構わないが」
ディゼルは急に真剣な表情になる。なんとなく姿勢を正す。ぎゅっと握った手のひらは汗で湿っている。
「あんたのお姉さんが攫われる瞬間を見たやつは誰もいない。動物一匹に至るまでな」
「……そう」
警察の調査でもその手の報告は上がっていない。だからその結果を言い渡されるのは何も意外なことではない。ただ、動物一匹に至るまでと言われてしまうとさすがに失望してしまう気持ちを抑えることはできない。
「それで、良い情報は?」
「良い情報は、それらのおかげで容疑者がだいたい絞り込めたことだな」
「え? 本当に?」
沈んでいたララの声音が生気を取り戻したように高くなる。ディゼルはその様子を内心複雑に思いながらも頷く。
「ああ。夢に介入してどうしても会話をさせてくれなかった奴が数人いた。それもお姉さんの事において過剰なまでに反応を示したのにだ。この時点でリアちゃんの失踪に関わってる、または関わっていなくても、何か重要な情報を隠している可能性が高いと考えていいだろう」
寝ている間も人の目を気にするやつは滅多にいない。ならば、その滅多にいない人に分類される多くは、何が何でも隠し通さなくてはいけない秘密を抱えているということになる。
しかし、人の心理とはとても単純でわかりやすいもの。夢という特徴を活かしてその隠している何かに関する事物を見せればどんなに警戒していても、反応を示してしまう。
「その人たちって誰?」
「聞きたいかい? あんた、後悔するかもよ」
そう言うということは、ララの顔見知りなのだろう。一瞬ぐっと言葉を詰まらせたが、すぐに気を取り直してディゼルを見つめる。
「教えて」
了解とでも言うように、ディゼルは肩を竦める。両手の指を絡め、顎を乗せる。
「一人目は、警察官――アルフレッド・ターナー。二人目、マザー・スーペリア――シスター・ベレナ。三人目、司祭――オリバー・クリトン。そして……シスター――ミーア・キャロライン。以上四名だ」
「なっ……!」
アルフレッドにシスター・ベレナ。オリバーにミーア。皆、リアにとってもララにとっても親しみ深い人物だ。
「嘘でしょ?」
「俺が嘘を吐いたことでなんのメリットがあるんだい?」
「だって、皆お姉ちゃんがいなくなって心から心配していたんだよ? それなのに」
「人間は理性があればどんな道化師にでもなれる。大きな嘘から小さな嘘まで吐ける。あんたから見えていたもの全てが真実だったらとっくにリアちゃんは見つかってるはずさ」
ララは沈黙する。容疑者はよりにもよって身内ばかり。それもリアの失踪に同じように心を痛めているものだとばかり思っていたような人たちだ。
「……はぁ、だからちゃんと後悔するかもって言っただろ?」
ディゼルが呆れたように眉をひそめ、背もたれにもたれかかると、黙ってしまったララをじっと見つめた。
「——違う」
「ん?」
俯いていたララの顔が持ち上がる。悲しそうに柳眉を寄せているが、緋色の双眸は確かな光を宿してディゼルを見つめ返す。
「違うの。後悔とかじゃない。私は真実が知りたい。そしてお姉ちゃんに会いたい。だから、進展があって喜んでいるんだよ。でも、今のところ容疑者は近しい人ばかりで、少し、動揺しているだけ」
ララは気丈に振る舞うためにそう言ったのではない。心の底からそう思って口にしたのだ。興味深そうなものを見たかのようにディゼルは顎に指を添えて、目の前の少女を凝視する。
(アルフレッドはともかく、家族同然のベレナやミーアの名前が上がったらさぞ落ち込むだろうと思っていたが……)
ララは動揺しつつもしっかりと前を見据えていた。もう少し取り乱してもおかしくないと思っていたディゼルの予想を裏切って、彼から告げられた事実を受け入れようとしている。
これは、思った以上に面白い。ディゼルの口元が緩む。
「そうかい。なら、もう一つだけ情報を上乗せしよう。
アルフレッドはリアちゃんの失踪に関わっていた。しかし、それは彼の意思とは関係のないところでだ」
ディゼルの物言いにララは首を傾げる。アルフレッドに対する失望はもう底を尽きたのだろう。至って冷静な様子だ。
「あいつは狂っていたのさ。魔力によってね」
「魔力!? そ、それって操られてたとかそういうこと?」
「いんや。文字通り狂ってただけだ。妄想を本当のことだと思い込んだり、理性が働かなくなっていたり。あんな行動を取ったのも、そのせいだろう」
そういえば、とララは彼の言動を思い返す。全く通じない言葉、感情の突沸の激しさ。以前の彼はどちらかというと穏やかで冷静なタイプだった。それがほんの二週間ほど会わないだけであそこまで人が豹変するのは確かに妙である。
「でもどうしてこんなことになったの? もしかして、お姉ちゃんの居場所を知ってたとか?」
「残念ながら、彼の記憶は妄想と現実が入り乱れ過ぎていて何が正しいのかはわからない。考えられる可能性としては二つ。一つはリアちゃんの失踪に関する情報を掴んでいたから。もう一つはあんたたちへの好意を利用し、真相をあやふやにするため。あるいはそのどちらもって線も考えられるな」
真相をあやふやにするために利用された。だとすれば、やはりアルフレッドを狂わせた人物は彼とララたちの仲を知っている人ということになる。となるとやはり、残り三人に疑いの眼差しが行くのは避けられない。
「アルフレッドは、どうなるの?」
あんなことをされたとはいえ、やはり友だちであったことには変わりない。ララが尋ねれば、ディゼルは「さあ?」と両手を上に向ける。
「あんたが警察に突き出さないって言うんなら、罪に問われることはないだろう。あいつを狂わせていた魔力も俺が無理やり引き剥がしたから、あれ以上の狂気に陥ることはないと思うが……。あそこまで記憶が混乱してるとなると、普通の生活に戻るのも一苦労だろうな。記憶っていうのは思考に直結してる。あんたを襲ったという過去や数々の妄想。どれが本当にあったことか判別できない内は、あいつは無意識に狂人的考えを繰り返すかもしれない」
「ディゼルはどうにかできないの?」
「記憶の整理はインキュバスの仕事じゃない。俺たちは夢を介して人の内側を読み取ることはできるが、夢の領域を超えたことはできないよ」
「そっか……」
がっくりと肩を落とす。できることなら、元のアルフレッドに戻ってほしいと思っていたのだが、唯一どうにかできそうな知り合いにこう言われてしまえば、ララに打つ手はない。
項垂れてるララを訝しむような目で見ていたディゼルは呆れたように言葉を口にする。
「……あんた、呑気に男の心配している場合かい? 下手すりゃまた襲われかねないってことなんだぞ」
「も、もちろんわかってるよ。でも、襲われたとは言え、アルフレッドは私たちの友だちだったの。それにアルフレッドが狂ってしまったのは、彼に魔力で何かした第三者がいたってことでしょ? なら彼も被害者だよ」
ディゼルは目を丸くする。この娘の言葉は本音なのだろうか。だとしたら随分と。
(甘いな)
一度自分に恐怖を与えた相手を恐れるでもなく、嫌うでもなく、同情して救える手立てがないか考えるなど、お人よしを超えている。教会育ち故なのか、それとも彼女の心根の問題なのか。
(どっちもか)
あまり褒められるばかりとはいかないが、だからこその清純な気を纏えているのかもしれない。
ディゼルはふぅーと息を吐く。ズボンのポケットに手を突っ込み、手に触れたものを掴むと、まだ一人で思考を巡らせているらしいララの名前を呼んでそれを投げた。ララが慌ててキャッチする。手の中には紫色の糸で編まれたブレスレットがあった。真珠のようなビーズがアクセントになっていて、おしゃれなデザインである。
「なにこれ?」
「俺の髪で作ったブレスレット」
「……は?」
今、なんと言った? 俺の、髪?
ディゼルの言葉を反芻して、ララはブレスレットをローテーブルの上に置く。キッとディゼルを睨みつけるも、彼は驚くほど平然とした顔をして首を傾げた。
「な、髪って。髪の毛って! あなたも狂ってるよ!?」
自分の髪をアクセサリーにして渡すなんて正しく狂人しか考えつかないことだろう。
「狂ってない。それはな、あんたがもしも俺の助けが必要になった時、それに念じてくれればあんたの居場所が俺に伝わるっていう優れモノなんだ。作ってもらうの大変だったんだぜ?」
「い、いらいない。人の髪のブレスレットなんていらないよ!」
まいったな、とディゼルは頭を掻く。まさかここまで拒絶反応されるとは思っていなかった。人間と魔族の価値観の違いがこんなところで露見するとは。
(こんなことならただの魔法のブレスレットくらいにしておくべきだったか)
「アルフレッドに何かされそうになった時も、それさえあればすぐに駆け付けられるんだが」
「でも髪でしょ?」
「……ただの糸だ」
「さっき髪って言ったじゃない!」
「わかったわかった。あんたの安全のために持っててほしいだけだったんだが……。そこまで言うならいいよ。でも残念だな。それさえあれば、俺の力がなくてもあんたはリアちゃんの痕跡を感知できるっていうのに」
あー残念だ。と大して残念に思っていなさそうな声音で繰り返し、ディゼルがテーブルの上に置かれたブレスレットに手を伸ばすと、それを遮るようにララの手が伸びてきた。顔を上げれば、なんとも複雑そうに目尻をピクピクさせているララの顔があった。
「やっぱりもらっておきます」
「そーかい。それは良かった」
単純な子で。というのは胸の奥に留めてく。もし間違って口に出したら今度こそ彼女を怒らせてしまうことになりかねない。
やれやれとディゼルは立ち上がると、ララをひょいと持ち上げた。ララは驚いて目を瞬かせたが、すぐに彼の考えを理解したらしく、すぐ不機嫌そうに唇を尖らせる。
「ちょっと、今日もするの?」
「今日の俺の仕事は中々だったろ? それなのに無給だって言うのかい?」
「今まで毎日やってたじゃない。それでチャラだよ」
「昼間はちゃんと働いてたんだ。当日支給分でチャラだ。それに――」
じっとアイスブルーの瞳がララを見つめる。意味深な視線に、ララの動きも止まった。
「俺も少し嫉妬してるみたいなんでね」
「嫉妬?」
「そう。俺ならあんたを傷つけたりしないし、うんと優しくする。不快な気持ちも恐怖も忘れさせられる。知ってるだろ?」
口の端を持ち上げて、自信満々の微笑みを携える。そう尋ねられたところでララは口をパクパクさせることしかできないことをこの男はよく知っているはずだ。
こういう甘い言葉を囁いてくるのは何も珍しいことではない。おそらくこれがディゼルの常套句。数多くの女性と夜を共にしている男の手段なのだろう。
だからこそ、ララは素直に頷くわけにもいかないし、そう簡単に絆されるつもりもない。
ただ、確かに今日は……。
恐怖で震えるという経験を味わったのは、小さい頃に落雷に怯えていた時か、それこそリアが見つからなかったらと考えている時くらいだ。人から恐怖を与えられたことなど、今まで生きてきた中で一度だってなかった。
そして、怖い思いをした後はいつだって人のぬくもりを求めたくなる。小さい頃はリアに、リアがいなくなってからはミーアや他のシスターにそれを求めていた。
しかし今、彼女たちはここにはいない。いるのは自分を抱えてじっくりと表情の変化を観察している魔族である。
(それに、あの人に触られた不快感がまだ残ってる)
あの虫が這いずるような不快感は思い出すだけでもゾッとする。ディゼルに何度となく触られてきたが、最初ですらあんな感覚を覚えたことはない。
ララはふっと顔を背けると、なるべくそっけない調子で呟く。
「好きにして」
アルフレッドに与えられた恐怖と不快感。それを払拭できるのは、悔しいことに彼が最適なのだろう。
「はいはい」
それをわかっているのか、または仕方がないなと思っているだけなのか、ディゼルの返事には笑声を含まれていた。
* * *
ララをベッドの上に座らせると、ディゼルは慣れた手つきで彼女の服を取り払っていく。二週間も同じことを繰り返していると、さすがのララも慣れてきたのか抵抗は見せない。ただ、未だに恥じらいはあるらしく、胸と秘部だけは頑なに隠される。
「なるほど」
ディゼルはララの裸体を上から下まで流し見しながら呟く。どうやらアルフレッドが触れたのはほんの数か所のようだ。ただ、その数か所の一つが、ディゼルにとって一番面白くない場所であるため、眉間に皺が寄る。
「見てるだけでわかるの? その……私がどこ触られたか、とか」
「痕跡が見えるからな。一つ一つ消していくしかないか。レディ、足を失礼するよ」
「はい?」
ディゼルはララの返事を待たないで、素足に手を添えると、足の指にキスを落としていった。
「うわぁ!? 今日は体洗ってないんだよ? ばっちいよ!」
と蹴り上げんばかりの勢いの脚をディゼルは軽く押さえつける。舌先で足の裏まで舐め、指を一本一本しゃぶる。薄っすらとだがアルフレッドに踏まれたらしい痕がついているのを見れば、その傷跡を癒すかのように舌を這わせた。舌の動きに合わせて、ピクリピクリと足が動く。
(足は初めてのはずなんだがな……。もしかして弱いのか?)
窺うように視線を上げれば、ララは下唇を噛んで声を押し殺そうとしているようだった。つまり、そういうことなのだろう。
ニヤリと口角を上げて、また指をしゃぶる。間も丁寧に舐めれば、指がぴくぴくと痙攣するように反応する。
右の足がディゼルの唾液でべとべとになったところで、左の足へと移動する。太ももから指を滑らせればララの背筋にゾクゾクと刺激が走る。付け根を撫でると悩ましい声が唇から洩れた。
「ララちゃん、声抑えないでくれると嬉しいんだけど」
「い、いや!」
「そー」
ならば自然と出してくれるのを待つだけだ。ちょうどいいから彼女の弱点らしい足を楽しませてもらおう。そう思って手始めにディゼルの舌が土踏まずをベロリと一舐めすると、ララがわかりやすく体を震わせた。
脱力中の右の足の裏を指でくすぐる。「ん……」とくぐもった声が下りてくる。
くすぐったいようなじれったいような刺激に、ララは眉尻を下げる。笑えるほどくすぐったいわけではない。だけど乳首や耳ほどの快感はない。しかし、ディゼルの舌が、指が足を自由に弄ぶのに合わせてお腹の奥がピリピリと弱い電流に刺激されるようにむずがゆくなる。
ザラザラとした舌が足の指の間を抜き差ししている。時折そのまま指を食べられれば、口内で舐め回される。
左の指は、触れるか触れないかのギリギリのところを行き来する。足の裏をくすぐり、爪が肌に触れるたび、一際大きな電流が走り、体がゾクリと震えた。
じゅるっと指を吸われれば、今度は歯を押し当てながら舐められる。このまま舐められ続けたら足を溶かされてしまうのではないか。そんな錯覚すら抱いてしまう。ララは背後の枕を両手で掴み、微々たる快感に耐えた。
不意打ちで太ももを撫でられると胸が締め付けられ、何かが足らないとでもいうように切なさを主張する。
じゅるりと口の中に含まれていた指が解放され、舌で土踏まずをもうひと撫でしてから、ディゼルは漸く顔を上げた。
自分の唇を舌で舐める動作がどうにも艶やかでララの視線がくぎ付けになる。それに気づいたのか、ニヤリと意地悪く口の端を上げるものだから、恥じらう少女は頬を朱に染めて顔を背けた。
ディゼルがララを包み込むように体を寄せる。首筋を吸われ、両耳にも挨拶代わりとでも言うようにキスを落とされる。大きな手がやんわりと折れそうな手首を持ち上げる。顔の前まで持ち上げられたそれを見て、ディゼルの目が険しく細められる。
ララの手首には握りしめられた痕の他に爪で肌を破られた傷跡も残っている。赤い瘡蓋は当時の痛みを物語っているようで痛いたしい。ディゼルがそっと指の腹で撫でる。
「ここ、痛むかい?」
「今は、大丈夫」
おそらく少しでも力を入れたらまた痛みを感じることだろう。しかし、ディゼルがそういうことをしない男だということはこの二週間の付き合いでわかっていた。
赤い唇が吸い寄せられるかのように傷跡に口づけする。ララの目の前で慰めるように、何度も舌で撫でられる。痛みは感じないが、こうも愛情深げに舐められると恥ずかしくなってくる。それでもララが目を逸らさなかったのは、過去の恐怖心を上書きしたいという感情が無意識の内にあったからだろう。
こうして手首を舐めているところを見ると、大型犬か何かのようにも見えてくるな。などと考えて、ララはすぐに首を横に振った。犬なんてかわいい生き物とこの男を同一に感じてしまうなんて、焼きが回ったものだ。
その証拠に、ディゼルの開いている左手はララのたわわな柔肉の感触を楽しんでいる。以前はすぐには固くならなかったはずの乳首も既に実のように己の存在を主張し、ディゼルの指を誘惑していた。敢えて実には触れずにその周りをくるくると回っている指先が与えるもどかしさに、口から吐息が洩れる。
一通り白桃のような膨らみを蹂躙した手が離れ、反対側の腕を掴むと、ディゼルの唇が手首に残る絞められた痕に押し付けられ、大きく口を開けた。舌が痕を撫でるように口内で動けば、本当に食べられているようで、ララの体は熱を帯びる。白い肌から薄っすらと汗が滲んだ。
右手の指先は固くなった赤い果実を指で挟んで、マッサージでもしているかのようにゆるゆると優しく抓っていた。触れば触るほど、指先の果実は喜ぶように実を硬くする。
「は……んん……」
艶やかな声が洩れる。緋色の目がとろんと蕩けていくのを見つめていたディゼルは目を細める。目は口ほどにものを言うとはよく言ったものだ。
赤い舌は緩やかにララの手首から手の甲に移動すると、これ見よがしに舌を這わせて、指をしゃぶる。じゅるりと音を出して吸えば、ララの口が閉じる力もなくなってしまったかのように小さく開かれる。赤く色づいた唇の間から喘ぎ声がしきりに洩れた。
「はぁ……はぁ……んあ、あ……」
ララの腰がゆっくりと動く。試しに撫でてやるとピクリと背筋が伸びた。潤んだ瞳が見開かれて、すぐに悲しそうに細められる。
ディゼルはララの腕から手を放し、絹のように柔らかな曲線を撫で上げる。頂上で自らの存在を主張するように実った果実を指で軽くはじけば、切なげに響く吐息が頭上から降り注いだ。
口元に悪戯な笑みを浮かべ、真正面からララを見つめる。酩酊している彼女は自身を見つめる獰猛な氷の瞳を前に、視線を逸らすという考えすらすでに浮かばないようだ。
「ララちゃん」
甘く低い声音で名前を呼ぶと、愛らしい少女は返事をするように瞬きをした。
「次はどうしてほしい?」
「へ?」
いきなり質問を投げられ、ララは困惑する。どうしてほしいとは、どういうことだ。
「わか、わかっない……」
絶えず乳房のてっぺんから与えられる刺激に耐えながら、ララはやっとの思いで口にする。
「わからないか。なら、質問を変えよう」
そう言うと、ディゼルは片手をゆっくりと滑らせる。それを追いかけるようにララの視線も下りていき、自身の秘部の手前で手は止まった。
「ここ、触らせてもらってもいいかな?」
「い、今までも触ってた」
「確認のためにね。でも、今回は今までとは違う。他の場所みたいに触ってもいいかい?」
他の場所。頭のてっぺんからつま先まで、ディゼルにちゃんと触られていないのはそこ以外にはなくなった。舌が這いずり、指で翻弄する。
つまり、彼の『触れる』とはそういう意味の『触れる』なのだろう。ララの鼓動が早鐘のように脈打ち出し、ぎゅっと胸を抑えた。
脳には彼の舌が、猛禽類のように鋭い瞳が、節くれだった長い指が思い浮かんでは心を騒めかせる。いつの間にか、ララの意識に刷り込まれたディゼルによる快感と期待は、考えるだけで呼吸を乱させる。
「……」
うん、と頷いてしまえばいい。この人は絶対に怖いことをしない。自分を害したりしない。どこからかそんな声が聞こえてくるようだった。しかし、ララのなけなしの理性がそれを覆す。頭をゆっくり左右に揺さぶった。
「……っ」
ディゼルが目を丸くする。まさかここで拒否されるとは思っていなかったからだ。乳首を弄んでいた指先が止まる。ララは潤んだ瞳でディゼルを見上げると、快感に震える声を絞り出した。
「け、契約。契約は破らないで」
「……契約を、破らない範囲でなら構わないのかい?」
ララは今度こそ小さく肯定の意味を示してくれる。ディゼルの目元が和らいだ。ここまでトロトロに蕩けているというのに、理性は依然としてこの子を制御しようとしている。
(インキュバスとしては形無しだが)
しかし、率直に好ましいと思った。
今まで抱いた女たちとはわけが違う。彼女の瞳にはしっかりと自分という存在が映っているのだと、そう信じられる。
「もちろんだ。レディ、俺は約束を違えたりしない。信じてくれるかい?」
「……うん」
少女の口元は嬉しそうに綻ぶ。そうまでして自分を受け入れたくないのか、とはディゼルは考えなかった。ここまでしても自分の芯を見失わない彼女に敬意を込めて、だらりと垂れた手を取って口づけを落とす。
ディゼルは顔をララの秘部に近づける。むわんと立ち込める女の色香。シーツに零れるほど溢れた愛液は、初めての頃とは比べ物にならないほどだ。
不意に目線を上げれば、不安げに成り行きを見守っているララと視線が合う。彼女がこんな顔をするのも仕方がない。なぜなら、今まで一度だってディゼルがララの秘部に顔を近づけているところを見たことがないのだから。
唇同士の口づけは禁止、まだ母乳も出ない少女から体液を得るための方法など限られている。汗を舐めるのも良いのだが、最も効率が高いのはやはり愛液である。しかし、初心の中の初心であるララが、自分の秘部に会って間もない男が顔を近づけているのを見たらどんな反応をするだろうか。
散々抵抗した挙句、頭を全力で蹴り飛ばされかねない。頭突きを喰らった経験から、そう判断したディゼルは愛液を出させるだけ出させて、ララを眠らせてからゆっくり味わっていた。信頼関係がないうちにやるのは、彼女の精神的にも自分の身の安全的にもよろしくないというわけだ。
ディゼルの指が小さな花芯に触れると、ララの躰が大きく跳ねた。サラサラの愛液を指で掬ってくるくるとぷっくりと膨れたそれの回りで滑らせる。
「ひゃ……あん、ん……あっ……や、やん」
(なるほどな)
ララは何が起きているかわかっていないのか、目を白黒させていやいやと首を左右に振っている。自分が認知していない性感帯を、寝ている間にディゼルにいじられていたなんて思ってもいない彼女は、与えられる刺激に呼応するように艶やかな声を漏らす。寝ている間は精々掠れた吐息を出す程度だったが、覚醒しているとこうも違うものか。
「ディ、ディゼッ、あんっ……ねっ……んんっ、そこや……そこいや」
「ん? ああ、そうだな。ちょっと意地悪し過ぎたか」
ララの反応に夢中になっていたことに気づいて、指を止める。こうなると辛いのはララの方なのだが、このまま続けても余計に混乱させてしまうだけだ。
むずむずとララはシーツに秘部を擦るように腰を力なくスライドさせていた。相変わらず疼きの取り方はよくわかっていないようで、『とりあえずディゼルに触ってもらって変な感覚が弾けたら解消される』というのがララが知ってる疼きの解消方法である。白い指で自らを慰める術などまだ知らない。
甘いようなしょっぱいような女性のむんとした匂いが鼻をくすぐる。それに混じる若干の男の痕跡に顔をしかめた。だいぶ薄くなっているが、まだ取れていない。
小陰唇を少しだけ開き、ジュウッと唇を寄せて吸い付く。ララの太ももが大きく震えた。舌を這わせて浅い所についた愛液を舐め取っていくと、それに合わせてはぁ、はぁ、と熱を帯びた吐息が下りてくる。
悪戯心で時折陰核を鼻で押し上げると、「きゃうんっ!」と愛らしく鳴くものだから思わず笑みが零れる。その吐息すらくすぐったいのか、ララは身を捩った。
舌先が膣口に触れるととぷんと一気に新たな愛液が流れてくる。丁寧に掬ってやればまるで続きを促すようにトロトロの液体が舌に流れ込んできた。ララは太ももが小刻みに震えている。
「ふぅ、んん……。ね、ねえ……」
「ん?」
視線だけでララを見上げると、彼女の白い肌は真っ赤に染まっており、潤んだ瞳からはいつこぼれ落ちてもおかしくないほどの涙が溜まっていた。
「変なの、治まらない……」
しゅんと落ち込むように言葉にする。いつも最後にはイかせてあげていたからその感覚を待ち望んでいるということだろう。
少女の無自覚かつ可愛らしい訴えにディゼルは眉を顰める。そういうつもりはないのに何やら自分のものが山を張っている気がする。
「じゃあ、ララちゃん。今日はこっちでイってみるかい?」
と尋ねても、ララが理解できるわけがない。トロンと蕩けた顔で首を傾げるだけで拒否の意を唱えなかったことから、ディゼルは透明な液でしとどに濡れる蜜壺に唇を添わせると、 ぴちゃりぴちゃりと卑猥な水音を立て始めた。舌で愛液を掬って、柔らかな肉をそっと押す。敢えて音を出すように舌先で愛液を弄ぶ。パクパクと小さな入口がそれを歓迎するかのようにひくついた。
「あっ……うう……ん、んん……」
ディゼルはそのまま音を出しながら舌を移動させる。そして一際膨張している花芯を一舐めすると、唇で挟んだ。ぴくんと快感に身を捩らせるように反応するそれを舌で舐め上げ吸い付く。
「あ、ああ……いや、んっんっ……あああっ!!」
二度、三度、と繰り返すと、ララの躰が大きく跳ねた。その途端愛液がこぽりと溢れる。脱力したララは上体を起こすこともできないのか、横にゆっくりと体が倒れていく。
「おっと、危ない」
ディゼルが瞬時に彼女の体を胸に抱え込む。はぁ、はぁと余韻に浸っている様子の彼女の頭を撫でた。下手に体に触れると、悪戯に少女を刺激してしまうことになりかねないからだ。落ち着くまではこうして頭を撫でてあげるのが一番彼女に落ち着いてもらえる。
ララの呼吸が徐々に安定してくると、彼女は閉じかかっていた瞼を無理やり持ち上げてディゼルを見上げる。
「……いつも、こんなことしてたの?」
「何のことだい?」
「とぼけないで。いくらインキュバスだからって、最初からこんなになるなんておかしいもの」
どうやら秘部を弄ったことがばれたようだ。
「体液を摂取するために仕方なくね。ただ、普段は外側を舐めてるだけだ」
正確には陰核も含めた外側である。しかし、小さな性感帯がついてるとは知らないララは肩を竦めるだけだった。
「もう。次からはちゃんと起きてる時にして。寝てる時にされるってなんか嫌だから」
(やめろとは言わないんだな)
ララが懸念している処女膜は目と鼻の先にあるのに。それとも体液を摂取する必要があると聞いたときからその程度のことは予想できていたのだろうか。
「承知いたしました、レディ。では、今から続きをしても?」
「はっ……!? あんなに舐めたのに?」
「また出てきたから」
徐にディゼルの指が秘部へと伸びて、これ見よがしに指についた愛液をララの前で垂れさせる。
ララの顔が沸騰したかのように真っ赤に染まっていく。
「もう! 今日はだめ!!」
ララの怒声は高級ホテルの廊下にまで響き渡った。
時計の針が夜の11時を指す時間。ララは修道院の扉をノックした。いつもなら皆眠ってしまっているが、今日は明かりが漏れていた。
ノックをして数秒後、扉を開いたのはミーアであった。ミーアはララの姿を見るなり彼女に抱きしめた。
「良かった……! 無事だったのね。皆心配してたのよ。あなたが門限になっても帰ってこないから。シスター・ベレナも珍しく10時まで起きていたんだから」
「ミーア、心配かけてしまってごめんね」
「いいえ。あなたが無事ならそれだけでいいの。でも、いったい何があったの?」
「それに関しまして、こちらから説明させていただいてもいいですか?」
ミーアは視線がゆっくりと声のする方――ララの背後へと移動する。ディゼルはにこやかな笑みを浮かべ、優雅に一礼した。
「初めまして、私は情報屋のディゼルと申します」
「ディゼルさんね。私はミーア。ここのシスターの一人です。それで、あなたはどうしてララと一緒にいるんですか?」
ララは内心ドギマギしていた。それはディゼルが教会の関係者に接触する口実を作るという作戦のせいでもあったし、ミーアの態度が刺々しいことに対するものだったというのもある。ミーアは基本的に誰に対しても温厚なのだ。しかし、今日は少し雰囲気が違う。
「彼女がある男性に路地裏に連れ込まれそうになっていたところに、偶々私が通りかかったんです。男性の方はひどく錯乱しておりまして、対処に時間を有したことから、このような遅い時間に彼女をお返しする羽目になってしまいました」
「その男性って、まさかアルフレッドさん?」
「う、うん」
ミーアの表情が強張る。
「ララ、あなた怪我はしてないの?」
「えっと、足を踏まれたのと、手首がちょっと。でも、この人のおかげで大事には至ってないよ」
「そう……。念のため、あとで私に見せて。いいわね?」
ララが素直に頷けば、ミーアは再びディゼルへと顔を向ける。相変わらず愛想笑い一つ浮かんでいない。
「ディゼルさん、ララをここまで送ってくれたことには感謝します。でも、あなたは本当にララに何もしていないわよね?」
「彼女が嫌がることはしていません。情報屋の誇りかけてね」
訝しむようにミーアがディゼルを凝視する。しかし、やがてふっと肩の力を抜いた。
「わかりました。私も少し警戒し過ぎたみたいです。不遜な態度をを取ったこと、お許しください」
「いいえ。大切な同僚を心配してのことでしょう。気にしていませんよ」
「そう言っていただけると助かります。それでは、ララこっちへ」
「うん」
「ありがとうございました。こんなに暗い夜なのですから、帰り道は気を付けてくださいね」
「ええ。お気遣いありがとうございます、レディ」
ディゼルはやはり朗らかに微笑んでその場を後にする。ミーアが扉を閉める隙間から彼の後ろ姿を見送っていたララは、僅かに振り返って片目を瞑ったディゼルに思わず、頬を赤らめた。
(本当にキザな人!)
プイっと顔を背ける。
施錠を済ませるとララはミーアにアルフレッドとの間に何があったか根掘り葉掘り聞かれ、寝る時間がさらに遅くなってしまったのは言うまでもない。
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