1 / 1
1.春を呼ぶ女
しおりを挟む学園のどこからか聞こえてくる美しいバイオリンの音色に耳をすませて、わたしはよく磨かれた床を泳ぐようにすいすい歩いた。大きな窓から陽の光がやわらかく入ると、なんだか今日は格段といい一日になる気がしてくる。
「おはようございます」
「ユフィ様、本日もご機嫌麗しゅう」
並ぶ下級生たちにうっとりと言わんばかりの羨望の眼差しで見つめられて、ユフィはさすがに居心地が悪かった。早足で陽だまりがさす廊下を進むと、メインホールがいつも通りざわざわと賑わっている。わたしがそこへ辿り着くとほんのり注目を浴びた。
「ユフィ、あなたの仕事よ」
背筋がきれいな女性がわたしへそう声をかけた。彼女はロイゼ王女殿下。同い歳で、わたしの友達である。
わたしが返事をせず微笑んで誤魔化そうとしたのを見て、ロイゼは切れ長の目を吊り上げた。手つきだけは優しく手首を取られて、わたしが泳ぐような足取りで進んで来た廊下を、かつかつと凄い勢いで戻ってゆく。
「ロイゼ殿下、」
「あなたね、まだ護衛騎士を決めていないの?」
「ふふ、うん。そうなの」
「ふふじゃないのよ」
ロイゼの小言を聞き流しながら、いつか国王陛下に言われた言葉をぼんやりと思い出した。
つい100年ほど前から、この国だけじゃなく、隣国も、その向こう側の国も、皆一様に春が来なくなった。何らかの理由で神の怒りに触れ、四季が上手く回らなくなり、小さな国から次々に萎えていったのだ。
あまりに恐ろしい出来事に人々は震えた。
そんな折に、各地で体に花のかたちをしたあざが出た女達がいた。最初にその法則性に気付いた人が賢明だったおかげで、その女が特殊なちからを使えば春を呼べることが分かったのだ。
各地で花の女たちは聖女だと祭り上げられたけれど、春を呼ぶという行為は身体に物凄い負担をかけるようで、充分な休息もとらず次々と祈りを捧げた女たちはどの国でも見る間に死んでいった。
そういう状況なので、聖花と呼ばれる女は、ある意味非常に厄介な存在なのだ。
「そんな女の護衛をしてくれなんて、簡単に言えないわ」
「じゃあわたしが決めるわ」
「え~…」
「ユフィ…………あなたね……」
「ごめんなさいロイゼ。嘘よ。そこまで言うからには会わせたい方でもいるのね」
王女殿下は物凄くうんざりした様子でお説教を始めようとしていたけれど、珍しくわたしが素直に頷いたのを見ると、すうと目を細めた。
◣
そう言ったその日のうちに騎士団の訓練場に連れてこられるなんて思ってもいなかった。学校終わりに直々にわたしを迎えに来た王女殿下は、今慌てふためく騎士団の騎士たちへ「構わなくていいのよ」と告げている。いいわけない。
「今日手合わせがあるというから来たの。わたしの側近も参加させるから、試合を見せてちょうだい」
ロイゼのひと言ですぐに始まった手合わせを何試合か観て、彼女はわたしを突然振り返った。
「ユフィ、どうかしら」
「どうって?皆さん素晴らしい腕ね」
「当たり前でしょう。うちの国の騎士団なんだから。…そうじゃなくて」
ロイゼ王女殿下、と誰かが話に割って入った。お話中に申し訳ございません、と前置いて、少しよろしいでしょうかと側近が声を潜める。
ロイゼが頷いて椅子を立とうとしたので、手で制して私が立ち上がった。
「ふらふらしてくる」
「敷地内から出たら駄目よ」
「ふふ わかってる」
小さい頃からの友人なので、わたしがいまいちしっかりしていない分、彼女が心配性になってしまった。
◣
大きな木があったので、日影に入ってふうと息をついた。見に来たのはいいものの、やっぱりいつ死ぬかわからない厄介な女を護ってくれなんて言えない。
これは公式発表されていないけれど、ちからを使い切った聖花は枯れて死ぬ。そんな亡骸を前にしたら、誰だって。
「そこのお前」
はっとして振り返ると、目を血走らせた男が肩で息をしていた。怒っているのか、握りしめた拳がふるえている。
「花だろ、お前」
咄嗟に否定できなかった。わたしの花のあざは見えないところに出ているけれど、花の香りで大体はバレてしまう。
「祈りが間に合わなかったせいで俺の故郷は土地が涸れてほとんど全員死んだ。最後は伝染病で、きれいな水も手に入らず、酷い死に方だった。」
「 ……… 」
「お前が綺麗な服を着て優雅に王女殿下とお茶でもしている間にだ!この魔女が!そもそも、お前が土地を呪ったんだろう!」
男が拳を振り上げる。避けられなかった。それで償いになんてならないと分かっていたけれど、彼の心の傷だけは痛いほど分かってしまったからだった。
ぱし、と軽い音がして、肩が後ろに引き寄せられた。
「 ………ギル、ベルト、…さん」
「所属を言え。どこの隊だ」
「 ちが、おれはっ ……そこの魔女を!」
掴んだままだった男の腕をひねりあげて、よろけた彼の頬が殴られた。骨と骨がぶつかる音がして、彼の体が後ろへ吹っ飛んでいく。
「アレク、回収して団長に突き出しておいてくれ」
「っ、待って」
「 …大丈夫だ。あんたが思ってるほど手酷いことにはならない」
お仕置きは今ので6割くらい済んだ、と言われながらぽんぽんと頭を撫でられて、ばくばくと鳴り止まなかった、心臓がゆっくり落ち着いていく。
ほっとしたら膝の力が抜けて、かくんと前のめりになった。
「、おい」
「ご、ごめんなさい。力が入らなくて」
がしっと肩を支えられて、柔らかい草の上に支えられながらゆっくり腰を下ろした。落ち着いたら医務室に連れて行くと言われたので曖昧に頷くと、ギルベルトと呼ばれた男性はわたしの目の前に膝を付いた。
さっきのは、
「俺達と同じように国を護っている女性に対して、取り返しがつかないくらい酷い言葉だった。あいつと同じ騎士として謝罪させて欲しい。」
真っ直ぐこちらを見つめる瞳に嘘が無さすぎて、かえって戸惑った。わたしはふるふると首を横に振る。
「彼が言うことは分かるから、いらないわ」
「 …… 」
「助けられなかったことは紛れもない事実だし、…きっと、わたしがあの人の立場だってそう思う。誰だって、」
「俺はそうは思わない」
静かな口調だったけれど、強い声だった。思わず口を噤んだわたしへ、彼が続ける。
「あいつの言葉をその通りだと思うなら、それは否定しないけどな。…だからって傷付けられていい訳がない」
「守ってもらえたわ」
「体はな。…心を傷付けて、本当に申し訳なかった」
「ユフィ!!」
王女殿下とその側近達が顔色を変えて駆け寄って来ていた。わたしは目の前をすっと離れた騎士から言われた言葉を、ゆっくりと胸に置いた。
◣
「ユフィ、出発の日は決まっているのよ」
今日も今日とてロイゼ王女殿下に膝詰めで説教をされているわたしは、何度目か分からない「わかってる」を繰り出した。
女学院の生徒たちはわたしたちを遠目に頬を染めているけれど、穏やかな時間が流れる中庭で説教をされているなんて誰も思わないだろう。
「ギルベルトがいいんでしょう」
「 ……そんなんじゃないわ。その言い方、やめて」
「あれから何人紹介しても首を縦に振らないじゃない」
「それは、」
「殿下、ユフィ様。おふたりに客人です」
ロイゼの側近が音もなく突然現れて、わたしたちは顔を見合せた。ロイゼにならともかく、わたしもセットで呼んでいる客人って、誰だろう。
学園の応接間に通されると、この前とは違ってきっちり正装をさせられたギルベルトが立って待っていた。驚きで言葉を失うわたしを逃がすまいと、ロイゼに手首を掴まれる。彼はロイゼのもうひとりの側近と談笑していたらしく、室内の雰囲気は和やかだ。
「ご機嫌麗しく、王女殿下。ユフィ様」
「ギルベルト!よく来たわ」
この前より大分雰囲気がやわらかく感じるのは、怒った後とそうじゃない時の違いだろうか。余計なことを考えている間に、ロイゼへの挨拶を済ませた彼が目の前に来ていた。
「ユフィ様、護衛の騎士に俺を選んでくれませんか」
「ど、どうして……?」
「話を知ったのは国王陛下からですが、」
言葉を切ったギルベルトが、大きな窓へ目を向けた。この前と変わらずやわらかい陽ざしが入ってきている。窓の向こうでは新緑が風に揺れていた。
「あなたの呼ぶ春を、見たいと思ったからです」
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェ(別名義)でも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
わがままな婚約者はお嫌いらしいので婚約解消を提案してあげたのに、反応が思っていたのと違うんですが
水谷繭
恋愛
公爵令嬢のリリアーヌは、婚約者のジェラール王子を追いかけてはいつも冷たくあしらわれていた。
王子の態度に落ち込んだリリアーヌが公園を散策していると、転んで頭を打ってしまう。
数日間寝込むはめになったリリアーヌ。眠っている間に前世の記憶が流れ込み、リリアーヌは今自分がいるのは前世で読んでいたWeb漫画の世界だったことに気づく。
記憶を思い出してみると冷静になり、あれだけ執着していた王子をどうしてそこまで好きだったのかわからなくなる。
リリアーヌは王子と婚約解消して、新しい人生を歩むことを決意するが……
◆表紙はGirly Drop様からお借りしました
◇小説家になろうにも掲載しています
【書籍化】番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました
降魔 鬼灯
恋愛
コミカライズ化決定しました。
ユリアンナは王太子ルードヴィッヒの婚約者。
幼い頃は仲良しの2人だったのに、最近では全く会話がない。
月一度の砂時計で時間を計られた義務の様なお茶会もルードヴィッヒはこちらを睨みつけるだけで、なんの会話もない。
お茶会が終わったあとに義務的に届く手紙や花束。義務的に届くドレスやアクセサリー。
しまいには「ずっと番と一緒にいたい」なんて言葉も聞いてしまって。
よし分かった、もう無理、婚約破棄しよう!
誤解から婚約破棄を申し出て自制していた番を怒らせ、執着溺愛のブーメランを食らうユリアンナの運命は?
全十話。一日2回更新 完結済
コミカライズ化に伴いタイトルを『憂鬱なお茶会〜殿下、お茶会を止めて番探しをされては?え?義務?彼女は自分が殿下の番であることを知らない。溺愛まであと半年〜』から『番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました』に変更しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる