完璧御曹司の結婚命令

栢野すばる

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1巻

1-1




   プロローグ


 里沙りさが目を覚ますと、背中に人のぬくもりを感じた。ふり向くと裸の男の身体が見えた。
 もちろん自分も、一糸まとわぬ姿。
 胸に、二の腕に……服に隠れる部分には、いくつもの口づけのあとが散っている。
 こんなあとを付けたのは、里沙を抱いたまま眠っている青年である。
 彼は、横たわる姿すらも完璧だ。やや淡い色合いのつややかな髪に、引き締まった身体と長い手足。整った顔は、ぐっすり眠っている今も非の打ちどころなく美しい。
 彼の名は山凪光太郎やまなぎこうたろう
 里沙の実家である須郷すごう家が、先祖代々お仕えしてきた名門、山凪家の若き当主様である。
 時代劇風に言えば、光太郎と里沙の関係は『お殿様と使用人』だ。
 里沙は幼い頃から、両親に『光太郎様に精一杯お尽くしするように』と言われて育った。
 そして、お尽くししすぎた結果、身体までささげてしまったのだ。
 今、里沙は、彼に腕枕をされた状況になっている。
 ――どうしよう、こんな体勢で眠ってしまって……。光太郎様の腕がしびれてしまう。
 慌てて腕枕から頭をずらそうとした里沙は、身動きできずに戸惑う。光太郎のもう一方の腕が、里沙のお腹に回されていたからだ。眠っているとはいえ、男性の腕にしっかり捕まっていては、なかなか抜けられない。
 お腹の手をそっと引きはがそうとしたとき、低い声がした。

「どこに行くんだ?」

 どうやら光太郎を起こしてしまったようだ。

「光太郎様の腕がしびれてしまいますから、少し離れようかと」

 命令し慣れた男の声に、里沙はかすかに身を縮めつつ小声で答える。
 次の瞬間、里沙の身体は圧倒的な力で後ろから抱きすくめられた。
 そして光太郎の手が、里沙の黒いまっすぐな髪を指先でく。

「里沙は軽いから大丈夫。このくらいなんでもない」

 髪に触れていた光太郎の手が、下に降りてきた。肋骨ろっこつの辺りを撫でた指は、次に胸の膨らみに伸びる。彼の手が、感触を楽しむように、幾度も胸を揺らす。
 一糸まとわぬ姿で、里沙は小さく息を呑んだ。
 ベッド脇のライトが、室内を淡く照らし出している。
 スプリングのきしむ音がして、光太郎の腕が再び里沙を抱きすくめた。

「……なんか、また里沙としたくなった」
「あ、あの……光太郎様……さっきもしまし……、あ……っ」

 身体の前に回った指が、胸の先端をつつく。里沙は思わず声を漏らし、身をくねらせて悪戯いたずらな指に抵抗した。
 大きな手が、里沙の乳房を優しく、けれど執拗しつように揉みしだく。
 いつしか、腕枕していたもう片方の手が、脚の間に伸びていた。

「……っ、あ、だめ……ッ……」

 背中から抱きしめられたまま、里沙は不埒ふらちな腕から逃れようともがく。
 胸をもてあそぶ手が、異様な熱を帯び始めたのを感じる。
 下肢に伸ばされた手が、閉じたももの間に忍び込んだ。
 後ろ頭に、キスの感触を感じる。からかうような軽いキスが、次第に執着を帯びた激しいものに変わってゆく。
 髪に、耳に……何度も繰り返しキスをしながら、光太郎は里沙の茂みの奥をまさぐった。

「だめなのか? 俺に愛されて抱かれるのは、まだ『お仕事』だとでも?」

 乳房を揺らしていた手に、胸の先端を軽くつつかれる。しこった乳嘴にゅうしに触れられた刹那せつな、下腹部の奥にしびれが走った。
 里沙の反応に気をよくしたのか、光太郎の手がゆっくりと和毛にこげをかき分ける。
 懸命に脚を閉じても、指の侵入を防げない。大きな手に割り込まれ、蜜口があばかれた。

「あ、あぁ……っ、そこ、触っては……んっ……」

 触れられた泉がひくんと震え、思わず甘い声が漏れる。

「どこもかしこも、全身可愛いな。抱くたびにどんどん可愛くなる。怖いくらいだ」

 光太郎が里沙の髪に顔をうずめ、低い声で呟く。
 触れられてますます鋭敏えいびんになった乳嘴にゅうしを、今度は指で挟まれた。身体が強ばる。
 脚の間を攻める指が、ぬかるんだ秘裂にずぶりと沈み込んだ。

「……っ……う……っ」

 もう、手を振り払うだけの力もない。
 悪戯いたずらされるがまま、里沙は懸命にあえぎ声を呑み込む。
 背後に感じる光太郎の身体は、いつしか焼けるように熱くなっていた。
 ぐちゅぐちゅという水音が、次第に強くなる。身体の奥から、ぬるい何かがあふれ出すのを感じた。
 不意に光太郎が胸から手を離し、枕元の小箱を手に取る。そして中から避妊具を取り出した。

「見て、里沙。もう最後の一個だった」

 からかうような口調に、けものじみた情欲がにじんでいる。

「俺たち、今まで何回セックスした?」
「あ……っ……光太郎様、この、手……っ……あぁん……っ」

 そんなことを問われても、この状態で答えるなど無理だ。光太郎のもう一方の手は、変わらず里沙の中をもてあそんでいる。閉じた身体を開こうとする指から解放されたくて、里沙は必死で身をよじった。
 だが、光太郎はやめてくれない。
 長い指が、みだらな音を立てて花襞のあわいを行き来する。
 息が弾み、身体中がゾクゾクして何も考えられない。

「俺の健康管理のために、回数をカウントしてくれるんじゃなかったのか」
「ん……っ……」

 唇を噛み、里沙は必死に考える。
 そういえば、毎晩遅くまで起きているのはよくないと思って、そんなことを言った気がする。もちろん不埒ふらちな指にもてあそばれ、泣かされながら、うわごとのように口走った言葉だけれど……

「教えてくれ。俺は数えてないんだ」

 蜜口から、とろりとしずくがしたたり落ちた。里沙は息を弾ませ、手元のシーツを握りしめる。
 光太郎の指をぎゅっと締め付けながら、半泣きの声で答えた。

「っ……あ……もう、分からな……っ……」

 何度も抱き潰された記憶が生々しくよみがえり、恥ずかしさに涙がにじむ。
 痛いくらい火照ほてった里沙の耳を、光太郎がかぷっと噛んだ。

「やぁっ!」

 たったそれだけの刺激で、里沙の身体は激しく反応した。視界が涙のまくで曇る。

「もう数えられなくなったか……俺もだ。里沙に夢中になりすぎて分からない」

 光太郎が満足げにのどを鳴らして続けた。

「俺とセックスするのは慣れたか?」

 赤裸々せきららな質問に、身体がかっと火照ほてる。恥ずかしさのあまり、里沙は唇を噛んだ。
 からかうような口調ではあるが、里沙が答えるまで、光太郎はひく気がないようだ。里沙は諦めて、声を出さずに小さく頷いた。
 どうやらその態度に、光太郎は満足したらしい。

「……ならいい。はい、これ持ってて」

 光太郎に何かを差し出され、里沙はシーツを掴んでいた手をゆるめた。受け取ったのは、最後の一個の避妊具だ。
 同時にずるりと音を立てて、指が抜かれる。ほっと身体の力を抜いた刹那せつな、里沙の身体が軽々と反転させられた。
 背中から抱きしめられていたのが、正面から抱き合う格好になる。
 光太郎の汗ばんだ胸で、里沙の乳房が押し潰された。
 里沙の肌を味わうように、光太郎のてのひらが背中やお尻を撫でまわす。

「柔らかいな、気持ちがいい。ずっと触っていたい」
「あ……」

 光太郎はしばらく身体に手を這わせていたが、やがて名残惜しげに手を止め、そっと身体を離した。
 里沙の腰骨に手を掛け、光太郎が耳元でささやく。

れていい?」

 光太郎の言葉に、里沙は小さく息を呑んだ。光太郎恋しさに、身体中が熱くなる。

れていいなら、里沙がそれを付けて」

 手に、避妊具を握らされたままだったことを思い出す。誘惑に満ちた声に、里沙の身体の奥がうずいた。

「で、でも……光太郎様……」
「嫌か?」

 かわきをにじませた声で、光太郎が尋ねる。
 たかぶる肉槍が、下腹部に触れた。
 今日まで、何回も光太郎を受け入れてきた。初めのうちは葛藤かっとうしながら、そして今では愛おしさで何も考えられなくなりながら……
 そしてこの瞬間もまた、里沙は熱に浮かされたように彼の言葉に従おうとしていた。

「……い、いいえ。嫌じゃ、ない……です……」

 息を呑み、お腹の辺りまで反り返っている肉杭に、そっと触れる。
 彼に教えてもらったとおりに、避妊具を被せた。不器用な手つきで作業を終えると、光太郎の唇が里沙の唇をふさいだ。
 光太郎の舌が里沙の口内をまさぐる。それだけで、脚の間のうずきが耐えがたいものに変わった。
 舌に舌を絡められ、里沙は懸命に同じ仕草で応える。
 ぴったりと肌を合わせて抱き合っていると、光太郎の鼓動がダイレクトに伝わってくる。この前まで遠い人だった彼が、今、信じられないくらい側にいる。
 夢を見ているようだ。
 彼の体温を感じると、もっと肌を重ねていたくなる。

「ああ、なんでこんなに可愛いんだ、里沙は……」

 唇を離し、かすれた声で光太郎が言った。
 仰向けに倒された里沙の身体に、光太郎が覆い被さる。彼は淡い笑みを浮かべて、里沙を優しく組み伏せた。
 熱い手が里沙の脚を持ち上げ、大きく開かせる。あらわになったそこに、たかぶった杭の先端が押し付けられた。
 これまでどんな風に抱かれたか、どんな風にかされたかを思い出し、里沙の恥じらいは頂点に達した。

「里沙は一生、俺だけ知っていればいい。俺に抱かれて、俺のことだけ考えていればいい」

 光太郎の薄い色の目には、焼け付くような光が浮かんでいた。
『山凪家の若きご当主様』のこんな顔は、今まで知らなかった。もしかしたら里沙以外、誰も知らない顔かもしれない。
 そう思うと、恥ずかしさと嬉しさがこみ上げてきた。里沙は小さく頷き、光太郎のむさぼるようなキスを受け止める。その瞬間、濡れそぼった蜜口を、肉のくさびつらぬいた。

「あ……あぁ……っ」

 ただ繋がっただけなのに、身体が震える。
 強い快感をやり過ごそうと、里沙はのけぞって顔を傾けた。その拍子に、視界の端に避妊具の空き箱が映った。
 初めてそれを使ったときは、怖くてひたすら震えていた。
 でも、最後の一個を使っている今、怖くも痛くもない。むしろ、もっと乱して、めちゃくちゃにしてほしいとすら思う。
 人間はあっという間に変わるのだな、と思ったとき、光太郎が里沙の顔をおのれの方に向けさせた。
 俺に抱かれているのに別のことを考えるな、という意味だろう。
 何度目か分からないキスに唇をふさがれながら、里沙は光太郎のさらさらした髪を指でいた。
 そのまま、汗ばんだ背中に手を回す。なめらかでしっとりした広い背中を抱いていると、愛しさがこみ上げてくる。
 幼い頃から、里沙は光太郎のことが世界一大好きだった。ずっと片思いで、かなうはずのない恋心を抱き続けていたのだ。だから、こうして彼に求められるのなら、何をされても構わないと思えた。

「あ、あん……っ」

 つらぬかれながら繰り返し首筋にキスをされ、甘ったるい声が漏れる。身体中全部、しく食べられているようだ。そう思うと、里沙の受け取る快感はますます強くなった。

「ん……く……っ……」

 身体の中をいっぱいに満たす剛直を、ぎゅうっと締め上げる。光太郎が小さな声を上げ、里沙の耳に歯を立てた。
 抽送が激しさを増していく。
 突き上げられ、揺さぶられながら、里沙は必死で光太郎の背にしがみついた。

「里沙がこんなにエロいなんて知らなかった」

 からかうような口調に、里沙は涙ぐんで首を振る。

「やっ……違……っ、あぁっ……!」

 らすためか、杭が半分ほど引き抜かれた。

「いや、光太郎様、やめないで……」

 思わすすがり付く里沙に、光太郎が嬉しそうに言う。

「里沙も俺がほしいのか?」

 肩にしがみついたまま、里沙はこくこくと頷いた。

「っ……ほしい……です」

 光太郎の手が里沙の膝裏にかかる。ますます大きく脚が開かれ、半ば以上まで抜かれていたくさびが、じゅぷじゅぷと音を立てて里沙の中に入れられた。
 圧倒的な質量が体内を満たす。奥深いところを押し上げられて、里沙の唇からあえぎ声がこぼれた。

「光太郎様……あ、あ……っ……」
「里沙、可愛い……里沙……」

 力一杯里沙を抱きしめ、光太郎が繰り返し名前を呼ぶ。彼のすべらかなひたいには、いくつもの汗の玉が浮いている。
 息もできないほどの力で、里沙の身体がシーツに押し付けられた。
 今までにない激しさで、繰り返し下腹部をつらぬかれる。
 里沙は熱い蜜をしたたらせながら、快感に身を任せた。

「は……っ……ぁあ……っ……」

 与えられる刺激に、身体中が震え出す。
 みだらな蜜音が強まり、くわえ込んだくさびが硬さを増す。蜜道をますます押し広げられ、里沙は思わず腰を揺らした。

「気持ちいいか?」

 心なしか光太郎の声が嬉しそうだ。だが、里沙には、頷く余裕もない。
 与えられる刺激が強すぎて、ともすれば気が遠くなりそうなのだ。
 薄い皮膜越しに熱い光太郎の身体を感じて、下腹部がわななく。
 かすかな汗の匂いが、里沙の鼻先をくすぐった。
 激しく上下している胸板に、半ば理性を失ったように、繰り返し押し付けられるすべらかな唇。
 光太郎の激しい興奮を感じ、里沙もまた、抑えがたいたかぶりを覚える。愛しさと快感が止めどなくあふれ、彼自身を呑み込んでいる隘路あいろがひくひくと震えた。

「や、あ……光太郎様の、硬くなって……っ……ん!」

 里沙の唇が激しくふさがれる。汗の味がするキスだ。
 光太郎は背中に回った里沙の片手を外し、その手をぎゅっと握った。
 指と指を絡め合い、お互いに力一杯手を繋ぐ。

「好きだ、里沙。俺には里沙しかいないんだ……いい加減、諦めて、理解しろ」

 光太郎の声が、なまめかしくかすれた。腰の動きがこれまでになく激しくなる。
 奥深くを、思いきりえぐられた。
 同時に、隘路あいろを満たしていたそれがびくびくと弾けて熱を散らしたのを感じる。
 情欲を吐き尽くしながら、光太郎が繋ぎ合わせた手に力を込める。
 里沙は開いた両脚を震わせ、果てた彼の耳の辺りに、頭をこすり付けた。
 やはり、好きな人にこんな風に抱かれたら、冷静でなんていられない。
 里沙は目を閉じ、光太郎の形のいい耳にささやきかけた。

「私も……」

 先を続けようとして、泣きたくなる。そんな短い言葉で表しきれるような感情ではないのに……
 荒い息を繰り返していた光太郎が、里沙と繋がったまま、真面目な口調で尋ねる。

「俺が無理いしているから、そう言ってくれてるわけじゃない……よな?」

 その問いに、里沙は素直に頷いた。

「違います、好きです……」
「そうか、よかった。……俺は里沙が好きすぎて、つい暴走するからな」

 冗談めかした口調に、里沙は目をつむったままちょっと笑う。
 好きな人に毎日好きと言ってもらえるこの状況に、嬉しいと思う反面、恐怖も感じる。
 うとうとしている里沙のかたわらに、光太郎がすべり込んできた。

「明日の朝、俺が風呂で洗ってやる」
「な……っ、自分で洗います。俺が洗うって、どうしていつもそんな……だめ……」

 小声で抵抗すると、光太郎が優しくクスッと笑った。

「俺は里沙と風呂に入るのが好きなんだ、そのくらい許せ」

 里沙を抱き寄せながら、光太郎が最高に機嫌のいい声で言う。
 幸せそうな声だ。
 光太郎のこんな声を聞いているとほっとする。
 彼が笑顔を見せてくれると嬉しい。
 なぜなら里沙にとって一番大事なのは、光太郎だからだ。
 もう、光太郎様さえ幸せならそれでいいんじゃないかな……と考えそうになる。
 だが長年刻み込まれてきた『使用人の娘とお仕えすべき御曹司様』という感覚はなかなか消えないわけで……
 思い出すのはあのパーティの日の光景。輝くシャンデリアの下で光太郎の強引な「命令」を受けた瞬間、里沙の運命は変わったのだ。一体これからどうなるのだろう。
 ――今後のことは、今はいい。光太郎様のことだけ考えていたい……
 里沙の頭のブレーカーは、そこで落ちた。



   第一章


 須郷里沙、二十四歳。彼氏なし、男性と手をつないだこともない。真面目がとりえの大人しいOLだ。
 日本有数の企業グループである『山凪グループ』を統括する、『山凪ホールディングス』の秘書室で働いている。
 入社二年目の新米なので、先輩秘書たちの雑用をこなす日々だ。
 その日は、いつもと変わらない平和な木曜日だった。
 山凪ホールディングスがあるのは、都内の一等地。立派なオフィスビルだ。
 ビルの中層階には、様々な樹や花を植えた広いガーデンテラスがある。里沙は昼休み、一人でそこで息抜きしていることが多かった。
 だが今日は、珍しい人が一緒だ。

「光太郎様、どうなさったんですか? お昼休みに会いに来られるなんて」
「里沙と喋りに来ただけだ。たまにはいいだろう? 寂しいから、あまり俺を避けるな」

 かたわらの青年が形のいい口元をゆるませ、里沙をじっと見据える。
 山凪光太郎――『山凪グループ』の創業者一族の御曹司である。セレブとかリッチとかいう次元を超えた、正真正銘しょうしんしょうめい、本物の貴公子だ。
 ――相変わらず……光太郎様の笑顔はまぶしすぎる……
 光太郎は、名前のとおり光を集めたような、非の打ち所のない容姿をしている。
 若干強面こわもてだが完璧に整った顔立ち、淡い色の目と髪に、なめらかな肌。長身の鍛え上げられた身体は、高級なスーツを着ても全く負けない。街を歩くと、道行く人が思わず振り返ってしまうほどだ。今も、ベンチに座っているだけで、周囲の目を惹きつけている。
 ――光太郎様がいらっしゃると、おまけの私まで目立ってしまう。
 内心落ち着かない気持ちを抱えつつ、里沙はつとめて明るく答えた。

「避けてないです」

 本当は避けている。里沙は、会社ではなるべく光太郎の側にいないように距離を置いて、顔を合わせないようにしていた。
 社会に出て痛感したからだ。光太郎は見えない線の向こう側にいる、里沙とは違う世界の、本物の王子様なのだ……と。

「ならいいんだが。社会人になってから、妙に冷たいから気になって」

 光太郎が形のいい唇に、涼やかな笑みを浮かべた。
 闊達かったつな気質の彼は、言葉遣いも歯切れがいい。
 だが、その歯切れのよさが、里沙の後ろめたさに拍車を掛ける。

「私……仕事を覚えるので精一杯で……」

 言い訳がましい口調になり、里沙は悟られないよう唇の内側を噛む。
 里沙の実家、須郷家は、百年以上も前から山凪家の筆頭侍従をつとめる家柄だ。
 身分制度が撤廃された現在でも、須郷家の人間は山凪グループの重要な役職に就き、山凪家に仕え続けている。
 里沙も幼い頃から、主君の光太郎に仕えるように育てられた。現在も山凪グループの企業で働きつつ、光太郎の役に立つべく頑張っている最中だ。
 ――それにしても、今日はなんのご用かしら。光太郎様は、確か午後から会議のご予定なのに。
 光太郎は今、『山凪ホールディングス』の経営企画部にいる。
 役職は常務取締役で、いずれ『山凪グループ』の総帥となるために、研鑽けんさんを積んでいるところだ。
 そんな多忙な光太郎が、昼休みとはいえ『使用人』の里沙相手に油を売っていていいのだろうか。
 里沙は戸惑いつつ、隣に腰を下ろした光太郎を見つめた。

「光太郎様、お昼は召し上がりましたか?」
「ん? ああ……さっき何か食べた。大丈夫だ、ありがとう」

 曖昧あいまいな答えが返ってくる。仕事に夢中の光太郎のことだ。秘書に渡されたものをそのままかじったに違いない。
 ――光太郎様、ちゃんと食べたのかな? 兄さんが側についているから大丈夫だと思うけど……
 里沙の八つ年上の兄、雄一ゆういちは、光太郎の第一秘書だ。冷徹な見た目で、性格もその外見どおりクールだが、仕事ぶりは完璧である。あの兄なら、光太郎が昼食を抜くなどというネガティブな行動をとれば、絶対に見逃さないだろう。
 ――でも光太郎様、なんだかご様子が……。どうなさったんだろう、思いつめた顔をなさって。
 首をかしげた里沙と目を合わせず、光太郎はまっすぐ前を見たままだ。整いすぎた顔に、かすかに緊張が浮かんでいるように見えた。
 やはりちょっと様子がおかしい。いぶかしく思っていると、光太郎が口を開いた。

「……里沙は、俺のこと好きだよな」
「……はい?」

 里沙の目が点になる。
 唐突に何を言い出すのだろう。

「いや、……里沙は……里沙は、俺のこと好きだよな。昔から俺のこと大好きって言ってたけど、今も好きだよな?」

 光太郎が真剣な顔で里沙を振り返る。鳥肌が立つほど整った顔は、全く笑っていない。
 ――い、一体、どうなさったの……って、いけない、ちゃんと答えなくては。
 我に返って、里沙は張り付けたような笑みを浮かべた。

「はい、好きです。小さな頃から、ずっと光太郎様と一緒でしたから……当たり前です」

 答えて、胸がちくりと痛くなる。

『私はずっと前から、貴方あなたに恋していました』

 そう言いたい気持ちを呑み込む。
 何を聞かれても、答えのテンプレートは決まっている。
 正しく距離を取った上で『大好きです』と言う以外の選択肢を、里沙は与えられていない。
 里沙の母が山凪家の本家屋敷で働いていた関係で、里沙は幼い頃から光太郎と過ごすことが多かった。
 光太郎は公明正大こうめいせいだいな性格で、使用人の娘である里沙のことも、妹のように可愛がってくれた。
 里沙は、優秀な光太郎から勉強を教えてもらい、習い事にもちょこちょことついていき……と、いつも彼にくっついていた。

『お兄ちゃんみたいだけど、お兄ちゃんと違う』

 無邪気な好意は、いつしか恋心に変わっていた。こんな素敵な本物の王子様が側にいて、恋しないわけがないのだ。
 だがそれは子供の頃の話で、今は違う。
 大人になって、自分の立場もわきまえた。光太郎は、里沙が恋していい相手ではないのだ。
 慣れきった『いい子の表情』を浮かべる里沙の前で、光太郎が唐突に立ち上がる。

「分かった、ならいいんだ。じゃあ週末のパーティ準備、よろしくな」
「はい、お任せください」

 里沙は頷いた。
 今週の土曜日に、山凪グループの創立記念パーティがある。
 里沙はパーティ運営の裏方に徹する予定だ。
 ――今年こそ、光太郎様の婚約発表があるかもしれないって……。仕方ないよね。光太郎様はもう二十八歳だし、早く身を固めろって皆に言われているんだもの……


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