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1巻
1-3
「このまま着て出かけたいんですけど」
孝弘の言葉に、店員が心得ているというように頷いた。
「かしこまりました。ご準備いたします。……お客様、こちらはいかがなさいますか」
店員が、詩織に、いかにも高級インポート物と思われるストッキングを差し出した。
『うちの服に通販の一足五十円のストッキングを合わせるな』という意味だろう。
――デスヨネ……足に色が合ってないですもんね!
詩織はそれを無言で受け取った。さすが、プロの販売員の目は誤魔化せない。
「何か上に羽織るものもお見立てしましょうか。こちらのカーディガンですと冷房よけにいいですし、ワンピースの上に羽織ると可愛いですよ」
次に店員が持ってきたのは、パンプスと色調のよく似た薄手のカーディガンだった。
若い女性向けらしく、身ごろに小さな花が縫い付けられていて、品があるのに可愛らしい。
――か、可愛いけど……これ以上はいいです! ン万円の冷房よけはいらないです。ノースリーブでも気合で乗り切ります。
内心全力で拒絶する詩織の傍らで、孝弘があっさり言った。
「じゃ、それもください」
「ありがとうございます」
孝弘からクレジットカードを受け取った店員がレジに向かったあと、詩織は彼にそっと耳打ちした。
「あの、孝弘さん……いりません、こんな高い服。この間指輪も頂いたのに」
「似合うんだから構わないだろう? 五年も離れ離れだったんだし、少しくらいプレゼントさせてほしい」
孝弘は優雅な美貌に似合わず、意外と頑固なのだ。だがやはりこんな高価なプレゼントは詩織としても困ってしまう。
――断っても、絶対にプレゼントしてくれるんだろうな。はぁ、どうしよう。婚約者の財力に、こういう意味で悩む日が来るとは……
詩織は孝弘を翻意させるのを諦めた。店員に連れられてもう一度試着室に入り、外に行けるように服を整え直して、孝弘の前に立つ。
「いいね、すごく綺麗だ」
「綺麗……ですか?」
詩織は思わず穿き替えたばかりのストッキングを見下ろした。
――確かに、こんなに綺麗なストッキング初めて穿くかも。
じっと自分の足を見ている詩織がおかしかったのか、決済のサインを終えた孝弘が立ち上がり、詩織のほうに腕を差し出して微笑んだ。
「どこを見てるの? 綺麗だって言ったのは君のことだよ」
澄んだ茶色の目には、からかうような光が浮かんでいる。
ストレートに褒められてどんな顔をしていいのかわからず、詩織はおろおろしながら、差し出された彼の腕に指をかけた。
「あああ、あの、ありがとう……ございます……」
やっぱり、孝弘とこんなふうに寄り添うのは落ち着かない。婚約指輪を受け取ってからというもの、彼との距離が近くなったように感じるのは気のせいだろうか。
「これからは俺の見立てたものも身につけてほしいな。せっかく詩織は綺麗なんだし」
「い、いや、私は別に、綺麗では……」
どきどきしすぎて、変な汗が出てきた。なぜ、急にたくさん贈り物をされて、恋人同士みたいに密着されるのだろう。嫌ではないのだが、緊張してしまう。
「綺麗だよ。君はそういう自覚がないところがいけない……ちょっと不安になるな」
店を出て歩きながら、孝弘が呟いた。
「いえ、そんな……そう言っていただけるのは嬉しいんですけど」
詩織は首を横に振った。素材は母譲りなので多少ましかもしれないが、中身が若干、いや、相当残念な女だという自覚はある。
母からの『何なの貴方は! 品がない!』というダメ出しや、親戚の女の子達の、きっちりメイクをし、ブランド物で固めた美しい姿を思い浮かべると、自分はどうも劣っている気がしてならないのだ。
詩織が孝弘に大事にしてもらえるのは、たまたま生まれた家柄が良く、たまたま彼の婚約者に選ばれたからだ。
それがわかっているので、こうやってお世辞を言ってもらえて嬉しい半面、申し訳ないとも思ってしまう。
――釣り合ってないのは、わかってるんだよなぁ……
孝弘に悟られないよう、小さくため息をついたとき、孝弘がふいに口調を変えて言った。
「詩織、俺は本気で褒めてるんだよ」
孝弘が真剣な顔で詩織を見ている。街路樹の木漏れ日が彼の端整な顔に淡い影をまだらに落とし、彼の茶色の目を琥珀色に輝かせていた。
笑って誤魔化そうとした詩織の顔から、笑みが引いていく。
「え、えっと、あの」
「五年前、海外赴任が決まって、君をアメリカに連れて行きたいと言ったときも、俺は本気だった。どうしても君と離れたくなかったんだ。でも、君自身に断られてわかったんだよ。俺が頼りないから受け入れてもらえないんだってことが」
――えっ? 突然、何の話?
目が点になってしまった詩織を置き去りにして、孝弘が話を続ける。
「だから俺は、詩織に信頼してもらえる一流の男を目指して頑張ったつもりだ。父や叔父さんに言われた以上の結果を出すため、赴任期間が延びてもアメリカに残ってね。そのおかげでそれなりに評価されるようになったし、成長もしたと思う」
孝弘が有能なビジネスマンなのは知っている。実家に帰ったときに父から散々聞かされた。むしろ『孝弘くんに釣り合うようお前もしっかりしろ』と檄を飛ばされたほどだ。
――い、いや、あの、違います。私、もっとしょうもない理由で、あのとき結婚を断って……
詩織の背中を汗が一筋伝った。何か誤解が生じているような気がする。
「今もそうなんだろう。君の全てを委ねるには俺が頼りないんだよな、詩織」
「い、いや、孝弘さんに全てを委ねようなんて思ってないですよ。私も一応働いてるんですから」
しどろもどろになった詩織の顔を覗き込み、孝弘は低い声で言った。
「そうだね。君が言いたいことはわかる。君は、俺がいなくてもいつも満たされていて楽しそうだ。でも俺は……今度こそ詩織に必要とされたい」
孝弘の言葉の意味がよくわからず、詩織は彼の様子をうかがった。
とたん、孝弘が我に返ったように首を振り、穏やかな笑みを浮かべて詩織の腕を軽く引く。
「何が食べたい? 和食がいいかな。イタリアン?」
「え、ええ……私はどちらでもいいです」
話をそらされたことを感じながら、詩織は彼の後に従った。
――どういう意味? な、なんか、まるで私のことを好きみたいな発言を聞いたような……いや、まさかね……
本日何度目かわからない緊張感が詩織を襲う。
この関係は親が決めた、家のためのものだ。孝弘は、必要以上に詩織に好意を寄せてはいないはず。お互い平和な家庭を作れればそれでいいと考えているはずだ。
旦那様がクールなイケメンで、地味な奥さんはかっこいい旦那様に一方的に憧れている。詩織と孝弘は、そういう夫婦になるはず、なのに……
しかし、詩織の頭からは、孝弘の呟いた意味ありげな言葉が消えてくれなかった。
第二章 王子がケモノに豹変しました
『俺は今度こそ詩織に必要とされたい』
先週末のデートのときに孝弘に言われた台詞が、相変わらず詩織の頭の中をぐるぐる回っている。
――アレはどういう意味なの?
思い出すだけで落ち着かず、キーボードを叩く手が止まりがちになる。
あの言葉を口にして以降、孝弘はもう意味ありげなことを何も言わなかった。いつもどおりの、紳士的で優しく、落ち着き払った態度。あまりにもいつもどおりだったからこそ、逆に孝弘の言わんとしたことが気になって仕方がない。
――五年前、私のことを本気でアメリカに連れて行きたかったって言ってた。どうして? あの頃の私じゃ子供すぎて、絶対何の役にも立たなかったのに。
詩織は、当時のことを頭に思い浮かべた。
五年前、短大生だった詩織は、小説を書くのにハマっていた。
特に書いていて楽しいのは恋愛モノだ。
婚約者は優しかったが、年上なうえに名家の御曹司で気を遣う。それに詩織は女子校育ちで男子の知り合いなどほとんどいない。そんなわけで、普通の恋愛とは縁のなかった詩織の『恋に対する想像の翼』は大きく広がった。
そこまでは、普通のお話を書くのが好きな女の子とそんなに変わらないのだが、詩織はいつしか、さらに一歩踏み込んだ恋愛小説……つまり女性向けエロ小説の執筆に目覚めてしまったのだ。
兎にも角にも、詩織はエッチな話が好きなのである。エッチな話のほうが読んでいてドキドキするし、登場人物の気持ちに感情移入できる。
切なさも、エッチありのほうがキュンキュン度が増すと思う。少なくとも詩織はそう感じる。
――要するに、何をどう言い訳しようとも、私はエッチありの恋愛モノが好きなんだよね……
あの頃の詩織は、知人には見せられないエロ小説を、一人パソコンに向かってちまちまと書いて、プリントサービスのお店で出力し、出版社の原稿募集に応募する……ということを繰り返していた。
今思えば大変な度胸であるが、自分の書いた本が出版されるかもしれないという夢の前には『そのエロ小説、親にバレたらどうするの?』とか『婚約者にバレたら大変だよ?』というような理性など全く働かなかった。若さというのは、恐ろしいものだ。
孝弘の実家である小早川家から『入籍を考えてほしい』という連絡が来たのは、ちょうど送った官能小説の原稿が認められ、編集部から『出版に向けて頑張りましょう』という夢のようなメールをもらった直後だった。
『息子を海外赴任させることになった。少し早いかもしれないが籍を入れて、詩織さんにも同行願えないだろうか』
という小早川家からの依頼に、父は即座に『短大を辞めて孝弘くんと結婚し、一緒にアメリカに行け』と詩織に命じた。だが、意外にも母が渋った。
『詩織はまだ子供です。家事もマナーもなっていないし、もう少し手許に置いて色々教えないと心配で』
正直詩織は、母が反対してくれてホッとした。婚約しているとはいえ結婚などまだ先のことだと思っていたし、『短大を辞めなさい』と言われても、にわかには受け入れ難かったからだ。
普段どおりに学校に行って、友だちとおしゃべりして授業を受けて……そんな生活がなくなるなんて想像できなかったのである。
そんな中、孝弘が珍しく、詩織に強く要求してきた。
『一緒に来てほしい。来てもらえないか』
そう言われて、日本に残りたかった詩織は何と答えたのだったか。
確か『孝弘さんが帰ってくるまで待っているので大丈夫ですよ』と言った気がする。
しかし彼は引き下がらなかった。
『三年程度と言われても、俺にとっては長い。だから一緒に来てほしい。駄目か?』
でも、小説家になることで頭がいっぱいだった詩織は、首を横に振ったのだ。
文字を書く人間にとって、自分の書いたものが本屋に並ぶというのはとてつもない憧れである。
正直に言えば、詩織は結婚のために、自分の本を出すチャンスを犠牲にしたくなかったのだ。
孝弘のことは好きだし、いつか結婚するのだろうと思っていた。だが、あのときは、そんな漠然とした未来よりも、『本を出す夢』『大学での勉強や友達、家族』のほうが大事だった。
夢だった小説家になれたのだから、あのときの選択を後悔はしていない。けれど……
五年前の記憶を押しやりつつ、詩織は頭を抱えた。
――孝弘さんは……もしかして私のことが好きなのかな? なんだかそんな雰囲気を感じたけど、勘違いかな? 駄目だ、私、告白とかされたことないからわからない。
あれだけ書いているエロ小説が何の役にも立たないことに、詩織は若干絶望した。
詩織の書く話は、ヒーローの愛情表現が明瞭で、そこが読者に好まれているのだと担当さんに褒めてもらったことがある。
逆に言えば、そのくらいわかりやすく愛されないと、詩織は愛情を理解できないのだ。
恋愛にうといのは、詩織自身も認めている。今まで彼氏などいたこともないし、告白もされたことがない。さらには男性に恋したこともないのだ。婚約者の孝弘が好きなので、それで十分だと思って生きてきた。
皮肉なことに、その恋愛アンテナの鈍さが詩織の書く恋愛小説にはいい意味で生かされ、『わかりやすく甘々らぶらぶ』という仕上がりに繋がっているのだが。
――もしかして私のこと、好きなんですか? ……なんて聞けない。そんなの本人に聞いたらアホだもん。
しかし、孝弘のような『イケメン・エリート・御曹司』が、本当に自分を好きになるなんて……現実としてありえないと思う。
だとしたら先日の言葉はどういう意味なのだろう。考えれば考えるほどわからなくなる。
髪を掻きむしろうとしたところで、詩織は我に返ってキーボードに手を伸ばした。
早くプロット案をいくつか作って送らなくては。詩織の売りは『専業である分レスポンスが早い』ことなのだ。悩んで手を止めてしまってはいけない。
――頑張ろう。そうだ、この間応募した恋愛小説大賞の三次選考の結果はどうなったかな。
詩織は再び手を止めて、選考結果のページを開く。どうも、今日は集中できない。
仕事の幅を広げたくて、性描写の薄い恋愛小説のコンテストに原稿を送ってみたのだが、通過したかどうかを確認していなかった。
「あ!」
名門出版社である『伯識社』の文学賞のページに自分の名前を見つけ、詩織は思わず声を上げる。
『あいだふみ』といういつも使っているペンネームと、『忠実に愛されます』という小説のタイトルが目に飛び込んできた。
発表から半月近く、締切に追われて忘れていたが……なんと三次選考を通過しているではないか。
最終選考通過者の発表は、今日からさらに半月後のようだ。
――ど、どうしよう! すごい! これは緊張する……!
どくどくと心臓が鳴った。
このペンネームは『しおり』という自分の名前をもじったものだ。
本、つまり『文』の『間』に挟まれる『栞』をイメージしてつけたもので、自分でも気に入っている。官能小説の執筆時とは名義を分けようかとも考えたのだが、やはり変えたくなかった。
また、プロだと選考の際に不利になるという意見もネットで見たのだが、まあ、そのときはそのとき、と軽い気持ちで応募をしたのだ。改めて通過者の中に自分のペンネームを見つけると、嬉しさと驚きで胸が苦しくなった。
駄目だ。ネットに繋がっていると気が散ってしまって何もできない。
そうでなくても、孝弘の思わせぶりな言葉が気になって気もそぞろなのに。
しばらくドキドキしたあと、詩織は我に返ってインターネットの接続ケーブルをパソコンから抜いた。スマートフォンも寝室に持っていき、枕の下にしまい込む。
「よし、頑張ってプロット作って、初稿に着手しよう」
声に出してそう呟き、詩織はパソコンに向かって背筋を伸ばした。賞の結果なんて発表されるまでわからないのだ。今の段階で、気にしても仕方がない。
とりあえず雑念を遮断し仕事を進めてしまいたい。
熱心にパソコンのキーボードを叩いたり、大きな紙に付箋を貼り、プロットの流れを作ってみたりしているうちに、あっという間に外は暗くなった。
時計を見ると、もう二十時だ。
かなり集中していたらしく、プロットの他に、締切が来月の原稿も一万字ほど書き進めることができていた。
気づけばお腹が空いている。今から夕飯を作るのも疲れそうなので、カフェかどこかで軽く食事をすることにした。
寝室に放り込んだスマホをカバンに入れ、詩織は家を出た。何を食べようかなと思った瞬間、カバンの中でスマートフォンが鳴っていることに気づく。
――お母様かなぁ。ご飯食べに来いっていうメール、無視してたかしら。
のんきにスマートフォンを取り出した詩織は、画面を見てぎょっとした。孝弘からの電話だったからだ。平日に連絡が来るなんて珍しい。いや……結婚の約束をしたことで、連絡がこまめになったのだろうか。どちらにせよ待たせるわけにはいかないと、詩織は慌てて電話を受けた。
「はい、もしもし!」
『ああ、よかった。何度電話しても出ないから心配した』
電話の向こうで孝弘がほっとしたように言う。何のことだろうと思った詩織に、彼は続けた。
『昼から何度か連絡してたんだけど、返事がないから。ごめん、何回もメールして』
詩織ははっとして口元を覆う。
仕事に集中していたので、スマートフォンを確認するのをすっかり忘れていた。今回は女王が昔から密かに愛していた将軍に、明かり一つない暗闇で声を殺して身体を許すという、自分としては迫真のシーンを書いていて……いや、余計なことは言わなくていいのだった。
『どうしたの?』
孝弘の声が怪訝そうになったので、詩織は急いでフォローを入れた。
「今日ずーっと仕事してたんです! ごめんなさい」
『メールも見ずに? ……いや、ごめん。なんでもない。良かったらこれから食事に行かないか?』
途中まで暗かった孝弘の声が、ふいに明るくなる。優しい口調にホッとして、詩織は彼の提案を了承した。ちょうどお腹が空いているし、今日一日誰ともしゃべっていないので、誰かと話したかったのだ。
「わかりました。どこに行けばいいですか?」
『ちょうど君のマンションの最寄り駅に来てるんだ。花屋の前はどう?』
「あ、わかりました。じゃ、今から駅のお花屋さんに行きますね」
詩織は孝弘に、あと五分くらいで着くと伝えて電話を切った。
――悪いことしちゃったな。他の人からも連絡来てないかな。
赤信号で立ち止まり、詩織はスマートフォンを確認する。今日は一通だけメールが来ていた。高校時代からの友人マリからのものだ。
趣味が合う友人なのである。そう、『趣味』が……
同じクラスになって仲良くなり、初めて本の貸し借りをしたときに、マリがエロエロなBL漫画を平然と差し出してきた衝撃は忘れられない。あの日からマリは、詩織の盟友になったのだ。
マリからのメールの内容はいつもと変わらなかった。
『この小説超エロかった。読んで。あといい本あったら教えて。サイトでもいい。よろしく!
追伸:詩織の新刊出たら、お金出すから頂戴!』
言いたいことだけ書いた文章だ。オススメだという小説サイトのURLまで貼ってある。
ちなみに彼女は、詩織の仕事を知っているが、義理固い彼女はきちんと秘密を厳守してくれている。
――マリのオススメってことは相当濃い内容だよね、あの子のエロコンテンツに対するアンテナはすごいなぁ……
あとで読んでみようと思いつつ、詩織は青信号を渡って駅の花屋に急いだ。
洒落た花屋の前に、スーツ姿の孝弘が立っている。初夏だがきっちりとネクタイを締め、グレーのスーツを身につけた彼はいつもと同じく涼しげに見えた。
「お待たせしました!」
明るい声で挨拶しながら駆け寄ると、妙に暗い顔をしていた孝弘が我に返ったように微笑んだ。
「やあ、今日はカジュアルな格好だな」
詩織はそこで、自分の服装がクロップドパンツと半袖のブラウス、足にはサンダルという、近所に買い物に行くような格好であることを思い出した。
――し、しまった! 孝弘さんと会うときにこんな格好してくるなんて。
母に知られたら大目玉を食らいそうだ。いつも『孝弘さんにお会いするときは、小早川さんのお家に対して恥ずかしくない装いで!』と念を押されているのに。だがよく考えたら、前回のミノムシワンピの時点で失敗しているので今更である。
「あ、す、すみません……たまたま外に出たときにお電話を頂いたので」
「別に謝ることないのに。そうだ、どこに行きたい? 詩織のおすすめの店はあるかな」
「え、えっと」
詩織は慌てて考えを巡らせた。この格好では入れるお店など限られている。
――あ、そうだ、いつものところにしよ。あそこならどんな格好でも平気。
詩織はぽんと手を叩き、孝弘に提案した。
「私がよく行く中華料理のお店はどうですか?」
「いいよ。詩織が食べたいならそこにしようか」
孝弘も賛同してくれた。しかし今から行くのは、おそらく彼の想像しているような、高価な壺が飾られてチャイナ服の美人が案内してくれるようなお店ではない。
詩織は彼を連れて、馴染みの中華料理屋に向かった。いつ行ってもサラリーマンでごった返す飲み屋兼定食屋だが、どのメニューも美味しいのである。料理だけでなく、生ビールまで美味しい。
「ここです、いいですか?」
店の引き戸に手をかけて、詩織は孝弘を振り返った。
「構わないよ。渋いお店だね」
あまり綺麗ではなく店員さんの大声が響き渡るお店を見て、案の定、孝弘は驚いた顔をしていた。
こういうところには来たことがないのかもしれない。
詩織も一人暮らしを始めるまではそうだった。だが、一度入ると案外馴染める。
「……男性客ばかりだね」
辺りを見回し、孝弘が何か言いたげな表情で呟く。
「そうですか? 駅ビルのレストランが近くにあるから、女の人はそっちに行くのかもしれませんね」
早速注文した生ビールを飲んだ詩織は、機嫌よく答えた。
「このお店は誰かに連れてきてもらって知ったの? 例えば仕事先の人とか……」
焼酎のロックのグラスを揺らしながら、孝弘が真顔で聞いてくる。
「いいえ、引っ越してきたとき、近所を歩いていて見つけました。いい匂いがしたから入ってみたの」
笑顔でそう答えた瞬間、さっそく麻婆豆腐が運ばれてきた。ここは料理の提供も早くて良い。
この麻婆豆腐は詩織の大好物だ。急いで取り分け、一緒に運ばれてきたご飯と一緒に頬張る。
――美味しい! はー、おなかすいてたから天国!
そんな詩織の様子を見て、孝弘は言った。
「楽しそうだ。君がそうやってニコニコしてると、俺まで楽しくなる」
そう言って、孝弘は上品な仕草でレンゲを口に運んだ。
「……ああ、確かに美味しいな」
「でしょう? 私、毎週来てます!」
詩織はそう言って、残りの麻婆豆腐をかきこんだ。仕事の後の一杯に、大好物の麻婆豆腐。どちらも美味しくて幸せを感じる。
「ねえ、詩織」
レンゲを置いた孝弘が、真面目な口調で詩織を呼ぶ。
「食事が終わったら君のマンションに行っていいか?」
突然の申し出に、詩織は驚いてビールを飲む手を止めた。
これから来られるのは困る。家は散らかり放題のままだ。この前もそうだが、彼はなぜ、詩織の家に来たがるのだろう。
彼を呼ぶのであれば、全ての本を本棚に片付けるのはもちろん、ブックカバーをかけねばならない。この前届いた見本誌も置きっぱなしなので、それもどこかに隠さなくては。それから書き散らしたアイディアメモも全て回収する必要がある。
詩織のマンションは普段、近所に住む母が『貴方の暮らしぶりを確認します!』と突撃してくるくらいで、基本的に人は来ない。その母も、部屋が散らかっていることには怒るが、少女漫画っぽい絵の描かれたエッチな小説や、一見意味不明なメモには興味を示さなかった。
『部屋を片付けなさい』と文句を言いつつ、一度も中身を見ようとはしないので、油断してそういう本が増えてしまったのだ。
「ちょっと散らかってるので……今日はごめんなさい」
「そんなのはいい。気にしないから」
――駄目です。机の上に置いてある雑誌の下に、合体中のイラストが入った小説とかが隠れてるので、見つかったら私の人生が終わります。色々と終わるのです。
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