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だらしのない男と、金の王子:1
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その少年は、側妃の腹に生まれたという痩せた美しい王子だった。
父王のただ一人の息子ということで一応大切にされてはいるものの、この国の貴族たちからは、一段低い王の庶子として扱われているようだった。
「ふん」
その日も、彼……イザークは、横目で美しい王子を眺めながら、王宮の庭に立っていた。
イザークはローゼンベルクから去年やって来た、貧しい衛兵である。故郷でまともな職にもつけず、集合船に乗って王都に流れ着いた貧民すれすれの男に過ぎなかった。
だが、彼自身の心の内は違った。ど田舎のローゼンベルクでは己の腕を生かす場所がなかった、そう思いこもうと必死の小物だった。イザークは持てる才能に比べ、自尊心だけが高すぎたのだ。30近くまで何物にもなれなかったくせに、ただの塵芥では終わりたくないという気持ちだけが強かった。燻る不満だけを抱え、彼は衛兵のお仕着せに身を包み、同じ場所に毎日立ち続けていた。
負け犬のイザークは、もう一度純金の髪に紫紺の目をした王子に目をやる。――悪くなかった。いや、理想通りの、砂糖菓子のように繊細な容姿の少年だった。
王子はイザークの粘つく視線に気づいた様子もなく、そばで遊んでいた幼さの残る少年と少女に、何かを言って聞かせていた。妹姫と、その侍従らしき少年なのだろう。王子が妹姫に『服を整えろ』と少し強い口調で言い、黒髪の少年に、姫の上着を取って来るようにと告げるのが風に乗って届いた。
優しげな容姿に似合わず、低く凛とした声だったことに少しだけ驚く。彼は慌てて麗しい王子から目を逸らし、己の血が鎮まるのを待った。
――あの美しい生き物は、展望のない人生に倦んだ男色者の餌ではない。曲りなりも『王子様』だ。病的な性向を不用意に滲ませ、ようやくありついた仕事を不意にするのは御免だと彼は思った。
「ふん……」
それにしても、ジュリアス王子はみずみずしく、美しかった。毎日毎日こうして、目を離せずにその姿を見つめてしまうほどには……。
その時だった。兄のジュリアス王子のそばを離れ、まだ幼さの残る妹姫がイザークのほうへ走って来たのは。花のような優しい紫の瞳を輝かせ、姫君はイザークを見てにっこり笑った。
「衛兵さん!」
「は、はい……姫様……」
王侯の姫に突然話しかけられ、内心動転しながらイザークは背筋を正した。
「ねえ、この子」
見れば、姫君が手に乗せているのは、幼い鳥の子供だった。幼鳥にしては大きく、羽の色は虹色だった。
「飛ぶ練習に失敗して巣に戻れないの。枝に手が届かないからこの子を戻してあげて」
ニコニコ笑う姫君に、ジュリアス王子が追いついた。
「リーザ、仕事中の衛兵に迷惑をかけるんじゃない。鳥はあとで庭番に預けるんだ」
不意に間近に迫った麗しき少年を見て、日ごろの虚勢もどこへやら、イザークは思わず一歩後ずさった。ジュリアス王子の黄金の髪は日の光を浴びて、まるで王冠のようにきらめいていた。神の祝福を一身に浴びたような王子の美しさに、声もなくイザークは見とれた。
「すまなかったな、君……」
グズグズ文句を言う姫の腕を取った王子が低い声で言い、イザークを紫紺の瞳で見上げた。全てを見透かすような、少年の視線の意外な強さに、イザークは声を失う。
「見ない顔だ」
「は、はい」
腹に力を入れ、イザークは言葉を絞り出す。――舐められてたまるか、こんな子供に。自分がさんざん買って来たローゼンベルクの男娼たちと変わらない、なよなよとした体つきの……。だがとっさにかき集めたイザークの自分自身を守る言葉は、王子の態度ひとつで霧散してしまった。
「新入りだね。僕はジュリアス、よろしく」
明るい声でそう言うと、ジュリアスはイザークに背を向けた。不意に彼を圧していた紫紺の大きな瞳が逸れる。
ああ、まだこの『うつくしいもの』を見つめていたい……と思い、イザークははっと我に返る。美貌の王子は、矮小な衛兵の名前など必要としていないのだ。一拍遅れて、彼はその事を悟った。
「おいで、リーザ。鳥は庭番に預けるんだ」
細い背中をイザークに見せながら、王子が妹姫の腕を引いた。
「早く巣に戻してあげたいの、お母さん鳥が心配してるから」
「大丈夫、僕も一緒に頼んでやる。ちゃんと巣に戻してくれるから……」
妹に掛ける王子の言葉は、暖かかった。イザークに向けられた無関心なそれとは、まるで違っていた。
再び一人になったイザークの胸に、再び薄暗い何かが灯る。
「いや、あんな病気がまた出ちまったらいけねえな。冗談抜きで、俺の居場所が無くなっちまう」
イザークはだれにも聞こえないようにつぶやくと、大きな手をあげて顔をこすった。
――ああ、何という美しさだ。あんな人間をイザークは見た事がなかった。かの王子の一挙手一投足はイザークの脳裏に焼き付き、体の芯に灯った炎は消えるそぶりすら見せぬ。大きく息を吐きだし、イザークは己を飲み込もうとする蠢く情欲を振り払った。
その日が、彼と、彼を支配する未来の「主」との出会いの日となった。
父王のただ一人の息子ということで一応大切にされてはいるものの、この国の貴族たちからは、一段低い王の庶子として扱われているようだった。
「ふん」
その日も、彼……イザークは、横目で美しい王子を眺めながら、王宮の庭に立っていた。
イザークはローゼンベルクから去年やって来た、貧しい衛兵である。故郷でまともな職にもつけず、集合船に乗って王都に流れ着いた貧民すれすれの男に過ぎなかった。
だが、彼自身の心の内は違った。ど田舎のローゼンベルクでは己の腕を生かす場所がなかった、そう思いこもうと必死の小物だった。イザークは持てる才能に比べ、自尊心だけが高すぎたのだ。30近くまで何物にもなれなかったくせに、ただの塵芥では終わりたくないという気持ちだけが強かった。燻る不満だけを抱え、彼は衛兵のお仕着せに身を包み、同じ場所に毎日立ち続けていた。
負け犬のイザークは、もう一度純金の髪に紫紺の目をした王子に目をやる。――悪くなかった。いや、理想通りの、砂糖菓子のように繊細な容姿の少年だった。
王子はイザークの粘つく視線に気づいた様子もなく、そばで遊んでいた幼さの残る少年と少女に、何かを言って聞かせていた。妹姫と、その侍従らしき少年なのだろう。王子が妹姫に『服を整えろ』と少し強い口調で言い、黒髪の少年に、姫の上着を取って来るようにと告げるのが風に乗って届いた。
優しげな容姿に似合わず、低く凛とした声だったことに少しだけ驚く。彼は慌てて麗しい王子から目を逸らし、己の血が鎮まるのを待った。
――あの美しい生き物は、展望のない人生に倦んだ男色者の餌ではない。曲りなりも『王子様』だ。病的な性向を不用意に滲ませ、ようやくありついた仕事を不意にするのは御免だと彼は思った。
「ふん……」
それにしても、ジュリアス王子はみずみずしく、美しかった。毎日毎日こうして、目を離せずにその姿を見つめてしまうほどには……。
その時だった。兄のジュリアス王子のそばを離れ、まだ幼さの残る妹姫がイザークのほうへ走って来たのは。花のような優しい紫の瞳を輝かせ、姫君はイザークを見てにっこり笑った。
「衛兵さん!」
「は、はい……姫様……」
王侯の姫に突然話しかけられ、内心動転しながらイザークは背筋を正した。
「ねえ、この子」
見れば、姫君が手に乗せているのは、幼い鳥の子供だった。幼鳥にしては大きく、羽の色は虹色だった。
「飛ぶ練習に失敗して巣に戻れないの。枝に手が届かないからこの子を戻してあげて」
ニコニコ笑う姫君に、ジュリアス王子が追いついた。
「リーザ、仕事中の衛兵に迷惑をかけるんじゃない。鳥はあとで庭番に預けるんだ」
不意に間近に迫った麗しき少年を見て、日ごろの虚勢もどこへやら、イザークは思わず一歩後ずさった。ジュリアス王子の黄金の髪は日の光を浴びて、まるで王冠のようにきらめいていた。神の祝福を一身に浴びたような王子の美しさに、声もなくイザークは見とれた。
「すまなかったな、君……」
グズグズ文句を言う姫の腕を取った王子が低い声で言い、イザークを紫紺の瞳で見上げた。全てを見透かすような、少年の視線の意外な強さに、イザークは声を失う。
「見ない顔だ」
「は、はい」
腹に力を入れ、イザークは言葉を絞り出す。――舐められてたまるか、こんな子供に。自分がさんざん買って来たローゼンベルクの男娼たちと変わらない、なよなよとした体つきの……。だがとっさにかき集めたイザークの自分自身を守る言葉は、王子の態度ひとつで霧散してしまった。
「新入りだね。僕はジュリアス、よろしく」
明るい声でそう言うと、ジュリアスはイザークに背を向けた。不意に彼を圧していた紫紺の大きな瞳が逸れる。
ああ、まだこの『うつくしいもの』を見つめていたい……と思い、イザークははっと我に返る。美貌の王子は、矮小な衛兵の名前など必要としていないのだ。一拍遅れて、彼はその事を悟った。
「おいで、リーザ。鳥は庭番に預けるんだ」
細い背中をイザークに見せながら、王子が妹姫の腕を引いた。
「早く巣に戻してあげたいの、お母さん鳥が心配してるから」
「大丈夫、僕も一緒に頼んでやる。ちゃんと巣に戻してくれるから……」
妹に掛ける王子の言葉は、暖かかった。イザークに向けられた無関心なそれとは、まるで違っていた。
再び一人になったイザークの胸に、再び薄暗い何かが灯る。
「いや、あんな病気がまた出ちまったらいけねえな。冗談抜きで、俺の居場所が無くなっちまう」
イザークはだれにも聞こえないようにつぶやくと、大きな手をあげて顔をこすった。
――ああ、何という美しさだ。あんな人間をイザークは見た事がなかった。かの王子の一挙手一投足はイザークの脳裏に焼き付き、体の芯に灯った炎は消えるそぶりすら見せぬ。大きく息を吐きだし、イザークは己を飲み込もうとする蠢く情欲を振り払った。
その日が、彼と、彼を支配する未来の「主」との出会いの日となった。
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