そして犬は光を見た

栢野すばる

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だらしのない男と、金の王子:5

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「ふん」

 妹の肩をかばうように抱き寄せながら、ジュリアス王子が冷ややかな声で言った。

「こんな招待のしれぬ衛兵に近寄ってはいけないよ、リーザ。さ、行こう」

 得体のしれぬ衛兵。その言葉がイザークの心に突き刺さる。

「お前が言っていた虹鳥とやらを見に行こうか」
「ねえお兄さま、何故あの衛兵さんは得体が知れないの?」
「兄様の勘だ」
「どうして? この方は普通のおじさんよ?」
「いいんだ、あちらへ行こう、リーザ」

 おじさん。今年十三になったという姫君の言葉が再びイザークの挟持を傷つけた。

 ——おれはまだ、三十を過ぎて間もない。ガキにおじさん呼ばわりされる筋合いはないはずだ。

 何も言えずに硬直したイザークの体中の筋肉が、しくしくと痛む。
 たるんだ体は重く、皮膚はざらつき、くすんでいた。いつまでもあると思っていた若さは、荒淫と酒浸りの日々であっという間に潰えてゆくのだということにイザークは気づいた。

「くそ」

 黄金の光を放つようなジュリアスの後ろ姿を、イザークは拳を握りしめて見送った。
 ほっそりしているのに凛と背筋が伸びた王子が纏うのは、憎んでも憎みきれぬほどの少年らしい美しさだった。イザークは、言葉もなく、見とれた。
 
 
*****
 
 
 ジュリアスは舌打ちをして、それなりに気に入っていた上着を脱ぎ捨てた。あの男の光のない目に、肌が粟立つほどにおぞましい性欲の火を見た、とジュリアスは確信していた。これまでの人生で、何度も何度も味わってきた、それでいて慣れることのない強い嫌悪感が痩せた体を震わせる。生臭い視線が、今もまとわりついているようで、耐え難い。あんな薄汚い野犬にまで性的な何かの対象にされるなど、冗談ではなかった。

「気持ち悪いな」

 ジュリアスは吐き捨て、ひたすらに手を洗う。外に向ける顔は柔和でおとなしいが、ジュリアスはやや異常といえるほどに潔癖症だ。手袋は常につけているし、嫌いな人間と会話した後は狂ったようにうがいをする。あんな男に悶々とした目を向けられた今は、なおさらだ。頭から氷水をかぶって体を清めたいとすら思った。

「……っ」

 鏡の向こうから睨み返すのは、痩せっぽちで神経質な、顔だけ母ゆずりの無力な少年だった。

 ——最近とみに疲れ果てている父上一人に、重荷を負わせたくない。七つの時に亡くなった母上は、病の床で「ジュリアス、どうかお父様を助けてさし上げてね、リーザのこともお願いね」と繰り返し言っておられたのに……。

 だが、どんなに焦れ足掻いても、ジュリアスは急には大人になれそうもない。十七という年齢は身も心もまだ幼く、成熟には未だ遠いことを、彼は自覚していた。

「……っ、あの下衆、あんなゆるんだ体をして! 邪な目で僕を見て」

 何も為さず、性欲だけに身を任せて生きているに違いない薄汚い犬のことを思い出す。
 老けこんでたるんだ、目に光のない淀んだ男。僕はお前のような駄犬にすら舐められ、犯されるような弱い子供なのかと叫びたかった。

「そんなに」

 ジュリアスの赤い唇がほころぶ。紫紺の瞳に暗い光を浮かべ、ジュリアスは白い指でそっと鏡に触れた。

「そんなに僕を貪りたいのか、男色家の小児性愛嗜好の変質者め。そんなに僕をどうにかしたいなら、その気持を後悔させてやる」

 その瞬間、年若い王子の鬱積は、一人のだらしない衛兵に向けられたのだった……。
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