1 / 4
1
しおりを挟む
私はいつも通り、出勤前の身支度を終えて鏡を覗き込む。
そこには青白い顔をした、黒い髪に茶色の目の、痩せて根暗そうな女の姿が映っている。胸のデカさ以外褒めどころがない地味で愛想のない女が、私だ。
私はセリアン・フロウ、二十一歳。魔法学校を飛び級かつ主席で卒業し、国家に数百人しかいない『高難度治療魔法の使い手』として登録されている元優等生の治療士……いわゆる勉強だけが異様にできたコミュ障ボッチである。
「はぁ……今日も仕事か」
私はため息をつきながら家を出て、小走りで王宮そばの診療所へ向かった。
この診療所は治療士である私の勤め先で、レステギア王国の王家が建立した小さい診療所である。患者さんは風邪や打撲などの軽症患者のみ。重症患者はちゃんとした大きな病院に行くことになっている。
新人治療士にはちょうどいい職場だよ、と紹介してくれた魔法学校の校長先生は仰っていた。
「おはよう……ざいます……」
相変わらず蚊のなくような挨拶しか出てこない。コミュ障辛い……。
職場について、白衣に着替える。さーて最近は風邪が流行ってるから、喉の消毒剤を用意しようかな……と思った瞬間だった。
「フロウ先生っ!」
真っ青な顔をした治療所の受付嬢が飛び込んできた。いきなり大声を出され、小心者の私は腰を抜かしそうになる。
「大変です、すぐそこで通り魔が出て、子供をかばった男性が刺されたそうです!」
「と、通り魔……?」
そ、それは緊急事態だ。私は全身全霊の勇気をかき集め、受付嬢に尋ねた。
「けけけ、怪我の状態は?」
「血が止まらず、意識がないそうです。治療士さまに助けて欲しいとの事で! 今運んでくるそうです、ご準備をお願いします」
ご、ご準備って……やだよ、私はそんな酷い怪我人を一人で診療したことがない。まだヒヨッコなのだ。重症患者は外科手術も出来る設備を備えた大きな病院に連れて行ってよ!
ビビって立ち尽くす私の耳に、人々の切羽詰まった声が届く。
「殿下、お気を確かに!」
「だめだ、血が止まらない……!」
ひー! どうしようどうしよう……ボー然としている私の前に、騎士服の青年が担架で運ばれてきた。
ひどい怪我……。お腹から真っ赤な血がどんどん溢れて担架まで赤く染めている。だらりと脱力した手の様子から、完全に意識を失っている事も分かる。非常に危険な状態だ。
こんな怪我人、私には助けられない。完全に逃げ腰の私に、怪我人を運んできた男の人が言った。
「殿下をお助け下さい! 突然ナイフで刺されて……殿下、殿下ッ!」
ちょっと待って。『殿下』って誰、何の事?
「アレックス殿下、聞こえますか、今治療士のもとにつきました! どうかお気を確かに!」
血まみれの男の人が必死で怪我人に話しかけている。
ヒィ……この怪我人さん、偉い人なのかな……だとしたら責任重大すぎる! 無理無理絶対無理! そう叫ぼうとした瞬間、私の脳裏に一つの言葉が浮かぶ。
『目の前の命を見捨てない。見捨てた治療士は、その資格を永遠に失う』
魔法学校を卒業するときに、誓わされた言葉だ。
つまり私はこの人を助けられなかったら、治療士を名乗る資格を失う。最後まで精一杯、助ける努力をしなければ許されないのだ。
私は、ぶるぶる震えながら肚を決めた。
――コワイコワイコワイ、怖い……けど、なんとかしなきゃ!
「私、一応高難度治癒魔法を使えるし……落ち着けば……どんな傷でも治癒再生できる……落ち着きさえすれば……多分出来る……!」
口の中でブツブツ言いながら、私は意識のない血まみれの青年に手を伸ばす。彼の心臓の上に手を置き、大きく息を吸って意識を集中する。
うん、まだ、息はある。
しかし魔術で彼の体を探ると、状況が絶望的だということが分かった。失血がひどく、傷は内臓に達している。
間に合うだろうか。間に合わないかもしれない。私は目をつぶり、口の中で『重度創傷再生』の呪文を唱えた。この術はとても難しく、私も模擬的な状況でしか行使したことがない。上手くいくだろうか。
魔力の消費とともに、どんどん気が遠くなっていく。
私は歯を食いしばった。ああ、ダメかもしれない。どんどん怪我人の体温が下がり、心臓の音が弱く間延びしていく。出血が多すぎたんだ。私の魔法じゃ間に合わないかもしれない……
諦めかけた瞬間、脳裏にとあるアイディアが浮かんだ。
――そうだ、この死にかけた身体から、生命の根源に連なる欲望を引きずり出したらどうだろう! 欲望と共に生きる活力を引き出す。これは効果があるかもしれない。
えっと、人間の三大欲求は睡眠欲と食欲と……なんだっけ。私に縁のないやつ。性欲か。
睡眠欲はダメだ。この状態で昏睡されたらまずい。だから……よし、この人から食欲と性欲を引きずり出そう。
私は片手を怪我人の額に当てた。
――我が命を聞け、根源の欲望よ目覚めよ……生きてたら美味しいもの食べられて、気持ち良いことが出来るよ!
必死に念じながら傷を塞いでいたその時、弱まり始めていた心臓がピクン、と反応した。
私はますます魔力を込め、ぎゅっと目をつぶって、持てる力の全てを青年に注ぎこむ。
高難度魔術の行使は、本当に辛い。私は大きく肩で息をしながら、深い刺し傷を何とか塞ぎ終えた。本能を引きずり出しながらの治療は上手く行ったのかもしれない。
新たに『造血』の術を行使しながら、私は必死で青年に『目を開けて』と呼びかける。
じわじわと心臓の鼓動が強まってきた。
反対に、私の方は、もう座ってるのが精一杯だけど……
不意に青年の全身がびくんと跳ね、蒼白な顔に血の気が戻り始める。
助かったかな? 必死で青年の体に癒しの気を注ぎ続けていると、彼の目がゆっくり開いた。
とても綺麗な青い目で、一瞬見とれそうになってしまう。この人、よく見ればすごい美形ではないか。魂まで吸い込まれそうな青い目に、げっそりした私の顔が映っている。
「……っ、君は……」
かすれた声で、死にかけていた青年が言った。しかし私の方は、朦朧としてきて何が何だか。
「殿下、良かった、気が付かれましたか。この治療士の方がよく頑張ってくれました。治療士殿、殿下にお名前を」
「なま……え……? あ、あの……」
私、ホントにコミュ障なので、名前を聞かれても即座に答えられないのだ。
目の前が霞む。私、ここまでかな……息、苦しい……。
お兄さんの顔に血の気が完全に戻ったのを確かめて手を離し、私はそのまま後ろ向きにぶっ倒れた。
「あ、治療士殿……ッ!」
人助けは成功したけれど、私のほうが死にそう……かも……。
そこには青白い顔をした、黒い髪に茶色の目の、痩せて根暗そうな女の姿が映っている。胸のデカさ以外褒めどころがない地味で愛想のない女が、私だ。
私はセリアン・フロウ、二十一歳。魔法学校を飛び級かつ主席で卒業し、国家に数百人しかいない『高難度治療魔法の使い手』として登録されている元優等生の治療士……いわゆる勉強だけが異様にできたコミュ障ボッチである。
「はぁ……今日も仕事か」
私はため息をつきながら家を出て、小走りで王宮そばの診療所へ向かった。
この診療所は治療士である私の勤め先で、レステギア王国の王家が建立した小さい診療所である。患者さんは風邪や打撲などの軽症患者のみ。重症患者はちゃんとした大きな病院に行くことになっている。
新人治療士にはちょうどいい職場だよ、と紹介してくれた魔法学校の校長先生は仰っていた。
「おはよう……ざいます……」
相変わらず蚊のなくような挨拶しか出てこない。コミュ障辛い……。
職場について、白衣に着替える。さーて最近は風邪が流行ってるから、喉の消毒剤を用意しようかな……と思った瞬間だった。
「フロウ先生っ!」
真っ青な顔をした治療所の受付嬢が飛び込んできた。いきなり大声を出され、小心者の私は腰を抜かしそうになる。
「大変です、すぐそこで通り魔が出て、子供をかばった男性が刺されたそうです!」
「と、通り魔……?」
そ、それは緊急事態だ。私は全身全霊の勇気をかき集め、受付嬢に尋ねた。
「けけけ、怪我の状態は?」
「血が止まらず、意識がないそうです。治療士さまに助けて欲しいとの事で! 今運んでくるそうです、ご準備をお願いします」
ご、ご準備って……やだよ、私はそんな酷い怪我人を一人で診療したことがない。まだヒヨッコなのだ。重症患者は外科手術も出来る設備を備えた大きな病院に連れて行ってよ!
ビビって立ち尽くす私の耳に、人々の切羽詰まった声が届く。
「殿下、お気を確かに!」
「だめだ、血が止まらない……!」
ひー! どうしようどうしよう……ボー然としている私の前に、騎士服の青年が担架で運ばれてきた。
ひどい怪我……。お腹から真っ赤な血がどんどん溢れて担架まで赤く染めている。だらりと脱力した手の様子から、完全に意識を失っている事も分かる。非常に危険な状態だ。
こんな怪我人、私には助けられない。完全に逃げ腰の私に、怪我人を運んできた男の人が言った。
「殿下をお助け下さい! 突然ナイフで刺されて……殿下、殿下ッ!」
ちょっと待って。『殿下』って誰、何の事?
「アレックス殿下、聞こえますか、今治療士のもとにつきました! どうかお気を確かに!」
血まみれの男の人が必死で怪我人に話しかけている。
ヒィ……この怪我人さん、偉い人なのかな……だとしたら責任重大すぎる! 無理無理絶対無理! そう叫ぼうとした瞬間、私の脳裏に一つの言葉が浮かぶ。
『目の前の命を見捨てない。見捨てた治療士は、その資格を永遠に失う』
魔法学校を卒業するときに、誓わされた言葉だ。
つまり私はこの人を助けられなかったら、治療士を名乗る資格を失う。最後まで精一杯、助ける努力をしなければ許されないのだ。
私は、ぶるぶる震えながら肚を決めた。
――コワイコワイコワイ、怖い……けど、なんとかしなきゃ!
「私、一応高難度治癒魔法を使えるし……落ち着けば……どんな傷でも治癒再生できる……落ち着きさえすれば……多分出来る……!」
口の中でブツブツ言いながら、私は意識のない血まみれの青年に手を伸ばす。彼の心臓の上に手を置き、大きく息を吸って意識を集中する。
うん、まだ、息はある。
しかし魔術で彼の体を探ると、状況が絶望的だということが分かった。失血がひどく、傷は内臓に達している。
間に合うだろうか。間に合わないかもしれない。私は目をつぶり、口の中で『重度創傷再生』の呪文を唱えた。この術はとても難しく、私も模擬的な状況でしか行使したことがない。上手くいくだろうか。
魔力の消費とともに、どんどん気が遠くなっていく。
私は歯を食いしばった。ああ、ダメかもしれない。どんどん怪我人の体温が下がり、心臓の音が弱く間延びしていく。出血が多すぎたんだ。私の魔法じゃ間に合わないかもしれない……
諦めかけた瞬間、脳裏にとあるアイディアが浮かんだ。
――そうだ、この死にかけた身体から、生命の根源に連なる欲望を引きずり出したらどうだろう! 欲望と共に生きる活力を引き出す。これは効果があるかもしれない。
えっと、人間の三大欲求は睡眠欲と食欲と……なんだっけ。私に縁のないやつ。性欲か。
睡眠欲はダメだ。この状態で昏睡されたらまずい。だから……よし、この人から食欲と性欲を引きずり出そう。
私は片手を怪我人の額に当てた。
――我が命を聞け、根源の欲望よ目覚めよ……生きてたら美味しいもの食べられて、気持ち良いことが出来るよ!
必死に念じながら傷を塞いでいたその時、弱まり始めていた心臓がピクン、と反応した。
私はますます魔力を込め、ぎゅっと目をつぶって、持てる力の全てを青年に注ぎこむ。
高難度魔術の行使は、本当に辛い。私は大きく肩で息をしながら、深い刺し傷を何とか塞ぎ終えた。本能を引きずり出しながらの治療は上手く行ったのかもしれない。
新たに『造血』の術を行使しながら、私は必死で青年に『目を開けて』と呼びかける。
じわじわと心臓の鼓動が強まってきた。
反対に、私の方は、もう座ってるのが精一杯だけど……
不意に青年の全身がびくんと跳ね、蒼白な顔に血の気が戻り始める。
助かったかな? 必死で青年の体に癒しの気を注ぎ続けていると、彼の目がゆっくり開いた。
とても綺麗な青い目で、一瞬見とれそうになってしまう。この人、よく見ればすごい美形ではないか。魂まで吸い込まれそうな青い目に、げっそりした私の顔が映っている。
「……っ、君は……」
かすれた声で、死にかけていた青年が言った。しかし私の方は、朦朧としてきて何が何だか。
「殿下、良かった、気が付かれましたか。この治療士の方がよく頑張ってくれました。治療士殿、殿下にお名前を」
「なま……え……? あ、あの……」
私、ホントにコミュ障なので、名前を聞かれても即座に答えられないのだ。
目の前が霞む。私、ここまでかな……息、苦しい……。
お兄さんの顔に血の気が完全に戻ったのを確かめて手を離し、私はそのまま後ろ向きにぶっ倒れた。
「あ、治療士殿……ッ!」
人助けは成功したけれど、私のほうが死にそう……かも……。
20
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる