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第二章
11
「どうぞどうぞあがってー。おとうさーん! りっちゃんの彼氏が見えたわよ」
案の定、家の中からは返事がない。異様な沈黙が返ってきて、利都は唇をかむ。
母が猫の脱走防止用のゲートを開け、チカに向かって最高に気取った笑顔を見せた。
「寛親くん、うち、猫がいるんだけど大丈夫?」
「はい。俺はアレルギーとかないので」
母とチカのやり取りを聞きながら、利都は思いついた。
――そうだ、トイちゃんを抱っこして間を持たせよう……お父さんが出てこないなんて、気まずすぎるもん。
利都は、靴を脱いでそろえると、両親が飼っている猫の名前を呼びながら家に上がり込んだ。
「トイちゃーん? いるかな? 利都お姉ちゃんだよ」
猫のトイは、利都が実家から出てから両親が飼い始めた子だ。赤ちゃんの頃から甘やかされているせいか、のんびりした気性である。お客様が来ても、そんなに怖がらない。
「トイちゃんならいつもの戸棚の隙間にいたわよ」
「ここかな? トイちゃーん!」
居間の戸棚の隙間をのぞき込んだ瞬間、背後の和室の襖がすっと開いた。
ごつごつした大きな手が、もこもこした長毛の猫をそっと床において再び襖を閉じる。
――お、お父さん……
「お父さん! 澤菱さんを連れてきたから出てきて」
しかし、和室にこもっている父からの返答はない。
利都はあくびをしている猫のトイを抱き上げ、遅れてやってきた母とチカを振り返った。
「へえ、可愛い猫だな。小さいけど、まだ子猫なんですか?」
「もう一歳よ。小柄なのよぉ。近所で産まれた野良猫ちゃんの子を一匹もらったの」
「そうなんですか、血統書付きの猫かと思いました。綺麗な子だから」
「あらいやだ、うふふふふ」
自分をほめられたわけでもないのに、母が心底うれしそうな笑い声をあげる。完全に、チカの王子様オーラに飲まれてしまったようだ。利都も出会った当初はそうだったので、気持ちは分かるのだが。
「りっちゃん、その猫ちゃん俺にも抱かせて」
そういった瞬間、再び襖がすっとあいて、大きな手が小さなメモ用紙を差し出した。
「お父さん!」
東都銀行、と書かれたメモ用紙には、父の達筆でこうかかれている。
『お引き取りください。娘はまだ子供なので嫁にやれません』
利都はあわてて、美しい目をぱちくりさせているチカの目の前から、そのメモ用紙をひったくる。
――何考えてるのお父さん! 言いたいことがあるなら口で言って!
チカが笑顔のまま、襖の方を向いて大きな声で言った。
「ご挨拶させていただけませんか?」
しばらく後、再び襖が開いて、メモ用紙がすっと差し出される。
『帰ってください』
利都は思わずトイを母に渡して立ち上がり、父が立てこもっている部屋の襖に手をかけた。
「出てきてふつうに喋ってっ!」
しかし、襖はガンとして開かない。父が中から押さえているのだろう。
母の腕から抜け出したトイが、利都の足の間をするすると通り抜けながら、にゃあ、と細い声を上げた。
「ごめんね、チカさん、何とかお父さんを引っ張り出すから」
「いや、今日は俺からのご挨拶だけでもできれば……あ、そうだ、お母さん、これおみやげです。俺の父のお勧めの洋菓子屋のクッキーです」
チカが思い出したように、手にしていたゴージャスな紙袋を差し出す。お菓子好きの母がうれしそうに中をのぞき込んだ。
「あら、素敵! いい匂いだわ。私、こんなお店知らなかった。お父様手みやげにお詳しいの?」
「はい、つきあいの多い人なので」
ほのぼのと会話を交わす母とチカを後目に、利都は再び襖に手をかけた。
「お父さん! チカさんに会ってほしいんだってば」
今度は襖の隙間から、メモ用紙が差し出される。いい加減にしろと思いながら、利都はそれを引っ張り出した。
『子供のくせに結婚なんか百年早い』
見た瞬間、猛烈に腹が立つ。
もう子供ではない。二十五歳で、自立して、仕事だってちゃんとやっている。結婚だって二人でちゃんと話し合って、お互いの両親に迷惑をかけないように考えてがんばって進めているのに。
「こんなメモ用紙じゃなくてちゃんと口で喋って!」
利都の大声に、母がのほほんとした口調で言った。
「無理よ。お父さん泣いてるから」
その言葉に、利都は思わず、襖にかけた手の力を緩める。
――えっ? 泣いてる?
だが、びっくりしてしまった利都とは裏腹に、チカは納得したようにうなずいた。
「何ていうか、お父さんがりっちゃんを溺愛していらっしゃるの、すごくわかるし……俺の方こそ急に伺ってすみませんでした」
そういいながら、チカが目を細めて家の中を見回す。
利都は、何だろう、と思って同じように彼の視線をたどり、あることに気づいた。
昔からずっと飾られているので全く気にしていなかったが、家の中は利都の写真だらけなのだ。
赤ちゃんの利都、七五三の着物を着た利都、それに、入学式、卒業式、成人式……いろんな場所に、ぎっしり思い出の写真が飾られている。全部、父が撮ってくれた写真だ。
「あ……あの……」
さっきまでのいらいらした気分もどこへやら、不意に胸が痛くなってしまった。
――別に私、お父さんを捨てて遠くへ行く訳じゃないのに……
利都の気持ちにシンクロするように、チカが小さい声でつぶやいた。
「別に俺は、りっちゃんを連れ去りにきた訳じゃないんですけどね。今後ゆっくりお話できたらうれしいです」
案の定、家の中からは返事がない。異様な沈黙が返ってきて、利都は唇をかむ。
母が猫の脱走防止用のゲートを開け、チカに向かって最高に気取った笑顔を見せた。
「寛親くん、うち、猫がいるんだけど大丈夫?」
「はい。俺はアレルギーとかないので」
母とチカのやり取りを聞きながら、利都は思いついた。
――そうだ、トイちゃんを抱っこして間を持たせよう……お父さんが出てこないなんて、気まずすぎるもん。
利都は、靴を脱いでそろえると、両親が飼っている猫の名前を呼びながら家に上がり込んだ。
「トイちゃーん? いるかな? 利都お姉ちゃんだよ」
猫のトイは、利都が実家から出てから両親が飼い始めた子だ。赤ちゃんの頃から甘やかされているせいか、のんびりした気性である。お客様が来ても、そんなに怖がらない。
「トイちゃんならいつもの戸棚の隙間にいたわよ」
「ここかな? トイちゃーん!」
居間の戸棚の隙間をのぞき込んだ瞬間、背後の和室の襖がすっと開いた。
ごつごつした大きな手が、もこもこした長毛の猫をそっと床において再び襖を閉じる。
――お、お父さん……
「お父さん! 澤菱さんを連れてきたから出てきて」
しかし、和室にこもっている父からの返答はない。
利都はあくびをしている猫のトイを抱き上げ、遅れてやってきた母とチカを振り返った。
「へえ、可愛い猫だな。小さいけど、まだ子猫なんですか?」
「もう一歳よ。小柄なのよぉ。近所で産まれた野良猫ちゃんの子を一匹もらったの」
「そうなんですか、血統書付きの猫かと思いました。綺麗な子だから」
「あらいやだ、うふふふふ」
自分をほめられたわけでもないのに、母が心底うれしそうな笑い声をあげる。完全に、チカの王子様オーラに飲まれてしまったようだ。利都も出会った当初はそうだったので、気持ちは分かるのだが。
「りっちゃん、その猫ちゃん俺にも抱かせて」
そういった瞬間、再び襖がすっとあいて、大きな手が小さなメモ用紙を差し出した。
「お父さん!」
東都銀行、と書かれたメモ用紙には、父の達筆でこうかかれている。
『お引き取りください。娘はまだ子供なので嫁にやれません』
利都はあわてて、美しい目をぱちくりさせているチカの目の前から、そのメモ用紙をひったくる。
――何考えてるのお父さん! 言いたいことがあるなら口で言って!
チカが笑顔のまま、襖の方を向いて大きな声で言った。
「ご挨拶させていただけませんか?」
しばらく後、再び襖が開いて、メモ用紙がすっと差し出される。
『帰ってください』
利都は思わずトイを母に渡して立ち上がり、父が立てこもっている部屋の襖に手をかけた。
「出てきてふつうに喋ってっ!」
しかし、襖はガンとして開かない。父が中から押さえているのだろう。
母の腕から抜け出したトイが、利都の足の間をするすると通り抜けながら、にゃあ、と細い声を上げた。
「ごめんね、チカさん、何とかお父さんを引っ張り出すから」
「いや、今日は俺からのご挨拶だけでもできれば……あ、そうだ、お母さん、これおみやげです。俺の父のお勧めの洋菓子屋のクッキーです」
チカが思い出したように、手にしていたゴージャスな紙袋を差し出す。お菓子好きの母がうれしそうに中をのぞき込んだ。
「あら、素敵! いい匂いだわ。私、こんなお店知らなかった。お父様手みやげにお詳しいの?」
「はい、つきあいの多い人なので」
ほのぼのと会話を交わす母とチカを後目に、利都は再び襖に手をかけた。
「お父さん! チカさんに会ってほしいんだってば」
今度は襖の隙間から、メモ用紙が差し出される。いい加減にしろと思いながら、利都はそれを引っ張り出した。
『子供のくせに結婚なんか百年早い』
見た瞬間、猛烈に腹が立つ。
もう子供ではない。二十五歳で、自立して、仕事だってちゃんとやっている。結婚だって二人でちゃんと話し合って、お互いの両親に迷惑をかけないように考えてがんばって進めているのに。
「こんなメモ用紙じゃなくてちゃんと口で喋って!」
利都の大声に、母がのほほんとした口調で言った。
「無理よ。お父さん泣いてるから」
その言葉に、利都は思わず、襖にかけた手の力を緩める。
――えっ? 泣いてる?
だが、びっくりしてしまった利都とは裏腹に、チカは納得したようにうなずいた。
「何ていうか、お父さんがりっちゃんを溺愛していらっしゃるの、すごくわかるし……俺の方こそ急に伺ってすみませんでした」
そういいながら、チカが目を細めて家の中を見回す。
利都は、何だろう、と思って同じように彼の視線をたどり、あることに気づいた。
昔からずっと飾られているので全く気にしていなかったが、家の中は利都の写真だらけなのだ。
赤ちゃんの利都、七五三の着物を着た利都、それに、入学式、卒業式、成人式……いろんな場所に、ぎっしり思い出の写真が飾られている。全部、父が撮ってくれた写真だ。
「あ……あの……」
さっきまでのいらいらした気分もどこへやら、不意に胸が痛くなってしまった。
――別に私、お父さんを捨てて遠くへ行く訳じゃないのに……
利都の気持ちにシンクロするように、チカが小さい声でつぶやいた。
「別に俺は、りっちゃんを連れ去りにきた訳じゃないんですけどね。今後ゆっくりお話できたらうれしいです」
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