honey

栢野すばる

文字の大きさ
28 / 28
第二章

11

「どうぞどうぞあがってー。おとうさーん! りっちゃんの彼氏が見えたわよ」
 案の定、家の中からは返事がない。異様な沈黙が返ってきて、利都は唇をかむ。
 母が猫の脱走防止用のゲートを開け、チカに向かって最高に気取った笑顔を見せた。
「寛親くん、うち、猫がいるんだけど大丈夫?」
「はい。俺はアレルギーとかないので」
 母とチカのやり取りを聞きながら、利都は思いついた。
 ――そうだ、トイちゃんを抱っこして間を持たせよう……お父さんが出てこないなんて、気まずすぎるもん。
 利都は、靴を脱いでそろえると、両親が飼っている猫の名前を呼びながら家に上がり込んだ。
「トイちゃーん? いるかな? 利都お姉ちゃんだよ」
 猫のトイは、利都が実家から出てから両親が飼い始めた子だ。赤ちゃんの頃から甘やかされているせいか、のんびりした気性である。お客様が来ても、そんなに怖がらない。
「トイちゃんならいつもの戸棚の隙間にいたわよ」
「ここかな? トイちゃーん!」
 居間の戸棚の隙間をのぞき込んだ瞬間、背後の和室の襖がすっと開いた。
 ごつごつした大きな手が、もこもこした長毛の猫をそっと床において再び襖を閉じる。
 ――お、お父さん……
「お父さん! 澤菱さんを連れてきたから出てきて」
 しかし、和室にこもっている父からの返答はない。
 利都はあくびをしている猫のトイを抱き上げ、遅れてやってきた母とチカを振り返った。
「へえ、可愛い猫だな。小さいけど、まだ子猫なんですか?」
「もう一歳よ。小柄なのよぉ。近所で産まれた野良猫ちゃんの子を一匹もらったの」
「そうなんですか、血統書付きの猫かと思いました。綺麗な子だから」
「あらいやだ、うふふふふ」
 自分をほめられたわけでもないのに、母が心底うれしそうな笑い声をあげる。完全に、チカの王子様オーラに飲まれてしまったようだ。利都も出会った当初はそうだったので、気持ちは分かるのだが。
「りっちゃん、その猫ちゃん俺にも抱かせて」
 そういった瞬間、再び襖がすっとあいて、大きな手が小さなメモ用紙を差し出した。
「お父さん!」
 東都銀行、と書かれたメモ用紙には、父の達筆でこうかかれている。
『お引き取りください。娘はまだ子供なので嫁にやれません』
 利都はあわてて、美しい目をぱちくりさせているチカの目の前から、そのメモ用紙をひったくる。
 ――何考えてるのお父さん! 言いたいことがあるなら口で言って!
 チカが笑顔のまま、襖の方を向いて大きな声で言った。
「ご挨拶させていただけませんか?」
 しばらく後、再び襖が開いて、メモ用紙がすっと差し出される。
『帰ってください』
 利都は思わずトイを母に渡して立ち上がり、父が立てこもっている部屋の襖に手をかけた。
「出てきてふつうに喋ってっ!」
 しかし、襖はガンとして開かない。父が中から押さえているのだろう。
 母の腕から抜け出したトイが、利都の足の間をするすると通り抜けながら、にゃあ、と細い声を上げた。
「ごめんね、チカさん、何とかお父さんを引っ張り出すから」
「いや、今日は俺からのご挨拶だけでもできれば……あ、そうだ、お母さん、これおみやげです。俺の父のお勧めの洋菓子屋のクッキーです」
 チカが思い出したように、手にしていたゴージャスな紙袋を差し出す。お菓子好きの母がうれしそうに中をのぞき込んだ。
「あら、素敵! いい匂いだわ。私、こんなお店知らなかった。お父様手みやげにお詳しいの?」
「はい、つきあいの多い人なので」
 ほのぼのと会話を交わす母とチカを後目に、利都は再び襖に手をかけた。
「お父さん! チカさんに会ってほしいんだってば」
 今度は襖の隙間から、メモ用紙が差し出される。いい加減にしろと思いながら、利都はそれを引っ張り出した。
『子供のくせに結婚なんか百年早い』
 見た瞬間、猛烈に腹が立つ。
 もう子供ではない。二十五歳で、自立して、仕事だってちゃんとやっている。結婚だって二人でちゃんと話し合って、お互いの両親に迷惑をかけないように考えてがんばって進めているのに。
「こんなメモ用紙じゃなくてちゃんと口で喋って!」
 利都の大声に、母がのほほんとした口調で言った。
「無理よ。お父さん泣いてるから」
 その言葉に、利都は思わず、襖にかけた手の力を緩める。
 ――えっ? 泣いてる?
 だが、びっくりしてしまった利都とは裏腹に、チカは納得したようにうなずいた。
「何ていうか、お父さんがりっちゃんを溺愛していらっしゃるの、すごくわかるし……俺の方こそ急に伺ってすみませんでした」
 そういいながら、チカが目を細めて家の中を見回す。
 利都は、何だろう、と思って同じように彼の視線をたどり、あることに気づいた。
 昔からずっと飾られているので全く気にしていなかったが、家の中は利都の写真だらけなのだ。
 赤ちゃんの利都、七五三の着物を着た利都、それに、入学式、卒業式、成人式……いろんな場所に、ぎっしり思い出の写真が飾られている。全部、父が撮ってくれた写真だ。
「あ……あの……」
 さっきまでのいらいらした気分もどこへやら、不意に胸が痛くなってしまった。
 ――別に私、お父さんを捨てて遠くへ行く訳じゃないのに……
 利都の気持ちにシンクロするように、チカが小さい声でつぶやいた。
「別に俺は、りっちゃんを連れ去りにきた訳じゃないんですけどね。今後ゆっくりお話できたらうれしいです」
感想 6

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(6件)

みい
2019.03.10 みい

続編も楽しみにしています!

解除
みい
2019.03.10 みい

文庫本購入しました。
実は何年も前にムーンの方でこちらの連載読んでいたのですが気付いたらムーンから削除されてショックで探してたのに見つけられない作品で2度と読めない物だと思っていました。
1週間前に私がアルファポリスデビューをした際にこちらの作品を見つけた時は感動し即購入させて頂きました!
とっても面白かったです
りっちゃん大好きです
番外編も続き楽しみにしております。

解除
ちゃめ
2017.06.04 ちゃめ

電子書籍で『honey』を購入しました。
りっちゃんがホントに可愛い(笑)
更新を楽しみにしているので、これからも頑張ってください。

解除

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

藤白ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

義姉と押し入れに隠れたら、止まれなくなった

くろがねや
恋愛
父の再婚で、義姉ができた。 血は繋がっていない。でも——家族だ。そう言い聞かせながら、涼介はずっと沙耶から距離を取ってきた。 夏休み。田舎への帰省。甥っ子にせがまれて始まったかくれんぼ。急いで飛び込んだ押し入れの中に、先客がいた。 「……涼介くん」 薄い水色の浴衣。下ろした髪。橙色の光に染まった、沙耶の顔。 逃げ場のない暗闇の中で、二人分の体温が混ざり合う。 夜、来て。 その一言が——涼介の、全部を壊した。 甘くて、苦しくて、止まれない。 これは、ある夏の、秘密の話。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。