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1 玲奈:1
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私は佐藤玲奈。
二十歳の短大生だ。
親はすでに亡く、育ててくれた祖母も去年亡くした。
そして今日、王子様と結婚した。……異世界で。
幻覚を見ているわけではない。
私は、日本時間で言う二日前に異世界に召喚され、聖女としてその世界を救った……のだ。
私が呼ばれたその異世界は、すこしずつ崩壊が始まっていたらしい。
なんでも、世界も『病』にかかるのだそうだ。
いつ世界が『病』にかかるのか、どんなときにかかるのかは誰にもわからない。
だが、世界が病にかかれば、少しずつ大地は虚無に飲まれ、消滅していくのだそうだ。
その『病』の『治療薬』はたった一つ。
聖女と呼ばれる異能者の存在だ。
病んだ世界の中心、聖王国レファントスに聖女が座す時、世界の『病』は癒やされるという。
代々の聖女は、世界が病むたびに、この世にあまたある異世界のいずれかから召喚され、世界を癒してきたらしい。
今回、その世界が病んだ時に聖女として呼ばれたのは、私だった。
金曜の朝、短大に行こうとした時に飛び出してきた車にはねられそうになった私は、次の瞬間知らない場所にいた。
そこは、異世界のすべての国家を統べる、聖王国レファントスの聖王宮。
バラによく似た真っ白な美しい花の咲き乱れる、壮麗かつファンタジックな宮殿だった。
――ようこそおいでくださいました、救世の聖女様。
召喚された私を迎えた黒髪の美女……大賢者アイーダは、そう言って微笑んだ。
『奇跡の聖女』である私は、ただ座っているだけで、侵食されてゆく世界を救うことが出来る能力を持っていた、らしい。
私がそこに存在したことで、その世界は二年の時をかけて完全に癒された、らしい。
さっきから『らしい』と繰り返しているのは、私の目で世界が侵食されている様子を見たわけでもなく、危ない思いをしたわけでもないからだ。
私は、綺麗な宮殿の中で大事に大事にされ、毎日ちやほやと贅沢させてもらって、ぼんやりしていただけ。それだけで皆から感謝された……。
本当に、世界に危機なんか訪れていたのか、本当のところは私にはわからない。
少なくとも大賢者アイーダは『玲奈のおかげで世界が治った』と言っていたので、もう心配はないのだろう。
繰り返すが、私自身には、世界を救うために何をしたという自覚もない。
だが、聖女とは、存在するだけで、病んだ世界を治療できる薬のような存在らしいのだ。
世界は私の持つ力で勝手に癒やされて、崩壊を止めた。
だから、めでたしめでたし……なんだろう。
けれど、聖王国レファントスの偉い人たちから、世界を救ったお礼を言われるのは、正直気まずかった。
私は無理やり連れてこられただけで、本当になんにもしていない。
きれいな服や宝石を与えられ、お願いだからここに居てくださいと頼まれ、変える方法もわからずに過ごしていただけなのだから。
……ところで私は今、その異世界から、懐かしい日本に戻ってきている。
『世界は貴方のおかげで癒やされた。元の世界に帰りたければ、一度だけ貴方の故郷と、この世界を往復できる力を差し上げよう』
そう言って大賢者アイーダが授けてくれた『転移の腕輪』の力で、何の苦労もなく戻ってくることが出来た。
帰ってきて、まず驚いたのは時間の進み方の違い。
レファントスでは二年の月日を過ごしたはずのに、日本ではほんの二日、経過していただけだったのだ。
私の異世界トリップは、土日にちょっと不在にしただけという、都合のいい結果で終わったらしい。
私は、半分黒くなった金色の腕輪をいじりつつ、ひたすらたったひとつの事を考え続けていた。
――これから、レファントスでの結婚生活をどうしよう。
私の頭を占める悩みは、ひたすらその事だけだ。
レファントスで迎えた初夜の床入りをすっぽかし、無断で日本に帰ってきてしまってから、半日くらい経っている。
旦那様は置いてきぼりだ。
だって、どうしても悩んでしまうのだ。私の結婚は、うまくいくのだろうか、と。
いい加減悩むのをやめて、レファントスに戻らなくては。でも……。
私は、ずっと固い床の上で、同じことをうだうだと悩み続けていた。
旦那様のことを考えると、胸が痛む。
異世界で私の夫となったレンシェン様は、聖王国レファントスの王太子なのだ。
絹のような銀の髪に、若葉のように鮮やかな緑の目をした、麗しのレンシェン様。
正直に言えば、私と釣り合いが取れているとは言い難い、見ているだけで魂を奪われるような美しい青年である。
レンシェン様は、出会った瞬間から優しかった。
異世界に強引に呼ばれ、怖い、家に帰りたいと泣き続ける私を、レンシェン様はひたすら慰めて下さった。
もちろん、私個人への好意ゆえにではない。
王族の義務として、聖王国に聖女をつなぎ留め、世界の崩壊を防ぐために、である。
『玲奈、なにか困ったことがあったらすぐに僕に言って』
レンシェン様が見せてくれた優しさは、高貴な聖王家の王子様としての義務だった。
だが、彼の麗しい笑顔は、見知らぬ異世界に怯えきった私の心をあっという間に溶かしてしまったのだ。
あんな風に、引きずり込まれるように人を好きになったのは生まれて初めてだった……レンシェン様との出会いが、私の人生最大の幸せと、同じくらいの苦しみの始まりだったのだ。
異世界に連れて行かれた当初、私は何度も美しい王子様に泣きついた。
『レンシェン様、本当に世界を治療出来ているのかわからないのです、私は役に立っているのでしょうか……』
当たり前だ。着飾って座って、のんびりしていれば世界を救えますよ……なんて言葉を、にわかに信じられるほど私はおめでたくない。
それに、私の力がなければ世界が消滅してしまう、なんて言われて平然としていられるほど、私は肝が太くなかった。
怖いし意味がわからないし、そもそも日本じゃない場所にいるし、大混乱していた。
何でも話を聞いてくれる優しい王子様は、弱音ばかり吐いている私に、いつも微笑んで言ってくれた。
『レナ、貴方はちゃんとこの世界を癒やしてくれている。私がずっとそばにいますから、どうか泣かないで』
彼は決して私を否定せず、私に対して優しかった。
冷静沈着に、いつも私の望む言葉をくれた。
まあ、常にクールなのも当たり前だと思う。
レンシェン様は、私個人に対して恋などしていなかったのだから。
彼は、未来の聖王様。
二十五歳という若さに似合わず、施政者としての責任感にあふれた素晴らしい方である。
聖女である私の心を掌握することも、国にとって重要なことだと、しっかり理解しておられたのだろう。
……ところで、『世界が癒やされた』と判定された日に、私はレンシェン様から結婚を申し込まれた。
彼に選ばれたのが『聖女レナ』としての私であり、『日本人の平凡な佐藤玲奈』ではないことは、彼にのぼせ上がっている私にもちゃんと解った。
王太子である彼は、『聖女』を慕う一般の人々を喜ばせるために、私を妃に選んだのだ。
聖王家のさらなる人心掌握のために、聖女の努めを果たした私を妃として迎えてくれただけなのだ。
けれど、私はその事実から目を背けた。
少しでも彼の近くに居たいという、愚かな恋心に従ってしまったのだ。
あの方を独占できるならば愛されなくてもいいと血迷ってしまった。
そんな私の葛藤をよそに、レンシェン様は、どこまでも女の子に夢を見させるのが上手な王子様だった。
彼は、私が結婚の申し込みに頷いたその時、初めて私の頬にキスをしてくれた。
『ありがとう。二人で幸せになろう』
微笑んで、そう言ってくれたのだ。
もちろん、私は舞い上がった。
王子様との恋が、もしかしたらうまくいくのかもしれない……と、小さな希望を抱いてしまった。
家族のいない私にも、誰かに愛される未来があるのかもしれないと。
しかし、挙式を終えた後の宴の席で、筆頭貴族らしいお爺さんが口にした言葉が、私を現実に立ち返らせた。
彼は、夫婦になったばかりの私達に向かってこう言い放ったのだ。
『レナ様はとてもお強い能力を持った聖女様です。特例的と申し上げてもいいでしょう。それ故に、体の微妙な組成がレファントス人と異なる可能性があります。もしお子様が出来なかった場合は、別の娘をおそばに置くこともお考えくださいませ』
楽しげだった宴の空気が、彼のよく通る声に凍りついたのをよく覚えている。
別の妃……その言葉に絶句した私を庇い、レンシェン様はその偉い人にこう言い返してくれた。
『僕には弟も妹もいるから、世継ぎの心配はしなくて大丈夫だ』
レンシェン様のとりなしで、凍りついた空気はすぐに解けた。
けれど、私は違った。
ああ、そんな未来もあるのか、と、そう思い知らされた気がした。
レファントスの王族は一夫一妻制ではないと聞く。
だから、レンシェン様は私以外にも、他の奥様をそばに置くことも出来る。
……なんだか、すごくショックだった。
そもそも、両親がいない私は、親戚から厄介者として煙たがられてきた存在だ。
何しろ両親の死因は、事故。それも、自分たちが起こした信号無視で、トラックに衝突して起こした事故なのだ……。
少なくとも、生き残ったトラックの運転手は、私の両親のせいで事故は起きたと主張している。
だから、私も、事故加害者の娘として白い目で見られてきた。
去年育ててくれた祖母を亡くした時も『貴女の面倒は今後もいっさい見られないから』と叔父夫婦に冷たく釘を刺されたものだ。
『私って、惨めだな』
あの言葉で、今までに積み重ねてきた悲しみや屈辱が、一気にフラッシュバックした。
私は、やはり、幸せになれる場所へは行けない人間だったのだ……と、しみじみと実感してしった。
宴が果て、湯浴みをして寝室に送られた後、レンシェン様を待つ間に、私は一人で泣いた。
レンシェン様が将来別の妃を迎えるかもしれないこと。
愛する人を独占し、愛する人から独占される未来なんて、私の甘ったるい夢にすぎなかったこと。
結婚して人並みに幸せになる夢まで壊れてしまったように感じて、精神的に限界だった。
しかし、新婚の夫に惨めな泣き顔を見られたくはなかった。
だから私は泣き顔を隠そうと、私は衝動的に、大賢者アイーダに貰った『転移の腕輪』を使って日本に帰ってきてしまったのだ。
自分が『聖女』として扱われない場所で、すこし頭を冷やしたかった。
――だまっていなくなっちゃって……レンシェン様は心配してるかな。ううん、心配なんかしてない。でも困ってるだろうな。『聖女』がいなくなって。
ひねくれた考えが私の心をよぎる。
正直言うと、私は、私だけが一方的に美しい宝石のような人を愛していることに、かなりいじけた気持ちになっている。
完璧な王子様であるレンシェン様の本音は、今も昔も、私には見えないままだ。
レンシェン様は将来、別の妃を迎えるのだろうか。
私は自宅アパートの硬い床に寝そべり、薄汚れた天井をぼんやり見つめながら、ふと、今日はもう日曜日なんだなと思った。
「二日しか経ってないなんて……何でなのかな?」
誰もいない部屋で、私は小さな声で呟いた。
よくよく考えてみると、どういう仕組でこんな時間差なのだろう。
私の身体はレファントスでの二年の時を受け入れ、髪が伸び、少し肉付きが良くなっているのに、日本では二日しか経過していないなんて。
もしかして、レファントスでのあの生活は夢だったのだろうか。
いや、夢だとしたら大賢者様の腕輪が私の手に嵌っているはずがない。
私はそっと、半分黒くなった、元は全体が金色だった腕輪に触れてみる。
『日本に帰るのは貴方の権利。こちらに帰ってくるのもまた権利だ。ただ、レファントスに戻る気があるなら、あまり日本で長く過ごさないようにね』
そっけない口調で、大賢者アイーダはそう言っていた。
私がここに衝動的に帰ってきてから半日以上経った。
じゃあ、レファントスではどれだけの時間が経過しているのだろう?
……同じ半日だよね。
そう思ったが、その都合のいい考えは、頭の中でサラサラと崩れてゆく。
レファントスの二年は、日本の二日。
……じゃあ、日本での一日は、レファントスでの一年なのではないだろうか?
血の気が引くような思いで、私は冷えた床から起き上がる。
真っ白な花びらの舞う、私達の結婚式の様子が脳裏に浮かんだ。
幸せを取り戻したレファントスを象徴するような、素晴らしい結婚式。
傍らで完璧な笑顔を浮かべていた、私の夫、レンシェン様。
こちらに戻ってきて半日以上は経過している。
もしかして、私はレンシェン様を半年近くも放置しているのではないだろうか?
いや、そんな事はないはず。
レファントスでも、半日しか経っていないと思いたい。
半年も行方知れずになってしまったなんて……そんなことはありえない。
そう思いながらも、腕輪をくれた時の大賢者アイーダの言葉が気になって仕方がない。
戻って、状況を確認しなくては。
震える指先で半分黒くなった腕輪を撫で、私は小声でつぶやいた。
「レファントスの王宮に戻ります……」
腕輪の金色の部分が、まるで蛍光灯のような強い光を放つ。
目が焼かれそうな眩しさに、私は思わずまぶたを閉じた。
私の耳に、なぜか、子供の声が飛び込んできた。
『こっちにこないで』
その声は、そう叫んでいる。
幻聴……だろう。もしくは外で遊んでいる子供の声だ。
そう思った瞬間、世界が暗転する。
……そして、再び目を開けると、そこは見慣れたレファントスの聖王宮の、白い花で彩られた中庭だった……。
二十歳の短大生だ。
親はすでに亡く、育ててくれた祖母も去年亡くした。
そして今日、王子様と結婚した。……異世界で。
幻覚を見ているわけではない。
私は、日本時間で言う二日前に異世界に召喚され、聖女としてその世界を救った……のだ。
私が呼ばれたその異世界は、すこしずつ崩壊が始まっていたらしい。
なんでも、世界も『病』にかかるのだそうだ。
いつ世界が『病』にかかるのか、どんなときにかかるのかは誰にもわからない。
だが、世界が病にかかれば、少しずつ大地は虚無に飲まれ、消滅していくのだそうだ。
その『病』の『治療薬』はたった一つ。
聖女と呼ばれる異能者の存在だ。
病んだ世界の中心、聖王国レファントスに聖女が座す時、世界の『病』は癒やされるという。
代々の聖女は、世界が病むたびに、この世にあまたある異世界のいずれかから召喚され、世界を癒してきたらしい。
今回、その世界が病んだ時に聖女として呼ばれたのは、私だった。
金曜の朝、短大に行こうとした時に飛び出してきた車にはねられそうになった私は、次の瞬間知らない場所にいた。
そこは、異世界のすべての国家を統べる、聖王国レファントスの聖王宮。
バラによく似た真っ白な美しい花の咲き乱れる、壮麗かつファンタジックな宮殿だった。
――ようこそおいでくださいました、救世の聖女様。
召喚された私を迎えた黒髪の美女……大賢者アイーダは、そう言って微笑んだ。
『奇跡の聖女』である私は、ただ座っているだけで、侵食されてゆく世界を救うことが出来る能力を持っていた、らしい。
私がそこに存在したことで、その世界は二年の時をかけて完全に癒された、らしい。
さっきから『らしい』と繰り返しているのは、私の目で世界が侵食されている様子を見たわけでもなく、危ない思いをしたわけでもないからだ。
私は、綺麗な宮殿の中で大事に大事にされ、毎日ちやほやと贅沢させてもらって、ぼんやりしていただけ。それだけで皆から感謝された……。
本当に、世界に危機なんか訪れていたのか、本当のところは私にはわからない。
少なくとも大賢者アイーダは『玲奈のおかげで世界が治った』と言っていたので、もう心配はないのだろう。
繰り返すが、私自身には、世界を救うために何をしたという自覚もない。
だが、聖女とは、存在するだけで、病んだ世界を治療できる薬のような存在らしいのだ。
世界は私の持つ力で勝手に癒やされて、崩壊を止めた。
だから、めでたしめでたし……なんだろう。
けれど、聖王国レファントスの偉い人たちから、世界を救ったお礼を言われるのは、正直気まずかった。
私は無理やり連れてこられただけで、本当になんにもしていない。
きれいな服や宝石を与えられ、お願いだからここに居てくださいと頼まれ、変える方法もわからずに過ごしていただけなのだから。
……ところで私は今、その異世界から、懐かしい日本に戻ってきている。
『世界は貴方のおかげで癒やされた。元の世界に帰りたければ、一度だけ貴方の故郷と、この世界を往復できる力を差し上げよう』
そう言って大賢者アイーダが授けてくれた『転移の腕輪』の力で、何の苦労もなく戻ってくることが出来た。
帰ってきて、まず驚いたのは時間の進み方の違い。
レファントスでは二年の月日を過ごしたはずのに、日本ではほんの二日、経過していただけだったのだ。
私の異世界トリップは、土日にちょっと不在にしただけという、都合のいい結果で終わったらしい。
私は、半分黒くなった金色の腕輪をいじりつつ、ひたすらたったひとつの事を考え続けていた。
――これから、レファントスでの結婚生活をどうしよう。
私の頭を占める悩みは、ひたすらその事だけだ。
レファントスで迎えた初夜の床入りをすっぽかし、無断で日本に帰ってきてしまってから、半日くらい経っている。
旦那様は置いてきぼりだ。
だって、どうしても悩んでしまうのだ。私の結婚は、うまくいくのだろうか、と。
いい加減悩むのをやめて、レファントスに戻らなくては。でも……。
私は、ずっと固い床の上で、同じことをうだうだと悩み続けていた。
旦那様のことを考えると、胸が痛む。
異世界で私の夫となったレンシェン様は、聖王国レファントスの王太子なのだ。
絹のような銀の髪に、若葉のように鮮やかな緑の目をした、麗しのレンシェン様。
正直に言えば、私と釣り合いが取れているとは言い難い、見ているだけで魂を奪われるような美しい青年である。
レンシェン様は、出会った瞬間から優しかった。
異世界に強引に呼ばれ、怖い、家に帰りたいと泣き続ける私を、レンシェン様はひたすら慰めて下さった。
もちろん、私個人への好意ゆえにではない。
王族の義務として、聖王国に聖女をつなぎ留め、世界の崩壊を防ぐために、である。
『玲奈、なにか困ったことがあったらすぐに僕に言って』
レンシェン様が見せてくれた優しさは、高貴な聖王家の王子様としての義務だった。
だが、彼の麗しい笑顔は、見知らぬ異世界に怯えきった私の心をあっという間に溶かしてしまったのだ。
あんな風に、引きずり込まれるように人を好きになったのは生まれて初めてだった……レンシェン様との出会いが、私の人生最大の幸せと、同じくらいの苦しみの始まりだったのだ。
異世界に連れて行かれた当初、私は何度も美しい王子様に泣きついた。
『レンシェン様、本当に世界を治療出来ているのかわからないのです、私は役に立っているのでしょうか……』
当たり前だ。着飾って座って、のんびりしていれば世界を救えますよ……なんて言葉を、にわかに信じられるほど私はおめでたくない。
それに、私の力がなければ世界が消滅してしまう、なんて言われて平然としていられるほど、私は肝が太くなかった。
怖いし意味がわからないし、そもそも日本じゃない場所にいるし、大混乱していた。
何でも話を聞いてくれる優しい王子様は、弱音ばかり吐いている私に、いつも微笑んで言ってくれた。
『レナ、貴方はちゃんとこの世界を癒やしてくれている。私がずっとそばにいますから、どうか泣かないで』
彼は決して私を否定せず、私に対して優しかった。
冷静沈着に、いつも私の望む言葉をくれた。
まあ、常にクールなのも当たり前だと思う。
レンシェン様は、私個人に対して恋などしていなかったのだから。
彼は、未来の聖王様。
二十五歳という若さに似合わず、施政者としての責任感にあふれた素晴らしい方である。
聖女である私の心を掌握することも、国にとって重要なことだと、しっかり理解しておられたのだろう。
……ところで、『世界が癒やされた』と判定された日に、私はレンシェン様から結婚を申し込まれた。
彼に選ばれたのが『聖女レナ』としての私であり、『日本人の平凡な佐藤玲奈』ではないことは、彼にのぼせ上がっている私にもちゃんと解った。
王太子である彼は、『聖女』を慕う一般の人々を喜ばせるために、私を妃に選んだのだ。
聖王家のさらなる人心掌握のために、聖女の努めを果たした私を妃として迎えてくれただけなのだ。
けれど、私はその事実から目を背けた。
少しでも彼の近くに居たいという、愚かな恋心に従ってしまったのだ。
あの方を独占できるならば愛されなくてもいいと血迷ってしまった。
そんな私の葛藤をよそに、レンシェン様は、どこまでも女の子に夢を見させるのが上手な王子様だった。
彼は、私が結婚の申し込みに頷いたその時、初めて私の頬にキスをしてくれた。
『ありがとう。二人で幸せになろう』
微笑んで、そう言ってくれたのだ。
もちろん、私は舞い上がった。
王子様との恋が、もしかしたらうまくいくのかもしれない……と、小さな希望を抱いてしまった。
家族のいない私にも、誰かに愛される未来があるのかもしれないと。
しかし、挙式を終えた後の宴の席で、筆頭貴族らしいお爺さんが口にした言葉が、私を現実に立ち返らせた。
彼は、夫婦になったばかりの私達に向かってこう言い放ったのだ。
『レナ様はとてもお強い能力を持った聖女様です。特例的と申し上げてもいいでしょう。それ故に、体の微妙な組成がレファントス人と異なる可能性があります。もしお子様が出来なかった場合は、別の娘をおそばに置くこともお考えくださいませ』
楽しげだった宴の空気が、彼のよく通る声に凍りついたのをよく覚えている。
別の妃……その言葉に絶句した私を庇い、レンシェン様はその偉い人にこう言い返してくれた。
『僕には弟も妹もいるから、世継ぎの心配はしなくて大丈夫だ』
レンシェン様のとりなしで、凍りついた空気はすぐに解けた。
けれど、私は違った。
ああ、そんな未来もあるのか、と、そう思い知らされた気がした。
レファントスの王族は一夫一妻制ではないと聞く。
だから、レンシェン様は私以外にも、他の奥様をそばに置くことも出来る。
……なんだか、すごくショックだった。
そもそも、両親がいない私は、親戚から厄介者として煙たがられてきた存在だ。
何しろ両親の死因は、事故。それも、自分たちが起こした信号無視で、トラックに衝突して起こした事故なのだ……。
少なくとも、生き残ったトラックの運転手は、私の両親のせいで事故は起きたと主張している。
だから、私も、事故加害者の娘として白い目で見られてきた。
去年育ててくれた祖母を亡くした時も『貴女の面倒は今後もいっさい見られないから』と叔父夫婦に冷たく釘を刺されたものだ。
『私って、惨めだな』
あの言葉で、今までに積み重ねてきた悲しみや屈辱が、一気にフラッシュバックした。
私は、やはり、幸せになれる場所へは行けない人間だったのだ……と、しみじみと実感してしった。
宴が果て、湯浴みをして寝室に送られた後、レンシェン様を待つ間に、私は一人で泣いた。
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愛する人を独占し、愛する人から独占される未来なんて、私の甘ったるい夢にすぎなかったこと。
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しかし、新婚の夫に惨めな泣き顔を見られたくはなかった。
だから私は泣き顔を隠そうと、私は衝動的に、大賢者アイーダに貰った『転移の腕輪』を使って日本に帰ってきてしまったのだ。
自分が『聖女』として扱われない場所で、すこし頭を冷やしたかった。
――だまっていなくなっちゃって……レンシェン様は心配してるかな。ううん、心配なんかしてない。でも困ってるだろうな。『聖女』がいなくなって。
ひねくれた考えが私の心をよぎる。
正直言うと、私は、私だけが一方的に美しい宝石のような人を愛していることに、かなりいじけた気持ちになっている。
完璧な王子様であるレンシェン様の本音は、今も昔も、私には見えないままだ。
レンシェン様は将来、別の妃を迎えるのだろうか。
私は自宅アパートの硬い床に寝そべり、薄汚れた天井をぼんやり見つめながら、ふと、今日はもう日曜日なんだなと思った。
「二日しか経ってないなんて……何でなのかな?」
誰もいない部屋で、私は小さな声で呟いた。
よくよく考えてみると、どういう仕組でこんな時間差なのだろう。
私の身体はレファントスでの二年の時を受け入れ、髪が伸び、少し肉付きが良くなっているのに、日本では二日しか経過していないなんて。
もしかして、レファントスでのあの生活は夢だったのだろうか。
いや、夢だとしたら大賢者様の腕輪が私の手に嵌っているはずがない。
私はそっと、半分黒くなった、元は全体が金色だった腕輪に触れてみる。
『日本に帰るのは貴方の権利。こちらに帰ってくるのもまた権利だ。ただ、レファントスに戻る気があるなら、あまり日本で長く過ごさないようにね』
そっけない口調で、大賢者アイーダはそう言っていた。
私がここに衝動的に帰ってきてから半日以上経った。
じゃあ、レファントスではどれだけの時間が経過しているのだろう?
……同じ半日だよね。
そう思ったが、その都合のいい考えは、頭の中でサラサラと崩れてゆく。
レファントスの二年は、日本の二日。
……じゃあ、日本での一日は、レファントスでの一年なのではないだろうか?
血の気が引くような思いで、私は冷えた床から起き上がる。
真っ白な花びらの舞う、私達の結婚式の様子が脳裏に浮かんだ。
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こちらに戻ってきて半日以上は経過している。
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いや、そんな事はないはず。
レファントスでも、半日しか経っていないと思いたい。
半年も行方知れずになってしまったなんて……そんなことはありえない。
そう思いながらも、腕輪をくれた時の大賢者アイーダの言葉が気になって仕方がない。
戻って、状況を確認しなくては。
震える指先で半分黒くなった腕輪を撫で、私は小声でつぶやいた。
「レファントスの王宮に戻ります……」
腕輪の金色の部分が、まるで蛍光灯のような強い光を放つ。
目が焼かれそうな眩しさに、私は思わずまぶたを閉じた。
私の耳に、なぜか、子供の声が飛び込んできた。
『こっちにこないで』
その声は、そう叫んでいる。
幻聴……だろう。もしくは外で遊んでいる子供の声だ。
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……そして、再び目を開けると、そこは見慣れたレファントスの聖王宮の、白い花で彩られた中庭だった……。
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ちょっとオネェだったり、
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すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
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