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第二章 外堀はこうして埋められる
こぼれ落ちる思い
しおりを挟む真っ赤になった私を嬉しそうに見つめるチェリシュの視線が痛いですけど、リュート様とチェリシュが楽しそうなので別に良いとしましょう。
だって、背筋がぞくぞくするくらいの色気をにじませた声で囁かれたら、皆様の前で醜態をさらすことになりかねません。
いくら座っているとはいえ、あんな背筋にぞくりとくるようないい声で「可愛い」なんて何度も言われたら、軟体動物になったかのように崩れ落ちるでしょう。
ご自分の声の破壊力を、もっと理解していただきたいところです。
しかも、優しくもカッコイイ表情とか……色々とマズイですから!
「ルー、ジュース飲むと、ひんやり甘々でおちつくの!」
あまりにも赤いほっぺが戻らないから、チェリシュに心配をされてしまいました。
いけませんね。
元に戻れと念を込めて頬をぺちぺち叩いた私は、チェリシュが差し出してくれたジュースをありがたくいただきました。
柑橘系のさっぱりした酸っぱさが、今はとても体にしみます。
そんなことをしていた私たちの背後にある扉が、遠慮がちにノックされました。
そろそろ開店したので忙しくなるころでしょうか……ひょっこり顔を出したのはマロです。
「オーナー、シモン様たちがいらっしゃいましたー。あと、ナナトもきたよー」
「あー、ナナトの夕飯の話忘れてたな。シモンたちにもちょっと用事があるが……」
ここで席を外すのは……と、あからさまにお父様を警戒した様子で、リュート様は渋い顔をされました。
かといって、私も一緒に席を外していいものか迷います。
「行ってこい行ってこい。その間くらい、儂もロンもおるから大丈夫じゃよ」
「そうだね、ここは任せて行っておいで」
「ただし、ルナは置いていけ。儂はまだこの料理について聞きたいからな」
アレン様がそういうと、リュート様は私も連れて行くつもりだったのでしょう、右の眉がピクリと不機嫌そうに反応しました。
「ほれ、早く行ってこい。まさか、お主まで父と同じく、パートナーが気になって仕事もできませんなんぞいわんよな?」
その言葉を聞くと同時に、お父様とリュート様がともに苦虫をかみつぶしたような顔をして、アレン様を睨み付けますが、喧嘩はいけませんよ?リュート様。
「……わかった。行ってくるが、何かあったら絶対に呼べよ?」
「はい。大丈夫です。アレン様もロン兄様もいらっしゃいますもの」
「そうだな。ロン兄、すまないけど頼めるかな」
「任せておいて。リュートがいないなんて短時間なんだから、その間くらいなんとでもなるよ」
何だったら鉄拳制裁するから……という言葉が聞こえた気がしましたが、気のせいですよね?
温厚なロン兄様の口から絶対に出そうにない言葉ですもの。
きっと聞き違いです。
「さて、お酒も運んだし、僕と奥さんも戻るわ。これから忙しゅうなるしな。爺様、ほどほどにしといてや?」
「任せておけ、大丈夫じゃ」
「……まあ、ええけどね」
たくさんお酒を飲まれるから注意なのでしょうか。
キュステさんは呆れたような顔をしてため息をつきシロの背を押して部屋を出て行き、リュート様は、私とチェリシュの頭を一度だけ撫でて踵を返し、名残惜しげに離れていく背中を見送ります。
まるでお仕事にいく父といった風情ですね。
妻と子から離れたくない、家庭第一の父親……妄想が過ぎました!
いけません、自分が妻だなんて考えていたら、再び真っ赤になってしまいますもの。
3人が退出したのを皮切りに、アレン様がジョッキでエールをあおりながら、私がどうぞと勧めた唐揚げをパクリと食べて、とても良い笑顔をくださいました。
「旨い!これはエールにとても合うわい!しかも、鳥類の肉なら何でもいけそうじゃな」
「この世界の食材にはまだ疎いのですが、魔物の肉は魔力が豊富だと聞きます。ですから、積極的に調理していきたいです」
「魔物の料理が旨くなれば、きっともっと討伐の効率も上がるに違いない」
「うん。だから、テオ兄がいってたでしょ?ルナちゃんのレシピ、経費で落とせない?」
「すぐにできると言ってやりたいが、一応……この世界で5人目の人型召喚獣が作ったレシピということで、安易なことはいえない。他者と言葉を交わせる召喚獣ということで、色々とうるさい連中もいるからな」
人型召喚獣はそれだけ珍しいのだと言われて、タロモやガルムたちを思い出します。
きっとあの子たちのような召喚獣が一般的なのでしょう。
「以前に召喚された人型召喚獣は、主人のみが意思疎通が可能という状態であったからな。お主のようなタイプは初なんじゃよ」
「……そのようですね」
「それにより、うるさい連中も増えた。お主の力を使って、今度こそ世界を滅ぼす気ではないかとな」
「リュート様がですかっ!?」
そういう馬鹿げたことをいう者も少なくないのだと、アレン様がため息をつきます。
あり得ないことです。
「周囲の方々を大事にするリュート様が、そんなことをするなんて、絶対にあり得ません」
「そうじゃな。それは、儂もこの国の王も同意じゃ。上がわかっておるから大丈夫じゃよ。それに、何かあれば、ハロルドが黙っておるまい」
「当たり前です」
ちびちび飲んでいたグラスの液体を、ぐいっと飲んでから口をへの字に曲げてしまいました。
やっぱり、喧嘩していても大切な息子という立ち位置は変わっていないのですね。
少しだけ、安心しました。
「ほれ、唐揚げも食ってみろ、旨いぞ」
アレン様がお父様にお酒だけではなくお料理も勧め、ほれ食えやれ飲めという状態が続きます。
どっちが接待しているのかわからない状態ですが、何か考えがあるのかもしれません。
こういう時は下手に手出しをしてはいけないと、あちらの世界で学んでおります。
アレン様は、グレンドルグ王国の国王陛下に似ているのかもしれません。
ここまで砕けた方ではありませんが、こう……底知れない物を持っている感じが同じです。
チェリシュの口元や手を拭いたり、お料理に関する質問に答えていたりしたら、結構時間が経っておりました。
そろそろ戻ってこないと、寂しくなってしまいますよ?リュート様。
「リュートの奴は大変じゃな。商会に学園に黒の騎士団じゃろう」
「……あれは、卒業して騎士団に入るでしょうか」
お父様が弱々しい声でそういうので、私は驚き顔をあげました。
ロン兄様も驚いたのか、唐揚げを頬張って咀嚼していた口の動きを止めてしまいます。
「なんじゃ、あやつは黒騎士にならんのか?」
「リュートは……商会をしているのが楽しそうですから……最初、商会を起ち上げるって聞いたとき、何を馬鹿げたことを言っているのかって思いました。すぐに失敗して泣きついてくるだろうって考えていたんです。なのに、いつの間にか大成功して、今ではこの聖都で知らない者などいないくらいの大手商会ですよ」
「何やら失敗してほしかったような口ぶりじゃな」
「成功してくれて嬉しいですよ。だけど、頼って……ほしかったのかもしれません。あの子は、あの転落事故以来、変わってしまいましたから」
それは、リュート様の前世の記憶を取り戻した時のことなのでしょう。
変わった……やはり、以前のままではいられませんよね。
前世の自分と、今の自分が融合するのに、どれだけ苦しんだことでしょう。
私は断片的であったのに、あれだけ悩み苦しみました。
リュート様は鮮明に覚えているのですから、比べようのないほどの苦痛だったに違いありません。
「13歳の時の転落事故か。アレ以前のリュートは、上位称号の家の三男坊に相応しい、少々甘ったれたガキじゃったな」
「そうですよ。自分がなすべきことを理解していても、どこか抜けていて、家族みんなに愛された甘ったれの末っ子だったんです。年相応の、可愛らしい子でした」
グラスがいつの間にか空になっていて、無言でアレン様がお酒をなみなみと注ぎ、それを一気に半分くらい飲み干したお父様は、しみじみとした様子で語ります。
「生死の境をさまよったあと、リュートは変わりました。ずいぶん大人びて、周囲を見渡し、自分の立場や状況や己の行動がどういう影響を及ぼすのかを知り、甘えることを一切止めました。誰よりも自分に厳しく、家族を守るために孤独を選んだんです」
お父様から見たリュート様は、以前のリュート様とは別人のように見えたのでしょうか。
甘えたな末っ子が、生死の境をさまよい急に大人びたというには不自然だった。
そういう……ことなのでしょうか。
「13歳ですよ?まだまだ子供です。なのに、大人を相手にしているような気持ちになる時がありました。私に対してよそよそしいところもあったんです。それまで、私にべったりだったのに」
「今からは考えられんな」
「そうでしょうね……あのときから変わってしまった。何かを求め、何かに足掻き苦しんでいる。それが何かわからず、知りたくて……好きにさせておりましたが、周囲がうるさいんですよね。勝手をさせすぎだと、ジュストの転生体かもしれないのに、何をしているのかわかったものではないと……」
奥歯を強くかみしめて言うお父様は、本当に悔しそうで、つらそうな顔をなさっておりました。
私だって、その場にいたらきっと同じように悔しかったでしょう。
リュート様を知らない者が、好き勝手なことを!と声を上げていたかもしれません。
「今度こそ願いの成就のため、様々な犠牲を払う気だという馬鹿までいます。ジュストの件で私が責められるのはわかる。一応友人という立場であったし、アイツのしていることがわからなかったんですから。私には、責められるだけの理由があります。だけど、あの子は違うでしょう!生まれてきただけで、生きてきただけで、どうしてそんなことを言われなきゃならないんですか!」
「そういう奴らは、お前と同じで13歳の事故のあと、爆発的に大きくなった魔力と、以前とは違った性格を見て危惧したのじゃろうな」
「あの子は確かに落ち着きましたし、思慮深くなりましたが、ジュストとは真逆ですよ!優しくて心が強い。ジュストは残忍で心の弱い奴です。それに、リュートが求めているのは、こういう物なのになぁ……」
低く掠れた声でそう言ったお父様は、さっきまで忌避していた鯛のカルパッチョを小皿にとって、一気にバクリと食べ、よく味わうように咀嚼して飲み込み、お酒の入ったグラスをあおって息をついてから苦笑を浮かべます。
「酒によく合う……こういう、旨いものですよ。人を幸せにするような物です。私は初めて知りました。旨いものを食べると、人って笑うんだなって……リュートは今日、ずっと笑ってるんです。あのときから、どんどん笑わなくなっていったあの子が、笑ってた……」
ぐすっと鼻をすする音が聞こえ、そのときになって初めてお父様が泣いていることに気づきました。
目を真っ赤にして、こらえていた物がすべて涙になって流れ落ちていきます。
これにはロン兄様が驚き、慌ててハンカチを取り出して差し出しました。
「こういう味を求めていたとして、いつどこで知ったんでしょう。何をリュートは抱えているのでしょう。ジュストという存在がもたらす影から家族を守り、独りで戦うのは何故でしょう。何がリュートをそうさせるのでしょうか……知りたい、そして……頼ってほしい。父親なんですよ、私は。あの子から見てどんなに頼りなくても、愛しい家族を守りたい父親なんです」
心の奥底にしまわれていた言葉が、堰を切ったように涙とともにあふれ出し、空気に溶けていきます。
涙ながらに訴える心に嘘偽りなどなく、ただ父として子を心配している言葉がこぼれ落ちてくる。
心に切なく響く声は、その思いの深さを表しているようでした。
「情けないです。本当は頼ってほしいのに、頼りないから無理だって拗ねて……変な意地を張って……素直になれないんですよ。私がもっと強ければ……もっと頼りがいがあれば……あの子はあれほど苦しまなくても良かったのでしょうか」
「必要なのは強さではあるまい。本当に必要なのは、お主のその心じゃな。ただ一言『心から心配している』と言えば良かろう。父親だから頼ってほしいと素直に言えばいいだけじゃ」
「頼りないのに?」
「お主が頼りがいがあってもなくても、そんなものは関係がないわい。その言葉に救われる心もあるということじゃ」
「……そう……ですか。そんな簡単なこと……今までやってこなかったんですね、私は……馬鹿だなぁ……本当に馬鹿……」
と、そこまで言ったお父様が、力を失ったようにパタリとテーブルに突っ伏します。
いきなりのことで私もチェリシュもロン兄様も驚き、体がびくりと跳ねますが、アレン様はわかっていたように笑いました。
「ふむ、少し配分が多かったか?」
何の配分ですか?
そう視線で問いかけると、アレン様はチラリとキュステさんが持ってきた強くないお父様でも飲めるといっていたお酒に視線を移します。
あーっ!もしかして、お酒に細工したんですかっ!?
だから、妙にお酒を勧めていたというわけですね。
なるほど納得ですとため息をついた私は、何気なく視野に入った時計の時刻を確認し、リュート様が退出してから30分近く経っているのに、全く寂しさを感じていないことに気づきます。
平気になった……というわけではないでしょう。
先ほど、寂しくなってしまうと考えていた時に、予兆はあったのですから。
ということは───
「というわけじゃ、リュート」
わかっていたかのようにアレン様は戸口のほうに声をかけ、ワンテンポ置いて開いた扉から、なんともいえない顔をしたリュート様が入ってきました。
困惑……の色が強いでしょうか。
「飲み過ぎんなって言ったのに……聞いてねーんだからなぁ」
「困った父親だよね」
そう言いながらも、二人とも表情が柔らかいです。
リュート様の声には、少しだけ申し訳ないという気持ちがにじんでいるように聞こえました。
「じゃあ、この馬鹿親父は俺が運ぶよ。アレン様がここに泊まるなら、父が同じ部屋で寝ていてもおかしくないからね」
「そうだな。じゃあ、あの客間へ……」
「うん、通路突き当たりの右だね」
「申し訳ないが任せるよ、ロン兄」
「いいよ。俺も運び終わったら一度テオ兄のほうに顔を出しておきたかったし、任務完了みたいだから、これでお暇するよ」
ロン兄様の表情にも疲労の色が見えますから、これ以上引き留めるのは酷でしょう。
テオ兄様のところに行くというのなら、ちょうど良かったです。
「ロン兄様、テオ兄様に差し入れをお願いできますか?」
「それは嬉しいね。兄が喜ぶよ。ありがとう」
皆様に味わっていただいた料理を、リュート様が作った保存容器に入れて保管しておいたのですが、これなら汁がこぼれないですから安心です。
密閉できる保存容器って助かりますよね!
ロン兄様は、お料理をアイテムバッグに詰め込み、軽々とお父様を背負って歩き出しました。
な、慣れている気がします。
「時々気絶させるくらいやっちまうらしいから、やっぱ慣れてるよな」
「え……?ロン兄様がっ!?」
「まあ、変なスイッチ持ってんだよ、あの父は……」
そうなのですかと笑ってから、リュート様に「お帰りなさい」と言うと、彼は一瞬だけ困ったような、泣き出しそうな顔をして「ただいま」とおっしゃってくださいました。
色々思うことがあるのでしょう。
考えることがあるのでしょう。
複雑なその表情は、見ていて少しだけ切なく、少しだけ苦しかった。
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