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第八章 海の覇者
チーズたっぷりのナンと、チェリシュの憧れ
しおりを挟む朝食の時間は、あっという間に過ぎ去り、リュート様たちが海の調査に必要な打ち合わせを始める中、私は席を外してナンの仕込みをすることにしました。
作り方は、パン作りと変わりません。
むしろ、それよりも簡単にできると言っても良いでしょう。
今回は、ヨーグルト酵母を使いますが、ヨーグルトでも良いですし、二次発酵を必要としません。
短時間で完成するので、お手軽ですよね。
強力粉、砂糖、塩、ヨーグルト酵母で作った中種、水、バターを準備します。
バターはオリーブオイルでも代用できますし、ヨーグルト酵母の中種はヨーグルトやイーストでも良いので、無理なく準備が出来る物ばかりですね。
ベオルフ様に教えるなら、パンの実で作れますから所要時間も考えたら楽が出来るので、簡単だと喜ぶかもしれません。
ボウルの中に材料を入れて混ぜ合わせ、ある程度まとまってきたら作業台でこねていきます。
粉っぽさがなくなるくらいこねて弾力が出てきたら、一次発酵していきましょう。
ナンも大量に必要ですから、カカオやミルクだけではなく、マリアベルにも手伝って貰わないといけないかもしれません。
お願いするよりも早く、カカオとミルクは私と同じように作業を開始し、マリアベルは様子を見ながら、レシピが完成するのを待っている状態です。
先ほどもレシピを渡しておりましたが、カレーだけはレシピを作るのが怖くて、まだ作成しておりません。
だ、だって……
絶対に、アレはヤバイやつです。
知識の女神様が手ぐすね引いて待っているパターンですよっ!?
チェリシュは何も言っていませんでしたが、そわそわしながら私のレシピを見ておりましたから、きっとカレースパイスのレシピを作成しようとしたら、ストップをかけるように両親から頼まれていたのでしょう。
今はアーゼンラーナ様の膝上で、何やら相談をしつつ、お茶を飲んでおりました。
アレは、知識の女神様対策ですね……
ある意味、そこまで期待されていることが嬉しくもありますが、ただ単に、あちらの世界にあるカレーという料理が凄いだけのような気がします。
いえ、カレーだけではなく、他にも素敵で美味しい料理は沢山ありますが……
知識の女神様は、辛いものが好きなのかもしれませんね。
もしかしたら、リュート様と嗜好が重なる可能性も……ある……かも?
他にも、煮物だったり丼物だったり、洋食だとハンバーグやオムライスが好き……だとしたら、お子様ランチの大人バージョンを、チェリシュに合わせて作っても良いかもしれません。
少年のようなキラキラした瞳で料理を見つめて、チェリシュと一緒に大喜びしてくださるのでしょうか。
想像しただけでも頬が緩んでしまいます。
可愛らしい父娘が揃って、大絶賛してくれること間違いなしの出来映えになれば良いのですが……
ちょっぴり幸せな未来を考えながら作業をしている私の視野に、オーディナル様が魔改造を施した発酵石の器が引っかかります。
キュステさんもアレン様も時空神様もいらっしゃらないので、あの中でじっくりコトコト煮込まれた状態になっているカレーの様子を見ることはできません。
かなり気になっているのですけれど……うーん……開けたら……バレてしまいますよね。
カレーは広範囲で匂いが漂いますから、蓋は開けない方が良いでしょう。
ナンの一次発酵が終わったので、適当な大きさにわけて、麺棒で薄くのばしていきます。
これくらい……かな?
カレー専門店で出てくるナンを思い出し、イメージ通りに仕上げていって、フライパンで焼いていきます。
両面をカリッと焼いて、できあがりですっ!
やっぱり、ナンはパンよりも簡単にできあがりますよね。
「カリッふわっですにゃぁ」
焼いたナンを少しずつ分けて味見をしたら、ミルクがふにゃりと笑ってカカオに話しかけておりますが、カカオはパンの可能性について考えているようで、ブツブツ呟きながらナンを片手に唸っています。
マリアベルにナンのレシピを渡してから、次のナンを作るために気合いを入れました。
ナンの生地でチーズを包み込み、とじ目を下にしてフライパンで焼いていきましょう。
欲張ってチーズをたっぷり包み込もうとして、生地が破れそうになったのはご愛敬です。
「え、チーズ? 包むの?」
「ジャムを包んだり、クリームを包んだり、いろんな具材を包むと美味しいですよ。パンに合う物だったら、間違いないと思います。ただ、クリーム系は詰め込みすぎると破裂してしまうので、そこは気をつけて……ですね」
なるほど……と、神妙に頷くカカオは、これから沢山のパンを作り出してくれそうです。
私の知っているパンや、知らないパンも生まれるのでは無いでしょうか。
何せ、私の知らない食材がこの世界には存在するので、とても楽しみです。
「チーズナンは、これで完成ですね。さて、人数が人数なので大量に焼いておかなければいけませんから、お手伝いをお願いします」
「お任せくださいっ!」
「任せて欲しいですにゃぁ」
「これだったら、沢山焼けるな。オーブンでもいーんじゃねーの」
「そうですね。そちらでも焼いていきましょう」
それぞれが作業に没頭して、大量のナンを焼いていくのですが、いつの間にか参加しているチェリシュは、ベリリのジャムを包み込んでいました。
そ、それは別にしておかなければ……
ジャム入りはわかりやすいように、表面に生地で目と口を作ってくっつけていくと、チェリシュは大喜びして自分の作ったベリリジャム入りナンに、ペタペタいろいろ貼り付けていきます。
「ルーのお顔は、ぷんぷんなの?」
「……え? えーと……こ、こう……かな?」
ニコニコ顔をイメージしていたのに、怒っていると勘違いされているとは……め、目の角度でしょうか、口の大きさ?
「目の角度だろ」
「あー、目の角度ですかぁ……ひゅぁっ!?」
肩に重みを感じ、そちらへ視線を動かした私は、不可思議な色合いを輝かせる瞳とバッチリ目が合い、思わず奇声を上げてしまいました。
「りゅ、りゅ、リュート様っ!?」
「うん? 30分だから来た」
「あ……そういえば、そうでした」
あまり寂しさを感じることが無いのは、もしかしたら稼働時間が増えている可能性もあるのでしょうか。
ベオルフ様との力のやり取りや、オーディナル様との交流が増えたので、私自身の変化というものがあってもおかしくはありません。
かといって、それを試すために、あの寂しい感じを味わわなければならないのは、ちょっぴり遠慮したいです。
「稼働時間が延びている感じか?」
「さすがはリュート様……」
よくおわかりになりましたねと言うと、彼はニッと笑って「ルナのことは誰よりも見ているからな」と極上の笑みと共に、ドキドキしてしまうような言葉を返してくださいました。
え、えへへ……
誰よりも見ているなんて……う、嬉しい……かも……です。
「今度はなんのパンを作っているんだ? 見た感じナンかと思ったけど、チェリシュのはベリリジャムを包んだジャムパンだよな」
「ま、まあ、手軽に作ることが出来るパン……でしょうか」
「へぇ、そういうのもあるんだな」
こういう時、お料理のことをあまり知らなくて良かったと思います。
まあ、日本にあるパンの種類が多いということもあり、知らないパンがあっても不思議では無いと考えているから、疑問を持たないのかもしれません。
「チェリシュは顔を作るのに必死みてーだけど……」
「楽しんでいますよね」
「そういうルナも、料理をしているときは楽しそうだぞ。とっても幸せそうだ」
「そ、そう……ですか? やっぱり……楽しいのです。美味しいって食べてくれる人がいるから、余計に幸せだなぁと思います」
「……そっか。俺はルナの料理だったら、ぜーんぶ旨いって食べられると思う。間違いねーもん」
「そうですか?」
「ルナの料理は、旨いだけじゃ無くて、優しい味がするからな」
優しい味……そういっていただけると、とても嬉しいです。
どこか懐かしそうに語るリュート様の横顔を見ながら、過去と照らし合わせても、そう感じてもらえるなら幸せなことだと思い、できたてのチーズナンをちぎって口元へ運びます。
あれだけ食べた後ですから、これくらいで十分でしょう。
「いいの?」
「味見ですが……お腹に余裕があるようでしたら、遠慮無くどうぞ」
「勿論、食える」
ぱくんっと躊躇うこと無く食らいついたリュート様は、私の指まで食べてしまう勢いです。
少しだけ触れた柔らかくてあたたかいぬくもりに驚いてしまいましたが、何故か悪戯っぽい瞳で「悪い、あたった」と言うのですが……わざとしました? と問いたくなるような瞳の色───
唇が触れた指が熱を持ったようにジンジンしている気がするのに、どうすることも出来ずにフリーズしていたら、左手が少しだけ反応したように感じました。
ベオルフ様の意識が、まだ少し残っているのでしょうか。
動き出すほどの威力はありませんが、むずがゆいです。
ふふ……もう、心配性なのですから。
リュート様が私に危害を加えるはずがないではありませんか。
「ん? まさか……ベオルフ……か?」
「少しだけ、意識が残っている感じでした。リュート様に反応するなんて、本当に困った兄ですよね。近づきすぎて何か問題があるのでしょうか。危害を加えるとでも考えていらっしゃるのかしら」
「いや、まー……うーん……」
何故か歯切れの悪いリュート様の様子に首を傾げていると、マリアベルがジトリとした視線を投げかけてきて「危険かもしれませんよ、お師匠様」と呟きます。
「うるせーわ」
「セーブしてくださいね、リュートお兄様」
「している」
「できていないようですから、注意しているのですよ?」
「……できている……はず」
「騎士の精神が聞いて呆れます」
「うぐっ」
二人の間で繰り広げられる言葉の応酬を眺めていると、厨房の入り口に時空神様が姿を現したました。
「リュートくん、そろそろ戻ッテ。息子と繋がったヨ」
「了解っ! ルナ、サンキューな。このチーズたっぷりのやつ、すげー好きだ」
「じゃあ、沢山作っておきますね」
「頼んだっ!」
リュート様が颯爽と身を翻し、厨房を出て行く後ろ姿を見送っていたら、時空神様がこっそりと私に小さな玉を渡してきました。
「一回限りだケド、これで周囲の匂いは大丈夫だと思ウ。あとは、奥さんがルナちゃんの香りを調整してあげテ」
「ふむ。なるほど……スパイスの香りを残さなければ良いのじゃな? リュートはルナが花の香りをさせていれば気にならぬ……ということか」
「そういうこと。ルナちゃんに薬品系の香りがしたから気になったって言ってたシ、アレは嗅覚というよりモ、ルナちゃんの魔力が料理に流れ込んで干渉した魔力香に反応したんだと思うヨ」
「そういうことか……では、竜人族の二人にわからなくて当然じゃ。妾たちよりも獣人族の方が過敏であるから、弟子たちに確認して貰った方が良さそうじゃな」
魔力が料理に干渉している……のですか?
私の料理が優しい味だというのは、それが原因なのでしょうか。
「まあ、リュートくんが反応しちゃうのは、ある意味仕方ないヨネ」
「まあ……のぅ」
ご夫婦揃って意味深に含み笑いをしたような言い方をするので、とても気になりましたが、チェリシュは上機嫌にニコニコ笑いながら、「納得なのっ」と頷きます。
何に納得しているのでしょう。
カカオに至っては、「あー、やっぱりー?」といった様子ですし……な、なんですか?
私の魔力香にリュート様が過剰反応する理由とは……?
「ルー、見てなの! ルーと、リューなのっ!」
そう言って、チェリシュはベリリジャムを包んだナンの生地の上に貼り付けて作った人の顔を見せてくれます。
リュート様のつり上がった目が特徴的で、私の瞳は大きくて可愛らしい感じに仕上がっておりました。
「こっちがー、パパとママで、じーじとノエルと、ベオにーになのっ!」
きゃーっと嬉しそうに報告してくれるのですが、チェリシュは器用ですね。
みんなの特徴をシッカリ掴んだ顔を作り上げておりました。
太陽神様と月の女神のお顔は知りませんが、似ているのでしょう。
とても穏やかな太陽神様と、キリッとした月の女神様です。
「チェリシュは器用だよネ。これならいつでもお嫁に行けるネ」
あははっと笑いながら時空神様が言うと、アーゼンラーナ様がチラリと空を見上げてから「やめぬか……」と、苦笑交じりに呟きました。
どうやら、太陽神様が焦っているようです。
可愛い愛娘がお嫁に行ったら悲しいですものね。
もしかしたら、リュート様も悲しむかもしれません。
「お嫁さん……チェリシュが、お嫁さんなの?」
「いずれはな? チェリシュの夫になる男の理想は、どういうタイプじゃ?」
「んー、んーとねぇ……ベオにーに!」
アーゼンラーナ様の問いかけに、チェリシュの無邪気な声が響きました。
え……えーと、なんと言えば良いのでしょう。
ここは、普通……お父さんでは?
神界の太陽神様が打ちひしがれている気がしますが、確認する方法はありません。
リュート様もコレを知ったら……多分、打ちひしがれるのではないでしょうか。
予想外の答えに驚いていたアーゼンラーナ様の隣で、時空神様は笑いをかみ殺しながら、チェリシュの頭を優しく撫でます。
「チェリシュは見る目があるなぁ、確かに彼は良いよネ」
「ふむ……理想が高いのぅ。さすがは、セレンの娘といったところか」
「えへへーなの」
まあ……幼い頃によくある、憧れですよね。
しかし、確実に父親の精神力をごっそり削っていることでしょう。
リュート様も同じように凹まないか心配ですが、チェリシュの理想の高さは、周囲の方々のレベルが高すぎるせいではないでしょうか。
「パパにはママがいるし、リューにはルーがいるから、ダメダメなの。チェリシュはベオにーにがいいのっ」
確かに、ベオルフ様はフリーですものね。
よく出来た娘のフォローを受け、太陽神様が復活していることを祈りつつ、にぱーっと笑っているチェリシュの将来が、ちょっぴり不安になりました。
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