黎明の守護騎士

月代 雪花菜

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彼女が去ったあと

5.ここが娘の部屋です

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 先程のミュリア・セルシア男爵令嬢の発言は、どうやら王太子殿下にも聞こえてようで、険しい表情をした彼は、二人を部屋へ送り届けるこよう、騒ぎをききつけてやってきた父の部下たちに命じられた。
 その際、スレイブにミュリア・セルシア男爵令嬢を注意して見ていてほしいと伝えたのだが、彼は何故か赤く染まった頬を緩めて嬉しそうに何度もコクコクと頷くだけであったが、ちゃんとわかっているのだろうか……少々不安になるけれども、ここは信じて任せるしか無い。
 床にぺたりと座り込んでいた二人は、腕を引っ張られて立たされ、文句一つ言うことなくおとなしく父の部下の騎士たちに連れて行かれるが、まるで魂が抜けたかのような様子がとても気になった。
 まあ、セルフィス殿下のほうは、ルナティエラ嬢に相手にされなかったことがショックなのだろう。
 基本的に人が良い彼女が無視するなど、ありえない話だからな。
 決して言葉には出さないが「ざまあみろ」と心のなかで呟く私を責める者は、幸いなことに存在しない。
 ルナティエラ嬢がいたら、きっとそれすら読み取ってしまい「ベオルフ様」と咎める声を上げただろう。
 ふだんのほほんとしているくせに、そういうところはとても敏感である。

 ミュリア・セルシア男爵令嬢は、何を考えているのかわからないが、先程の気配は「不気味」そのものだ。
 奇妙な気配を放つネックレスを取り上げられてからというもの、周囲の彼女に対する評価は少しずつ変わってきている。
 今まで彼女は、可憐で優しく純粋であり身分問わず気さくに接してくれる、頭もよく気品があってマナーも完璧な女性であり、セルフィス殿下の横に並んでも遜色ない人物ということであった。
 つまり、私が見てきたミュリア・セルシア男爵令嬢とは正反対の人物像だ。
 外見は可憐だろうが、内面はどうだ?と問いたくなるし、優しいというが、顔の良い男限定であったようだと思う。
 身分問わず気さくに接する?
 それこそ、笑っても良いだろうか。
 ミュリア・セルシア男爵令嬢は、自分より身分が下だとわかっている者に対しての態度が酷すぎる。
 少し可愛らしい容姿をした使用人に、あまりにも理不尽な物言いでつらくあたっている姿を見たことがあるのだから間違いはないだろう。
 頭がよい?とてもそうは見えないし、学園でも成績は良くなかった。
 マナーが完璧……あれが完璧なマナーであるなら、私が辺境帰りの粗暴な男となど言われないだろう。

 どちらかといえば、ルナティエラ嬢の人物像のほうが当てはまる部分が多いのではないかと思える内容が並び、まるで彼女との評価が入れ替わってしまっていたかのようである。
 ルナティエラ嬢が世間からそう言われていたのなら納得だが、ミュリア・セルシア男爵令嬢であるからこそ違和感しか覚えない。
 これも、あの黒狼の仕業であるなら、なぜミュリア・セルシア男爵令嬢を使ったのか……
 利害の一致とも考えられるが、まだ確証はない。
 しばらくは、注意をしておかなければならないだろう。

 しかし、先程までクロイツェル侯爵の屋敷に行くと言ってきかなかった二人が、おとなしく部屋に戻ってくれたのは助かった。
 全く……あの二人は、周囲の迷惑を考えずに動くようだから、今後は対策を練らなければならない。
 正直にいうと、頭がいたいことこの上ないが……あの二人に振り回されたルナティエラ嬢の心中を考えれば、こんなことで音を上げていられないだろう。

 様々なことがあり遅くなってしまったが、本来の予定であったクロイツェル侯爵夫妻の屋敷へ赴くことになったのは、一連の騒動を国王陛下に報告しに行くという王太子殿下と父を見送ったあとであった。
 父に、私だけでも先に行っていろと言われた理由は考えるまでもないだろう。
 黒狼のせいで、現在この周囲の警備は浮足立っている。
 騒ぎを聞きつけた貴族たちが、精神的にも地位的にも不安定なクロイツェル侯爵夫妻と、接触を持たないように連れて行けと言っているのだ。
 うまくいけば、神の花嫁になったルナティエラ嬢の兄か弟として、自らの子供をクロイツェル侯爵の後継者にすることができるチャンスでもあるのだから……
 神の花嫁の親族というだけでも箔がつく上に、豊かなクロイツェル侯爵の領地というオマケがついてくる。
 喉から手が出るほど欲しいと考えている者は、少なくないだろう。
 
 周囲を睨みつけて牽制しながらクロイツェル侯爵夫妻の護衛を務め、城から少し離れた場所にあるタウンハウスへと訪れる。
 クロイツェル侯爵が、それなりの地位と資金を持っているのだと理解するのには十分だと感じる、品のある屋敷に思わず驚いてしまうが、周囲に漂う奇妙な感覚が気になり、すぐにそれどころではなくなってしまった。
 アルベニーリの屋敷と比べたら、倍ほど違う敷地を持ち、白い壁が眩しい趣のある佇まいの建物だ。
 ルナティエラ嬢が住んでいるというイメージに合うのだが、なにかが違うと感じてしまう。
 そう、彼女がまとう空気は清廉だというのに、この屋敷から漂う空気は暗く淀んでいる。
 思い出すのは、黒狼の主人たる者の気配であった。
 彼女に害をなそうとしていたヤツのことだ、なにかの手段を講じてルナティエラ嬢を苦しめていたに違いない。

 クロイツェル侯爵が先頭に立ち、屋敷に入ると……中は閑散としていた。
 なんだ?
 妙に静かではないだろうか……出迎えにくるはずの使用人の姿もない。

 すぐさま二人を後ろに庇い、周囲を伺う。
 数人の気配がしているが、何かに怯えているように動こうともしない。
 だが、1人近づく気配があったので、注意深くそちらを見ていると、髪に白いものが目立ち始めた初老の男性が、青白い顔色を隠そうともせず「おかえりなさいませ」と言った後、深々と頭を下げた。

「ベオルフ殿、大丈夫です。彼らは当家の使用人で、害意はありません。人が少ないのも、ほとんど逃げてしまったのでしょう」
「逃げた?」
「……娘に冷たくあたっていたのは、なにも私たち夫婦だけではありませんから」

 そういうことか。
 神の花嫁になったという事実は、彼らにとっても衝撃的なことであったのだろう。
 主神オーディナルの花嫁を冷遇していた……しかも、使用人という立場でだ。
 そんな事実を明るみに出されてしまえば、この国で生きていくには難しい。
 命すら危うい状態にもなりかねないだろうが、逃げてどうにかなるという話でもないだろう。

「私たちは、それを知りながら……何もしてやれませんでした」
「あの黒狼は、ルナティエラ嬢に絶望を与えて死へ追いやろうとしていた。あなた方は、それに利用されてしまったのです。抗うこともできない力で……それを信じる者が少ないのは事実ですが、必要以上に己を責めるものではないと考えます」

 お心遣いありがとうございます……と、力ない声で笑顔を作ったクロイツェル侯爵は、同じように微笑みを浮かべようとして失敗した夫人の背を撫でさすって宥めているようであった。
 どこか、その失敗した笑顔がルナティエラ嬢の……昔に一度だけ見たぎこちない笑顔に似ていて、やはり親子なのだと感じる。

「ルナティエラ嬢とも、話せばきっとわかりあえるときが来るでしょう。いつか……きっと」

 その機会があれば、この親子に話をする場を儲けようと心に誓い、弱々しい足取りで彼女の部屋に案内してくれる二人についていく。
 青い顔をした初老の男性は、どうやら古くから仕える執事だったらしく、今回の件で責任を重く受け止め、逃げずに沙汰を待っていたようである。
 いまはまだ、様々な調査が行われているところだとクロイツェル侯爵が淡々と告げ、お客様にお茶を用意するように言われると、再び頭を垂れて下がってしまった。
 他の者たちは姿すら見せないのだから、この屋敷の状況は最悪だ。
 ルナティエラ嬢が見たら、何を思うだろう。
 彼らの仕打ちに対し、思うところがない……なんてことはありえないだろうが、こんな怯えた姿を見たら、すぐにでも「気にしないでください。私なら大丈夫ですから!」なんて言い出しそうなお人好しだ。
 彼女にしてみたら不本意だろうが、彼らには少しばかり反省する時間が必要だろう。
 何らかの力によって捻じ曲げられていたとしても、そうではないにしても……誰よりも自らを責めているクロイツェル侯爵夫妻の姿や、本人が自覚していなくても、彼らの仕打ちで傷ついていただろうと思えば、なかったことにはできないのだから。

「ここが娘の部屋です」

 案内されたのは、二階の右手にある廊下の一番奥にあった、他の部屋とは明らかに作りが違う簡素な扉。
 入るのを躊躇ってしまうほど奇妙な気配を放つそこが、彼女の部屋であるらしい。
 クロイツェル侯爵が扉を開いた瞬間、真っ黒な霧状のものが吹き出し、思わず腕で顔をガードする。

「どうか……されましたか?」

 夫人が心配そうに声をかけてくれるが、いまのは……なんだ?
 真っ黒な霧状の……モヤみたいなものが……?
 周囲を伺っても、それらしいものは既に存在することなく、陽光に照らされる落ち着いた色彩の絨毯が敷かれた廊下や、品のいい白を基調とした壁紙が目に入るだけである。
 何でもありませんと言って首を振り、部屋へ一歩入ってみると、どことなくルナティエラ嬢の香りがして、少し心が落ち着いた。

 白を基調としたベッドに机と椅子に、クローゼット。
 とても簡素で、派手さを好まない彼女らしいと言えばそうなのだが、すこしそういうものとは異なる。
 あまりにも、必要最低限なものしかなく、薄暗い部屋であった。
 厚手のカーテンが日光を遮り、外の様子を伺うこともできないこの部屋で、彼女はいったい何を考えていたのだろうか。

 ベッドの上で膝を抱えて小さくなっているルナティエラ嬢の姿が垣間見えた気がして、私は言葉もなく、はじめて入った彼女の部屋をただ見つめていた。

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