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第21話 オリジナルブレンドと三人のモニター
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目抜き通りと交差するように走る旧道をこのあたりでは『巡礼街道《じゅんれいかいどう》』と呼んでいる。元々富士麓にある浅間神社へお参りに行く人たちが、一旦、この地の温泉で一息ついた後、富士山に向かい歩き出す道であったのがその名の由来らしい。
その巡礼街道のほぼ始まりにあるのが『隠れ処』、正式店舗名『喫茶・隠れ湯』だ。ロッジ風の造りをした建物は、この温泉街では少し浮いている存在ではあるが、駅から近い事と多種多様のコーヒーが飲める事で遠方からも飲みに来る人がいるほどの人気店でもある。
『隠れ処』と呼ばれる由縁はこのあたりの学生の待ち合わせ場所に使われる事が多かったのがその理由だ。
そんな隠れ処の木製でやたらに重い扉をオレは7年ぶりに押して、店内に入った。
「いらっしゃい」
オレは軽く手を上げ実山巴の声に答え、学生時代にほぼ指定席としていたカウンターの奥から2番目の席にゆっくりと腰を降ろす。
店内には観光客のグループが5組来ており、テーブル席は全てが埋まっていた。
7つならぶカウンター席にはオレの他に野暮ったい格好をした中年男性がひとり座っているだけ。約束の時間までは、まだ早すぎるためか、仲間の姿は誰も見えなかった。
「隠れ湯オリジナルブレンドの試作品があるんだけど、飲んでみない?」
「へぇー、面白そうだな」
静かに尋ねて来る実山に対するオレの答えは、少し間の抜けたものとなった。
店内は昔のまま。
チャコールブラウンを基調とした木目の床と壁、天井は高く、大きな梁は喫煙が出来た頃の名残か所々に脂《やに》の後が残っている。
カウンターの向こう側に設えられた棚にはたくさんのコーヒーカップに加え、写真が2枚額に収められ飾られている。
「母さんは3年前、父さんはソレを追うように2年前に亡くなったの。2人ともガンであっという間だったわ」
オレの視線に気がついたのか、サイフォンにロートをセットしつつ、淡々とそう語る実山。
駅で会話した時に、もしやとは思ったが当たって欲しくない予感だった。
「・・・・・・ 」
このところ、立て続けに知らされる人の死。親しいものにとってはどんな言葉を並べられても、それは大した意味を持たない事も分かって来た。
「そこで何も言わないのが、九角君のスゴイところなんだよね」
「品性と語彙が欠落しているだけだよ・・・・・・ 新見先輩《ダンナさん》は?」
「何かいやらしい言い方ね、まだ、籍は入れてないのよ。理クンなら裏でコーヒー豆のチェックしているわ」
照れ隠し半分。そんな答え方だった。
「実山が新見先輩に想いを寄せていたなんて、オレは知らなかったよ」
実山はアルコールランプに火を灯し、静かにフラスコに焔をあて始めていた。一連の流れに澱みは見られず、生業として送ってきた彼女の月日の重さを感じさせた。
「それに気が付いていなかったのは九角君だけじゃないかしら、私、かなり積極的にアプローチしていたのよ」
カウンター越しに笑う実山。手早くカップの水気を取る手つきに、どことなく色気を感じるのは入籍の話を聞いたせいかもしれない。
「手馴れてるよな」
「父や母の真似をして小学校の時からカウンターに入っていたから、自然と年季も入っちゃうのよね」
「そう言えば、そうだったよな」
小さな身体にエプロンをつけていた頃の実山の姿をオレは思い出す。
「コーヒーの種類も増えた気がするんだけど」
何気なく開いたメニュー表には30種類以上のコーヒーの銘柄が並んでいる。
アメリカン、モカ、カフェラテなどスタンダードなモノに加え、ジャクーやメディチと言った変わり種、それに、バナナやキュウイ、リンゴ、スイカなど際モノとも取れるオリジナルブレンドの名前も並んでいる。
「増えたんじゃないわ。増やしたの。最近は蒸留器具の発達もあって、色んなコーヒーがあるのよ。カフェオレモカにオレンジの皮を入れたり、卵を落としたり、色んな植物の種を焙煎したりって具合にね。生々しい話だけど、お店としても日々研鑽を重ねないと飽きられちゃうのよね」
コツコツと物事を積み重ねる事の出来る人間の言葉だけに説得力がある。
「これからは二人で『隠れ処』を切り盛りして行くのか・・・・・・凄いよな」
「残念だけど、ココひとつで蓄えを残していけるほど、今の世の中、甘くは無いわ。それに理クンは『八塚紙器工業』のサラリーマンなのよ。たまたま住まいがこの上だから、休みの日にコッソリと手を貸してくれているだけでお給与も払っていないわ」
どうやらフリーターのオレが入り込んではいけない話だったらしい。
「先輩は八塚紙器工業《箱屋》務めなんだ」
八塚紙器工業《箱屋》とは、この温泉街で販売されているみやげ物等の箱、包装紙、熨斗紙などを製造している地場企業だ。
「九角クンもちゃんとしなきゃダメよ」
「手厳しいな」
ふたりして意識的に光木茜音と五十里優梨子の話を遠ざけている。そんな感じの会話の流れだった。
「三廻部先輩とも会ったよ」
特に意味も無く、オレは唐突に切り出す。実山の顔が強ばるが直ぐに分かった。
「ここにもアイツは来るのか? 実山」
表情の変化から聞いてはいけない気もしたが思わず言葉が出た。
「ああ、よく来るよ。お客さんとしてな」
オレの問いをいなす様に、そう答えたのは、カウンターの奥にある扉から顔を出した新見理先輩だった。
「オマエは昔から時間に関しては変に律儀というか、せっかちだよな。待ち合わせ時刻には、まだ30分以上ある」
そう軽く笑う新見先輩が視線で示した先には古い壁掛け時計。時刻は7時21分を指していた。
「お邪魔しています」
時間よりかなり早くついたのは、オレが他の誰よりも暇だったに過ぎない。
「こっちも来てくれて嬉しいよ。ありがとな。しかし、九角は本当に三廻部と相性が悪いよな。今の言い方だと何かやらかしたんだろ?」
その苦笑いは何処か俺を諌めるような物言いだった。
「自分は投げ飛ばされ、一緒にいた知り合いは脅されました」
「三廻部とは適度な距離を保たないとダメなことくらい分かるだろ? 知り合いまで巻き込むなんて愚の骨頂だ」
生き方を説くように、そう軽く語った後、新見先輩は店内に流れていたAMラジオを有線放送に切り替えた。
聞えて来たのは、季節外れの卒業式ソング。
「自分も光木や五十里の事をあんなふうに言わなければ、受け流すつもりでした」
ネガディブな形での名前の出し方であった為か、二人の表情にスッと影が落ちた。
「ココでも色んな人間の与太話を飛ばしてるよ。俺は殆ど聞き流しているけどな。何を言われたんだ?」
実山が煎れたコーヒーをオレに出しつつ、尋ねる新見先輩。
「色々です。口に出したくもありません」
「九角君がそういう言い方をする時って、結構怖いのよね。本当に怒っている時ってカンジで・・・・・・ 三廻部先輩は口笛が止まらなくなったって言われてるけど、錦通りで観光客をナンパしたり、賭博の胴元みたいな事もしているらしいから、実は元気なんじゃないかって、話す人もいるのよね。何があったかは聞かないけど、私もこれ以上、関わらない方が良いと思うわ」
胡散臭いあの男らしい噂だった。オレは重くなった会話の間を取るため、出されたコーヒを一口啜った。
「このコーヒー美味しいな。少しクセはあるけど、香りもいい。」
少し苦く、ほんのり酸っぱい。そんな味だ。香りはどこか懐かしさがある。
「嬉しいなァ。モカにアイスコーヒー専用の豆とオレンジの種を混ぜたコーヒーなのよ。理クンは香りが強すぎるから『隠れ湯』のメニューには加えない方がいいって言うんだけど、結構イケルるでしょ?」
オレンジの種を焙煎したコーヒーと言う事なのだろう。オレの感想に嬉しそうな笑顔を見せた実山。
「モニターを頼んだ連中の舌と鼻がさ……変わってるんだよ」
「“連中”?」
尋ねておきながら、新渡戸先輩の含みのある言い方に何となく察しは付いていた。
「光木さんと優梨子もモニターを頼んだのよ。そうしたら、ふたりとも『好きな香りと味だよ』って言ってくれたの・・・・・・ちょうどその席に座りながらね・・・・・・ そこ、九角クンだけじゃなくて、光木さんと優梨子のお気に入りの席でもあったのよね」
オレは震える声の主を正視する事が出来ず、再びコーヒーを啜る。苦く、酸っぱい味がオレの身体の奥底にある何かを刺激する。
有線放送はあてつけの様に次から次へと“桜”や“旅立ち”と言ったフレーズを用いた曲を流し続けていた。
木材が軋む音に目をやると、テーブル席に座っていた観光客のうち、ひと組が立ち上がりレジに向かう姿が目に入る。大きな鞄を引きずりつつ、談笑する姿にココが観光地である事を改めて思い出す。
レジ打ちを行なう新見先輩。
妙に板についているエプロン姿に、旅館で懸命に働く正樹の姿や漁師としての風格が出て来た雄馬の姿が重なる。
「実山、オレさ、用事を思い出したから出かけてくるよ。悪いけど、みんなには上手く伝えておいてくれるか」
「えっ!!」
オレの唐突な申し出に実山が珍しく驚いた表情を浮かべる。
「新見先輩の言うとおり、オレってせっかちみたいでさ・・・・・・ “待つ”って事が苦手みたいだ」
この行動が碌な事にならないのは分かっていた。
「どこへ行くつもりなの?」
「茜蛍を探しにって所かな?・・・・・・また、近いうちにココには必ず顔を出すよ」
確信にも似た予感と共にオレはコーヒーを一気に飲み干す。
「やっぱり、オレはこのコーヒー好きだな。ごちそう様・・・・・・いくらだ?」
「いいわよ。モニターなんだから」
腰をあげるオレに声を掛ける実山。
「そう言う訳にはいかないよ。先輩、会計をお願いします」
オレは観光客の会計を済ませ、こちらに戻ろうとしていた先輩に声を掛け、小走りにレジに向かう。
「500円貰っていいか?」
新見先輩の言い方は少し照れたようなものだった。
「ごちそうさまです。個人的にはココの看板メニューになる気がします」
「店にはブランドイメージってのがあるからな。あの味はココには幼すぎる」
オレの言葉と500円玉を受け取るとった新見先輩がボソリとつぶやく。
カウンターには、新たに来た観光客の対応を行う実山の姿。
「じゃあ、オレはこれで」
「九角・・・・・・」
どう挨拶していいか分からず、逃げるように背を見せたオレを呼び止める新見先輩の声。
「はい」
オレは背を向けたまま返事をする。
「三廻部、オマエに何か聞かなかったか?」
「聞くって何をです?」
「いや、いいんだ。大した事じゃない」
「・・・・・・ごちそうさまでした」
オレはそのまま振り返る事なく、隠れ処を後にする。
ガラゲーで確認した時刻は19時45分。
フラフラと目の前に飛んで来た蛾をオレは左手て払い除け、おそらく三廻部がふらついているであろう錦通りへと向かった。
その巡礼街道のほぼ始まりにあるのが『隠れ処』、正式店舗名『喫茶・隠れ湯』だ。ロッジ風の造りをした建物は、この温泉街では少し浮いている存在ではあるが、駅から近い事と多種多様のコーヒーが飲める事で遠方からも飲みに来る人がいるほどの人気店でもある。
『隠れ処』と呼ばれる由縁はこのあたりの学生の待ち合わせ場所に使われる事が多かったのがその理由だ。
そんな隠れ処の木製でやたらに重い扉をオレは7年ぶりに押して、店内に入った。
「いらっしゃい」
オレは軽く手を上げ実山巴の声に答え、学生時代にほぼ指定席としていたカウンターの奥から2番目の席にゆっくりと腰を降ろす。
店内には観光客のグループが5組来ており、テーブル席は全てが埋まっていた。
7つならぶカウンター席にはオレの他に野暮ったい格好をした中年男性がひとり座っているだけ。約束の時間までは、まだ早すぎるためか、仲間の姿は誰も見えなかった。
「隠れ湯オリジナルブレンドの試作品があるんだけど、飲んでみない?」
「へぇー、面白そうだな」
静かに尋ねて来る実山に対するオレの答えは、少し間の抜けたものとなった。
店内は昔のまま。
チャコールブラウンを基調とした木目の床と壁、天井は高く、大きな梁は喫煙が出来た頃の名残か所々に脂《やに》の後が残っている。
カウンターの向こう側に設えられた棚にはたくさんのコーヒーカップに加え、写真が2枚額に収められ飾られている。
「母さんは3年前、父さんはソレを追うように2年前に亡くなったの。2人ともガンであっという間だったわ」
オレの視線に気がついたのか、サイフォンにロートをセットしつつ、淡々とそう語る実山。
駅で会話した時に、もしやとは思ったが当たって欲しくない予感だった。
「・・・・・・ 」
このところ、立て続けに知らされる人の死。親しいものにとってはどんな言葉を並べられても、それは大した意味を持たない事も分かって来た。
「そこで何も言わないのが、九角君のスゴイところなんだよね」
「品性と語彙が欠落しているだけだよ・・・・・・ 新見先輩《ダンナさん》は?」
「何かいやらしい言い方ね、まだ、籍は入れてないのよ。理クンなら裏でコーヒー豆のチェックしているわ」
照れ隠し半分。そんな答え方だった。
「実山が新見先輩に想いを寄せていたなんて、オレは知らなかったよ」
実山はアルコールランプに火を灯し、静かにフラスコに焔をあて始めていた。一連の流れに澱みは見られず、生業として送ってきた彼女の月日の重さを感じさせた。
「それに気が付いていなかったのは九角君だけじゃないかしら、私、かなり積極的にアプローチしていたのよ」
カウンター越しに笑う実山。手早くカップの水気を取る手つきに、どことなく色気を感じるのは入籍の話を聞いたせいかもしれない。
「手馴れてるよな」
「父や母の真似をして小学校の時からカウンターに入っていたから、自然と年季も入っちゃうのよね」
「そう言えば、そうだったよな」
小さな身体にエプロンをつけていた頃の実山の姿をオレは思い出す。
「コーヒーの種類も増えた気がするんだけど」
何気なく開いたメニュー表には30種類以上のコーヒーの銘柄が並んでいる。
アメリカン、モカ、カフェラテなどスタンダードなモノに加え、ジャクーやメディチと言った変わり種、それに、バナナやキュウイ、リンゴ、スイカなど際モノとも取れるオリジナルブレンドの名前も並んでいる。
「増えたんじゃないわ。増やしたの。最近は蒸留器具の発達もあって、色んなコーヒーがあるのよ。カフェオレモカにオレンジの皮を入れたり、卵を落としたり、色んな植物の種を焙煎したりって具合にね。生々しい話だけど、お店としても日々研鑽を重ねないと飽きられちゃうのよね」
コツコツと物事を積み重ねる事の出来る人間の言葉だけに説得力がある。
「これからは二人で『隠れ処』を切り盛りして行くのか・・・・・・凄いよな」
「残念だけど、ココひとつで蓄えを残していけるほど、今の世の中、甘くは無いわ。それに理クンは『八塚紙器工業』のサラリーマンなのよ。たまたま住まいがこの上だから、休みの日にコッソリと手を貸してくれているだけでお給与も払っていないわ」
どうやらフリーターのオレが入り込んではいけない話だったらしい。
「先輩は八塚紙器工業《箱屋》務めなんだ」
八塚紙器工業《箱屋》とは、この温泉街で販売されているみやげ物等の箱、包装紙、熨斗紙などを製造している地場企業だ。
「九角クンもちゃんとしなきゃダメよ」
「手厳しいな」
ふたりして意識的に光木茜音と五十里優梨子の話を遠ざけている。そんな感じの会話の流れだった。
「三廻部先輩とも会ったよ」
特に意味も無く、オレは唐突に切り出す。実山の顔が強ばるが直ぐに分かった。
「ここにもアイツは来るのか? 実山」
表情の変化から聞いてはいけない気もしたが思わず言葉が出た。
「ああ、よく来るよ。お客さんとしてな」
オレの問いをいなす様に、そう答えたのは、カウンターの奥にある扉から顔を出した新見理先輩だった。
「オマエは昔から時間に関しては変に律儀というか、せっかちだよな。待ち合わせ時刻には、まだ30分以上ある」
そう軽く笑う新見先輩が視線で示した先には古い壁掛け時計。時刻は7時21分を指していた。
「お邪魔しています」
時間よりかなり早くついたのは、オレが他の誰よりも暇だったに過ぎない。
「こっちも来てくれて嬉しいよ。ありがとな。しかし、九角は本当に三廻部と相性が悪いよな。今の言い方だと何かやらかしたんだろ?」
その苦笑いは何処か俺を諌めるような物言いだった。
「自分は投げ飛ばされ、一緒にいた知り合いは脅されました」
「三廻部とは適度な距離を保たないとダメなことくらい分かるだろ? 知り合いまで巻き込むなんて愚の骨頂だ」
生き方を説くように、そう軽く語った後、新見先輩は店内に流れていたAMラジオを有線放送に切り替えた。
聞えて来たのは、季節外れの卒業式ソング。
「自分も光木や五十里の事をあんなふうに言わなければ、受け流すつもりでした」
ネガディブな形での名前の出し方であった為か、二人の表情にスッと影が落ちた。
「ココでも色んな人間の与太話を飛ばしてるよ。俺は殆ど聞き流しているけどな。何を言われたんだ?」
実山が煎れたコーヒーをオレに出しつつ、尋ねる新見先輩。
「色々です。口に出したくもありません」
「九角君がそういう言い方をする時って、結構怖いのよね。本当に怒っている時ってカンジで・・・・・・ 三廻部先輩は口笛が止まらなくなったって言われてるけど、錦通りで観光客をナンパしたり、賭博の胴元みたいな事もしているらしいから、実は元気なんじゃないかって、話す人もいるのよね。何があったかは聞かないけど、私もこれ以上、関わらない方が良いと思うわ」
胡散臭いあの男らしい噂だった。オレは重くなった会話の間を取るため、出されたコーヒを一口啜った。
「このコーヒー美味しいな。少しクセはあるけど、香りもいい。」
少し苦く、ほんのり酸っぱい。そんな味だ。香りはどこか懐かしさがある。
「嬉しいなァ。モカにアイスコーヒー専用の豆とオレンジの種を混ぜたコーヒーなのよ。理クンは香りが強すぎるから『隠れ湯』のメニューには加えない方がいいって言うんだけど、結構イケルるでしょ?」
オレンジの種を焙煎したコーヒーと言う事なのだろう。オレの感想に嬉しそうな笑顔を見せた実山。
「モニターを頼んだ連中の舌と鼻がさ……変わってるんだよ」
「“連中”?」
尋ねておきながら、新渡戸先輩の含みのある言い方に何となく察しは付いていた。
「光木さんと優梨子もモニターを頼んだのよ。そうしたら、ふたりとも『好きな香りと味だよ』って言ってくれたの・・・・・・ちょうどその席に座りながらね・・・・・・ そこ、九角クンだけじゃなくて、光木さんと優梨子のお気に入りの席でもあったのよね」
オレは震える声の主を正視する事が出来ず、再びコーヒーを啜る。苦く、酸っぱい味がオレの身体の奥底にある何かを刺激する。
有線放送はあてつけの様に次から次へと“桜”や“旅立ち”と言ったフレーズを用いた曲を流し続けていた。
木材が軋む音に目をやると、テーブル席に座っていた観光客のうち、ひと組が立ち上がりレジに向かう姿が目に入る。大きな鞄を引きずりつつ、談笑する姿にココが観光地である事を改めて思い出す。
レジ打ちを行なう新見先輩。
妙に板についているエプロン姿に、旅館で懸命に働く正樹の姿や漁師としての風格が出て来た雄馬の姿が重なる。
「実山、オレさ、用事を思い出したから出かけてくるよ。悪いけど、みんなには上手く伝えておいてくれるか」
「えっ!!」
オレの唐突な申し出に実山が珍しく驚いた表情を浮かべる。
「新見先輩の言うとおり、オレってせっかちみたいでさ・・・・・・ “待つ”って事が苦手みたいだ」
この行動が碌な事にならないのは分かっていた。
「どこへ行くつもりなの?」
「茜蛍を探しにって所かな?・・・・・・また、近いうちにココには必ず顔を出すよ」
確信にも似た予感と共にオレはコーヒーを一気に飲み干す。
「やっぱり、オレはこのコーヒー好きだな。ごちそう様・・・・・・いくらだ?」
「いいわよ。モニターなんだから」
腰をあげるオレに声を掛ける実山。
「そう言う訳にはいかないよ。先輩、会計をお願いします」
オレは観光客の会計を済ませ、こちらに戻ろうとしていた先輩に声を掛け、小走りにレジに向かう。
「500円貰っていいか?」
新見先輩の言い方は少し照れたようなものだった。
「ごちそうさまです。個人的にはココの看板メニューになる気がします」
「店にはブランドイメージってのがあるからな。あの味はココには幼すぎる」
オレの言葉と500円玉を受け取るとった新見先輩がボソリとつぶやく。
カウンターには、新たに来た観光客の対応を行う実山の姿。
「じゃあ、オレはこれで」
「九角・・・・・・」
どう挨拶していいか分からず、逃げるように背を見せたオレを呼び止める新見先輩の声。
「はい」
オレは背を向けたまま返事をする。
「三廻部、オマエに何か聞かなかったか?」
「聞くって何をです?」
「いや、いいんだ。大した事じゃない」
「・・・・・・ごちそうさまでした」
オレはそのまま振り返る事なく、隠れ処を後にする。
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