クロエの恋は砂糖菓子から始まる

まめ

文字の大きさ
6 / 6

侯子との出会い

しおりを挟む
 ――半年後。クロエはマルモンテル侯国にいた。
 彼女は三日前に実家に別れを告げ、マルモンテル侯国を目指し、使用人が運転する自動車に揺られてやって来た。到着したのは、つい昨日のことだ。
 侯爵とはまだ顔合わせは済んでおらず、執事が言うには侯爵は領地の視察に出ており、お帰りは一週間先のことになるらしい。到着したばかりで君主の出迎えもなく、執事からそれを聞いたクロエは憤りもせず、かえって安堵の息を漏らしたのだった。
 ああ、よかった。やはり候もこの結婚を望んでいらっしゃらないのだわ。それならば、何とかしてこちらもその意思がないとお伝えすることが出来れば、そう悪い待遇にはならないのかもしれないわ。
 想像していたよりも酷いことにはならないかもしれない。そう思えただけで、クロエの気分は晴れやかになったのだった。
 到着から一夜明け、朝食を終えたクロエは暇を持て余した結果、城の探索をしようと一人、供も連れず中庭へ向かったのだが、そこで小さな男の子が芝にうずくまり泣いているのを見つけた。男の子は侯爵と前妻との嫡子で、名はトリスタン・リュカ・モンマルテル。歳は確か四つだったはずだ。
 それにしても彼の供はいったい何をしているのだろうか。小さな主人が泣いているというのに、彼らはおろおろと狼狽えてばかりで、一向に泣き止ませようと慰めもあやしもしないだなんて。
 侯子は癇癪が酷く、侍従達が下手に慰めると余計に手が付けられなくなることを、侯国に来たばかりのクロエは知らず、このままにはしておかないと侯子の側まで行くと彼と目線を合わせるようにしてしゃがみ声をかけたのだった。

「あらあら、侯子殿下。どうして泣いていらっしゃるの。そのように泣かれては、キャンディみたいに綺麗な色のお目ゞが涙で溶けてしまわれますわ」

 侯子の瞳は鮮やかな黄緑色で、マスカットを思わせるような色味だ。今は涙で濡れており、光の加減でキラキラと輝いて見えるからか、まるでドロップキャンディのように思えた。

「――だあれ」

 侯子は耳慣れない声に驚いたのか涙を止め、俯けていた顔を上げクロエを不思議そうにじっと見つめていた。幼い子供のあどけない様子がとても可愛らしく、クロエは知らずと口元を緩ませた。
 なんてお可愛らしいのかしら。ミルクティの様な色のお髪に、マスカット色のお目ゞだなんて本当にお菓子みたいな色合いだわ。

「申し遅れました。わたくしはクロエ・ブリオと申します。無礼にもお声掛けしましたこと、どうぞ寛大なお心でお許しいただきますよう」

「いいよ」

 本来、身分が下のものから上の方へ話しかけるなど言語道断ではあるが、一応クロエがバルゲリー公爵の後ろ盾を得ていることから、侯子の侍従達も問題にはしないはずだ。

「まあ、ありがとうございます。侯子殿下はお優しくていらっしゃるのですね」

 デイドレスのベルトに付けたバッグからハンカチを取り出すと、クロエは侯子の目元と頬を優しく拭って差し上げた。

「クロエ、父様しらない。どこにもいないの」

 四つの子にとって一週間も親がいないというのは、それはそれは寂しいものだろう。まして片親ならば尚更だ。寂しくて心細くて仕方がないに違いない。

「殿下は領地の視察に向かわれたと伺っております。お帰りは早くとも六日後かと。侯子殿下はお父様がいらっしゃらなくて寂しく思ってらっしゃるのですね」

 クロエの返答にがっかりした侯子は、再び顔を俯けた。それからすぐに侯子のお腹の虫が可愛らしく鳴いたため、恥ずかしさからか侯子はますます顔を俯け、尻を芝生につけると膝を抱え丸まった。顔は見えないがよほど恥ずかしかったのか、侯子の耳元は真っ赤に染まっている。

「あらあら、お腹が空いては戦は出来ませんのよ。侯子殿下はこれから一週間近くお父様がいらっしゃらない寂しさと戦われるのですから。まずはお腹を満たしませんと。戦いはそれからですわ」

「――いらないもん」

 幼い頃はクロエも母と喧嘩したり、何かで拗ねてしまい、お腹が減っても意地を張り、お腹が空いていないからご飯はいらないと強がっていたものだった。侯子を見ているとなんだか懐かしい気持ちになる。けれど侯子は幼児なのだから、しっかりと栄養を取り健やかに成長しなければならない。

「いけませんわ。侯子殿下はいずれこの国の君主となるお方です。君主たるもの、いかなる戦いにも勝たねばなりません。お腹が減っていては、力が出ませんのよ。さあさ、そのようなところで座ってらっしゃらないで、わたくしと参りましょう」

 クロエは侯子の手を取り、蹲っている彼を立たせると側にいた侍女に食堂はどこかしら、案内して下さらないと言い、それから別の侍女にはシェフ伝えて下さるかしらと言伝を頼んだ。

「クロエ、どこにいくの」

「ジェフに美味しいものを作っていただきましょう。わたくしにいい案がありますのよ。侯子殿下もきっとお気に召されます」

 キョトンとした表情を浮かべる侯子の手を引きながら、クロエは食堂へと向かったのだった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。

さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。 忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。 「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」 気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、 「信じられない!離縁よ!離縁!」 深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。 結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

メリザンドの幸福

下菊みこと
恋愛
ドアマット系ヒロインが避難先で甘やかされるだけ。 メリザンドはとある公爵家に嫁入りする。そのメリザンドのあまりの様子に、悪女だとの噂を聞いて警戒していた使用人たちは大慌てでパン粥を作って食べさせる。なんか聞いてたのと違うと思っていたら、当主でありメリザンドの旦那である公爵から事の次第を聞いてちゃんと保護しないとと庇護欲剥き出しになる使用人たち。 メリザンドは公爵家で幸せになれるのか? 小説家になろう様でも投稿しています。 蛇足かもしれませんが追加シナリオ投稿しました。よろしければお付き合いください。

側近女性は迷わない

中田カナ
恋愛
第二王子殿下の側近の中でただ1人の女性である私は、思いがけず自分の陰口を耳にしてしまった。 ※ 小説家になろう、カクヨムでも掲載しています

将来の嫁ぎ先は確保済みです……が?!

翠月 瑠々奈
恋愛
ある日階段から落ちて、とある物語を思い出した。 侯爵令息と男爵令嬢の秘密の恋…みたいな。 そしてここが、その話を基にした世界に酷似していることに気づく。 私は主人公の婚約者。話の流れからすれば破棄されることになる。 この歳で婚約破棄なんてされたら、名に傷が付く。 それでは次の結婚は望めない。 その前に、同じ前世の記憶がある男性との婚姻話を水面下で進めましょうか。

【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!

りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。 食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。 だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。 食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。 パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。 そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。 王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。 そんなの自分でしろ!!!!!

覚悟は良いですか、お父様? ―虐げられた娘はお家乗っ取りを企んだ婿の父とその愛人の娘である異母妹をまとめて追い出す―

Erin
恋愛
【完結済・全3話】伯爵令嬢のカメリアは母が死んだ直後に、父が屋敷に連れ込んだ愛人とその子に虐げられていた。その挙句、カメリアが十六歳の成人後に継ぐ予定の伯爵家から追い出し、伯爵家の血を一滴も引かない異母妹に継がせると言い出す。後を継がないカメリアには嗜虐趣味のある男に嫁がられることになった。絶対に父たちの言いなりになりたくないカメリアは家を出て復讐することにした。7/6に最終話投稿予定。

とある伯爵の憂鬱

如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

処理中です...