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侯子との出会い
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――半年後。クロエはマルモンテル侯国にいた。
彼女は三日前に実家に別れを告げ、マルモンテル侯国を目指し、使用人が運転する自動車に揺られてやって来た。到着したのは、つい昨日のことだ。
侯爵とはまだ顔合わせは済んでおらず、執事が言うには侯爵は領地の視察に出ており、お帰りは一週間先のことになるらしい。到着したばかりで君主の出迎えもなく、執事からそれを聞いたクロエは憤りもせず、かえって安堵の息を漏らしたのだった。
ああ、よかった。やはり候もこの結婚を望んでいらっしゃらないのだわ。それならば、何とかしてこちらもその意思がないとお伝えすることが出来れば、そう悪い待遇にはならないのかもしれないわ。
想像していたよりも酷いことにはならないかもしれない。そう思えただけで、クロエの気分は晴れやかになったのだった。
到着から一夜明け、朝食を終えたクロエは暇を持て余した結果、城の探索をしようと一人、供も連れず中庭へ向かったのだが、そこで小さな男の子が芝にうずくまり泣いているのを見つけた。男の子は侯爵と前妻との嫡子で、名はトリスタン・リュカ・モンマルテル。歳は確か四つだったはずだ。
それにしても彼の供はいったい何をしているのだろうか。小さな主人が泣いているというのに、彼らはおろおろと狼狽えてばかりで、一向に泣き止ませようと慰めもあやしもしないだなんて。
侯子は癇癪が酷く、侍従達が下手に慰めると余計に手が付けられなくなることを、侯国に来たばかりのクロエは知らず、このままにはしておかないと侯子の側まで行くと彼と目線を合わせるようにしてしゃがみ声をかけたのだった。
「あらあら、侯子殿下。どうして泣いていらっしゃるの。そのように泣かれては、キャンディみたいに綺麗な色のお目ゞが涙で溶けてしまわれますわ」
侯子の瞳は鮮やかな黄緑色で、マスカットを思わせるような色味だ。今は涙で濡れており、光の加減でキラキラと輝いて見えるからか、まるでドロップキャンディのように思えた。
「――だあれ」
侯子は耳慣れない声に驚いたのか涙を止め、俯けていた顔を上げクロエを不思議そうにじっと見つめていた。幼い子供のあどけない様子がとても可愛らしく、クロエは知らずと口元を緩ませた。
なんてお可愛らしいのかしら。ミルクティの様な色のお髪に、マスカット色のお目ゞだなんて本当にお菓子みたいな色合いだわ。
「申し遅れました。わたくしはクロエ・ブリオと申します。無礼にもお声掛けしましたこと、どうぞ寛大なお心でお許しいただきますよう」
「いいよ」
本来、身分が下のものから上の方へ話しかけるなど言語道断ではあるが、一応クロエがバルゲリー公爵の後ろ盾を得ていることから、侯子の侍従達も問題にはしないはずだ。
「まあ、ありがとうございます。侯子殿下はお優しくていらっしゃるのですね」
デイドレスのベルトに付けたバッグからハンカチを取り出すと、クロエは侯子の目元と頬を優しく拭って差し上げた。
「クロエ、父様しらない。どこにもいないの」
四つの子にとって一週間も親がいないというのは、それはそれは寂しいものだろう。まして片親ならば尚更だ。寂しくて心細くて仕方がないに違いない。
「殿下は領地の視察に向かわれたと伺っております。お帰りは早くとも六日後かと。侯子殿下はお父様がいらっしゃらなくて寂しく思ってらっしゃるのですね」
クロエの返答にがっかりした侯子は、再び顔を俯けた。それからすぐに侯子のお腹の虫が可愛らしく鳴いたため、恥ずかしさからか侯子はますます顔を俯け、尻を芝生につけると膝を抱え丸まった。顔は見えないがよほど恥ずかしかったのか、侯子の耳元は真っ赤に染まっている。
「あらあら、お腹が空いては戦は出来ませんのよ。侯子殿下はこれから一週間近くお父様がいらっしゃらない寂しさと戦われるのですから。まずはお腹を満たしませんと。戦いはそれからですわ」
「――いらないもん」
幼い頃はクロエも母と喧嘩したり、何かで拗ねてしまい、お腹が減っても意地を張り、お腹が空いていないからご飯はいらないと強がっていたものだった。侯子を見ているとなんだか懐かしい気持ちになる。けれど侯子は幼児なのだから、しっかりと栄養を取り健やかに成長しなければならない。
「いけませんわ。侯子殿下はいずれこの国の君主となるお方です。君主たるもの、いかなる戦いにも勝たねばなりません。お腹が減っていては、力が出ませんのよ。さあさ、そのようなところで座ってらっしゃらないで、わたくしと参りましょう」
クロエは侯子の手を取り、蹲っている彼を立たせると側にいた侍女に食堂はどこかしら、案内して下さらないと言い、それから別の侍女にはシェフ伝えて下さるかしらと言伝を頼んだ。
「クロエ、どこにいくの」
「ジェフに美味しいものを作っていただきましょう。わたくしにいい案がありますのよ。侯子殿下もきっとお気に召されます」
キョトンとした表情を浮かべる侯子の手を引きながら、クロエは食堂へと向かったのだった。
彼女は三日前に実家に別れを告げ、マルモンテル侯国を目指し、使用人が運転する自動車に揺られてやって来た。到着したのは、つい昨日のことだ。
侯爵とはまだ顔合わせは済んでおらず、執事が言うには侯爵は領地の視察に出ており、お帰りは一週間先のことになるらしい。到着したばかりで君主の出迎えもなく、執事からそれを聞いたクロエは憤りもせず、かえって安堵の息を漏らしたのだった。
ああ、よかった。やはり候もこの結婚を望んでいらっしゃらないのだわ。それならば、何とかしてこちらもその意思がないとお伝えすることが出来れば、そう悪い待遇にはならないのかもしれないわ。
想像していたよりも酷いことにはならないかもしれない。そう思えただけで、クロエの気分は晴れやかになったのだった。
到着から一夜明け、朝食を終えたクロエは暇を持て余した結果、城の探索をしようと一人、供も連れず中庭へ向かったのだが、そこで小さな男の子が芝にうずくまり泣いているのを見つけた。男の子は侯爵と前妻との嫡子で、名はトリスタン・リュカ・モンマルテル。歳は確か四つだったはずだ。
それにしても彼の供はいったい何をしているのだろうか。小さな主人が泣いているというのに、彼らはおろおろと狼狽えてばかりで、一向に泣き止ませようと慰めもあやしもしないだなんて。
侯子は癇癪が酷く、侍従達が下手に慰めると余計に手が付けられなくなることを、侯国に来たばかりのクロエは知らず、このままにはしておかないと侯子の側まで行くと彼と目線を合わせるようにしてしゃがみ声をかけたのだった。
「あらあら、侯子殿下。どうして泣いていらっしゃるの。そのように泣かれては、キャンディみたいに綺麗な色のお目ゞが涙で溶けてしまわれますわ」
侯子の瞳は鮮やかな黄緑色で、マスカットを思わせるような色味だ。今は涙で濡れており、光の加減でキラキラと輝いて見えるからか、まるでドロップキャンディのように思えた。
「――だあれ」
侯子は耳慣れない声に驚いたのか涙を止め、俯けていた顔を上げクロエを不思議そうにじっと見つめていた。幼い子供のあどけない様子がとても可愛らしく、クロエは知らずと口元を緩ませた。
なんてお可愛らしいのかしら。ミルクティの様な色のお髪に、マスカット色のお目ゞだなんて本当にお菓子みたいな色合いだわ。
「申し遅れました。わたくしはクロエ・ブリオと申します。無礼にもお声掛けしましたこと、どうぞ寛大なお心でお許しいただきますよう」
「いいよ」
本来、身分が下のものから上の方へ話しかけるなど言語道断ではあるが、一応クロエがバルゲリー公爵の後ろ盾を得ていることから、侯子の侍従達も問題にはしないはずだ。
「まあ、ありがとうございます。侯子殿下はお優しくていらっしゃるのですね」
デイドレスのベルトに付けたバッグからハンカチを取り出すと、クロエは侯子の目元と頬を優しく拭って差し上げた。
「クロエ、父様しらない。どこにもいないの」
四つの子にとって一週間も親がいないというのは、それはそれは寂しいものだろう。まして片親ならば尚更だ。寂しくて心細くて仕方がないに違いない。
「殿下は領地の視察に向かわれたと伺っております。お帰りは早くとも六日後かと。侯子殿下はお父様がいらっしゃらなくて寂しく思ってらっしゃるのですね」
クロエの返答にがっかりした侯子は、再び顔を俯けた。それからすぐに侯子のお腹の虫が可愛らしく鳴いたため、恥ずかしさからか侯子はますます顔を俯け、尻を芝生につけると膝を抱え丸まった。顔は見えないがよほど恥ずかしかったのか、侯子の耳元は真っ赤に染まっている。
「あらあら、お腹が空いては戦は出来ませんのよ。侯子殿下はこれから一週間近くお父様がいらっしゃらない寂しさと戦われるのですから。まずはお腹を満たしませんと。戦いはそれからですわ」
「――いらないもん」
幼い頃はクロエも母と喧嘩したり、何かで拗ねてしまい、お腹が減っても意地を張り、お腹が空いていないからご飯はいらないと強がっていたものだった。侯子を見ているとなんだか懐かしい気持ちになる。けれど侯子は幼児なのだから、しっかりと栄養を取り健やかに成長しなければならない。
「いけませんわ。侯子殿下はいずれこの国の君主となるお方です。君主たるもの、いかなる戦いにも勝たねばなりません。お腹が減っていては、力が出ませんのよ。さあさ、そのようなところで座ってらっしゃらないで、わたくしと参りましょう」
クロエは侯子の手を取り、蹲っている彼を立たせると側にいた侍女に食堂はどこかしら、案内して下さらないと言い、それから別の侍女にはシェフ伝えて下さるかしらと言伝を頼んだ。
「クロエ、どこにいくの」
「ジェフに美味しいものを作っていただきましょう。わたくしにいい案がありますのよ。侯子殿下もきっとお気に召されます」
キョトンとした表情を浮かべる侯子の手を引きながら、クロエは食堂へと向かったのだった。
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