43 / 98
第五節 鬼と彷徨う長い夜
第8話 手当
しおりを挟む
――自分よりあの子を助けて。
そんな泉の訴えを、ワーズが聞き入れることはなかった。
労わるようにラオ近くの切り株に座らされ、腕の治療を優先するワーズに対し、泉は「大丈夫です!」と突っぱねる。
怖い思いは散々したが、今となっては全て過去。
助けが必要なのは、こうして泣いていられる自分ではないのだ。
「わ、私よりもシイちゃんの方が危険なんです! あの子、自分より私を優先させて。だから、私なんかよりも先に――痛っ!?」
涙ながらの訴えを遮るように、ワーズが泉の右腕の布を取っ払う。
「酷い傷だ。一度芥屋に帰らないと。我慢してね、泉嬢」
「ワーズさん!?」
あからさまな無視に泉は非難の声を上げた。
剥き出しの傷口も放ってワーズの手を払い、左手で邪魔な涙を拭い取る。
ワーズは泉の怪我を最優先にして頼みを聞き届けてはくれない。
ならば、幽鬼が大好物だというあの二人はどうだろう。
あの鳥人の女は言った。幽鬼を狩るヤツがいると。
猫と史歩は確実に、狩るだけの強さを持ち合わせているはずだ。
困惑した顔にも怯まず、泉は問いかける。
「猫……猫はどこにいるんですか?……史歩さんは?」
容易く暴漢を手玉にとった猫。
地を穿とうと傷一つつかない腕を切り飛ばした史歩。
最後に見た彼らはワーズと共にいた。それゆえ、共に行動していると思い込んだ目が、せわしなく周囲を見渡す。
「……泉嬢。彼らはここにはいないよ。それに押しつけは良くない」
「っ! お、押しつけって、私は…………」
癇癪を起こした子どもへ言い聞かせるような、穏やかな声音。責めるでもないワーズの口調だが、紛れもない事実を突きつけられ、泉は狼狽えた。
しかしそれは、指摘そのもののせいではない。
それよりももっと、根本的な気づき。
力をなくした頭がうなだれる。
早々に右腕の手当てを再開したワーズは、柔らかく告げた。
「さ、帰ろう? 君は無力で、シイは見越して逃がしたんだから。なにより――」
強い憤りがため息に混じる。
「なんでこんな怪我してまで君が、アレを助けなきゃいけないんだい? 足だってこんなに傷つけて」
「っ!」
新しい布で傷口が覆われ、ボロボロの靴下が剥ぎ取られた。
現われた素足には擦り傷の赤みが数箇所に及ぶ。
しかし、そんな外傷よりワーズの言葉が突き刺さった。
「なんで」と問われ、「何故」と己に問う。
まともに会話をしたのは、今日が始めてだ。
出会いはこの男に負けず劣らず最悪。
助けられたといっても、見返りのように血を――少量でも――与えたではないか。
助けるのに理由はいらない、とは泉には言えない。
――でも。
名を呼んで、応えた。
泉も呼ばれ、応えた。
知覚し、無ではなくなった関係。
それだけで充分、助けたいと願う理由にはならないのか。
我が儘という自覚はある。自分の無力を理由に力ある猫たちへ、願望を押しつける狡い考えが、全くないといえば嘘になる。
確かに、ワーズの言い分は正しいのだろう。
それでも、助けたいのだ。
答えは明白に返る。
しかし、拒まれるどころか術自体、ここにはいない。
絶望感に苛まれ顔を覆う。
閉ざした視界の向こうでワーズが息をつき、前髪が揺れる。
次いで包帯を巻かれた足が包まれ、何事かと手を外せば白い靴が履かされていた。どこから出したのか分からぬ靴は、外を恐れ、店番すら拒み続けていた泉に用意された品。だというのに、初めて履いて目指す先が芥屋というのは滑稽だった。
自嘲に顔を歪める泉を知らず、諦めてくれて良かったと言外に伝わる吐息。
髪を滑るように伸びた手は、引っつめていた紐を解く。泉自身の緊張を消し去ろうと、血や泥に汚れたクセ毛がパラパラそれらを剥がし、柔らかく広がった。
それでも貼りつく乾いた血は、ワーズの手によってほぐされ、慣らされていく。
無言の動作は優しく、どこまでも温かい。
薄情な人だと責める反面、己の考えの甘さに吐き気がする。
結局彼は、人間だから泉を助け、人間ではないからシイを放っておくのだ。
人間とそれ以外に対する感情は理解しているつもりだったのに、彼に会えれば万事解決すると勝手に期待してしまった。
最初から、完全に間違った方向へ進んでいたのだ。
軽い音が闇に舞う。
黒いコートが泉を包んだ。
顔を上げれば、なおも黒一色の男。
「少し熱っぽいからね。早く温かいところで治療しなくちゃ」
こんな時でさえ、のんびり笑う。
せめてもの抵抗に払えば良いものを、夜気を嫌った手はこれ幸いとコートを引き寄せ、泉を失望させた。
――と。
「史歩の嬢ちゃんは分からんが、猫のいる辺りなら分かるぞ」
それまで黙っていたラオが口を開く。
そんな泉の訴えを、ワーズが聞き入れることはなかった。
労わるようにラオ近くの切り株に座らされ、腕の治療を優先するワーズに対し、泉は「大丈夫です!」と突っぱねる。
怖い思いは散々したが、今となっては全て過去。
助けが必要なのは、こうして泣いていられる自分ではないのだ。
「わ、私よりもシイちゃんの方が危険なんです! あの子、自分より私を優先させて。だから、私なんかよりも先に――痛っ!?」
涙ながらの訴えを遮るように、ワーズが泉の右腕の布を取っ払う。
「酷い傷だ。一度芥屋に帰らないと。我慢してね、泉嬢」
「ワーズさん!?」
あからさまな無視に泉は非難の声を上げた。
剥き出しの傷口も放ってワーズの手を払い、左手で邪魔な涙を拭い取る。
ワーズは泉の怪我を最優先にして頼みを聞き届けてはくれない。
ならば、幽鬼が大好物だというあの二人はどうだろう。
あの鳥人の女は言った。幽鬼を狩るヤツがいると。
猫と史歩は確実に、狩るだけの強さを持ち合わせているはずだ。
困惑した顔にも怯まず、泉は問いかける。
「猫……猫はどこにいるんですか?……史歩さんは?」
容易く暴漢を手玉にとった猫。
地を穿とうと傷一つつかない腕を切り飛ばした史歩。
最後に見た彼らはワーズと共にいた。それゆえ、共に行動していると思い込んだ目が、せわしなく周囲を見渡す。
「……泉嬢。彼らはここにはいないよ。それに押しつけは良くない」
「っ! お、押しつけって、私は…………」
癇癪を起こした子どもへ言い聞かせるような、穏やかな声音。責めるでもないワーズの口調だが、紛れもない事実を突きつけられ、泉は狼狽えた。
しかしそれは、指摘そのもののせいではない。
それよりももっと、根本的な気づき。
力をなくした頭がうなだれる。
早々に右腕の手当てを再開したワーズは、柔らかく告げた。
「さ、帰ろう? 君は無力で、シイは見越して逃がしたんだから。なにより――」
強い憤りがため息に混じる。
「なんでこんな怪我してまで君が、アレを助けなきゃいけないんだい? 足だってこんなに傷つけて」
「っ!」
新しい布で傷口が覆われ、ボロボロの靴下が剥ぎ取られた。
現われた素足には擦り傷の赤みが数箇所に及ぶ。
しかし、そんな外傷よりワーズの言葉が突き刺さった。
「なんで」と問われ、「何故」と己に問う。
まともに会話をしたのは、今日が始めてだ。
出会いはこの男に負けず劣らず最悪。
助けられたといっても、見返りのように血を――少量でも――与えたではないか。
助けるのに理由はいらない、とは泉には言えない。
――でも。
名を呼んで、応えた。
泉も呼ばれ、応えた。
知覚し、無ではなくなった関係。
それだけで充分、助けたいと願う理由にはならないのか。
我が儘という自覚はある。自分の無力を理由に力ある猫たちへ、願望を押しつける狡い考えが、全くないといえば嘘になる。
確かに、ワーズの言い分は正しいのだろう。
それでも、助けたいのだ。
答えは明白に返る。
しかし、拒まれるどころか術自体、ここにはいない。
絶望感に苛まれ顔を覆う。
閉ざした視界の向こうでワーズが息をつき、前髪が揺れる。
次いで包帯を巻かれた足が包まれ、何事かと手を外せば白い靴が履かされていた。どこから出したのか分からぬ靴は、外を恐れ、店番すら拒み続けていた泉に用意された品。だというのに、初めて履いて目指す先が芥屋というのは滑稽だった。
自嘲に顔を歪める泉を知らず、諦めてくれて良かったと言外に伝わる吐息。
髪を滑るように伸びた手は、引っつめていた紐を解く。泉自身の緊張を消し去ろうと、血や泥に汚れたクセ毛がパラパラそれらを剥がし、柔らかく広がった。
それでも貼りつく乾いた血は、ワーズの手によってほぐされ、慣らされていく。
無言の動作は優しく、どこまでも温かい。
薄情な人だと責める反面、己の考えの甘さに吐き気がする。
結局彼は、人間だから泉を助け、人間ではないからシイを放っておくのだ。
人間とそれ以外に対する感情は理解しているつもりだったのに、彼に会えれば万事解決すると勝手に期待してしまった。
最初から、完全に間違った方向へ進んでいたのだ。
軽い音が闇に舞う。
黒いコートが泉を包んだ。
顔を上げれば、なおも黒一色の男。
「少し熱っぽいからね。早く温かいところで治療しなくちゃ」
こんな時でさえ、のんびり笑う。
せめてもの抵抗に払えば良いものを、夜気を嫌った手はこれ幸いとコートを引き寄せ、泉を失望させた。
――と。
「史歩の嬢ちゃんは分からんが、猫のいる辺りなら分かるぞ」
それまで黙っていたラオが口を開く。
0
あなたにおすすめの小説
転生したら世界一の御曹司だった〜巨乳エルフメイド10人と美少女騎士に溺愛されています〜
まさき
青春
異世界転生した最強の金持ち嫡男、
専属エルフメイドと美少女騎士に囲まれて至福のハーレム生活
現代日本で「地味だが実は超大富豪」という特殊な人生を送っていた青年は、ある日事故で命を落とす。
しかし目を覚ますと、そこは魔法と様々な種族が存在する異世界だった。
彼は大陸一の富を誇る名門貴族――
ヴァン・バレンティン家の嫡男カイルとして転生していたのだ。
カイルに与えられたのは
・世界一とも言える圧倒的な財力
・財力に比例して増大する規格外の魔力
そして何より彼を驚かせたのは――
彼に仕える十人の専属メイド全員が、巨乳美少女だったことである。
献身的なエルフのメイド長リリア。
護衛騎士でありながら隙あらば誘惑してくる女騎士シルヴィア。
さらに個性豊かな巨乳メイドたち。
カイルは持ち前の財力で彼女たちの願いを叶え、最高級の装備や生活を与えていく。
すると彼女たちの忠誠心と愛情はどんどん加速していき――
「カイル様……今日は私が、お世話をさせてください」
領地を狙う貴族を金と魔力で圧倒し、
時にはメイドたちの愛が暴走して甘すぎる時間に巻き込まれながらも、
最強の御曹司カイルは
世界一幸せなハーレムを築いていく。
最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければ応援をお願いいたします。
ストーカーから逃げ切ったのも束の間、転移後はヤンデレ騎士団に殺されかけている現実!
由汰のらん
ファンタジー
ストーカーから逃げていたある日、ハルは異世界に召喚されてしまう。
しかし神官によれば、どうやらハルは間違って召喚された模様。さらに王子に盾ついてしまったことがきっかけで、ハルは国外追放されてしまう。
さらに連行されている道中、魔族に襲われ、ハルの荷馬車は置き去りに。
そのさなか、黒い閃光を放つ騎士が、ハルに取引を持ちかけてきた。
「貴様の血を差し出せ。さすれば助けてやろう。」
やたら態度のでかい騎士は、なんとダンピールだった!
しかしハルの血が特殊だと知った騎士はハルを連れ帰って?
いっそ美味しい血と癒しを与えるダンピール騎士団のセラピストを目指します!
元恋人が届けた、断りたい縁談
待鳥園子
恋愛
シュトルム辺境伯の末娘ソフィに隣国の帝国第二皇子から届けられた『縁談』の使者は、なんと元恋人のジョサイアだった。
手紙ひとつで別れることになったソフィは、素直になれずジョサイアから逃げ回る。
「私に届けなければ、彼は帝国に帰ることが出来ない」
そう思いようやく書状を受け取ろうと決意したソフィに、ジョサイアは何かを言い掛けて!?
異世界育ちの侯爵令嬢と呪いをかけられた完璧王子
冬野月子
恋愛
突然日本から異世界に召喚されたリリヤ。
けれど実は、リリヤはこの世界で生まれた侯爵令嬢で、呪いをかけられ異世界(日本)へ飛ばされていたのだ。
魔力量も多く家柄の良いリリヤは王太子ラウリの婚約者候補となる。
「完璧王子」と呼ばれていたが、リリヤと同じく呪いのせいで魔力と片目の視力を失っていたラウリ。
彼との出会いの印象はあまり良いものではなかった。
【本編完結】異世界再建に召喚されたはずなのになぜか溺愛ルートに入りそうです⁉︎【コミカライズ化決定】
sutera
恋愛
仕事に疲れたボロボロアラサーOLの悠里。
遠くへ行きたい…ふと、現実逃避を口にしてみたら
自分の世界を建て直す人間を探していたという女神に
スカウトされて異世界召喚に応じる。
その結果、なぜか10歳の少女姿にされた上に
第二王子や護衛騎士、魔導士団長など周囲の人達に
かまい倒されながら癒し子任務をする話。
時々ほんのり色っぽい要素が入るのを目指してます。
初投稿、ゆるふわファンタジー設定で気のむくまま更新。
2023年8月、本編完結しました!以降はゆるゆると番外編を更新していきますのでよろしくお願いします。
半世紀の契約
篠原皐月
恋愛
それぞれ個性的な妹達に振り回されつつ、五人姉妹の長女としての役割を自分なりに理解し、母親に代わって藤宮家を纏めている美子(よしこ)。一見、他人からは凡庸に見られがちな彼女は、自分の人生においての生きがいを、未だにはっきりと見い出せないまま日々を過ごしていたが、とある見合いの席で鼻持ちならない相手を袖にした結果、その男が彼女の家族とその後の人生に、大きく関わってくる事になる。
一見常識人でも、とてつもなく非凡な美子と、傲岸不遜で得体の知れない秀明の、二人の出会いから始まる物語です。
おばさんは、ひっそり暮らしたい
蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる