奇人街狂想曲

かなぶん

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第六節 夢と現実

第1話 穏やかな、不穏

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 嫌だと泣き叫ぶ声が聞こえる。
 心のままに嘆く、耳障りな幼い声が。
 あの時、語る声音に、いつもの厳しさはなかった。
 ただ淡々と、事実のみが告げられる。
 それゆえ伝わる真実に、幼い声は引き裂かれるような痛みを感じて喘ぐ。
 緩められたのは、老い深き手に、丸めた背を擦られた時。
 徐々に嗚咽が収まり、ついと上げた眼前には、申し訳なさそうに微笑む皺の顔。
 もしかしたら、本当に謝罪を口にしていたのかもしれない。
 判別できないのはきっと、いつもはとても厳しい人だったから。
 自分にも、他人にも。
 もちろん、血を分けた者にさえ。

「――――」

 重々しくも柔らかな音色。
 気品と厳格を兼ね備えた相貌が、強く在りなさいと繰り返し告げる。
 目に見えるものが全てではない。
 形あるものなぞ、終ぞ滅びるのだから。
 あなたは彼らのようになってはいけない。
 繰り返し、繰り返し。

 時は流れ、四季は巡り。
 天は様を変え、地は色褪せて。
 臨終のその時まで、彼女は未だ幼い姿へ言い聞かせる。

 自ら探せ。
 自ら作れ。
 自ら掴め。

 存在足らしめる処を。

 勝手に結び。
 勝手に連れ。
 勝手に捨て。

 存在を否定した者に依ることなく。あるいは彼らを利用して。

 骨の髄まで啜っておやり。
 赦しは私が。
 罪と言うなら私が罰を被ろう。

 それがアレの――親たる私の責。

 壮絶に嗤い、転じ、柔らかく撫でる。
 最期の刻、彼女はぽつり、願った。

 ごめんなさい。祈っている。あなたが居場所を見つけられるように。

 ずっと――……。


 薄く開いた視界の先で、芥屋の自室天井が歪んで見えた。
 これを受け、泉は最初、泣いているのだと思った。
 頭はぐわんぐわんと音を立てて痛むし、気持ち悪さが身体中を巡っている。
 ――何より夢見が悪かったから。
 しかし、ひんやりとした感触が額に落とされ、その大きさと心地良さに自然と涙が溜まったなら、泣いた歪みではないと気づく。
 では? と考える間もなく、目を瞑ればぼたっと流れる雫。
 瞼の温度で熱に浮かされている己を知る。
 その身が柔らかな布団に包まれていることも、同時に。
 あやすように返された手の甲が、額をそっと撫でて離れていく。
「ワー……ズ、さん?」
 惜しむように手の主を呼べば、ひょっこり現れる、
「お姉ちゃん……!」
 泣き腫らした子どもの顔。
 廊下と違って陽の入る部屋は、日中に明かりを必要としない。それが今、子どもの光にも似た髪を輝かせているということは、時刻が子どもの目の色と同じ夜であることを示していた。
(夜……? 私、いつから眠っていたんだろう? それに……)
 ぼたぼたと涙を流し続ける子ども。頬に貼られた白い絆創膏がふやけるのも厭わず、ただ一心に泉を見つめる姿に違和感を抱く。
 恥も外聞もなく、何故こんなにも泣いているのか――そう思い、直後に、その感覚こそ違うのだと気づく。
 大人びていたのだ、それまでの子どもの表情や仕草は。痛々しいまでに甘えの一切を取り除き、肩肘を張る――いつかの自分のように。
 同時に、自分は何故この子どもを知っているのか、と眉を寄せた。
 すると黒いマニュキアの手が子どもの頭を鷲掴み、泉の視界から追い出した。
「シイ、邪魔」
 名を聞き、それは意識を失う直前、助けたかった名だと思い出す。視界からは消えてしまったが、無事と思しき姿に猫が頼みを聞いてくれた、と徐々に取り戻される記憶。熱のある身では、再度視界に入れることもままならず、安堵の息だけをそっと吐いた。
 そんな泉を余所に、
「うおっ、何するのですかワーズの人」
 きゃいきゃい非難を口にするシイだが、一応人間であるはずの彼の手から逃れられなかったらしく、終いには「ふぎゃっ」と悲鳴を上げた。
 目の前で銃口を突きつける展開にならなかっただけマシだが、容赦ない。
 思わず眉根が寄ったなら、にゅっと白い指が泉の鼻へ向けられた。
「見ろ。お前があんまりうるさいもんだから、泉嬢の眉間に皺が寄っちゃっただろ? 泉嬢が心配してるだろうと思ったから、お前の入室を赦してやったってのに。人間以外、大っ嫌いなワーズ・メイク・ワーズがさ!」
「……ワーズさん」
「あ、ごめんね、泉嬢。うるさかったよね」
 名を呼べば現われる、へらりと笑う顔。大人げないですよ、と続くはずだった言葉は、思いのほか柔らかな眼差しを受けて、飲み込んでしまった。
 いや、柔らかいというよりも、もっと複雑で、切なくなるような――。
 その正体を求めて、億劫な左手を持ち上げ、突きつけられたままの指を除ける。
「ダメだよ、動いちゃ」
 しかし、あっさり取られては、探究心ごと布団に戻されてしまう。
 大人しく従うしかないぼんやり眼に映る、自らのこめかみに銃を突きつける姿。
 異常だが、最近では日常になってしまった光景。
「熱も下がってないし、まだ寝てて? 用があるならボクに言ってよ。気兼ねなく、ね?」
 気遣う口振りだが、どう聞いても気兼ねなく構えるのを喜んでいるとしか思えない。
 銃同様、いつも通りの言動に、いつも通りのへらへらした笑い顔。
 先ほどの眼差しは、熱が見せた幻だったのか。
 それならそれで構わない。
「じゃあ……お水が、飲みたいです」
 思考を放棄し、ワーズの言葉に甘えて願望を口にする。
「うん、分かった。――シイ、持って来い」
「ええっ!? 何故シイが? ワーズの人のお家なのですから、ワーズの人が持って来たら良いじゃないですか。お姉ちゃんはシイが看ていますから」
「黙れ」
 ぴしゃりと言った顔はへらへら泉の方を向いていて、それが不自然な具合で斜めに傾いている。銃口を向けているのだと察しては、また眉根を寄せて皺を作った。
「ワーズさん……」
 窘めるように呼んだなら、へらり顔は更にへらりへらりと揺れ笑う。
「ほらほら、泉嬢が催促してるんだから、応えるのが筋ってものだろう? 何せ、お前のせいで泉嬢は酷い怪我をしてしまったんだ。責任持てよ」
「むぅ。分かりました。お姉ちゃんのためなら一肌脱ぎます」
 言ってパタパタ駆ける軽い音と、静かに閉まる扉の音が聞こえてくる。
 シイが出ていったのを感じつつ、熱で重い瞼をこじ開けながらワーズを睨む。
「責任……て、シイちゃんのせいじゃ……ないです。私が勝手に」
「そだね」
 笑ったまま、肯定するワーズ。
 少しだけ見開いた瞳の揺らめきに、細まった混沌の瞳の奥が歪んで映る。
「今はね、全部ナシにして? 他のコト全部。もっと自分を労わってあげて?」
 軽く頭を叩かれても、撫でられたような感触しか残らない。
「そんな風に自分勝手にしたってさ、誰も君を蔑ろにしない。だって君はボクのモノなんだから。他はどうであっても、ボクは君を助けるよ?」
 相手がワーズじゃなければ勘違いしてしまいそうな発言だ。
 実際、それが分かっていても、泉の熱に別の要因をもたらしてきて危うい。
「…………はい」
 微かに頷いて熱い瞼を閉じる。
 程なく、空気が動くのを感じた。
 泉は眠りに溶けそうな闇を払い、薄く目を開けると、遠退くコートの端を掴んだ。
「ぅおっと?」
 大袈裟なくらいバランスを崩したワーズがこちらを向く。
 そこにあるのは変わらぬ赤い口の笑み。
「ワーズさん、ありがとうございました。それと、ゴメンナサイ」
 もしも、礼と謝罪の意を問われたのなら、泉は返事に窮していただろう。
 理由は幾らでも思いつくのに、真実、コレという理由が出てこないのだから。
 しかし。
「………………」
 ワーズは問うことなく、代わりに泉の眉間へ指を添えた。
 軽く上下に動かし、苦笑の体でふにゃりと笑う。
「泉嬢、お休み? 余計なことは考えないで。今は治すことだけに専念……してもダメだけど、力抜いて眠って?」
 余計とは何のことだろう?
 問いも考えもしたかったが、熱の巡りで脈打つ頭をくしゃりと撫でられて、促されるように眠りに落ちていく。
 完全に寝入る直前、甲高い声とけたけた嘲る声を聞き、急に煩わしくなった頭の異物を撥ね退けた。
「うるさぁいっ!! 眠いのぉ、黙れぇー……」
 それが最後の力であったのか、泉の意識はそこで途切れた。
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