奇人街狂想曲

かなぶん

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第二節 雨上がりの逃走劇

第20話 全ては猫がために

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 最悪の目覚め。
 何が最悪かといえば、手にした温もりがいないことよりも、身代わりらしいクッションの、人型であれば頭部を喰い千切る無残な姿がそこにある。
 身代わりだったからこうなったのか、初めてに近しいほどぐっすり眠れたゆえの寝相の悪さが為せる業か。
 図りかねて、それでも失われた事実に違いはなく、
「ちっ」
 拳をクッションの山へ押し付けたなら、衝撃を吸収できるはずのそれらは、一様に綿を飛び出させた。
 それだけでは飽き足らず、進行を妨げる球体を蹴りつける。
 壁に激突した球は、形を失くして染みを一つ作った。
 そうして憤りながらも思うのは、失われた温もりが向かう先。
(無事につけばいいが……)
 らしくないことを思い、鮮やかな緑が少しばかり見開かれた。
 誘おうが跳ね除けられた身。
 逃げを予想してはいたものの、あくまで、予想。
 本当に逃げられるとは思ってもみなかった。
 己が無防備に熟睡してしまったことも同様に。
 彼の娘に靴を履かせたのも、そんな外れるはずの予想がため。
「履かせない方が良かったか……?」
 そんな風に苦渋を示し、仰いだ天窓の光へ乳白の爪を翳す。
 他に勝る硬性と鋭利さを感じさせない透き通るソレは、傾いた月と共にじわじわと闇に呑まれてゆく。
 逆算して計る、寝入ってしまった時間。
 人間の娘の足であっても逃げるには充分と知る。
「…………今時分じゃ、人間でもあの爺ンとこまでは行ってるよな」
 靴がなければ、ねぐらからまだ出られなかっただろうに。
 浅はかだったと思いかけ、それこそが浅はかと自嘲する。
 モノにする気はあったが、別段、傷をつけるつもりは最初からなかったのだ。
 娘には協力を――否、懐柔を求めていた。
 自信は、残念ながら、かなりあった。
 今まで大抵の女は靡いてきたし、靡かなかった女は、最初から異なる性癖を持つ者ばかり。
 中でもいい例が、神代史歩。
 人間の小娘でありながら、このシウォン・フーリと互角以上に渡り合える、抜き身そのものの存在。
 何の因果か猫にぞっこんという、人狼から見ても不気味な想いを抱く史歩は、芥屋の従業員という理由だけで誘うシウォンを鼻で笑って睨みつける。
 シウォンの方も、あれを女と見るよりは一介の剣客と認め、殺りあった方が愉しめそうだと結論付けた。
 交えた殺気はシウォンの身を幾度も震わせ、決して女を見出させない。
 しかして、眠るまで腕に抱いた娘は、容姿は具合の良い齢より多少届かずとも、確かによく知る女の反応を示していた。
 シウォンの種に並々ならぬ恐怖を感じている様子であったが、赤らむ顔、潤む瞳、逸る鼓動は心地良く、思い出せばシウォンの喉を勝手に鳴らす。
 摺り寄せた頭をこわごわ抱き締める拙さや、言葉の全てに一々反応する素直さ。
 包み込む甘美な芳香は、今まで嗅いできたどの香よりも酔わせ、昂ぶりを感じさせる一方、蕩けるような安堵を与えてくる。
 欲しい――と、シウォンをして思わせるほどに。
 理由など、決まっている。

 それらは全て、猫という存在がゆえ。

 人狼の中でも最大の群れを率いる狼首シウォンでさえ恐れるべき猫を、彼の娘が操れる話があるからだ。
 でなければ、たかだか屠るだけの人間、しかも小娘一匹に、何故、数多の女を溺れさせてきた己が執着せねばならない……。
「全ては、猫を自在に操らんがため……」
 しかし、状況は確実に失敗を告げていた。
 だからこそ、シウォンは苛立ちに任せて扉を破壊し、外へ出た。
 弄る涼やかな夜風に巡る熱を鎮めるべく目を閉じる。
 急に研ぎ澄まされる感覚が、立入を禁止した内側に二つの気配を捉えた。
 しかも記憶した憶えのあるこの気配は、狼首たる己の命に従うべき群れのもの。
「…………どこのどいつだ?」
 自分でも驚くほど、機嫌の悪い声が絞り出された。
 計画の破綻による苛立ちが、命令を破った気配へ向けられる。
 と、同時に、熟達でなければ察せないスピードで、音も立てずに移動。
 前方に、こちらへ背を向けた女と思しき二つの並ぶ影を認めては、そのスピードのまま、両方の肩を抱く。
「あぐっ……」
「がっ!?」
 各々、思い思いに呻きを上げ、うなだれようとする首を持ち上げて、睨みつける眼光を左右で受け止めた。それが徐々に驚き、恐れへと変貌し、揺れるのを嗤ってから、更に首を上げ――解放する。
「かはっ……くっ、か…………」
「ひっぃ……ぐぅ……」
 面白いほど別々の声を上げて個を主張しながら、狭まれた気道を確保しようと、同じようにへたり込んで咳き込む女たち。
 無様なその姿に溜飲を下げつつ、しゃがみがてら俯く両方の頭を上向かせる。
「よぉ? てめぇら。誰の赦しを得てここにいる? 伝わってなかったのか、今晩、ここは使えねぇと?」
 優しくいたぶるネコ撫で声で覗けば、獣面の女たちに同族にしか分からない赤らみが宿る。痛めつけられて何が嬉しいのかさっぱり理解できないシウォンは、内心で舌打ちし、女たちの頭を投げ捨て立ち上がった。
 すると向けられる、潤んだエメラルドと薄茶の瞳。
「も、申し訳ありません、フーリ様」
「す、すみません、フーリ様」
 地べたに獣の毛に覆われようとも豊かな肢体を伏せ、うなだれる女たち。
 しおらしさは求めていないが、同族。
 不遜な陰に嗜虐的な好色が滲んできた。
 他種族であれば、ふとした拍子に腹を裂き腑を喰らいかねない情動だが、皮膚からして爪や歯に耐えうる同族ならば、発散しても問題あるまい。
「ほう……? 素直じゃねぇか。だが悪ぃと思ってるなら、罰を与えねばなるまい?」
 その言葉に、女たちが弾かれたように顔を上げた。
 恍惚に歪んだ顔つきを見て、シウォンはおや? と片眉を上げる。
 罰と言ったなら、大抵の奴は意味をそのまま捉えて青ざめるのだが、女たちの様子はシウォンが与えるといったその内容を理解しているらしい。
 男なら、言葉通り。
 女なら、モノによっては言葉通り、もしくは真逆の効果を受ける、罰。
(前科者か……なら、加減は必要ねぇな)
 もとより手加減なぞするつもりはない。
「くっ……」
 一つそう嗤えば、打ちひしがれていた姿はどこへやら、女たちは艶かしくシウォンの身に添うた。
 しなだれかかる重みが鬱陶しいと肩を抱いて剥がせば、片方の女の顔に、異様な紋が刻まれているのに気づく。
「……やっぱ止めだ。お前は咎めん」
「へ?――――っ!」
 惚ける身を引き、解放した手で女の頬を張った。
 無造作に払った力は女を跪かせ、乱れた赤毛の髪から傷ついた相貌が覗く。
「どうして……」
「どう、だぁ?……お前、俺に奴の足がついた顔で触れる気か? 大方、本能に突き動かされて、ランを誘ったんだろうが……薄汚れた面で近づくんじゃねぇよ」
「そ、そんなっ」
「ふふ……顔、洗った方がいいわよ?」
 忌々しい人狼の若造を浮べて睨めば、優越感に浸った女がシウォンの身にへばりついた。罰を与えるというのに悦ぶ姿を認め、シウォンにふつりと皮肉な笑みが沸き起こる。
 余裕ぶっていられるのも今の内。
 ヘタすりゃ狂い死ぬかもしれないというのに。
 それほどまでにシウォンの気が立っているとは知らず、豊満な肉体を主張する甘えが嗤えた。
「――――っによ……何よ!」
「んん?」
 そうして女を残し、もう一方を連れ帰る気でいたなら、足跡女が殺意を漲らせる。
 シウォンではなく、しなだれかかる女へと。
「あああんたっ! あんただってそんな資格ないでしょ!? あんな男使ってさ!」
「っ! や、やめて」
 唾と共に吐き出される言葉へ、過敏な反応を示す女。
 青ざめてもなお図々しく、シウォンの肩を宥めるように手が這い、当のシウォンは傍観者気取りでこのやり取りを眺める。
「アイツ! 殺そうとしたくせに!」
「あんたも乗ったんだから同罪じゃないか……ね、ねえ、もうやめようよ」
「んん? 何の話だ? 俺にも聞かせろ。アイツって、誰だ?」
 気弱な声に煽られて首をつっ込めば、激昂していた女の顔から色が消えた。
 あからさまにほっとした女は、シウォンから離れて足跡女へ掛けようとし、
「おっと、逃げるんじゃねぇ。お前は俺と一緒に来るんだろう?」
「ぁんっ」
 その腕を引っ張り込んで抱き、さも女にしか気がないように見せつける。
 女も気丈に払えば良いものを、悪ノリが過ぎて艶かしい声を上げ、気づいた時にはもう遅い。
「アイツ……従業員、いたぶり殺せって言った――っ!」
「ば、バカ――!?」
 続く声音は息を詰めて失くし、代わりに地と壁に叩きつけられた埃が舞う。
 投げ捨てた女たちをつまらないと鼻白むこともせず、シウォンは無表情のまま芥屋の方角を射抜く。神出鬼没な猫すら察知できる感覚を伸ばしても、彼の娘の気配は察せる距離になく――。
「どういうことか……説明して貰おう」
 一層低い威圧を受け、瓦礫の中で女たちは萎縮する。
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