動物愛誤【ショートショート】

真名川正志

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動物愛誤【ショートショート】

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 私の趣味は旅行である。ただし、ツアー旅行に組み込まれるような有名観光地ではなく、ごく普通の田舎町を目的もなく散歩するのが好きなのだ。

 これは私が山の麓にある小さな町を訪れたときの話である。
 十数人も泊まればいっぱいになってしまうような小さな旅館に泊まり、朝を迎えると、旅館の中が騒がしかった。

「おはようございます。何か騒がしいようですが、どうしたんですか」

 私は旅館の女将に声をかけた。

「あ、お客様。おはようございます。実は、この近くの老人ホームに熊が出てしまったのです。老人ホームの中で熊が暴れたせいで、老人と従業員が数人ひどい怪我を負ったそうです」
「こんな時期に、ですか」

 今の季節は冬だった。本来ならば冬眠している時期ではないだろうか。

「ええ。秋に日照りが続いたせいで冬眠するのに充分な食糧が手に入らなかったのでしょう。今年は1週間ほど前から全国で熊が人里に下りてくるという事件が多発しているのです」
「そうだったのですか。実は最近まで海外に出張に行っていたので知りませんでした」

 出張から帰り、ようやくとることができた休暇だというのに、ツイていない。

「申し訳ありませんが、熊が捕まるまで建物の外に出ないでもらえますか。それと、申し訳ありませんが露天風呂にも行かないでください」
「はい。分かりました」

 私がそう言うと、女将は何度も申し訳ありませんと繰り返しながら忙しそうに去っていった。それから私はすることもなかったので、旅館の主人や女将や従業員たちが板で窓を塞いでいるのを見ていた。

「ここまでしないといけないのですか」
「ええ。降りてきているのが一頭だけとは借り着ませんからね。少なくとも、いま老人ホームを占拠している熊が捕らえられるまでは窓を塞いでおかないと……」

 それから、昼が過ぎ、夜になっても、熊は捕まらなかった。

「随分と時間がかかってますね」

 せっかく旅行に来たのに外へ出ることができず、私は堪りかねて、夕食を持ってきた女将にそう話しかけた。

「はい、そうですね。申し訳ありません」
「どれくらいで捕まると思いますか」
「さあ。今年からあの法律が施行されましたから、何とも言えませんね」
「法律?」
「おや、ご存知ありませんか」
「海外に出張に行くことが多かったせいで、国内のニュースには疎くて」
「今まで、今回のように人に危害を加えた熊は、よほどのことがない限り射殺していたのはご存知ですよね?」
「はい、それは知っています。特に、人里に下りてくる熊は餓えており、とても危険ですし、生かしておいたらまた別の誰かが襲われるかもしれませんからね」
「ところが、そうしたニュースが流れるたびに全国から苦情が来るのです」
「苦情? どうして苦情がくるのですか?」
「可愛い熊を殺すなんて残酷だ、と」
「はあ?」

 意味が分からない。熊は獰猛で危険な生き物である。多くの場合、体長は人間を遥かに上回り、襲われればひとたまりもない。

「都会にいる人達はね、熊は無害な動物だと信じているんですよ。動物園やサーカスの飼い慣らされた熊しか知りませんからね。あるいは、絵本や漫画やアニメに登場するような、ぬいぐるみのような熊しか知らないのでしょう。とにかく、熊というのは可愛い生き物だと思っており、全国から苦情が寄せられるのです。その中には、地元の人達を守ってくれた猟友会のメンバーを口汚く罵る人達もいます」
「その人達は、熊が出没した場所とは全然違う場所に住んでいる人達なのでしょう? 自分達とは関係ないことなのに、どうしてそんなことをするんでしょうか」
「さあ。きっと、自分には関係がないからじゃないですか。テレビの中でどれだけ熊が暴れていようと、遠い場所でどれだけの人が熊に襲われて亡くなったり障害を負うことになったりしようと、彼らは困りません。安全圏にいる人達だけが、可愛い熊を殺すのは可哀相だと私達を責めるのです。去年も、この町では熊に襲われて亡くなった人がいるというのに。私も子どもの頃に熊に襲われて、背中に大きな傷跡が残ってしまいました」
「酷い話ですね……」
「はい、酷い話です。ところが、そういった苦情を寄せる人達の活動により、とうとう今年から特別動物愛護法というのが施行されることになってしまったのです」
「何ですか。その特別動物愛護法というのは」
「従来の動物愛護法とは違い、熊だけに絞った動物愛護法なのです。それによると、熊を傷つけたり殺したりした場合、警察に捕まり、最高で懲役3年の刑が言い渡されます。ちなみに、麻酔銃で撃つのもこの法律に引っかかります」
「なんということだ。しばらく海外に行っている間にそんなことになっていたなんて」
「法律を作る政治家達も、結局はみんな都会に住んでいますからね。自然破壊の限りを尽くし、熊も住めないような場所にしてしまった都会に。どれだけ私達が困ろうと彼らには関係がないんですよ」
「それじゃあ、今回みたいに熊が人里に熊が下りてきた場合、どうやって対処するんですか」
「罠を張って生け捕りにするしかありません」
「なるほど。それで時間がかかってるんですね」
「はい。本当に申し訳ありません。せめて、ごゆっくりと夕食をお楽しみください」

 女将は深々と頭を下げた。

 ――結局、熊が捕らえられたのはその翌日の夜だった。

 旅館の宴会場を貸し切って、そのお祝いをするらしく、従業員たちは忙しそうに動き回っていた。2日間も旅館に閉じ込められていた私も、その宴会に呼んでもらえた。

「いやあ、どうもお疲れ様でした。無事に熊が捕まってよかったですね」

 隣に座る赤ら顔の男のコップに、私はビールを注いだ。この男は消防署の署員であり、今回1番苦労をしたらしい。

「いえいえ。あなたにもご迷惑をおかけしてしまったようで」
「まあ、趣味の散歩ができなかったのは残念でしたね。せっかく自然が溢れる場所に旅行に来たというのに」
「散歩ができなかった、と過去形にしているということは、もう帰られるのですか?」
「はい。明日から仕事なので。朝一番の電車で帰ります」
「ほほう。ちなみに、どちらからいらしたんですか?」

 私が住所を告げると、男は黙り込んだ。気が付くと、近くに座っていた人たちも真剣な表情で私の方を見ていた。

「あの……」

 何かいけないことを言ってしまったのかと不安になった。

「町長。今のお話を聞いていましたか?」

 隣の男が、少し奥の方の席に座る老人に話しかけた。

「ああ」
「どうなさいますか」
「今回は別の場所にしよう。候補となる場所はいくらでもあるのだからな」
「分かりました。部下にもそう伝えておきます」

 男が頷くと、ほっとしたような空気が宴会場を流れた。

「今の話はどういう意味ですか?」

 会話の意味が分からない私はそう尋ねた。

「……特別動物愛護法の話は聞きましたか」
「はい。聞きました」
「あの法律では、熊を捕らえることは禁止されていません。そして、殺してはいけないとされているだけで、熊を逃がしてはいけないとも書かれていません」
「はい。それで?」
「我々は、明日の未明に、あなたの住んでいる町に熊を離す予定だったのです」
「えええっ。どうしてそんなことを」

 私は驚いて尋ねた。
 すると、男はにこにこと笑いながら答えてくれた。

「あなたの住む町は、特別動物愛護法に賛成した議員や、この町の役場に苦情の電話やメールや手紙を送った人達が多く住んでいるからです。彼らがどんな対応をするのか楽しみだったのですが、今回は別の議員やクレーマーがいる町に熊を放すことにしたので、ご安心ください」
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みんなの感想(1件)

秋田 記
2021.06.13 秋田 記

皮肉が効いている。
星新一の「おーいでてこーい」を想起させられるのが難点か。

文弱

解除

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