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本編
闇に見初められた者
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翌日の夜六時半、東京湾岸エリアの廃工場群には冷えた風が吹いていた。その一角にある企業研究施設のゲートを入った建物入口前に黒塗りの車が停まる。後部座席から現れたのは私服姿の悟だった。
「ここで結構だ」
運転手に短く告げると、悟は無言で歩き出し巨大な金属製の正面扉に向かう。土曜の街が段々夜の気配に包まれていく中、自宅近くの大通りに迎えに現れたこの車に乗り込んだ瞬間から、悟は覚悟を決めて悪の組織幹部としてのペルソナを被っていた。遠くのライトアップされ始めた橋やビル群を背景に、東京湾から吹く生々しい夜風が施設正面玄関前のピロティを支える太い列柱を吹き抜け、幽霊のような呻きを上げている。
このエリア一帯は、建前上は巨大テクノロジー企業アビスエンタープライズの私有地だ。ダーク・タワーと関連が深い企業なのだろう。一見、企業の先端研究施設として鎮座するこの建物は、その実態はダーク・タワーの拠点となっており、地上の巨大建築に加え、広大な地下要塞が広がっている。
近代的で寡黙なデザインの建築物は夜空を背景に銀色に輝いていた。しかし、よく見れば単なる研究施設にそぐわない異質さが潜んでいる。監視カメラが各所に設置され、外壁は対物理衝撃用の堅牢な防御壁の重層構造となっている。敷地の外門扉にこそアビスエンタープライズのロゴが誇示されているが、正面玄関の扉にはダーク・タワーの旋回する蛇の紋章が確かにあしらわれている。
すでに薄ら漂うこの場所の禍々しい磁力に共鳴するように、腕につけたシャドウギアが青い微光を放ち始める。幹部制服への換装プログラムが起動し、悟に正装への“着替え”を促す。床面に刻まれた微細な量子回路が活性化し、データストリームのような光の筋が放射状に広がる。悟の足元から立ち上がる粒子の渦は、今や精密機器のような規則性と生命力を兼ね備えていた。
──「変身」──
催促に応じるようにシャドウギアに向かって放った一言が空間を歪ませる。指紋認証を完了させた刹那、無数の光子が舞い上がり、彼の体を幾何学模様のように包み込んでいく。悟の変身プロセスはいつも残酷なまでに客観的だ。床面から噴き上がる青白い粒子が細胞レベルで肉体を侵食していく。私服が分子分解される痛みに似た感覚の後、爪先から順に漆黒の素材が生成されていく過程は、まるで皮膚をのたうち回る寄生虫が宿主を変容させていくようだ。
「……ぅうッ……」
思わず漏れた呻きが冷たいコンクリートに吸い込まれる。段々と強くなる、腰周りに巻きついた革のベルトラインが皮膚に食い込む感覚。腹部を締め上げるコルセット部分が呼吸を規制する。それはまるで拘束具を着せられた奴隷のような感覚だ。嫌悪感と背徳感がないまぜになった奇妙な感覚が胸を満たしてゆく。だが今は抵抗できない。この制服こそがここからの場所での自分の立場を規定するものだから。
「はぁっ、はぁ……」
変身を終えた後、漆黒のマントと軍服調の幹部制服を身に纏った悟の姿が月光に照らされて鈍く煌めいていた。黒曜石のような光沢を湛えた漆黒の生地は超軽量でありながら強靭な高級繊維で織られ、肩から胸部にかけては立体的なカットラインが胸筋の陰影を際立たせている。詰襟の首元にはダーク・タワーのシルバーの紋章が埋め込まれており、微弱なバイタルデータを読み取るセンサーとなっている。そして、右肩から斜めに伸びるエンブレム刺繍が冷たく輝く──鋭利な爪が交叉する黒豹の紋様。変身が完了した悟は、もはや無名の男子大学生ではなかった。ダーク・タワー幹部ブラックパンサー──それが今の自分だ。
『ほんと、変身後の姿って慣れないよな……』
心中で悪態を吐きつつも表情は変えられない。幹部としての威厳を崩すわけにはいかないからだ。ダークグレーの戦闘服に身を包み、顔面認識を阻害するバイザーで覆われた警備員達の敬礼を受けながら内部へ進む。靴底が特殊樹脂の床材を叩く音が無機質に反響する。普段なら気にも留めない足音が大きく感じられた。これが自分の立場なのだ。悪の組織幹部としての精一杯のプライドがこの反響の中に溶けている。
エントランスホールはまるで宇宙船の内部を思わせた。高さ二十メートルはある吹き抜け空間に垂直に走る幾何学的シャフトがあり、そこから青白い光が幾筋も降り注いでいる。それらの光が床面の格子状モザイクタイルに反射して幻想的な光の海を作り出していた。そして中央には、ダークタワーの技術力を見せつけるような直径十メートルの球体構造物──情報分析ターミナルだ。その表面には常に戦況データやターゲットリストがホログラム表示されている。しかし、今はそのどれもがただの背景に過ぎなかった。前方から聞こえてきた話し声に反射的に視線を上げると、幹部制服に身を包んだ男女二人が立ち話をしていた。
レイヴン──男性幹部でコードネーム通りの黒いカラスを思わせる長身痩躯。そして、シャノアール──紫紺の髪をポニーテールにまとめた女性幹部で幹部内では紅一点として知られている。
「ブラックパンサーじゃないか、横浜の作戦会議以来だね」
レイヴンが親しげに手を挙げる。彼は以前から悟に対し何かと絡んでくるタイプで、今日も例によって挑発的な笑みを浮かべている。いつも飄々とした態度だが、その瞳には常に計算高く冷たい光が宿っていた。
「任務帰り?なんだか浮かない顔してるけど」
彼の視線は悟の顔や身体を舐め回すように這った。その不躾な視線に悟は思わず身を固くする。制服の皮革が肌に食い込む感覚がより強く意識される。
「いや……総統の執務室で約束があって」
何とか平静を装って答えるが、シャノアールが微かに眉をひそめる。
「総統と?」
シャノアールの紫色の髪をまとめたポニーテールが微かに揺れる。組織随一の情報分析担当でありながら、戦場では狂気に近い戦闘スキルを発揮する彼女の洞察力は鋭い。
「あの"仮面の王"がわざわざ幹部の1人を自室に呼び出すなんて珍しいね」
彼女の指摘通りだった。通常であれば幹部会議室か作戦指令室での面談が一般的で、総統個人の執務室への呼び出しは極めて異例だ。シャノアールの紫色の瞳がじっと悟を見つめる。その視線は、医師が患者を診るときのように、こちらの瞳の奥にあるものを探り出そうとしていた。
「はは、なにかやらかしたのかい?」レイヴンが笑いながら続けた。彼の黒い革手袋が無意味にポケットを叩いている。「幹部昇格して一ヶ月で既に呼び出しとは……君もなかなか大物だね」
喉が詰まったような苦しさ。レイヴンの言葉は冗談めかしているが、核心を突いていた。これまでの任務遂行に不手際があったのか。それとも、何か別の──。
「いや、俺は……」
言葉が喉でつかえる。この建物のゲートを潜った瞬間から徐々に高まるシェイドの圧に、動悸が激しくなり始めていた。
「冗談だよ」レイヴンは悟の反応を面白がるように片方の口角を上げた。「少しからかっただけさ、気に病むことないよ。君は総統のお気に入みたいだからね」
「そろそろ作戦の時間だよ」
彼の挑発的な態度に慣れているのだろう、呆れ顔のシャノアールが淡々と言いながら左腕のシャドウギアを操作する。青白いディスプレイが彼女の頬に映り込む。
「レイヴン、あんたも準備して」
彼女の冷静な指示に、レイヴンは大仰に肩をすくめた。
「了解」
短く応じると踵を返し、去り際に振り返ったその視線が悟の顔を捉える。
「今度飲もうぜ、黒豹君」
返事の代わりに頭を軽く頷く悟。レイヴンは満足そうに微笑むと、左手を軽く上げ、漆黒のマントを翻してシャノアールと共に正面玄関の外へと向かっていった。
「お待ちしておりました、ブラックパンサー様」
立ち去る2人を視線の端で見届けた悟に、頃合いを見計らったように、エントランスホールの隅に控えていた案内役の女性が近寄りお辞儀をする。首から下げた認識票は諜報部門所属を示している。
「総統閣下は地下ゼロ層の執務室でお待ちです」
エレベーターに乗り込むと内部は窓一つない閉塞空間。下降するにつれ気圧の変化が耳を圧迫する。女性は終始無言で悟の三歩後ろを保った。彼女もまた幹部の随伴員としての厳格さを漂わせている。ただ――鏡面の壁越しに見えたブラックパンサーに向ける目線には、微かな探求心の色が見え隠れする。この若すぎる幹部がどんな資質を持っているのか――品定めするような視線だ。
階層を知らせるデジタル表示が赤から黒に変わり、「0」が点灯した。エレベーターの扉が静かに開く瞬間、空気が明らかに変質した。
「……っ」
喉の奥がヒリつく感覚。足元から這い上がる寒気が背骨を撫で上げる。
『ここは……他のエリアと違う』
生物としての根源的な警戒心が脊髄反射のように働く。鼓動が耳元で暴れ始め、額には薄っすらと汗が滲んだ。
ダーク・タワー総統執務室──悪の組織の中枢にして最高権力者の玉座の間だ。
紅蓮色のカーペットが続く長廊下は無音だった。壁は磨き上げられた漆黒の大理石で覆われている。重厚感ある円柱の表面には微細な彫刻が施されており、悟の読めない古代文字が蠢く蛇のように這っている。高い天井からは無数のホログラム光源が虹彩のような光を投げかけ、空気中を微細な粉塵が踊っていた。どこか非現実的な美しさ。だが悟にはそれが危険な罠のようでもあった。
『すでに監視されてる……』
そう感じたのは直感だった。ホログラム光が不自然な角度で悟の輪郭を浮かび上がらせる。光粒は空中で踊り狂いながら、彼の身体を詳細に解析するかのように焦点を変えている。
案内役の女性は無言で前方を歩く。悟は彼女の後ろを歩きながら、汗が背中を伝うのを感じた。ベルトの締め付けが一層強く感じられる。
『早く済ませたい……』
そう願いながらも、足取りは自然と重たく、緩慢になる。革のブーツが赤絨毯を踏むたびに小さな凹みを残し、それが更に時間の流れを遅延させているかのようだった。
長い廊下の先に巨大な黒檀の扉が聳え立っていた。その両脇には無表情な衛兵二名が直立不動の姿勢を保つ。彼らの戦闘服は重厚な漆黒で、胸元に刻まれたダーク・タワーの紋章が鈍く光る。
「……ここまでで問題ない」
悟はようやく声を絞り出した。女性は一礼し、「お気をつけて」と小さく呟いてエレベーター方向へ踵を返す。
一人取り残された悟は深呼吸を試みる。一瞬の空白ののち、悟は覚悟を決めた。
右手を上げ、黒檀の扉を三度ノックする。掌が木目を打つ乾いた音が沈黙に吸い込まれていく。
「ブラックパンサー、参りました」
まもなく 室内から総統の返事が返ってきた。
「入室を許可する」
シェイドの声は空間全体に染み渡った。室内から発せられた生身の響きだった。 悟は喉が渇くのを感じる。衛兵の一人が巨大な黒檀の扉に手をかけ、ゆっくりと押した。
黒檀の木材が軋む低い唸りとともに視界が開けた途端、室内の濃密な空気が流れ出した。
アンバーとウッディが絡み合う、エキゾチックで深い複雑な香り。それは支配者のオーラそのものだった。ミステリアスで洗練された、それでいて逃げ場のない檻のような香り。
総統室の内部は想像以上に広大で天井が高い。広い空間には豪華な調度品が配置されていた。壁を覆う書架には分厚いファイルが整然と並び、中央のデスクには浮遊型ARスクリーンが複雑なデータを投影している。しかしそのどれよりも場を支配するのは、玉座のような総統席に深く腰掛けたその男の放つ存在感だった。
「ようこそ。ブラックパンサー」
低く艶のある声。ダークシルバーの仮面から覗くのは見る者を凍らせるような冷徹な双眸。スーツの仕立ては完璧で、漆黒の生地が照明を吸収している。彼こそがシェイド──ダーク・タワーの支配者だ。
「お時間を頂き感謝します、総統」
悟は緊張しながら一歩前に進み出る。喉がカラカラに乾いている。挨拶の声がかすれた。
「随分と緊張しているな」
総統の右手が動き、長い指が優雅に空を切った。その仕草だけで室内の空気が凍結する。手招きだと悟るまで一秒かかった。
「ここで結構だ」
運転手に短く告げると、悟は無言で歩き出し巨大な金属製の正面扉に向かう。土曜の街が段々夜の気配に包まれていく中、自宅近くの大通りに迎えに現れたこの車に乗り込んだ瞬間から、悟は覚悟を決めて悪の組織幹部としてのペルソナを被っていた。遠くのライトアップされ始めた橋やビル群を背景に、東京湾から吹く生々しい夜風が施設正面玄関前のピロティを支える太い列柱を吹き抜け、幽霊のような呻きを上げている。
このエリア一帯は、建前上は巨大テクノロジー企業アビスエンタープライズの私有地だ。ダーク・タワーと関連が深い企業なのだろう。一見、企業の先端研究施設として鎮座するこの建物は、その実態はダーク・タワーの拠点となっており、地上の巨大建築に加え、広大な地下要塞が広がっている。
近代的で寡黙なデザインの建築物は夜空を背景に銀色に輝いていた。しかし、よく見れば単なる研究施設にそぐわない異質さが潜んでいる。監視カメラが各所に設置され、外壁は対物理衝撃用の堅牢な防御壁の重層構造となっている。敷地の外門扉にこそアビスエンタープライズのロゴが誇示されているが、正面玄関の扉にはダーク・タワーの旋回する蛇の紋章が確かにあしらわれている。
すでに薄ら漂うこの場所の禍々しい磁力に共鳴するように、腕につけたシャドウギアが青い微光を放ち始める。幹部制服への換装プログラムが起動し、悟に正装への“着替え”を促す。床面に刻まれた微細な量子回路が活性化し、データストリームのような光の筋が放射状に広がる。悟の足元から立ち上がる粒子の渦は、今や精密機器のような規則性と生命力を兼ね備えていた。
──「変身」──
催促に応じるようにシャドウギアに向かって放った一言が空間を歪ませる。指紋認証を完了させた刹那、無数の光子が舞い上がり、彼の体を幾何学模様のように包み込んでいく。悟の変身プロセスはいつも残酷なまでに客観的だ。床面から噴き上がる青白い粒子が細胞レベルで肉体を侵食していく。私服が分子分解される痛みに似た感覚の後、爪先から順に漆黒の素材が生成されていく過程は、まるで皮膚をのたうち回る寄生虫が宿主を変容させていくようだ。
「……ぅうッ……」
思わず漏れた呻きが冷たいコンクリートに吸い込まれる。段々と強くなる、腰周りに巻きついた革のベルトラインが皮膚に食い込む感覚。腹部を締め上げるコルセット部分が呼吸を規制する。それはまるで拘束具を着せられた奴隷のような感覚だ。嫌悪感と背徳感がないまぜになった奇妙な感覚が胸を満たしてゆく。だが今は抵抗できない。この制服こそがここからの場所での自分の立場を規定するものだから。
「はぁっ、はぁ……」
変身を終えた後、漆黒のマントと軍服調の幹部制服を身に纏った悟の姿が月光に照らされて鈍く煌めいていた。黒曜石のような光沢を湛えた漆黒の生地は超軽量でありながら強靭な高級繊維で織られ、肩から胸部にかけては立体的なカットラインが胸筋の陰影を際立たせている。詰襟の首元にはダーク・タワーのシルバーの紋章が埋め込まれており、微弱なバイタルデータを読み取るセンサーとなっている。そして、右肩から斜めに伸びるエンブレム刺繍が冷たく輝く──鋭利な爪が交叉する黒豹の紋様。変身が完了した悟は、もはや無名の男子大学生ではなかった。ダーク・タワー幹部ブラックパンサー──それが今の自分だ。
『ほんと、変身後の姿って慣れないよな……』
心中で悪態を吐きつつも表情は変えられない。幹部としての威厳を崩すわけにはいかないからだ。ダークグレーの戦闘服に身を包み、顔面認識を阻害するバイザーで覆われた警備員達の敬礼を受けながら内部へ進む。靴底が特殊樹脂の床材を叩く音が無機質に反響する。普段なら気にも留めない足音が大きく感じられた。これが自分の立場なのだ。悪の組織幹部としての精一杯のプライドがこの反響の中に溶けている。
エントランスホールはまるで宇宙船の内部を思わせた。高さ二十メートルはある吹き抜け空間に垂直に走る幾何学的シャフトがあり、そこから青白い光が幾筋も降り注いでいる。それらの光が床面の格子状モザイクタイルに反射して幻想的な光の海を作り出していた。そして中央には、ダークタワーの技術力を見せつけるような直径十メートルの球体構造物──情報分析ターミナルだ。その表面には常に戦況データやターゲットリストがホログラム表示されている。しかし、今はそのどれもがただの背景に過ぎなかった。前方から聞こえてきた話し声に反射的に視線を上げると、幹部制服に身を包んだ男女二人が立ち話をしていた。
レイヴン──男性幹部でコードネーム通りの黒いカラスを思わせる長身痩躯。そして、シャノアール──紫紺の髪をポニーテールにまとめた女性幹部で幹部内では紅一点として知られている。
「ブラックパンサーじゃないか、横浜の作戦会議以来だね」
レイヴンが親しげに手を挙げる。彼は以前から悟に対し何かと絡んでくるタイプで、今日も例によって挑発的な笑みを浮かべている。いつも飄々とした態度だが、その瞳には常に計算高く冷たい光が宿っていた。
「任務帰り?なんだか浮かない顔してるけど」
彼の視線は悟の顔や身体を舐め回すように這った。その不躾な視線に悟は思わず身を固くする。制服の皮革が肌に食い込む感覚がより強く意識される。
「いや……総統の執務室で約束があって」
何とか平静を装って答えるが、シャノアールが微かに眉をひそめる。
「総統と?」
シャノアールの紫色の髪をまとめたポニーテールが微かに揺れる。組織随一の情報分析担当でありながら、戦場では狂気に近い戦闘スキルを発揮する彼女の洞察力は鋭い。
「あの"仮面の王"がわざわざ幹部の1人を自室に呼び出すなんて珍しいね」
彼女の指摘通りだった。通常であれば幹部会議室か作戦指令室での面談が一般的で、総統個人の執務室への呼び出しは極めて異例だ。シャノアールの紫色の瞳がじっと悟を見つめる。その視線は、医師が患者を診るときのように、こちらの瞳の奥にあるものを探り出そうとしていた。
「はは、なにかやらかしたのかい?」レイヴンが笑いながら続けた。彼の黒い革手袋が無意味にポケットを叩いている。「幹部昇格して一ヶ月で既に呼び出しとは……君もなかなか大物だね」
喉が詰まったような苦しさ。レイヴンの言葉は冗談めかしているが、核心を突いていた。これまでの任務遂行に不手際があったのか。それとも、何か別の──。
「いや、俺は……」
言葉が喉でつかえる。この建物のゲートを潜った瞬間から徐々に高まるシェイドの圧に、動悸が激しくなり始めていた。
「冗談だよ」レイヴンは悟の反応を面白がるように片方の口角を上げた。「少しからかっただけさ、気に病むことないよ。君は総統のお気に入みたいだからね」
「そろそろ作戦の時間だよ」
彼の挑発的な態度に慣れているのだろう、呆れ顔のシャノアールが淡々と言いながら左腕のシャドウギアを操作する。青白いディスプレイが彼女の頬に映り込む。
「レイヴン、あんたも準備して」
彼女の冷静な指示に、レイヴンは大仰に肩をすくめた。
「了解」
短く応じると踵を返し、去り際に振り返ったその視線が悟の顔を捉える。
「今度飲もうぜ、黒豹君」
返事の代わりに頭を軽く頷く悟。レイヴンは満足そうに微笑むと、左手を軽く上げ、漆黒のマントを翻してシャノアールと共に正面玄関の外へと向かっていった。
「お待ちしておりました、ブラックパンサー様」
立ち去る2人を視線の端で見届けた悟に、頃合いを見計らったように、エントランスホールの隅に控えていた案内役の女性が近寄りお辞儀をする。首から下げた認識票は諜報部門所属を示している。
「総統閣下は地下ゼロ層の執務室でお待ちです」
エレベーターに乗り込むと内部は窓一つない閉塞空間。下降するにつれ気圧の変化が耳を圧迫する。女性は終始無言で悟の三歩後ろを保った。彼女もまた幹部の随伴員としての厳格さを漂わせている。ただ――鏡面の壁越しに見えたブラックパンサーに向ける目線には、微かな探求心の色が見え隠れする。この若すぎる幹部がどんな資質を持っているのか――品定めするような視線だ。
階層を知らせるデジタル表示が赤から黒に変わり、「0」が点灯した。エレベーターの扉が静かに開く瞬間、空気が明らかに変質した。
「……っ」
喉の奥がヒリつく感覚。足元から這い上がる寒気が背骨を撫で上げる。
『ここは……他のエリアと違う』
生物としての根源的な警戒心が脊髄反射のように働く。鼓動が耳元で暴れ始め、額には薄っすらと汗が滲んだ。
ダーク・タワー総統執務室──悪の組織の中枢にして最高権力者の玉座の間だ。
紅蓮色のカーペットが続く長廊下は無音だった。壁は磨き上げられた漆黒の大理石で覆われている。重厚感ある円柱の表面には微細な彫刻が施されており、悟の読めない古代文字が蠢く蛇のように這っている。高い天井からは無数のホログラム光源が虹彩のような光を投げかけ、空気中を微細な粉塵が踊っていた。どこか非現実的な美しさ。だが悟にはそれが危険な罠のようでもあった。
『すでに監視されてる……』
そう感じたのは直感だった。ホログラム光が不自然な角度で悟の輪郭を浮かび上がらせる。光粒は空中で踊り狂いながら、彼の身体を詳細に解析するかのように焦点を変えている。
案内役の女性は無言で前方を歩く。悟は彼女の後ろを歩きながら、汗が背中を伝うのを感じた。ベルトの締め付けが一層強く感じられる。
『早く済ませたい……』
そう願いながらも、足取りは自然と重たく、緩慢になる。革のブーツが赤絨毯を踏むたびに小さな凹みを残し、それが更に時間の流れを遅延させているかのようだった。
長い廊下の先に巨大な黒檀の扉が聳え立っていた。その両脇には無表情な衛兵二名が直立不動の姿勢を保つ。彼らの戦闘服は重厚な漆黒で、胸元に刻まれたダーク・タワーの紋章が鈍く光る。
「……ここまでで問題ない」
悟はようやく声を絞り出した。女性は一礼し、「お気をつけて」と小さく呟いてエレベーター方向へ踵を返す。
一人取り残された悟は深呼吸を試みる。一瞬の空白ののち、悟は覚悟を決めた。
右手を上げ、黒檀の扉を三度ノックする。掌が木目を打つ乾いた音が沈黙に吸い込まれていく。
「ブラックパンサー、参りました」
まもなく 室内から総統の返事が返ってきた。
「入室を許可する」
シェイドの声は空間全体に染み渡った。室内から発せられた生身の響きだった。 悟は喉が渇くのを感じる。衛兵の一人が巨大な黒檀の扉に手をかけ、ゆっくりと押した。
黒檀の木材が軋む低い唸りとともに視界が開けた途端、室内の濃密な空気が流れ出した。
アンバーとウッディが絡み合う、エキゾチックで深い複雑な香り。それは支配者のオーラそのものだった。ミステリアスで洗練された、それでいて逃げ場のない檻のような香り。
総統室の内部は想像以上に広大で天井が高い。広い空間には豪華な調度品が配置されていた。壁を覆う書架には分厚いファイルが整然と並び、中央のデスクには浮遊型ARスクリーンが複雑なデータを投影している。しかしそのどれよりも場を支配するのは、玉座のような総統席に深く腰掛けたその男の放つ存在感だった。
「ようこそ。ブラックパンサー」
低く艶のある声。ダークシルバーの仮面から覗くのは見る者を凍らせるような冷徹な双眸。スーツの仕立ては完璧で、漆黒の生地が照明を吸収している。彼こそがシェイド──ダーク・タワーの支配者だ。
「お時間を頂き感謝します、総統」
悟は緊張しながら一歩前に進み出る。喉がカラカラに乾いている。挨拶の声がかすれた。
「随分と緊張しているな」
総統の右手が動き、長い指が優雅に空を切った。その仕草だけで室内の空気が凍結する。手招きだと悟るまで一秒かかった。
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