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イチの住む村は、四方を山々に囲まれた小さな集落だった。
その山には、昔から銀ぎつねの姿をしたお狐様――銀黄(ぎんき)様が住んでいると伝えられている。
村の中心には、銀黄様を祀る大きな社があり、村人たちは日々、山の恵みや作物、そして銀黄様の好物である稲荷を供えてきた。
それは決して強制ではなく、「できる者が、できる分だけ」という暗黙の習わしに過ぎない。それでも、不思議なことに、社から供え物が消える日は一日もなかった。
イチは、その村はずれに建てられた小さな家で暮らしている。
かつては祖父母と三人で暮らしていたが、二人ともイチが十二の頃に相次いで亡くなった。父と母は、イチを残したままどこかへ行ってしまい、行方は今も知れない。
祖父母が亡くなってからは、小さな畑を一人で耕しながら生きてきた。
食べていくだけで精一杯の暮らしで、裕福とは程遠い。それでもイチは、毎日少しでも口にできるものがあり、雨風をしのげる古い家があるだけで、十分だと思っていた。
そんなイチにとって、ささやかな楽しみがある。
それは、何かしら収穫ができた日――銀黄様に供え物ができる日だった。
自分の食べる分が減ってしまっても構わない。
それよりも、銀黄様に何かを供えられることのほうが、イチにとっては何よりうれしい。
だから、供えられるものが手に入った日は、胸の奥がふわりと浮き立つのだ。
この日は、山で採ってきた柿が、ちょうどよい具合に干し柿へと仕上がっていた。
一口かじると、自然と口角が上がるほどの甘さだ。
――これなら、銀黄様も少しは喜んでくれるかもしれない。
そう思うと、胸があたたかくなる。
イチは干し柿を大切に山の葉で包み、両腕に抱え込むようにして、村の中心にある銀黄様の社へと足を向けた。
銀黄様の社は、石畳の長い階段を上った先に建てられている。
段を踏みしめ、最後の一段を上がると、目の前には大きな赤い鳥居が構えていた。
鳥居をくぐれば、左右には二体の狐の石像が並んでいる。
黒曜石で作られているのだろうか、その姿は艶のない漆黒に染まり、じっとこちらを見据えているようにも思えた。
ほんの少し、怖い。
だが、この二匹の狐が社を守ってくれているのだと思うと、心強くもある。
イチはここを通るたび、必ず立ち止まり、左右の像それぞれに小さく頭を下げてから社へと向かった。
社の前には、今日もたくさんのお供え物が並んでいた。
白米、立派な野菜、油揚げ。どれも手間をかけて整えられ、きれいな器に盛られている。
それらを目にした途端、イチの胸に抱えられた干し柿が、ひどく質素なものに思えてきた。
――こんなものを供えられても、銀黄様は迷惑かもしれない。
一歩、足が止まる。
だが、ここまで来たのだ。何も供えないよりは、きっといいはずだ。
それでも気後れは拭えず、イチは社の端、目立たない隅のほうに、山の葉に包んだ干し柿をそっと置いた。
控えめに手を合わせ、
こんなものしか供えられないことを詫び、
銀黄様が健やかに過ごせるよう、静かに願う。
――帰ろう。
そう思い、踵を返しかけた、その時だった。
「お? イチじゃねーか。なんだ、供えもんでも持ってきたんか?」
意地の悪い声が背中に投げつけられ、イチの足は止まった。
「……山並の将太さん……こんにちは。はい、お供え物を持ってきたんです」
「へえ。備えるもんがあったんか。で、何持ってきた?」
声の主は、村一番の裕福な家の倅――山並将太だった。
親の仕事を手伝うこともなく、二人ほどの子分を連れて村をぶらつき、遊び惚けている男だ。
暇つぶしでも見つけたかのように、将太はイチを見つけるたび、こうして絡んでくる。
将太の子分の一人が、目ざとく社の隅に置かれた干し柿に気づいた。
「おい、将太! 干し柿だってよ。しけてんなー」
そう言って、無遠慮に山の葉を開け、中身を取り出す。
「そ、その干し柿は……とてもよくできたので、銀黄様にと思って……」
「ほーん。じゃあ、俺が味見してやるわ」
「あ! だ、ダメだよ!」
イチの静止も虚しく、将太は供え物から一つ干し柿を取り、かじりついた。
だが、次の瞬間――
「ぺっ」
吐き出された干し柿が、石畳に転がる。
「おいおい、イチ。こんなもん銀黄様に備えてんじゃねーよ。誰が食えるってんだ、こんなまずいもん」
「え、そんなまずいんか? どれ、俺にも一個」
「俺も俺も」
子分たちは面白がるように干し柿を口に入れ、将太と同じように吐き出すと、ポイっと投げ捨てた。
「ほんとだ。食えたもんじゃねーな。将太んちで食った干し柿のほうが、何百倍もうまいわ」
「イチ、お前の舌、どうかしてんじゃねーか?
こんなもん備えたらよ、銀黄様の怒りを買って、罰が当たるぞ」
子分たち二人の言葉にケタケタと笑いながら、将太はイチの肩を軽く叩いた。
「悪いことは言わねぇ。この干し柿持って、さっさと帰んな。
それとな、ほんとうまい干し柿が食いたきゃ、俺んちまで来いよ。ごちそうしてやるわ」
「将太、やさしー!」
「さすがだなー!」
子分たちに囃し立てられながら、三人は鳥居をくぐり、社を後にした。
残されたイチは、齧られ、汚れてしまった干し柿を拾い集める。
そして、備えたばかりだった干し柿を、もう一度そっと胸に抱き、社を離れた。
その山には、昔から銀ぎつねの姿をしたお狐様――銀黄(ぎんき)様が住んでいると伝えられている。
村の中心には、銀黄様を祀る大きな社があり、村人たちは日々、山の恵みや作物、そして銀黄様の好物である稲荷を供えてきた。
それは決して強制ではなく、「できる者が、できる分だけ」という暗黙の習わしに過ぎない。それでも、不思議なことに、社から供え物が消える日は一日もなかった。
イチは、その村はずれに建てられた小さな家で暮らしている。
かつては祖父母と三人で暮らしていたが、二人ともイチが十二の頃に相次いで亡くなった。父と母は、イチを残したままどこかへ行ってしまい、行方は今も知れない。
祖父母が亡くなってからは、小さな畑を一人で耕しながら生きてきた。
食べていくだけで精一杯の暮らしで、裕福とは程遠い。それでもイチは、毎日少しでも口にできるものがあり、雨風をしのげる古い家があるだけで、十分だと思っていた。
そんなイチにとって、ささやかな楽しみがある。
それは、何かしら収穫ができた日――銀黄様に供え物ができる日だった。
自分の食べる分が減ってしまっても構わない。
それよりも、銀黄様に何かを供えられることのほうが、イチにとっては何よりうれしい。
だから、供えられるものが手に入った日は、胸の奥がふわりと浮き立つのだ。
この日は、山で採ってきた柿が、ちょうどよい具合に干し柿へと仕上がっていた。
一口かじると、自然と口角が上がるほどの甘さだ。
――これなら、銀黄様も少しは喜んでくれるかもしれない。
そう思うと、胸があたたかくなる。
イチは干し柿を大切に山の葉で包み、両腕に抱え込むようにして、村の中心にある銀黄様の社へと足を向けた。
銀黄様の社は、石畳の長い階段を上った先に建てられている。
段を踏みしめ、最後の一段を上がると、目の前には大きな赤い鳥居が構えていた。
鳥居をくぐれば、左右には二体の狐の石像が並んでいる。
黒曜石で作られているのだろうか、その姿は艶のない漆黒に染まり、じっとこちらを見据えているようにも思えた。
ほんの少し、怖い。
だが、この二匹の狐が社を守ってくれているのだと思うと、心強くもある。
イチはここを通るたび、必ず立ち止まり、左右の像それぞれに小さく頭を下げてから社へと向かった。
社の前には、今日もたくさんのお供え物が並んでいた。
白米、立派な野菜、油揚げ。どれも手間をかけて整えられ、きれいな器に盛られている。
それらを目にした途端、イチの胸に抱えられた干し柿が、ひどく質素なものに思えてきた。
――こんなものを供えられても、銀黄様は迷惑かもしれない。
一歩、足が止まる。
だが、ここまで来たのだ。何も供えないよりは、きっといいはずだ。
それでも気後れは拭えず、イチは社の端、目立たない隅のほうに、山の葉に包んだ干し柿をそっと置いた。
控えめに手を合わせ、
こんなものしか供えられないことを詫び、
銀黄様が健やかに過ごせるよう、静かに願う。
――帰ろう。
そう思い、踵を返しかけた、その時だった。
「お? イチじゃねーか。なんだ、供えもんでも持ってきたんか?」
意地の悪い声が背中に投げつけられ、イチの足は止まった。
「……山並の将太さん……こんにちは。はい、お供え物を持ってきたんです」
「へえ。備えるもんがあったんか。で、何持ってきた?」
声の主は、村一番の裕福な家の倅――山並将太だった。
親の仕事を手伝うこともなく、二人ほどの子分を連れて村をぶらつき、遊び惚けている男だ。
暇つぶしでも見つけたかのように、将太はイチを見つけるたび、こうして絡んでくる。
将太の子分の一人が、目ざとく社の隅に置かれた干し柿に気づいた。
「おい、将太! 干し柿だってよ。しけてんなー」
そう言って、無遠慮に山の葉を開け、中身を取り出す。
「そ、その干し柿は……とてもよくできたので、銀黄様にと思って……」
「ほーん。じゃあ、俺が味見してやるわ」
「あ! だ、ダメだよ!」
イチの静止も虚しく、将太は供え物から一つ干し柿を取り、かじりついた。
だが、次の瞬間――
「ぺっ」
吐き出された干し柿が、石畳に転がる。
「おいおい、イチ。こんなもん銀黄様に備えてんじゃねーよ。誰が食えるってんだ、こんなまずいもん」
「え、そんなまずいんか? どれ、俺にも一個」
「俺も俺も」
子分たちは面白がるように干し柿を口に入れ、将太と同じように吐き出すと、ポイっと投げ捨てた。
「ほんとだ。食えたもんじゃねーな。将太んちで食った干し柿のほうが、何百倍もうまいわ」
「イチ、お前の舌、どうかしてんじゃねーか?
こんなもん備えたらよ、銀黄様の怒りを買って、罰が当たるぞ」
子分たち二人の言葉にケタケタと笑いながら、将太はイチの肩を軽く叩いた。
「悪いことは言わねぇ。この干し柿持って、さっさと帰んな。
それとな、ほんとうまい干し柿が食いたきゃ、俺んちまで来いよ。ごちそうしてやるわ」
「将太、やさしー!」
「さすがだなー!」
子分たちに囃し立てられながら、三人は鳥居をくぐり、社を後にした。
残されたイチは、齧られ、汚れてしまった干し柿を拾い集める。
そして、備えたばかりだった干し柿を、もう一度そっと胸に抱き、社を離れた。
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