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「ほら、口、開けろ」
低く、ぶっきらぼうな声が耳元で響いた。だが、その声音に反して、差し出されるスプーンの動きは驚くほど丁寧だ。
「……んぁ」
言われるがままに口を開けば、あたたかなスープがそっと流れ込んでくる。
膝の上に抱えられた体を片腕でしっかり支えたまま、彼は黙々と凡に食事を運んでいた。
その男こそ、あの日、銀行で自分を「病院に連れていく」と言って車に押し込んだ、あの隊長だった。
名前は——一津 重想(いちづ・しそう)。
SATの第三隊を率いるらしく、背丈は180センチを優に超える。短く刈った黒髪に鋭い目つき、全身が鎧のように引き締まった身体つき。顔立ちそのものは整っているはずなのに、第一印象はとにかく「怖い」。凡にとっては、かなり苦手なタイプだった。
それなのに、今。
なぜ自分がこの膝の上に乗せられて、スプーンで食事を食べさせられているのか——その理由は、いまだに分からない。
病院に行くと言われて連れてこられてから気づけばもう一ヶ月が過ぎていた。
もちろん、いくら凡がぽやっとしていても、三日もすれば「これはおかしい」と気づいた。(それでも遅いのだが、凡にしては異例の早さだった。)
仕事から戻った一津が当然のように夕飯を作り、風呂を用意し、着替えを出し、寝る場所を整え——甲斐甲斐しく世話を焼かれるなか、凡はついに勇気を振り絞って言ってみた。
「あの……僕、バイトがあるので……そろそろ、家に帰りたいんですけど……」
一津は、一瞬だけ視線を逸らしてから、低く言い放った。
「問題ねぇ」
なにがどう「問題ない」のかは、まったく分からなかった。
それ以上聞けるわけもなく、凡はただ黙って頷いた。そして、気がつけば今日で一ヶ月目だった。
もうバイトはクビになっているだろう。いや、来ていないことに気が付かれているかも微妙なところだ。どちらにしろ、もう凡の居場所はもうないことは確かだ。
——なんで、こうなってるんだろう。
どこでどう間違えたんだろう。
この人は、いったい何がしたいんだろう……?
色々と考えるが、頭が少々よろしくない凡の脳みそでは当然ながら答えが出ることはなかった。
ただ確かなのはひとつ。この日もまた、一津に世話を焼かれているという、謎の現実だけだった。
(困った……)そう思いながら、彼の膝の上でモジモジと身じろぎすると、一津がこちらを見下ろし、スプーンをそっと置いた。
そして、まるで何の迷いもなく、凡の体をひょいと抱き上げた。
「わっ……!」
咄嗟に逞しい首に腕を回し、思わず身を縮める。どこへ行くのかとそわそわしていると——目的地はすぐに明らかになった。
「おら、便所。してーんだろ?」
言いながらトイレの前に立たせると、一津はごく自然な手つきでズボンに手をかけようとする。
「だっ、大丈夫ですっ! トイレは……ひっ、一人でできますからっ!」
「……チッ」
舌打ちひとつ。渋々ドアを閉めてくれたことで、凡はようやく心底ほっとして便座に腰を下ろした。
正直なところ、別にトイレに行きたかったわけじゃない。けれど、目を光らせて様子を窺われ、「察される」とこうなるのだ。
……初めてトイレに行きたいと伝えた日のことを、凡は思い出す。
「あの、お手洗い……お借りします」
——ただ、それだけ言っただけだったのに。
彼は当然のように凡を抱きかかえ、トイレへと連れていき、座る間もなくズボンを脱がせ、便器の前に立たせた。
「ん」
口元だけでそう言って、あろうことか——凡のちっぽけな、ちーさな性器に手を伸ばそうとしたのだ。
何をされるのか一瞬で理解した凡は、声を震わせながら必死に説得し、なんとか手を引かせて自力で用を足したのだった。
この人は、どうやら怖い顔をしているくせに、誰かの世話を焼くのがとんでもなく好きらしい。
(部隊の人っていうより……ほんとはヘルパーさんなのかもしれない。いやいや、それはさすがにないよね……。でも、まさか、僕のこと……お爺さんにでも見えてるんじゃ……違うよね?違っていて欲しい…)
そう願いながら凡はそっと溜息をついた。
——ガチャ。
扉が開く。
「終わったか?」
「……お、終わりました」
「ん」
「っじ、自分で拭きますっ! あっ、あぁぁっ!」
モタモタしていると、こうして容赦なく“介護”が始まるのだ。トイレで考え事はしてはいけない。——そう、凡は学んだ。
が、
凡の弱いおつむでは、結局また同じことを繰り返すのだった。
低く、ぶっきらぼうな声が耳元で響いた。だが、その声音に反して、差し出されるスプーンの動きは驚くほど丁寧だ。
「……んぁ」
言われるがままに口を開けば、あたたかなスープがそっと流れ込んでくる。
膝の上に抱えられた体を片腕でしっかり支えたまま、彼は黙々と凡に食事を運んでいた。
その男こそ、あの日、銀行で自分を「病院に連れていく」と言って車に押し込んだ、あの隊長だった。
名前は——一津 重想(いちづ・しそう)。
SATの第三隊を率いるらしく、背丈は180センチを優に超える。短く刈った黒髪に鋭い目つき、全身が鎧のように引き締まった身体つき。顔立ちそのものは整っているはずなのに、第一印象はとにかく「怖い」。凡にとっては、かなり苦手なタイプだった。
それなのに、今。
なぜ自分がこの膝の上に乗せられて、スプーンで食事を食べさせられているのか——その理由は、いまだに分からない。
病院に行くと言われて連れてこられてから気づけばもう一ヶ月が過ぎていた。
もちろん、いくら凡がぽやっとしていても、三日もすれば「これはおかしい」と気づいた。(それでも遅いのだが、凡にしては異例の早さだった。)
仕事から戻った一津が当然のように夕飯を作り、風呂を用意し、着替えを出し、寝る場所を整え——甲斐甲斐しく世話を焼かれるなか、凡はついに勇気を振り絞って言ってみた。
「あの……僕、バイトがあるので……そろそろ、家に帰りたいんですけど……」
一津は、一瞬だけ視線を逸らしてから、低く言い放った。
「問題ねぇ」
なにがどう「問題ない」のかは、まったく分からなかった。
それ以上聞けるわけもなく、凡はただ黙って頷いた。そして、気がつけば今日で一ヶ月目だった。
もうバイトはクビになっているだろう。いや、来ていないことに気が付かれているかも微妙なところだ。どちらにしろ、もう凡の居場所はもうないことは確かだ。
——なんで、こうなってるんだろう。
どこでどう間違えたんだろう。
この人は、いったい何がしたいんだろう……?
色々と考えるが、頭が少々よろしくない凡の脳みそでは当然ながら答えが出ることはなかった。
ただ確かなのはひとつ。この日もまた、一津に世話を焼かれているという、謎の現実だけだった。
(困った……)そう思いながら、彼の膝の上でモジモジと身じろぎすると、一津がこちらを見下ろし、スプーンをそっと置いた。
そして、まるで何の迷いもなく、凡の体をひょいと抱き上げた。
「わっ……!」
咄嗟に逞しい首に腕を回し、思わず身を縮める。どこへ行くのかとそわそわしていると——目的地はすぐに明らかになった。
「おら、便所。してーんだろ?」
言いながらトイレの前に立たせると、一津はごく自然な手つきでズボンに手をかけようとする。
「だっ、大丈夫ですっ! トイレは……ひっ、一人でできますからっ!」
「……チッ」
舌打ちひとつ。渋々ドアを閉めてくれたことで、凡はようやく心底ほっとして便座に腰を下ろした。
正直なところ、別にトイレに行きたかったわけじゃない。けれど、目を光らせて様子を窺われ、「察される」とこうなるのだ。
……初めてトイレに行きたいと伝えた日のことを、凡は思い出す。
「あの、お手洗い……お借りします」
——ただ、それだけ言っただけだったのに。
彼は当然のように凡を抱きかかえ、トイレへと連れていき、座る間もなくズボンを脱がせ、便器の前に立たせた。
「ん」
口元だけでそう言って、あろうことか——凡のちっぽけな、ちーさな性器に手を伸ばそうとしたのだ。
何をされるのか一瞬で理解した凡は、声を震わせながら必死に説得し、なんとか手を引かせて自力で用を足したのだった。
この人は、どうやら怖い顔をしているくせに、誰かの世話を焼くのがとんでもなく好きらしい。
(部隊の人っていうより……ほんとはヘルパーさんなのかもしれない。いやいや、それはさすがにないよね……。でも、まさか、僕のこと……お爺さんにでも見えてるんじゃ……違うよね?違っていて欲しい…)
そう願いながら凡はそっと溜息をついた。
——ガチャ。
扉が開く。
「終わったか?」
「……お、終わりました」
「ん」
「っじ、自分で拭きますっ! あっ、あぁぁっ!」
モタモタしていると、こうして容赦なく“介護”が始まるのだ。トイレで考え事はしてはいけない。——そう、凡は学んだ。
が、
凡の弱いおつむでは、結局また同じことを繰り返すのだった。
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