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本編

2話

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 八歳になるかならないかの頃にイリスは母親に連れられて王家主催のパーティーに参加する。この手の集まりは夜会が多いのだが、今回に関してはイリスより一つ年下である王家の末姫……レアの生誕記念パーティーなのもあって、同じ年頃の貴族の子どもも招待される都合で昼間の開催となっていた。
 基本社交に出ないノイ伯爵家なのだが、今回に関しては水面下で進められている第二王子との婚約の一環としてとりあえず顔合わせをして相性を見てみようと言う話があり時間を作った。
 中央の魔具研究所に勤めているフレムデ・ノイ伯爵が多忙であった為に付添はシュトルム・ノイ伯爵夫人。彼女は結婚を機に軍属魔術師としては退役しているのだが、その後もノイ領の魔物討伐隊を指揮して領内の魔物を狩っていたし、定期的に行われる軍主導の大規模魔物討伐にも乞われて臨時参加などをしている。
 本来であるのならイリス同様ドレスを着て参加すべきなのだろうが、そんな経歴もあり軍用の礼服をシュトルムは着用している。
 黒を基調とし金糸で細かい刺繍のされたその礼服を着たシュトルムの姿は娘のイリスすらも見惚れる。無造作に束ねられた漆黒の髪を揺らしながら彼女は娘の手を引き、王城内にある会場へ向かっていた。
 ふと、イリスは庭へ視線を送るとふわりと笑う。それに気がついたシュトルムは僅かに眉を上げて足を止めた。

「どうしたイリス」
「いえ。お庭の花がとても綺麗だと」
「王家自慢の庭だからな。気に入ったのなら一輪貰ってこようか?髪を飾るのに丁度いい」

 大輪の白い花が綺麗に咲いているのに気がついたシュトルムがそう言うと、慌てたようにイリスは首を振った。

「いえ。今日は侍女が折角赤い花を準備してくれたので……」
「ふむ……そうか」

 遠慮するように言う娘に視線を落としながら彼女は娘の漆黒の髪に飾られる赤い生花を眺めた。確かに悪くはないと思うのだが、あの白い花を見てしまえばあちらの方が良い気がしたのだ。この手の集まりに出る時は大概軍服でありドレスなど余り縁がなかったので侍女に丸投げしたのだが、折角ならば解らないなりに娘の好みを聞きながらドレスも含めて選んでも良かったかと僅かにシュトルムは後悔をする。
 研究一辺倒の父親と、魔物を狩ることしか能のない母親。その娘として生まれたイリスは、親の贔屓目もあるだろうが良い子だと個人的に彼女は思っていた。
 第二王子との婚約話の際も大人の都合で利用されるのを承知で、それでも民の為になるのならと嫌な顔一つしなかったのだ。寧ろ両親の方が娘可愛さにごねにごねまくっている現状である。

「行きましょうお母様」
「あぁ」

 淡く微笑んで己を見上げる娘を見てシュトルムはほんの少しだけ瞳を細めた。

***

 会場に入れば王妃の隣で末姫がひっきりなしに挨拶を受けている。順番待ちになりそうだと些かげんなりとした表情をシュトルムはしたが、向こうが気を使ってくれたのか直ぐに王妃の元へ案内された。
 定形通りの挨拶と祝いの言葉を述べた後にイリスを紹介すると、王妃は懐かしむように瞳を細めて口を開く。

「相変わらず凛々しいわね風切姫」
「姫などとお戯れを。もう子を三人も生んだ古参兵に過ぎません」

 シュトルムが淡く微笑んでそう返答すれば王妃は可笑しそうに口元を緩めた。嘗て軍属魔術師として活躍した軍神・風切姫といえば貴族令嬢の憧れの的であったのだ。夜会などでは下手な貴族子息よりも人気を集めダンスの希望者が列をなした。そんな昔話を王妃は懐かしそうに話す。
 イリスはそんな話をよく耳にしたこともあったが末姫は初めてだったのか瞳を輝かせて話に聞き入り、熱の籠もった視線をシュトルムへ向けた。それに気がついた彼女は淡く微笑み返す。それに末姫は照れたのか頬を赤らめて俯いた。
 
「母上」

 そんな中、一人の少年が王妃へ声をかけた。噂の第二王子かとシュトルムは暫く彼を眺めたあと、騎士の礼を取り挨拶をした。そして先程と同じように娘を紹介する。
 イリスも練習通りに挨拶をし柔らかく微笑む。それに第二王子・ルフトは少しだけ驚いたような顔をした後に口を開いた。

「のちほどダンスを一曲踊ってもらえるか?」
「喜んで」

 恐らくそう言われるであろうと一応練習をしてきたイリスは謹んでそれを受ける。それに満足そうに王妃は笑うとシュトルムに視線を送った。
 余り長く挨拶していても迷惑であろうと、一旦その場を辞してシュトルムは壁際にイリスを連れて移動する。そこで漸くイリスは僅かに不安そうな表情を彼女に向けた。

「えっと……問題はありませんでしたか?」
「そうだな。社交下手のノイ伯爵家でトップクラスの素晴らしい対応だったと私は思うよ。ダンスの方もとりあえず殿下と一曲踊っておいで。それで今日の我々の仕事は終いだ」

 シュトルムの言葉に安心したようにイリスは微笑む。緊張でガチガチになる子も多い中、王族相手にあれだけ対応できれば上出来であろう。表に出さないだけで緊張があったと思われる我が子に視線を落としてシュトルムは微笑んだ。
 しかしながら王妃の元を離れてホールに移動した第二王子の周りには同じ年頃の令嬢が殺到しており、流石にあの中に行ってこいと言う気にもなれなかったシュトルムはもう少し人がはけるのを待つ事にする。
 余り社交に出てこないノイ伯爵家。その上先日の大規模魔物討伐で大活躍であった風切姫が出席していると気がついた貴族がポツポツとシュトルムを囲みだす。それを隣で眺めていたイリスは申し訳無さそうに彼女に声をかけた。

「お母様」
「どうした」
「少々部屋が暑くて……庭で涼んできても構いませんか?」

 そう言われてシュトルムはホールに視線を滑らせる。庭へと続く扉が開け放たれており、そちらでも休憩ができるようになっていることに気がついた彼女は小さく頷いた。
 母親の許可を貰ったイリスは、まだ第二王子の周りに人が多いのを確認してから移動する。庭への扉が開け放たれているのでそのそばに行くだけでも涼めるだろうか、それともいっそ庭に出てしまおうか。そんな事を考えながらうろうろとしていると、突然腕を掴まれて庭の方へ引っ張り出された。
 イリスは驚いて己を掴む手に視線を落としたあと相手の顔を確認する。同じ年頃の少年。

「涼みに来たんじゃねぇの?」

 少年の襟元が緩んでいるので、恐らく彼も涼みに来たのだろうと判断してイリスは小さく頷く。貴族令息としては些か言葉遣いに難があるが、顔立ちは第二王子に負けず劣らず整っていた。黙っていれば優しげな少年に見えたであろう。焦げ茶の髪に鮮やかな赤い瞳。この国では余り見ない組み合わせである。
 そしてイリスは彼の胸元に飾られている花が先程王庭で見たのと同じ白い花だと気がつく。偶然だろうかそれともあの花を気軽に手折れる王族の人間だろうかと心配になり、とりあえず自分から名乗ることにした。

「イリス・ノイと申します」

 緩やかに掴まれていた腕を振りほどいてイリスは丁寧に頭を下げて挨拶をする。すると少年は襟元を直してから柔らかく笑うと先程とは打って変わって丁寧に名乗った。

「ヴァイス・アイゼン。初お目にかかりますイリス嬢。以後お見知りおきを」

 アイゼンと言われイリスは目を丸くする。先日第二王子との婚約の件で会った宰相と同じ家名だと気がついたのだ。息子だろうか親戚だろうかと困惑しているイリスの前に跪くと、彼は優しく彼女の手をとって甲にくちづけを落とし赤い瞳を細めた。

「しがない三男坊ですよ。余り身構えないで下さい。……あと」
「はい?」
「恥ずかしながら余り堅苦しい口調が得意ではありませんので……お嫌でなければ口調を戻したいのですが」
「あ、はい」

 了承を得るとヴァイスは立ち上がってまた襟元を緩める。その変わりようにイリスはあっけにとられたが、可笑しそうに笑った。

「私も堅苦しいのは苦手なの」
「そりゃ気が合うな。誰もいねぇしそっちも崩して構わねぇよ」
「ありがとうございます、ヴァイス様」
「呼び捨てでいい。しかも全然口調崩れてねぇし」
「私の方も呼び捨てでいいわよヴァイス」

 イリスが淡く笑って口調を崩すと、ヴァイスは満足そうに瞳を細めた。

「宰相閣下の三男坊がサボってていいの?」
「好きじゃねぇんだよこういう集まり。それに俺はどっちかって言うと叔父貴のミュラー商会の方の後継者扱いだし」
「ミュラー商会?知ってるわ。会長が貴方の叔父様なの?」
「そう。あそこ子どもいなくてよ。そんで親父の補佐は兄貴達で十分だろうって、そっちに回されてる」
「それじゃぁこれからもきっと縁があるわね。ミュラー商会はお母様が集めた魔物素材を沢山買い取ってくれてるし」
「知ってる。ノイ領は良いお得意先だな」

 魔具の原料として魔物の素材が使われることが多い。それもあって、愛する夫の研究材料をせっせと妻が魔物討伐をして集めまくり、余った素材はミュラー商会に流しているのだ。以前は適当な商会に売っていたのだが、突然大量に素材を流して価格暴落させる等問題を起こしたこともあり、市場調整を兼ねてミュラー商会だけに流してくれと中央から頼まれたのだ。結局、別に買い取ってくれるならどこでも良かったノイ家は元々交流のあったミュラー商会を商売の窓口にしている。
 ミュラー会長自体がフレムデ・ノイの幼馴染であり昔から商売以外でも家ぐるみで付き合いがあるのだ。その縁者と言われればイリスも完全に緊張を解く。
 確かに子がいないので甥を後継者にという話はなんとなくイリスも聞いていたが、ミュラー会長が宰相の弟であるということを彼女は今初めて知った。

「……まぁ、それ以外でも縁はあるんだろうけどな」
「そう?」
「第二王子の乳兄弟なんだよ。そんで一緒にいる事多い」

 王族の乳兄弟となれば将来的に側近となる事も多い。それを察してイリスは小さく、あぁ、と納得したように言葉を零した。恐らく彼は例の婚約の件を知っているのだろうと。宰相から聞いたのか第二王子から聞いたのかは流石に解らないが。

「婚約の話受けんのか?」
「……私でも誰かの役に立てるならいいかなぁって」

 その言葉を聞けばヴァイスは僅かに眉間に皺を寄せる。その反応に気がついたイリスは困惑したように彼の表情を思わず伺った。宰相はこの婚約を推しているのだから、寧ろ彼はそれを後押しするためにこの話を持ち出したのだと思ったのに、反応が予想外であったからだ。
 
「自分の十年をお前は国に捧げんのか」
「十年で国を安定させるって陛下や宰相閣下から言質を取ったって考えれば素敵でしょ?」

 貴族子女の通う学園の卒業は十八歳前後となるのを考えれば、仮初の婚約期間はそれぐらいになるだろう。そのまま婚約を継続して婚姻に至る可能性も勿論あるが、なんとなくイリスは己が役目を終えてノイ伯爵家へと返されると予想していた。政治の事などイリスには解らなかったが、子どもを利用しなければならないという王や宰相の苦悩、罪悪感は理解できた。大の大人が年端も行かぬ小娘に頭を下げて十年を国のために捧げてくれと乞うたのだ。
 大破壊後確かに国は何とか元の姿を戻しつつあった。けれど同じ様に大破壊で疲弊した他国もそれは同じで、ある程度軌道に乗れば国内だけではなく国外に対しても国は立て直しを図っていかなければならないし、魔物も数を減らしたが相変わらず猛威を奮っている。やらなければならない事は山ほどあるのだ。だから少しでも憂いの種を王と宰相は潰したいと、後継者争いが起こらないように手を打つことに決めた。
 十年も経てば第一王子も王の補佐としての実績を積めるだろうし、その実績をもって内外に対し次期国王だと認知される。その時間稼ぎにイリスを使う。政略結婚などよくある話なのだが、この仮初の婚約に中央への興味がないノイ伯爵家が爵位返上を言い出す程抵抗してきた。普通であるならばあわよくばそのまま王族へ娘を輿入れできると両手を上げて喜ぶのだろうが。それをしないノイ伯爵家であるからこそ政略結婚の価値があったのだ。

「不安はねぇの?」

 大きくイリスの黒い瞳が揺れる。不安がないわけではない。ただその立場に立っていればいい訳ではない。責務も発生するだろうし、周りからの目も変わるだろう。重責に押しつぶされて折れる可能性だってあった。最後まで役目を全うできるだろうかという不安も当然ある。
 己の心を見透かしたような言葉を吐き出したヴァイスを眺めて、イリスは深呼吸するように息を吐き出した。

「やり遂げられる自信があるわけじゃないのよ。でもできるだけ頑張る」
「そうか。そんじゃ俺も決めた」
「何を?」
「……いつかお前が役目を終えた時に、お前の望みを叶えてやる」
「は?」

 突拍子のない言葉にイリスは思わず間の抜けた声を上げてしまう。そのぽかんとした彼女の表情が可笑しかったのかヴァイスは己の口元を緩めた。

「ご褒美ってやつだよ。頑張ったお前への。結婚したけりゃ丁度いいの探してやるし、風切姫みてぇに軍属がよけりゃねじこんでやる。領地でのんびりって言うなら一生遊んで暮らせるように段取りしてやるよ」
「え?それって貴方になんかメリットあるの?そんでもって、貴方ならできちゃいそうなのが怖い」
「……誰かのために頑張った奴が幸せになるのを見たい」
「変な子」
「知ってる」
「でもそうね……そう言ってくれるの嬉しいわ。役目をきちんと終えれる様に宰相閣下や陛下に頑張っていい国作ってもらわないとね」

 鮮やかに笑ったイリス。
 そんな彼女の髪に飾られた赤い花をヴァイスは引き抜くと、己の胸を飾っていた白い花を代わりに飾る。
 その行動にイリスは驚いたように彼の顔を眺めた。

「こっちの方が似合ってる」
「……ありがとう」

 イリスは戸惑った様に視線を彷徨わせたが、似合うと言われたのが嬉しかったのか淡く微笑む。その表情を眺めヴァイスは満足そうに笑った。
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