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番外編

ノイ一族と眼鏡伯爵令息・前編

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 東方の海に面した領地であるクレマース伯爵領。当主は中央軍の魔術師団長を勤めており、領地運営に関しては弟が実質担っている状態である。
 そして海を超えた土地・東雲国との交易、漁業等を主な産業としている。
 しかしながら海にも魔物は存在する。
 水怪と呼ばれる蛸とも烏賊ともいい難い触手を持つものや、海竜と呼ばれる魔物、魚型の魔物等も確認されており、海上に繰り出す船は武装をしているのが当たり前、そんな海域なのだ。
 その海域に大型の海竜が突如出現した。
 環境適応の関係かこの海域で一○メートル以上の海竜が出現した記録は遡ること大破壊の終盤である二十年程前。小型の海竜に関しては現れる事もあるのだが、大型は珍しい。

 港に設置された防壁魔具の魔力残量を確認しながらオスカー・クレマース伯爵令息は小さく溜息をついた。
 長期休暇も残す所後少し。ぼちぼち学園に戻る準備をしようかというタイミングで大型海竜出現の報がもたらされた。元々魔物の大量発生に備えて港には防壁魔具が設置されているのだが、広範囲を防御するために燃費がお世辞にも良いとは言えずこうやって交代で魔術師が魔力補充をしてやらなければならない。しかし防壁を張ることで時間稼ぎができる。中央からの軍の派遣、もしくは領軍の結集。
 流石に大型海竜が出現したとなれば沖に漁に出るものもおらず海は比較的静かなのだが、逆に港は海竜の襲撃に備えて慌ただしく人が行き交っていた。
 運が良ければ陸には寄り付かずそのまま別の海域に海竜が移動するかもしれない。けれど偵察に向かっている船の報告ではジリジリと陸地へ移動していると言う。領主であるオスカーの父親が中央から戻ってきたのは朝方。指揮を領主代理の弟から受け継ぎ現在あちこちに連絡を入れている状態だ。

「オスカー・クレマース様」

 名を呼ばれて振り返るとそこにはミュラー商会の支店長が立っており彼は書状を片手に確認するように更に言葉を続けた。

「領主様は?」
「父上なら先程……」
「あぁ、支店長。こちらだったか」

 打ち合わせの為に港を離れていた領主である父親の姿を確認してオスカーはホッとしたような表情をする。領主不在時に何か不手際があっては困ると思ったのだ。

「お待たせいたしました。後半刻程でいらっしゃるようです」
「早いな」
「アインバッハ領より直接いらっしゃるとの事です。ただ、商会の馬車はもう少し時間がかかるかと。解体に関して不手際がありましたら申し訳ありません」

 思わずオスカーがぎょっとしたのは既に支店長が討伐後の話をしていたからだ。既に討伐の目処が立ったのだろうかと領主の表情を伺うと、彼は苦笑した様に口元を緩めた。

「相変わらずノイ伯爵家は仕事が早い」
「実はノイ伯爵家嫡男フォイアー様の婚約が近々纏まりそうでして」

 ノイ伯爵家と言われオスカーはクラスメートであるロートスの顔を思わず思い浮かべたのだが、出た名前は嫡男……つまりロートスの兄であるフォイアーのものであった。しかしながら婚約が決まったという事と仕事が早いと言うことが上手くつながらず無言で首を傾げる。

「……お相手はもうお子が?」
「いえ。しかしながら前回がギリギリだったので今回は早めに逆鱗を調達したいとの事でして。丁度一週間ほど前から海竜素材の情報を集めておりました」
「逆鱗?」

 領主と支店長の会話に思わずオスカーが不思議そうに言葉を零すと、支店長は苦笑して彼に視線を向ける。そもそも海竜の鱗と言うのはその頑丈さから安産のお守りとされているのだ。それ自体はオスカーも自領で土産物のアクセサリーとして生産されているので知っている。子が、という領主の言葉にうっすらと将来生まれる子のために調達したがっているのだろう事はオスカーでも察することができた。けれど逆鱗となると入手が非常に困難となる。あの大きな海竜の身体に一枚しかないのだ。

「フォイアー様がお生まれになる時ノイ伯爵が逆鱗を持ち帰りましてね。そのお陰か非常に安産だったと聞いています。その逆鱗は風切姫からイリス様へ受け継がれましたので、自前調達したいとフォイアー様がおっしゃられまして」
「……まぁそのおかげで大した被害もなく我が領は大型海竜を討伐できたんだがね」
「まさか二十年前はノイ伯爵が?」
「そうだよ。逆鱗が欲しいんだけど、と突然やってきてね。あっという間に海竜を消し炭にした」

 遠い目をしたのは領主だけではなく支店長もで、アレは非常に勿体なかったと零す。

「結局逆鱗以外燃え尽きてしまいましたからねぇ。会長も素材が勿体ないと非常にご立腹でした」
「うちとしては討伐をしてしまえばそれで良いのだが、商会としては確かに勿体ないと思うところでしょう」
「それでは今回もノイ伯爵がいらっしゃるのですか?」
「いえ。いらっしゃるのはフォイアー様とイリス様です。あとはヴァイス様もですね。あぁ、噂をすれば」

 オスカーの疑問への返事をしている途中にふと支店長の視線が空に向かった。つられるように領主とオスカーもそちらに視線を送る。
 ふわりと滑空するような三人の人影が見えてオスカーは瞳を細めた。恐らく身長から中央にイリス、左右にヴァイスとフォイアーなのだろう。
 大きく支店長が手を振れば、少しだけ方向転換をしてゆるゆると彼等は地面に着地する。風魔法を使うイリス・ノイ伯爵令嬢。彼女が二人の男を抱えてアインバッハ領から移動してきたのだ。

「お待たせいたしましたクレマース伯爵」

 二人の男の腰に添えられていた腕を解くとイリスは深々と頭を下げて領主へ挨拶をする。それに習うようにフォイアーとヴァイスも頭を下げた。

「こちらこそ急な依頼への対応感謝します。アインバッハ領の方は?」
「欲しかった三つ首のタテガミを丸刈りにして来ましたので問題ありませんわ。残りはミュラー商会の方で解体してくれるそうですので」

 ニコリと笑い恐ろしいことを言い放ったイリスにオスカーは思わず表情を引きつらせる。三つ首と言えば炎を吐く非常に強い魔物である。あっという間に畑を焼き尽くすので早急な対応が要求されるのだが大したことではないと言うように彼女は笑う。

「海竜の距離は?」
「五〇〇と言った所でしょうか。朝の情報ですので多少陸に近くはなっているかもしれません」

 領主とイリスの会話の横でヴァイスは支店長に状況確認を行う。ちらりと海に視線を送るとヴァイスは僅かに瞳を細めた。

「飛べるか?イリス」
「足場の小舟欲しいわねぇ。この風向きだと方向調整しにくい。海竜の魔法範囲は?」
「あの大きさなら一〇〇が精々だろ。一発入れて口空けさせるか。射程内に入らねぇと駄目だけどよ」
「はぁい」

 足場に小舟等安定しないのではないかとオスカーは不思議そうな顔をしたのだが、支店長が小声で彼に耳打ちをする。

「小舟にいるのは一瞬ですから。あくまで一旦着地するだけです」
「あぁ。なるほど」

 あくまで飛翔ではなく跳躍。空中で静止などはできないが落下速度を調整して滞空時間や移動距離を伸ばしているだけなのだ。

「足場が必要なら海を凍らせますよ」
「師団長のご負担になりませんか?」
「半刻程度なら問題ありませんよイリス嬢。五〇〇の距離ならば氷の道位作れます」
「まぁ!流石ですね!ではお願いできますか?」

 嬉しそうにイリスは表情を綻ばせると領主に氷の道を作ってもらうことにする。しかしながらそうなれば港の防壁魔具は一旦切らねばならない。魔物や魔法攻撃を遮断するのに特化したこの防壁は外側からだけではなく内側からもそれらを通さないのだ。軍が使う携帯用防壁魔具は外側からの攻撃からの防御、学園裏山の防壁魔具は内側へ閉じ込める仕様と、それぞれ特性が違う。中央軍や領軍が港に集結するまでの時間稼ぎ用に高い防御力を誇る防壁魔具が採用されているのだ。

「三十分後に防壁魔具を一旦停止する。それまでに海竜を運ぶ船の準備を整えろ」

 傍に控えていた部下に領主が指示をすると彼は大急ぎでかけてゆく。それと同時に支店長も己の子飼いへ指示を出すためにその場を離れた。
 防壁魔具停止の手伝いをした方がいいかとオスカーが領主に声をかけると、彼は少しだけ困ったように笑い口を開く。

「まぁ余り参考にはならないが、いい機会だから見学しておきなさい」
「参考にならない?」
「ノイ伯爵家の戦い方は尖りすぎているからね。真似はできない」
「練習すればいけるんじゃないですか?」

 そんな親子の会話に割り込んできたのは焦げ茶の髪を持つフォイアー。黒髪黒瞳のイリスやロートスとは余り似ていない様に思えるが、彼等は母親似だと言われているので父親の方に似ているのだろうとオスカーはぼんやりと考えた。

「誘導魔法をうてる人間なんて我が師団でも数えるほどしかいませんよ」
「私はヴァイスの補助が必要ですけどね。魔力量も師団長と同じ程度ですし」

 同じ程度、等と軽く言うが魔術師団長である領主の魔力量は国内でも上位に入る。しかしながらそれを上回る魔力量を持つ家族がいる上に、先代ノイ伯爵は補助なしでも誘導魔法を打てるのもありフォイアーは己が魔術師としては然程優秀ではないと思っているようである。それに領主は苦笑すると瞳を細めた。

「イリス嬢と貴方の繊細な魔術制御まではなかなか到達できませんよ」
「私は父やロートスに比べて魔力量少ないですからねぇ。高火力でねじ伏せる方が楽でいい。羨ましい。制御訓練の時間があるなら魔具を触っていたい」

 不貞腐れたようにフォイアーが言い放つとオスカーは目を丸くする。ロートスも十分な魔力制御をしていたと思っていたがそれより更に繊細だと言われればどれ程なのかと想像ができなかったのだ。

「ロートスも火力抑える制御訓練してんだろ。アイツが加減なくぶっ放したら焦土になる」
「火魔法って火力出やすいけどその辺がねぇ。母やイリスみたいな風魔法の方が応用効いていいねぇ」

 顔を顰めてヴァイスが言い放ったがフォイアーはのほほんとそう返事をしてイリスを眺める。彼女は迎撃準備のために集められた面々から双眼鏡を借りて海の方を眺めているので海竜の位置を確認しているのだろう。

「イリス嬢、海竜の拘束も必要かい?数分ならできるだろうが」
「逆に暴れられても面倒なので大丈夫です。道だけお願いします。ヴァイスがきちんと当ててくれますわ」
「まぁヴァイスは外さないよねぇ」
「ハードル上げんな」

 ノイ兄妹の言葉にヴァイスは顔を顰めたがイリスから差し出された双眼鏡を受け取り海に視線を送る。

「まぁあんだけデカけりゃいけんだろ。一旦一○○まで寄って離脱。魔法空うちさせる」
「五○まで行けるわよ」
「そうか。そんじゃそれで。離れながら印打ち込むからフォイアーはちゃんと見とけよ」
「わかった」
「引き上げ用の船は念の為に陸から二〇〇で待機にすっか」

 双眼鏡をフォイアーに渡しヴァイスは船の準備をしている面々に視線を送る。それに気が付いた領主は防壁ギリギリまで船を移動するように指示を出した。この港の防壁は丁度二〇〇の距離まで届く。

「防壁解除したらすぐ飛んでくれ」
「はぁい」

 のんびりとした様子でイリスは返事をするとヴァイスの横に立って海の方へ視線を送る。風がふわふわと彼女の髪を揺らした。
 緊張らしい緊張も見られず、アレだけ巨大な海竜のそばに行かねばならないのに恐怖の色はない。だからといって油断しているわけでもないだろう。そんな彼女をぼんやりとオスカーが眺めていると、突然ヴァイスが彼女をその場に座らせる。そして持っていた櫛で彼女の髪を梳かして器用に天鵞絨の白いリボンで髪を纏めた。

「ありがとヴァイス」
「今日はフォイアーが張り切ってっからな。焦げたら困んだろ」
「困るわぁ。お兄様、火力出しすぎないでね」
「私がイリスに怪我させた事あったかい?」
「お兄様はないけど、ロートス君は子どもの頃に私の髪を何度も焦がしてお母様にお尻蹴られてたわ」
「そのあと半泣きでイリスに謝ってたね。ヴァイスにもキツく締め上げられてた」
「まぁ、髪はまた伸びるから良いんだけど。その頃から考えればロートス君も制御上手になったわね。天才肌のお父様やお母様みたいに流石に行かないわ」

 懐かしむように、嬉しそうにイリスは笑う。その会話にオスカーは思わず瞳を細めた。オスカーから見ればロートスは何でも卒なくこなすので天才肌に見えたのだ。けれど彼にも当然幼少の頃があって、やはり自分同様失敗や鍛錬を重ねていたという事に少しだけ驚いた。
 そんな事をぼんやりと考えているとイリスが吹き出したので思わずオスカーは驚いたように彼女に声をかける。

「どうしたのですか?」
「……あのね……あ、マルクス君って知ってる?クラウスナー子爵令息の」
「はい。同じ班です」
「ロートス君があの子の服を焦がしちゃったの思い出して」

 そう言えばそんな事もあったとオスカーは思い出す。少し追加講習に慣れてきた頃だろうか、小型の魔物であったが二体同時に相手をした時にロートスがマルクスの服の裾を焦がしたのだ。焦がされた本人は訓練で破れたりするのは仕方ないから構わないと言っていたのだが、暫くしてマルクスの訓練用の服が新しくなった。しかも見るからに上等な生地を使っていたので、逆に訓練で使い捨てにしにくいと言っていたのをオスカーは思い出す。

「そう言えばロートスが弁償してました」
「あの子すごく落ち込んでてね」
「……落ち込むんですか?」
「え?落ち込むこともあるわよ?珍しいけど。とりあえず謝ってきたけど弁償した方がいいかってヴァイスに相談して、ヴァイスがやめとけって言ったのに割りといい服作って持って行っちゃったの」
「いい服一着よりもう少し質落として複数枚にしとけって言ったんだけどよ。マルクスの性格だと高価な服使い捨てもできねぇだろうし」

 呆れたようにヴァイスがイリスの言葉を補ったのでオスカーは目を丸くする。実際マルクスは毎度毎度訓練の後にきちんと洗濯をして大事に着ているらしいのだが、少々気を使うとも言っていた。そもそもこんな高価な服の手入れの仕方がわからないとオスカーに聞きに来たぐらいだ。ただ、オスカーも洗濯など使用人の仕事なのでわからないと返事をしたのだが。

「結局俺んトコに手入れの仕方聞きに来たしよ」
「そうなの!?」
「うちの人間に聞いて教えてやったけど。次は手入れ楽な服にしてやれってロートスに言っとけ」
「ロートス君はあんまりお姉ちゃんの言う事聞かないのよねぇ。マイペースだし」
「えぇ?そんな面白い話をなんでお兄ちゃんにしてくれないの?もっとない?オスカー君は同級生だよね?」
「え?はい。けど……その……マルクス程親しくもないので……」

 突然フォイアーに話を振られて驚いた様にオスカーは返事をする。実際同じ班ではあるのだが親しいと言う程ではない。

「あ、そうなの?そう言えばマルクス君はロートスの唯一の友達だっけ。お祝いした?」
「何でいい年して友達できたぐらいでお祝いすんだよ」
「だって初めてだよ!?あの子が友達ってお兄ちゃんに紹介してくれたの!!ちょっと泣いちゃったよ私!!」

 泣いちゃったの!?兄ちゃん泣いちゃったの!?とオスカーの脳内でマルクスの声が響く。初めて会った頃に泣いてしまった兄の話を聞いたのを思い出して、改めてこの人かとオスカーはフォイアーの顔を眺めた。
 ヴァイスから渡されたであろう双眼鏡を片手に声を上げるフォイアーはロートスとは違うどこかふわふわとした雰囲気を感じさせる。そしてイリスもまた、学園で見かけるときよりも空気が柔らかい。
 完璧な第二王子の婚約者。それは彼女によって作られていたものなのだと今更ながらオスカーは気が付く。恐らくノイ伯爵家というのはどちらかと言えばこんな雰囲気なのだろう。

「船の移動完了しました!!」

 響く声にすぅっとイリスの瞳が細くなる。そんな彼女に寄り添うようにヴァイスが立つと、彼女は彼の腰に腕を回した。
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