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番外編
ノイ一族と生真面目騎士・4
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その日は父親の指示に従い帰宅したのだが、下された判断は現状維持と言うものであった。
ミュラー伯爵やヴァイスが上手くノイ伯爵を宥めたが、結局魔具研究所は天才を手放す羽目になり、来期以降の財務もガタガタ。イリスとロートスの軍属が白紙撤回されたのもあり、第二王子の立場はお世辞にも良いとは言えない。そこで側近であり護衛でもあるオリヴァーまで遠ざければいよいよ孤立して悪い方向に転がるのではと国王や王妃が心配したのだ。
例えばこれが王太子であれば王の資質なしと王位継承権剥奪となったかもしれないが、元々王太子に子ができれば臣籍降下と共に王位継承権を返上する予定であったのもあり、それを早める形で手を打つ流れになっているとオリヴァーは聞いていた。ただ、あくまで噂の域を出ていない。
表立っては勝手な婚約破棄に対する数週間の謹慎命令が出ただけである。
「オリヴァー・ゲルツ伯爵令息」
第二王子の執務室から出てきたオリヴァーは凛とした声に驚いてそちらの方を向く。そこには筆頭公爵であるアインバッハ公爵とその令嬢であるローゼが立っていた。
声をかけたのはローゼの方であろう。オリヴァーは騎士の礼を取る。
「これからお父様は殿下とお話をするそうなの。わたくしはレア様の所で時間を潰すので、貴方が案内しなさい」
薄紫の瞳と髪を持つ王弟の娘・筆頭公爵令嬢。血統的に言えばレアの次に尊い血筋の令嬢となる。
その血の近さから第二王子の婚約者候補からは外れていたのだが、イリスが退いてしまえばまた推す声もあると聞いていたオリヴァーは微妙な表情になりそうなのをぐっと堪えて小さく頷いた。
「それではこちらへ。ローゼ様」
「それでは行ってまいりますわお父様」
「あぁ。こちらの話が終わったら迎えに行こう」
そう言うと公爵は第二王子の執務室へ入ってゆく。元々来客予定があるので席を外すようにと言われていたオリヴァーは、公爵との約束があったのかと納得した。
微妙に第二王子との距離ができているのは人の感情の機微にうといオリヴァーでも気がついていた。特に聖女候補に関する案件に関しては第二王子はオリヴァーに余り詳しく話をしない。信頼も信用もしてもらえていないのではないかと落ち込むが、落ち込んだところで己の役目は変わらないと何とか気持ちを奮い立たせている。けれどやはり時折不安になるのだ。
「いらっしゃいませローゼ様!!あら、オリヴァーも一緒だったの?」
「おまたせしましたレア様。彼にここまで案内して貰ったの」
挨拶の様子からして約束はあったのだろう。そう察したオリヴァーは邪魔をしてもなんだと退室しようとしたのだがレアに引き止められる。
「待ってオリヴァー。お茶を淹れてほしいの」
「私がですか?……それは構いませんが」
侍女が控えているのになぜ自分に茶のリクエストをしたのか困惑したような表情をオリヴァーは作ったのだが、レアは瞳を細めて笑う。
「ミュラー商会の新作茶葉が届いたの。手順は去年の秋冬と同じ。任せて大丈夫かしら?」
「あら。オリヴァーはお茶を淹れるのが得意なの?」
「生徒会室でずっと淹れていますのよ。イリス様やヴァイスから茶葉別の手順も仕込まれているからとっても上手」
意外そうにローゼが言葉を零したのも無理はないだろう。騎士であるオリヴァーが茶坊主をしていると想像がつかなかったのだ。
レアに指示をされた侍女に案内され給湯室へ引っ込んだオリヴァーは、レアの言った通り昨年の秋冬茶葉と同じ手順で茶を淹れた。懐かしい気持ちになったのは、丁度自分がノイ伯爵家で練習に使った茶葉がイリスの調合した茶葉であったからだ。
準備されている茶器が三つなことにオリヴァーは眉を寄せたが、隣に控えている侍女が口を開いた。
「オリヴァー様も同じ席に着くよう姫様が仰せです」
「はい」
レアにそう言われているのなら固辞するのも失礼だとオリヴァーは三人分の茶を淹れる。薄々レアから何かしらの話があるのではないかと察していたのだ。
レアとローゼの元に戻れば座るように促されてオリヴァーは大人しく同じ卓へつく。そして侍女が並べる紅茶をぼんやりと眺めた。
「あら。随分風味を変えているのね」
「春夏もわたくしは好きですが、これも後味がさっぱりしていていいですわね」
ローゼとレアの感想を聞きながらオリヴァーも紅茶に口をつける。イリスが自分でも飲みやすいようにと調合を調整したのがわかる柑橘系の風味。自分のためだけではないだろうが、それでも己の好みに寄せてくれたことがどこか嬉しくて思わずオリヴァーの口元が緩んだ。
それを眺めレアは僅かに瞳を細める。
「ねぇオリヴァー」
「はい」
「わたくしの護衛になる気はない?」
「……それがルフト殿下からのご命令なら従います」
「まぁ、貴方ならそう言うわよね」
お互いにお互いの答えは分かっていた。そんな空気をレアとオリヴァーが出したのでローゼは僅かに眉を寄せる。
例えば現状どちらかと言えば外側にいるローゼにも第二王子とオリヴァーの仲がギクシャクしているのはわかっていた。ヴァイスほど露骨ではないが、オリヴァーが第二王子の相手として聖女候補は現時点で相応しくないと思っているのを察する事が彼女にもできたのだ。そしてローゼ自身もイリスを引きずり降ろした聖女候補や、それを許した第二王子にも冷ややかな感情を抱いている。
「……ルフト様は自業自得だわ」
「かもしれません。けれど私のなすべき事は今も昔も変わりませんから。……イリス嬢やヴァイスが最後まで己の役目をきちんと果たしたというのに私だけ投げ出す訳にはいきません」
あんな形で終わると思わなかったのはオリヴァーだけではないだろう。レアもローゼもその他の面々も。
けれどイリスは第二王子の婚約者として責務を全うしたし、その後も中央と距離を取ることで表舞台からは姿を消した。
「だったら胸を張りなさい、オリヴァー・ゲルツ伯爵令息」
ピシャリとローゼの声が部屋に響く。元々どちらかと言えばキツめの印象を与える彼女の紫色の瞳がオリヴァーを正面から捉える。それに驚いた彼は不躾とわかっていながらまじまじと美しい公爵令嬢の顔を眺めた。
「貴方はヴァイスともイリス様とも違います。ええ、貴方が一番良くわかっているでしょう。あの人たちのやり方でルフト様を支える事は貴方にできない」
「はい」
「だったら、貴方のやり方で支えなさい。信頼されていなくても、信用されなくても、貴方がそうありたいと望んだなら」
それはいつかヴァイスが言っていた言葉に似ていてオリヴァーは僅かに目の奥が痛んだ。イリスがそう決めたのならそれでいい。ヴァイスはそう言って彼女の背中を守り、背中を押し続けていた。
己にもできるだろうか。不安は山程あったし、ヴァイスのような器用さもイリスのような寛容さもない。
けれどローゼに胸を張れと言われたことはどこか嬉しかった。間違っていないのだと思えたし、もしも間違っていたとしてもそれは己が望んだ事だと胸を張って言おうと。
「けれどまぁ、貴方達に必要なのはまず対話ね」
「対話……ですか?」
困惑したようなオリヴァーの表情にローゼはどこか呆れたように彼を眺めた。
「ヴァイスと言う緩衝材がないのですもの。貴方はきちんとルフト様の意図を言葉で把握するべきだし、ルフト様もヴァイスでもイリス様でもない貴方ができる事をきちんと把握して、それでもなお足りない所をルフト様自身で補う努力をすべきですわ。そもそもヴァイスが器用すぎたのよ。なんでもかんでもさっさと処理してしまうからルフト様がぼんやりしてても上手く行き過ぎていた」
従姉妹という気安さもあるのだろうがローゼの第二王子への辛辣な言葉にオリヴァーは思わず苦笑する。ぼんやりしていても、そんな言葉が妙に可笑しかったのだ。
けれどレアはそんなオリヴァーとは逆に深刻そうな表情を浮かべた。
「そうよね。結局お義……イリス様の事はヴァイスがずっと面倒を見てきた様なものだし」
「命の恩人とか仕事とか適当な理由をつけてイリス様にべったりだったヴァイスもヴァイスね。淡白そうな顔して本質は砂糖を煮詰めたような粘度よきっと。ノイ伯爵家といい勝負」
基本伴侶や家族を溺愛するノイ伯爵家。それを知っているオリヴァーはローゼの言葉に思わず首をかしげた。
「……嘘でしょ?オリヴァーは気がついてないの?」
「え?ちょっと待って下さいローゼ様。何に?もしかしてわたくしも気がついてない?」
慌てたようにレアが声を上げると、ローゼは珍しく目を丸くして表情を崩す。淑女の鑑。イリスとローゼはその双璧と言われていたのだが、その彼女がその様な表情をする事にオリヴァーは驚いた。
「ヴァイスはイリス様の事が好きよ」
「ええ。それは無論知っていますわ。ヴァイスがどうでもいい人間にあんなに世話を焼くはずありませんもの」
「……女性として……異性としてよ」
「……はい?」
「え。待って。レア様も気がついてない?だってヴァイスはいつだってイリス様優先でしょ?」
「でもそれを言ったらオリヴァーだって女性の中ではイリス様を優先してるわよね?」
「はい、そうですね。けれど私の場合はイリス嬢に異性として愛を捧げるのは無理です」
第二王子の護衛。当然第二王子の婚約者……元ではあるのだが、そのイリスはオリヴァーにとって優先すべき女性であるし、守るべき存在。そして共に第二王子を支える同士であった。
「無理?なし、ではなくて?」
「無理ですね」
食いついたのはローゼの方で、余りオリヴァーが女性関係の話をしているのを聞いたことがないし、噂にも上がらなかったので興味を引かれたのだろう。社交の場であるならば淑女として無理に掘り下げるなどはしたないと食いつく事はしなかっただろうが、私的な、しかも幼い頃から知り合いである面々でのお茶会である。多少淑女の仮面を外してしまってもいいだろうと思ったのか、ローゼはオリヴァーの言葉を待つ。
「私の仕事は第二王子殿下の護衛であり騎士ですから、何があるかわかりません。最悪殿下の代わりに命を落とすこともあります。ですので、愛情の重いノイ一族であるイリス様は無理です」
「……ちょっと意味が分からないわ」
「風切姫が亡くなったあとの伯爵を思い出して頂ければと」
「あぁ」
首をかしげたレアであったが、ノイ伯爵の話を出されれば腑に落ちる。風切姫を失ったノイ伯爵は廃人同様であったのだ。子どもたちがいなければ世を儚んでいただろうし、それを知っていただろう風切姫は臨終の際にしつこいぐらいに子どもたちを頼むとノイ伯爵に言って聞かせたとも伝わっていた。そして先代もまた伴侶を亡くした時にただでさえ引きこもりがちであったのに輪をかけて引きこもってしまい、仕方なく当代のノイ伯爵が当主の座を継いだのだ。継いだだけで大した仕事はしていないのだが、魔具研究所が忙しいと言う理由をつけて最低限の仕事で伯爵としての義理は果たしていた。
風切姫をノイ伯爵が娶って漸く先代が復帰し、孫も続々と増えて現在は嫡男の教育や領地での当主代理としての仕事を引き受けるまでに回復した。
そんなノイ家の血統であるイリスも恐らく似たようなものだろうと言われれば納得もできた。
「けれどイリス様はどちらかと言えば風切姫に似ていらっしゃるし……そこまで愛情が重いタイプではないのでは?」
「イリス嬢の基本資質はノイ一族だとヴァイスが言っていましたので、多分、こう……尽くすタイプだと思います。我慢強いところは風切姫に似ていると言っていましたが」
「……ヴァイスが言うならそんな気がしてきたわ」
「はい。ですので、私の場合は伴侶より早く死ぬ可能性が高いので、できれば政略結婚と割り切った方か、自立した女性が好ましいと思っています」
「ちょっと意外だわ。仕事に対して堅物だから家庭には癒やしを求めるタイプかと思ってた」
次々と出てくるオリヴァーの新事実にレアは驚いたように声を上げる。レアとオリヴァーの付き合いは長い。けれどまだ知らないことも多いのだと改めて感じたし、ローゼの言う対話が必要だと言うのもそう的外れではないのではないかとレアは考える。
「イリス嬢の事は好ましいと思いますが、もしも私の愛を捧げて、同じ様に返してくださったらと思うと先がただひたすら不安になりますし、最悪仕事の枷になりますので」
だから無理なのだとオリヴァーは困ったように笑った。
「ヴァイスもお兄様や宰相閣下からイリス様のサポートを命じられて優先してるだけではないかしら」
「あっという間にミュラー伯爵家に降りてしまったのに?しかもその後はノイ伯爵家の後ろ盾につくとあちこち回って釘刺しをした挙げ句、神殿にまで喧嘩売りに行ったのよあの人」
胡乱な表情でローゼが言い放てばレアもオリヴァーももしかしたらそうなのかと少し心が揺れる。普段はどちらかと言えばロートスと仲が良い様に見えるのだが、嫌そうな顔一つせずにイリスの面倒を見ているし、王族教育の手助けもしていた。それが仕事だと口では言っていたが、己がミュラー商会を継ぐための準備もあるというのにノイ伯爵家にかかる手間に関しては文句一つ言わない。
「イリス様のつけていたアクセサリーと同じものが欲しいと言ったら、あれはイリス用に作らせたから同じのは無理だなって言ってましたのよ!?後で似たものは持ってきましたけど!!イリス様の髪に飾る白い花も全部ヴァイスからだってロートスも言ってましたわ!!ルフト様からの花が届かなかった時は全部!!全部ってどういう事!?それって毎回贈ってるってことじゃないの!?」
突然早口でまくしたてるように喋りだしたローゼを唖然とオリヴァーは眺める。そしてポツリと彼は言葉を零した。
「もしかしてローゼ様はヴァイスがお好きなのですか?」
「そこに直りなさいオリヴァー。そして首を刎ねなさい」
「ローゼ様!!オリヴァーは真面目に受け止めてしまいますわ!!」
慌てて止めるレアに視線を送ったローゼは小さく鼻を鳴らすと冷ややかな視線をオリヴァーに送る。
「次に同じことを言ったら首を刎ねます」
「肝に銘じておきます」
「嫌いなのよあの男。淡白そうな顔をして執着心がドロドロしてる所も、その癖に一線引いてイリス様に接する所も気に食わないの」
「例えイリス嬢を慕っていても、一線を引くべきでは?」
第二王子の婚約者相手に仄かな恋心であったり憧れを抱く者が全く存在しないわけではない。それを考えれば寧ろ一線を引くのは弁えていると感じたオリヴァーは不思議そうにそう言葉をこぼす。すると持っていた扇を開いたり閉じたりしながらローゼはつまらなさそうに口を尖らせた。
「だったらさっさと婚約破棄になった時点で求婚すればいいのよ。なのにそれもせずにイリス様が望むなら別の縁談を準備してやるとか言う所が嫌い。イリス様の幸せに自分が入っていない所に腹が立つの」
子どもの様な言い草に思わずオリヴァーは笑ってしまいそうになったが、表情を無理矢理引き締めてローゼの表情を伺う。
少々自分でもヒートアップしすぎたのを自覚したのかローゼは紅茶を一口飲むと僅かに瞳を細めた。
「……イリス様もヴァイスもお互いの幸せを願っているのに背中合わせなのよ」
「背中合わせですか?」
ローゼの言葉の意味が汲めなかったオリヴァーは不思議そうな顔をして呟く。
「相手が好きだから幸せを願っている。己の幸せより相手の幸せが大事。相手の幸せに自分が必要だとお互いに思ってない。永久に交わらない平行線」
近いのに遠いのだと言うようにローゼは少しだけ不満そうな顔をする。それに対してレアは瞳を丸くしてローゼを眺めた。
「お義……イリス様もヴァイスが好きなの?」
「少なくともルフト様よりは好きなのではないかしら」
茶化すようにローゼが言うと、ぷぅ、っとレアが頬を膨らます。からかわれたと思ったのだろう。
けれど少しだけ考え込んだ様に俯いたレアは、顔を上げると首をかしげてオリヴァーに問うた。
ミュラー伯爵やヴァイスが上手くノイ伯爵を宥めたが、結局魔具研究所は天才を手放す羽目になり、来期以降の財務もガタガタ。イリスとロートスの軍属が白紙撤回されたのもあり、第二王子の立場はお世辞にも良いとは言えない。そこで側近であり護衛でもあるオリヴァーまで遠ざければいよいよ孤立して悪い方向に転がるのではと国王や王妃が心配したのだ。
例えばこれが王太子であれば王の資質なしと王位継承権剥奪となったかもしれないが、元々王太子に子ができれば臣籍降下と共に王位継承権を返上する予定であったのもあり、それを早める形で手を打つ流れになっているとオリヴァーは聞いていた。ただ、あくまで噂の域を出ていない。
表立っては勝手な婚約破棄に対する数週間の謹慎命令が出ただけである。
「オリヴァー・ゲルツ伯爵令息」
第二王子の執務室から出てきたオリヴァーは凛とした声に驚いてそちらの方を向く。そこには筆頭公爵であるアインバッハ公爵とその令嬢であるローゼが立っていた。
声をかけたのはローゼの方であろう。オリヴァーは騎士の礼を取る。
「これからお父様は殿下とお話をするそうなの。わたくしはレア様の所で時間を潰すので、貴方が案内しなさい」
薄紫の瞳と髪を持つ王弟の娘・筆頭公爵令嬢。血統的に言えばレアの次に尊い血筋の令嬢となる。
その血の近さから第二王子の婚約者候補からは外れていたのだが、イリスが退いてしまえばまた推す声もあると聞いていたオリヴァーは微妙な表情になりそうなのをぐっと堪えて小さく頷いた。
「それではこちらへ。ローゼ様」
「それでは行ってまいりますわお父様」
「あぁ。こちらの話が終わったら迎えに行こう」
そう言うと公爵は第二王子の執務室へ入ってゆく。元々来客予定があるので席を外すようにと言われていたオリヴァーは、公爵との約束があったのかと納得した。
微妙に第二王子との距離ができているのは人の感情の機微にうといオリヴァーでも気がついていた。特に聖女候補に関する案件に関しては第二王子はオリヴァーに余り詳しく話をしない。信頼も信用もしてもらえていないのではないかと落ち込むが、落ち込んだところで己の役目は変わらないと何とか気持ちを奮い立たせている。けれどやはり時折不安になるのだ。
「いらっしゃいませローゼ様!!あら、オリヴァーも一緒だったの?」
「おまたせしましたレア様。彼にここまで案内して貰ったの」
挨拶の様子からして約束はあったのだろう。そう察したオリヴァーは邪魔をしてもなんだと退室しようとしたのだがレアに引き止められる。
「待ってオリヴァー。お茶を淹れてほしいの」
「私がですか?……それは構いませんが」
侍女が控えているのになぜ自分に茶のリクエストをしたのか困惑したような表情をオリヴァーは作ったのだが、レアは瞳を細めて笑う。
「ミュラー商会の新作茶葉が届いたの。手順は去年の秋冬と同じ。任せて大丈夫かしら?」
「あら。オリヴァーはお茶を淹れるのが得意なの?」
「生徒会室でずっと淹れていますのよ。イリス様やヴァイスから茶葉別の手順も仕込まれているからとっても上手」
意外そうにローゼが言葉を零したのも無理はないだろう。騎士であるオリヴァーが茶坊主をしていると想像がつかなかったのだ。
レアに指示をされた侍女に案内され給湯室へ引っ込んだオリヴァーは、レアの言った通り昨年の秋冬茶葉と同じ手順で茶を淹れた。懐かしい気持ちになったのは、丁度自分がノイ伯爵家で練習に使った茶葉がイリスの調合した茶葉であったからだ。
準備されている茶器が三つなことにオリヴァーは眉を寄せたが、隣に控えている侍女が口を開いた。
「オリヴァー様も同じ席に着くよう姫様が仰せです」
「はい」
レアにそう言われているのなら固辞するのも失礼だとオリヴァーは三人分の茶を淹れる。薄々レアから何かしらの話があるのではないかと察していたのだ。
レアとローゼの元に戻れば座るように促されてオリヴァーは大人しく同じ卓へつく。そして侍女が並べる紅茶をぼんやりと眺めた。
「あら。随分風味を変えているのね」
「春夏もわたくしは好きですが、これも後味がさっぱりしていていいですわね」
ローゼとレアの感想を聞きながらオリヴァーも紅茶に口をつける。イリスが自分でも飲みやすいようにと調合を調整したのがわかる柑橘系の風味。自分のためだけではないだろうが、それでも己の好みに寄せてくれたことがどこか嬉しくて思わずオリヴァーの口元が緩んだ。
それを眺めレアは僅かに瞳を細める。
「ねぇオリヴァー」
「はい」
「わたくしの護衛になる気はない?」
「……それがルフト殿下からのご命令なら従います」
「まぁ、貴方ならそう言うわよね」
お互いにお互いの答えは分かっていた。そんな空気をレアとオリヴァーが出したのでローゼは僅かに眉を寄せる。
例えば現状どちらかと言えば外側にいるローゼにも第二王子とオリヴァーの仲がギクシャクしているのはわかっていた。ヴァイスほど露骨ではないが、オリヴァーが第二王子の相手として聖女候補は現時点で相応しくないと思っているのを察する事が彼女にもできたのだ。そしてローゼ自身もイリスを引きずり降ろした聖女候補や、それを許した第二王子にも冷ややかな感情を抱いている。
「……ルフト様は自業自得だわ」
「かもしれません。けれど私のなすべき事は今も昔も変わりませんから。……イリス嬢やヴァイスが最後まで己の役目をきちんと果たしたというのに私だけ投げ出す訳にはいきません」
あんな形で終わると思わなかったのはオリヴァーだけではないだろう。レアもローゼもその他の面々も。
けれどイリスは第二王子の婚約者として責務を全うしたし、その後も中央と距離を取ることで表舞台からは姿を消した。
「だったら胸を張りなさい、オリヴァー・ゲルツ伯爵令息」
ピシャリとローゼの声が部屋に響く。元々どちらかと言えばキツめの印象を与える彼女の紫色の瞳がオリヴァーを正面から捉える。それに驚いた彼は不躾とわかっていながらまじまじと美しい公爵令嬢の顔を眺めた。
「貴方はヴァイスともイリス様とも違います。ええ、貴方が一番良くわかっているでしょう。あの人たちのやり方でルフト様を支える事は貴方にできない」
「はい」
「だったら、貴方のやり方で支えなさい。信頼されていなくても、信用されなくても、貴方がそうありたいと望んだなら」
それはいつかヴァイスが言っていた言葉に似ていてオリヴァーは僅かに目の奥が痛んだ。イリスがそう決めたのならそれでいい。ヴァイスはそう言って彼女の背中を守り、背中を押し続けていた。
己にもできるだろうか。不安は山程あったし、ヴァイスのような器用さもイリスのような寛容さもない。
けれどローゼに胸を張れと言われたことはどこか嬉しかった。間違っていないのだと思えたし、もしも間違っていたとしてもそれは己が望んだ事だと胸を張って言おうと。
「けれどまぁ、貴方達に必要なのはまず対話ね」
「対話……ですか?」
困惑したようなオリヴァーの表情にローゼはどこか呆れたように彼を眺めた。
「ヴァイスと言う緩衝材がないのですもの。貴方はきちんとルフト様の意図を言葉で把握するべきだし、ルフト様もヴァイスでもイリス様でもない貴方ができる事をきちんと把握して、それでもなお足りない所をルフト様自身で補う努力をすべきですわ。そもそもヴァイスが器用すぎたのよ。なんでもかんでもさっさと処理してしまうからルフト様がぼんやりしてても上手く行き過ぎていた」
従姉妹という気安さもあるのだろうがローゼの第二王子への辛辣な言葉にオリヴァーは思わず苦笑する。ぼんやりしていても、そんな言葉が妙に可笑しかったのだ。
けれどレアはそんなオリヴァーとは逆に深刻そうな表情を浮かべた。
「そうよね。結局お義……イリス様の事はヴァイスがずっと面倒を見てきた様なものだし」
「命の恩人とか仕事とか適当な理由をつけてイリス様にべったりだったヴァイスもヴァイスね。淡白そうな顔して本質は砂糖を煮詰めたような粘度よきっと。ノイ伯爵家といい勝負」
基本伴侶や家族を溺愛するノイ伯爵家。それを知っているオリヴァーはローゼの言葉に思わず首をかしげた。
「……嘘でしょ?オリヴァーは気がついてないの?」
「え?ちょっと待って下さいローゼ様。何に?もしかしてわたくしも気がついてない?」
慌てたようにレアが声を上げると、ローゼは珍しく目を丸くして表情を崩す。淑女の鑑。イリスとローゼはその双璧と言われていたのだが、その彼女がその様な表情をする事にオリヴァーは驚いた。
「ヴァイスはイリス様の事が好きよ」
「ええ。それは無論知っていますわ。ヴァイスがどうでもいい人間にあんなに世話を焼くはずありませんもの」
「……女性として……異性としてよ」
「……はい?」
「え。待って。レア様も気がついてない?だってヴァイスはいつだってイリス様優先でしょ?」
「でもそれを言ったらオリヴァーだって女性の中ではイリス様を優先してるわよね?」
「はい、そうですね。けれど私の場合はイリス嬢に異性として愛を捧げるのは無理です」
第二王子の護衛。当然第二王子の婚約者……元ではあるのだが、そのイリスはオリヴァーにとって優先すべき女性であるし、守るべき存在。そして共に第二王子を支える同士であった。
「無理?なし、ではなくて?」
「無理ですね」
食いついたのはローゼの方で、余りオリヴァーが女性関係の話をしているのを聞いたことがないし、噂にも上がらなかったので興味を引かれたのだろう。社交の場であるならば淑女として無理に掘り下げるなどはしたないと食いつく事はしなかっただろうが、私的な、しかも幼い頃から知り合いである面々でのお茶会である。多少淑女の仮面を外してしまってもいいだろうと思ったのか、ローゼはオリヴァーの言葉を待つ。
「私の仕事は第二王子殿下の護衛であり騎士ですから、何があるかわかりません。最悪殿下の代わりに命を落とすこともあります。ですので、愛情の重いノイ一族であるイリス様は無理です」
「……ちょっと意味が分からないわ」
「風切姫が亡くなったあとの伯爵を思い出して頂ければと」
「あぁ」
首をかしげたレアであったが、ノイ伯爵の話を出されれば腑に落ちる。風切姫を失ったノイ伯爵は廃人同様であったのだ。子どもたちがいなければ世を儚んでいただろうし、それを知っていただろう風切姫は臨終の際にしつこいぐらいに子どもたちを頼むとノイ伯爵に言って聞かせたとも伝わっていた。そして先代もまた伴侶を亡くした時にただでさえ引きこもりがちであったのに輪をかけて引きこもってしまい、仕方なく当代のノイ伯爵が当主の座を継いだのだ。継いだだけで大した仕事はしていないのだが、魔具研究所が忙しいと言う理由をつけて最低限の仕事で伯爵としての義理は果たしていた。
風切姫をノイ伯爵が娶って漸く先代が復帰し、孫も続々と増えて現在は嫡男の教育や領地での当主代理としての仕事を引き受けるまでに回復した。
そんなノイ家の血統であるイリスも恐らく似たようなものだろうと言われれば納得もできた。
「けれどイリス様はどちらかと言えば風切姫に似ていらっしゃるし……そこまで愛情が重いタイプではないのでは?」
「イリス嬢の基本資質はノイ一族だとヴァイスが言っていましたので、多分、こう……尽くすタイプだと思います。我慢強いところは風切姫に似ていると言っていましたが」
「……ヴァイスが言うならそんな気がしてきたわ」
「はい。ですので、私の場合は伴侶より早く死ぬ可能性が高いので、できれば政略結婚と割り切った方か、自立した女性が好ましいと思っています」
「ちょっと意外だわ。仕事に対して堅物だから家庭には癒やしを求めるタイプかと思ってた」
次々と出てくるオリヴァーの新事実にレアは驚いたように声を上げる。レアとオリヴァーの付き合いは長い。けれどまだ知らないことも多いのだと改めて感じたし、ローゼの言う対話が必要だと言うのもそう的外れではないのではないかとレアは考える。
「イリス嬢の事は好ましいと思いますが、もしも私の愛を捧げて、同じ様に返してくださったらと思うと先がただひたすら不安になりますし、最悪仕事の枷になりますので」
だから無理なのだとオリヴァーは困ったように笑った。
「ヴァイスもお兄様や宰相閣下からイリス様のサポートを命じられて優先してるだけではないかしら」
「あっという間にミュラー伯爵家に降りてしまったのに?しかもその後はノイ伯爵家の後ろ盾につくとあちこち回って釘刺しをした挙げ句、神殿にまで喧嘩売りに行ったのよあの人」
胡乱な表情でローゼが言い放てばレアもオリヴァーももしかしたらそうなのかと少し心が揺れる。普段はどちらかと言えばロートスと仲が良い様に見えるのだが、嫌そうな顔一つせずにイリスの面倒を見ているし、王族教育の手助けもしていた。それが仕事だと口では言っていたが、己がミュラー商会を継ぐための準備もあるというのにノイ伯爵家にかかる手間に関しては文句一つ言わない。
「イリス様のつけていたアクセサリーと同じものが欲しいと言ったら、あれはイリス用に作らせたから同じのは無理だなって言ってましたのよ!?後で似たものは持ってきましたけど!!イリス様の髪に飾る白い花も全部ヴァイスからだってロートスも言ってましたわ!!ルフト様からの花が届かなかった時は全部!!全部ってどういう事!?それって毎回贈ってるってことじゃないの!?」
突然早口でまくしたてるように喋りだしたローゼを唖然とオリヴァーは眺める。そしてポツリと彼は言葉を零した。
「もしかしてローゼ様はヴァイスがお好きなのですか?」
「そこに直りなさいオリヴァー。そして首を刎ねなさい」
「ローゼ様!!オリヴァーは真面目に受け止めてしまいますわ!!」
慌てて止めるレアに視線を送ったローゼは小さく鼻を鳴らすと冷ややかな視線をオリヴァーに送る。
「次に同じことを言ったら首を刎ねます」
「肝に銘じておきます」
「嫌いなのよあの男。淡白そうな顔をして執着心がドロドロしてる所も、その癖に一線引いてイリス様に接する所も気に食わないの」
「例えイリス嬢を慕っていても、一線を引くべきでは?」
第二王子の婚約者相手に仄かな恋心であったり憧れを抱く者が全く存在しないわけではない。それを考えれば寧ろ一線を引くのは弁えていると感じたオリヴァーは不思議そうにそう言葉をこぼす。すると持っていた扇を開いたり閉じたりしながらローゼはつまらなさそうに口を尖らせた。
「だったらさっさと婚約破棄になった時点で求婚すればいいのよ。なのにそれもせずにイリス様が望むなら別の縁談を準備してやるとか言う所が嫌い。イリス様の幸せに自分が入っていない所に腹が立つの」
子どもの様な言い草に思わずオリヴァーは笑ってしまいそうになったが、表情を無理矢理引き締めてローゼの表情を伺う。
少々自分でもヒートアップしすぎたのを自覚したのかローゼは紅茶を一口飲むと僅かに瞳を細めた。
「……イリス様もヴァイスもお互いの幸せを願っているのに背中合わせなのよ」
「背中合わせですか?」
ローゼの言葉の意味が汲めなかったオリヴァーは不思議そうな顔をして呟く。
「相手が好きだから幸せを願っている。己の幸せより相手の幸せが大事。相手の幸せに自分が必要だとお互いに思ってない。永久に交わらない平行線」
近いのに遠いのだと言うようにローゼは少しだけ不満そうな顔をする。それに対してレアは瞳を丸くしてローゼを眺めた。
「お義……イリス様もヴァイスが好きなの?」
「少なくともルフト様よりは好きなのではないかしら」
茶化すようにローゼが言うと、ぷぅ、っとレアが頬を膨らます。からかわれたと思ったのだろう。
けれど少しだけ考え込んだ様に俯いたレアは、顔を上げると首をかしげてオリヴァーに問うた。
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